サマリー
このエピソードでは、普代村での物理的な不便さが新たな視点やアイデアを生む過程について語られています。特に、デジタルテクノロジーの制約や人間関係の価値について深く考察され、効率性よりも人との繋がりや創造性が重視されるべきだと示唆されています。
普代村の不便さ
今回はですね、ある方の個人的な体験から見えてきた、テクノロジーと、あとコミュニティ、そして物事の見方っていう、ちょっと深いお話をしてみたいと思います。
テーマは、不便さ。この不便さの中からどうやって新しい視点が生まれてくるのか、さあ一緒にその旅を追いかけてみましょう。
はい、で早速なんですけど、このスライドがね、まさに今回の話のすべてを物語ってるんですよ。
左側、これがいわゆる都会の当たり前。Wi-Fiはいつでもどこでもつながるし、スマホのアプリなんて、まあ動いて当然ですよね。
でも右側を見てください。これが地方の現実。インターネットにつながらない、オフラインが普通で、なんかこう物事がスムーズにいかない摩擦、みたいなものが、もう日常茶飯事なんです。
この都会と地方のデジタルの常識のギャップ、ここから今回の話は始まります。
でその物語の舞台となるのが、岩手県にある普代村という場所です。
都会の便利すぎる生活から離れて、この村での暮らしを始めたことで、今まで当たり前だと思ってたことが、もうことごとく覆されていくんですね。
これね、ただ景色が綺麗な田舎に引っ越しましたっていう話じゃないんです。
普代村では、生活に必要なもののほとんどが村の中では手に入らない。だから隣の九字市までわざわざ買い出しに行かなきゃいけないんです。
つまり、毎日の生活の組み立て方そのものが、もう根本から変わっちゃうってことなんですね。
そこで、まず最初に直面する大きな摩擦。これがね、いきなりデジタルの話じゃないんですよ。もっとリアルな物理的な問題でした。
そしてこの問題を通して、その地域のインフラがどうなっているのかっていうのが、すごくクリアに見えてくるんです。
いやーこれ見てくださいよ。このスライド、めちゃくちゃわかりやすいと思いません?
買い物に行くのに、まず普代駅まで歩いて、本数の少ない電車を待って、九字市に着いたら、そこからさらにバスに乗るか30分歩くか、トータルで1時間以上。
でも車だったらたったの30分。いやもうこれを見たら、地方で車がないと生きていけない必要品だってことが一発でわかりますよね。
つまりどういうことかっていうと、もう町全体が、みんな車持ってるでしょうっていう前提で作られちゃってるんですね。
だから本来町の中心であるべき駅が、全然その役割を果たしていない。だってショッピングモールが駅から歩いて30分もかかる場所にあるんですよ。
これって、人が自然と集まってばったり誰かと会ったりする、そういうコミュニティの機会を知らず知らずのうちに奪っちゃってるのかもしれないですよね。
さて、こういう物理的な世界の不便さとか断絶が、じゃあ今度はデジタルの世界でどういうふうに見えてくるのか。
新たな視点の発見
ここからがね、またすごく面白いんですよ。
これ実際にトンネルだらけの三陸鉄道に乗ってみると愕然とするんですけど、僕らが普段使ってるアプリの、いかに多くが常にネットに繋がってることを前提にしてるかってことなんですよ。
例えば、事前にダウンロードしておいたはずのポッドキャストがなぜか聞けないとか、Nintendo Musicを開いたらオンライン確認が必要ですって言われたりとか、スマホゲームなんてほとんどがタイトル画面で固まっちゃう。
もうね、開発者の中にオフラインっていう世界が全く想像されてないんですよね。
でもそういう一般的なアプリの問題はまだ序の口で、この都会と地方の二拠点生活っていう特殊な状況で、最も個人的にうわーこれはきついってなったのが、nasneっていう機械だったんです。
これ知らない方のために説明すると、家のテレビ番組を録画して、それをスマホとかで外からでも見られるっていうめちゃくちゃ便利なやつなんですけど、ここに大きな落とし穴があったんです。
このnasneにはある重要なルールがあるんですね。それがペアリングっていう作業。
要はセキュリティのためなんですけど、定期的に家のWi-Fiにスマホをつないで、はいこのスマホは使ってOKですよーっていう認証をしてあげなきゃいけない。
ずーっと同じ家に住んでるなら、これって全く問題ない、むしろ当然のセキュリティ対策ですよね。
でも、数百キロ離れた2つの拠点を行ったり来たりする生活だと、これがもうとんでもない壁として立ちはだかるわけです。
いやーもうね、ここで完全に心が折れるわけですよ。
普代村に行く前に、たった一つ、本当にたった一つだけ、家のWi-FiでiPhoneのペアリングを更新するっていう作業を忘れた。
ただそれだけ。そのほんの些細なうっかりで、普代村で楽しみにしていた録画番組が全部見られなくなるんです。
この理不尽さ伝わりますかね。
でも面白いのがここからなんです。ここがこの話のターニングポイント。
ただの不便だムカつくっていう不満の記録だったはずが、ここから新しいチャンスを見つけ出す旅へとガラッと変わっていくんです。
そうなんです。ただイライラして終わりじゃなかった。
ここで考え方がシフトするんですね。
今まで感じてきた数々の摩擦、これを単なるシステムのバグとか欠陥として見るんじゃなくて、ひょっとしたらこれはこういう暮らし方の特徴なんじゃないかと。
そういうふうに見方を変えてみるんです。
で、そうやって視点を変えたら具体的なアイディアが生まれるんですよ。
きっかけはバスとか電車のあのめちゃくちゃ見づらいPDFの時刻表。
毎日毎日それとにらめっこしながら、ああもうなんでこんなわかりにくいの。
これを一発でパッと見上げるアプリがあったらどんなにいいかって思った。
まさにこれこそが不便さのど真ん中から生まれたアイディアの種だったんですね。
これってすごくパワフルな気づきだと思うんですよ。
僕ら、イノベーションとか新しいアイディアって、なんかこうすごく恵まれた環境から生まれるって思いがちじゃないですか?
でも本当は逆なんですよね。
なんでも揃ってる完璧な世界からは何も生まれない、何かが足りない、もっとこうだったらいいのにっていうその切実な思い、
渇望こそがすべてのアイディアの出発点になるんだってことです。
人との繋がりの重要性
そして面白いことに、この不便益とでも言うべき視点の変化はテクノロジーの話だけじゃなくて、今度は人と人との繋がり、人間関係にまで広がっていくんです。
例えば、ポッドキャストを配信していても、オンラインでのコメントとかフィードバックって期待するほどは来ないんですよね。
じゃあどうする?ってなった時に答えはシンプルだった。
デジタルで反応がないんだったら、もう直接会いに行っちゃえと。
一見するとものすごく手間がかかるし、非効率に見えますよね。
でもこのアプローチが、結果的にもっとずっと価値のあるものを生み出すことになったんです。
じゃあ実際に会いに行くと何が起こるのか。
まず相手は、わざわざ会いに来てくれた、自分のことを覚えていてくれたってすごく喜んでくれる。
でこっちはこっちで、ネットのコメント欄じゃ絶対聞けないような生の、フィルターのかかってない本音のフィードバックがもらえる。
新しいコミュニティや場所を発見することだってある。
そうやって、画面越しじゃない本物の人の繋がりがそこから生まれていくんですよね。
さて、ここまで一連の体験談を追いかけてきましたけど、じゃあこの塞田村での暮らしから見えてきたことって、
僕たちのテクノロジーとの付き合い方とか、世界との関わり方について一体何を教えてくれるんでしょうか。
その答えが多分これなんじゃないかなと思います。
僕らはつい何でもスムーズに、効率的に進むことを良いことだと思いがちですよね。
でも、実は人生における摩擦とか不便さ、そういう一見ネガティブなものこそが、新しいアイディアを生み出したり、人間らしい温かい繋がりを作ったりする一番のエネルギー源なのかもしれない。
不便だから頭を使って工夫する。
オフラインという制約があるからこそ、もっと良いデザインを考えなきゃいけなくなる。
そして、画面越しのたくさんのいいねよりも、たった一人の人と直接会って話すことの方がずっと価値がある。
結局のところ、不便さは僕たちに、ただなんとなく生きるんじゃなくて、自分で考えて、意図を持って行動することの大切さを教えてくれるんじゃないでしょうか。
というわけで、最後に皆さんにこんな問いを投げかけて、この解説を終わりたいと思います。
あなたの毎日の中に潜んでいるバグ、つまり、なんか不便だな、これどうにかならないかなって感じること。
それってもしかしたら、ただの不満じゃなくて、新しい何かを生み出すための、変装したチャンスなのかもしれませんよ?
さて、それは一体何でしょう?ぜひ考えてみてください。
今回の解説は以上です。ありがとうございました。
09:12
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