最適解を見つける重要性
さあ、始まりました。タダの箱庭ラジヲ。本屋では買えず、増冊もされない、読み手から読み手へとギフトされる、1万冊の箱庭本についてお話ししていきたいと思います。
ということで、今回のテーマは、正解ではなく最適解を見つける、というお話です。
どうですか、皆さん。正解と最適解って同じようで、やっぱ違うんですよね。今日はその違いを考えさせられるエピソードを1つご紹介したいと思います。
主人公は次世代型ITスクール、ITinsLabを運営する近藤さんです。
近藤さんは正解ばかりを追い求めることが、かえって成長のチャンスを逃してしまうと考えています。
そんな彼が教えるのは、正解を見つけることではなく、その時々に応じた最適解を見つける力なのかもしれません。
例えば彼のスクールでは、生徒たちがそれぞれ異なるペースで学んでいっているそうです。
全員が同じ道を歩く必要はないし、同じゴールを目指す必要もないんだそうです。
大事なのは、自分に合った学び方を見つけること。
ある生徒にとって最適解が、他の生徒にとっては最適ではないかもしれません。
これは教育やキャリアに限らず、人生全般に言えることですよね。
誰もが同じ正解を目指していると、見えないプレッシャーや競争に晒されがちです。
教育における個性の重視
でも、それが本当に自分にとって最適な道かどうかは誰にもわかりません。
近藤さんが大切にしているのは、一般的な学校教育のような一つの正解を教えることではなく、
その時々の状況に応じて、これが自分にとってベストだと思える選択をしていける自分になること。
彼の言葉を借りると、合理性はその時々で変わってくるそうです。
つまり、一つの正解に縛られず柔軟に考え、その時々で最適な答えを導き出す力が、
今の子供たちにとって一番必要だと考えているわけですね。
例えばある時、生徒に向かって、この方法が他の子には合っているかもしれないけど、
君には違う方法が合うかもしれないよ、なんてアドバイスすることもあるそうです。
大事なのは、これが正しいと教えつけるのではなく、
それぞれの個性や状況に合わせた最適解を一緒に見つけることが教育者としての仕事なんだと考えているそうです。
これを聞くと、私たちも日常で正しい答えを追い求めすぎているのかもしれないなと感じさせられます。
常に間違っていないかと心配するよりも、その場で自分にとって最適な道を選ぶ勇気が大事なのかもしれません。
近藤さんのアプローチは、効率や成長を最大化するための方法でもあります。
ですがその根底には、その人自身に合った最適な道を見つけるという考え方があるんです。
学校の成績や仕事の評価、他人と比較して何が正しいかっていうね、
正しい選択をしなければならないというプレッシャーに縛られすぎてしまうと、
本当に自分が何をしたかったのか、本当に何が自分に合っているのかを見失ってしまうことがとても多いように思います。
皆さんも何かに迷った時に、正解を求めすぎていることはないでしょうか。
時には周りの期待や一般的な基準に常識とかですね、人の目とかにとらわれず、
本当に自分にとって最適な選択は何なのか。
それはですね、本当に一つではなく、その時々で変わるものだと思うんです。
損得感情にとらわれると、本当に大切なものが見えなくなってしまうことがあります。
例えば、挑戦することで得られる経験や成長の喜び、他者との信頼関係などは数字では測れない価値ですよね。
それを損するかもしれないと感じてやらなかったら、きっと私たちは人生の多くの喜びを見逃してしまうことでしょう。
だからこそ、正解を求めるのではなく、その瞬間瞬間に自分にとって最適な解を見つけることが、
私たちにとって本当に意味のある選択だと言えるのかもしれません。
そしてそれがたとえ他人にとっては、あなたそれ損だよと見えるものだったとしても、
自分の成長や満足感を得られるなら、それこそがもしかしたら最適な答えにつながる道なのかもしれません。
人生の選択と成長
まあ僕自身ですね、いわゆるキャリアとは本当に無縁の人生を歩んできていまして、
いい学校に行って、いい会社に入って、いっぱいお金稼いで修正してというのが、
まあ本当に社会的にも一般常識的にもですね、正解だとされていた時代に、
勉強もせずにですね、ヒッピーに憧れて日本中、世界中を旅をしながらですね、
本当に全然正解とは程遠い人生を歩んできました。
旅をずっとしていたんでね、やっぱ同級生とか同窓会とかね、会ったりした時も、
もう一人だけロン毛で髭生えてて、汚い服着て、みんなスーツ着てね、なんか修正したとか、
そんな話をしている中でですね、なかなか肩身の狭い思いをしたりとか、
うちの親はね、好きなことしろっていう親だったんで、こうなってしまったんですが、
やっぱ古い考えを持っているじいちゃんとかばあちゃんはですね、
僕が地元に年に1回帰るか帰らないかだったんですけど、帰るたんびにですね、
もう本当、いい加減髭を剃って自衛隊に入ってくれとよく言われていましたけど、
そういうのも聞かずに、自分にとっての最適解、それが何なのかっていうのを確かに常に考えて生きてきたように思います。
それがね、正解だったのかっていうのは本当は僕にもわかんないですし、
誰にもわかんないのでね、それがいいよなんていうのは僕も言えないんですけど、
そんなね、むちゃくちゃなはちゃめちゃな人生を送ってきたので、ある時にはですね、
僕みたいに、僕も子供が3人いるので、僕が勉強するなという教育で父親から育ったのでですね、
あなたの子供もそうやって勉強させないんですか?なんて聞かれることがあるんですけれども、
それが僕にとっての最適解だったとは僕自身も思ってるんですけれども、
それが自分の子供にとって最適解かどうかっていうのは僕も言えないので、
勉強するなとも言わないし、勉強しろともあまり言わないです。
なのでですね、うちの子供はじゃあどう育ってるのかっていうとですね、
学校行かない時もあったりとかですね、本当それその時々自分で考えて学べるように、
だからこうやっぱり答えを教えるというより、この近藤さんと同じようにですね、
その時々の自分の答えを自分で見つけられるようにともにそばにいるというような関係性を築いていっているように思います。
具体的に何か言うと、何かありますかねうちの子で、
小学3年生か4年生の時だったかな、長男がですね、みんなでプール掃除してたんですよ。
僕らちょっと最果て村というちょっと変わったね、自分たちで村を作って暮らしていたので、
その村にあるプールをよく掃除するんですよ、夏場ですね。
みんなしっかり掃除する子もいれば、全然遊んで掃除しない子もいる中で、
うちの子何してるのかなってパーッと目を向けたら、一人でずっとプールの真ん中で遊びもしなければ掃除もせず、ずっと空を見上げてるんですよ。
なんで一人でずっと空見てるのかなって思ってたらですね、急に誰に別に言うわけでもなく、一人でですねハッとして、
空を見上げながら、わかったって叫んで、ここ地球の真ん中だって叫んでたんですよ。
誰もそのことにね、別に気にもしてなかったんですけど、
僕はですねその時、それだーっつって、そこがね、お前にとっての地球の真ん中だーって僕もね叫んでしまったことがあって、
それはある種なんて言うんですかね、正解なのかもわからない答えなんですけれども、
でもその瞬間彼が空を見上げて地球の真ん中だと感じた、その感覚っていうのはとても素晴らしいものだったんではないかと今でも覚えているエピソードでございます。
はい、皆さんもですね何かに挑戦する時だったり、人生のキャリアだったり、子供の教育だったり、いろんなことに悩んだりするかと思いますが、
常識や正解に固執せずにですね、自分にとっての最適解が何なのかと探してみてはいかがでしょうか。
ゴールよりも大切なものがそこにはあるかもしれません。
というわけで、今回はアイティーンズラボ近藤悟さんのエピソード、正解ではなく最適解を見つけるをご紹介させていただきました。
それではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。