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【特別編⑧】 父の他界と葬儀の記録
2026-05-10 25:30

【特別編⑧】 父の他界と葬儀の記録

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サマリー

語り手の父親が2025年4月21日に79歳で亡くなった。父親は昨年11月に転倒して尾てい骨を骨折し入院、その後インフルエンザの院内感染や抗生剤の副作用によるものと思われる症状で人格が変わってしまい、余命数ヶ月と宣告されていた。葬儀は4月23日から24日にかけて行われ、納棺の儀、通夜、出棺、火葬、告別式などが執り行われた。語り手は初めて親族が亡くなった経験を通して、葬儀の手続きや流れを記録し、今後の参考になるよう共有したいと考えている。

父親の他界と葬儀の経緯
今夜はマワシなしで、zaboでございます。
こんばんは、よろしくお願いします。
特別編となります。今回はですね、
父の他界とその葬儀、という暗めの話題でお届けしたいかなというふうに思っております。
です。去る4月21日に、私の父が亡くなりました。
葬儀含めて諸々のおしゃべりをですね、
スルーポッドキャストってあんましないでしょ?
あんまないですし、これからそれを迎えられる方も多くいらっしゃると思いますし、
私の体験談をここに残すことによって、
皆さんの何かしらのお役立ちになるかもしれないなというふうに思って、
喋ってみたいかなというふうに思っております。よろしくお願いいたします。
父親の病状と余命宣告
とりあえず、ことの経緯から行きましょうね。
昨年の2025年11月に、その時まだ父は元気だったんですけれども、
パジャマのズボンを履こうとしまして、これに失敗いたしまして尻餅をつきました。
これが原因で父は尾底骨を骨折することになりまして、入院をすることになります。
この翌月、2025年12月、入院先の病院でインフルエンザを、院内感染をしてしまいまして、
肺をやられるわけですね。
2026年の1月か2月かそのぐらいに、肺の洗浄の治療中に良くないことが起こりまして、
抗天性転換というような診断を下されてしまいまして、
はためからは脳梗塞のような感じにも受けるんですけれども、病院の診断はそのようにされまして、
まるで人格が変わったような父になってしまいました。
それ以降ですね、病院を大変恨みまして、点滴を抜こうとしたりですとか、
薬を口からわざと吐き出したりとか、そういうような素行になってしまいました。
そういったこともありながら、飲まず食わずの日々を送るようになりまして、
この頃ぐらいからでしょうか、そもそも父は以前から何度か心筋梗塞を患っておりまして、
胸にペースメーカーが入っている状態でのそのような状況になりましたものですからね、
日に日にやすれていくわけでございます。
飲まず食わずの日々が続くんですね。
で、病院の先生からは、余命数ヶ月であるという宣告を受けるわけでございます。
僕も時折お見舞いに行ってたりもしたんですけれども、あまり状況もかんばしくない日々が続きました。
臨終と葬儀の準備
で、その中でも一応ポッドキャストの活動はしておりまして、
4月21日にはリッスンで声日記のポッドキャストを配信されていらっしゃいます、
ひろひろしさんとコラボレーションのお約束をしていたんですね。
これが4月21日の火曜日だったんですけれども、この前日4月20日にですね、
朝になっても昼になっても父が目を覚まさないというような連絡が入りまして、
心配しまして、この4月20日仕事終わり18時ぐらいかなに病室に飛び込みますと、やっぱり目を覚まさないと。
で、父はですね、メジャーリーガーの大谷翔平さんをとても応援しておりまして、
この大谷選手の活躍をYouTubeで流している番組を何度か、何本か、
父の耳元で再生ボタンを押して聞かせたんですけれどもね、
僕も声をかけて励ましはしたんです。
1回、2回目をパチリと開け入れて、きょろきょろするんですけれども、
すぐに目、まぶたが閉じてしまうというような形になっておりました。
そうこうしていると、家に帰ってご飯食べたり寝たりするわけでございますけれども、
そういう状況で4月20日にヒロヒロシさんにね、
そういう状況でございますとつきましてはリスケをさせてくださいという、
こちらからドタキャンをしてしまうという大変申し訳ない格好になってしまいましたけれども、
翌日4月21日、30時間ぶりに父は目を覚ますんですね。
そのドッキリには母が朝からお見舞いに行ってて、何度かやりとりをしたそうですけれども、
今年の2月ぐらいからはもう何を言っているのかわからないぐらい、
路列が回っていないようなおしゃべりで、
何言っているかわからなかったけどねとは言っていたんですけどね。
お昼になりまして母が別室で食事をとっている最中に父は高えしたというふうに聞いております。
去年79歳と、実年齢は77歳というような年でございました。
葬儀屋さんに言わすればですよ、今日本人の平均寿命、
男性が81歳、女性が86歳という平均寿命はそうでして、平均に届かないうちに高えしてしまいました。
結構なヘビースモーカーでもおりましたし、
自営業という仕事の中で睡眠時間も削りながら働いていたのを覚えておりますので、
無理がたたったのかなというふうに感じてはいますね。
4月21日のお昼ぐらいに母から連絡がありまして、
今すぐ飛んで戻るというようなことも聞いたんですけども、
これから葬儀屋さんや何やかんやの打ち合わせ等もあるので、
とりあえずあんたに任せるということも言ってもらったので、
一応その日の業務はなるべく残さずに終えて、なるべく早めに帰るという段取りにシフトしました。
故人の人柄と趣味の紹介
大体いつも17時30分まで勤め上げないといけないんですけども、
早めに引き上げさせてもらって、16時には家族と合流ができまして、葬儀の段取りなどいたしました。
葬儀の段取りと言いましても、こういう順番で必ず入らないといけないというものではないそうです。
とりあえず私のお墓の、うちの家族のお墓のあるお寺総統宗になるんですけれども、
その流儀ではそうだなんですって。
お寺さんとのスケジュール、それから仮想場でのスケジュールを確認しないと段取りが取れないということで、
そこに連絡しまして、空いているスケジュールを確認し、
もろもろのイベントの組み立てができましたというようなことがございました。
同日4月21日、夕方からはですね、スケジュールが決まるまでにやっといたほうがいいようなことをやりました。
とりあえず、まずは国別式で流すスライド用の写真を15から20枚ぐらいのピックアップ、
地の生前の人柄を箇条書きで書き出す。
これは国別式でプロのスピーカーというのかな、の方が原稿にしてくれて、しゃべってくれるそうで。
文章を作るのではなく、あれが好きだった、これが好きだったみたいな、あるいはどんな性格だったかというのを箇条書きにして、
書き起こしてそれをお渡しするというような流れがございました。
地の生前の性格、僕の印象で言いますとサービス精神とユーモアセンスのあふれるそんな方でございました。
下ネタが多かったですね。
私が住んでいる島根県の方言、いわゆる出雲弁なんて言われますけれどもね、
父はヘヤ、オンコの話が好きと自分でも言っていました。
オンコというのはうんちのことですね。
あと趣味だったり好きだったりしたもの、これも僕から言わせると、いろいろこれも箇条書きでピックアップしたんですけれども、
長島修行さん、大谷翔平さん、北島三郎さん、有名人はこの辺が好きでしたね。
あとは映画とかドラマによくなる中心裏。
これはどんな脚本でもどんな出演者でも必ずオンエアチェックしてたのを覚えてますね。
中心裏の世界観が好きだったみたいですね。
あとはボーリングが非常に強かったですね。
いつも大会優勝してトロフィーですとか賞品ですとかを持って帰ってきてたような記憶があります。
父に関してのキーワードピックアップはそんなところでした。
葬儀の手続きと準備
あとは募集を決めないといけないということで長男の僕がいたしました。
志望届、葬儀、仮葬の届ですね。
これを役所に申請しないといけない。
これは母と弟がしてくれましたね。
あとはお弁当ですとか引き出物。
平とか茶の粉みたいなのし紙をつけるプレゼントがあってそれを引き出物と言うんですけども、それの準備。
カタログでどれを選ぶか何個準備するのかそんなことでした。
あとは講電返し、これもカタログで選びましたね。何個いるかみたいなね。
多めに頼んで余ったら返品できるというふうに聞いてちょっと多めに準備しましたね。
あと仮葬場ですとか葬儀場に血の近いものは迎えますけれども近所の方々が講電持ってきてくれることも予想できますので自宅の留守番誰にするのかみたいな人を人選いたしましたね。
あとはご近所周りにご挨拶をいたします。
それから生命保険などと、あるいは運転免許の返納などのことを母が頑張ってやってくださいましたね。
葬儀当日の流れ(納棺・通夜)
スケジュールが決まりました。4月23日の木曜日は農間と艶。
4月24日金曜日は出勘、秘入れ、葬儀、流れ処公というような段取りを踏まえてやっていったわけでございます。
4月23日木曜日14時にまず農間の儀が行われました。
死に消息に着替えるわけですね。
これは遺族のみんなで力を合わせて葬儀屋さんの指導どもと行いました。
手の甲につけるもの、それからすね当て、あるいは葬儀、わらじか、わらじ、あとは首からバックをかけまして、その中に三角の額当てを入れておくわけです。
お化けとかなんとかのコントでよくね、おでこのあたりに三角つけたものが裏飯やって出てくる、そんなお芝居見たことないですかね。
あれ今は首から下げてカバンの中に入れそうですね。
そういうことを着替えのお手伝いをしまして、ツヤを迎えるわけでございます。
葬儀当日の流れ(出棺・火葬・告別式)
ツヤになりますと親戚一族老党が集まりまして、死に顔を見てくださいまして、ああだったこうだったみたいな一石が設けられるわけでございますね。
翌日4月24日金曜日、金曜日は朝から早かったです。
朝8時半だったような出勘ですね。
まず祭壇が置いてある父が入った火継ぎをですね、私と弟が前と後ろに分かれて持ちまして、家の外に連れて行くと。
で、霊柩車に乗せるというような流れがありました。
僕はなかなか履き慣れない服のズボンの裾を踏んでしまって、あわや転んで父が火継ぎから出てくるかもしれないみたいな、そんなことをしてしまいました。
裾が長かったというか、僕が縮んできたというふうな解釈をしているんですけどね。
ちょっと話が外れますけども、20歳以降になってから169cmだったんですけども、50が近くなってきますと現在167cmの身長になっておりましてね。
毎年の健康診断のデータを見るとそんな感じになっているんですね。
続けていきましょうね。霊柩車に入れまして、助手席には私が異例じゃないな。
異例ですね、写真ですね。写真を持って乗るわけでございます。
だから亡くなった当日の夕方に異例も決めたわけですね。
本来であれば、さっきボーリングが好きだと言ったじゃないですか。
仕事をドロップアウトした後には父と母がダブルで地元のボーリングサークルに入っていたんですけれども、
その時に撮った写真、両手に花ですね。
父がボーリングサークルの同僚の女性たちと肩組んで写真を撮っているやつをピックアップしたんです。
いい笑顔だったのでそれをピックアップしたんですけれども、
見る人によってはそんな写真は嫌という方もいらっしゃるということもあって、
上手に両手に花の女性たちの顔を消してくださいまして、修正した写真になってございますね。
その異例を持った私が霊柩車の前列、女子席、後部座席には母が位杯を持って乗るといった形になりました。
仮装板につきまして、全員揃いまして釜に入れて作動スイッチを押す。
作動スイッチを押すのも母親の務めだそうでございまして、これを押させてもらいました。
2時間程度火が入るわけでございます。
焼き上がりますと、お骨をこの壺に入れていくという作業があります。
頭蓋骨のお骨と喉仏のお骨は崩すことなく、足の方からザザザと壺に入れてくださいみたいな指示がありまして、指示通りに行いました。
天地無用というわけではなく、天地をしっかり気にしてお骨を壺に収めたという作業がございました。
それから車で30分ぐらい行ったところに葬儀場がありまして、まずお食事を取りました。
13時から告別式がありました。
先ほどチョイスした写真のスライドですとか、父の生前の人柄を表すエピソードトークはこれでいいですかみたいな打ち合わせもしまして、上手にプロのスピーカーの方が語ってくださいました。
その告別式が終わって流れ祝講が終わりまして、葬儀場から退出するわけでございますね。
だいたい15時半ぐらいに実家に着きまして、1時間弱後ぐらいでしょうかね、葬儀場で飾ってもらった各種親族から贈られた聖花を花束にしてくださいまして、それを持ってきてくださいました。
16本ぐらいの花束になりまして、近所の方ですとか、葬儀に参列してくださった方にお届けにあがりました。
僕は3軒4軒ぐらい回ったかな、車でお届けにあがりました。
あとはご近所さんにもありがとうございましたみたいなご挨拶もさせていただきましたですね。
だいたいそれが終わって晩御飯をみんなで食べておしまいだったというような形でございまして、これが4月24日金曜日でございました。
葬儀後の手続き(札打ち・香典返し)
4月25日土曜日、これは札打ちというものをするんですね。
4月24日葬儀の後にですね、やっとこさ決まった戒名、これを葬儀屋さんが準備してくださったお札33枚に戒名を手書きで書きまして、
島根県泰城市にございます清水寺というところにお札を納めるという行事が札打ちというんですね。
これ僕4月25日土曜日は、札打ちという作業をすっかり忘れてたこととゴールデンウィーク前の仕事を土曜日にもできるんじゃなかろうかということを上司に相談しまして、
OKをもらってたので僕はこの札打ちには参加しませんでしたけれども、残ってくれたみんなで札打ちやってくれました。
翌日4月26日は、皆さんから頂戴いたしました公伝王のお金とその名簿作りですね、公伝開きというものをいたしました。
誰々がおいくらくらせた、この方はどういった関係か、みたいなものをね、ノートに起こすわけですね。
親戚コーナーとお友達コーナーと、それからその他コーナーだったかな、みたいな区分けで書き出しました。
その後の公伝開きが終わった後は、その後の予定を確認いたしました。
今後の予定と納骨
翌週からですね、49日が終わるまで毎週月曜日の朝9時にお寺でお経を唱えていただくんですね。
これ毎週月曜日になります。
だからゴールデンウィークがあった関係で、僕は母と一回同席して拝んでいただいてたんですけども、その翌週からは母が一人で行ってくれるという形になってますね。
他何をしないといけないかというと、
いはいを決めたり、お墓に皆実を掘る掘り師さん、というか墓屋さんとか、そういったものを段取りをしないといけない。
私のお墓を作ってくれた石材屋さんがすでに商売を閉じておりましてね、
じゃあ次は誰にお願いしたらいいんだというのをね、お寺屋さんですとか葬儀屋さんですとかに相談して掘ってくれる方が見つかったというふうには聞いておりますね。
で、今度は49日です。49日というのは先ほど仮想してお骨を入れた骨壺をですね、お墓に埋めるという作業をしないといけないということもあって、
まず段取りでいうと、お寺で拝んでいただいて、お墓に納骨して、それから何て言ったっけな、なんかあるんですよ。上手に言えないな。
とにかくお墓に備えるものがありまして、それも一緒に備えますと。
で、最後はだいたいお食事会があって解散ということになるので、だいたいそこは活邦料理屋さんですとか料亭さんですとかを予約するわけですけども、どこでやるか、どこで見配するかという段取りを決めました。
で、お喋りしておりますと5月の6日、ゴルデンウィークの最終日ですけども、その前日、5月の5日にはですね、私の母と私の妻が仏具屋さんに行って、新しい位配が決まりましたと。
いったここまでの流れとなっておりますね。
経験の記録と共有
はい、ということでね。
まあ、そんな数日を送っておりました。
そんな中でも隙間時間を見つけては、ちょろちょろ喋ってポッドキャストアップする、そんな活動もしておりました。
一神塔の親族が亡くなった経験がこれが初めてでしたね。
また今後そういう機会も来ますし、そんな経験がまたこれ僕がまた迎えた時には聞き直したらいいかなというふうに思って喋ってみました。
はい、僕島根県在住でお寺は総統首ということもあって、お家によってご家族によっては違う風習だったり違う流れだったりするところもあるんでしょうが、
私のところではこういった流れでしたよというようなことをですね、表しておこうかなというふうに思ってお喋りしてみました。
果たして今夜は回しなしでアップしていいのかどうかはわからないですけども、まあいいかというふうに思っております。
今回はお悔やみ事でございますのでね、ノーBGMノーCMでノー編集でアップしようかなと今は思っております。
皆様の何かしらの参考になればいいかなとも思いますし。
とにかく父が残り数ヶ月の余生であるというような事実を知った時からこの回は、
どのポッドキャスト番組でアップするかは置いといて、お喋りとして残しておこうとは思っておりましたので、
ほぼほぼ言い漏らしなくですね、喋れたかなというふうに思っております。
ということで、一応今夜は回しなしでの特別編で置いておこうかなというふうに思っております。
お聞きくださった皆様、どうもありがとうございました。
ザボでございました。ありがとうございました。
25:30

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