1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #207(s23-14) 奈良の油飯と〇..
2023-12-05 43:37

#207(s23-14) 奈良の油飯と〇〇〇と〇〇〇〇は親戚!? ~胡麻は油が大事・・・だったのだろうか〜【前編】

サマリー

奈良時代と平安時代のゴマの食文化について学んでいます。食事は基本的に味付けされず、食べる人が自由に調味料を使って味付けをします。ゴマの食文化を理解するために、仏教や中国文化の影響も調査しています。奈良時代にはペルシアからやってきた可能性があるごま油入りのご飯が食べられていました。ペルシアでは、ごま油でお米を炒めてから炊く習慣があり、同様の文化がガンダーラ近辺にも広まったと考えられています。奈良の油井やピラフ、パエリアは関係がある親戚のようなもので、油井は和製ピラフとも呼べます。また、ごま油を使用した料理の文化は平安時代の唐砕物にも見られます。奈良の油飯と糧飯は、ゴマを使った料理であった可能性があり、ゴマ油が希少だったために広まらなかったと考えられます。また、ゴマの粉を絞った後のカスが腐殖という料理に使われていた可能性もあります。油飯とゴマ油は関連性があり、奈良や瀬戸内海周辺には古代の油利用の名残があるかもしれません。

00:06
食べものラジオ
カチャ料理むとう、むとうたくろうです。
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、特にお知らせはないんですか?
お知らせというかですね、まず一つ訂正がございまして。
訂正。
前回の配信の中でですね、はしばみ油の話を少し触れたと思います。
はいはい。
はい。で、「神宮公豪の頃、摂津住吉のどこそこで、はしばみ油を作り、真珠に用いる灯明に用いた。」と、そんな話したんですけど。
うん。
ここ、僕1回目の時に、折尾野村って紹介してるんですよ。
折尾野村?
うん。遠い里の小さい野と書いて、折尾野って読むらしいんですけど。
はい。
で、2回目に喋った時に、僕台本見たら、あれ?遠い野の小さい里になってるから、おのおり村?
うん?ってなって。
おお。
で、台本の方に合わせて言い直しをしてるんですが、この台本が間違ってまして。
台本が間違っている。
はい。僕の記憶してた折尾野村の方が正しかったです。はい。
あ、そういうことね。おのが逆だったんだね。
はい。なんで、摂津住吉折尾野村であってます。
あ、そういうことね。
はい。なんで、住吉大社近辺の方、大変申し訳ございません。大阪の方ですね。
あ、大阪ね。言ってたね。
そうですね。で、あと、これ訂正というよりは注釈なんで。
はい。
訂正というよりは注釈なんですけど、僕、神戸皇后という表現をしてるんですけど。
はい。
神戸皇后という読みもするらしく、そっちの方が一般的らしいんですね。
へえ。
はい。ただ、書いてある小説記によっては神戸と書いてあったり神戸と書いてあったりするので、多分読み方に触れがあるんだと思います。
はい。
うん。ということを昨日気づきまして。
あ、そうなんだ。
冒頭で訂正をしておきます。
はい。
はい。なんせね、すげえ古代の話してるんで、これ。
はい。
14代天皇とか15代天皇とかそのあたりなので、もう実在すら本当かよって言われてるぐらいの、いわゆる神代記ですね。
はいはいはい。
神様の時代なんで。
その名前ね。
はい。よくわかんないです。
まあ、俺あんま覚えてなかったけどね。
あ、本当に。
うん。
まあ、気になる方がいたらと思って、ちょっと訂正してみました。
はい。
訂正ね。すごい細かいとこやったね。
うん。でも、気になったでしょ。
何が?
そういう細かい間違い。
うん。気づいてたら、その時に言ってるのね。
気づいてないから、このまま来ちゃったんだよね。
あ、そうね。
今、初めて知ったよ。
そうですよね。
うん。
はい。今、歴代の天皇、特に50代前後、一生懸命勉強し直してるんですけど、というか、し直してるというかね、もうほとんど知らねえ情報。
待って、今、天皇って何代目?
百何十代とかじゃない?
そんなにいるの?今。
多分、わかんないけど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
なるほど。
こんにちは。
えー。
えっとね、僕が今、ざっと書き出しをしているのは、平安時代を理解しようと思ったらどうしてもね、そのときの朝廷の政治を、学び直さないといけなくて。
はい。
そしたら、平安先頭って関武天皇だよね。これはあの、社会の教科書に出てくるんで、覚えてたんですよ。
うん。
この関武天皇が、第50代。
ん?第50代?
はい。
桓武天皇が? そう
そんなに前にいたってこと? そういうことです
平安京に移った時の一番最初の天皇が
その前の奈良時代から天皇ついてるんですけど
先頭したのが桓武天皇第50代
桓武天皇で第50代なんだ そうですね
恐ろしい数いるんだね はい
その後佐賀天皇とか出てきて
その前に平成天皇が入るのかな
いろいろと政乱というか清掃
朝廷内でバトルがあり
任命天皇っていうのが出てきて
この任命天皇第54代が前回の話で出てきた
貴賓の時にこういうことをやりなさいって
打上官府を出した時の天皇映画ですね
それがやっと54代目
おお
でもその辺の話なんで
そうなんだ よくわかってない
おお
聞いてもなんとなくしかわからなかったわ
ちゃんと勉強したら面白いなと思いながら
今やってますけどね
本編全く関係ないとこです
食べ物ラジオなんでね
歴史のことは歴史の番組で学んでください
言ってることとやってること違うんだよ
言ってることと言ってること違うんだよ
言ってることと言ってることが違う
そうかもしれません
そうね ラジオだからね
ラジオですからね
ということで本編いきますかね
はい
では前回からの続きです
今回は
やっぱり油が大事だったのだろうか
油が大事だったのだろうかの疑問系なの?
疑問系なんですよ
えー
結局ね ここまで
今日本の部分をゴマのシリーズとしてやってますけれども
その前中国も見てきましたし
その前のインド文明圏ですね
ガンダーラのあたりから
あと東南アジアの方もやりましたよね
はい
大体
油がどうのこうのっていう会話多くなかったです?
多かったね
ねえ
ゴマいつどのようにして食べてるのかわからなくねえみたいな
まあ食べるという話より
使い道の一つとしてね
油が使えるとかそういう話は出てきたけど
そうなんですよ
でね
そのゴマってどういうふうに需要されてきてて
でどんな感覚でゴマっていいよねっていうふうに言ってるのか
うん
これがよくわからなくなってきてですね
ゴマの食文化の疑問
うん
だからこそなんか仏教がね
仏教のことを調べてみたりとか
中国文化ももう一回おさらいしてみたりとか
いろいろやってるわけですよ
はい
でいまだよくわかんないんだよね
まあ聞いてる方もわかんないけどね
言ってる方もわかってないけどね
じゃあこの感覚は正しかったの?
そう
いやゴマってそもそも僕ら人類にとってなんなん?
っていうのが
ずっとわからないまま
あっちこっち手出しながら調べまくってるみたいな
そんな感じ
ほう
そういう感じなんだ
そうなんですよ
でゴマの歴史がまとめられてる書籍も
元に今2冊あるんですけど
どちらもゴマを使った料理のことって
あんま書かれてないんですよ
書かれてない?
うん
いやなんなんだろうなみたいな感じに
余計なるんですよね
ほう
ゴマの本なのに?
そうなんです
へえ
でぐるっと一周回って
これやっぱり油っていうのが
キーワードなんじゃないだろうかっていう風に
昨日思い直してですね
ずいぶん最近だね
もうぐるぐるぐるぐる回った結果
やっぱり油に戻ってきたみたいな感じですよ
その結果が
この台本の題名と
そうなんですね
でまず最初に
中国とか
インド文明圏の文献当たるの
結構大変なので
日本の中世以前ですね
奈良時代とか平安時代
中世あたり
このあたりにゴマってどんな風に
食べられたのかなっていうのを
ちょっと調べてみました
これ本にないのでなかなか大変でしてね
でそこから
ゴマの食文化を
覗いていけば
何かしら方向性が見えるんじゃないかな
ということで
今日はまず奈良平安のゴマ食文化について
勉強したことをお話ししようと思います
奈良時代のゴマ食文化
まずですね
この奈良平安時代あたりの
基本的な食文化の情報です
覚えてる?
どういうこと?
日本料理の変遷シリーズやったじゃないですか
どんな風な食事をしてたのかって覚えてますか?
味付けは後でするみたいな
そうですね
基本なんか
素材にはあんまり味付いてないよっていうのは覚えてる?
まさにまさに
その基本情報
ちょっと最初に整理しておきますね
今タクが言ってくれたみたいに
料理自体にはあんまり味付けしない
ほとんど付いてないんですけど
例えば
厚物
汁物ですね
あれは塩で薄く味が付いてるとかね
そういうくらいなんですよ
よぐさ物とか言って
手元に4種類の調味料が置いてあって
で食べる時に
食べる人が
自由にそのよぐさ物で味を付けていく
っていう話ですね
はいはい
ゴマの調味料と香りづけ
よぐさ物ってのは4種類のってことなんですけど
これが
お酢
ひしお
お酢
ひしお
酒?
うんですね
酒って言ってもね
現代の物と違って
もろみが多いので
甘いんすけどね
甘酸っぱいヨーグルトっぽい味だと思いますけど
じゃあドブロクみたいな味?
ドブロクみたいな味なのかな?
あれがなんとなく想像ですけど
小倉平久さんところの発酵デパートメントで販売してる
菌の見える木桶酒って飲んでたじゃないですか
あーはいはい
あれかな
あー確かにちょっと酸味あるよね
あんな感じかなって想像してますけどね
あの現物
僕平安時代まだ生まれてないんでわかんないですけど
確かにね
味まねはあんま書いてないもんね
書いてないけど多分そうじゃねえかなみたいな
あんな感じだろうなって想像をしてます
でちなみに
これ貴族の話なんですね
あー貴族の話ね
お酢、ひしお、酒ってこの時点で全部発酵食品なわけですよ
で全部高いのね
高い?
米っすよ
あーそっかお米も高いもんね
そうなんですよ
だから庶民はほとんど塩味のみみたいな感じね
ほー
あとは香りをつけるような感じで薬味
ほー
明確にこれだっていうのはあんま言えないんですけど
多分わさびはもうあっただろうから
一部わさびはもうあっただろうから
多分わさびが使われていたりだとか
あとはシソみたいなのとかね
シソ
なんかそういった類のものが
まのびるとかが使われて香りがつけられて
味料を助けていたんじゃないかなっていう風に言われてます
はい
それから調理方法は
基本的には煮る、蒸す、焼く
この3つです
煮る、蒸す、焼く
はい
煮るには茹でるも含まれてますし
あと煮詰める
うんうん
ごま油入りご飯のルーツ
水分がなくなるまで煮詰めるっていうのも含めて
だいたい3つかなみたいな
うんうん
小文字を見ると
本当はねもっと7種類とか8種類とか書いてあるんですよ
ほう
だけど僕ら現代人の感覚に合わせると
3つに集約されるかなみたいな感じね
あーそうなんだ
なんで当然まだこの頃は
炒めるとかね
うんうん
いうのもないですし
炒めるない?
炒めらないです
炒めるってないの?
うん概念がないです
へーあそうなの?
そう結果炒めるっぽくはなるんだけど
炒めるという調理方法自体はない
へー
当然ですけど
天ぷらみたいな揚げ物もないことになってます
揚げ物はもっとあったかな
うん
一応ね基本的にはないっていう
言い方をしておきます
これ以外の調理方法だと
和えるですね
和える?
混ぜるとか和えるとか
和えるって調理法の中に入るんだね
いやー
これね
微妙なんだけど
加熱じゃないんだけど
まあ一応なんとかえってあるじゃないですか
白えとか
ああいう感じのものはあると
みなしてもいいのかもわからないですね
まあ確かにね
あれも調理法といえば
調理法な気がしてきたからね
あと漬け込むとかね
あーそうね確かに
生酢なんかはさ
漬け込みでもあり和え物でもありみたいな感じじゃないですか
はいはいはいはい
でそもそもこの時代すでに漬物っぽいものあるんで
うんうん
まあそれが
だったりするんですけどね
うん
まあその辺も調理方法といえばまあ調理方法
うんうん
でなんでこんな調理方法かっていうと
これもう一つの特徴なんですけど
基本的に生鮮食品ってあんまないんですよね
あーまあ海からみんな遠いとか
そう海から遠いし
野菜だとしても結構遠方から送ってこられたりするし
はいはい
ね取れたり取れなかったりするわけじゃないですか
あーまあ確かに
特にその都はですよ
あーまあね
逆に農村部にいる農民の方が新鮮な野菜とか食べてるわけですよね
そうだねそれはなんか現代も一緒だね
同じですよねだから干物多いんですよねやっぱり
あー干物ね
あと塩漬けにするとかね
はいはい
で干物が多いもんだから
例えばお魚川魚が中心なんですけど川魚の干物がありますよね
うん
でこれを食べるときにそのまま食べることもあれば
焼いたりするとパサッパサになることもあるじゃないですか
あーはいはい
物によってね
うん
そしたら一回水で戻すとかやりたいわけですよ
ほうほう
でどうやって戻したらいいかなってなると煮るか蒸すなんですね
うん
結果煮ると蒸すが中心にくるっていうそういう感覚でしょうかね
あーそういうことね
うん
水分を戻す的な
そうそうそうそう
そんな感じで使われてるので
ご飯自体を食べるときもやっぱり蒸すっていう工程が入ってきますよね
ほうほう
覚えてますか
蒸しだっけ
蒸しだあのこわいいとか言うんですね
あーこわいいか
まあまだちょっと
蒸しいいってね
まあ現代のおこわやね
うん
みたいなのが出てきてるのもこの時代ですね
はーこの時代ね
でその前はね煮てるんですよ
煮てる
うんお粥でね
はいはいはい
でお粥があってそれも柔らかいお粥と固めのお粥があって
片粥っていうのがあって
で蒸すっていうのもあって
でご飯もいろんな食べられ方をしてたわけですね
あーやったねその話
現代で一番近いのはひめいっていうね
おこわよりも柔らかいんでひめいっていうんですけど
お粥で言うと片粥
片粥
かなり現代と
現代のお米の炊き方に近い
あーまあ確かにあの
炊飯器で炊くお米って基本的には
お粥の作り方と一緒だもんね
そうなんです
そうやって考えてみると
あれね今のお米の炊き方を分解すると
煮る蒸す焼くの3工程が
その一つの窯の中で行われてるわけですね
でこれの焼く工程がないのが
まあひめいですね
そんなイメージでしょうね
でなぜこのひめいの話を一生懸命してるかというと
このひめいのご飯ですね
これのアレンジ
にごまが登場するんですよ
これのアレンジに
そうまあ今でもほらご飯と言っても
きのこの炊き込みご飯ですよとか
中華だったらチャーハンですよとか
はいはい
ヨーロッパ行ったらピラフですよとか
あるじゃないですか
あーあるね
いろんなバリエーションがありますよね
その中にごまを使ったひめいが出てくるんですよ
ほー
これ油いって言います
何で油い?
これだけなんでこんなストレートなんだよ
わかんねえ
どうした急に
油の飯とか言って油い
まんまだな
これ元になってる文献が
和名類授賞っていう
これは平安時代終わり頃に書かれた
辞典というか辞書というか
そういう本があるんですよ
何だって今
ラムア?
和名類授賞
和名類授賞
そう
えっと和は平和の和
日本の和ですね
名は
名字の名だから名前の名ですね
の類は類
類ね
授っていうのはこれ
京都にあった授楽亭の授の字なんだけど
そうやって言っても余計わかんねえよな
何だろうね
取得の主に
なんか旅の右下みたいな
そんな感じ
そんな感じでね
これ集めるって意味があるんですよね
集めるなのこれ
賞は
これも無言賞とか言っても
わかんねえしな
下辺に少ないね
下辺に少ない
これは冊子とかそういう意味ですよね
だから日本の名前の類を集めた書物みたいな
辞書ですわ
辞書なんだこれ
そうそう
でこの辞書に
昔こんなのがあったよとか
今こういう風になってるけど
元々のルーツこんなだったよ
みたいなことが書いてあるんですね
でその中に油入りっていうのがあって
これは奈良時代に食べられていました
今も続いてます
そういうような表現で書かれてるんですね
へえ
奈良時代だから710年から794年の間ですよ
ほんほんほん
だいぶ前ですね
だいぶ前だね
200年前ぐらいの話を書いてる
そういうことです
で東大寺が建って
あの大仏さんができてみたいな
ああいう時代のことを書いてるわけですね
はいはい
作り方
ごま油煮て飯を炊く
以上
何?
ごま油煮て飯を炊く?
そうです
炊けるのか?
炊けるのか?
じゃないですか
だからこのまんまね
文字通りごま油で飯を炊くって言ってもさ
こんなおこわは蒸してるから無理じゃねえみたいな話もあるんですよ
でいろいろと推測をしていくと
おそらくやっぱり悲鳴だよね
っていうことになるわけじゃないですか
お粥みたいにしてね
ごま油でお米を炒める習慣
炊くわけですよ
どうやらねやっぱりおこわはレアケースで
貴族といえども普段の食事は
この悲鳴を食べてたっぽいので
たぶんそうなんですよね
じゃあごま油ひたひたの状態でですよ
生のお米を入れて火にかけたらどうなります?
え?
え、ただ揚がるだけだよね?
ただ揚がるだけだよね
なんならはぜて危ねえよね
そうだね
なので多分
普通にお水で炊いてる中に
ごま油も一緒に垂らすみたいな感じじゃないですか?
まあ現実的にはそっちだよね
炊くといえば
か、生米を少しごま油で
炒めておいて
炒めておいてそこに水を入れて炊いていくとかね
炊けるのかそれ
いや炊けるんですよそれは
それは炊けますよ
まあお米は当然ですけどもち米でしょうね
当時まだうち米はそんなに流通してないでしょうし
ああ、もち米ね
うん、赤米の類のもち米じゃないですか
はいはいはい
まあ想像するに赤米をざたらって
鍋に入れてお水入れてごま油たたらしますよ
みたいな感じじゃないかなと思いますよ
おお
もしかしたら塩入れてたかもしれないけど
まあどうせ後で味付けするしね
うんうんうん
いいんじゃね?香りだけでうまいそうだしなんとなく
うんうんうん
ちょっとやってみたいねこれね
そうだね
でもなんかテレビで前あったよね
炊飯器でお米を炊く時に油を少し入れるっていう
なんか裏技的なやつはあったよね
あ、そうなんだそれ知らなかった
ってことはこれ裏技でもなんでもない?
うん、普通にバリエーションとして書いてありますよ
あったってことね
うん、奈良時代から
奈良時代からね
で、これね
あの、どうやらルーツはペルシアからやってきてんじゃねーのっていう説があるんですよ
ペルシア?
うん
なんでペルシア?
ペルシアの方、まあ今のイランの辺りですよね
うん
あの地域って今でもご飯炊く前にごま油でお米を炒めてから炊くっていうのがね、あるらしいんですね
あるんだ
うん
へえ
で、あの辺のエリアでは結構昔からそういうのが文化としてあるんだって
うんうん
で、どこじゃろうなと思ったら
ガンダーラへの文化伝播
あれだよ
結局ガンダーラ近辺なわけですよ
ハハハハ
あ、ここでガンダーラがまた出てくる
もう一回出てくるんだよね
で、アケメネス朝ペルシアがそこ占領してましたーっていうから
そこから中東方面の前、西側、左側ですよね
うん
と、あとインド側方面
えー、あの、ちょっと何回か前のお話になっちゃうんですけど
あの、ガンダーラ近辺っていうのは
ペルシアになったり、マウリア朝っていってインド系が来たり
またギリシア系の場合
アクトリア朝が来たり
最終的に北方からクシャーナ朝が来てとかっていう
そういう場所じゃないですか
はいはいはい
だから色々とね、あの、文化が感染していくんですよ
感染違う、伝染していくんですよ
いろいろ引っ張られた
うん、伝播していく感じ
はいはい
なんで、あの辺り、まあインドから中東辺りでは
ごま油で米を炒めると
うん
奈良の油井とピラフ、パエリアの親戚関係
そういうのが文化として定着したそうです
うんうん
そんな遠くからね
こんな紀元前のやつが
奈良時代の
日本で再現されてるわけねえだろと思いきやですよ
うんうん
普通に考えて、変だなと思うんだけど
よくよく考えたら
正倉院って、あの宝物庫ね
はいはい、正倉院ね
東大寺の正倉院ね
あそこの中に納められてる宝物の中に
今で言うワイングラスのちっちゃいの
みたいなのが収蔵されてるんですよ
ああ、ワイングラスのちっちゃいの
みたいなのがあるんですよね
へえ
これ、なんとペルシャ製なんです
ペルシャ製
うん
下が銀の土台になってて
足の部分ね
うん
で上のグラスが
どうやらペルシャ製らしくて
へえ
うん
そういうのも入ってるし
なんならインドで作られた楽器とかも
一緒に収蔵されてる
そうなんだ
琵琶みたいなやつね
ああ、じゃあ伝わってるね
うん
っていう可能性高いじゃないですか
うん
あ、なるほどね
じゃあ、他にもその
中央アジア辺りの
ごま油で飯を炒めてから炊くみたいな
文化って他にねえのかなって
ちょっと調べてみたんですよね
ほう
そしたらどうも
古代サンスクリット語
これインドのもっともっと古い言葉ね
うん
この中にプラーカというのが
出てきまして
プラーカ
これがごま油でご飯を炒めてから炊く
っていうものらしいんですよ
ああ、料理名みたいな
料理名
もともとサンスクリット語では
一つの鍋っていう意味らしいんですけど
うん
まあ、一つの鍋で炒めてから炊く
みたいな感じじゃないですか
ほうほう
知らんけど
そこにもしかしたら香辛料が入ったりとか
そういう感じだと思うんですよ
で、これが時代を経って
地方に散っていく過程で
名前がだんだんと変わっていくわけですよ
うん
プラオってなって
ほう
パラオになって
とうとう今のトルコ辺りにつく頃には
ピローになるんですね
ほう
で、このトルコっていうのが
ヨーロッパとアジアのちょうど玄関口というかね
接点ですよね
うん
で、フランスに伝わった時に
なんとピラフになるんですよ
聞き覚えのある名前になったね
なりましたね
ピラフってチャーハンと違いますもんね
違うね
炊く前から油入ってますよね
入ってるね
これ
そういうこと?
うん
あ、それでピラフなの?
そう
だから、奈良の油井とピラフは親戚です
断言していいかどうかわからんけど多分親戚
まあ時代とかね
発祥の場所は一緒であれば
両サイドに広がっただけだもんね
そう
可能性あるよねって話ね
はあ
で、当然今度発信源が
中央アジア辺りになるわけじゃないですか
西アジアとかね
イスラム帝国ってでっかいやつ出てきますよね
めんどくさいから一緒にくくって
イスラム帝国って言っちゃいますね
あれがずっと北アフリカの方とかも
半島に入れてったりとか
今のギリシャとかも全部こう囲っていきますよね
とうとうモロッコの辺りから海渡って
イベリア半島まで行きますよね
今のポルトガルスペインのところね
そこにまで半島が広がった結果
このピローの文化が伝わっちゃうんですよ
人も一緒に移動しますからね
当然なんですけど
現地に伝わってみたらですよ
スペインってイベリア半島って
今でもそうですけど魚
魚介類を食べる文化が盛んなんですよね
スペインね
今そういうイメージありますよね
しかもヨーロッパ地域の中でも
米の産地として知られてる場所なんですよね
そうなの
そうなんですよ
結構米取れるんですね
お米取れるんだ
そうそう
ていうかあそこまでお米伝わったんだね
中国からね
確かに
イスラム帝国の時代なんで
結構だいぶ後の話ね
日本で言ったら奈良時代とか平安時代ぐらいの話なんだけど
このくらいにはもうお米とご飯の組み合わせが
イベリア半島でも食べられてたと
うんうん
そこにこのピラフ系のね
油井系のやつが入ってくるじゃないですか
何が起こるかって
パエリアになるんです
パエリア
さあ
なんとなく想像できるけどね
魚のフリあたりで
飽きたなって感じしたでしょ
音の響きもピロ、ピラフ、パエリア
なんか似てるじゃないですか
そうピラフとね
パエリアがね
だいぶ似てるなとはいつも思ってたんだよ
なんだらピロの前のパラオとパエリア
なんか似てますよね
確かに
別れたってことだな
そう
だからパエリアとピラフと油井は
やっぱり親戚ですみたいなね
ごま油を使用した料理の文化
ここ親戚で繋がるんだね
そう
ちょっと長くなるんで割愛したんだけど
実はジャンバラヤも仲間になる
ジャンバラヤ
これ新大陸に渡った後に
出てくるやつだけど
このピラフ、パエリアの文化が
ぐにゃぐにゃってねじ曲がって
現地化されたのがジャンバラヤみたいな
ああそうなんだ
らしいですよ
ちょっとそこはね
ちゃんと調べるのやめた
夜眠かったから
理由がね
2時頃だもんもう
2時頃に書いておったね
そう
ちょっとしんどかったんで
もうこれ以上調べませんでしたけど
まあまあほどほどにね
だから油井は
言ったら和製ピラフと言い換えても
いいんじゃないですか
まあそうなっちゃうよね
でね
7時台ごま食ってるっつったけど
ごまアプラなんだなっていうね
はあ
あったと思うんですよ
ごまの実のほうを使ってるやつもね
なんだけど
文献上出てくるのが
やっぱ油なのかみたいな
いう感じだったんですよね
なんで今便利ですね
全文読まなくてもさ
ネット検索で書籍の中を検索できちゃうじゃないですか
あああるね
ごまとか油とかそういうので
ずっと検索してたらですね
パラパラとごま油を使った料理ってのは
出てくるんですよ
その和名類辞書の中からね
ああその辞書の中
中からね
へえ
で見ていったところ
出ました平安時代のお菓子
平安時代のお菓子
唐砕物
唐砕物
唐菓子とも後の時代に言われますけどね
はいはいはい
覚えてないと思うけど
日本料理の変遷シリーズの第1話か第2話のあたりで
平安時代の貴族が儀式的な宴で食べていた
大経料理ってのがあったと思います
はいはい
20皿ぐらいずらーっと並ぶやつね
うーん
それの右奥だったかな左奥だったかな
どっちかが日本のお菓子
干し柿とかそういうのがあって
もう片方が唐からやってきた中国風のお菓子
これが唐果物っていうんですね
はい
当時果物イコールお菓子のことを指してるんで
ああそうか
果物ってお菓子の実で
フルーツの実を途中で持ってきたから
新しく菓子という言葉が出てくるみたいな
はいはいはいはい
草かめりつけちゃえみたいな
ああそういうことね
そういうことですね
そういうお菓子類があって
その中にごま油が少し出てくるんですよ
で基本的に素材が小麦粉ね
小麦粉
当時は麺って書かれます
そう僕ら今ヌードルのことを麺って言ってるじゃないですか
はい
あれ違うんですよ
元々麺の意味って小麦の粉のことを麺って呼んでるんですね
粉のことを麺
そう
中国語だって今じゃないですよ
昔のね当時の漢語に直すと麺っていう字
はあ
麺という字はイコール小麦粉だったんですよ
そうなんだ
でこの麺を加工して作られるものが餅
はいはい
だから小麦の加工食品のことを餅って言ってます
はいはいはい
これ中国では今でもそうですよね
餅といえば小麦粉のパンみたいなやつとか
ああいうのを餅って呼んでますからね
ああそうなの
はい
これはなんで日本でぐちゃっとなったかっていうと
日本には大麦はあるけど小麦粉文化ほとんどなくて
小麦粉ってもっと大陸の文化圏ですからね
で日本米じゃないですか
米粉を代用したんですよ
米粉を代用した
そう
小麦粉の代わりに米粉で作ったんですね
はいはいはい
いろんな加工品を
そしたらその米粉を加工した食品ってお餅じゃないですか
そうだね
こねたら
平安時代の唐砕物に見られるごま油の使用
うん
だから日本ではお餅がお餅になっちゃったんですよ
言えばややこしいけど
餅という漢字がお餅を刺すようになっちゃったんね
ほう
ややこしいことに
ややこしいね
そう
そういうちょっとややこしい時代がこの時代に起きてます
ほうほうほう
でそんな頃に中国から入ってきたのが
辛果物っていうお菓子ね
うんうん
冒頭で僕揚げ物ってないよねって言ったんですけど
実はあるんですよ
あるな
ある
麺を水でこねて餅作ります
うんうん
何を
現在は何を
うんうん
現代語直しますね
うん
小麦粉をこねて団子状にするわけですよ
はい
これに甘カズラの汁
甘カズラ
うんとね
今でクズっていう字を書いてカズラって読むんですけど
うんうん
ああいうツタ系植物の汁を絞り出すと
甘いやつがあるんですよね
ほうほう
じゃあ甘カズラっていう植物があって
うん
甘カズラっていう植物があって
ほうほう
甘カズラっていう植物があって
うん
でこの汁を当時砂糖がないので
砂糖の代わりに甘味として使ってました
うん
だから小麦粉水蜜シロップね
うん
を入れてこねます
で形作ってごま油で揚げますっていう
ドーナツ
確かにね
ドーナツ
ドーナツ
ドーナツ
うん
ドーナツ
うん
ドーナツ
ドーナツ
うん
ドーナツ
ドーナツ
ドーナツ
うん
ドーナツ
うん
奈良の油飯とゴマ油
ドーナツ
ドーナツ
で色んな形があって
うん
でねじりパンみたいな構造してるやつが
佐久部居とかね
はぁはぁ
ほら佐久部居って言ってるじゃん
佐久部居っていうのは
佐久部居っていうのは
佐久の佐久に餅って書くんだけど
佐久部居言うね
うん
言うでしょ
うん
佐久部居のべの字は餅って書いてるじゃん
ほら作米って言ってるじゃん作米っていうのは検索の作に餅って書くんだけど
作米言うね
うん言うでしょ作米の米の字は餅って書いてるじゃん
書いてる
小麦粉の加工食品だから米なんですよ
そういうこと
そういうこと
だって作米日本だと米粉が多いのかな
なんか考えて食べたことあんまないけど
元は小麦粉らしいですけど日本に入って行った時にはレシピ見ると
レシピ見るとっていうかもう平安時代の書物を見ると
小麦粉または米粉を使ってって書いてあるぐらいだから
またはなんだ
もうそうなってる
その頃からね
だってもう200年ぐらい経ってんだから
僕らの2000年代から見ると
800年代も700年代も900年代もごちゃっとしちゃうんですけど
930年の人から750年を見たらおよそ200年前ですよ
僕らの感覚で言ったら江戸時代末期を見てますから
もう歴史の書物を書いてる
そういうことそういうこと
そういう感覚で書いてる
書いてるんでレシピもその当時の900年代寄りで書いちゃいますよね
そういうことね
面白いですよね
すごい幅だね
なんだろう冒頭からちょっと混乱気味なんだけど
本当?
割とライトな話してると思ってるんですけど
内容はライト
言葉遊びみたいなの撮る
そっかそっか
頭の中で文字を置き換えていくとね
途中でね
あれ何を置き換えてるの?
これね文字理解よりも映像を頭に浮かべながら理解した方が分かりやすいのかもしれないですね
そうだね
映像がない番組でなんですけど
想像力でね
僕割とそのタイプなんで
そうなのか
頭の中映像ないし図形で理解することが多いんですよね
だから歴史の勉強してても構造理解になっちゃう
文字忘れていく
そうなの?
みたいな感じですかね
その割には単語もあるんですかね?
覚えてるよね
だって覚えないとね
いちいち調べ直すのめんどくさいね
理由がねそっちなんだ
そうそうそういう感じですよ
ちょっと疑問に思ったのは
ごま油で揚げとるやないかいって
思ったんですけど
多分ね
ごま油希少すぎて
定着しなかったんじゃないのかなっていう想像しました
あー希少すぎてね
希少すぎて
だって定着するには
一般化しないといけないんですよ
うん
日常でこれはきついだろう
あーね油そんなに取れないもんねまだねきっと
貴族の中でも
久芸じゃなくてもっと上ね
あの小一味から十三位くらいまでの
上の人たち天井人の人たちクラスの宴にしか出てこねえみたいな
そんな感じじゃないかな
そういう感じ?
だと勝手に想像してます
ほんと社会のごくごく一部だったら
あげるという調理方法がそんなに定着しなかったのかなあみたいな
うん
うーんいう想像ですね
はいはいはい
あとこの鯖鯉とか麦縄っていうのもあるんですけど
これが変形して生まれたという風に言われているのがそうめんですよね
それが変形したのがそうめん?
という説があります
説ね
うん
要はこう麦こねってこねるじゃないですか
うん
で紐状に細くしていくときに
油の入れ方をちゃんとしていくときに
油塗るんですよそうめんって
そうめんって油塗るんだ
そうそう油塗って伸ばしていくん ですよどんどん
へー
にゅーんって
はいはいはい
ここがね現代の定義でも大事な とこでこの工程省いちゃうとそうめん
じゃなくなっちゃうんで
うん
細いうどんってこと
あの細いうどんってうどんって 切るじゃないですか
あれは切り麦の中の太いのがうどん で細いのが冷麦ね
あのそうめんって違うんで
違うんだ
切るんじゃない伸ばすの
あーそうか手延べそうめんとか 言うもんね
そうそうそうで手延べしてねそうめん ってそもそもそうめんじゃねー
だろって話なんだけど
あえて言うことではないけどあ えて言ってるのね
グルテンで粘性を高めてそれ油 を手につけてこうみゅーんと伸ば
していく
はいはいはい
でこれちょっとどこのホームページ か忘れたけどどっかの一部の地域
ではゴマ油を塗ってそうめん作るん ですって
へー
でそのホームページ見てるとこの 地域では独特でこういうこと
やってるんだけどいつの間にか うちらの地域だけど
ゴマ油使うようになったんだよ ね不思議だねわかんないやって
書いてあるんですよ
ほう
なんだけどねこれ僕の目から見る とそうめんが登場したのって奈良
時代って言われてるんですよ
遅くても平安時代
ということを考えるとですね
ゴマの粉を絞った後のカス
当時出回ってた油って限られます よね
麻の油かはしばみの油かゴマ油 かみたいなそんな話じゃないですか
はいはい
でそうめん自体がそもそも辛く だものから出てきてるんですよ
って言われているので明らかに 朝廷レベルの貴族公家の話じゃない
ですか
うんうんうん
そこで使われる油といえばもう どう考えたっていうゴマ油なわけ
ですよ
はいはいはい確かに
そう考えるとですねなんでうち が今ゴマ油を使うようになった
のか
この地域不思議だねじゃなくて 他が変わってったけど残ったっていう
ふうに考えた方が僕は自然なん じゃないかなって思ってます
あーそうか確かにね
そうなんじゃないかなってこれ 僕の想像だと思うんですよ
そうですよừng澱でも
うーん可能性は高いよね
はいまああくまで可能性ではそう じゃないかなというふうに思いました
ういうん
あとねいい加減油以外の食い物 出てこいよって思って探したん
ですよ
油以外ね
油以外
うんちょっとそれは思ってたよ
思ったでしょ
これね腐殖っていうのを見つけ ました
腐殖
えっと漢字で書くと粉熟酢の 熟で腐熟
粉熟酢
tribun 粉が腐ねふんね
で塾が塾ね
なんか生ったみたいな不塾みたいな感じだけど
これはお米とか豆とかゴマの粉を甘かづらの汁で練るって書いてありました
米と豆?ゴマの粉?
甘かづらだからシロップだね
このシロップで練ります
なんかあれやねギリシャのところでちょっと触れたけど
ゴマケーキっぽくね
あーゴマケーキっぽいかも
あったね
なんかそんなイメージかもしらんよ
これ再現してるのも全然文献上見当たらないしよくわかんないんだけどね
糧飯と腐殖の可能性
これ練っただけで食べるの?
でも加熱してんじゃないさすがに
お米入ってるもんね
そう米豆は加熱したいし
ゴマだってさ加熱しないとダメじゃん
そうだね
加熱してるんじゃない?この後茹でるかなんかするんじゃない?
その後はどうなるのね
粉だから加熱後は粉になんねえもんな
米粉の文化があったけど
非加熱だもんね当時ねまだ
っていう感じだと後で茹でるかなんかしてんじゃないですかね
まあまあそういう何かしらの加熱はするはずだよね
でもねこれ本当に僕の想像なんですけど
ゴマの粉っていうのがちょっとキーワードかなと思ってましてね
確かにすり鉢の原型みたいなのが当時あるんで
ゴマの粉いわゆるすりゴマ当たりゴマっていうのはできるんですけど
どっちかっていうとこれ絞りカスじゃねえかな
絞りカス?
その可能性あるなと思って
要はゴマ油を絞った後のカスね
その辺も使えるんじゃねえかなと思うんですよね
まあ確かに大量に出るもんね
だし作油技術が
あっさくね絞る技術がそんな現代みたいにね
ほぼ全部出せますみたいな感じじゃないと思うんですよ
うんうんうん
だから仮にゴマの中に油が50%ですと言っても
10%分とか20%分絞りましたみたいな感じじゃないですか
うんうんうん
大半味残ってるんで
まあ使い道はたくさんありますよねそうするとね
まあそうなるね
油が出てくる時点で本当はそのゴマカスを使った料理がないっていう方が不思議
ほうまあまあ確かに
だと思いますね
うんうんうん
あと文献上全然出てこないけど完全な想像でいくと
あの糧飯やってないのも変だなと思うんですよね
糧飯をやってないのが変
うんだからご飯炊く時とか炊いた後にね
スルーにシンプルにゴマ入れるってやつね
あーはいはいはいはい
すりゴマでもいいしそのまんま入りゴマでもいいんだけど
うん
当時ほら白米単体で食べてるってあんまないわけじゃないですか
うん
その貴族の宴会ぐらいしかないね
はい
はい
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
豆とか全部混ぜ込んで一緒に炊いちゃったりしてるんで
地元でゴマ作ってたら入れねえこれ
まあ入れるよね
かなーみたいな想像ね
逆になんか生産量が上がってきて頂点に届けるとねすげー高いし
ゴマ油にするとすごい高級品になるんだけど
ゴマの粒自体もすげー高級品なんだけど作ってる人のそばには
当然そのゴマのパラパラした余り物とかね
うん
うん
油飯とゴマ油の関連性
健常しないやつとかがあるはずだから
そりゃ普通に食うだろうな
あー食べるね
うん
で健常品が油だとしたら地元にはゴマ油のカスが残るんで
うん
きっと食べてるでしょうね
まあ捨てはしないよね
うん
ただ文字がないので
あー文字がない
庶民だから
はいはい
当時の敷地率どのぐらいかはちょっと調べてないけど
数パーセントでしょ
うん
だから庶民の生活はあまり記録にないんですよね
うーん
平安時代ぐらいなら山井の草子っていう思想農路の男とかね
絵が出てくるんでそれ見りゃ少し載ってたりするんですけど
うん
残念ながらその中にもあまりゴマを食べてる風景っての見当たらないので
うーん
ちょうど分かんなかったこのぐらいが限度
だいぶいったけどね
うん
まあ油の利用が記録に残ってるっていうのはそれが貴重だったからなのかな
うんうん
っていうイメージで
はいはい
だいぶいっちゃったけどこれ切る?切らないでいく?
あとどのぐらいあるのこれ
あと倍ぐらいある
1時間半超えになっちゃうね
うん
今何分ですか
今40分超えました
はいじゃあ1回切って
次油の神様の話しましょうか
油の神様
油の神様ですよ
油に神様がいたとは
油の神様か
そうきたのか
なかなか有名な話らしいんですけど僕は初見でした
あそうなんだ
はい
ちなみにあのつむぎさんからの
はい
京都の亀屋清永さんってことかな
うん
さんに正常換気団っていうお菓子がありますが
ほうほう
こちらも唐菓子の一種だそうで
はいはい
ゴマ油で揚げてますね
おーそうなんですね
うん
すげー名前本当にくれさん言ってるけど
美味しそうだけど正常換気団ってすごい名前だよな
すごい名前本当ですね
写真はねなんて言うんだろうね
巾着みたいになってるよ
へーいろんな形してるっぽいですからね当時ね
あそうなんだ
うん
えー1個648円
わお
まあ結構大きっぽいね
大きさは結構ある
結構大きいですね
うん
コシアンを入ってると
おー面白いな
いやちょっと食べてみたくなりました
すごいお菓子だねこういうのもあるんだね
ねえ
ちょっと食べてみたいけど
ちょっと僕も調べきれてないのですけれども
うんうん
奈良とか今の京都あたりとかね
あとは瀬戸内海全般
それこそ今ぐれさん挙げてくれたけど小戸島とか
うんうん
古代の油利用の名残
あのあたりは調べると
割とこういう古い時代の名残っていうのが出てくると思うんですよね
うんうん
本に出てこない文字にならんやつ
文字にならんやつ
あるんでしょうけどあんまり文献で表に出てこないやつね
あー
ほんとねこの辺調べると民族学的になるので大変なんですけど
うんうん
はいそういう情報があればぜひぜひXないしは公式フォームの方から
はい
お知らせいただければ僕が喜びます
ふふふふ
そうね
はい
一応あのシリーズ終わった後にあの専門家の方がね
うん
えー喋ってくれるかもしれないんで
期待しておきます
はい
専門家?
うん
専門家っていうかそちらの方がいらっしゃったらあのゲストとしてね
あーそうですね
喋ってもらってもいいかなと思ったら
いいですねはい
はいということで今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
43:37

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