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はい、じゃあ今回も番外編ということで ですです 何かお題をください
くださいと、あのね うん
日本史のシリーズ終わったんですけど、まとめやってないんですよ ああまとめね
でもまあ今更感もありますしね そうね、あんま覚えてない
覚えて、まあ長かったしね 見直せば思い出すかもしれんけど
見直さんと何聞いたっけってなりそう うん、じゃあもっと幅を広げてですね
ここまで大体10シリーズくらいやってきたわけですよね
で、そもそもこのたべものラジオを始める前に、我々の外食産業とは何ぞやとか
食事ってそもそもなんなんみたいなところから色々と勉強をしていって
それが今たべものラジオという形になってるということがありました
でね、10シリーズ分やったじゃないですか やったね
82本3本やった上でですね、どう思考が変わったのかとか深まったのかとか
深まったかなあ はい
今の時点で僕らにとって外食産業目線でもいいし、人として人類として
そもそも食事って何なんだということをちょっと真面目に語ってみたいなというふうに思いました
食事とは何なのか はい
食事ね、何だろう 自己自己
食べるんじゃない、生きることです そうなんですよ
食べることは生きることなわけじゃないですか
大体それは哺乳動物であっても爬虫類であっても魚類でも蝶類でもみんな同じなわけですよね
そんな中で調理をして何か食事をするとか、集まってわざわざタイミングを合わせて一緒の食事を取るとか
そういった行動をする動物ってのは限られてるわけですよね
人間は特に顕著ですよね そうだね
じゃあ人間独自の、人間ならではの食事って何だろうねみたいな
人間ならではの食事? はい
元々はだいぶ前に少し話したかもしれないですけど
生命と健康を維持するための食事
それは狩猟採集から始まっていって
手の甲になっていって
だんだん富の蓄積が始まっていってという流れの中で
安心して取り合いになりそうなものの対象が食事だったわけですね
貨幣経済が生まれる前の話ですけど
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お金じゃなくて食べ物が価値の中心だったと
その価値のある食べ物を安心して
もう何て言うんだろうね
尊徳抜きで分け与えられる、お互いに分かち合える存在っていうのの最小単位が家族
それが拡大していって集落みたいになっていって
だんだんと規模が拡大していって
地域とか国という単位に広がっていくと
そうすると時代がずっと数千年下って現在に至ると
その価値じゃない価値を食事がもたらし始めてるのではないかなと
だって我々は食事を分け与えるのに
家族じゃなきゃ分け与えないなってことはしないわけですよね
何なら家族バラバラで食事をすることすらあるわけですよ
じゃあ食事って何?
食事って何?
なんだろうね
生きる以外のところってことでしょ?
そうです、餌じゃないっていうことですね
餌じゃないんでしょ
食事を楽しむ、遊びを楽しむのとあんまり変わらないのかな
確かに
カラオケ行くとか一緒に外に遊園地に行くとか
ああいうのと同期なのかも
遊びを楽しむ、だから一人ではなくてって話ですね
そうそう
みんなで同じことをするという大国理の中に食事がある
体験の共有みたいなやつですね
かなと思う
美味しいよねっていうのを共感する
この乗り物面白いよねっていうのを共感するとか
すごかったよねっていうのを共感するっていうのと一緒かな
中小化するとコミュニケーションの一手段になってるんだろうね
それも基本的にコミュニケーションっていうのは
今僕らがこうやってポッドキャストでやってるように
言葉を使ったコミュニケーションっていうのが中心になってるわけですよね
現代においては
実際遊ぶとかスポーツを一緒にするとかって
言葉じゃない身体感覚を伴った共通体験みたいな
ノンバーバルっていうのかな
そういう共通体験を通してコミュニケーションが深まるみたいなね
食事という行為を他人の目の前でするということ自体が
自分の一人でもできる行為をさらけ出しているっていう
感覚の方が合ってるのかなってちょっと今思ったかな
別に一人でもできるじゃん
遊園地とかスポーツってそもそも基本的には一人でしない
けど練習からとかスポーツだったら
サッカーの練習の部分から一緒にやることによって
家族感身内感っていう仲のいい人にしか見せない部分だよね
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食事って割とその仲のいい人にしか基本的に見せない部分
ちょっとプライベートゾーンがもうちょっと近くなるような感じ
その距離が近いのが食事という行為で
それを目の前で一緒にするっていうのは
それなりに親しくないとなかなか難しいかな
そうね食べるっていうのは生理活動の一つだからね
それを見せるっていうのがまた一つコミュニケーション手段としては
強力なものがあるかもしれないね
会議とかで他の会社とかに行ってプレゼンテーションをしました
なんか男性だとよくあるけどトイレにバッタリ
一回そこでなんか会うとちょっと会話するじゃん
さっきこうだったよねとかどう思う
先ほどはどう思うみたいな
で距離感が縮まるじゃない
確かに
あんな感じなのかなっていう
なるほどね
釣れ性みたいな
まさかの拝説と食事が出る
でもなんか表だってわざわざ見せないじゃん
何か理由があってついでにとか偶然っていうのはあるけど
食事もどうせだったらせっかくだったら一緒に行きましょうっていうのは
そこそこお互いに親密になりましょうよって言ってるようなもんでさ
今ちょっと思ったのが
例えばコミュニケーションで仲良くなるためにボディタッチとかスキンシップみたいなのがあるじゃない
あれを物理的にするのではなくて精神的なボディタッチをするみたいな
それに近いかも
ねプライベート空間何て言うんだっけあるじゃん
何センチ以内はとかってあるじゃん
それがプライベートゾーンって言われる
それあってるそれをなんかぐっと近づけるような感覚はあるかもね
そうかもね
猿でいうグルーミングするみたいな
そうかもしれないグルーミングねそうね
触れることによって身体的に近くなるのと同義かもしれない
ああそうかもねこれさそれこそビールとか日本酒お酒のところをやってアルコールシリーズね
をやっていて感じたのがダンバースって聞いたことある
ダンバース
ロビン・ダンバーさんっていう人が提唱した数字なんだけど
集団の最大はこのぐらいの人数までだよみたいのがだいたい決まってるらしくって
例えば猿だったら80だったかななんかそういうのあるんだって
この動物はこのぐらいこのぐらいって決まってて
人間の場合はだいたい100から250とかってだいぶ幅あるけど
結構あるね
でそういうのがあって何で見たのかな
サピエス全史かなんかに出てたのかなちょっと忘れちゃったけど
そういうのがあってそのダンバースの増減はグルーミングの回数に整比例するんだって
ああそうなんだ
グルーミングだからプライベートなコミュニケーションが多ければ多いほど言語じゃなくて
そういうコミュニケーションが多ければ多いほどダンバース集団の数は大きくなりやすい
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でこのロビン・ダンバーさんが提唱してる書籍の中でねこれもちょっとしか読んだことないんだけど
言語は安価なグルーミング手段であるみたいなそんな感じで書いてあって
直接グルーミングするのって大変じゃんって言葉を交わすのって楽ちんじゃんって
だから言語があるから人類のダンバースは他の哺乳動物に比べて大きいんだよみたいなことを書いてたのね
そういうことか
それでいくとね食事だとかそれこそ酒酒なんかアルコールで酔っ払っちゃってるからさ
完全に見えないバリアみたいなの全部取っちゃうわけじゃん
だからより近くなってより強力なグルーミング効果発揮してんじゃねえかなみたいな
それはあるかもね食事の上にさらに飲みという部分が入ってくるとより近くはなる
飲みって飲むほうの飲みねグルーミングの飲みじゃない
ごめんその発想押しながら今の流れでそっちの飲みにはならんでしょ
ちょっと一瞬干渉してきた
干渉させないでくれな
英語でフリーね
うん
はい フリー
ちょっと
うーんどっちだかるよ
すいません
ああそうそうそれでねちょっと今話聞きながら考えてたのがね
共同作業って話さっきあったじゃん
共通体験とか共同作業みたいな
あれさ例えばお釈ってそれにあたんのかね
ああそうかもね
なんだろうそうだねお釈自体はそうかもね
日本って昔からねそういう文化があって一方で本然料理みたいにさ
めいめい皿って言うんだけど一人ずつ定食みたいに分かれてる
一方で沢地盛りとかさあと不茶料理みたいに大皿で持ってあって取り分けるみたいなのあるじゃない
あれってさなんか調理の延長上にあって
なんだろう調理に参加するみたいな感覚で共同作業してるようにも見えなくはないよね
盛り込む行為自体が
そう取り分けてあげるとかね
取り分けるのがね
居酒屋行くとさだいたいめいめいじゃなくて大皿出てくること多いじゃん
であれをちょっと遠慮しいしだけど取り分けをするわけじゃない
それ自体がなんか共同作業っぽい風になってるかなと思った
まあ性格を知れるよねその人のさ
そういう取り分け方とかもそうだし
周りに気が付くか気を使えるかとか
あとはその人の好みとか
普段話さなくてたまたま見かけないとわからないことっていう情報量が食事中って結構出てくる
確かに
サーチ盛り自体はなんかあれは作り手の女主が一緒に飲みたいがために
盛り込んで作り置きしておけみたいな意味合いがあって
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要は自分が飲みたいっていう結構ノンメイの件だからね
コーチだけどサーチ盛りなんかは
さすがコーチね
でもう男主が自分で好きなもの取り分けて自分で勝手にやって
こっちはこっちで楽しく女性陣は女性陣で楽しくやるからみたいな
一緒に行ったりするんだけどね
あれか同じ釜の飯を食うとかさ
ビールの代わりの時にちょっと古代エジプトの壁画の話したけど
ストローで一つの亀から飲むみたいなね
あああったね
ああいう感覚に近いのかもしらんね
そうかもしれない
なんかそれでいくとちょっと違うのかな
日本料理の場合ってお皿の上で何かを切ったりすることないじゃない
ないね
だけど西洋料理の場合はまな板をテーブルの上に持ってくる感覚なんだって
ステーキとか切るじゃないあれってそういう感じらしいんだよ
だから調理に参加してるっていうような感覚もどっかあるらしくて
そういうのを学術的に考えてる人からすると
そういう参加型っていうのもあるのかいいのかなって
日本料理ねえのかなと思ったらいやいや醤油つけて刺身食べるじゃんとかね
ああいうのも一つ参加型だったりするじゃない
まあそうだねでも焼肉とかもそうだよね
ああそうかもねそうだねまさに
焼肉行くと元々仲良い人たちとしかあまり焼肉イメージはないんだけど
焼き方とか焼く順番とか注文の仕方もそうだけど
焼くことの行為の中にその人の性格における情報がすごく入ってるよね
確かに やっぱお前そういう焼き方するのか
そうね性格鍋でも同じように出るもんね 鍋も出るね
鍋武行でうるさすぎても嫌だしあまり育つでもおいおいってなるしね
そうなんだよコミュニケーションじゃコミュニケーションだけど
言葉以外のコミュニケーションとしても使っているっていうのは食事なのかな
それを意図的に使っているのが接待だったりとかするだろうし
あとは生活の中でたまたま一緒に仲良くなって食事行って
より深く知るっていう普段の友達付き合いの中の一つとしての体験という部分だったりとか
それでいくと仲良くなったから焼肉っていうのはもちろんシーンじゃん
だけど逆もまたシーンなりで仲良くなりたいから焼肉に行って仲良くなろうとするっていう動きがあるわけじゃん
接待なんかまさにだもんねだからうちらからするとさ
例えばフグのシーズンで接待でフグっていうとこの鍋どうすんだよってなるわけじゃん
結構やらない人も多いしさ
だからうちだと誰かしらがずっと月切りで鍋取り分けたりしなきゃいけないわけで
それはサービスとしてもちろんやるんだけど一方でお客様側がお互いにやり合うことで
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より親密な関係になる可能性は高まるかもしれないよね
そうだねやった方がいいと思う好きっていうかできるならばね
そうだなおいしんぼ漫画のね読んだことあるかもしれないけど
銀行の盗取りのニキさんっているんだけどその人との食事接待のシーンがあって
そのプロデュースに山岡志郎がちょっと影で動くっていう回があるのよ
その接待する側の人気のいいおじいちゃんなんだけど
その人が締めのご飯の時にニキさんはものすごく超美食家
貝原勇さんの美食クラブにも入ってるくらいの人に対して
イチャモンつけられたらたまらんわけだよ勇士もらいたいから
志郎が考えた作戦が最後の締めのご飯
接待する側が自分の手でお室からお米取っておにぎりを作って渡すっていうね
したらニキさん親子はこれは山岡半通りっすわーって
ここでイチャモンつけたら僕らが疑われますやんかって
こんな一生懸命下手なりに頑張ってくれてるこの人の人柄がよく分かりました
よし勇士決めましょうっていう話なんだけどさ
なんか今ふと思い出したね
まああるだろうねなんか頑張ってくれたことに対しての評価
もうその料理ってやっぱり出やすいよね美味しいか美味しくないかという前に
その人がいろいろ考えてくれたっていうことに対しての感謝とかありがたみとか
努力に関してちゃんとこちらも答えなきゃっていうのはすごくあるね
家にもてなしてもらってご馳走してもらうときなんかはまずいとは言えないじゃん
どんなにやばくてもまずいとは言えないじゃんそんな人あんまりいないんだけどさ
けど別にそこで美味しいと言っても嘘ではないなと思うのは
その人が頑張ってくれたっていうことに関して
お礼がありがとうの代わりに美味しいということであるので
そこに関しては嘘ではないかなと思ったり
その気持ちとかも含めて美味しいんだよね そうそうそう
心が美味しい 心が美味しいね
めっちゃ今いいこと言ったよ俺 なんか一歩間違えたら薄っぺらくなる
めっちゃ薄っぺらくなっちゃう
あれだよ接待をやるときに薄っぺらい表面の技術で
例えば取り分けとかやり始めると本当に薄っぺらくなっちゃうんだよね
そうだね
多分さっきタフが言ったように本当近い関係でのノンバーバルコミュニケーションだから
演技はすぐ見透かされるような気がするんだ
それでさっきの言葉で言うならまだ真心を食すみたいな方がそれっぽい
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それっぽいわ 真心じゃん
本当にその人のためを思って作ったっていうのはもう邪念も何もない
美味しく食べてもらいたい一心で料理を作るわけじゃん
その先にもしかしたら気に入ってもらいたいとかはあるかもしれないけど
そもそもその人に美味しいと思ってもらいたいっていうのがもはやそれは料理を返してしまうと
それ以外残らないから料理がフィルターだからそこに嘘はない
だから真心を食すっていうのは割と芯を得てるかなって今ちょっと思った
まとおいた表現かもしれないね
自分で言ってもなんだけどさ
自分で言って自分で自画自賛したらなんかやばいやつだから
でもそうだと思うねやっぱり
食事というものが本来は目的であったはずじゃない
健康維持するとか生きるっていう意味では
それが今目的が手段になっていって
もともとは食事をするという目的を達成し続けていったら
結果としてコミュニケーションが成立していったという副産物だったものが
今度そのコミュニケーションが目的になったおかげで
食事が手段化していったみたいな感じなのかもしれないね
そうだね
それをダメというよりは例えば家庭の中でもどんどんどんどんやったらいいよなとは思うよね
そうだねそうなるとやっぱ固食問題
そうそれそれ
ちょうど今日の昼ご飯の時にもその話出たけど固食
家族内で固食をするっていう
働き方の多様化とか塾とかいろんなエンタメの多様化によって
若干時間がずれたりとか生活リズムが家族の中でちょっとずつ違ったりとかはあるだろうけど
食べ物まで各々別のものを食べるっていう
効率的ではない
そうだね固食も二つあるけど
個人個人で孤独に食べる固食と個人個人で違うものを食べる固食と
どっちもなんかもったいないなと思うよね
そうね一緒に食べれなくても一皿作っておいてそれを順番に時間ずれてでもいいから
それを食べていけばいいのに
自分はこれがいいって小分けの千切りキャベツの小分けだけ買ってきたりとかさ
そういう話を聞くけどそうするとなんか無駄に消費をするだけで
だったら千切り大袋で買ってきてバーンっておいておいた方が
あればみんな食べるかもしれないしその方が効率的じゃないかな
そうだねなんか全職の同僚でね
週に一回は何があっても家族残乱というか全員で食事するっていうのをルールにしてた家あったよ
じゃないとみんなバラバラになっちゃうからって
この時間がすごく大事だから今日は上がりますみたいな
そういうのもありだよね
そうだねたとえそこで会話が生まれなくても
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一緒の空間で同じものを食べていれば家族感はあるよね
家族感って言ってると正しいかどうかわかんないけど
そのコミュニティとしては成立するよね
そうなんだよねその場合にあんまり凝った料理である必要はなくてね
テレビのコマーシャルなんかでもさレトルト食品とかね
あの見てると家族がわーって言ってさ中華料理だとか鍋だとかをみんなでわーって囲んでる姿があるじゃない
あれでもまあいいんだよね いいと思うよ
うちもだってもう完全に一皿おかずを作って
まあ余裕あれば汁物作ってあとご飯みたいな
だいたいこのパターンだもんね 確かに確かに
逆にはそのバラバラ食べればいいやではなくて
そこでまとめて作ることで一緒に食べる時間を作るみたいな
そうするとさ寝る時間を削らなくてもなんとか作れたりとか大皿でボンって用意できるからさ
そういう方がいいのかな そうだね
ちょっとこの話面白いななんとなく不意に思いついて始めたけれど
これちょっともう一回深掘ってみたい気がしてきたぞ
そうね そうか一回ここで切ってもう一回次やってみる
ちょっと後編やってみるか 後編
後編で単純に思ったのがもともと食事ってなんぞやから入って
スタートの頃は商売のことがあるからねうちはね
外食をすることをある程度は頭の中に置きながら会話してたんだけど
だんだん話してるうちに主語が家庭料理に変わってきたな
そうだね じゃあ家庭料理ってなんだっけっていう話をね
確かにそこは曖昧でね
そこをねちょっと話してみたくなってきた今
じゃあ一回区切りますか
区切ってちょっと次後編家庭料理の話しようよ
家庭料理の話ね分かりましたじゃあ後編へ続きます
この辺で終わりますありがとうございました
ありがとうございました