1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #142 (s17-12)【日本料理の芸..

・芸術としての料理(板前割烹、鉄板焼き)
・商品化した様式(旅館料理)
・経験の断絶と再構築


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00:08
タベモノラジオ
ムトタクローです。
ムトタローです。
このラジオは、少し変わった経歴での料理人兄弟が、
食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、今日は3回目の収録に。
3回目の収録っていうと、3本目に聞こえるんですけど、
オープニング部分、テイク3っていうね。
2回目は早めに気づいたね。
大丈夫ですか?僕の声入ってますか?
入ってます。
1回目のように収録ボタン押し合わせるとかないですか?
そこまではしょうがないとして、2回目はレコードするチャンネルを間違えるっていうね。
俺の声しか録れてないっていう。
どうにもならないやつで、冒頭に気づいてよかったよ。本編の前で。
本編入ってたら凹みますね。
久しぶりにね、ちょっと忙しいから忘年会で。
そうですね。
ちょっと疲れが溜まってるというか。
そうですか。
そういうことにしておいてください。
僕は昨日今日フグに追われまくってますから。
フグに追われてる。そんな来た?
そんな来たというか、予定してない時に釣れちゃうんですよ。
あーそうね。
だからいつ釣れるかわかんないわけですよね。
はいはいはい。
でも釣れたらもう買わないと足りなくなってしまうので。
今年なんかちょっと少ないっていうね。
量少ないですね。その代わり大きめのが多いですね。型大きいと。
ならいいね。
いつもたまにこれ捌くんかいっていう。これ釣ってきたのっていうサイズがあるじゃん。
1キロいってないやつは海に返してほしい。
そうね。内臓抜いたらもう500gぐらいしか残んないもんね。
400かな身が。
もう柵が取れないとかね。
鉄柵引けるの?それで。
柵取りしないでそのまんま。
丸のまま?
丸のまま3枚に下ろして、そこから普通は形作ってから引くんですけど。
小型の場合は柵取りっていう型取りをせずに、下ろしたての状態で皮だけ引いたらそのままの形で引くと。
そうするしかないもんね。
難しいんですよ。結構難しいんですよ。
柵取りしてるとちょっと長方形というかなんていうか。
四角い面、平らな面が多くなるけど。
型見添えただけだと丸いよね。
丸いんで、いわゆる皆さんが想像する鉄柵の綺麗な菊のようなね。
ぐらっと回ってなるじゃないですか。
あの時の一枚一枚の形が整えづらいんですよ。
やっぱそうなんだ。
金太郎アーメンとか同じように想像してもらうと分かるんですけど。
四角く型取られてれば何回切っても同じ形になるじゃないですか。
丸いとね、おっぽ側と頭側でサイズ違うんですよ。
これを包丁の入れ方とか角度で微調整をしながらずっと均等に。
03:03
しかもなるべく同じ形になるように引いていかないとあれができない。
まあそうだよね。
ただね、それ大変なのにね。
どんだけ難易度上げてるんだってね。
本当ですよ。
お金にもならないしね、ちっちゃいとね。
なんでそういうのは海に返していただいて。
天然の養殖場ですから海というのは。
そこで育ってからおいしくいただくようにした方が僕はいいと思いますけど。
だと思います。
あまりちっちゃいのを取るのはお勧めしないです。
漁師さんも生活があるのでそうは言ってもってところなんでしょうけどね。
まあでも大きいのを取った方が自分たちの資源としてはいいんじゃないかなと思うけどね。
いつかあれですね、僕もまだ勉強中なんですけど海洋資源についてお話しする回があってもいいかもしれないですね。
そうだね、まだ全然やってないですその辺は。
そうですね。
日本の海洋資源と世界の海洋資源、どのような漁業の体制になってるかみたいな話ができると面白いかと。
思います。
そうか。
酒の魚といえば、冬何かおすすめは何がある?
魚はね、僕は鍋しがち。
鍋か。
そう。
鍋?
もう一人でもやっちゃうかな。
あまりこだわらなければ水張って具材入れて開いて終わりじゃないですか。
確かに。
居酒屋とか行ったらどうなん?
必ず頼むのとかある?
必ず頼むものは特にないかな。
ないか。
兄ちゃんは日本酒早めに飲み始めるよね。
日本酒好き。
ビール一杯目で次日本酒だもんね。
行くケースも多いし、なんなら日本酒一杯目っていうことが増えてきたのはそれこそ食べ物ラジオで日本酒やってから。
温度的にはいつも日夜。
色々。
色々。
気分で変えてます。
やっぱりその辺は気分だよね。
今日缶漬け飲みたいなと思ったらメニューの中から缶にしたら美味そうな酒をチョイスして、それをこのぐらいの温度にやってっていうお願いをしてやってもらうとか。
確かに俺も居酒屋行ってお酒を飲みながらこれを食べたいみたいなのはあんまないかな。
強いて言うならおにぎりを食べたい。
お米を食べたい。
俺は割と序盤で頼みたくなっちゃう人。
居酒屋行くとだいたいないのよね。
米系が。
そうなんですよ。
俺はあれはどうにかしてほしい。
僕も一時に居酒屋で働いたことがあるんでわかるんですけど、ランチやってる店はいいんです。
ご飯が出るから。
ところが居酒屋だけのお店だとお米用意しても結構はけないんですよね。
そうなんだ。
割合場所取るし、確かまでに時間かかるじゃないですか。
かかるね。
だから結構ロス大きいんですよ米って。居酒屋に関して言えば。
そうかそうか。
06:01
なかなかご飯物提供したがらない傾向にありますね。
冷凍でもしといてくれても俺は別にいいんだけどね。
もうコンビニ行っておにぎり買ってけよ。
割と俺は飲み会行く前はだいたいご飯食べてくる。
なるほどね。いいと思いますね。
そうじゃないと居酒屋行って食べたいものが出たしないっていう。
なるほど。
うちもお客様によって稀にですけど本当にちっちゃめのおにぎり一つポンと置くときありますからね。
そうね。
特に今この中になってからはないですけどこの時期ですね。
仕事帰りの忘年会って大体お腹減らしている方多いので。
特に肉体労働やってる方なんかすごくお腹減らしてるじゃないですか。
だから前菜と一緒におにぎり置いちゃう。
そうするとみんな喜ぶんですよ。
喜ぶだろうね。
お腹を一回満たして落ち着いてから2回目のカンパーイみたいなね。
それいいね。やっぱ一口目ちょっとご飯食べたいわ。
お店によってはですけど冒頭におにぎりじゃなくて握り寿司を一貫だけポンって出してくれたことがある。
その店も何軒か出会ったことがあります。
あるんだ。行ったことないなそういう店。
気が利いてるなと思います。
気が利いてるね。
そんな食べることなんですけど。
こんなコメントがラジオの感想が9月頃ですけど届いてます。
だいぶ前だな。
俺も昔過ぎて忘れがちなので最近整理してます。
ラジオネーム村瀬さん。
ラジオの感想。
こんばんは。
ポッドキャストを聞きながら書いています。
在宅勤務中、散歩中、料理中とありとあらゆる時間に聞いています。
古典さんより興味があるのは内緒です。
恐れ多いです。
いつかお店に伺わせていただきたいです。
ちなみに好きな回は年末の酔っている回です。
これ結構まるで。
すごいっすね。
これ2回目の収録なんでちょっとリアクション薄いですけど。
さっき爆笑してました。
お二人にお聞きしたいのですが、
食べることをどう思っていらっしゃいますか?
食べることは生きることとよく言われますが、
実は私は挙食症で食べられたり食べられなかったりでよく、
過去食べることは生きることということが重く、
正しい正解はないと思うのですがお聞きしたいです。
ちなみにですが、
摂食障害は若いうちに発症しましたが、
もうおばさんです。
いまだに食を見つけられなく、
多分で申し訳ありません。
食べられたり食べられなかったり。
食べることをどう思っているか。
食べられたりってのは食べることができるかどうかって話ですよね。
自分が誰かに食べられたことはないですよね。
それはサメの発生やな。
サメとかちょっと中間かな。
サメはちょっとトップすぎるから。
まともなツッコミは帰ってこなくて面白いですけど。
ダメだよ、まともなツッコミ期待してない。
すみません。
いやいや、あくがツッコまなかったらこの番組成立せんのよ。
成立してるじゃないか。
09:00
もう約40回目やってますから。
すみませんでした。
こういうツッコミが来る。
死んでくるもんですからね。
食べることですね。
食べることが生きることっていうのは動物的な生き物ですから。
何も栄養を取らないとそれは生きていくこと自体ができません。
栄養のところ、何の解で喋ったのかちょっと忘れちゃったんですけど。
生態学、生物学的なところでいくと
味覚というのは必要な栄養素を見つけるためのセンサーとして発達したんじゃないかっていう考察が出てました。
その話あったね。
何の解でやったのかちょっと忘れたな。
何の解だっけかな。
豆腐かな?
もっと前だと思う。
豆腐長いからどこでやったかわからないんだけど。
多分もっともっと前の話だと思う。
ビールとか多分その辺の時だと思う。
結構ちゃんと雑談会をしてた時。
でしたっけね。
あれでいくと確かにね、食べることは生きることなんですけど。
僕は他にも意味があるんじゃないかなとは思ってるんです。
動物とは言っても人間になっちゃったので。
人間が文化文明を持ち始めてから数千年経ってますんでね。
料理、調理という技術を得てから
もとは多分効率化するためだったと思うんですけど
楽しみになっててエンタメ化してってると思うんですよね。
特にうちみたいな解析料理という
不要不急の極みみたいな業態の料理って
なきゃないでも困りはしないはずなんですよ。
けどそれって映画とかね。
劇を見るとかコンサート行くとか
ああいうのに近いものがあるなっていう感じはしてるんですよね。
食の世界における、なんだろうね、映画でもないし絵画でもないし
わかんないけどそういうエンターテイメントっぽい感覚があるので
何かに出会うとか、美味しさだけを味わうとかね。
そんなんでもいいし、誰か人と一緒に
一人で行くよりも複数でご飯食べることが多いでしょうから。
特に解析とかフレンチとか。
そうなると会話とか分かち合う楽しみとか
そういったところで心の栄養って言うと言葉が浅いんだけど
そういう意味ってのはありそうな気がするんですよね。
そうね。
巨食症ってあれでしょう。
食べることができたとしても戻しちゃったりとか
体重が少ない方が多いっていうのはどこかで読んだんだけど
いろんな原因があるからね、あれってね。
推進的だったり、体的だったりとか。
その辺のことはね、僕らは専門家でないので何とも言えないですけど。
食べることは生きることって言われると
お腹減れば食べるくらいの感覚かな。
生きるために食べるというよりかは
12:01
お腹減ったから食べようみたいな。
頭回らなくなってきたから食べようっていう。
生きることって言うと壮大すぎちゃうんでしょうね。
俺はそんな風に捉えて食べたことはないし。
これ食べ物だけの話ではないと思うんですけど
社会的意義があるビジネスみたいな文脈で
人のためにとか世の中全体のためにっていう部分と
あともっとスケールをぐっと小さくして
自分の目の前にある課題を解決すること。
そのスケールのサイズっていうのがいろいろあると思うんですよね。
実は始めからそのスケールがでかいことを思ってるビジネスもあれば
たった一人のために始めたものがだんだんと拡張していって
結果的に社会的意義を持ち始めるとかって
この入り口とか捉え方、解釈の問題だと思うんですよね。
だから言ってるのは生きることそのものであるんだけど
そこを意識せずにとりあえず腹減ったから食うっていうね。
目の前の直近のもので捉えてるっていう
そういうスケールをわざと小さくすることで
分かりやすくしてる部分ってあるのかなとは思うんですよね。
なんかあれだよね、美味しいものを食べるっていうのも
美味しいものを見たから食べたくなるっていう感じで
食べようとかなんか選んでわざわざ行くとかは
あんま考えてないかもしれない。
本能的だから、本能的な感じだね、それの方がね。
さっき僕もちょっとおっきめの話しちゃったんですけど
楽しいから食べるとか嬉しいから食事するっていうね。
そういう感覚もあるのかなって思いますね。
栄養バランス考えてるよってあんま考えてないからね、俺も。
料理人やってるといつ食べてるかっていうと
なんかつまんだりとか味見とかちょっと端残ったから
食べたっていうので食べた気になってるけど
なんかもったいないから食べてるぐらいの。
ありますあります。
食べた気になってない?で体重減るじゃん、すんごい。
昨日ね、昨日お客様で僕の同級生が来てくださったんですよ。
で、お酒を飲むんです。
フグコースだったんですけど、奥さんと奥子さんは
お酒飲まないですね、当然。
で、ちょっと残ったんですよ。
お雑炊とかね、鍋の具とかが。
まあそれはそれでいいと思うんですけど
彼ね、最後全部お腹に入れるんですよ。
ちょっと最近太っていて、タオルちゃんどうやったら痩せられるかなっていう。
君は人が良すぎるから無理じゃねえみたいな。
俺も中学の時に運動してたのにちょっと太り目はあったんだよ。
原因がね、家を離れて分かったのは
うち賄いがさ、その従業員分とかもまとめて作るからすごい量作るじゃん。
お客さんの出し切れなかった余ったやつとかさ、全部回ってくるじゃん。
お皿にあるものを残しちゃいけないっていう概念があったらしくて。
自分の考えの中で。
15:01
残すことはあまり良くないことっていうので
美味しくても美味しくなくても全部食べるみたいな。
そのせいでめっちゃ太ってたんだよね。
そんなに動いてるのに太るの?みたいな感じのレベルだったから。
分かります。めっちゃよく分かります。同じ家族なので。
うちね、そういうのあるよね。鍋いっぱい作るからね。
我々のように大人数である意味生活をしているような職場ですと
余ったら待ったでね。次に次にどんどん回していけるので。
外食産業の時の食べ残しが一番しんどいんでしょうね。
ゴミになっちゃうから。
明日食べれなかったらきついから今食べておこうっていうのもあったけどね。
うちもいつもあるわけじゃないから。ない時はないから。びっくりするぐらい。
カップラーメン食べたりする時もあったしね。
これ食べることを話し出したらちょっと哲学的なことも勉強したくなりましたね。
そうだね。あんまり長引くとね。
今日コラボ会の収録もこの後実はあるので。
これ言っちゃっていいのかな?
どうなんでしょうね。
でも告知するっていう話でまだ収録終わってないけどこの間の打ち合わせでね。
告知しようって言ってたんで言っちゃいますけど。
ノート食のラボラジオ。
TTさんとユトさんがやっているラジオ番組なんですけど。
TTさんからねコラボしませんかとお声掛けいただいたので。
うまくいけば1月の1日に配信されるという段取りです。
内容はちょっと正月の1日あたりに聞いてほしいなっていうお話をできたらなと思ってます。
お知らせついでにですね前回のお知らせこれ言ってますけど。
1月の21日来年ですね。
食べ物ラジオ第1回オフ会が開催されます。
場所は家茶料理無頭。
1月21日の土曜日14時から18時頃を予定しています。
参加費は8000円で参加費会場費飲食費込みでアルコールだけ別になります。
応募締切は23年の1月7日土曜日まで。
申し込みフォームは公式ホームページか概要欄からリンクを貼っておきますのでそちらをご覧ください。
初めてお知らせっぽく言ったね俺ね。
ちゃんと言ったねちゃんとちゃんと読んだね。
いつもすんごいざっくりだもんね。
ということで早速本編行きたいと思います。
はいでは前回からの続きです。今回は芸能として商品としての料理。
芸能として?商品として?
芸能としてとか芸術がいいのか悩んだんですけど感覚的にはアートとしての料理。
アート?
どのように日本人が料理というものを捉え続けてきたのかっていうのね。
前回も少しロサンジーのところで話出てきましたけど
これを最終的にまとめてみようかなと思ってます。
18:01
で本題に入る前にちょっとだけ前回の補足です。
前回その牛肉食べ始めて牛肉食わぬは開けるやつとか言ってね。
福沢諭吉大先生がお前ら肉食え肉食えみたいなことやったじゃないですか。
やったね。
これよっぽど肉好きなんだなっていう感覚でいたんですけど
あれから少し考えてみて多分福沢諭吉をはじめとした先進的な人たちって海外視察行ってるじゃないですか。
アメリカも行ってるしヨーロッパも歴史を押してると。
行ってるね。
西欧世界のすごく屈強な人たちを見てるんだと思うんです。
体格とかね。
明治期の日本人っていうのは日本史上の中で最も体格が小さくなった時代とも言われてるんですね。
そうなんだ。
縄文とか平安時代の人の方がでかいですから。
戦国くらいから江戸時代にかけて一番小さくなっちゃうんですよ。
弥生時代の人たち170cmくらいありますかね普通に。
170?
普通にありますよ。
そんなでかいの?
縄文とか肉食ってますし。
昔はちっちゃいと思い込んでた?
だんだん大きくなったわけじゃなくて大きかったのがちっちゃくなって戻ったって感じです。
戻ったサイズこれ。
だから大陸系のアジア人って普通に身長が昔からあるわけですよ。
大きいんです。
動物性タンパク質を摂ってるから。
プラスアルファで近代文明、武力とかそういったものにも触れるわけじゃないですか。
となると対抗するために日本人もでかくならねばならぬという発想になってもおかしくはないなと思いまして。
これを前提にもう一度肉食の説福沢一の短い文章ですね。
これを読むと、はーはーなるほどと。
日本人は肉食ってないから機械損失してるし、栄養も足りてないんじゃねーのみたいなことを書いてるんですね。
それを見てわかるってのはすごいね。
食文化が違ったんだろうね。
だと思いますよ。
それを感じたんじゃないかなっていうのを補足で言っておこうかなと思いまして。
今回は台本一個ボツったんですよ。
ボツった?
日露戦争から第二次世界大戦、大東争に突入するまでの背景からいつものように紐解いていって、
食糧事情がどうなって料理がどうなったって話をしようとしたところ、
なんと台本の4分の3が戦争の話で書き消えるっていうことになってやめた。
ちょっとボリュームあるね。
だって冒頭、金本位制と金融不安の話から始まるんで。
なんかこの間金融関係とか金の話するとかって。
ちょっと言いましたけど、それはさすがに歴史の授業になっちゃうのでやめました。
もっとちゃんと日本料理の話します。
うちバラエティだしね。
なので芸術としての料理っていう本編に改めて行きます。
21:00
芸術としての料理っていうのはね、鑑賞側の視点で2つに分けるとですね、
完成されたアートを鑑賞する。
例えば映画を見るとかね。絵を見るとか。
コンサート会場に行くっていうのは完全に完成された結果を見に行くわけですよね。
家庭っていうのは見ないわけじゃないですか。
そこで何を見てるかっていうと、作品の完成度がどのぐらいなのかとかね。
レベルがどう高いとか。
あと料理で言ったら装飾だったり豪華さだったりとか。
アーティスト作り手の世界観とか美意識がどういうものなのかとかね。
そこに物語性があって演出がどうなっていってっていうのを見て楽しむ。
これが本然料理や茶外石や解析料理だったりしたわけですよね。
これに対して、最近プロセスエコノミーとかも言われてるんですけど、
できるまでの工程を鑑賞するっていうのも楽しみに出てくるわけですよ。
あんまりなかったんだけど、これが出始めてきて、実は日本ってその文化がもともとあったんですよね。
技とか、書作の美しさだったりとか。
作ってる工程に込められた物語を読み解くとか。
知るとか、目で見るとか、演出がどうなってるか。
ちょっとカッコつけて寿司握ったりとかするね。カウンター派ですよね。
ああいうのが元々あったんですけど、大正の終わりから昭和初期ですから、
ちょうど前回の時代感ですね。
その頃に表舞台に出てきます。
有名になったのが板前活邦。
中にはカウンター活邦と呼ぶ人もいますね。
実は今カウンターの前で料理を作って、その調理工程を見せながらどうぞって出すスタイル。
これ世界中に今出てきてますよね。
オープンキッチンなんかも出てますよね。
あれの原型は日本発祥なんですよ。
元々料理屋でキッチンの中を見せるという文化はないんです。
特に西洋社会には特にない。
なぜかというと料理をする人っていうのは近代以前まではすごく低く見られてたんです。
王公貴族に雇われて料理人っていうのがいるわけですね。
街中にはレストランってほとんどなかったので。
使用人がやることであって。サーブするのも使用人がやることであって。
貴族がやることではないっていうぐらいのランクで見られてた。
その裏方の舞台を見せるものではない。
当たり前ですよね。
日本でも武家社会の中で台所にお殿様が行って何か調理することはないわけですよ。
それはないね。
そういうのをやっちゃったから面白いのが前田圭次郎としますだったりするんですけどね。
歌舞伎モノとかね。
これね、実はひも解くと平安時代くらいからその風潮はあるんですよ。
24:03
平安時代?
料理の精査を見せるっていうエンターテイメントもあるんですよね。
そんな前か。
これね、ちょっと後の時代の話なんですけど。
安土桃山時代、信長の時代ですね。
ロドリゲスっていう人が書いた本の中に出てくるんですよ。
武士や貴族階級の教養として第1が弓。
第1が弓?
弓。
第2がけまり。
けまり。
第3が包丁って書いてあります。
包丁ここに出てくるの?
そうなんです。
その後に歌とか舞とかが続くんですね。
芸能の芸ごとっていうのは書道とかそういったものがあるんですけど。
そっちは職能だと。
それを道具として商売、お金につなげられるもの。
あまり上品なものとは言えない。
けどこっちの芸能の脳の方ですね。
脳の方はそういうものではなくて上品で格のあるものとして彼らに捉えられているものだっていうのの第1が弓。
第2がけまり。
第3が包丁。
芸能って芸と脳なの?
というふうな解釈でロドリゲスは書いてますね。
これねひも解くと平安時代。
大体西暦860年頃。
包丁式っていうのが出てくるんですよ。
包丁式ね。
あなたご存知ですよね。
何度となく参加させられてます。
でっかいまな板の上に鯉を置いてですね。
長い包丁。刀の短いのみたいな包丁と。
あとまな箸ね。
鯛箸の鉄製の長いやつ。
この2つを使って一切食材に手を触れることなく切りさばいていく。
やってたね。
これ包丁式っていうね。
元祖は850何年頃だったかな。
四条流っていうのが出てきて。
そこら辺で確立されて天皇の命によって儀式化されていくみたいな。
よく見る四条流の包丁式。
他にも幾万流とかありますけど。
これは元々は神様に捧げるとかいう儀式だったらしいんですけど。
どうやら区芸の教養になっていくんですよ。
区芸が貴族が大経とかでお客さん呼んだりして宴会じゃないですか。
大経じゃなくても普通に宴をやりますよね。
その時に技を披露して。
うめえだろって。これうまいっしょって。
いいね。お前の料理うまいねっていう。
趣味で料理するパパっているじゃないですか。
あんな感じで貴族がやってる。
そうなんだ。
それも中にこもって出来上がりを見せるんじゃなくて、家庭も見せてる。
包丁技っていうのをね。
これの文化がずっと江戸の終わりから明治に至るまでずっと続いてるんですよ。
江戸時代の貴族もやってるんですね。
そういうことになるね。
牛回帰もやってるんですよ。
27:00
牛回帰も。
教養としてね。
ただ、厨房に直接入ってやるんじゃなくて、見せ物としてやっていく。
そういう感じなんだね。
というのが一つの流れです。
昭和2年、西暦でいうと1927年。
京都偽音に浜柵というお店がオープンします。
浜柵。
これ今でもありますね。三代目。
森川さんですかね。
三代目なんだ。
この浜柵がどうやら板前活邦の発祥の地と言われてますね。
浜柵の初代、森川坂江さんというものかな。
この方が偽音に浜柵をオープンするんですけど、
実はこの方、すごい若い時から料理人として修行してるんですよ。
お父さんも料理人かなんかだったと思うんですけどね。
ちょっとその辺詳しくないですけど。
関西圏のすごく有名な増本作次郎さんという方の弟子になって、
料理人として腕をどんどん伸ばしていきます。
名人増本の元にはツートップの弟子がいたわけですね。
特に日本料理はそうですけど、
煮方と包丁方っていうのがいて、
これも花形二つなんですよ。
煮たきすることと切ること。
だから活邦っていうのは割り算の割るという字に
ほうは煮るという字を書きますよね。
だから切ることと煮ることなんですよ。
そういう意味なんだ。
切ること煮ることで活邦イコール料理っていう意味なんですね。
例えばカウンターに立ってる板前さん。
板前さんっていうのは切るのが専門のプロフェッショナル。
煮方さんっていうのはうち厨房のトップなわけですよ。
このツートップの上に全てを総監督する親方っていうのがいる。
こういう組織なんですね。
このツートップの包丁型をずっとやってきた。
いわゆる花板っていうのをやってきたのが森川栄さん。
煮方っていうのをやったのが義兄弟の千切れを交わしたといわれるしおみさんという方がいらっしゃる。
このしおみさんが後々に独立して大阪浜柵という店を出す。
もう義兄弟だから。
森川お前もどうだってやらんかって言ったら自分で義温浜柵っていうのを出す。
この時森川栄さんが包丁型だったっていうことが大事なんですね。
明治の元にいるツートップのうちの包丁型だから包丁の一番上なわけですよ。
この卓越した包丁技を見せたいってなる。
ここで包丁式とくっつくわけですよ。
それまでカウンターというのはなくて裏方で作ったものを持ってくるのが当たり前なのを
包丁技を見て楽しんでもらうためにという明確な目的のもとをカウンターを作る。
文献をちょこちょこ見ていくと大阪に行くとちょっとカウンターっぽい店があったりするんですよ。
それも明治時代から寿司屋の屋台が中に入ったみたいなのもありますよね。
30:01
あの文脈であるはあるんですけどなんとなくなったではなくて明確にエンタメとして見せることを考えてカウンターを作った。
これが多分世界初。
今でも動画とかで浜崎さん3代目の方がテレビで出てたかな?
オンデマンドでも多分見れると思うんですけど見てびっくりしますよ。
ボウルがガラス切子っていうね。
なんだってみたいな。
ガラス切子だよね。伝統工芸品の。あれをボウルに使ってる?
恐ろしいね。
カウンターだからお客様に見せるパフォーマンスとして。
寿司屋での付け台調理台っていうのはちょっと高めに設定されてるのでお客様からまな板の上が丸見えないようにわざと作ってある。
これ他の現代のいろんなカウンターカップの店でもなるべくまな板が見えるように作ってますよね。
見せることが目的だからなんですよ。
見られる側すごいよね。
すごいプレッシャーだと思いますよ。
ちょっとでも間違えてたらどうするんだろうね。
そこは技ですね。
今時のこの文脈を知らないでカウンターを作ってるお店なんかだと手元あんまり見られると汚れた部分も見れちゃうので下げて半分陰にしたりしてるんですよ。
そういうお店よく見ますよね。
カチャ料理無頭の前身の季節料理無頭です。
親父がまだ20代から30代の頃の話ですね。
あの頃のカウンターのまな板はかなり高い位置にあります。
普通に見えました。
だから親父は若い頃ずっと高げたを履いて料理したんですよね。
上げ底してるんですよ。自分の身長。
それに合わせてまな板を置くから当然高い位置になってカウンターから丸見えっていう。
ハモの骨切りとか絶対引くところが全部見えてはいどうぞって。
高げた履いてやってたのすごいよね。
結構多いですけどね。
僕も一時やりましたけど下げた履いてると舌が水で濡れてても乾かせるのでハイヒールロジックですよ。
バランスとか滑りやすいとかもあるしね。
鍛えられますね。
頭に履いてたもんね。
このエンタメ性がめちゃくちゃウケるんです。
どんな人にウケたかっていうと芸能人とか文人、小説家みたいな超有名人にめちゃくちゃ当たるんですね。
例えば文芸春秋だったっけ。菊池寛っていう人いますね。
谷崎純一郎。川端康成わかるでしょ。
あと湯川秀樹とか物理学者の。
僕らが知ってるレベルの有名人が行って絶賛してる。
33:03
ガリレオ。
湯川秀樹。それ湯川は湯川だけどさ。違うからね。
元になったらしいけどね。
元の方の湯川ね。
福山正春ではなくてね。
確かに湯川先生があそこから来てんのね。
だから物理学者。
なるほどね。
結構有名だと思ってた。
よく見るから。
知らなかった。気づいてなかったね。
浜崎さんのエンタメ性を見せるっていうのが人気になってすぐ近所で炭熊北天さんとかね。
あのあたりがいいねいいねって言って先輩後輩だったりしたのかもしれない。
友達だったのかもしれないですけどだんだんと横に広がっていって今では全国に広がっているという感じなんですね。
これが昭和2年の出来事です。
昭和2年。結構早いね。
これが今では世界に広がっているわけですから。
すごいねそう考えると。
そうなんですよ。
これがね戦後にちょっと違う路線にまた広がっていくんですよ。
間戦争挟んじゃってますけど。
ご存知の通りだと思いますけど第二次世界大戦が終わった後にGHQの統治下になって
日本の食文化が明治の頃とは違う文明で一気に西洋化していきますよね。
キッチン化で西洋料理を教育するみたいなことがあったり。
そういうのがあって小麦粉文化がバーっと出てきて肉文化がドーンと炸裂していきます。
この間の話ね。
そうしたら日本で牛肉といえばやっぱり神戸っすわ。
この間も出てきてね神戸ビーフ。
神戸にステーキ専門店っていうのは何件かあったんですね。
そのうちの1店舗で味園っていうお店があったんですね。
今でもあるかちょっと調べてないですけど。
ここでカウンターでステーキ焼いたらいいじゃんっていう発想になるんですよ。
ここでなんだ。
鉄板焼きの発祥の地です。
すごいねそうかも。
でっかい鉄板を置いて最近で言うとコテでチャカチャカチャカチャカってやりながら。
上で肉切ったりとか野菜チャカチャーってやって見せるじゃないですか。
あれが出てくるんですね。
あれすごいヨーロッパとかで出てきたのかと思いますか。
いいえあれは神戸発祥です。
めちゃくちゃ国産やんの。
調べ物してると出てくるのは寿司屋に着想を得たとか板前カップに着想を得たっていう風に言われてますね。
ちゃんと包丁式の文脈の延長上に鉄板焼きが出てくるんですよ。
儀式からできた鉄板焼きだよって言ってもみんなピンとこないだろうね。
そうなんですよ。
まな板が鉄板に変わっただけなのね。
だから高い位置に鉄板がある。
言ったことあるけどそうだね確かに。
これがアメリカに飛び火するんです。
1964年昭和39年ですね。
ニューヨークにベニハナっていう店ができるんですよ。
36:02
これ鉄板焼きの店です。
ここでオーナーのロッキーアオキさんという人がね。
ロッキーアオキって愛称になってるけどバリバリ日本語で日本人なんですけど。
この人がお父さんのアイディアを受けてド派手なパフォーマンスを始めるんですよ。
コテとかあとコショウの入れ物ありますよね。
木のやつ長いの。
ああいうのでジャグリング始めるんですよ。
やったね。
めちゃくちゃなんですよ。
なんかこれアメリカ人やりそうじゃん。
なんとなく派手な演出でスモーク焚いてとか。
違うんですよ。
日本人が始めての。
このアオキさんのお父さん。
お父さんのアオキさんね。
お父さんの方がもともと俳優さん。
アクターなんですよ。
日本でその活動をしていて。
奥さんと二人で喫茶店とかね。
そういう料理屋さん系をやり始めて銀座とかで。
ダンテンポかやってチェーン店じゃないけど複数店舗をやるようになって。
もう一発勝負だって言ってニューヨークに進出する。
その時に息子のロッキーアオキさんが一緒に行く。
ロッキーアオキさんも結構食力おかしくて元レスラーなんですよ。
レスラー?
元レスラー。
レスラーからそっち行ったの?
行くぜって言ったら。
お父さんもアクター俳優さんらしい。
ニューヨークでも舞台で無性アクト。声出さない。
コメディ系のアクションというか俳優として舞台に立ったりしてたらしいんですよ。
そこから着想を得てこれやったらおもろいぜっていう。
ニューヨークでもそういう活動してるからニューヨーカーたちの心を掴む術を知ってるわけじゃないですか。
それをそのまんま鉄板焼きに持ち込んで息子仕込んで息子にやらせると。
これめちゃくちゃウケてテレビ局がガンガン取材来るわ。
ABCじゃなんじゃかんじゃがワーって来て。
エンターテイナーが手出してくるんだよね。
そう。そしたらニューヨーカーたちにワーって人気になっててテレビに行ったから全米に知られるようになって。
そのうちにはヒルトンから出店しねえかうちのホテルにみたいな話。
ヒルトンって高級ホテルだよね。
あれでドカーって広がっていってそこからこれ何十年か経って今世界中で行われてますよね。
いろんな国籍の人がセクシー塩振りとかやってますよね。
あれ鉄板焼きかの文脈であれになってるわけですからね。
ああそうなんだ。
あんなのねあえてやるなんか小賢しい理屈をつけるわけですよ。
肘に当てることで均等に塩が振れますと。
僕ら日本料理の料理人からするとそんなんね左手の方に当てればいいだけの話で。
そういう技法はもう江戸時代以前があるんで。
なんで肘に当てんねん不潔やろって僕らから見ると思っちゃう。
あれはパフォーマンスでやってるんですよ。
すごくないですかこれ。
見せるためのね美しさとかねそっちなんだろうね。
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その方向性がジャグリングとかそっちの派手系にいって今世界にいってます。
ただ日本は日本でそうじゃない機能美っていうのを追求してる世界ってやっぱあるんで。
包丁の姿ですね例えば刺身を引く時の姿形が美しい。
技の音が美しいとか。
例えばそうですねお寿司屋さんに行くと握ってる手がちょっと高い位置にギュって上がったりしますよね。
顔のあたりまでギュってやってるじゃないですか。
あんなの必要ないんですよ。
もうシェイカーを上げるみたいな。
あの動作かっこいいんだけど別に裏で握っちゃってあんなことしなくたって手元でギュって握れるわけですから。
上げたら時間ロスだからね。
ただあれは見た目がかっこいいので美しいからやれるわけですね。
これねそうじゃないっていう人もいらっしゃるんですけど僕が知ってる何人かの寿司職人さんは女もかっこいいからやってるわけでしょ。
美しいじゃんっていうそういう美学でやってます。
折り爪のときは折り爪のときはやんないやんなもう。
あんなことやったら時間貸しとかないじゃん。
確かに一人でこもって折り爪用の寿司握ってる時にあれやったらちょっと気味悪い感じ。
単純に手が疲れるだけだよね。
確かに僕もパフォーマンスでお客様の前でテスター引いたこととかありますけど形は気をつけますもんね。
そのちょっと美意識の延長上で見せるということは広がっていって今や世界に広がっていると。
ちょっとまとめるとエンターテイメントには2種類あって工程を見せてパフォーマンスしていくっていうエンターテイメント。
これが世界的にもすごく注目されてますね。
ちょっと忘れられがちだけど本当忘れちゃいけないのは完成品を鑑賞するという。
コンサート会場に行ってクラシック音楽を頭から最後まで聞いてストーリーを楽しむみたいなこともやっぱり一本の数字なんで。
ほぼ全ての茶会席とか我々がやってる会席料理っていうのは完成品を鑑賞してもらうタイプの料理スタイルということが言えるんじゃないかなと思います。
これで一本分っぽいんですけどもう一個あるんですよ。
会席料理が変なことになるんでちょっとそれは触れておきますね。
変なことになる?
戦後の話したんで戦後復興の時期にだんだんこうやけの原の状態から経済がんばりまくりますよね。
高度経済成長期の成長率ときたら当時の欧米諸国の数倍のスピードで。
数倍?
2倍から3倍とかものによっては4倍って書いてる本もありましたけどそのぐらいの勢いで経済成長していくわけですよ。
復興を通り越えて高度経済成長期に突入していきます。
日本のバブルに向かってね。
バブルに向かって。その河切りになったあたりっていうのがだいたい1955年つまり昭和30年頃ですね。
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この時から一気にグーって伸びていくんですけどついでに伸びるのが国内旅行者数がグーって伸びていくんですよ。
1955年から10年間の間1965年までの間に正確なデータなかったんですけどおよそ2倍から3倍に増えてます。
すごい短期間でそんな増えたんだね。
1965年から75年の10年間これは約3倍伸びてます。
そっからまた?
はい。
すごいね。
むちゃくちゃ人が移動するようになるんですよ。
裕福になったので仮処分所得ができるようになるんですね。
そしたら日本人は割と旅行好きなんで昔から。
旅行したがってあちこちに行くとホテル足りない旅館足りんってことになるんですね。
どんどん旅館増えていくんですけどそれでも足りないから受け入れ側が大量の人数を捌く仕組みを使わざるを得なくなる。
受け入れるためにどうするかって言うと勝利と敗戦をめちゃくちゃ効率化しないとやってられんってことなんですね。
これ明治時代の文豪の図筆とか読むと出てくるんですけど
基本的に旅館の食事っていうのは部屋で食べるの当たり前なんですよ。
連泊するのも当たり前。
のんびりする。
連泊なんだ。
連泊することも特に温泉旅館とか当たり前だったんですよね。
それでコミュニケーションとって言ったりして今日どうしますみたいな感じでお互い会話して調整していくっていうのが当たり前だったようなんです。
まあこれは小説家だからなのかもしれないですけどね。
ただもう大量にブワーってくるから大量に捌くという発想になっちゃうんですね。
そうすると本来解析料理っていうのは時間展開が命なわけですよ。
やってられんのよ。
まあ一個ずつねゆっくり出してペース合わせてなんてやってられないのよ。
うちよくやってるなと思うもん。
まあそのせいでうち3組ずつしか入らない。
今ね小グループ化したけど30人×2とか3とかなったらもう死にそうな状態になるわけじゃないですか。
そうだね。
だからもうこの時間展開やめよってなる。
まあしょうがないね。
しょうがないですよね。だから今でもそうですよ。
旅館行くともう席に座る前に何品か並んでるでしょ。
並んでる。
なんなら鍋も火つけるだけの状態になってて。
途中後から出てくるのは汁物。お味噌汁とご飯と温かいものぐらい。
ひどいとこになると冷えた煮物が置いてあったりする。
焼き物も置いてあったりする。
焼き物も。
そういう世界になっちゃう。
で、部屋食ができなくなっちゃうから食堂作り出す。
古い旅館に行くと食堂じゃなくてこれ絶対宴会かなんかに使う大広間だよねっていうところに
低い台室みたいなのが並んでてっていうの見たことあると思うんですけど。
ある。それで名前書いてある。
そうせざるを得ないんで宴会場潰して朝食でも晩飯でもそうしちゃう。
そうなんだ。
そうしないといちいち部屋に箱出られないから時間決めるから来て。
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まあまあしょうがないか。
これ何が起こってるかっていうと平安時代の平面展開大胸料理に戻ってんだよ。
大胸料理ね。
でしょ?
確かに確かに。
15品出るうちの10何品かがもう並んでいて温かい汁物だけが出てくるってまさに平安時代の提供方法そのものなんだよね。
そうだね。
あれ?なんか戻ってへん?って。
逆行しちゃったね。
逆行しちゃった。
しかもこんだても画一的に一個にしないとやってらんないじゃん。
もう10組来たら10種類とかやったらもうとてもじゃないけど厨房回んないから。
だからメニューをバーンって決めちゃう。
でそのうちに即席料理ってね今の居酒屋さんとかやってるメニューがあって注文して出てくるっていうスタイル。
これが江戸時代中期ぐらいから出てきてもう日本全国に浸透してこれ庶民の料理として当然首相はなんか当たり前になってますから。
これがコース料理いわゆる解析料理に取り入れられていくんですね。
だから何々コースってなってなんちゃら解析とか名前がついてはいどの解析にしますかみたいなこと言い出すね。
解析なのにね。
いやいや茶外石の文脈どこいったん?っていうことになってくる。
ここで変わってくんだ。
たぶんつい最近の話なんですよ。
ほんと最近だね。
だから戦後のすぐの頃っていうのはまだまだそれ以前のもともとの解析の文脈が残ってるわけじゃないですか。
色濃く。だからうちの親父なんかわかってるんですよ。
けどそこから下の世代になってくるともう薄れてきちゃって忘れられてて。
逆にこの平面展開が当たり前だしよって思ってる人も増えてきちゃってる。
しかも間の悪いことにそういう世界旅館とかのこの大量生産の世界で育った人たちが県の料理の組合とかの上の方にずらっと並ぶようになっちゃう。
元のストーリーどこいった?みたいなのはなっちゃいますね。
そういうことか。
勉強してる人はわかってるけどしてない人はもう染まっちゃったりもします。
確かに解析なのにすごい何か内容を決めてくる、来ようとする人もいるもんね。
基本お任せっていう名前ができたのもこれ以降の話なんで。
お任せがデフォルトですから。
決めてくるって言うとあれだけど、何か食べたいものを言ってくれるのはいい。
こういうやつが食べたいと。
一品ずつこうしてくれ、ああしてくれって全部しようとする方がたまにいらっしゃるけど。
僕の代わりにこんだてを考えてくれるとして。
一生懸命ね。
ありがたいようなありがたい迷惑のような。
その通りにはできないし、こちらの他の食材の都合もありますからね。
美味しいものを出したいしね。
たまにその食材それやっちゃうと先導的にもったいないんだよなとかね。
ありますけどね。
あるね。それはちょっと信用になっちゃうけど、お任せしていただくほかないんだけどね。
その方が美味しいものは食べられると思うよ。
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その料理人さんのうちだけに限らずですけど、料理をやってるプロフェッショナルの方の世界観をまるごと味わうっていうね。
さっき言った芸能の完成品を楽しむっていう味わい方でいいのかなと思うんですけど。
ただ1950年代60年代70年代、70年代くらいでもそうなったのかな。
40年50年くらい経ってますよね。
これはこれでまた新しい展開を見せ始めているような気もするんですよ。
その平面展開の中で日本料理をどう見せていくかっていうことを考える人が出てきてもおかしくない。
50年って文化が変わるには短すぎるんですよ。
人の一生だとすげえ長50年と思うんだけど、こうやって日本料理の変遷をずっと見てくるともう一息かかりそうな気がするんだよね。
文化とは言ってるけど習慣みたいなところが大きいからね。そんなに簡単に人の習慣は変わらないっていう。
今は過渡期にあるような気がしてて。
過渡期だからこそ僕らが気をつけなきゃいけないのは、
この食べ物ラジオでは出てきますけども、経験の断絶。
経験の断絶ね。
前を捨てて新しいものを作るのではなくて、継承しつつ再構築していくっていうのが大事だと僕は思うんですね。
一旦戦争という巨大な不幸なイベントのおかげで断絶しかかってきたので、これを一回取り戻すってことは片手でやらなきゃいけない。
一方でそこに固執しないで新しいものを見出していくっていう。
この二軸をずっと回していくことで新しい食文化っていうのが、
現代の食文化に合わせて社会文化に合わせたスタイルっていうのが出てくるんじゃないかなっていう風に僕は思ってます。
確かにね。日本でレガシーと言われてもう何年か経ったけど、そういうことなんだろうね。
日本を見つめ直した時に、日本ってそもそも何が日本を形成してるんだろうみたいな。
そういう感覚にここ何年かで特にオリンピックあたりで思い直したんだろうね。
特にこのシリーズ自体がそれを見つめる旅でしたね。
そうだね。
それ後はじゃあ終わらんわな。
壮大なレガシーの旅に。
僕その話の流れで言って面白いなと思うのが、経験の断絶をしかかったことで日本の様式の理解がちょっと止まるじゃないですか。
一つは断絶もあるし、そもそもこんなに我々一般庶民が、僕らみたいな平民がですよ。
庶民が快食料理を食べるっていうことが長い時代なかったわけですから。
それを言うと確かにね。
18代2とか言ってもあの人たち1日100両飛ばすような人たちなんで。
大富豪だね。
大富豪なわけです。それ以前っていうのは武士とか貴族階級なわけですよね。
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なかなか我々はタッチできなかったところが、今現代になってそれに触れるようになったから理解ができないんですよ。
このシリーズもずっと見てきたように、自分のわからない食が海外からやってきた時に、
自分の知ってるものにメタファーとして置き換えて、これに似てるからこれっぽい感覚で捉えればいいんだなみたいなことをやるじゃないですか。
それを今僕らはやってるんですね。我々の世代は。
現代社会でそれをやるためには解析料理を理解するために必要なのはないじゃん。
そこにふっと、さっきの旅行が大ブームになった時代に、昭和の西洋料理ブームがもう一回来るんですよ。
フランス料理大人気。
フランス料理ね。
尾島津区に出てくるイヤミがさ、「おフランスでございます。」って言うじゃん。
そうなの?
おフランス。花の都パリでおフランスがオシャレでございますという時代があるんですよ。昭和に。
眼鏡のパリミッキー。
それしか出てこなかった。
まあそうなのか知らんけど、フランス料理がすごく人気で、人気でっていうかね、あれこそがオシャレっていうブームが来るんですよ。
炒めしブームね、バーブル時期ね。イタリア料理がオシャレみたいな時代が来て、スペイン料理がとかってそのぐるぐる回ってるんですよ、現代も。
だからさ、解析料理よりもフランス料理の方が庶民にとっての認知度が高くなっちゃったんですね。
テレビでも盛んにやるわけじゃないですか、フォークとナイフはこう使います、外側からこのように使ってまいりますみたいな。
スープは向こう側に倒してって、フランス式でイギリス式は手前に倒すんだけどなとか思いながら、全部フランス式でやろうとするんですよ、メディアでね。
それで理解しちゃった人たちは、なんと日本の古来からあるはずの茶外籍や解析料理をコース料理として理解をし始めるんです。
逆にね。
だから今うちの店がそうですね、メインディッシュは何ですかって聞かれますよね。
聞かれるね。
そんなものはもうここまで聞いてくださったリスナーさん全員わかってると思いますけど、そんなものはない。
ない。
日本料理にメインディッシュという概念があり得ないわけですよ。
そうだね。
解析とか茶外籍においては。あるのはうなぎ屋とかすじ屋とか専門店にはありますもちろん。
けど本来の伝統的なっていう言葉がいいかわからないですけど、解析料理みたいなところにはなかった。
けどもフランス料理もしくはうなぎ屋とかね、そういう専門店の分野からメインディッシュを求めるようになってくる。
とか改善するときは右手側っていうのが、本来は正面ですけど正面がダメなら右後ろからっていうのが日本料理の、日本料理ではないですけど伝統なんですけど、
左からやるのが普通だろって。それフランス式なっていうね。イギリスとかフランスがそうですよね。
あとメディアで読んでて笑っちゃったのがすり流しは和製ポタージュである。ポタージュが生まれる前からすり流しあるけどなみたいな。
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そうね、確かにね。日本で言ったら左上上っていうのは当たり前のようにあったはずなんだよね。
そこがいいのか悪いのかですよ。僕は単純にこれ面白いなと思っていて。
悪い面で見ると日本の前を忘れてしまっている。経験の断絶が起こってしまっている。
一方で日本にいながら日本のことを海外視点で見ることができるという特殊能力を今我々は身につけてるわけですよ。
どんどん海外の料理、フランス料理だとかイタリアン料理だとかのシェフが海外で勉強して日本に持ち帰ってきて日本流にアレンジしてどんどん発信してるじゃないですか。
日本の中ですげえイノベーティブなことが起こり続けてるんです。
だからこれを世界にこれから出していかなきゃいけないっていう時に海外の状況をちゃんと見ればちゃんと発信ができるんじゃないかなっていうそういうポジティブな面もあるのかなと思います。
そうだね。だいぶみなさん海外から帰ってきたシェフは日本流にアレンジし続けてるからお店の名前も若干しんなんとかって付けてたりとか。
そうですね。
知り合いの料理屋さんでしんなんとかっていう新しいものを作り出してるけどそういうことが起こるとまた面白い食はできるんだろうね。
僕はこれから日本料理っていうシリーズなんで日本料理に限定していくとどんどん海外に出ていって日本人じゃない人がどんどん日本料理というものを再解釈をして広がっていくっていう世界があったらいいのかなと思いますね。
ちなみにさあうちが今というか前からいいねって言われるのは作るまでの文脈というかそこで評価されることが結構多かったじゃない。その料理ももちろんだけどその事前にねいろんなストーリーがありますよっていう話をちょろっとすると皆さん喜んでくれてそれがラジオにつながってるわけなんだけど。
これは何なんだろうねその目の前で見せる作る過程ではなくて完成品だけではなくてその前の部分文脈の部分というかストーリーの部分って言われるけどそのストーリーを見せるようになったっていうのはこれは何なんだろう。
これはね僕が明確に意図してやった部分も多少あってですね感覚としては映画館のパンフレットなんですよ。映画館で売ってるパンフレットってその背景がちょっと書いてあったりサブエピソードが載ったりするじゃないですか。あれ読むとこれから見る本編の映画がより面白くなったりしますよね。
そうだね。 それを紙面化するのは我々のこんだてが日々変わってしまうことで無理なのでそれを口頭で指していくっていう接客スタイルを実験的に始めて軽くこれ7年経ちます。
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確かに僕が講師にいた頃もね商品ができるまでのストーリーを組み立てて見せる仕事ばかりやってたけど今やってることもほぼほぼ一緒なんだけどさやっぱ物語をどこまで話してエンターテインメントとして楽しませる予備知識として予備知識を予備知識と思わせずに楽しんでもらって食べたらより美味しくなるっていうのが一番理想だよね。
なんで理想は予備知識入れるじゃないですかうわーと思って食べるじゃないですか食べた瞬間に頭の中にあった予備知識が3文字で書き消えることが一番いいんです。
うまいさっきの忘れたうまいって感動が呼び起こるって僕は思ってるのでもちろんそのうまいがないかったらただのコールサイン店になっちゃうんだけど。
まあねたまにあのバランスがねあんまり良くないお店もあるからね。 ドキドキやらかすけどさ。
期待値を高めすぎるっていうリスクもあるわけだから。 確かに。 特に食べ物ラジオのリスナーさんはあんまりにも期待値を高く持ってくるから。
そういう意味で急に食べに来られると怖いっていうか普段の高めのコースを作ってる時よりはリスナーさんが来てくれた時の方がちょっと緊張かな。
だってだいぶ高めちゃってる気がするよね。 いやもうね僕らごときのね。
そう言っても僕ら修行って兄ちゃんがね本当に1年とか外ではね2年くらいでしょ。俺なんかゼロだからね。うちでしかやってないし。
それもあるから厨房時間長いんですよ僕。もう再三言いますけどテクニックでカバーできない部分は時間で稼ぐっていうところからスタートしますから。
あと知識とね。 そう知識と時間でカバーするっていうところがスタートなんで。それを繰り返していくうちに精度上がってきてもう技もついてくるんで色々と再現できるもの構築できるものが増えてきたっていうのが今途中ですね。
まあ料理には終わりがないからね。その辺は期待を裏切らないように何度かやっていきたいなと思いますけどね。 まだ師匠が元気なので。
そうね。元気のうちに色んなやつを教わっておかないとね。 そうね。時々こんだて替えのものが出てきてほーって思う時あるからね。ほーそうきたすげーって思うからね。
そう、未だに味見してるけどその余ったやつね。これ何味っていうのが結構まだ多くて、何入ってるんだろうって聞いちゃうんだよね。けどそれが塩だけだよとかあっさり言ってくるからさ、えそれだけでこの味になるの?みたいな。なんだこれっていうね。
食材の使い方というか、噛んどころがすごいからさ。塩だけでここまで持ってくんよ。みたいなのがよくあるからさ。ちょっと今のうちにしっかり学んでいきたいなと。
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知識じゃなくて体得しとかないとね。 そう、体得。舌で覚えるしかないのこれ。暗昧で。
再現できないというか。 やべー重くなってきた。料理人として気持ちが重くなってきたぞ。
やれるところで言いましょうか。うちもいつ潰れるかわかんないしね。料理の世界はね。潰れる時はあっという間ですから。
後半最後の方はぐだって感想っぽくなりましたけど、感想回に行かなくても感想言っちゃいましたね。
ということでですね、僕からリスナーの皆さんに一つご意見をいただきたいというか、もしよかったらツイッターでもいいですし、直接メッセージでもいいので、このシリーズ、冒頭、第1話の時にお話ししたと思うんですよね。
そもそも日本料理、もしくは日本らしいものってなんだというのがよくわかんなくなっちゃったんですよ。考えれば考えるほど。だって中国由来とか海外由来とかめっちゃ多いやん。
商人料理なんかもそもそも中国製品じゃん、元が。けど全部を包み込んで、それでもやっぱりこれって日本だよな、和だよねって言えるものが確実にあるとは思ってるんですよ。
それなんとなく肌で感じてる。これを言語化したいんだけど、なんだこれっていうね。ところどころに和美茶とか美式的なものが出てきてるんでそれはヒントかなと思うんですけど、これを僕がそう感じただけで他の方々がどう感じてるかっていうのを知りたいですね。
これみんなで意見を持ち寄って話をしてとか、ネット上でコミュニケーションが取れればああそういうことかって他の人も気づくことがあると思うのでツイッターやってる方だったらハッシュタグ食べ物ラジオもしくはこの配信会にリプライとかでいいのでやっていただけると僕も勉強になって嬉しいです。
そうね、もう直感でも全然いいです。単語でも何でも。描こうと思うとね、いざ描こうと思って意外とみんな手が止まることが多いと思うんだけどそこは何とか押し切っていただいて、単語でもいいので、画列でもいいので気にせずコメントいただけるとありがたいです。
そうですね、ぜひよろしくお願いします。 ということで、いつもならグダグダでいろいろここから話すこともあったりするんだけど、コラボ収録が8分前ということで。
そうですね、そろそろ行かないといけないですね。 これで遅れるわけにはいかないんでね。ということでコラボ会もぜひ楽しみにしていてください。ということでこの長い日本料理シリーズ、これで完結ということで。
概要でした。 概要だった。じゃあいずれね、ちょっとまた紙砕いたやつが出てくると思うので、それを期待して面白く紹介してくれると思いますので楽しみに待っていてください。ということで今回の日本料理シリーズ、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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