自己表現の重要性
はい、どうもこんばんは、たからんです。
昨日ですね、26年の初めての収録をしましたという中で、
ノートを書いていきたいなっていうのをちょっと書いたんですよ。
あ、喋ったんですよね。
自分の考えっていうのを記録したいなと。
自分の思考っていうのを文字に落としたいなっていうのがあるんですよね。
こうやって今、喋るっていうのはある程度知ってはいるんですけど、
こんな文字にしたいっていうことをちょっと喋ってまして。
この前ですね、その配信の中でも、
AI使って、自分でスタイフで喋っていることを、
これをAIで文字起こしして、要約してっていう風にすることもできるんだけど、
それだとちょっと文字がね、自分の言葉にならないと。
なんか自分の言葉にならないって感じになっちゃったっていうのを話したらですね。
シュガーちゃんからコメントをいただきました。
私もそうなんですっていうようなことをちょっと共感していただいてみたいで、
嬉しかったんですけども。
シュガーちゃんも最近たくさんノートを書いていらっしゃいますね。
本当にやっぱり微暴録っていう名前、タイトル、何月何日微暴録って書いてあって、
今の思っていることを残したいっていう思いだと思うんですけども。
シュガーちゃんはスタイフでも喋るし、インスタにも文章を載せてるし、
ノートも書いてるし、すごいなと思ってるんですけど。
私もちょっと似てる感じかな。
それを見たっていうのもちょっと、やっぱり自分もって思ったところもあるんですけども。
やっぱり思ったところをね、自分の思考を残したいという気持ちでノートをしたいなって思いました。
ゆるっとノートを楽しみにしてますって書いてくださったので、
ちょっと頑張ろうかなって書いていきたいなと思っています。
子育ての社会的価値
とはいえですね、やっぱりAIの力を借りようと思っているんですけども。
借りた上でどんなふうにノートをしたっていこうかなっていうふうにちょっと考えています。
それこそ文章の要約のほうじゃなくて、どういうことを念頭において、
発信の軸といいますか、ベースっていうのをどうしようかっていうのを
チャットGPTじゃなくて、私はジェミニ使ってるんですけど、
ジェミニで対話というか、壁打ちしながらみたいな感じでちょっとやってたんですよね。
私のノートは今は、2021年ぐらいから確か書き始めたのが、
10件か20件くらいは載せたのがちょっとあって、
もう3年前ぐらいから止まってるんですけども、
今タイトルが1億総子育て計画ってなってるんですね。
これ私の今のスタイフ自体も1億総子育てラジオって言って始めたきっかけがあるんですけども、
ノートのほうにもちょっと書いたりしてるんですけど、
私のこの考え方のコアにあるものかな、核にあるものかなっていうふうに思って、
これを掲げてはいたんですが、
なんかね、でもね、ちょっとジェミニ君と喋ってる中でもですね、
なんかベースとしてはちょっと違うんじゃないかっていう気がしてきてます。
元々は子育てっていうものが社会的な評価というか、
価値っていうのがいまいち忘れられてる状態になってると思っていて、
子育てって元々ね、我々が小さいとき、昭和から平成の頃っていうのは、
女性がお母さんが専業主婦で専任でやっていたようなことの位置づけで無償でやっていたっていうことで、
その無償ってところですよね。
お金がかかっているもんじゃない。育ててからお金を払うことじゃないから、
ただでできることっていうふうに思われてるんですけど、
ただじゃできねえよこんなのっていうところが、
ただより高いものはないというかですね、
社会的な価値の高いものを資本主義で無償っていう言葉になるんだけども、
そうじゃなくて必要だからやってるんですよね。
やっぱり社会に必要、人として人間として人間社会として必要なことっていうのを担ってやっていたってことなんですけどね。
それが忘れられているというか、分かってない社会っていうのがあるっていうのがおかしいというかですね、
危ないっていうふうに思ったのと、
そこを軽んじている社会とか人とかっていうのが見え隠れするっていうところで、
本来人類全体、社会にとって必要なことだよねっていうことを訴えていきたいというか、
そうじゃなきゃちゃんとした社会として回らないよねという気持ちがあったんで、
もう社会全体、人類全体で子育てをしようというのが重力層子育てっていうふうに言ってたんですね。
前提としての思考
なんだけど、それをすると何がいいのかっていうかっていうのって、
もっとその先を本当は見たいわけですよ。
子育てをしましょうとかみんなで子どもの素晴らしさをなんとかとかとかそういうんじゃなくて、
社会形成として必要ってことだから、
日本の経済を良くするために子育てしましょうって言いたいんですよね。
実際ノートにも書いてあるんですけども、3年前、4年前。
それを、それは何でそんなことになるのっていうことを、
その理論っていうのが前提が違うからっていうふうに私はちょっと考えてるんですね。
前提。
ここをちょっとベースにした方がいいんじゃないかなっていうふうに少し思っているところがあります。
前提が変わったから、
これまで見てみる意識してたというかあまり意識してなかったことをちゃんと見て、
戦略的に、戦略的にもちろん意識的にちゃんとやるっていうことを考えなきゃなんじゃないのっていう、そういう感じですね。
前提というのが大事だと思ってて。
物事の考え方とか常識とか価値観とか、
そういうのって、個々の東西、一時的なもの、一つ確立的なものではないと思うんですよね。
その時代とかその場所とか環境とか、
人の、社会としての環境でもあるし、その人個人個人の環境でもあると思うんですけど、
そういうのの違いっていうのがあれば、目指すことっていうのは変わってくるって思います。
多分、本来的に目指すところは人の幸せであるとか、生き甲斐であるとか、
そういうところは、そういうところを目指そうっていう気持ちっていうのは変わらないと思うんだけど、
じゃあそれってどこを目指すことなのっていうのは変わるはず。
で、それをその前提、今のその話って何を前提とした話なんですかっていうところって、
どういうことですか?どうなんですか?考えていますか?説明できますか?とかね。
それってこういう前提のもとでの話なんですね。
私はこういう前提で、だからこうだと思ってます、みたいなところが必ずあると思ってるんですよね。
そうすると、話が対立するような内容があったとしても、
それは本当に全く意見が違わないっていうのもあるかもしれないけど、
実は似たようなことを目指してるんだけど、それぞれの前提としていることが違うから、
理論とか主張が異なるっていうことになると思うんですよ。
だからその前提を確認するっていうことはすごく大事だと思うんですね。
私がちょっと2年前ぐらいですかね、23年ぐらいに1回スタイルフレームを配信して、
インスタにもちょっとスライドを載っけたりしてるんですけど、
人生の塩水論っていうのを喋ったことがあります。
これちょっとまたそこをベースにしようかなと思ってて、
ただちょっと塩水論って意味がわからないんで、ちょっと念味が変えようと思ってるんですけども、
塩水っていうのはスポットライトの明かりをイメージした言葉なんですけど、
スポットライトの光がパーって光ると、その光源、ライトの大元は本当に点で、
そこから光がパーって広がって、舞台の上のスポットライトが当たってるところは地面が丸くなって、
光の方が三角っぽくなって、塩水の形になりましたよね。
そのスポットライトの光の空間っていうのが、今見ている人生観とか価値観の空間であると。
そこに見えてることって、その光が光の先、その頂点に当たるところに向かって、
そこにある幸せというか、成功というか目標というか、そういうところに向かっていくっていうイメージ。
その光の空間の中の頂点っていうのかな。
前提の考察
そこに向かっていくことが幸せっていう、そういう考えにあったとした時に、
その光の元って何っていうのって、そこが前提だと思うんですよ。
ある前提でここから照らすもの、ある前提があるからここから照らしている。
そこを照らした中に目標となるような、目指したいものっていうのがあって、そこに向かってくるかもしれないけども、
その前提の外にあるものって、じゃあ何ですかっていうことを考えてみるっていう、
そこにちょっと意識を向けてみるっていうのが、向けてみたいっていう話をしたいっていうことなんですね。
ちょっとこういう言葉で今言ってるとちょっとなかなか難しいと思うんですけども、
その前に、2年前にちょっとしゃべったときのリンクも貼っておこうと思うんですけど、
ちょっとまたそのリンクの図は修正しようと思ってるんだけども、そのときのものですね。
光が射していて、ある人、キャラクター、手書きで絵を描いてるんですけど、
自分とか人とかっていうのがその光の円錐のスポットライトの中にいると、上の方を目指すということなんだけども、
そこから外れたらなんか外れた人っていうか適合しなかった人みたいになるよねっていうような、
そんなイメージだけど、本当にそれは外れた人生なのかということですね。
多分違うんじゃないかなと思いますね。
人によってはそのスポットライトの光源の位置っていうのは、
違うところから照らすものに向かうっていうのがその人の成功だったり幸せだったりっていうことがあるだろうし、
そもそも社会全体で照らしているこういう形、これが成功の道だよっていうような考え方っていうのが、
でもそれってあの時代の、あの条件の、こういうもののときの話だよね。
あそこから時間が経って世界は変わっていて、こういう条件も変わっていてっていう形で前提が変わっている中で、
同じ光源の下で物事を考えるので本当にいいんだろうか、多分違うよねっていうのを考えていきたいと思っています。
そうすると、それってもう捉え方とか考え方の話なんですけど、
そこをベースにして考えると、一つ一つの普段喋っている子育ての話とか働き方の話とか、
性教育の話とか、そういうものっていうのが何で必要なのっていう話が、
だって前提がこうだからっていうふうにやっぱりちょっと話せると、
逆に言うとそういうふうに話さないと意味がないような気がするんですよね。
こういう前提の話をしているからこうだよっていうふうに、
前提違う考え方であったらもちろん違う方法論っていうのがあるはずで、
そっちの前提で喋るんだったら確かにそうだねっていうふうに意見が違っても納得できることはあると思うんですよね。
その前提が合ってるのかどうかっていうことも議論になるかもしれないし、
両方とも合っている前提としては見方が違うだけでっていう話にもなるかもしれないし、
そこをベースに考えるっていうのがそこっていうのは前提ね。
思考のプロセス
前提を意識した形で物事を考えるっていうのがやっぱり何かを考えたり議論したりっていうのは特に必要だと思っているので、
自分の一つのエピソードも何前提の話っていうのをちょっと意識しながら喋っていきたいなというふうな感じで思っています。
なのでノートとかですねっていうのを1億倉庫されたって言ったんだけど、
何を前提だから1億倉庫されたのかっていうのはちょっとまたそこはそういうふうな話し方っていうのをしていきたいなと思ってるし、
なのでノートも倉庫育てがメインタイトルではなくて、
こういう前提のこういう光の下で考える1億倉庫育てみたいな感じになってくるんじゃないかなというふうにちょっと思っています。
そんな感じのノートの文字を考え方っていうのを残していきたいかなというふうに今は思っています。
ちょっと言葉だけで喋ってですね、これ文字で起こしたところでちょっとパッとイメージはわかんないと思うんですけども、
ノートで書くときは図も並行させて書こうかなと思うんですが、
なんかそんなようなことをね、一回書いてみようかなと思ってますので、
ノート見てくれるって楽しみにしてるって言ってくださる人もいてくださいますので、
ちょっとそんな頭の中の自分の思考回路をちょっといろいろ書きつつ、
ちょっとそういうものなのかどうなのかっていうところをですね、いろいろ悩みながら残していけたらいいなと思ってます。
もしノート書いたらですね、ここにリンクもありますし、
よかったらリンクはプロフィールのプロフィール欄に多分リンク貼ってたと思います。
またプロフィールにリンク貼ってるかもしれないですけども、
たどれるところにあると思いますのでぜひ読んでみていただけるといいと嬉しいです。
その時に言ったのでノートまで書き起こしてみようと思います。
ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気付きのある毎日になりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。