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どうもこんにちは、たからんです。
今日は3月11日ということで、東日本大震災の日ですね。
なので、震災とか自然災害とか、東日本だけではなくて、過去にも最近でもいろいろあったと思うんですけれども、
いろんな方々のご苦労とか、犠牲になった方への御冥福をお祈りしつつ、
やっぱりこういう機会に、ちょっと振り返るということをしていきたいと思って、
ちょっと忘れないように気持ちで、少し残しておこうかなと思います。
過去にも似たようなことを言ったことがあるかもしれませんけれども、毎年思い出していこうかなと思います。
私は東日本大震災の時ですね、その時は職場に仕事をしていて、
私の地域は北海道内陸の方なので、それでもかなりもちろん揺れましたね。
職場のビルがかなり大きく揺れたのと、その時上の娘が1歳生まれてすぐぐらいだったんですよね。
保育園に預けた最初の年で、赤ちゃんみたいな状態だったんですけれども、
そんな時に地震が起こって連絡も何もつかないしということで、かなり焦りましたね。
保育園の先生方が、福井市さんが毎月毎月いろんな災害の避難訓練をしていて、子どもたちもそれに合わせてしていて、
1歳の子なんかは、0歳1歳中クラスなんかは、こういうカートっていうんですかね、お散歩車みたいなのがあるんですよね。
大きなベビービットみたいな形っていうんですかね。
そういうのにいく柵があって、そこに座ったり、立っても大丈夫なような。
そこに園児が何人か入って、お散歩の時はそれでコロコロお散歩するというようなものなんですけれども、
それに乗せられて、園児の安全の方に避難するということをしてくれたそうです。
保育園ってすごいなってその時すごい思ったんですけど、保育士さんたちもね、自分より私よりも全然若い方たちが、本人たちだって当然怖い思いをしているはずなんですけれども、
そこはやっぱり子どもたちを守るというところで、普段もしっかりやっていることに沿って対処してくれたみたいです。
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子どもたちが通っていた保育園の保育士さんたちはとても信頼ができて、
有事の時以外もいろいろ信頼ができる保育士さんだったので、とても助けられたなと思っています。
私の方は震災のことでよく思うのが、私東北の方に学生時代数年間住んでいたことがあって、
なので本当に一言じゃとは思えないというか、自分が生活していた空間が全然違う姿になっちゃったというところを知って、かなりショックを受けたというのがあります。
それもあって、起こったすぐには特に何も行動もできなかったんですけれども、
ボランティアとしてですね、会社の方でもいろいろ組織だってボランティアを集めて、3日間ぐらい現地に行って作業するという活動を定期的に行っているというのが教えまして、
自分もそこに数ヶ月経った時、何ヶ月経ったかはっきり覚えていないんですが、何回したい何回したいと思いながらできなかったところで、そういう機会があったので行ったりしました。
その時ですね、ここからボランティアセンターに行って、その時の話をいろいろ聞きましたという話をしようと思っていて、
当時の状況のことをちょっとしゃべろうと思うので、
ちょっとね、そういう被害に遭った方とか、そういうのが嫌だなっていう、聞くのつらいなっていう方は止めてもらうか、
チャプターの方にちょっと飛ばすところをタップできるようにしておこうと思うので、後半の何だろう、ちょっと学んだことのとこまで飛ばしてもらってもいいかなと思います。
それでボランティアとしてバスで社員の何人かで行ったんですけれども、その中でボランティアセンターに着いて、そこでいろいろ指示を受けるんですね。
最初ボランティアセンターですぐに作業にかかるとかじゃなくて、一回現場の状況というのを軽く回ってですね、ここでこういうことがありましたとか、その時こんなやりとりがありましたという話がありました。
その中で一つは、実際に津波が起こって逃げてくるという人たちがいて、
実際に言うのもちょっと今迷ったんですけど、そのときの話ししようかなと思うんですけど、
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ボランティアセンターの課長さんというのかな、所長さんの話の中で逃げてきた方の男性が必死で逃げたんですと、
そういう悩みを課長さんに話すような場面のところで、自分も助けようと思ったけれども目の前で流されちゃってというのがあったというふうに言っていたんだと。
最初はそう言っていたんですけど、しばらく経ってからだんだん物事が進んできた頃に、もう一回その人が来て、すごい神妙な顔であの時はああいうふうに言ったんだけど、
本当は助けようと思って流されちゃったんじゃなくて、怖くて手が出せなかったんだというふうに言っていたと言っていました。
自分が手を出して引き込まれて一緒に行っちゃうんじゃないかという恐怖というのがあったという話をしてくださいました。
リアルなことってそういうことなんだなってすごく思いました。
その綺麗事じゃない恐怖で助けられない、それをそこに何とも言えない罪悪感を持って何ヶ月か過ごした人がいて、いろんな辛い気持ちだったりだったんだろうなと思いますね。
それを改めてトローして話したという気持ちも含めて、だんだん復興していく仕方を見ながら話せなきゃと思ったんだと思うんですよね。
私がその話を聞いたときに、まだそういうふうに話せない人とかもいるだろうし、自分が知らないところでいろんな気持ちになった人がいるんだなと。
自分の想像ができない体験と気持ちになった人が世の中にいるんだよなというのをすごく感じました。
私は想像ができなかったんですね。手が出せない恐怖というのが、そういうことになるんだなというのを想像できなかった話なので、自分には助けたいと思う気持ちでボランティアさんに行ったりしていますけれども、それはいいことかもしれませんが、わからないことがいっぱいあるんだよなと思いました。
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わからないことはわからないことなので、それは仕方のないことではあるんですけれども、やっぱり自分の知らないところでそういうことがあるというのは、どっかの頭には残しておきたいなという気持ちがそういうときに湧きましたね。
気づかなくて知らなくて、何の気持ちのない言葉で嫌な気分にさせるとか傷つけたりとかということは当然あると思っていて、それはしょうがないという言い方は変だけど防ぎようはないと思っていて、
そういうことがあるかもしれないということは頭に入れておかなきゃなんだろうなと。一緒にこれから生活していく、どっかで出会った人が、もしかしたらそういう体験をしている人かもしれないということを気にしなければいけないなと思ったときがありました。
とはいっても、私は現地に行ってそういう活動の中でそういう話を聞いて、神妙に感じたからそういうふうに言っていますけれども、
例えばこの前の石川の地震とかのこともすごく気になっているんですけれども、そっちについて具体的な行動は今回できなかった。募金したとかそんなぐらいの仕事しかできなかったみたいなところで、
最近の中でいろいろな話の中で、友人とかたまたま知られた方とか、金沢だったとかそういう話がポッと最近出たりしたときに、ちょっと忘れているんですよね、私ね。
じゃあ今年大変だったねという話をポッと出せなくて、気づかなくて、そのまま普通にしゃべっちゃったという時があって、別にそれが悪いとは言えないとは言えないんですけれども、後になってからあって思ったときに、なんかやっぱり自分も一言なんだなというふうに思っちゃって、難しいものだなと思いましたね。
あんな気のことを思ったのに。
だからそれもそういうふうになっている自分も反省というか、そういうものなのかというのを考えて、やっぱりいろんな人がいろんなことを経験しているというところはいつでも忘れないようにしたいなと思いました。
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おもんばかりラジオって書いていますけれども、おもんばかりというところはすごく難しい話なんですけれども、そういうふうに考えられるように、ふとこうやって思い出したときでも考えられるようにというのをしたいなと思っていますね。できるようになりたいなと思っていますね。
あともう一つ、ボランティアのことをやったときに思ったのは、一人一人の弱い力、何にも持っていないような弱い力もちゃんと力になるんだということを実感したというところがあります。
ボランティアセンターに行って、こういう作業をしますという3日間ですね。
ちょっと一日雨が降っちゃったので、正面2日だったんですけれども、何をやったかというと、家が流されてしまって、基礎の部分しか残っていない家がたくさん、家の敷地があってですね。
そこもいろんなものが流されてきて、いろんな石とかね、破片とか木とか、そういうのが砂の中に埋まっているんですよね。
そういうのを、土を掘り起こして、古いで古って、砂だけにして、固いものとか危ないものとか、ゴミとかですね、そういうものを仕分けて捨てるということをして、敷地の中をきれいな土の状態に戻しましょう、そんな活動でした。
それを、そうですね、20人か30人ぐらい、その時のグループではいて、一日ですね、作業をして、できたことがせいぜい家の3分の1ぐらいかな、そんなにね、豪邸という表じゃなくて、というかもう本当に家一角ぐらいのものなんですけれども、
意外と進まなくて、なんかすごい一日やったけど、このくらいしかできないものなんだなと感じたことが感じましたね。
これだけしかできないのかという無力感を感じたのもあるんですけれども、ただ、そこだけやったら本当に無力感しかなかったということはないけど、なんかこれしかできないのかという感じになっちゃう人のところがあるんですけど、
一つ、いやこれは意味があることだと思っていたのは、先ほどの官長さんがね、始まる前にいろいろ現場の状況を見せてまわってくれたときに、海辺の砂浜のところを海岸線を見せてくれたんですね。
本当に当初、地震が起こった、震災が起こった当初すぐのころは、その浜辺上に本当にいろんなものが、ちょっとね、瓦礫という言い方をするのはあまり好きじゃないんですけれども、
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本当にその街の生活のものがそのような姿になったというものなんで、表現を選びたいところですけれども、そういうものですよね、壊れたもののものがたくさん海辺にあって、これは本当に踏み場もないというか危険な状態だったらしいんですよね。
それこそ重機が、ショベルトカーとかブルーゾーターとかね、そういうのが入れなくて、本当に進まないんだけど、それをボランティアの人たちが毎日誰かしらが来て、一つ一つ片付けていったと。
私たちが行った数ヶ月後の時点での浜辺には、とりあえず見た目、ぱっと見た目では普通の砂浜に見えるレベルになっているんですよね。
実際、細かいゴミというか、そういう危険物というのも途中のぞかれてきている状態だと。あと数ヶ月で海を開くぐらいのところまで行けるんだという話を聞いた気がします。
実際にその数ヶ月後に海辺が海岸として再オープンできたんですね。
全くもとどいてはいけないでしょうけども、人が入れるようにはなったと。
それを聞いたときに、映像とかですごい惨状になっているというのはなんとなく知ってはいて、その状況から確かにこの浜辺になったのを機械とかを使わず、人の手だけでやったというのを聞いて、それってすごいなと思いました。
実際にその後に作業をしたら、1日2日丸々やったって、家の3分の1も終わらないと、こんだけの人数やって。
そういうペースでということを考えたら、あの浜辺を復活させたというのって、相当な人たちがリレーをしてきたということなんですよね。
一人一人本当に古いで古いぐらいのことしかできないような状況の中で、でもそれを全員が長期間できるわけでもなくて、それでもそういう人たちがちょっとずつちょっとずつ協力し合うと物事は進むんだということをすごく感じました。
人間の小さな無力な小さな力がこんだけでかいものになるんだなというのをすごく感じて。
なので、だから私は全てのことによって、無力な人間なんていないんじゃないかというふうに思うんですよね。
何でもいい、何でもいい、何でもいいんですよ。何でもできないとかっていうんじゃなくて、何でもいいんですよね。
それが一つの積み重ねになる。自分の役割はあるっていうのをすごく感じていて、自分の役割というか人それぞれだよね。
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だから、なんか日本人って自信が持てないところとかよくある気がして、自分が何したいかわからないとか何もできるものがないとかそういうことが多い気がするんですけど、そんなことないんじゃないかなというふうに思いますね。
さらに一人じゃどうにもならんけども、人が集まってやることで物事がなせるというのが人間なんだなという気がしたので、
そういう勇気といいますか、コツコツやっていく日本人の力っていうのはあるなっていうのを感じられる体験でもありました。
そういうのがあって、やっぱり人のことを考えたりとか、人と協力していくとか、自分は何ができるとか、何ができないのは誰かに頼むとか、そういう関わり合い方っていうのをもっと広げていきたいなというのが今の気持ちですね。
どうしても成績良くというか、何でもできるようになる、これが苦手だからこれを克服してできるようになるとか、それも大事なんですけど、できないところは誰かがやってくれる、だから進むんだという考え方もいいんじゃないかなというふうに最近は思っていて、むしろそのほうが早いんじゃないかという気もしている。
苦手なことを克服するのもとても大事なんですけど、どうしてもできないことをどんだけやっても時間ばかりかかってもできないじゃないですか。そこは仲間を見つけて一緒にやることで補い合って進めるっていうのもいいやり方なんじゃないかなという気はしますね。
本当にちっちゃい無力な力があるだけでもとても助かるんですよね。だからそういう関係性で人が協力してチームを作ってやっていく。
ものすごい世の中の変化が早い中でスピードに追いつくように、自分も成長するけど自分の成長で補うんじゃなくて、人と助け合って補うっていうやり方ってとても大事だし、大事な割にあんまりちゃんと教わってないというか、ちゃんとそういうやり方っていうのを学んでないような気がしていて。
そういう体験をたくさんしていきたいなと思いますし、子どもたちとかにもそんな体験をしてもらえるといいんじゃないかなというふうに思ったりしています。
震災とか、さらに石川についてはまだまだ避難されている方もいらっしゃるでしょうし、全然大変な状況だと思うんですけども。
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私にとって3月11日っていうのはそういうことを思い出させてもらって、やっぱりまだまだこれからみんなで頑張っていくっていう世の中にしていきたいなというふうに思い直させてくれるそんな日になっています。
年に一度こんなふうに振り返っていくのもいいかなと思って少し撮りました。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な息づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。