自分の行動原理の探求
はい、どうもこんにちは、たからんです。
今回はちょっとね、一人で喋る感じになるんで、
アーカイブというか、残すかどうかはちょっと考え中なんですけども、
どちらかというと、自分の頭の整理のためのM-1録音をしています。
何かというと、自分の理念というか行動原理みたいなところが、
なんかピンときそうな気がしていて、
やっぱね、いろいろと今、自分で実生活仕事やっている過程もあって、
あとはオンラインの活動を含めた自分の時間というのを過ごしにあたって、
何を取捨選択というのかな、何をしていきたいかなと今ちょっと考えているところで、
その中で、やっぱり自分が熱量が上がるみたいなところがたまにあるんですよね。
こういうことをやるってなったら、なんかやりたいって思うみたいなところがあって、
それがいろんなところの興味につながっているんですよね。
つながっているんで、いろんなことに手を出したりしてやっているんですけども、
なんか自分の中できっと、それをやるから、それは結局ここにたどり着くからやりたいんだというのがあるはずなんですよ。
前は、このラジオを始めるときも、スタッフのチャンネルを始めたときもそうだったんですけど、
一応子育てという言葉を使っていたんですね。
今もたまに使うこともあるかもしれないんだけど、
子育てというのをもっと社会全体でやるようにしたい、やる社会になってほしいという気持ちがあるわけなんですけども、
ただ、最終ゴールがみんなの子育てというわけじゃないんですよ、何となく自分の中で。
それがその先の、自分が生きたいところにつながっていると思うから言っているんだけれども、
じゃあそこは何かというのが、あまり自分の中でうまく言語化できていなかったというか、
ピンとくるものがうまく表現できていなかったんですよね。
いつも同じようなことを考えているんですね、頭の中で。
今回も同じようなことを考えていたんだけど、何かちょっとピンときた言葉があって、
これが本当にそうなのか分からないけど、今頭に浮かんでいるのが、ペイフォワードですね。
自分が誰かのために何かをする、前に向けて。
ペイフォワードっていう、これまだ見てないんだけど映画があるらしいんですよ。
日本語で言うと私の中ではお互い様なんですけど、
お互い様っていうのは、誰かのために自分がやってあげる。
まずは誰かから自分のためにやってもらったことがある。
その恩というか恩恵を、ここ間違いやすいんですけど、
お互い様っていうのは、その人に恩を返すっていうのがお互い様じゃないんですね。
相互にやり合うっていうのがお互い様じゃなくて、
自分がもらったその恩っていうのを誰か他の人に渡す。
またその人じゃない誰かのために使う。
一人から恩を受けたら、誰か三人に恩のために何か動くみたいな。
そういうイメージなんです。
イメージというか本来そういうものなんですよね。
お互い様って。
その考え方に合う映画があるらしくて、
ペイフォワードっていう映画があるんだっていうことを
私この前知り合いから聞いてちょっと見てみたいなと思ってるのがあるんですけど、
紹介文だけ見ると、ある子供が学校の授業か何かで
社会が幸せになるためにどうしたらいいかっていう話の中があったらしくて、
ペイフォワードの考え方
ある一人の子供が考えた、
自分が誰かの三人にその人のためになることをやる。
そしたらその三人がまた別の三人に誰かのためにやることをやるってなったら、
どんどんどんどん増えて世界中の人が幸せになるじゃないかっていう理論というか、
そういうアイデアを出した。
それが実際に広がってみたいな、そういうストーリーっぽいんですよね。
ちょっと全然中身を全然知らないんですけども。
私はやっぱりその話すごくいいなって自分で感じて、
そうなんなきゃだよなって思ったんですよね。
人の社会、人間社会というか人の社会の在り方って、
やっぱりお互い様、お互い様っていうのかな。
自分一人じゃ生きていけないから、
互いに互いを助け合う、助ける形の生き方をするっていうのが、
人という種族だと思うんですね。
助けられてないってことはまず絶対にならなくて、人である限り。
人である限りやっぱり誰かのために助けることをすることで、
自分も人間社会の中で助けてもらえる。
その恩恵に預かって生きていける。
豊かに生きていける。
豊かっていうのは精神的にも物理的にも。
そういう生き方をしている種だと思うんですよ。
例えばアリンコだったら、働きアリンコがいて、
卵を産む女王、卵を産む役割っていう女王がいて、
アリかアリかアリがいて、
働きアリは巣を作ったりとか、餌を取ってきたりとか、
生まれた幼虫を世話するとかっていう役割があるわけですよね。
そういう役割の中で、
それもある意味助け合っているというよりは助け合っているのかもしれないけど、
それはもう何だろうな。
巣を維持するために生きていくために、
役割をただこなすっていうことだけなんだけど、
人間社会ではそれとはまたちょっと違って、
結構役割分けてみんなそれぞれの役割で生きているっていう感じに見えるけど、
たぶんね、自分はこの役割ですってそれで生きていきますっていうことじゃない、
ここなんですよ。
役割決めてその役割で生きるっていうことじゃなくて、
自分はこれがやりたいからこれをやっていくっていうんじゃなくて、
役名とかそういうのとか関係なくて、
人と人とは助けるものなんだよっていう、
そんな感じ、わかりますかね。
そういう精神部みたいなところになっちゃいますけど、
そういうところで相互にやり合う。
役割だからとか、お金を払うからとか、
お金払うはもうそうなんですよ、職業を決めて、
このお金払ったらこの対価としてこれだけのことをやりますって決めてやるっていうのは、
それはお互いに助け合っていることじゃないと私は思うんですよね。
システム的にワークをしているっていうだけかなと思っていて、
元をたどれば人間はそれぞれできることを出し合って、
一緒に生きていくっていうことを協力してやるっていうのが、
原始時代からそういうふうにやっていて、
そのうちにその役目っていうのを専門的にやるっていうほうが効率が良くなるのもあって、
これやるときはだれだれだねっていうふうになっていて、
じゃあこれやってくれるんだったら私はこれやるよっていう、
ブツブツ交換というか、やることの交換というか、
っていうようなやり方になっていて、
そこに貨幣っていうアイテムを、概念を作り出したことによって、
私はこれをあなたにやってもらって、自分はこれを出すっていうのが、
今あなたに欲しいものをこれですっていうふうに出せないから、
自分はこうやってあげられないんだけど、
行動原理とペイフォワード
でもこのお金っていうシステムってこれだけの価値があるっていうことを示すものだとして、
これを渡すから、そしたらそれに見合うものは他の誰かからもらえるよねっていう、
媒体、仲介するものを作ったっていうのがお金ですよね。
だからそういう概念なんですよね。気持ちの。
そこはお互い様っていうのは相互っていうところだけじゃなくて、
自分が誰かのためにやれば他の人がその人のために何かをやってくれる。
自分も違う誰かのためにやってあげる。
そしてまた誰かから自分がやってもらえる。
っていうのが自然と循環して成り立っているっていうのが人間社会だと思うんで、
そこが大事なんですよね。
だから一言で言うと、お前のことは関係ねえよっていう考え方っていうのは、
人間社会が崩壊すると思っていて、
関係ない人は関係ないであるはあるんだけども、
なんていうんですかね。
要は社会がそれで役割を切りすぎて、決めすぎて、
個人主義じゃないけど個を大切に言いながら、
周りとか直接関係ない人のことを大切にしないような風潮が高まってくると、
やっぱり結局社会全体が生きづらくなって、
巡り巡って自分に帰ってきていることっていうのは巡らなくなるんですよ。
で結局自分が生きづらくなるんですよね。
っていう風にどんどんなっているんじゃないかな。
少なくともこの日本はっていう風に前からちょっと思っている。
だからそのそういう無関心みたいなところ、
無関心とか人と人とが協力し合わなきゃいけないっていうそこの価値、
自然とそうする気持ちになる価値、提供があるっていうことを
多分昔は無意識に持っていたんだろうけども、
今見えなくなっていることが多いんじゃないかなと思って。
資本主義の支援なのかどうかわからないですけども、
お金を稼ぐとか、
そういうところでそれが多いと貢献しているとか、
それが多いと言うがたがだとかっていう、
お金自体を悪く言うわけじゃないんだけども、
なんか指標、価値基準がお金を払ったからやってるっていうか、
そういうものを持っているっていうことじゃないことで享受している、
教育と育児の重要性
享受し合っているものへの意識の低さが際立っているなって気がするんですよね。
それを、その意識の持ち方を何とかしないと、
人としての社会で生きていけなくなっちゃうんじゃないかなっていうか、
なんだろうな、だんだんだんだん機械になっていくっていうのかな。
もうすでに機械になっている感じがするんですよね。
それはまずいんじゃないかなと思っている。
それを何とかするための無意識の中にある前提、
先入観っていうのを直していきたい。
直していきたい。明らかにしていきたい。
で、今何を考える。
どうしていくことが必要かっていうことにつなげていきたいんですよね。
そこにつながるのが、ジェンダーバイアス、ジェンダー格差で見えなくなっていることとか、
そういう意識が持ちなくなっている。
それを若い時から意識の改善を、改革をしていかなきゃいけない。
教育のこととか、保育のこととか、子育てのこととか、
っていうところに結びつくと思っています。
とりあえずこれをAIにかませて、融資したいんですね。
自分の考えっていうのは私がやっぱり、
多岐にわたっているところを結局どこに結びつくのかっていうのが、
今まで結びつくのかっていう線が描けるかっていうのを、
ちょっとAIの力を借りて整理していきたいなと思っています。
ちょっと前に話したノートブックALMですね。
それとか他にもあるかもしれないけど、そういう力を借りて、
どこに向かうっていうのがやっぱり一つ見えてくると、
自分の行動原理がわかってくると、
じゃあ今何をしようかなっていうのがまた決まってくるかなと思うので、
ちょっとそういうところを今考えたいなと思っているところです。
これどうしようかな。どうするかわからないけど、
一回終わりの挨拶をしておこうかな。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日になれましたように。
タカランでした。それではまた会いましょう。