義父の訃報と闘病生活
はい、どうもこんにちは、たからんです。
今日ですね、義の父、妻のお父さんがですね、朝早くに他界しまして息を引き取られたんですね。
それで今日は、いろいろな処理とか葬式の準備とかということで、一日過ごしていたんですけれども。
急なことだったかというと、実はそうでもなくてですね。
義の父は、ずっと脳梗塞でずっと寝たきりの状態だったんですね。
それで、数ヶ月前にも、数ヶ月前というか、この何年かの間にも何度か再発したりとかで危ない時が何回かあったりもしたんですけれども。
それでも、義の母が自宅で看護をしつつ、あとは保管サービスの世話をしてくれたりとか、看護師さんとかお医者さんとか、確立期のお医者さんとかが定期的に来てくれたりとかやって。
うちも、車で20分くらいのところにいますので、妻も義の親として世話しに行ったりとかということをやってました。
そんな中での闘病生活といいますか、という中で、ついにこういうこの日が来たかというような感じだったんですね。
だったので、太陽城という言い方は変なんですけれども、77歳という、今だったらまだまだ若い年齢だったんですけれども。
それもそうですね、ずっと長い年月、もう何年かな、25年ぐらいか。
私が大学生の時に妻と付き合い始めているんですけれども、その最中だったですね、20歳ぐらいの時にお父さんが訪れたという連絡が急に来たということで急いで、
妻も帰っていましたけれども、その時に最初に起こって、それが25年、26年でしたね。
なので、すごくよく頑張ったなという感じで、頑張り切ったので、後は母ですね、義の母も頑張ってやってきてのことだったので、
母も本人も言っていましたが、悔いはないというか、そういう意義の引き取り方だったということで。
義父との思い出と病状
なので、もちろん悲しい、寂しい、あるんですけれども、お父さんが頑張ってくれたなという感じがしますね。
父とのことはいろいろあるんですけどね、妻がまだ付き合っている最中での病気、病気といいますか、濃厚接触だったので、
私がその後、地元群馬というところに、私も妻もたまたま同じ故郷に帰ってきて、社会人になったんですけれども、その後、結婚しようという話になってからの先もですね、
最初は濃厚接触で倒れた時も何時か命を取り留めたという感じだったんですけれども、右半身不遂になったんですね。脳が損傷したので、
言語、体が半身不遂になったのと、それでもね、当初はまだ立ったり、車椅子だったりということで、杖をついて何とか歩いたりということはできていたんですね。
言葉が、言語の部分がかなりダメージを受けたっぽくて、一応言葉は出せるけど、このようなはっきりした喋り方はできなかったりとか、あとはやっぱり言葉が出てこないという感じで、単純な返事とかというのしかできないような感じではあった。
何とか意思疎通ができるという感じだったんですけれども、でもどこまで、分かっているっぽいけれども、どこまで以前よりも、そんなに私もすごくたくさんあったわけではないんですけれども、
そしてその以前を知らないのでね、以前を知らないんですけれども、知らないという、私の父、義理の父の思い出というのは、病気になってからなんですよね。
だけどやっぱり結婚する前も大変な体とか大変な言葉とか頭とかという中でもやっぱり真剣に考えてくれていたし、結婚式もですね、ウェディングのマージンロードをですね、
本当にギリギリの歩みで、ついつきながらの歩みで妻を連れてきてくれまして、というところだったりとか。
まあでもやっぱり車椅子で言葉がはっきりしゃべれなくてというところでイライラしている姿を見たりとか、というので、
なんかその頃は、やっぱり今まで普通にやっていたことができなくなっている体になっていることに対する気持ちってどうなったのかなというのがすごく思いましたね。
思うようにいかなくてイライラしている風っていうのが感じられる場面があったんですよ。
結婚したときはまだそんなに私とか思いっきり見るという感じじゃない人間がいる中でそういう態度が見えちゃっているとかするので、
それ大変だろうな、きついだろうなというのが見られて、でもそういう風になることなんだなというのを感じさせてくれましたね。
体が不自由になるってすごく大変なことだろうなというふうに思ったりしたんですけども、
でもやっぱりそれでももの静かな方ではあったんですけども、もともとそうだしんですけれども腐るような感じのことはなかったと思いますね、多分。
なんですけども、何度かそういう発作っていうのかな、また倒れちゃうみたいなことが起こったりもして、
だんだんだんだん食べなくなってしまって、だんだんだんだん物が食べられなくなってしまって、
医療という区田を直接院に通して食べ物を送るとか、そういういろんな治療の仕方をして、お母さんが世話をしてっていうふうにやってたんですね。
最期の瞬間と医療・介護従事者への感謝
最後の方は私がそんなに介護に関わってはいなかったという場合はなかったので、どんなような反応があったのかってよく知らなかったんですけれども、
あまり言葉もなかったと思いますし、反応もそんなに強くなかったんじゃないかなと思いますが、
それでもですね、母から電話が来て、急いで駆けつけて、お医者さんもかかりつけのお医者さんが常に在宅の介護の中でいましたので、
家の方に来てくれて、家の中で見とられたんですね。
私とか子どもたち、孫たちも一緒に行きまして、行った時には心臓は止まっている状態で何とか蘇生と言いますかね、
先生が肺に空気を送って蘇生をしている、蘇生術をしているというところですけど、
それでももう何もならないようなことで、最後それを止めた時に臨終というところまで。
やっぱりちょっとそれでですね、いろんなことがあったという父のことを思い出もあるんですけれども、
あともう一つすごく感じたのは、
今日ですね、自宅で亡くなった後に、今まで訪問看護で来てくださったヘルパーさんの方とか、
看護師の方とかお医者さんの方とかっていうのが、その後もいろいろ処置をしてくださっているんですけれども、
これまでも介護の中でそういう人たちが常にいてくれたんですけれども、
やっぱりこういう人たちがこういうふうにやってくれるんだなっていうのを間近で感じたって感じですかね。
本当に寝たきりで動かない、反応もないっていう中で生活を見てくれた人たちでもあり、
今日亡くなったことに対してでもですね、その後もいろいろときれいにしてくれたりとか整えてくれたりとかっていうふうにしてくれて、
人が亡くなるっていうのっていろんな形あるんだと思うんですけれども、
こうやって病気で最後の方までできるところまで一生懸命生きた人に対して尊厳を持ってというんですかね、
やっぱり亡くなった方に対しての丁寧な対応をしてくれている人たちっていうのがいてですね、
人が亡くなった時にもこういう人たちがこうやってくれるんだなっていうのが、
亡くなる前にもこういうことでいろいろとずっとやってきてくれたんだなっていうのがありまして、
とてもとてもとても感謝と尊敬というのかなっていうのを感じましたね。
介護職・エッセンシャルワーカーへの敬意
おそらくなんですけれども、こういう介護職というか、メッセンシャルワーカーといいますか、
とても給料が高いとか裕福だとかっていうことじゃないと思うんですよね。
なんだけどすごく身近な感じの人たち、ちょっと年配、中年の年配の女性の方もいらっしゃったし、
自分より若そうな男の人もいたりしたんですよね。
でもこう言ってしまうとね、収入とかなんかは私より低いだろうみたいな感じになっちゃうわけですよ。
だけどテキパキとこれまでもやってきてくれたし、こういう場においても滞りなくですね、
いろいろやってくれるっていうことに対して、なんていうんだろう、
そうそう、こんなの簡単にできない。人が亡くなった時とかっていうので、
今回は家族側としても落ち着いている気分ではありましたけれども、
落ち着いているというのが本当に乱しているというのではなくてね、急なというのではなかったので、
いずれこういうことになるだろうという心構えの上でのことだったので、
落ち着いてはいたけども、でも何したらいいかわからないというのは、もう何したらいいかわからないんですよね。
その中でやっぱり家族であってもどうにもできないところを任せられる人がいるというか、
任せて受け負ってくれている人がいるということがとてもありがたいなって思いました。
今日感じたのはそれこそですね、やっぱり人の世話というか、
人のことを世話するというか、人の生きるためのことを生きるということが
人の人となるところのために働く人ってすごく大事だなというか価値があるというか、
そういう人たちに支えられているんだよねっていう、こういう場面まで来ないと知れないことだったのかもしれないんですけど、
そういう人たちがいるんだよね、人ってだって育っていって生きていって体調も崩れていずれ亡くなるという中で、
こういうことをやっている人たち、そこに私は人間社会のすごくいいところっていうのかな、
そういうのを感じるんですよね。この人たちがすごいっていうのもあるんですよね。
だから年収とかビジネスとかっていうところに私は興味ないんですけど、
興味ないっていうか、大事なことですよそれは。経済を作っていくのにとても大事なことだし、
お金は大事なことなんだけども、とはいえやっぱりそこが達成されたとか売り上げができたりとかっていうことに
価値をあんまり見出せない人たちで、やっぱりこういう人を、
保育、教育とかもそうですけど、人を育てるとかっていうところとか、
人の弱くなったところを助けるとか、介護するとかね、
そういうところに真剣に向き合ったりとか密着してやったりっていう人たちがいるから今の俺たちあるんじゃん。
社会が滞りなく生きていけるんじゃんっていうところが本体にあってからの経済活動っていうのかな。
それも何もなければもうね、何もできないと思うんで。
だから何て言うんですかね。だから何って言うんじゃないですよね。
そういう人たちの給料を上げるとか、そういうのとはまたちょっと違うんですけど、
やっぱりそういうところにまず感謝だよねっていう、
そういうのが大事かなっていうふうにすごく思いますね。っていうのをすごく感じました。
子供たちと家族の協力
いろいろと父のことを考えると、
私も病気前の父っていうのをほぼ、ほぼというか基本全く知らないですけれども、
子供たち、自分の子供たちですね。父にとって孫は私の子供たちしかいないんですけど、
子供たちにとってはもうおじいちゃんは、上の子はギリギリ車椅子だったりしたかなっていうぐらいだけど、
まあでも物心ついた頃にはやっぱりもうベッドにいる人って感じなんですよね。
なんだけど、それでもほとんど声も聞いたことないんですけれども、
ずっと寝ながらね、いたおじいちゃんっていう感じなんですけども。
そういうところに、私よりも何度か妻の実家の方にはいってね、
祖母とか妻とか、自分のおばあちゃんとかお母さんとか、
勤めてきてる人たちがお世話してるっていうのを見てきてるので、
子供たちの方が詳しいんじゃないかなって思いますね。
頻度が高かったので、実家に行ってそういうのを見てみて、
そういうふうな人たちがいるっていうことを彼らは知ってるんですね。
そういう視点っていうのは知ってるというのは一つの良いことかなと思いますね。
健康な人たちだけじゃないっていうか、ただ元気で普通にやってることが普通じゃないっていうのかな。
そういうのを何となく感じてるんじゃないかなという気はします。
今日なんかも全然話は違うけど、
葬式の準備とかそういう話もいっぱいあって、
親は、妻も私も母もですけど、全然手が離せなくて。
子供たちは最初朝一では見取りに行ったんですけども、
その後ずっと一緒にいてもしょうがないので、家に帰って、
娘は塾の公衆とか春季公衆があるので一人で行ったりもしましたけども、
息子は今日は何もなくて家に一人で待ってたんですね。
ただ待ってただけじゃなくて、家の水事洗濯、朝のご飯食べっぱなしだった食器とかですね、
洗濯とかですね、家の掃除をね、だいたい土曜日の休みにまとめてやるんですよ、うちは。
平日そんなにたくさんはできないんでね。
それを十一の息子が全部やってくれまして、お風呂掃除もやってくれまして、
一人で全家事やりましたね、彼は。
それができるっていうのをいろいろと、本当に頼もしくありがたいなと思いましたね。
でもまあ、何だろうな、頼もしくたくましくありますけども、
それは日頃のやってることではあるので、
おばあちゃん家に行けば、おじいちゃんは枝切りだけど、
おばあちゃんが一生懸命忙してるとか見たりとか、
家では父親も母親も仕事して帰ってきて、家事してっていうのやってて、
子供たちも大きくなったらね、親だけで回せてないので、
子供たちも一緒に手伝って、手伝ってというか家事は家のことなんで、
家族はやるものだっていう考え方なんでね。
子供がちっちゃい時は能力がないからやってないだけで、
大きくなって能力があるんだったらやるっていうのが一応ベースにあるんで、
まあまあその通りできてるって感じですね。
そういうところでもこういう急なことがあっても、
それぞれ家族でできることを助け合いながらできたっていうのが見えて、
とてもありがたかったしよかったなって思いますね。
葬儀の準備と人間社会の温かさ
いろんな人たちの助けとか協力で父の最後を滞りなくできるような、
お葬式とかこれからなんですけども、できるなっていうのが感じられて、
とてもなくなったので、ポジティブな言い方をするのもおかしな話なんですけれども、
人の温かさというか良さっていうのがいろんな形に見えた一日だったかなって思いました。
まあそういうとこかな、そういうことかなってちょっと意味がわからないんですけども、
やっぱりこういうところでみんなが動ける、みんなが動いてできるところでやっぱり動いて、
それでお父さんを見送ってあげられるという感じになれるんだなっていうのは、
とてもいいんじゃないかなって思いますね。
お葬式が今後ありますので、しっかりと見送っていきたいなと思っています。
そんな思いをちょっと残しておこうかなと思いました。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な生き続きのある毎日となりますように。
高田でした。それではまた会いましょう。