サマリー
今回のエピソードでは、本の飢餓についての問題を探求し、特にカンボジアやラオスの障害を持つ子どもたちの教育の機会の欠如に焦点を当てています。また、デイジーという技術を用いて、現地の人々が自ら情報にアクセスできる形で持続可能な支援を行っている実例も紹介されています。DAISYと能登のブックカフェは、被災地の人々が心を落ち着け、自分の物語を取り戻すための場を提供しています。この活動は、本を通じて感情を表現する力を再発見し、さまざまな飢餓を満たす可能性を秘めています。
本の飢餓の深刻さ
こんにちは!ザ・ディープダイブへようこそ。さて、今回情報源として共有いただいたのが、NPO法人エファジャパンの鎌倉幸子さんへのインタビューですね。
あの、飢餓と聞くと、私たちはやっぱり食べ物のことを思い浮かべるじゃないですか。でも今回はもう一つの飢餓、本の飢餓について深く掘り下げていきたいと思うんです。
情報とか物語から切り離されてしまうっていうのは一体どういうことなのか。そしてこの活動がどうしてカンボジアやラオスといった場所と日本のノト半島自身の被災地を結びつけるのか、その核心に迫っていきましょう。
いや、その本の飢餓っていう言葉すごくパワフルですよね。ちょっとリスナーの皆さんにも考えてみてほしいんですけど、もし自分の周りにある本とか情報が全部自分には読めない言葉で書かれていたり、あるいはそもそも文字が見えなかったりしたら世界ってどんなふうに見えるんでしょうか。まずそこがこの問題のまあ、核心に触れるための最初の問いかけになると思うんですよね。
なるほど。アクセスできない情報っていうのはもうそこに存在しないのと同じなんだということですね。
インタビューの中でも鎌倉さんはこの本の飢餓という言葉を繰り返し使っていました。これは世界亡人連合が提唱した概念だそうですね。物理的に本棚に本があってもそれが読めない人にとってはもうないのと同じだと。
そうなんです。これが私たちが想像以上に特に子どもたちの未来にすごく大きな影を落としてるんですね。例えばエファジャパンが活動しているカンボジアやラオス、ここでは障害を持つ子どもたちが教育の機械から完全に取り残されてしまう直接的な原因になってしまっているんです。
でもこれって決してその開発途上国だけの話というわけではなくて、情報アクセシビリティ、つまり誰もが情報にちゃんとアクセスできるかっていう視点で見れば形は違えど私たちの社会も含めて世界中が向き合わないといけない課題なんですよ。
ではその本の危惧という非常に大きな問題に対して一体どうやって立ち向かっていくのか。インタビューではマルチメディア大事というちょっと聞き慣れない技術が鍵になっていると。
これがまさに希望の光なんです。まあ簡単に言うと、大事っていうのはものすごく気の利く電子書籍の国際標準規格なんですね。音声がテキストを読み上げてくれるんですけど、ただ読み上げるだけじゃなくて、今読んでいる部分の文字がハイライトされて完全に同期するんです。
なるほど。音声と文字が連動するわけですね。
その通りです。しかも読む人の状況に合わせて文字の大きさとか背景の色を自由に変えられたり、あとは読み上げのスピードも調整できます。ここでインタビューから一つ本当に驚いた事実がありまして、発達障害のある子どもたちの話なんですけど、私たちはついこうゆっくり話した方がわかりやすいだろうって思いがちじゃないですか。
ええ、思います。それが配慮なのかなと。
ところがですね、子どもたちの中にはむしろ通常の3倍速とか4倍速といったものすごく速い音声の方が逆にスッと頭に入ってきて、情報をキャッチしやすいっていう子もいるそうなんです。
えーっと、3倍速ですか。それは普通は逆だと思っちゃいますよね。ゆっくりが必ずしも正解じゃないと。
これは本当に目から鱗です。一人一人情報の受け取り方が全く違うっていうことなんですね。
まさにその子にとっての勝ちパターンみたいなものを見つけてあげられるのが大臣のすごいところなんです。
そしてこれ、識字教育、つまり文字の読み書きを学ぶ上でもすごく有効で、音声を聞きながらハイライトされる文字を目で追う。
はいはい。
これによって音としての言葉と記号としての文字が自然に頭の中で結びついていくわけですね。
なるほど。でもそこで一つ疑問が湧きます。
その音声で読み上げるっていうことは音声を作るためのエンジン、いわゆるテキストを音声に変換するソフトが必要ですよね。
日本語とか英語ならたくさんありそうですけど、カンボジアのクメール語とかラオスのラオ語とかって。
いや素晴らしい着満点ですね。そこがまさに巨大な壁なんです。
まあ市場原理を考えれば当然ですけど、いわゆるマイナー言語に対応した質の高い合成音声エンジンというのはほとんど存在しない。
え、じゃあその壁はどうするんですか?エンジンがないんだったらデイジーを作るのは不可能ってことになりませんか?
普通ならそう考えますよね。でもそこがエファジャパンの本当に独創的なアプローチなんです。
彼らが選んだのは存在しないハイテク技術を追い求めるっていう道ではなかった。
と言いますと?
発想をもう大転換したんです。現地の人たちが普段から仕事とかで使い慣れているごくありふれたソフト、マイクロソフトワードを使ってデイジー図書を自分たちで作れる仕組みを開発したんですよ。
ワードでですか?
え、ワードにテキストを打ち込んで自分たちで音声を録音して簡単な操作をするだけでそれがデイジー形式に変換されると。
それはすごい。つまり外部の専門家とか高価なソフトに頼るんじゃなくて、自分たちの手で自分たちの言葉のアクセシブルな本を作れるようにしたっていうことですね?
おっしゃる通りです。これって単に物をあげる支援じゃないんですよね。エンパワーメント、つまり作り出す力そのものを育てるっていうことなんです。
外部から完成品を与えるんじゃなくて、現地の人々が自らの手で自分たちの文化とか物語を誰もがアクセスできる形に変えていく。だからこそ持続可能なんです。本当に美しいモデルケースだと思いますね。
歴史の教訓と文化の防衛
自分たちの文化を自分たちの手で未来に繋いでいく。なんだかその活動が持つ意味の重さを感じます。なぜそこまでして本を守って届ける必要があるのか。
その答えがインタビューで語られていたカンボジアのあまりにも悲しい歴史にあると。
1970年代のポルポト政権時代ですね。カンボジアでは原始共産主義という極端な思想の下で知識とか教育が徹底的に否定されたんです。
都市の住民は農村に強制移住させられて、教師、医者、作家といった知識人たちは敵とみなされた。そしてその9割が処刑されたと言われています。本は燃やされた。まさに短所控従です。
知識を持つこと自体が罪になった時代。
その結果何が起きたか。内戦が終わって1979年に首都のプノンペンが解放された時、カンボジアの国立図書館に残っていた本はたったの500冊だったそうです。
500冊ですか?国立図書館に?それは本が好きな人の個人の書斎よりも少ないじゃないですか。一刻の文化遺産がほぼ完全に破壊されてしまった。言葉を失いますね。
本当に。その事実を知ると、現代において本をデジタル化してクラウドに保存するっていうことの意味が全く違って聞こえてきませんか?単なる利便性の話じゃないんです。物理的な破壊とか紛争から文化を守るためのいわばリスク分散。これは文化の防衛策なんですよね。
文化の防衛策ですか。なるほど。そしてそのアジアでの壮絶な経験を通じて培われたノウハウが時を経て日本のノト半島地震の被災地で活かされている。この繋がりに僕はすごく心を動かされました。
それがブックカフェという活動ですね。焚き出しの会場とか避難所の片隅にテントを張ってカーペットを敷いて誰でも自由に本を読んだりお茶を飲んだりできるそういう空間を作る。
ああ、単に本を配るっていうのとは違うんですね。全く違います。これは本を読む場所の提供という以上に被災して心身ともに疲れ果てた人たちが少しだけ日常を取り戻して心を落ち着けるための居場所作りなんです。インタビューで語られていたあの涼しでのエピソードがそのことをすごく象徴していました。編み物の本の話でしたね。
そうです。ある女性が家が全壊してしまって瓦礫から奇跡的に持ち出せたのが趣味だった毛糸と編み棒だけだったと。でも何もやる気が起きなくてそれを仮設住宅の隅に置いたままただ呆然と過ごしていた。
そんな彼女がふと立ち寄ったブックカフェで一冊の編み物の本を見にしたそうなんです。その瞬間、あ、自分はこれがしたかったんだって涙が溢れてきたと。失いかけていた自分の夢とか情熱をその一冊の本が思い出させてくれたんですね。
いやー、それはすごいエピソードですね。ただ本を読んだっていうだけじゃない。本がその人自身を取り戻すためのスイッチになったっていうことですよね。被災というあまりに大きすぎる出来事の前では自分の気持ちを言葉にすることすら難しくなる。その言葉にならない心のモヤモヤに本がそっと名前を与えてくれるみたいな。
まさしく。物語の中の誰かの言葉が自分の今の感情を代弁してくれたり、一枚の写真が忘れていた大切な何かを思い出させてくれたりする。家を失い、日常を失い、自分の物語を描くための真っ白なキャンバスさえも奪われてしまった人々が一冊の本との出会いをきっかけに、もう一度自分の物語の続きを描き始める。
それは編み物かもしれないし、誰かとの何気ない会話かもしれない。本がそのためのささやかでしかし決定的なきっかけになっているんです。
エファージャパンが掲げている全ての子どもたちが可能性と創造性を発揮し、自分物語を描ける社会というビジョン。これがまさに被災地の大人たちの姿にも重なりますね。
本当にそう思います。子どもも大人も関係なく、誰もが自分の物語の主人公であるはずですから。
さて、今日の話を振り返ってみると、本のキガというこれまであまり意識してこなかった問題から始まって、それを乗り越えるためのダイシーというテクノロジーと、何より現地の人々自身が作り手になるエンパワーメントという考え方。
そして、カンボジアの悲劇から学んだ文化を守ることの重みと、ノトの地で見えた人の心を癒す本の力。すべてが一本の線でつながっているのがよくわかりました。この活動に心を動かされた方は、ぜひエファジャパンで検索してみてください。活動がよくわかるメールマガジンや、月々1000円から参加できるエファパートナーという支援成分もあるそうです。
言葉の再発見
最後に、リスナーの皆さんにも一つ考えてみてほしい問いが浮かびました。インタビューでは、被災した人が大きなショックで、自分の感情を表す言葉、そのものを失ってしまうことがあると語られていました。そして本は、その失われた言葉をもう一度その人に与えてくれる媒体になり得ると。
これを踏まえて少し視野を広げてみると、私たちの周りには、食料の飢餓だけじゃなくて、言葉の飢餓、つながりの飢餓、あるいは誰かに理解されることへの飢餓みたいなものがたくさん存在するのかもしれない。そして共有された一冊の本のような、ごくシンプルに見えるものが、実はそうした様々な飢餓を満たす大きな鍵になるんじゃないか、そんなことを今日改めて感じましたね。
11:59
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