1. 耳で旅する週末-ミミタビ-
  2. #54 観音さまを拝んでいたら鬱..
2025-08-29 41:16

#54 観音さまを拝んでいたら鬱ぬけしてスペイン旅行に行った話 ゲスト:三留さん

仏教を信仰するってどういうこと?という素朴な疑問から、廃仏毀釈のない世界線を経て、サクラダ・ファミリアへと至る超雑談会。ほとがく三留さん最終回。

仏さまが見ている/自覚のない信仰/野口英世と母シカ/多様な信仰の居心地の良さ/廃仏毀釈がない世界線/思い出があれば生きていける/サクラダ・ファミリアでパーン/仏さまを持ち帰る


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耳で旅する週末-ミミタビ-
働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

サマリー

このエピソードでは、日本の仏教における信仰心や葬式仏教の役割について語られ、野口秀夫とその母の信仰心を通じて、人々がどのように信仰と向き合っているのかが考察されます。特に、中田観音に対する信仰の深さが強調され、歴史的な背景も紹介されています。信仰心の持ち方やその多様性について語られる中で、仏教の重要性や日本人の宗教観が議論されます。また、信仰心とお葬式に関する文化的背景についても触れられています。 三留さんが鬱を克服しながらスペイン旅行を経験したことが語られ、彼は観音様に祈ることで回復の手応えを感じ、バルセロナのサクラダファミリアでの感動的な体験をシェアします。本エピソードでは、仏教と鬱の関係について語られ、訪れたスペイン旅行の体験を通じて心の悩みを克服する方法が探求されます。また、仏教の講座やポッドキャストの魅力についても触れられています。

00:02
耳で旅する週末-ミミタビ-のお時間です。この番組は、旅と旅行が好きなサラリーマン、Ryotaが働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひと時をお届けします。
音で声で耳で、次の休みに行きたくなる、そんなエピソードをお楽しみください。
はい、Ryotaです。今日も先週に引き続いて、フタ学のみとめさんと、あとゆうこちゃんとまた喋っていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで、最後ね、3本目。今週はテーマ決めずに、雑談で喋っていきたいなと思います。
日本の仏教と信仰心
ちょっと僕からね、話を始めるんですけど、仏教における信仰心とはっていう話を。
それさ、振るのやめてって言ったじゃん。
これ、あの、結構ね、ちょっと何年か前から結構気になってるテーマで、で、僕は仏教面白いなと思ってるのね。
仏教面白いなって思ってるけど、それと仏像がね、まず面白いなってのもあるし、さっき言ったように、仏教界のさ、最長と特立みたいなね、スーパースターの人間関係とかね、あと歴史の変遷とかさ、めちゃめちゃ面白いなって思うんだけど、
信仰心が仏教に対してあるかって聞かれると、だからあんまりどうなんだろうみたいな感じがあって、意外と日本における仏教って、そういう側面強いなって。
まあ、みんなだいたいお葬式とかお法事とかだよね、仏教との接点とかね。
で、これがさ、そのタイとかの、なんていうの、その定座部仏教って言われてるとこ行くと、こう、信仰してるわけよ、熱心に。
いや、ほんと信じてるからね。
なんかもうその、
お前、寺の娘のお前が言うなっていう。
お祈りとかが全然違うわけよ、もう体のひれ伏すような、
五体統治。
五体統治だったりさ、インドの仏陀会とか行ったってさ、五体統治してぐるぐる回ってるわけよ。
うんうん。真剣さが違うよね。
真剣さが違う。あれは本当に信仰だなって思うんだけど、
じゃあ、俺、仏教面白いなって思ってるけど、
それ、やっぱ哲学とか歴史として、日本の歴史とか政治にももちろんかかってくるから、
そういう側面で面白いと感じてるだけなのかなみたいな。
いや、それはそれでいいでしょ。
そうですよ。
だから、逆に言うと、じゃあ仏教における信仰心ってどんな感じなのかって、日本でね。
どうなんですかね。
また、ほら、あのさ、浄土宗とか浄土神宗とかさ、天台宗とかさ、信仰宗とかさ、あるけど、
結構カラーもあるよね。各宗、曹洞宗とかさ。
そうね、みなさんでも葬式法治じゃない?あとお参り行くとで御神もらうとかさ。
御神もなんか、よくないけど、スタンプラリーみたいな。
本当は社教して、それをおそめた証としてもらうのが御神だから、
でも、みんなさ、単純になんていうのかな、信仰って言った時に、友達喋ったことがあるんだけど、
お天と様が見ているよっていうぐらいの感じでいいんじゃないっていう、
つまりなんかさ、腹減ったなと思って、店先にさ、うまそうなパンがあった時にさ、
盗むか盗まねえかみたいな時にさ、普通に生き物として考えたらさ、
食べなきゃ死んじゃうから盗むのはそれは悪か善かって言われればさ、
生き物としては善っていうか正しいわけじゃない?
でもそのお天と様の存在考えた時にさ、人様のものをさ、取って食うっていうのはやっぱり、
一個さ、踏み止まると思うんだよね。
それがまあ一つの信仰心っていうかさ、仏教に関してはさ、仏様が見ているっていう感覚がある。
で、それでその感覚があって自分の行動が左右されるっていうのは、
まあ一つの信仰心の形として、簡単なものとしてシンプルにね。
そういうもんでいいんじゃない?
で、さっきのさ、葬式仏教って言葉もあったけど、でも逆に、
例えばさ、親が亡くなった時に、葬式仏教だっつって、葬式あげないとすんじゃん。
すごいモヤモヤすると思う。
いらっしゃる方もいるけどね。
でもなんかね、っていうね。
やっぱ、葬式あげることで心の整理がつくとかさ、何かしっくりくるものがあるとしたら、
それも信仰なのか?
いや、そうだと、葬式仏教悪いみたいに言われてるけど、
でもやっぱり葬式仏教が残ってるってことは、
人が生きる上において人の死、亡くなるって人生中重要な局面なんだよ、と思うんだよね。
重要な局面って何かっていうと、やっぱり救いを求めてる局面だと思うんだよね。
葬式仏教とその意義
やっぱり大切な家族の死とか恋人の死とかさ、友達の死とかってさ、
すごく苦しいわけじゃない?人が死ぬって、誰でも死ぬんだけど、
その時のやっぱり救いの形として宗教、仏教があるっていうね。
だから葬式と仏教を考えるってことは、すごく死を考えるってことだから、大切なことだなぁとは思う。
だから何か不思議は不思議なわけじゃない?
お祈りする時とかだってさ、厳正利益っていうのかな?
このご利益とかは祈願することも。
商売繁盛とかね、例えばね。
もちろんあるし。
陽気平流とかね。
やっぱ手合わせるじゃない?
っていうのもあるんだけど、
でもやっぱ信仰してるっていう、自覚はないみたいなさ。
例えばさ、ご飯食べるときにいただきます。
食べ終わったらご馳走様って、やっぱり何かに手を合わせてるっていうのはさ、感謝なんだろうね。
生かしていただいてっていうね。
それがやっぱりさ、自然に言ってんじゃん。
みんないただきます、ご馳走様とかね。
まあ、そんな感じでいいと思うんだよね。
あれが実は信仰なんだっていう。
信仰だって言っていいと思う。
習慣になってるとも言えるけど、
信仰から来る習慣かもしれないし。
そうだね。
その辺が日本の仏教の独自性とか独特なところというか。
やっぱり本当に生活の中に入り込んでるよね。
意識してないっていうのが大事っていうか、いいことじゃないかな。
悪いことじゃないと思う。
すごく自然にやってるっていう。
で、この信仰心で思い出す写真があって、
野口秀夫と中田観音の物語
野口秀夫ってお札になっちゃった人いるじゃないですか。
福島という異人の一人ですね。
福島県の愛知というか、稲城町の異人の野口秀夫の方で、
この野口秀夫って、ちっちゃい頃やけどするんですよね。
そうだね。
大きなやけどをとって、
それがお母さんのシカさんと一緒に貧しい生活を送ってたっていう幼少期の話があるんだけど、
このシカさん、毎月17日に月参りを欠かさなかったっていう、
中田観音様に。
中田観音に逸話が残っていて、
これだけ聞くと信仰心の厚い方だなって聞こえるかもしれないんだけど、
稲橋の町から中田観音が、まあまあ遠いのよね。
遠いよね。
車で行ったって、40分ぐらいかかる。もっとかかるよね、たぶん。
いや、稲橋の町からだったら、40分。
そこかかる?
そこかかるかな?
晩年に近いからね、中田のね。
っていう、稲橋の町にあるお寺じゃなくて、
藍住里町かな、中田観音、藍住里町にあって、
まあ遠いんですよ。車だって40分だから、
歩いたら片道3時間とか来るかなって聞かないよね。
おばあちゃんの家でしょ。
でも、昔の人は県客だから。
そうそう、俺らよりは早いと思う。
とんでもない早い奴いるよね。
しかも朝方。
そう、朝方。
行くんだよね。
毎月よ、月参りをしてたのね。
最初は息子の日清出世とか、
願って立派に育ってほしいっていうのがあったと思うんだけど、
野口秀夫はアメリカに渡るわけじゃない?
当時なんてアメリカ渡っちゃったらさ、
もう手紙ぐらいしかさ、やり取れなくてさ、
生きて帰ってくるのか、みたいなね。
相当寂しかったわけよ、おそらく。
むしろ当然相当寂しくて、
その後もね、息子の活躍とか無事を願って月参りをするし、
手紙でね、帰ってきてくだされっていう。
読みかけができなかったお母さんが、
野口秀夫に手紙を書きたいっていう一心で文字を覚えるわけなんですよ。
それでね、帰ってきてくだされって、
本当にかわいいひらがなで、
きてくだされをくたされって、きてくだされって書いてる、
手紙残ってますけどね。
せつないよね。
じんとくるよね。
野口秀夫帰ってくるんだよね、一回。
野口秀夫帰ってきてアメリカからね、
でももう立派な方なわけよ。
ドクターでもすごい立派な方で、
になって帰ってきて、もう外産だよね。
帰ってきてアメリカで研究してるだけだから、超エリートになってるわけよ。
で、氏家さんはさ、月に一回中田観音にさ、
何時間、一晩こもるんだっけ?
一晩こもりながらお参りをするっていうさ、
すごい原始的なある意味信仰心を持ってさ、
決まってひらがなしか書けないっていうのはさ、
すごいギャップがあるけど、まずこの二人には。
教養とかさ、っていう点ではね。
そうだね、親子とは言えね。
で、そこで一緒に親子で参拝してる写真があるのね、中田観音に。
まじで?見たことないわ、あるんだ。
これやっぱね、すごい写真で、
野口秀夫も確か手を合わせて、ちゃんと立ちながらね。
ただ、氏家さんはひざまずいてすがってるわけよ。
あ〜信仰だよ。
これが信仰だって。
俺らって野口秀夫側なわけよ。
俺らが持ってる信仰心ってのは、野口秀夫側なの。
わかるの、それは。
姿勢とは違うよね。
さすがに野口秀夫とかも、母の姿を見て拒絶とかは全然してないの。
その信仰を拒絶してるとかじゃなくて、
普通に手を合わせてるというか、感謝してるって感じではない。
だから今の俺らとそんなに違わない感覚なんじゃないかなって思うんだけど。
氏家さんの信仰の仕方は、もうね、すがるような、
僕らがタイとかで見るような感じで。
本気だから。
本気だから。
でも、言ってみればちょっと前の日本にも、そういうのが普通に残ってたわけよね。
そうだよね。
1回目、2回目、2回目、特一の話じゃなくて、平安時代だよね。
やっぱり、音量の存在ってガチで信じやすい。
本当にたたりがある。
だから神社とか寺とか建てたわけじゃない?
あと、夢のお告げって、夢に対する思いって、今の人と感覚が違っていて、
夢のお告げ的なものとか、いいもの悪いものを含めてね、
やっぱそれを本当に信じたし、恐れたしとかね、
やっぱり、当時の時代感覚もあるだろうね。一般的なね。
だから、なんか、俺らもね、もしかしたらいずれは、
いや、私この間、
どうした?どうした?
縁日寺。
縁日寺の、再現された、
縁日寺のね。
そうそう、あそこに行ったら、1人で行ったんですけど、
後から、なんか女性のちょっと年配の方1人入ってきて、
私仏像見てたんですけど、なんか見たそうにしてたから、ちょっとよけたんですね。
そしたら、五体統治始めて、
ちょっとびっくりしました。
五体?
日本人の方かね。
たぶん日本人の方だと思います。
五体統治って痛いよね。
いや、やったことあるんだけど。
でも、それは信仰心足りないからね。
痛く感じるのは。
痛い痛い。
痛いって体がね。
体が痛いよ。
体が痛いってことね。
心が痛いじゃん。
体がね。
寺の娘なのに、ごめんなさい。ほんとに。
痛み感じてるうちは、ちょっとまだ。
まだまだ。
信仰心の多様性
信仰心足りない。
いや、でも、それすごい経験だね。
すごくびっくりしました、あれは。
でも、これさ、もちろんグラデーションがあるわけじゃん。
そうやってさ、信仰心って。
これさ、決してさ、お寺のお坊さんもさ、
めっちゃ信仰心熱いわけじゃないんですよ。
そこ切り込んでくんの?
いや、それさ。
それ切り込んでくんのか。
やっぱ本人じゃないからさ、下手に言えない。
まあね、まあね。
うちに秘めてるものとかもあるかもしれない。
でもね、その信仰心の話で言うと、
これぐらいぐらい言ってもいいかな。
うちの父は向洋子なんですよ。
で、在家って言って、家がお寺の息子じゃないんですね。
こんにゃく屋の息子なんですけど、
茨城の水戸出身で。
いいね、水戸で。
水戸っぽで。
で、あの、日本史が好きで、
まあ、神壇とかが好きだったんですよ。
うち信仰神のお寺なんですけど、
で、まあ、ただ大学のとき経済行って、
会わねえなって思ってるときに、
日本史で神壇、レポート書いたら褒められて、
君、経済見てないよ、とか言って。
で、まあ、何を思ったか、
急遽大学辞めて、
お寺のまあ、仏教学部、
仏教学科に飛び込み、編入するんですけども、
やっぱりそのときの父親の切実さ、
やっぱ若いし、いろいろ悩みあったみたいなんだよね。
そこで仏教を選んで飛び込んで、
まあ、いろいろ経緯はあったけども、
徳堂ってまあ、お坊さんになって、
お坊さんの資格を得て、
まあ、今現在僧侶として、
まあ、無婚養子に入って、
うちのまあ、お寺の住職やってるっていうのはね、
やっぱり信仰心はある。
まあ、当然あるって言わないといけないんだけど。
立場的に言わないといけないんだけど、
やっぱね、自ら選んでるから。
あの、大抵今お寺さん接種でさ、
家がお寺だからお寺潰そうって言って、
まあ、正直に話し渡辺君が言う通り、
まあまあまあ、家寺だからって意識の人多いとも、
まあ、それは悪いことじゃないけどね、
職業化するっていうのは。
けど、やっぱりそうじゃない人も、
まあ、無婚養子みたいに在寄から入ってる人ってのも多いから。
なんか、今ちょっと話してて思い浮かんできたことが、
例えばその、クリスチャンとかムスリムの方とかって、
その、お祈りする大きなお堂とかがあるわけじゃない?
教会とかさ、モスクとかっていうさ、
いったところでさ、決まった時間のお祈りとかさ、
ミサとかっていうのやってるんだけどさ、
ある程度一つのグループとかさ、信仰心を持ってる、
一つの集団に見える、
一つこういう方たちがいるっていうようなイメージがあるんだけど、
日本でさ、仏教を信仰してるとさ、
あまりにもみんな実はちょっとずつ違うんじゃないかって、
グループとして見える瞬間ってあんまりなくて、
例えばその、僕らみたいなね、
ただの、なんだ?
ただの仏教好きとかもいれば、
お寺の方もいるし、
さっき言ったさ、2回目で紹介した、
諸茂先生とかみたいな、仏教の研究者の方も、
研究者だよね。
それぞれにどういう信仰心なのか聞いたら、
結構みんな違うんじゃないかなって、
でしょうね。
それってさ、グループ化できないわけじゃない?
これって結構なんか不思議な宗教だなって、
でもやっぱりさっき言ったようにさ、
お寺の方でさ、信仰心がないように見えるお坊さんもいるんだけど、
まあ、いるよね。
いるよねーって言っちゃってる。
まあ、いるよ。
でもさ、本当にさ、たどっていけばさ、深く聞いていけばさ、
それが信仰心だっていう、
言えるものも多分出てくると思うのね。
じゃあさ、明日から仏教と関係なく生活できるかってさ、
言ったらやっぱりちょっとそれはまたちょっと違う、
抵抗が生まれるかもしれないし、
まあ、あれか。
例えばさっき言ったみたいに、
ご飯食べるときに手を合わせていただきますっていうのも、
ある種のね、信仰心のかたちかもしれないからね。
その、いわゆる戒律みたいな中で厳しく生活されてる方は、
ごく少数かもしれないけど、
やっぱりその広い意味での仏教の信仰心みたいなのを持ってる方もいるだろうし、
で、このグラデーションが結構すごく特徴なのかなって。
居心地いいんじゃない?
居心地いいよね。
すごく居心地いい。
居心地いいわ、確かに。
うん、と思うな。
だってビジュアルとしてさ、仏像とかのビジュアルで楽しむこともできるし、
でもまあ、別にビジュアル追求してるのが仏像だしね。
まあ、あるしね。
偶像化してるわけだしね。
いかにしてその信仰心を煽るかじゃない、集めるかとかね、
それのかたちをやっぱり目指してね、やってるわけだから。
なんかそういう意味でね、いろんな信仰心があるなって、最近。
そうだね、日本人の信仰のかたちの多様さって、
すごくバラエティーに富んでるっていうか、寛容だよなっていうのは思うんだよ。
宗教観の違い
渡邊くんとかさ、旅いろんなとこしてるじゃん。
そうするとやっぱり日本人でもさ、いつの間にか生活の中に信仰っていうか、宗教が溶け込んでるって話があって、
それは海外でもそうだという風景見ると思うんだよね、宗教を感じるとか。
どう?海外行ってみて、日本人への宗教のかかわり方とか、あり方とかと比べて何か違いって感じる?
なんかね、難しいね。
国によるか。
自覚的ですよね。海外の人は信仰してることに対して自覚的で、僕なんか無自覚な信仰なのかなとは思うときはあるし、
あとやっぱさ、おっとなるのが、海外の人に宗教なに?みたいに聞かれるときに、
あるね、あるあるある。
あれ、俺宗教なんだっけって一瞬思うじゃん。
私は思っちゃいけないよね、でもね。
みかんさん、宗教なに?って言われてね、あったんだってね、言葉に詰まっちゃいけない。
仏教です。即答しないといけないという立場的にね。
俺も仏教だって答えるんだけど、あれ、なんだっけ、俺、仏教、宗教なんだっけ?みたいには思うわけよ。
自覚的じゃないってことなんだよね。
で、なんか、ないって言うとさ、けっこう誤解を生むっていう。
そうそうそうそう。
日本の宗教観を海外の人に説明するってすっげえ難しい。
そうなんだよね、宗教ないよって言ったら、けっこうよっとされることもあるから、
ブッティストだっていうふうに答えるんだけど、
そうね、それが無難だよね。
アナーキストか共産主義者かって思われる。
本当かどうかわかんないけどね。
無神論者。
無神論者だって思われるから、そういうのは答えてはれるんだけど、
僕は神道と仏教のハイブリッドだみたいな。
でも実際そうだからね、日本はね。
ハイブリッド規則があったから、ちょっとおかしくなっちゃったけど、
もともとね、
そうなんだよね、日本の原始宗教みたいなアミニズムっていうのかな。
そう、それもあって。
神仏分にされる前はね、神道と仏教っていうのは一緒だったわけだから。
やっぱあれなければ、
ハイブリッド規則がなければ、どうなってましたかね。
やっぱり、もうちょっと健在化したんですかね。
すごい難しいですね。
あのね、それすげーね、重大なテーマだと思う。
私もそれね、
ハイブリッド規則がなかったらどうなってたかってね、
やっぱり考えるときはあるんですかって。
でも確実にさ、神仏集合の歴史でさ、たどってきたわけですよ。
ハイブリッド規則になってさ、お寺がガチガチにやられてさ、
それこそ神道に趣旨がいみたいな人たちってたくさんいたわけじゃない。
家がお寺、仏教、仏教徒っていうかな、あれだったのが。
そしたらさ、まあ仏学の講座でもちょっと取り上げたんだけど、
葬儀の文化的背景
葬式仏教ってさっき言ってたでしょ。
でもお葬式をどうするか問題って、
ハイブリッド規則の後、神道になった人、やっぱあったらしくて、
まあ仏式でやってたわけで。
でもお寺だめ、神道。
神道ってなってたら神道式で葬式やんなきゃみたいなね。
それをさ、観音師さんとかがやるんじゃなくて、
地元の葬式業者が、こういうふうにやったらそれっぽくってか葬式っぽく見えねえみたいなんで、
試行錯誤しながらやってたのが今に残ってるところあるっていう話。
なるほど。
結構特幹工事でさ、急激な、で今それが伝統なんて言われちゃってさ、
結構その支配仏希釈のこと考えると伝統とは何かみたいなさ、問題にもさ、なってくる。
そうなんだよね。やっぱ景色が変わってるからね、明治維新で。
そうだよね。
うちの父方の実家は、もともとまあお寺だめかだったんですけど、
私の祖父の代で、まあちょっとお寺はしがらみがいる、大変だからって言って神道に変えたんですけど、
この間祖母が亡くなって、神道式のそれこそお葬式だったんですけど、
やっぱちょっとなんか無理があるなって。
見てて?
ちょっとなんかほら、
やってることが?
そう、かしわで叩いちゃいけなくて、無音で手叩いたりとか。
あるんだ。
そうなんですよ、だからなんかこうやっぱり合わせてなんか。
葬式の型を持ってきて、でも神道にちょっとアレンジしてみたいな。
そうだよね、もう何もないところから作るのもあれだから、やっぱなじみの仏式のさ、お葬式をまあ手本に神道っぽくするみたいな。
わかんないけど、無音で手叩くのさ、葬式業者がさ、勝手に考えてたら、決めた可能性ゼロじゃないと思う。
私そう思います。
なんか結構作ったんだろうなって。
そんな感じするよね。
ほんとどうなってたんだろうね、でも。
その、配仏希釈がなければ。
そうだよね。
まず、日本人には大元神像が全部揃ってたら。
その可能性はあるよね。
配仏希釈がなければ。
本当にみなさん、大元神像と聞いたらちょっとピンと。
40センチぐらいの仏像が6体ぐらいうちにあったなーって言ったら、日本人に電話ください。
ちゃんと買い取ります。
しっかりお金を払って。
調査費用もね、ちゃんと。
調査費用もね、かかってるし。
ほんとそうだよね、配仏希釈のなかった時代、ちょっと妄想しちゃうね。
いや、妄想なんだよね。
思想的なものとかもね、変わってたと思うし。
仏教研究とかも、明治の近代化ですごく伝統が立たれちゃったっていう話が。
西洋哲学的な学問、思想やアプローチとかがガッと入ってきて、急に舵がそっちに行っちゃって。
昔からの日本的な考え方での研究っていうのは、立たれちゃった話っていうのは、それこそ先週話したけど、室信玄先生なんかもね、話をされてたし。
ほんとね、面白い、面白いじゃなくて、難しい問題だよね。
日本の禁断化における配仏希釈の問題ってね。
やっぱこういう素人だから話せるのいいですよね。
お坊さんとかさ。
これ3回目な、私ちょっとゲストで呼んでいただいて、3回目なんですけど、間違ってることがあったら、どんどんコメントしてください。
そうだね。
ほんとに、お前らバカだなって思って聞いていただいて。
バカな素人。
バカな素人。
語れんね。
やっぱ研究者とかお坊さんとかさ。
だから本当に間違いがあったら教えていただきたいですし。
その方が、そういうのでね、話が広がっていったらいいよねみたいなことは、あえてね、分かんないなら分かんないでこういう印象があるっていうようなことを話すことでね、
いや今そう言ってるけどこういうことだよってなんかご指摘いただいたりとかね。
なるほどなって。
じゃあ今度あなたが出て、ゲストでみたいな。
一緒に喋りましょう。
一緒に喋りましょう。
受けがよかったら番組独立する。
やっていただいて。
ことがくラジオにして、独立して。
やってね。
ほんとにそう。
そうだよね。
あの、ちょっとまた急に話変わっちゃうんですけど。
いいよいいよ。
みとめさんのたべの話最後。
すげえ話変わってる。
でもちょっとつながるんだけど。
みとめさんが、ちょっとねさっきチラッと話し、打ち合わせのときにちょっと話聞いたら、
2年間うつで寝込んだ後にスペインに行ったって。
鬱からの回復
そうそうなんですよね。
いやあのちょっと仕事が激無で、もう布団から出れない極度のうつ状態になっちゃって、
でまあ実家帰ってもう2年間もう寝たきりですよね。
もう日常生活もままならないみたいな。
ってやってて、ようやくもうひたすらエネルギーが枯渇しちゃってるからうつのときって、
もう寝てエネルギー貯めるしかないんだよね。
何もしないのが仕事みたいなさ。
でようやく2年間あってこう、
ああいいかなと思って普通に生活して家の手伝いしたりとかしてさ。
でじゃあようやく次のステップの生活を考えられるようになったときに、
ただもう今しゃべってるような感じのところまで回復すると思えなかったから、
寝たり起きたりしながらコンビニで週に1回とか2回とかバイトして、
細々こう生きてくんだろうなみたいな思ってて。
前と同じ生活はできないんだってすごく、やっぱり絶望まではいかないけど、
ある意味ある種の諦めっていうかさ。
定感っていうかしら。
でそのときに、すげえちょっと寂しいな。
なんかないかなこれから生きてく様子ががと思ったときに、
ああ思い出があれば生きてきるかなって楽しかった思い出とかさ。
そのときにちょっと旅行行ってみようかな。
でなんか知んないけど、ふとスペイン。
スペイン旅行行ってみようかなって言って、
1人の旅行で3、4週間スペイン行ってきたんですよね。
たぶん楽しい旅行でスペインのこと思い出したり、
寂しくなったりつらくなったりしたとき楽しい思い出、
スペイン旅行の思い出思い出せば、
なんとか人生残りの人生乗り切れるかなって、
なんか知んないけどふと思って行ってきた旅行があるんですよ。
いい動機だよね。楽しい思い出を作るって。
でもなんか千人千人じゃない、ある意味悟ってるっていうか、
もう残りの人生、生きてくのにね。
思い出だけは持っていけるからね、どこにでも。
でもね、行ってよかったよね。
いろんな経験がもちろんね、3、4週間も1人行ってるよね。
宿とかもお金もそんなないんで、ゲストハウスで予約したりとか、
サクラダファミリアの体験
あとはスペインなんで、やっぱバルセロナは行ったんですよ。
で、バルセロナって言ったらね、ガウディの建築じゃないですか。
で、サクラダファミリア行ったんですけど、
サクラダファミリアって外観がさ、すごい重厚なさ、
彫刻があってさ、色もなんかね、こう茶色いっていうかね、
うぼけてて、もう境界ですけど、
中入るとね、真っ白で、ステンドグラスがすげーカラフルで、
かわいいのよ。
で、だからその外観との外見、外から中入ったときにね、
心がね、パーってね、
あ、信仰って、信仰ってこういうことだって。
宗教と建築ってさ、切って切り離せないじゃん。
その空間に、教会とかもさ、お寺のさ、お堂とかも、
その空間に入るとさ、別に私さ、キリスト教徒じゃないけどさ、
なんかもう圧倒されるっていうか、感動って言葉があるじゃない。
感動って言うのはなんか、真面目なさ、話とか、
感動、たとえばね、こう茶なんだけど、
障害のある方が頑張ってマラソンしましたみたいな、
そういうので感動じゃなくて、文字通り心が動くっていう。
感が動く、感情が動くっていうか、
美しいもの見たときにさ、急に涙出たりするときって、
まあ、あった方いるか、あれなんですけど、
うん、別にそこに修行神があったからとかじゃなくて、
圧倒させれるみたいな不思議な感情を持ったよね、
桜田文理が言ったときにね。
うん、やっぱり教会めちゃくちゃ行ったんだよね。
教会用意してきちゃってさ、教会ばっかり行ってるからさ、
お腹いっぱい。
だんだん何も感じなくなる。
最初はパーンとなるんだけど。
気持ち悪い。
あのさ、すごいんだよ、変態だなって思うよ、彫刻とか。
細かくてさ、これは信仰神ないとこんな細かい彫刻できねえなとかね。
まあ、そんなかんやでやってきて、帰ってきて、うん。
なんか旅に出ようってなった瞬間ってあるんでしたっけ?
いや、それもね、何かしら、私、相鬱病なんですよ。
相極性障害ってやつで、鬱になって鬱病だと思ったら、
その相ってテンション高くなる。
で、これね、想定したんじゃないかと後から思うと思うんだけど、
この話していいのかな?
なんかスピってるって言われる。
あの、スピってるかもしれません。
でも、スピってるかもって自覚あるんで、
その辺をご考慮いただきたいんですけど、
まあ、うちでまあ、日常生活ができるようになって、
あのまあ、ちょっと散歩があったら家の前に歩いてて、
でまあ、観音堂の方に行って、
まあ、お前たちの観音様座像の前に座って、
うちあれなんですよ、靴の中に入って皆さん自由にお参りいただけるんですけど、
うん、前に座ってこうね、手を合わしてね、
仏様の顔をね、下からこう見た時にね、
その、普通、経験した人っていうのはお分かりかと思うんですけど、
絶えず曇ってんのね、頭ん中が。
うん、もやがかかってて、
うん、それがね、パーッとね、
雲が晴れてて、月物が落ちたみたいな感覚になった時があって、
その時は、あ、生きていけるなって思った。
でも、後から考えると想定してた。
いやでも、あの感覚がすごかった。
うつを晴らすほどの、
うつを晴らすほどの、
ご意向があった。
うつの方、ぜひ、仏像の前に正座して、手を合わしてみてください。
いやでも、なんかあると思うよ。
俺もさ、最近、いろいろお寺とか回る時に、
お祈りする時って、何考えてます?
何も考えないね。
無心で本当に手を合わせる。
俺も今までずっとなかったのね。
とりあえずちょっとお祈りするとかね、
これ何々がかなってほしいみたいな。
世界平和とかでしょ?
世界平和とかじゃなくて、
世界が平穏でありますように。
自分の世俗的なね、その時々のとかする時もあるし、
無心でっていう時もあるし、いろいろあったんだけど、
俺、最近やってるのが、
仏像の前でお祈りする時は、
目を閉じて、仏像の姿を枕の上に焼き付けるっていうのをやるようにしてるの。
いや、それはもう禅ですよ。
みんな禅っていうか、座禅、瞑想ですよね。
瞑想する時に、
これ間違ってたら、ちゃんとコメント欄に指摘してください。
やっぱり自分の悟りの姿を具体的に想像するっていうのがあって、
だから目を閉じて、それもの本物が目に浮かんでくれるぐらいに、
自分が悟りたい仏の姿とか、
あと味観って言っても、文字だよね。
文字にすごい力あるからさ。
信仰心の密教とか。
それを思い浮かべながら瞑想するっていうのがあるから、
だからやってることが正しいと思う。
その仏の姿を目を半顔とか閉じた時に、
仏の姿が浮かんでくるように浮かぶっていうのは、
実は正しい。
やってると上手く想像できるというか、
このまぶたの裏にイメージできるって、
ちょっと仏様持ち帰ったような。
まさしくそうよ。
そうなんだ。
自然にもう。
たどり着いたじゃん、俺。
自然にたどり着いた。
両多観音、後でお再生を。
観音の素質が。
そうなんだ。
だから自然と正しい修行方法にたどり着いて。
でもこれ集中しなきゃいけないよね。
集中と集中力だよね。
その瞬間集中するから、
結構三富さんのさっきのパカーンって。
パカーンって開いちゃってる。
チャクラが開いちゃってる。
それで打ち分けして送店して、
スペイン行って桜田ファミリアまで
もう一回パーンってなって。
やばいよね。
でもみなさん、スペイン行ったら
桜田ファミリアでチケット制なんですけど、
当日も入れるんだけど、
いろんなルートがあって、
ルートって何かっていうと、
エレベーターで上まで登って、
エレベーターで帰ってくるっていうパターンコースと、
私がやったのは、
エレベーターまで上で上がって、
帰りは桜田ファミリアの外側を歩いて、
階段になってるんだけど、
外側を歩いて帰ってくるっていうチケット。
今あるかな?危ないからちょっとあるかもしれないけど、
それがね、良かったね。
何階?結構高くない?
すごい時間があるやっぱ。
なんかこうぐるぐる、
螺旋階段とかこうなってて、
こうやって中入ってこういう感じで。
だからね、
怖いんだけど結構。
落ちたら死ぬんだもん。
そういうチケットがあったんで。
あ、そんなに。
良かった。
もし行くんだったら、
バルセロナ何日かっていうのを
集中的に行った方がいいかな。
桜田ファミリア以外の
ガウディ建築たくさんあって、
可愛いのもあるんで。
海の中とかイメージ。
自然なモチーフ。
自然モチーフにしてる衣装も
多いから、
すごいね、楽しい。
いまだにマンションがあるんですけど、
ガウディが設計したの。
住んでる人の座りにいるとことかも
見れたりとかするんだけど。
楽しい。
じゃあ、
その旅に行って、
入ってきてから外学を始めるの?
そうそう、外学。
旅に行って、良しと思ってるときに
旅行の影響と新しい出会い
モロ先生との出会いがあって、
正直その、
モロ先生面白いなって思ったの。
いろんなことを
研究対象にされてるっていう。
それこそね、アニメとかで、
漫画とかAIとか、
そういうことが仏教と絡めるんだ。
っていう驚きがあって、
それと仏教絡めたら
どんなことを
知らないことが埋まってるんだろうみたいな。
じゃあこれは、
独り占めしちゃいけないみたいな。
知ってほしい。
じゃあ、仏の学校、
仏の学校、仏学っていう体制として、
連続で講座したいな。
そっからね、
仏学の講座の一連の
講座が始まってきたからね。
途中でちょっとね、体調崩してね、
途切れてね。
で、第2期、ブレンドして。
渡辺さんと橋本さんがね、
入ってきて。
あんまりまともに活動できてなかったんだけどね。
これからね、
ちょっとなんか仕掛けようかっていうね。
いや、これポッドキャストありだな。
音楽ラジオ。
音楽ラジオ、そうっすね。
焼けそうだなって、仏教をみために
喋ってて。
いや、仏教でね、いまいろんな方がね、
ポッドキャストだったり、いろんな活動してるけど、
やっぱ、
一般の人が
なんかあんまり
気負わずに喋るっていうのはなくて、
無責任に喋るって大事だから。
そうそう、そこにね、
ちょっとお叱りをコメントでいただいたりとかっていうのが
反映しながらね、
進化してきて。
悟りへの道順。
いろんな方のご指摘を受けた。
優しく言ってほしいけど。
ほら、やっぱほら、1条だけじゃないじゃない?
特異通話区。
3条ってね、人それぞれの
コメントする人は、
出る覚悟で。
ここで喋る覚悟のある人だけ
コメントしてほしい。
生トークがイケメンで、
そうだね。
こんな感じで、
また、
仏教会は、
僕は仏教好きだからね、
引き続き仏教会は、
やっていきたいなと思うんで。
もしね、一緒に喋りたいって方がいればね、
来た方まで来てもらうしかないんだけど。
居心地はいいです、このスタジオは。
ぜひぜひ。
またね、一緒に喋れたらなと思うので。
はい。
ということで、3週に当たって
三瞳さんとゆかちゃん、どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
なんかある?最後。
宣伝はね、
ゆうこと言ったな。
一応その特異通話区めぐるときは、
NHG、
少女寺、遠藤寺、
二宝寺っていうのが、
いいコースですよ。
いやほんと冗談抜きで、手前にそうじゃなくて、
この4カ所の受け入れ体制もできてるし、
いいと思うし、
しげき先生の最長と独立。
仏教指導最大の対決の
岩波新書の話もできたし、
岡崎マリさんの
アウンの漫画の紹介もできたし、
これ紹介できれば
私の役目は全部終わるし。
さっきのスペインの話と、
チャクラがいない話は、
聞き逃したい。
うつと仏教は二人付きするけどね。
スペイン旅行の体験
うつの話はね。
うつと仏教みたいな。
それはあるね。
うつはね、ほんとに
今、真っ只中にいるかた
お越ししたままです。
でもいつか春は来ますよ。
私そうでした。
終わらないと思ってたけど、
うつは。
またね、
みとみさんがそうな時に。
今もそうなのかな、これ。
そうなのかな。
ということで、
3週間ありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
僕はこのチャンネルを旅好き旅行好きが詰まる番組にしたいと思っています。
メールホームからあなたの旅の話や音も募集しています。
音で声で耳で一緒に週末旅を楽しみましょう。
それでは耳たびで良い旅を。
41:16

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