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2023-03-11 14:46

東日本大震災から13年。命は大事だという話。


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スタスタスタエフフフフー
この放送は、アートをギフトにすることを文化にしたい
アートギフトショップチューリップの提供でお送りします。
おはようございます。けんくらです。
この放送は、夫婦でNFT活動しているけんくらが
普段考えていること、感じたこと、これからやってみたいことなどを発信する放送です。
おはようございます。
今日は、3月11日土曜日、ただいま6時です。
もうこの時間、だいぶ明るくて、完全に夜が明けてますね。
最近、天気もずっといいし、気温もあったかいし、
さらに一つ、花粉症がね、僕はまだそうでもないんですけど、
ハンナさんは相当しんどそうで、しんどい人たちはいっぱいいるだろうなと思って、
この時期だけでもね、どっかに行きたいと思いますね。
花粉がないところに。
というか、日本中のとりあえずスギ全部なくした方がいいんじゃないのかな、
とかする思ったりとかして、
そのスギがないだけで、この1ヶ月間の日本人の生産性って、
めちゃめちゃ上がるんじゃないかと思って、どうなんでしょう。
極端な発想ですけども、
でもそれぐらい花粉症ってつらいよな、というふうに思います。
ということで、今日の本題なんですけども、
今日は3月11日ということで、東日本大震災が起きた日になります。
僕自身はそれを被災してたわけなんですけども、被災地にいました。
なのでリアルな体験としてお話はできるかなと思うんですが、
少し震災の時の話だったりとかするので、
ここから先、まだそういう話を聞けないという方は、
このまま放送をストップしてもらった方がいいかなと思います。
といっても僕の体験談なので、
気にせず僕の体験談として聞いてもらえたら、
もらえるのであればこのまま聞いてもらえればなと思います。
タイトルとしては、
命はやっぱり大事だよってことでお話ししてみようかなと思います。
僕は13年前か、もう13年経つんですね。
あっという間だね。
僕はあっという間っていう印象です。
人によってはまだ13年かって思う人もいるかもしれないですけど、
僕はあっという間の13年間ですね。
そこから人生が一気にまた回り始めたっていう印象があります。
結婚したり子供ができたり。
それが一番大きいですからね。
話を戻しますと、その当時、13年前の今日ですね。
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確かね、金曜日、金曜日だったんですよ。
僕その当時まだバンドをやってて、音楽をやってて。
飲み屋さんでバイトをしてたんですけど、確か金曜日だったんだよね。
おばさんの法事があったんだな。
そこはどうでもいいか。
三重県の仙台市にある仙台新校のアウトレットがあるんですけど、
三つ井アウトレットモールってとこかな。
その隣にカインズホームっていうホームセンターがあるんですけど、
僕はそこに行ったんですよ。
今の妻のハンナさんとカインズホームに行った後に、
アウトレットで遊びましょうっていう約束をしてたんですよ。
その当時僕ら付き合って、間もない頃ですかね。
遊びましょうみたいな話をしてて。
だからその当時ハンナさんは仙台新校のアウトレットに行ったんですよ。
僕はカインズホームに行って、そこで地震があって被災してしましたね。
その後すぐにハンナさんに連絡して、
どこにいるのどこにいるのってめっちゃメールとか電話するけど全然つながらなくて、
これはやばいなということで。
でも一言だけ、無事だよってメールが来たのかな確か。
友達と仙台、友達の家の方に帰るねっていうメールが来たんですよね。
とりあえず大丈夫でよかったと思って。
じゃあ僕はとりあえず次は自分の身だと思って。
自分の身を守ろうと思って。
車を走らせようと思ったんですけど、
車が動かないんですよ。
動かないっていうのは渋滞して。
大きい幹線道路があるんですけど、
信号も全部停電して全部止まってるので、
車がその幹線道路を渡るために並ぶんですけど、
全然車が動かなかったので、
車乗り捨てましたね。
ポンって乗り捨てて走って家に帰りました。
その当時実家に住んでたんですが、
走れば15分ぐらい、歩いたら20分、30分ぐらいかな。
走ったら10分か15分ぐらいで帰れるところだったので、
とりあえず走ろうと思って走って帰ったんですよ。
その途中にその当時の携帯電話、
ガラケーですね。
しかもワンセグってテレビに出るやつ。
そのテレビを見ながら走ってたら、
仙台空港が津波でだーって流される映像が見えたんですよ。
これやばいと思って。
そっからさらにダッシュで帰って、
絶対ここもやられると思って。
実家に帰って、
実家でまだ父親と母親が家にいたので、
06:01
津波来るからとりあえず逃げようって言って、
とりあえずそのまま木の幹のままでバーっと逃げて、
家に帰りましたね。
家じゃない、近くの中学校に行って、
とりあえず2階3階まで登って、
しばらくそこにいたのを覚えてますね。
暗くなってきてからかな。
確かその時まで雪降ってきたんだよな。
めちゃくちゃ寒かった記憶がありますね。
暗くなってきてから、
一旦家に帰って、
車とか防寒着とか着込んで、
もう一回車で中学校に行って、
そこで一晩化したんですよね。
ラジオを聞きながら、
こういう被災してますとか、
津波でこの町が被災して、
まだ情報がつかめてませんとか、
ここら辺の情報がわかりませんとか、
ただ数百から数千の遺体が流れ着いてますみたいな、
ラジオから流れてきて、
しかもそこの地域の名前っていうのは、
僕らが普段生活してる、
遊びに行ってたりする場所だったんですよ。
そういう話を、ニュースが聞こえてきて、
心痛いというか、
涙が出てくるんですよね、自然と。
その時にすごく僕の中で印象的だったのは、
そのラジオを聞いてるんですけど、
すごい悲惨なラジオを聞いてるんですけど、
空を見るとめちゃくちゃ星が綺麗だったんですよ。
それがすごく印象的で、
ものすごく悲惨なことが起きてるのに、
空がすごく綺麗っていう、
相反するような、
何て言えばいいんだろうね。
それがすごい不思議で、
悲しい、苦しいという感情と、
綺麗だという感情がぐちゃぐちゃってなって、
もやもやではないんだけど、
そういう複雑な感情だったのを覚えてますね。
それは忘れられないだろうな、
その時の感情っていうのは。
なんとも言葉にしづらい、
できないようなそういう感情でしたね。
次の日が明けて、
いろんな人から連絡が来てて、
電波ももちろんなかったですし、
電波があるところまで行くと、
いろんな人たちから大丈夫か、生きてるか、
メールが来てたりとかして、
それに対して一つ一つ返信をしていくんですけど、
その時僕バンドをやってて、
全国いろんなところに知り合いがいたんですよ。
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そういう知り合いの人たちから、
大丈夫か、生きてるかって連絡が来て、
今、全国からそこに人が集まって、
何ができるかって、
いろんな人たちが動いてるから、
もうちょっとだから頑張るよ、
みたいなメールとか、
そういうのが来てたのを覚えてますね。
あれは本当にすごく心強かったですね。
そしてその電波が入るところって、
あの歩道橋の上だったんですけど、ちなみに。
そしたらね、遠くから消防車がピューって、
何台も連なって走ってきたんですよ。
あれもう多分次の日だよな。
それがね、その消防車がね、
宮城県のじゃないんですよね、
もうすでに確か東京消防庁とか、
あと横浜とか関東の方からも消防車が来てて、
もうこんなに助けに来てくれてるのかと思って、
すごく感動したのも覚えてますね。
で、まあざーっとこんな感じで僕が、
その3月11日当時こんな感じだったよ、
っていうのを話したんですけど、
その中でやっぱり命を守ったってことが、
僕の中でやっぱり大正解だなと思いました。
車の中で待ってて、車で移動して家に帰る、
っていう選択肢をしてたら間違いなく流されてたんですよ。
ちなみにこの車ですね、しっかり流されてました。
で、僕が走って帰ってきた道路っていうのは、
YouTubeに津波で流されてる動画がありましたね。
だから本当に車でそこにいて、
車が動くまで待ってみたいなことをしたら、
もしかしたら僕も流されてたかもしれないっていう。
実際に僕が津波が押し寄せてくる瞬間は見てないんですけど、
でもそれを見る必要はないですし、
見たところでそこに出会わないことが一番大切だと思うので、
逃げて帰ってよかったなと思います。
この話をすればね、するほど、
みんなすぐに逃げて帰ってこれたっていうのが、
一番すごいことだよっていう話をしますし、
だから、こういう被災体験っていろんな方々してると思うんですけど、
もし聞く機会があったらぜひ聞いてみるといいと思います。
僕であればいくらでもお話します。
ただね、この話まだ受け入れられないって方もいるから、
なかなか話できないっていう人ももちろんいますけど、
話をしてもらえる方とか機会があればぜひ聞いたほうがいいと思います。
僕は東日本大震災ですけど、そうじゃなくても、
熊本の地震だったり、新潟の地震だったり、
いろんなところで地震が起きてて、
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いろんなところで被災をしている人たちがいるので、
そういう人たちの話を聞く機会があればぜひちゃんと聞いて、
自分の命ってどういうものなんだろうっていうのを振り返る機会にもなりますので、
僕はぜひ聞けるのであれば聞くのがいいかなと思います。
命ってめっちゃ大事だよなって。
3月11日以降、命の考え方っていうのをすごく考えましたね。
最近コロナがあって、コロナで亡くなった方だったり、
自殺する人が増えたとか、そういうニュースを目にするとちょっと悲しくなりますね。
そういう人たちを少しでも救えないのかなとか、
僕に何かできるのかとか、実際にできるかって言われたら、
これだっていうことはできないかもしれないけど、
話を聞くとか、そういうことぐらいはできるんじゃないかなと思うんですよね。
一つ話を聞いてあげるだけで救われる命があるのであれば何度でも話を聞きますし、
自分の身近で、自分で命を断つとかそういうことが起きないように、
なんとかしたいなとは思いますね。
命って本当に大事だなと思いますし、
僕もこのもらった命を大切に使って楽しく生きていきたいなと思います。
今日はちょっと暗い話にもなりましたけど、
でもこの3月11日っていうのは僕の中でも一つの区切りじゃないですけど、
命に対してだったり、生き方に対して、人生に対してっていうのを改めて振り返る1日にしたいなと毎年思うので、
今日はこういう放送になりました。最後まで聞いていただいてありがとうございます。
多少自分語りというか自分のエピソードばっかり話してましたけども、
こういう震災その当時どうだったのみたいな話を聞きたい方がいらっしゃったら、
ぜひ僕は全然、むしろ聞いてくださいと思っている側なので、
聞いていただければなと思います。
ということで今日はここら辺でおしまいにします。少し長くなりましたね。
3月11日、天気もいいので子どもたちと外に遊びに行こうかなということで楽しい1日を過ごしていきましょう。
それでは皆さん今日もありのままの1日を。
14:46

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