1. 耳で旅する週末-ミミタビ-
  2. #55 耳で旅する会津(夏の思い..
2025-09-05 27:26

#55 耳で旅する会津(夏の思い出編)

夏の思い出編として、今日はちょっとマニアックな会津を音と一緒に紹介します。

お盆も仕事してた/鹿に育てられた空也上人/会津に伝わる念仏踊り/先祖の魂に一服つける/東山温泉の盆踊り/川の櫓の上で芸妓が歌う/謎の小原庄助/避暑地にある五色沼/裏磐梯を植林した男/遠藤現夢の巨石の墓


🎧️カバーアート
空也念仏踊り@八葉寺


✈︎エピソードで紹介した場所
・八葉寺
https://www.aizukanko.com/spot/161
・東山温泉
https://www.aizu-higashiyama.com/
・五色沼散策路
https://www.urabandai-inf.com/?page_id=141


📩番組へのメッセージ
https://forms.gle/z9fpTQrS9SWwtJ6R7


耳で旅する週末-ミミタビ-
働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

サマリー

このエピソードでは、耳で旅する会津の夏の思い出を振り返ります。藩の文化や伝統行事である藤木沢参りと盆踊りを通じて、特に空夜聖人の教えに基づくそのルーツを探求します。会津の風景や音を交えながら、リズミカルな供養のあり方や地域の祭りの歴史にも触れています。また、会津の東山温泉で行われる盆踊りの歴史や文化が紹介され、その独自性が語られます。浦万代の五色沼の美しさや明治時代の噴火による歴史的背景、さらに植林を行った遠藤玄武の功績についても言及されています。会津の夏の思い出を語りながら、鶴賀城とバンダイさんという観光シンボルの重要性について考察しています。

夏の思い出と地元の音
耳で旅する週末-ミミタビ-のお時間です。この番組は、働くあなたの週末に耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。
ことで、恋で耳で次の休みに行きたくなる、そんなエピソードをお楽しみください。
Ryotaです。今日は、耳で旅する会津-夏の思い出編-をお送りします。
はい、ということで、これまで過去6回ぐらいゲスト会をやってきました。
ジェズキッシュドロシーのマスター大堀さんと、音楽学の発起人ミトメさんですね。
3回ずつ出ていただいて、計6回かな、ゲスト会をやっていたので、7週ぶりに1人で収録をしています。
ゲスト会、いかがだったでしょうか。
僕としては、酒場とか、あるいはお酒とか、音楽とか、宗教とか、というのは旅の中に深まれているものだし、旅というのは生活の中の一部だと思っているので、
今後もこういう機会があれば、いろんな方の生き方とか暮らしとかを旅というような広い解釈で捉えて、
お話をしていく回とか、引き続きやっていきたいなと思っています。
はい、ということで、今日は一人で何をしゃべろうかなって考えていたんですけど、
今日は2025年夏の思い出を音とともに振り返っていこうと思います。
今年、すごい暑かったじゃないですか。これが撮っているのが8月末ですね。まだまだ全然暑い日が続いているんですけど、
この暑い夏、いかがお過ごしだったでしょうか。
僕は職場合宿博業なので、夏の間もお盆を含めてずっと仕事の反応期になるということで、
あんまり遠出をしないでずっと地元で仕事をしていました。
いつもの夏よりも暑い時間が、時期が長いから、いつも以上に疲れた夏だなというふうには思いますね。
やっぱり暑いってだけで同じことをしていても疲れますよね。
まあまあまあ2025年、そんなすごく暑かったなと思えば急に大雨が降ったりというような夏だったんですけど、
今日は耳で旅する会津ということで、僕が暮らしている地元の音を交えて、
空夜聖人と念仏踊り
ちょっとマニアックな会津を紹介していく企画ということでやっていきたいと思います。
仏教には聖名念仏あるいは念仏踊りという、わかりやすく言うと盆踊りのもとになっているものがあるんですね。
これ有名なのは一辺とか法念というお坊さんの方なんですけど、
歴史上日本で一番最初に聖名念仏、ミヤムダ仏と唱えるということを広めたのは空夜聖人と言われています。
この空夜聖人、民心を巻き込んでいくんですよね。
その時にそのリズムをつけて唱えるということで念仏踊りというのに発展していきます。
空夜聖人というのは平安時代の半ばの人物で、銅像が結構有名で、空夜聖人像というのが結構有名で、
口から小さなアメダニュライが6体、漫画の吹き出しみたいな感じで飛び出してるんですよね。
これね、たぶん見たことある人いるんじゃないかなと思うし、
結構本当に見ると漫画の吹き出しみたいに口からアメダニュライが6体飛び出している。
ある意味これは浪夜無駄仏と唱えている結果、アメダニュライが飛び出しているということだと思うんですけど、
どういう人だったかというと結構出生は謎の多い人物で、
第五天皇、天皇の子供だったという施設もあるみたいなんですけど、
私立としてどうだったかというのはわかっていない。
幼少期に捨てられて、京都の倉間山で動物の鹿に育てられたという説までありますと、
空夜聖人って杖を持ってるんですよね。いつも杖をついて歩いてるんですけど、
その杖の上に鹿の角がついていて、伝説によるとこの鹿の角っていうのは、
倉間山で空夜聖人を育ててくれた鹿の角っていうふうに言われているらしいです。
ちょうど先週の金曜ロードショーがもののけ姫だったっていうこともあって、
鹿に育てられたっていう伝説まである空夜聖人、結構すごい面白いなっていろいろ調べながら思ってました。
これすごい方で、全国の諸国を回りながら、当時って結構その死体とか燃やしたりしないで、
その辺に捨てられる、道端に捨てられるっていうことが多かったみたいなんですけど、
そういった死体を集めて火葬したり、骨を集めたりして、弔いでですね、供養をしていたっていう、
地道に歩いてそういった活動をされたっていうことで、
民衆からすごく尊敬を集めた方っていうふうに言われています。
この藍津若松市には、藍津公家さんとも呼ばれている八葉寺っていうお寺があります。
八葉寺っていうのは、八つの葉っぱ、八の葉っぱの寺と書いて八葉寺って呼ぶんですけど、
このお寺は964年に空夜聖人によって創建されたと伝えられています。
この八葉寺で、8月1日から7日までの間、
藤木沢参りっていう国の重要無形文化財になっているお盆行事をしているんですね。
お盆行事だから、先祖の魂を迎えるっていうのが趣旨になっているんですけど、
これさっき言ったように、念仏踊りっていうのは盆踊りのルーツになっている、原型になっているっていうこともあって、
そういった供養のお盆行事の先祖の魂を迎える一環として、今でもこの八葉寺では、
沈根の念仏踊り、空夜念仏踊りっていうのが続けられています。
盆踊りの歴史と伝統
ナモーダ、ナモーダ、ナモーダ、ナモーダ・・・
やっぱり、繰り返されるんですよね。リズムとか節とかが何度も繰り返されていて、
テクノミュージックのリズムの反復があるし、トランスっぽい音で、
実際に聴いてみて思ったのは、そういうのってすごく宗教的だなって思いました。
この音楽のリズムと節っていうかさ、ナモーダって言ってるじゃないですか。
これがナミヤムダ仏なんですかね。ちょっとここがよくわかってないんですけど、
このナミヤムダ仏っていう唱えて、これやっぱりリズムをつけて踊ってるっていうのが、
やっぱりいいんだろうなということで、このお盆にご先祖様が帰ってくるっていう考え方があると思うんですけど、
やっぱり楽しそうにしてるってのが大事みたいで、このリズムをつけてナモーダって歌ってるのが楽しそうですよね。
結構リズミカルでね。
この八王子には茶の湯の場所って書いて、茶灯場っていうお堂があったんですけど、
そこで念仏を唱えながらご先祖様にお茶を入れてくれるっていうことをしてくれました。
このお茶を入れてくれるっていうのは、帰ってきているご先祖様の魂に一服つけてもらうみたいな意味合いがあるみたいで、
ちょうど念仏をあげてくれてる時に風が吹いたんですよね。
ちょっと山の上というか坂を登った、階段を登ったところで、暑い中だったんですけど冷たい爽やかな風が吹いてたんですよね。
そしたらお経をあげてくれた僧の方が、「いい風が吹きましたね。ご先祖様も喜んでくれてるかもしれないですね。」って言ってくれて、
そういうのを聞くと、本当に自分のおじいちゃんやおばあちゃんがこの場所に本当に帰ってきてくれているのかなって、
そういうふうに思わせてくれる時間で、とてもいい時間でした。
夏といえば盆踊りなわけですよね。
僕はあんまり盆踊りって参加したことないんですけど、もう10年前ぐらいですかね、前職の前勤めていた会社の職場で、
毎年9月の3週目とかに行われている会津祭りっていう、会津の中でも一番大きいお祭りがあるんですけど、
そこで会社として職場として参加した会津祭りで踊った会津バンダイさんが唯一の経験なんですけど、
僕は高校時代にバンドでドラムをやっていたり、ブラスバンドでパーカッションをやっていたんですけど、
楽器をやっていた割にはリズム感が悪くて、10年前ぐらいの会津バンダイさん初めて踊ったときも、
全然うまく踊れなくて、そういうぐらいの思い出しかないんですけど。
このさっき言ったように盆踊りっていうののルーツ、起源が空谷松任の踊り念仏って言われていて、
お盆時期の先祖供養、念仏踊りっていうのは、結果として庶民の娯楽にもなっていくんですよね。
宗教儀礼、先祖が霊として帰ってくるときの宗教儀礼であったりもしたんですけど、
リズミカルで楽しいから、庶民の娯楽として、祭りとか男女の出会いの場として盆踊りっていう形で、
今も続いていってるっていうのが、この念仏踊りあるいは盆踊りの歴史っていうことになるみたいで。
やっぱりこの先祖が霊として帰ってくるときに、今生きている現代の我々が楽しそうにしてるっていうのはすごく大切だったみたいで、
この祭りで、そのお盆時期にみんなで楽しく過ごすっていうのは、ご先祖様にとっても安心するというか、
帰ってきたくなるような場所になるっていうような考え方で、このずっと盆踊りっていうのは続いてるし、今でもいろんな全国のお祭りで盆踊りやってると思うんですけど、
今の藍津地域って盆踊りって言うと、大体藍津万代さんなんですよね。
この藍津万代さん、もともとはいろんなパターンがあったみたいで、観賞踊りって呼ばれるものであったりとか、
地域によっても、節とか歌詞とかがちょっと違ったりもしたんですけど、大体そのメディアが発展すると同時に、
その藍津万代さんっていう一つの歌謡曲というか、曲として定番になった形に増し上がっていくっていう歴史があるみたいで、
東山温泉っていうのが藍津若松市にあって、その藍津若松あるいは江戸時代の藍津藩の奥座敷って呼ばれていた温泉街で、
鶴賀城、藍津の中心部からもね、車で10分15分ぐらいで行けるような便のいいところに東山温泉っていうのがあるんですけど、
東山温泉の盆踊りの歴史
東山温泉の盆踊りっていうのは、川の上に矢倉を組んで行われているんですね。
歴史的には、第二次世界大戦中の1944年とかかな、44年か45年ぐらいに、
戦時中に都内から疎開してきた子供たちっていうのがいて、その子供を元気づけるために始まったっていうのが東山温泉の盆踊りの歴史みたいですね。
この藍津の東山温泉には今も芸妓文化っていうのが残っていて、矢倉の上で芸妓の方が藍津万代さんを歌うんですよね。
その節に合わせて、川の上に組んだ矢倉の周りを、橋とその周りを回って踊るっていうのが定番になっています。
かっこいいんですよね、この芸妓の方が歌う藍津万代さんのフレーズ。
この小原翔介さんっていう方が出てくるんですけど、これね、結構歴史的には謎の人物みたいで、
藍津万代さん知ってる人だったら、この小原翔介っていう方の名前は聞いたことある人多いと思うんですけど、この小原翔介って実はこの藍津万代さんにしか出てこない人で、
歴史上どういう人だったかっていうのはよくわかってない人物ですね。
ただこの朝から晩までね、温泉入って酒飲んで心象を潰した、財産を失ったっていうフレーズで歌われてるんですけど、
温泉街でね、盆踊り踊ってお酒飲んでね、温泉入って寝てるとね、やっぱりね、いいんですよね。
まあいいっていうのはどういうことかって感じなんだけど、なんだろうな。
一つの生き方のロマンとして、小原翔介さんっていうのはやっぱり歌い継がれてるなと思ってて、
やっぱね、このフレーズがね、この藍津万代さんを今でもすごく特別なものにしているフレーズだなというふうに思いますね。
今、多分来年も東山温泉の盆踊りやってると思うんで、
これね、盆踊りだけどもお盆時期はちょっとずらしていて、8月の第1週に今は開催してます。
だいたい4日間の開催で。
結構ね、楽しんで東山温泉の旅館に泊まりながら盆踊りですね、参加してみるのもいいんじゃないかなと思います。
五色沼の自然と歴史
僕ね、運動不足で今年はね、結構いろんなところのウォーキングコースというか散策をしようというのがテーマで、いくつか出かけたんですよね。
僕ずっと運動不足で、仕事もね、基本パソコン使ったジムだからあまり動くこともないんですけど、
特にね、夏なんかはちょっと動いたりするんですけど、3日に息が降り始めると全然体を動かさなくなって、毎年年々運動不足っていう感じで。
昔はね、20代の終わり頃は鶴ヶ城マラソンに出てハーフマラソンとか走ってた時代もあるんですけど、今はね、全く全然運動してないっていうのは数年を送っております。
ただ今年は運動不足を解消したいなということで、このポッドキャストでも配信してるんですけど、
山形市にある山寺と西藍津町にある大山積神社とかね、いくつかこのポッドキャストでも配信したエピソードっていうのは、実は運動不足の解消っていう名目もあったんですよね。
で、この夏行ってきたもう一箇所っていうのが浦万代の五色沼っていうところです。
今年ってやっぱ猛暑だったから筆書地が人気だったみたいなんですよね。
で、福島県の筆書地っていうと浦万代っていうエリアがありまして、この浦万代がどこにあるかっていうと、万代山、藍津万代山の裏側に広がっている自然豊かなエリアになっています。
で、この万代山の裏側、要するに標高線816メートルある山なんですけど、東北道経由で万越道っていう高速道路で会津を向かうと万代山の表側が見えるんですね。
この表側をいわゆる表万代って呼んでいて、その高速道路から見えない反対側が浦万代っていうふうに呼ばれています。
万代山は明治時代に噴火していて、噴火によって浦万代側が山体崩壊で山崩れが起こっているんですね。
山自体が崩れていると。
その時にそれまでの自然景観が打って変わって湖生群、湖とか沼の群ができる湖生群になっています。
この湖生群を五色沼湖生群って呼んでいて、いわゆる五色沼って呼ぶんですけど、この五色沼を歩ける場所が散策路になっていて、そこが今ミシランのグリーン街道の一つ星になっているんですよね。
この湖生群には、五色沼にはたくさんの沼があって、それが赤沼、緑沼、瑠璃沼、青沼とかって呼ばれているものがあるんですけど、その沼によって色がちょっとずつ違うんですよね。
その色が綺麗で、例えられるのがエメラルドグリーンとかコバルトブルーとかタイコーズブルーとかパステルブルーとかっていう風に、色がすごく綺麗な色になっていると例えられるんですけど、ここが本当にスニーカーとかでも気軽に散策できる良い感じのウォーキングコースになっています。
これの綺麗な沼があるだけじゃなくて、明治時代の噴火の時に飛んできた巨大な岩っていうのが今も残っていて、その岩なんかもすごく見ごたえがある散策路になっています。
この明治時代のバンダイサンの噴火っていうのは本当に生産で痛ましいものだったみたいで、明治以降記録に残る火山による被害としては日本では最大のものだったという風に言われています。
噴火によって3つの集落が埋没して477名の方が亡くなったとも言われています。
結構やっぱりすごい大噴火だったということで、日本における火山研究が盛んになったきっかけにもなっていて、裏バンダイにもバンダイサン噴火記念館というのが作られていて、
遠藤玄武の植林活動
このバンダイサンの地震だけじゃなくて、世界中の噴火の、世界の火山の噴火の仕組みとか種類が解説されていて、ビジュアルでもわかりやすく面白く見せてくれているので、夏休みに子供連れで訪れたりしても楽しいかなと思います。
そんな感じで今でこそ裏バンダイというのは木々が茂って自然豊かになっているんですけど、さっき言ったようにこの三大崩壊によって一度は裏バンダイ側の自然というのは緑というのがなくなっているんですよね。
消えてしまっていると。それを復活させた人というのがいて、それが今日紹介する遠藤玄武という人なんですね。
遠藤玄武。玄武というのは現実の夢って書いて、遠藤玄武って言うんですけど、この人が何をしたかというと植林なんですよね。植林、要するに木を植えることっていうのをやって、これね多分あんま遠藤玄武ってそんなに知られている人じゃないと思うんですけど、
藍津の歴史においても僕は最も偉大な人物の一人じゃないかなと思っていて、この人は裏バンダイとあと鶴賀城を植林したことで知られているんですね。鶴賀城も今でこそ桜の名所ということで結構有名なんですけど、鶴賀城って母親戦争の時に、藍津軍は負けているから明治維新の時に交配して天守閣も取り壊されちゃってるんですよね。
その天守閣もなくなって、交配してしまった鶴賀城の跡地、鶴賀城跡地に千本のソメイヨシノ、桜を植えたのがこの玄武。
この遠藤玄武の植林、この2つ以外にもいくつかの場所で大規模な植林というのを手掛けているそうなんですけど、この鶴賀城に千本のソメイヨシノを植えるっていうのが遠藤玄武の植林の始まりっていうふうに言われています。
この遠藤玄武が裏番台でしたことっていうのは、三大崩壊でありちになった裏番台に10万本という途方もない数の植林をして、もう一度森として蘇らせたということ。
裏番台を植林するって、というか植林っていうもの自体が一つのすごいでかいプロジェクトだなってこれ、いろいろ調べてて思うんですけど、
10万本の苗木を集めて、噴火でね、もうだいぶ道路とか埋没して、まともな交通網も敷かれていないっていう中では植林が行われていますと、
要するにこれ費用と人を集めてそれを運用するっていう結構かなりの巨大事業だったんじゃないかなって想像するんですけど、
それを成し遂げた玄武っていうのは、事業家としても優秀で、エネルギーに溢れた人だったんだなって。
この五色沼の散策路にはそんな遠藤玄武の墓っていうのがあって、散策路からは1本奥に入らなきゃいけないからそんなに人はいかないところにはあるんですけど、
巨大な、かなり巨大な、何メートルだろう、多分3メートルか4メートルぐらいあるようなかなり巨大な火山岩、4メートルぐらいあるかな、に遠藤玄武の墓っていうふうに掘られていて、
要するにこの巨大な岩、火山岩っていうのが墓標になっていて、そもそもこの植林をすることになったきっかけっていうのが火山の噴火なわけですよね。
火山が噴火して、三大崩壊が起きて、巨大な岩があちこちに飛んだことで土地が荒廃したと。
そんな岩を墓標にしていて、なんかね、ここの場所に行くと玄武が持っていたエネルギーっていうのが伝わってきて、
僕はこの会津の中でも遠藤玄武の墓のある五色沼っていうのはすごく会津の中でも好きな場所の一つです。
この日はね、草めが降っていたんで、ちょっと雨の音も入ってるんですけど、行くとすごく静かな場所で、
玄武の墓から見るとね、玄武の生き様というかね、その生きていた頃のエネルギーみたいなのが感じられて、すごくおすすめの場所です。
はい、ということで今日は3つですね、会津のちょっとマニアックなお話ということでさせてもらいました。
年仏踊ると会津バンダイさんっていうのは、どれも8月の1週目に行われているんで、
この時期に来る方、会津に来る機会がある方がいれば、観光の一つの選択肢としていいんじゃないかなと思います。
結構その裏バンダイの五色沼には裏バンダイ一所地なんで、結構行く方多いだろうし、
会津の観光シンボル
五色沼は裏バンダイ行けば一番有名な人気のある観光地でもあるんで、五色沼へ行かれる方もたくさんいると思うんで、
ぜひね、ちょっと足を伸ばして遠藤玄武の墓まで行ってもらえればなと思います。
で、ここから雑談なんですけど、今の会津の観光の2大シンボルになっているのって、鶴賀城とバンダイさんなんですよね。
この明治期の会津に生きた人っていうのは、この2つのシンボル、鶴賀城とバンダイさんっていうのが、
鶴賀城は天守閣が取り壊されて、バンダイさんは3体崩壊で1つの峰が崩壊するっていうのを目撃していて、
結構どういう心象だったのかなっていうふうに考えることあるんですけど、
やっぱり地元を象徴するような2つのシンボルが、20年ぐらいの時差はあるんですけど、
1人の人生の間の中に、その2つがなくなってしまったというのが、どういう気分で眺めていたのかなというふうに、
今回ちょっと調べているときに思ったりもしてましたね。
ぜひ機会があれば、会津が来ることがあれば、いろいろと回ってみてほしいなと思います。
ということで、引き続きお便りも募集をしています。
ゲスト会に入る最後の前に、お便りを紹介する会を挟むと言ったんですけど、
なかなかお便りが集まってこないんですけど、ある程度たまったらお便り会として紹介させていただきたいなと思っています。
トークテーマをいくつか考えて設定しておくので、ぜひ概要欄からお便りのほうも飛んでいただいて、
そちらから何か気になるエピソードが気になるトークテーマがあれば、そちらのテーマで送っていただくか、
番組への感想などにいただければなと思います。
ある程度たまったらお便り会ということでやっていきたいなと思っているので、どうぞよろしくお願いします。
エピソードの更新情報
ということで、今週はこんな感じです。
耳で旅する週末、耳旅は毎週金曜日の18時更新です。
飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に耳から始まる物語を、
このエピソードを聞いて、少しでも気になったらチャンネルのフォローと高評価をお願いします。
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僕はこのチャンネルを旅吹き旅行好きが集まる番組にしたいと思っています。
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それでは、耳旅で良い旅を。
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