これらの資料は、主に福岡県旧八幡市(現北九州市八幡東区・八幡西区)の都市開発の歴史と、その持続可能性に関する課題を詳細に解説しています。特に、官営製鐵所の存在が都市形成に与えた影響と、都市計画を主導した守田道隆という人物の役割に焦点を当てています。戦前の土地区画整理事業から戦後の戦災復興事業、そして近年の市街地再開発事業に至るまで、法的な制度の変遷と、地域特性を取り入れた計画の「地域化」への取り組みを論じています。また、再開発事業における運営管理の課題や、地域社会との共存の重要性についても考察しています。
サマリー
ヤハタの都市開発史に焦点を当て、森田道次の地域化の取り組みを掘り下げ、産業との共生を目指した様々な工夫を紹介しています。また、現代における地域再生の試みやコミュニティの重要性についても考察しています。
ヤハタの歴史と森田道次
さて、今回あなたが共有してくださった資料、ヤハタの都市開発史と開発事業の地域化に関する研究、これ面白いですね。
ありがとうございます。
歓迎星鉄城と一緒に巨大な工業都市になったヤハタ、その裏側を今日は深く掘り下げていきたいなと。
特にですね、森田道次らという人物。戦前から戦後にかけて、議士として、そして市長として、ヤハタの都市計画を引っ張ったキーパーソンです。
森田道次らさん。
そして、彼がやった地域化という考え方。国レベルの大きな計画を、そのままじゃなくて、その土地の事情に合わせていくという、そこを見ていきたいんです。
なるほど。ただ、歴史を追うだけじゃなくて、その森田さんという人が、どうやって課題に立ち向かって、ヤハタならではのやり方を見つけていったのか、その白心に迫ると。
そういうことです。
いやぁ、面白そうですね。
えーと、まずそもそもヤハタという町、1901年の星鉄所創業開始で、本当にゼロから、
そうですね、まさに。
生まれたような町ですよね。
でも、その急成長の裏で、やっぱり都市計画の課題も多かったわけですか。
その通りなんです。
とにかく、星鉄ありきで町が急速に、ある意味無秩序に広がっちゃったんですね。
で、住宅とか生活環境の整備が全然追いつかない。しかも地形が山勝ちで、開発も難しかったり。
なるほど、地形も。
もう産業優先、生活の質は後回しにされがちだったと。
そこに都市計画の専門家として、白羽の矢が立ったのが森田道次らだったわけです。
その森田さん、まずは技師として活躍されるわけですね。戦前、1930年代。
はい、そうです。
特に土地区区画整理。当時の地方都市って、どこもお金とか技術とか大変だったと思うんですが、どうやって乗り越えたんですか。資料見るとかなりユニークな。
え、そこが非常に面白いところで、まずあの、国の失業救済事業。これをうまく活用したんですね。
失業救済事業ですか。
はい、これで事業費を確保しつつ、同時に当時の社会問題、失業者対策にも貢献したと。
へー、なるほど、一石二鳥じゃないですか。
そうなんです。それだけじゃなくて、さらに製鉄所の副産物。
副産物?
ええ、例えばタールとか鉱砕って呼ばれるものですね。
はいはい。
それを、なんと道路の舗装裁に使ったんです。
え、そんなものが使えるんですか。
ええ、コスト削減はもちろん地元のまさにそこにあるものを生かすっていう、これぞ八幡ならではの地域化の実践例ですよね。
うわーすごい、まさに地産地消というか、その土地のものを最大限に使う知恵ですね。
ええ、しかも資材調達も安定しますし。
しかも森田さんって当時から単なるインフラ整備だけじゃなくて、美観とか保険衛生も重視してたって書いてますね。
そうなんですよ。彼自身が能律的に、保険的に、かつ美観的に土地を利用することが都市計画の主眼だって書き残してるぐらいですから。
それはすごい、もう当時からかなり先を見ていたというか。
ええ、この考え方が戦後の復興期に、今度は市長としてさらに大きく話しらくことになります。
復興期の総合的な街づくり
戦後市長になった森田さん、今度はモデル工業都市構想、これはどういう?
はい、戦争で8万も大きな被害を受けましたから、その復興にあたって単に工場を建て直すだけじゃないぞと。
市民の生活環境とか文化的な豊かさ、そういうものも含めた、もっと総合的な街づくりを目指したんですね。
なるほど、その象徴的なものが都市公民館ですか?
そうなんです。これがまた全国的に見てもかなり早くて先進的な取り組みでした。
公民館というと集会所みたいなイメージがありますけど、資料には幼稚園まで併設してコミュニティエリアの中核って書いてますね。
単なる建物じゃなくて幼児から大人まで多世代が集まって学べる、交流できる、そういう場として都市計画の中に明確に位置付けたんです。
それは断新ですね。
8万方式って呼ばれたとか。
まさに。森田さん海外視察アメリカとかドイツとか行ってるんですが、そこで得た知見も生かされてるようです。
でも根っこにあるのはやっぱり地域コミュニティを育てることが街の力になるという信念ですね。
なるほどな、人々のつながりを育むと。
あと面白いのが古い街道、旧長崎街道のルートを区画整理しても意図的に残してるんですよ。戦前の黒崎駅前でも戦後の八幡駅前でも。
それ気づきました。効率だけ考えたら真っ直ぐな道にしちゃいそうですけどね。
そうですよね。でもそこを残すっていうのは単なる鑑賞じゃなくて、やっぱり街の歴史とかアイデンティティを大事にするっていう姿勢の表れだと思うんです。
深いですね。森田さんの哲学みたいなものが感じられますね。
現代の地域化の取り組み
はい。
そして時代は現代に近づいて市街地再開発、高度成長期以降ですね。八幡も全国の他の都市と同じように駅前再開発とか進めるわけですが。
進められましたね。
でもそこでまた新しい課題が出てくると。
そうなんです。特に大きな商業ビルを建てたはいいけど、その後のマネジメントですね。
ああ、よく聞く話ですね。各テナントが撤退しちゃったりとか。
はい。あとは権利関係が複雑だったり、維持管理費がかさんだり、これはもう全国の地方都市で共通してみられる課題です。
なかなか難しい問題ですよね。
ええ。ただここでも八幡、特に八幡駅前の再開発地区の取り組みはちょっと視差に飛んでるんですよ。
ほう、というと?
当初の商業中心っていうコンセプトから、緑豊かで落ち着いて住みやすい街っていう方向に少し舵を切り替えたんですね。
へえ。そして欅テラス八幡まちづくり協議会みたいな地域の連携組織ができて、ソフト面での地域化を深めようとしてるんです。
ソフト面の地域化ですか?具体的には?
例えば、再開発で伐採される予定だった街路地の欅。これをただ捨てるんじゃなくて、家具として再生するプロジェクトとか。
それは素敵ですね。
ええ。単なるリサイクルを超えて、街の記憶とか資源をもう一度価値あるものとして捉え直して、地域への愛着につなげていこうと。
なるほど。ハードだけじゃなくて、コミュニティとかその土地ならではの価値、そういうソフトを重視する地域化がさらに深まっていると。
おっしゃる通りです。森田さんの時代から続く思想が、形を変えながらもちゃんと受け継がれている感じがしますよね。
いやあ、そうですね。建物を新しくするだけじゃなくて、そこに住む人とか関わるいろんな人を巻き込んで、その地域らしい在り方をみんなで探っていくみたいな。
ええ。まさに現代の都市再生で求められている視点だと思います。
今回この資料を読み解いてきて、鉄の町八幡が森田道永さんという情熱と先見性のあるリーダーの下で、国の大きな開発の流れに乗りながらも、常に地域の実情に合わせて計画を上手に地域化してきた。そのしなやかで力強い歩みが見えてきました。
そうですね。製鉄所という本当に巨大な存在と常に向き合いながら、財政難とか技術不足とか、あるいは戦災とか、いろいろな困難をその土地ならではの知恵と工夫で乗り越えてきた。
はい。
そしてその根っこには、やっぱり常に人々の暮らしを豊かにしたいっていう思いがあった。この森田さんの思想っていうのは、現代を生きる私たちにもすごく多くのヒントを与えてくれる気がしますね。
本当にそうですね。では最後に、これを聞いているあなたに問いかけてみたいと思います。この8万の地域化の物語。ハードだけじゃなく歴史や文化、コミュニティといったソフトな面を大切にしながら地域を再生していく。
この考え方は、あなたの身の回りの街づくり、あるいはご自身が関わるプロジェクトや、もっと身近な日々の暮らしの中で、どんな新しい視点や、何かアイデアの種を与えてくれるでしょうか。ぜひ考えてみてください。
08:36
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