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食べ物ラジオ カチャ料理無刀無刀卓郎
です 楊 無刀太郎です
このラジオは少し変わった 経歴の料理人兄弟が食べ物の知ら
れざる世界をちょっと変わった 視点から学んでいくラジオ番組
です ということで前回から全然前回
ぐらいかなyoutubeに最新回の映像 を上げるようにしました
昔のやつね今30本ちょっと 上げたんだけど途中から更新頻度
また落ちてきてこれは間に合わない というので諦めていきなり日本料理
の途中からアップしだすっていう 勃起に出ましたyoutubeも見ていただいて
そちらのチャンネル登録もよろしくお願いします 楊 はーい
あとですね食べ物ラジオのサポーターさん
食べラジサポーターの募集も随時 行っておりますのでまたこちらの
登録もよろしくお願いします 楊 はいお願いします
ということで今回話題がつき たので
楊 そうなんですよこのオープニング を毎回入れるようにしようって
言ったら録音ボタン押してから喋る ことどうしようとか言い出すから
ね ねこの今収録もあったねその
下りね 楊 そうですね一回止めました
止めたねということでtwitter の方にも質問箱は設置しており
ましてそこに今何件か質問いただ いているのでそちらをちょっと
答えていこうかなと 楊 いいですねオープニングトーク
はこれからtwitterの質問箱にいただ いた質問への回答とかあとメール
フォームもあるんですもんね公式 のほうでね
メールフォームのほうも最近 いただいたのがあるのでちょっと
そちらもちょっとずつ消化しながら 行こうかなと思います
楊 そうですねご質問だけでなく 普通オタも普通オタって言って
みたかっただけなんだけどみんな 言うじゃん普通のオタより
そうなの初めて聞いたわ 楊 そうらしいですよ
俺が知ってるのはだろうリスナー 卒業おめでとうございます月曜
ときましてさんなんだけど誰かが コメントするだろうっていうその
だろうではなくて皆さんでコメント をちゃんと送ってラジオ盛り上げ
てくださいという盛り上げましょう という自分が送らなくても大丈夫
というのはやめましょうという 楊 そうたくさんのお便りいただ
くとご紹介できるものとできない ものもあるとは思うんですけども
単純に僕らがめっちゃ喜びます そうね結構お便り楽しみに
してるんだよね 楊 そういただくとめっちゃ嬉しい
ねもうどんな些細なことでも 構わない本当に
楊 そうですね いつも聞いてますぐらいでも
すごい喜ぶね 楊 いいですねあとどんなシチュエーション
で聞いてるかとかもね 気になる
楊 気になりますよね 毎回結構すごいタイミング
03:00
聞いてますねっていう人もいる しね
楊 そうですね ということで今日は一つ回答
していこうかなと思います いつも楽しく聞かせてもらって
ます 最新の質問回答コーナーで食育
っていう言葉はあんまり好きじゃない けどとおっしゃっていたかと思います
がどのようなお考えがあったでしょうか 私も何か食育という言葉が一人
歩きしている昨今に違和感を感じ つつすっきりした答えがないので
過ごしておりますお二人のご意見 をお聞きしたいです
楊 食育 食育ね多分俺言ったわ
っていうのも昔ね島とドラマ高知県 の地域勝者ですよそこにいたとき
にお前は将来帰ったら何がしたいん じゃって言って社長とかとある
デザイナーさんに言われまして 飲みの席であとそのときキノキノ
さんなんていうの木下ひとしさん 今ニュースフィックスとかでも
すごいいろいろ出てらっしゃいます けど一緒に飲む機会が何度もあり
ましてそこで帰ったら料理屋なんで 食育したいですっていう言葉を
ペロって言ったら食育ってお前何 すんやみたいな
楊 気になる俺も気になった今 本当に食べ物の今やってる
ことみたいなこのラジオが昔言 ってた僕の食育っていうところ
の一つなんだけど一時産品野菜 とか畑でいろいろ作られてるわけ
じゃないんだけどその良さとか どうやって作られてどういう加工
を経て一般の消費者の肩に届いて いるのか野菜の種類っていろいろ
あるわけじゃない同じ椎茸でも 品種が違えば味も香りも食感も
全部違うだから椎茸が嫌いっていう 子供がいたとしようだけどそれは
どの椎茸を刺しているのか 楊 確かにねあるある
楊 どのタイミングで食べたらどの 椎茸を刺して嫌いだと言ってる
のかっていうまとめてる括りが椎茸 っていう括りっていうのがもや
っとしてて だいぶ大きいよね括り
楊 そうそうそう しかも生で食べるわけじゃない
から間に加工技術とか鮮度とかいう 問題も出るしね
楊 そうそうパックの加工の辛く 似たやつが駄目なのかそもそも
この薄っぺらい中国産の椎茸が嫌い なのか国産だけどもだいぶ味が
違うとだからそういったところ をもうちょっと広める活動をしたい
ですっていう話をしたときにそれって 食育って言葉で括っていいのか
みたいな確かに食育って言うと 食べる教育ってないやねんって
言われるとあんまそこ考えてなくて 当時は二十歳だったけどいくいく
考えたら食育って言葉自体が本質 を捉えてないなと思ってやりたい
06:03
ことのっていうので食育って括 ってしまうと食を教育するって
感じだけど教育するではなくて 知ってもらって楽しんでもらう
ってとこが本来の俺がやりたかった ことそれを食育という言葉で一般
メディアでいろいろもてはやされた 時期があったけどなんかしっくり
しないなと思ってこれね食育という言葉はちまた
で勝手に流行ったわけではなくて 農林省が出してるんですよで法律
なのかな食育基本法っていうのは 2005年に制定されてるんですねこれ
法律ですねそこから来てるはず だと僕は認識をしてるんです
そうなんだ
でちょっと今僕もぼやっと した記憶だったんで手元でググ
ったんですけど国民の心身の健康 の増進と豊かな人間形成それから
食に関する感謝の念と理解あと 食育推進運動の展開子どもの食育
における保護者教育関係者の役割 食に関する体験活動と食育推進
活動の実践などなどが記されている という法律だそうです何だろう
ね
何でもかんでもエコって 言っとけばいいよみたいな風潮
のときと感覚に似てるんだよね そうこれは僕sddとかも同じ
危険性をはらんでるなと思って いてあれが全て正解かっていう
とそうじゃないだろうっていう 部分ももちろんあるんですよsdg
とか食育とかエコとかいう言葉 はある意味分かりやすく広く伝える
という役割を持っていてそういう 意味ですごく力を与えてくれてる
言葉だとは思いますただ危険な のはその言葉に乗っかってさえ
いればやったという免罪符にな っちゃう
そうね
本質捕まえてないよね っていうところに陥りかねない
のがやっぱこういった言葉の恐ろ しさ危険性かなというふうには
感じてますね
そうね言葉のせいで思考停止 に追い込まれるみたいな
例えば今タクが言った ようなね食材についての違い
とかの生産者さんの思いとかいう のも一つの食に関する知識の一つ
だし僕らがやってるルーツとか 伝統とかそういうのも一つだし
食料そのもの生産体制について これからどうしていくんだっていう
のもやっぱりそうだしあと作法 とかマナーとかもそうだしそういう
のをいろいろと分岐してるはず なんですよねそれを一緒くたに
ぐるっとまとめてなんとなくやった 気になったっていうのは多分嫌
なんですよねあとは僕が気になる のは正しい知識って正しいって
どこやないって僕これ正しいとか 普通っていうことを聞くと敏感に
09:02
反応する癖があってですねもう 学者さんだね正しい箸の持ち方
って誰が正しい決めたんや言って みろみたいなことを頭の中でバーン
って浮かんできちゃうんです ここまで聞いた皆さんわかる
かもしれないですけど正しいマナー 講座ね日本食の食べ方とか今そういう
解釈なんだなちょっと違う所から 見てるけど朝の番組とかでそれ
見たこんねえなって結構あって 文脈的におかしいだろっていう
のは歴史上こうやって聞いてれば わかるんだけどぶっ飛んで正しい
マナーっていうのでくくっちゃう とその番組の人は素直にこれが正しい
と思い込みがちなんでそういう 名前のせいで
そういう切り取り方をされちゃう からねあくまで切り取りの問題
だと思うんですけどね昔僕が読ん だことのある漫画のワンシーン
に出てくるんですけどすごく食育 に厳しい幼稚園が舞台ですそこに
流れ者のフレンチの超一流のシェフ がやってきますお金で雇われて
雇われて子供たちにテーブルマナー をちゃんとしつけたいのでこれ
が食育です教育ですだからちゃんと したもの出してくださいって言われて
もうガッチンコのフルコースの フレンチを出すわけですねでみんな
子供たちは困りながら外側から 使ってとかってこのフォークは
これ用でこれ用でってやるんだけど そのシェフは影からチラッじーっと
見ていてなんか無言でじーっと見て 似合って笑って次のシーンに映るん
翌日のランチ本気のフルコース のカレーなんですよ
カレー
インドので子供たちは絨毯 というかゴザみたいなとこに座
ってねで右手一個で手つかみで 食べてるわけですよもうすると
その幼稚園の先生はめちゃくちゃ キレるわけですキーって何なの
みたいなでフォークとダイフを 出してきた瞬間にパーンて叩いて
そんなもの持ち込まないでください それはマナーに反しますって笑
とても考えさせられるシーンでした ね
そうだね
国ごとに伝統があって文化 があって慣習があってそれをなんか
今の感覚だけでひとくにしていい のかっていうのとかね一回立ち
止まって考えてみるっていうところ も含めて後ろく行くというのだったら
まあありかなマナーとかもそうだ し食べ物もそうだし何でもそう
なんだけど過去がこうだったから これが正しいではないし私の感覚
がこうだからこれが正しいっていう のはあまり不勉強な気もするし
ちゃんと両方を見た上で今僕の 目の前にあるこれはどう捉える
べきなんだろうかっていうのを 考える癖をつける正解を与えるん
じゃなくて考える行為を促進する っていう意味で教育の機会があったら
12:05
いいなっていうのはもう職域に とどまらない話ですけどね
まあ今ちょっと僕が思った のは当時そうやって言われたこと
むとお前は職域って言ってるけど それでいいのかみたいな感じで
言われたのね多分そこで言いたか ったのはきっと自分の言葉でしっかり
何をしたいのかそういう言葉に 怠けるなというか
楊 わかる そう囚われるなよっていう
意味で多分言われたんだと思う それが多分自分がやりたいこと
っていうのが表現しきってないよね っていうので多分言われたんだ
と思うけどそれからいろいろ考えて 俺は職域っていう言葉をあえて
使うのをやめた 楊 いいかもしれないですね
これは僕の持論なんでこいつは アホやなと思ったら流してほしいん
ですけど教育っていう言葉自体が 教え育てること育むことっていう
言葉でそれはそれでいい言葉だと 思うんですけど勉強学びを強いる
みたいな言葉じゃないですかあれ と教育が今ごっちゃになっている
ようでどっちかっていうと教育 っていうのは本人が学びたいと思
ったときに学べるような環境の 設定だと思ってるんですよね体験
のアレンジだったりとかその中から 何を学ぶかは本人次第で経験を
積むことである瞬間にパンと閃 いてのれめり込む瞬間が来るかもし
れないじゃないですかそういう のをきちんと提供し続けるっていう
のが教育の基本なんじゃないかな っていうのを僕ずっと思ってる
ですねだから食育っていうのもそういう ことだと思うんですよだから親が
偏食だと食育にならないっていう のは普段食べるものがすごく偏
ってしまうだからもしかしたら その子が食べたいと思うものおいしい
と思うものとかその子に必要な 栄養素が別のところにあるかもしれない
そのチャンスを奪ってしまうのは 食育の観点からは外れるんだろう
なだから無理させることはないん ですけどほらうちでもよくある
じゃない普段茶碗蒸し嫌いで食べ たくないなうちで提供した茶碗蒸し
も子供が食べたくないんだけどいい から食べてごらんって一口食べて
嫌だったらやめたらいいからって 言ったら完食するんですよで普段
何食べてるのってスーパーでパック に入ってる茶碗蒸し食べてます
ね一緒にすなよって話なんだけど けどその子供たちはこういうの
もあるんだって気づいただけで じゃあ他の食材もそうかもしれん
ねってあの時しいたけ嫌いと思 ったけど違うところで食べたら
おいしいって気づく瞬間がある かもしれない
まあある意味茶碗蒸しという 言葉に引っ張られててね
そうそうそうそういうこと だと思う
くくりで アンロックしていくどんどん
どんどん開放していくっていう のがまず僕が一番根底に思ってる
ことで学校関係の先生方とお話を する機会もあるのでやっぱりそれは
共通認識があってでなるべく本人 に気づかせたいので知ってる知識
であっても本人がたどり着ける ようにこっちから押し込まない
15:01
みたいなことを気遣ってますという 方が多いんですねそれはそれで
僕アプローチとして好きなんですけど 僕のところに質問に来ると僕の
知ってる知識は全部言うんですよ もう来てるから言っちゃう全部
長くてうるせえよっていうぐらい 言っちゃって知ったらそこから
疑問が絶対生まれるんでそこで ゴールにしない
そうね無知を知るっていう ね
要はね僕ごときが知ってる レベルのことはもうはいどうぞ
バーンって出しちゃうもっと先 行けってドーンって背中押しちゃう
ともうパニックになるんだけど だいたいのが
でも教育の中に経験値を積み重ねる
何かを用意するというか衝撃を与える とかそういったところも絶対入って
くるしね
経験値は必要ですよかけ算 の九九が理解できない子は九九
を何回反復で言わせても多分本質 を理解できないんでそういう場合
は小学校1年生の一番最初のビーズ みたいなのを並べて1がいくつ
あってとか2の塊がいくつあって みたいなのをそこからやり直す
んですよそうすると経験値が溜ま るんで2の塊をいくつ作ったら
こうなるんだっていう経験を何 パターンもやっていくうちに法則
勝手に見出すんでその経験を積ん だ後に法則かけ算って法則ですよ
ねあるいちの法則をパーンと与 えてあげるとこれ便利ってあれ
一発でこうなってるんだっていう 理解が進むとそこから先はスパーン
って一気にいけるっていう感覚 が僕は持ってて食育も普段から
ずっといろんな経験をしてくる 食べるとか作るとか切るとか
煮るとかどんどんどんどん研究 していく経験を積み重ねていく
とどこかのタイミングでくって 掴める瞬間が来ると思うんで
そうね頭と体両方で理解する ってね
そうそうそうそうそういう 感覚がありますかね不流文字とか
ね今回のシリーズで出てきた転造 教訓に出てきたようなね座禅と
道儀とかそういう世界まで行けたら 面白そうだなと思うので
これ長くないとだからそろそろ 本編行きましょうか回答になった
かどうかわかんないですけどね こんな感じでね思っております
という
お便りありがとうございました
お便りありがとうございましたじゃあ 本編にまいります
シーズン17日本料理第8話ということで 今回は
解析料理が登場した時代の背景
についてはい前回の話のバックグラウンド どうなってたんだっていう話を
ちょっとしてみようかなと
そういうことね
だからね今回のシリーズ 日本料理の変遷シリーズは全部
概略だよって言ったにも関わらず 結局背景やるかって言ってくれ
なそうとしてるまあはしゃいながら 高速で喋るとまた事故るんでゆっくり
と丁寧に押し進めていきたいと思います 丁寧にね
18:00
丁寧にね解析料理が登場した背景
これを要素で分解してみたんです どれが必要かなって
解析料理の要素ね
解析料理の要素って言う ともうちょっとややこしいんだけど
寿司のシリーズの時もグルメブーム が登場するにはこういう条件
が必要だよねみたいな話をした と思うんです
あああったね
はいあれの解析料理が登場
するために必要な要素っていう のを考えてみましたただほぼほぼ
寿司の登場とあんま変わんない ですよそのグルメブームの登場
要件とあんま変わってないんですよ だから別の角度とかいうのを含
めてちょっと深掘りをしてみよう かなということですまず第一に
絶対必要な条件が料理屋がいない とダメなんです
まあそりゃそうだね
そもそも料理屋料理なんで 料理屋の登場と発展が必要です
そのためには料理の技術が拡散 しないといけないんです
確かに
なんでこんなこと言ってる かというと料理の技術というのは
もともと一部の朝廷貴族クゲとか 貴族の間もしくは武士の武家の間
だけに踏襲されてきたもう秘伝 ですよね
そうだね
史上流秘伝書みたいな のでもしくは高等だけでとかそんな
感じできたのが外に広がっていかない となかなか厳しいだろうねという
のが一つですねこれが土台になる 部分ですあとマーケット
マーケット
庶民の富の拡大ですね これも前回と被りますねそこから
生きの遊びっていうのが出てくる っていうのがねあとは食べる側
の食のリテラシー知識とか経験値 とかさっきの話に繋がるんだけど
そういうのがないといかにすごい 凝ったもの出したっていかに貴重な
もの出したってあっそうつって そもそも舌も訓練必要ですから
味覚っていうのはいろんな味を 食べれば食べるほど味覚が鋭く
なる未来じゃなくて味覚を脳が 認知する精度が上がってくるということ
がありますんでやっぱ経験値が 必要ですよねその経験値を積んだ
人が多ければ多いほど大きなピラ ビットになるんで頂点も上がって
くるとそういったマーケットの 拡大ってのは必要ですよねあと
インフラね当たり前なんだけど 食料が豊富に到達できると無理
なんですよ まあねいろんな食材使うからね
まず米の食料生産が安定してる ことねそれから他の野菜とかあと
コブとかああいう甘物ねああい ったものが全国的に流通してくれ
なきゃいけない特に今回は江戸 が舞台になるんで江戸にいっぱい
ものがやってくるような環境が できないといけないんで増産と
共に物流の発達ですよねっていう のが必要ですあとはですね寿司
21:01
と違うのは今回複合的な料理の 文化なので調味料の発達がない
と 楊 調味料ね
調味料塩しかありませんでは 楊 そしたら初期の頃みたいに塩
を片隅に置いてね自分で味付け してくださいみたいなのになっちゃう
もんね 楊 そう塩と酢とかそれだけでも
できるんですよ料理っていうのは かなり塩と酢だけでものすごい
バリエーションの料理は作れるん ですそれをベースにして作られている
のがイタリアとかスペインとか フランスの料理文化ですよねその
代わりソースを作るわけです日本 の場合は味噌とか醤油とかが登場
してくるなおかつ酒を料理に使う ようになって結果みりんが出て
くるこれらがちっちゃい産業だと 厳しいんです100万都市の江戸の
人口を支えられないんで大量生産 をするシステマチックな経済的な
工場のような生産ができるよう になってそれが物流によって東京
にドガーンと寄ってくるこれが ないとなかなか厳しいなとこういう
インフラの整備が江戸の初期から 徐々に進んでいって中期頃になる
とすごく形になってくるそういう 時代背景があるとこんな感じですか
ね大きく料理屋の土台それから マーケットとインフラとこの三つ
の柱ですねここまでいいですか ではでは料理屋の登場について
ちょっと話をしてみようかなと それぞれいくんだね
楊 それぞれ全部はほらですけど それぞれポイントポイントいきます
ね料理屋っていつ登場したと思います いつ登場した
今江戸時代じゃない 楊 今江戸時代ですけど料理屋の
原型っていつ頃に始まったと思 われますか
料理屋の原型原型いつ頃戦国 時代の後くらい
楊 いい感してるじゃないですか
だって安定しないと無理 じゃんねそもそも食料が戦国では
まあ無理戦国時代じゃん 楊 無理ですね厳しいと思いますよ
そこからちょっと経った50年 とかくらいから徐々に安定しだ
してるとこじゃないのか 楊 江戸初期くらいですかね
そうだね 楊 だいたい1400年頃なんで室町時代
ですね だいぶ前だった
あれ 楊 やっぱ安定してるんで室町時代
室町時代がね 楊 本然料理が出てきた頃ですよ
ただ初期の頃はやっぱ料理屋と 言っても大したことがなくてまだ
料理屋って呼んじゃいけないところ から料理屋に変わっていくのが
このくらいの時代 屋台で例えば今でもそうですけど
大もろこし焼いて売ってますって これ料理屋っていますかってちょっと
厳しそうじゃないですか そうね言っても出店くらい
ね 楊 そうそうそう料理屋って言わ
れたらうち店の建物が建っていて そこでご飯を調理してくれてそこで
24:00
食べるという状態が料理屋っていう 感覚ですよね定義ちょっと難しいん
ですけど一番最初の形はねやっぱり 屋台だったみたいですよ
まあ屋台だね 楊 もう屋台も出店みたいな屋台
ね 固定のね
楊 そう出店っていうかねもう出店 だな
簡易的に組み立てて設置できる ような
楊 もうほとんどね縁日の出店みたいな イメージ
やっぱそういうね
楊 うんそっちそっち 室町時代の京都のお寺の門前とか
にねそういう出店が出てくるんですよ お寺参りしてくるとか紅葉のシーズン
とかねやっぱ一緒なのやること 縁日みたいにね茶売りっていう
人たちが出てくるねその場で茶を 立てて売るっていう村町時代お茶
が大ブームになってたでしょあれが 京都の庶民にまで広がってくわけ
ああそうなんだ
楊 で茶売り王とか言っておじいさん とかが始めたって言われてるんだけど
簡単な屋台でその場でお茶パパッ と立ててで一杯いくらですと売ってる
人が出てきてそのうちにねお茶 だけだとちょっと物足りないって
ことで煮売じゃやとか煮売の煮は 煮物の煮なんか煮たやつを一緒に
売ってる
お茶とセットで
楊 今でも喫茶店とかでもう名古屋 行ったらトーストとおいみたいな
感じあるじゃん
大蔵と夫とね
楊 そうそうあんな感じの煮売じゃや とか焼売じゃやっていうのが出て
くるそれがだんだん人気になって くる参拝客がだんだん増えてくるん
ですね煮売じゃやが人気になって からそれ目当てに来る人も出て
くるで大きいお寺になるともう 集客力がすごくある
そうだね
楊 だったらもう毎日畳んで帰って 仕込んで持ってきてめんどくさい
じゃない
そうだね
楊 簡単な小屋掛け始めるんだよね 自由だねおいってね
今もあるよね張田さんなんか 行くと3棟の脇には料理屋さんが
いっぱい
楊 はいあんな感じですよどこの お寺とか神社でも大きいとこ行く
とね常設のお店がありますよね 土産物屋さんとかあんな感じで
だんだんとお店になっていくで そのうちに中で豆腐の焼いたん
とかそういった料理を提供する ようになっていくとこれがねほんと
段階的に進化をしてくので細かい ステップが言えないんですけど
だいたい150年後1500年代の中頃 くらいになるともうこのスタイル
がいろいろと多様化して各地に 広がっていくんですよね真似すんだ
みんな
商売としてはね売れるしね 楊 あれええなうちもやるかみたいな
感じでだんだん広がっていくみんな 拡大していくんで1500年代の中頃
27:00
になってくると大阪あたりでも やってるっすねお寺と関係ない
ところにまで立ち始めるんですよ あそこ競争激しいからねちょっと
うちは脇にしようとかね
楊 だいたいお寺じゃなくてその店を
目当てに行くようになるから茶屋 なんだけどもご飯とお酒が出る
ようになって中井さん今だったら ウェイトレスさんみたいな人が出て
きて女性がそこにいるんだよまた きれいな若い女性がいるとで金
持ってるのだいたい物資とかね 商人とかで野郎が多いのでまた
その可愛い女の子を目当てに行く とそのうちに揚げ茶屋みたいになって
二階ではちょっとしっとりとなって 続きの部屋があって二間一つな
ぎみたいになっていて隣の部屋 は何もないんだけどお尻を開ける
と布団が入ってるみたいなねそう いった環境にだんだんなっていく
これなんでわかるかっていうと 京都のお寺の門前ではそういうこと
は致しませんっていう少々お寺に 出すぐらいだからそういう下の
ことはしませんよお寺の前では っていうことは他でやってるよって
話だ 楊 そうねやってる人がいなかったら
そんなのいちいち出さないからね そうだから大阪なんかでは
人気になったのは湯屋ですね銭湯 ねこの当時の銭湯っていうのは
湯船に使うようなお風呂じゃなくて スチームサウナに近い
楊 へえそうなんだ そうそうふんどししたまま
入ってさ竹光ってわかるかな 楊 竹光
剣道で使うしないあれば らすとさ竹の皮断片になるじゃない
で内側に節がついてるねあれでも ってもちろん角丸くするんだけど
あれでもって背中をゴリゴリって 言って赤を書くとか
楊 へえそうなんだ 赤書き目って言ってね女の人
がそこにもちろん着物を着て浴衣 を着た状態で入ってきて布でもって
こう背中の赤を書いてくれるとか そういったようなサービスがあって
夕焼けから上がると2階ではお酒 とお膳におつまみとか料理が出てくる
はあそうなんだ夕焼けって もともとスチームサウナみたいな
使わないんだね 楊 使わないですねどちらかという
とこの時代はそういう感じですね これ漫画で見ると花の刑事とか
だと出てくるんでわかりやすいですよ それで表現がわかりやすい
んだね急に 楊 絵が浮かぶからさ
急に具体的だなと思って 楊 そうそう時代物のドラマとか漫画
っていうのは映像理解ができる のでわかりやすいですよね
確かにね 楊 この辺が町州から発祥した料理
屋ですかねこれとほぼ同時並行 かちょっと後ぐらいにちょっと
金持ちの商人とか武士の階級の 人たちが使うようなお座敷料理屋
が登場するんですよ別ルートから くるんです
別ルート 楊 あと丸山公園京都の丸山公園
わかります わかんない
30:00
楊 四条河原町義恩の近くですね あれの突き当たりですね
へえ 楊 四条河原に山があってそこ
には安養寺とか陳恩院っていう お寺さんになってるところなん
ですね丸山公園にお寺があるこの 中に安養寺というお寺があります
安養寺には六つの太宗があるん ですね
太宗 太宗って意味わかんないよね
お寺の敷地内に小寺があるみたいな イメージね安養寺のお寺のトップ
の人が引退して次譲るじゃん引退 した人から小寺を作ってそこに
住まうとかそういったことがあった らしいんですよね
六つの太宗っていうのが広いんですよ そこそこいい部屋なのあそこら辺
丘の上だし景色もいいしいい感じ なのよこの部屋貸すの
貸すの
多分初めは法事家なんかだと 思うんだけど結構広い部屋じゃん
なんかにここ使わせてくんない っていう話になるんですねここの
安養寺というお寺が室町ぐらい だと幕府と結構密につながって
たりするのでじゃあどうぞみたいな 感じで使わせてもらいますみたいな
感じで使い始めるとそのうちに 法事とか言ったらときつってご飯
食べろよお寺の中で食べたら便利 じゃん広いし親戚いっぱいいる
のに料理屋があるわけじゃんもない し京都の街の中なんででかい屋敷
っていうのは限られてるわけですよ なかなか使えない親戚いっぱい
集まっちゃったら自分家に入らない お寺参加してくれよという話になります
よね普通に今でもありますよね じゃあ料理どうするのって言ったら
近所の料理作れる人のところで 料理作って仕出しを持ってきて
もらうとかさっきの乳売りじゃん みたいなところで仕出しを持って
きてもらうまたは料理がうまいやつ を呼んできてお寺のクリで料理
を作らせるとか もうケータリングだね
楊 まさにケータリングを初期の 何ならケータリング先みたいな
感じでみたいな感じで始まって くる
シェフの依頼だね 楊 でお酒も飲むし焼き魚も食べる
し肉も食べるしお寺なのにいい のかなみたいな状態になってきます
確かにね 楊 なんでかっていうと安養寺
というお寺寺宗という宗派なんです 鎌倉仏教臨済宗とか曹洞宗とか
いわゆる禅宗があったり浄土宗 浄土新宗とか出てきますねその
中の宗に寺宗っていうのがあるん ですよ
へえそうなんだ 楊 太宗は一遍というお宗さん
一遍 楊 元々この寺宗は浄土宗から
分かれたんです封年の浄土宗から 分かれてくるで浄土宗っていう
のは南無阿弥陀仏もう太力本願 って分かりますかね
太力本願 楊 太力本願あれ他人に委ねる
33:01
とか頼るとかそういう意味じゃない ですよ太力本願っていうのは阿弥陀
様の深い慈悲によって救ってくだ さると阿弥陀様はそれだけ慈悲
深いので悪人であっても助けます よっていう悪人性季節まで行っちゃ
うっていうのが神羅さんですね浄土 神宗のですね浄土神宗自体が阿弥陀
様が必ず救ってくださるんで阿弥陀 様さえ信じていればいいですよ
というそういう収支なんですよ 寺宗は一遍何言ったかっていう
と別に信じなくてもいいともはや 阿弥陀様のことを信じなくてもいい
ですそれでも救ってくださるから 阿弥陀様って慈悲深いよねみたいな
ことになるね もう宗教とは
楊 もう何言ってんのになるじゃん ただお題目だけ生阿弥陀仏だけは
唱えておきなさいと礼儀として したらちゃんと救ってくださる
からいいよねってだから別にそんな カイリスとかいいのよ財家だし
肉がダメいいとかね肉はダメなの かもしれないけど魚食べるの全然
いいんじゃないつって奥さんと 結婚するのどうぞどうぞ最大オッケー
ですみたいになってくるわけそれでも 阿弥陀様は救ってくださるっていう
ということでこの安養寺の中では 普通に魚食べれます鳥も食べられ
ますオッケーですね そんだけ寛容だということ
だな 楊 そうそういう感じでここがだんだん
料理屋化していく料理屋化して いって本当に最終的に料理屋になる
んですここ料亭になるの そうなんだ
楊 寺宗っていうのはだいたい和尚 さんとか僧侶が多いのかな僧侶
だとなんとか阿弥って言うんですよ 名前がね何阿弥何阿弥とかっていう
名前になってくるそういう名前の つけ方するんですって知らんけど
その各達中っていうのはそれぞれ の達中っていうのは住職が隠居した
ところじゃないですかだからそこで どれなんとか阿弥っていう名前
がつくんですよ人の名前がそのまま ねつくんですよ6つあったうちの
一つ左の阿弥って書いて左阿弥 って言うんですけどこれ今もあるん
ですよ今もあって料亭なんです そうなんだ
バリバリの料亭ですこれ創立 いつだろうねもう創立以外だよね
楊 商売士としてビジネス上今の
現代人の考えるビジネスになって からまだ400年とか300年とか短い
方だけどもともとの左阿弥ができ たのさあいつだっていうともう読む
の途中でやめた まあ相当古いだろうね
楊 でしょうねそういう感じですちなみ
にチップスなんであんま覚えなくて いいんですけどなんとか阿弥っていう
ので言ったら能を完成させた勘 阿弥勢阿弥って言いますよね勘阿弥
も勢阿弥もこの自衆の宗派の人 ああそれで阿弥ってつくんだ
楊 みたいですよらしいです
ずっと謎だったんだよねなんで阿弥で終わるんだろうと思って
楊 これはもともと自衆の人たちがそう
36:01
だから ああそういうことね
楊 で勘阿弥とか勢阿弥特に勢阿弥
ですね勢阿弥が足利義満にすごく 可愛がられてましたねそういうのを
見ると自衆と足利幕府って結構密 にくっついてたんだなってのが
分かります そういうことになるね
楊 そういうことになりますねで ここがだんだんと両手の走りですよ
でこの状態がこうベースにできます よねであと間バーっと端折っちゃいます
けど戦国安土や桃山時代とかを こう通り越えて江戸時代までずっと
これがただただ拡散進化していく だけなんですで元禄時代ぐらい
なると何が起こるかっていうと もうめちゃくちゃ料理ができて
ますよねで僕読んだ本には京都の 街歩きマップみたいなの当時の
ねがあって地図の上に料理屋が 矢印とかぴょんぴょんぴょんって
書いてあるんですよ日出しみたい になっててでうなぎ屋とかねある
うなぎ屋がある海石茶外石のほう ね海石って書いてあったり商人
って書いてあってこの店商人料理 売ってたんだとか豆腐とか川魚屋
とかね川魚屋ってのは川魚の料理 屋ねであとイケスとか書いてある
イケス
あれはどうなの鴨川になる のかな鴨川で今張り出した建物
とかあるじゃないですか 川の上にね
川の上に張り出した建物ああいう 感じの作りをしていてそこから
ねカゴをこう吊るしてあるんですよ ロープでもってでその中に川魚
が入っていて川でこう晒してる 見たことある
だから冷蔵庫もない時代 だし京都っていうのは海から遠い
じゃないですかもう寒冷化しちゃ ったんで解体して海が遠ざかって
ちゃった時代ですからそんで川 魚食べるしかないんだけど傷んじゃ
いけないんでそうやって川魚を 川でイケスと言うかと
本当のイケスなんだね
もうガチでイケスいうような ことやったりとかあとはお寺とか
に紅葉が綺麗な地域とか大寺の 近くになるとしだし専門店とか
弁当屋っていうのが
花見の弁当の勢いでね
そういうことだね
まさにまさにあとスッポン料理屋
とかね
急に来たねスッポン
そうこういうのが淡水 なんでやっぱりあれも
そういうことね
やっぱうまいしこういった
多様な料理屋っていうのが出て きてもうすでに即席料理という
言葉もちらほら出始める
即席料理
即席っていうのはカップラーメン
みたいな即席じゃないですよ 今でいうとメニューが書いてあって
これを注文すると出てくるっていう スタイルのことなんですよ
ファミレスみたいな定食屋 とかね
ファミレスっていうかもう 居酒屋とかね
居酒屋もそうか
うん単品料理ではいって 頼むみたいなあれがちらっちら
出始める
へえ
あれはもう即席なんですよ
簡易型なんですベースがね今まで 見てきたように様式が基本ですから
39:02
様式
様式料理様式があるのが デフォルトなわけですよ解析とか
本然とかさっき出てきたサーミミター のところがなんで料亭かっていう
と本然とか解析の文脈から出て きてるからなんですねでそのうち
庶民になるとさもう理解がないん だよリテラシーが足りないから
そういったものに対してでもうその 筆手に入った食材を並べといて
こんなことできますよってことを 品書きとして書いておく
そういうね
でこれ何台って聞いてで 頂戴って言うと出てくるみたいな
形で即席と中には即席解析って 言って合う方の解析の店がそこから
数十年すると出てくるもんねそんな 感じで解析料理屋とか現代風に
解釈するとコース料理と単品の 即席料理っていうのが分化して
いくっていうこの辺りが元禄から その後の時代にかけての流れこれは
面白いのは神方ではもう楽しみ としての外食ができ始めたよって
話なんですよ
そういうことね食事に行く ことが楽しみになる
そうそうそうもうそもそも
その流れで出てきたしね二売じゃや にしてもお寺の場所貸しにしても
ね
まあね
初期からそれなんですよこれが
元禄文化
元禄文化
元禄文化の特徴は神方 中心であるということ
天皇中心みたいな
京都近畿地方
ああそういうことね
江戸の方ではないよって話
はいはいはい
じゃあ一方その頃江戸 ではこんな食文化1ミリもない
ないんだ
ないです江戸で一番最初に 出てきた料理屋と言われているのが
奈良茶飯屋
奈良茶飯屋
奈良茶飯っていうのがあるん ですよご飯が
行ったことないかな前今なかなか 食べないし出てこないし作んない
しねこれはもともと奈良発祥なんです 奈良のお寺で食べられていた料理
簡単に言っちゃうとお米と炒った 豆と栗こういうやつをね一緒に
釜の中に入れてお茶入れて炊く へえ
いわゆる炊き込み飯みたいな
家庭飯みたいなやつだよね
そういうことだね
でこれがうまいということで 評判になっておいせまいる時に
食べたのかどうか知らないけど それを浅草の千草寺の門前で雷雲
のとこでねあそこでやった人が いてこれがバカ当たりするわけ
奈良茶飯と味噌汁と漬物ってこの 3点セットでめちゃくちゃ売れて
他のところでも俺も真似するぜ って言って川崎飲食でやったり
とかどんどん広がっていって定食 屋ばっかり立ってくるんだよね
楽しみとしての外食じゃないの 江戸近辺は日常生活をアウトソース
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してるだけなんだね
ああそうなんだ
自炊してないから
まあ肉体労働者というかいわゆる 現場の人が多いね
現場の人が
現場で毎日肉体労働してる 人が多くて家庭は地方の地元に
残してきてるから
そうあと男性独身が多い
男性独身も多いんだ
独身多い
単身不妊じゃなくて
独身多い
ああそうなんだ
二男坊とかね
ああ出稼ぎね
そう出稼ぎっていうか もう継ぐ土地ないから
ああそういうことか
とかね
はいはい
そんな感じで出てったり とかする
うん
これの背景になってるのは 命令期の大火ですね大火事
おお
うん
で再建しなきゃいけない っていう
うん
でその時に全国から職人 さんがわーっと集まってきて
うん
そうするともう独り者だし
うん
そもそもタイかなと再建してん だから
うん
建物だってそんなに揃ってる わけじゃないし
うん
なんかもうオラーって戦って
うん
戦うかのように働いて
うん
飯って言ったらもう停職 会って
うん
うん
だからもう生活の一部として
の外食
うん
だからもうなんだろう
髪型と江戸でこんだけ食文化の発祥 違うかっていうくらい
うん
違うね
うん
真逆の方向での外食が生まれるん ですよね
うん
うん
がまあ塩辛くなってたり
とかねするんだけど
うん
まあそうね塩気が多くなりがち だよね
そういうとこは
はい
でこの状態から
うん
もう
うん
こう髪型が2分した状態でスタート するんだけど
これが元禄くらいね
うん
でここから1750年くらい
だからそうだね50年ちょっとくらい 法暦天明文化記
法暦天明
うん
まあ1751年から1789年っていう ふうに言われてるんだけど
うん
前回までできたね
そうそう
うん
前回ってタヌマを築くくらいの
あの時代感ね
うん
このくらいの時代感になると
江戸が元気になってくるんだよね
うん
まあやっと発展してくると
さあでやっぱあの下り物って 言って髪型の文化がいいよねみたいな
憧れみたいなのもあるから
うん
どんどん吸収してくわけ
はいはい
で反動でドカーンとドカーン と一気に江戸で植文化が花開く
ああまあもう髪型でだいぶでき
上がってるもんね
そう
それ輸入してくる形だもんね
はい輸入してきてそれをアレンジ
して魔改造をして大ブレイク するっていう
おお国内で魔改造ね
そうだからねもう外国から来た
もんなんだよこれね
まあそうねこの時代考えるとね
そうそうそうこんな感じ になってくるんですよ
はいはい
でこれの元になってるというか
これに一つ影響があるのが本の出版 ですやっぱり
おお本の出版ね
本の出版やっぱね元禄時代に
髪型京都を中心に本屋っていう のが出版元っていうのが出てくる
ね
へえ
でここが本を売り出していく
本本
元禄時代ちょっと前になるんだけど
料理物語っていうのが出るねこれ 日本でも最初の料理書の一つって
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言われてるぐらいね一般で出た のね
そんなオシャレな名前なんだ
料理物語これはねいいですよちゃんと
旬の時期が1月から始まる123456と 月ごとになっていて1月の旬は
こんなものがあるよあんなもの があるよでこういう季節だから
こういうふうに出していくといい よっていう根立てが乗って考え方
が乗っていてぱらりとめくると それぞれのメニューの作り方が
書いてある今の料理書そのもの 日本料理の専門書ですって書いて
ますよね
そうだね専門書はみんなその 作りだね
もうこの時点で季節感と組み立て
をすごく大事にしてる
この時代からずっとそうなんだ
番組がすごく大事なの
番組ってね
根立て組っていうのがねちょっと
言い忘れたけどだから根立てでしょ こっちはねコース料理的な快晴
とかは全部根立てなわけですよ けど一品料理のところはお品書き
なのよね
おお
一品ごとがざーっとメニュー が並んでるだけなんであれ品書き
なわけどんなに並んでても品書き なの単品だからこっちは組み合わせ
だから根立てなの組み合わせなんだ その違いなんだ
そうだから単品で面白い のは本当音楽で言ったら30秒ミュージック
バーンみたいな感じでこれの吉 足の判断をしてるわけですよ根
立ての方は流れがあるんで楽曲 全体の構成がどうだとかそういう
話をしてるでも論点全然違うわけ ですねそういう目線で見た中の
一品一品はどうだっていう味付け なのね単品料理は味がしっかり
しないとダメなわけラーメンが あんまり薄くちゃいけないわけ
ですよ単品なんでけどいくつかある 中の一つだったらそれ以降が濃
すぎると前後とのバランスが取 れないんでちょっと薄くしたり
濃くしたりっていう調整が必要 なという概念がもうこの時点で
出版されてくるだからその後に 出てくるのが入ってますよ1668
年料理安売集ね梅のときちょっと やりましたけど安売で料理安売集
っていうのはもう安売って言っちゃ ってるからねどういう安売でやったら
いいですかみたいなのがこれは 京都の上方の言いましたけど料理屋
が出てきて専門店がいくつか出て きましたよねそれを乗っけちゃう
これが出版されて江戸に流通する わけですよこのベースが江戸の
料理屋に繋がってくる技術がどんどん 拡散してくるもうざっといこう
かな古今料理集とか江戸料理集 合類日曜料理指南賞これねこの後
合類日曜料理指南賞っていうのは ちょっとややこしいんだけど日曜
料理の指南ってレシピブックなんですよ こういうのが出てくるあと本庁
食館っていう本庁っていうのは日本 全域のことだねこの国の食の鏡
図鑑とかこういうのが出てきて どんどん広がってくるあと和館
精進料理賞日本と中国で館だから ねの精進料理のまとめた本とか
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あとこの専門書シリーズの中で 僕が最も注目したのはこれですよ
1714年東流世知用料理大全これは 史上流の秘伝書なんですよこの
史上流って今回のシリーズはもう オールカットしたんで全然解説
をしてないんですけど現代にも 繋がる料理の流派その中でもお花
で言えば池の坊みたいな感じかな 史上流が発祥したのはクゲの中から
出てきてるんで朝廷から出てきて みたいなだから見たことある人
は少ないかもしれないですけど 包丁式のときにまさに衣装がそれ
確かにそうだねもうなんて言った らいいのあの絵星みたいなの被
ってさもうガチで朝廷っぽいでしょ クゲっぽいでしょその時代から
ある料理流派なんですよここに 腕に覚えがあるとかそういうのが
好きなクゲ貴族が入ってくるんです どんどん高橋家だったかな一流
があってその中で技術がずっと 積み上がってくるでも外には出ない
一切それがついにですよ千年の 時を越えて数百年の時を越えてつい
に世に離れたのがこの本なんですね すごいことなんですよここでもう
何冊か出ましたよね50年間の間に ズバーっと出たじゃないですかこれを
見てねうずく人は絶対いるんですよ まあ料理好きが見たら確実
に試したくなるよね なっちゃうなっちゃう結果
セミプロみたいな人出てくるんだよ これはいいねってそろそろセミプロ
が出てきたら作るじゃない作ったら 試させたいじゃないで広がって
くるじゅわーっとだんだんとリテラシー が上がってくるそうすると作った
人も食べた人もあそこの料理あの 料理人うまいらしいぜ聞いたこと
ねえなってあそこのゴンベさんかい ぜゴンベの飯食ったかお前はい
ツナはイケてるあれはうめえぞ じゃあちょっと俺も行ってくる
お父さんだみたいな会話がどんどん 広がっていくんだよねでこのセミ
プロの中から本当にプロの料理人 要はお金をもらって料理する人
がどんどんどんどん増えてくる また面白いのがこのから先の時代
になってくると貸し本屋とか出て くるんだよね
貸し本屋レンタルショップみたいな そう本のレンタルこの社にあん
のよ1700年代くらいになってから 出てくるんだよ