1. たからんの慮らないラジオ✨
  2. 積極的に「できない」と言う
2023-03-25 09:33

積極的に「できない」と言う


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たからん💎の慮らないラジオ✨をやっていきたいと思います。
今日は、積極的にできないと言うことで、結構大事だなと思ったという話をしようと思っています。
私は今、いろいろなことができなくなっています。
年度末から年度初めにかけて、結構生活の環境が変わりそうです。
何が変わるかと言うと、一つは仕事の新しいことや、人事異動で上司が変わったり、そこら辺でバタバタしそうだなと。
家庭の方でも、子どもたちの部活や習い事が激しくなるというか、忙しくなるというか。
送り迎えがあったり、応援に行ったり、いろいろあったりするんですね。
もう一つは、地域の子ども会というか、自治会みたいなもので、
登校の旗振り当番を決めたり、夏休みのラジオ体操の係をやったり、夏祭りの企画をしたり。
地域の子どもたち、特に小学校の子ども育成会というような地域活動の係に順番が回ってきたというか。
そんなのもあったりして、その係の方も基本的に妻がやることになるんですけれども、
妻がやるということは妻の負担が日ごろよりも増えるという中で、
自分が全然何もしていないなというところがありまして。
子どもの予定とかも自分で全然まだ私なんかが把握ができていなかったりするので、
家庭の方が全然見れなくなっちゃっているなというふうなことが最近すごく感じています。
そんなことがあって、仕事もして家庭のことも見ながら、特にオンラインの活動をいろいろやっているんですけれども、
こっちのコミュニティ、こっちのコミュニティに入っているんですよみたいなことをドヤ顔でよく言っていますけれども、
それらを各コミュニティ内のメンバーの方にちょっとしばらくお休みしますと。
あれもやります、メールミスってやっていたことがあるんですけれども、
ちょっと控えめにしたりとか制限しているとか、休みますというふうに言ってまわっているんですね、今。
実際音声配信もあまりできていなかったりとか、Twitterもほとんどしなかったりとかということでしているんですけど、
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やっぱりこう、仲間うちで話したりとか、それなりに社会活動というか、
世の中を良くしたいなと思いながら活動するとかということをやりたいと思ってやっているんですけれども、
なんだかんだでですね、やっぱり自分とかプライベート、つまり家庭の時間を削っている、偽善にしているというところがあるんですよね。
なんかこう、よく言っていますけど父親の子育てみたいな話をしているけど、
結局何もできていなくて、できていない状態で余裕もなかったりして、
いろんな予定が頭の中によぎっていってなると、ちょっとあまり良くないんじゃないかなというのが最近ちょっと思っているところですね。
なので、申し訳ないけど今担当しているこれ、ちょっとできないんですというふうに今、
各コミュニティとかいろんな人に言って、ちょっと相談しています。
で、どこ行ってもですね、もう無理してやることなんかないよというふうに言ってもらえていて、
落ち着いたらまた帰ってきてねと、帰って一緒にやろうねという話をしてくれるんですね。
で、私ももちろん過去にもちょっと忙しかったり塞ぎ込んだりして、参加できなくなって、
でもまたやりますって言って戻って行ったりとか、そういうことを繰り返しているんですけども、
結構ですね、このできない時にできないというのって悪いことじゃないなって思うんですよね。
むしろ、自分自身ができない時にできないというのは、
自分自身ができない時にできないというのって悪いことじゃないなって思うんですよね。
むしろ良いことなんじゃないかというふうによく思います、最近は。
で、何だろう、自分でこういろいろやりたいと思って参加しているというところに、
あんまり積極的に参加できていないとか、行けなくなっちゃったとかということは、
いろんな生活の中であると思うんですよね。
だけど、嫌になったわけじゃないとかね。
あと、もうちょっと余裕があったら参加したいんだということは気持ちが多分あると思っていて、
そんなの流動的に生活の中でどんどん起こってくることなんで、できる時にはできます。
ちょっとできなくなったら、こんな感じでできなくなっちゃった、
これ言えばいいんだろうなと。
やっぱり無理してでもやりきらなきゃというようなこととか、
途中だからと思って無理していることを隠しておくとかっていうのって、
あまり健全じゃないなって思うんですよね。
結局それって辛いけどやり続けるという感じになっちゃうんじゃないですか。
スッキリやろうとしているんだけど、でもやっぱり続けられなくてきつくて、
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せっかくのものがきついと思いながらやるみたいになっちゃうのはすごくもったいなくて。
結構自分がそれで出られなくなるとかいろいろあったとしても、
結構他の人のフォローとか頼ることとかあって、
あったりできたりすると思うんですよね。
それでまた他の人が抜けるという時に自分の余裕があったら、
じゃあそれをこっちで受けようよじゃないけど、やるよって感じになると。
そんな風に柔軟に受け入れ合いながら回していけるっていうのって、
すごく自分が自分の中でやり続けられるようになっちゃうんですよね。
受け入れ合いながら回していけるっていうのって、
すごく気持ちも楽って言い方も変ですけど、気持ちも良くできるし、
その後も別にそこで関係が終わっちゃうわけじゃないし、
他の人がダメな時は助けられるしっていうような感じができるんで。
実際こういうことがあって、こういう形だとできるけど、
こういうことができなくなっちゃったみたいな話ができればね、
じゃあそこだったらどこだけこっちでフォローするよっていうことも言えると思うので、
どんな状況なんですっていうのを話していくっていうのは結構大事だなと思いました。
さっきも言ったけど、どこに言っても、
抜けられると困っちゃうんだよねっていうようなことは言われないですよね。
よく仕事の場面とかありそうだけど、
それこそ男性の言い出したら打ち打ちに言われるとかっていうのがありますけども、
そういうことじゃないんだよなっていう気がして。
それでも大丈夫だっていうぐらいのやり方で回ってるっていうのは結構いい形じゃないのかなって思っています。
なので本当にいろんな方々といろんなことをやらせてもらっていて、
ちょっとできなくなっちゃうこともあってみたいなことはあると思うんですけども、
落ち着いて自分と向き合って家族と向き合って、また回っていって、
そしたらまたまたさらに新しい形で一緒にできることがあるだろうなと思っているので、
今までもそういうパターンが何回もあったので、できるようになるだろうなと思っているので、
ここはちょっと一回休ませてくださいっていうのが、
言える仲間たちと一緒にいられるっていうのはすごく嬉しいことなのかなと思っています。
音声配信は少しできれば続けたいと思っています。
他のはちょっとできなくなるような気がするんですけど。
そんな感じでちょっとずつやりながら、無理せずに細く続けていくということをやっていきたいと思っています。
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今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
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