1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #264(s29-6)初期アメリカの食..
2025-08-09 34:14

#264(s29-6)初期アメリカの食文化〜南部混血文化編〜

サマリー

エピソード264では、南部の食文化における西インド諸島や黒人奴隷の影響が議論されています。特に、バーベキューの起源、米のプランテーション、ソウルフードやフライドチキンの由来が取り上げられ、アメリカ南部文化の多様性と変遷が解説されています。このエピソードでは、初期アメリカの食文化、特に南部地域の食文化が探求され、フライドチキンやクレオール料理、ケイジャン料理などが紹介され、それぞれの料理がどのように形成されたかが語られます。初期アメリカの食文化は、スペイン、アフリカ、イギリスなどの多様な文化が混ざり合いながら形成され、特にチリコンカルネやハンバーガーは、その複雑な起源を持ちながらアメリカのアイデンティティを代表する料理となっています。

南部の食文化のルーツ
はい、では前回からの続きです。で、今回は 今回は南やりま〜す。 南、南。 南部ですよ。
南部。 南部を東側から順番に行きましょうね。 東側から順番に。あーはい、右側からね。
そう、サウスカロライナとかあっちの方。あの辺から行きましょうね。この辺りはですね、もともと西インド諸島の食文化が入り混じってます。
何処って言った? 西インド諸島。 西インド諸島? カリブ海ね。キューバとかさ。あっちの方。
で、その人たちとイギリスからやってきた白人集団。この人たちが入り混じってるわけね。 これ砂糖のシリーズを思い出して欲しいんですけど、
砂糖のプランテーションっていうのはもともと西インド諸島とか南米で行われましたよね。 この人たちがだんだんとアメリカの方にもやってきて、
アメリカの南部でも砂糖きびプランテーションできないかなーみたいなことをチャレンジし始めるわけですよ。
そのくらいの話ね。なので、まず西インド諸島の食文化の話をしましょう。
このね、西インド諸島の中ですでに根欠を凝ってますから。先に。 ああそうなんだ。 誰がいるか。
西インド諸島の先住民族がいますよね、まず。当たり前ですけど。そこにはスペイン人とかイギリス人とかも来ますよね。
で三角貿易で持ってアフリカの西の方の黒人奴隷っていうのが連れてこられますよね。
この時点で3つ4つ混ざっちゃうんです。 で、まず欧州イギリスとかうちのヨーロッパ系の人たちからはプランテーションの従業員が来ます。
プランターはねあんまり現地来ないんで。 プランターは来ない? オーナー持ち主はもう来たとしても金持ちになったらイギリス帰っちゃうし、
なんだろう大金持ちがプランテーションを買って来ないとかね、いう感じなんであんま来ないんですけど、どっちかというと従業員が多くてですね。
あとは宗教意味の人たちがちょっと入り混じっているような感じですよ。 宗教意味? まあ一部の牧師さんみたいな人ね。
もうまあ来るわけですよね。 生活に必需品と、品じゃねえけどさ必需必要なんで。
でまずここで現地の食とアフリカ人の食文化が混ざっていきます。 なんでかっていうと白人はあんまり料理しないの。
しないの? そう、どっちかっていうとやらせる側だから。 ああそういうことね。 黒人に料理をさせる。
で初めなんかその原住民の方々もどれにしようとしたんだけど嫌だーっつって逃げてっちゃうんだよね。
だから基本的に黒人がずっと労働してるわけですけど、黒人の奴隷の方々がどうやって料理を作ればいいかどうやって食料調達していいかわからないので結局現地の人たちに聞くわけですね。
で学んでいくっていう感じになります。 この中で特筆して紹介しておきたいのはバーベキューの原型ですよね。
バーベキューの原型。 はい、西インド諸島のタイノ族という部族がいます。
この方々がもともとやっていた調理方法をバラビクと言います。 バラビク? はい、これねバラビクっていうのはね調理器具の名前なんですよ。
ああ、調理器具なんだ。 器具って言っていいのかどうか僕の目から見ると微妙なんだけど、野外調理なんですよね。
野外調理? そう、で野生の豚とか野生の鳥っていうのを捕まえてきてそれを丸焼きにするんですけど、
あのね地面に深い溝を掘るんですね。そこそこ深いですよ50センチとか掘るんでしょうね多分ね。でそこに墨を置きます。
墨を置く。 火焚きますね。でその細い溝、細いって言っても1メーターぐらいあるんでしょうけど、
溝を掘ったらそこに木の棒を渡すんですよ。 まあいわゆるグリルのあの金網あるじゃないですか、あれのもっと荒くてでっかいやつを置くイメージですね。
でその上に獲物を置く。 獲物を置く。 置く。丸ごとボンって置く。 丸ごとなのね。
皮は剥ぐんでしょうけど。ボンと置きます。そうすると超遠火で焼くっていうことになりますよね。これがバラビクです。
なんでこんなことやってるかっていうと野生の豚って肉が硬いんだ。 野生の豚か。
イメージしやすいのは日本だったらイノシシでしょうね。野生のイノシシそのまま食べようと思うとものすごく硬いじゃないですか。
硬いね。 あれです。言ったら。でもどうにかして柔らかくしないと食べられないわけですよね。食べにくい。
ということで超低温で焼くにしては低温でじっくりゆっくり何時間もかけて焼くっていう方法を編み出したんですね。
これをタイの族の人たちがやっていたということなんですが、これを黒人奴隷の人たちは学ぶんですよ。
後にこれがアメリカ大陸、今のアメリカ合衆国の南部に一言移っていきます。
一言移って。 これは本当に佐藤のシリーズもう一回聞き直さないとわからないかもしれないですけど
西インド諸島の中で領土争いとかスッタモンダがあったりとか、あとアメリカ南部で佐藤プランテーション作りますみたいなことをやったときに
島の中でごちゃごちゃ国同士の争いとかトラブルがあるときに、じゃあちょうどいいからお前たちこっち来て一緒にやってくれよって言って
いわゆる熟練労働者としての黒人奴隷をアメリカに連れてくるわけですよ。
この時点で戦獣インディアンはいないわけですけど、黒人奴隷の中にもうすでに戦獣インディアンの食文化がインストールされてますよね。
その状態でアメリカにやっていきます。北アメリカにやっていきます。そこで普通にプランテーション作るんですけど
ソウルフードとフライドチキン
アメリカ南部といってもサウスカロライナとかそのあたり近辺って、そう簡単にサトウキビ作れないんですよ。
サトウキビ作れないの? 作れなかったんですよ。ちょっと湿地帯みたいなところだったしね。
だから最終的に今のアメリカ合衆国の領土の中でサトウキビがまともに育つようになるのはだいぶ後1800年代に入って
ルイジアナのあたりとかテキサスのあたりとかあっちから始まっていくっていう話をしたと思うんですけど
初めのことできなかったんで困ったんですよ。その白人支配層は。
そしたら黒人奴隷はね、米を植えたらいいんじゃないって言い出すんだよ。
米? 米。 ここで米? 米を植えたんですよ。だからこのあたりライスプランテーションになるんですよね。
ああそうなんだ。 なんでその黒人の方々が米を植えたらいいって言い始めたかというと
元々アフリカ大陸の西から北部にかけてかな、上半分くらいっていうのは米食文化圏なんですよね。
米食なの? そう、アフリカって米食べるんですよ。スペインとかね、あっちもライスの文化圏じゃないですか。
だから地中海を中心にして上下はだいたい米食べる文化圏なんですよね。
だからお米に対する知見があるんですがイギリスの人たちはわからない。
だから本当かよと思いながらもうどうにもならない街だからじゃあやらせてみようってなってやらせてみたらうまくいってライスプランテーションができるわけですよ。
これでちょっとずつプランテーションが産業として機能し始めますよね。
そうするとね、1800年代くらいになるとだんだんと経済が安定してきますね。
リッチになってきます。
誰がリッチになるか。 誰が?
白人支配層と黒人奴隷、みんな同時にリッチになりますか?
ならないんじゃないの? ならないですよね。
お金持ちになっていくのは白人支配層。
その白人の中でも労働者じゃなくて支配層だけが儲かるっていうことになりますよね。
黒人奴隷と同じ白人なんだけど貧しい労働者階級っていうのがいるわけですよね。
これも佐藤のシリーズでやりましたけども、ヨーロッパからも白人の奴隷的な、期間限定の奴隷的な労働者って雇ってましたから、
その人たちが仮想の人として貧しい労働をずっとやっていくわけですよね。
彼らがさっきも言ったように調理を担当するわけですよ。
ここでまず食べ物の格差が思いっきりできます。
格差? 簡単に言っちゃうと、
金持ちはお肉のいいとこ食べるんですよ。
牛肉のいいとこ、カルビとかサーロインとかリブロスとか、いいとこ食べるわけですよ。
だけど労働者階級の下の方の人たちは余った肉、固いとことか筋肉とかが回ってくるわけですね。
足りないからその辺にいる野生の豚捕まえてきたりとか、
鶏捕まえてきてたりとかして食べるしかないわけじゃないですか。
しょうがないんでどうにかして食べなきゃいけないんだけど、
なんと黒人奴隷はバラビクの技術を持っていたんですよ。
何年か前まで西インド諸島にいましたから。
だからそれをやるんですね。
したら一部の白人にまで知れていくじゃないですか。
なおかつ金持ちの人たちも、なんだそれうまそうだな。
ちょっとうまそうだね、ちょっと食わせろよってなりますよね、普通にね。
これちょっとずつこの肉を遠火でゆっくりじっくり焼くっていうのが広がっていくんですね。
これが後に南北戦争で奴隷が解放されたりとかして、
黒人の人たちが全国に散らばっていく。
そのバラビクの食べ方を知ってる人たちが全国に散らばっていくんですよね。
この肉体労働的な調理方法、野外ですからね。
もう穴掘ったりとかすると大変じゃないですか。
こういうのは野外で肉体労働してる人たちにはもううってつけなんですよ。
オシャンティーにカチャカチャやってる人たちにはこれができない。
西部開拓民にもうってつけなんですね。
移動中さ、調理器具出してさ、そんなに細かい作業できないことない?
逆にこういうワイルドなやつの方がいいわけでしょ。
これが徐々に時間をかけてですけど、全国に広がっていく。
で、このバラビクがスペイン語で生ってバルバコイに変わって、
もともとスペイン料の人たちですからね。
バルバコイになって、それがアメリカに渡って生まれて、
バーベキューと呼ばれるようになる。
そうなんだ。バーベキューって略したわけじゃなくてそもそもバーベキュー?
そうです。バラビク、バルバコイ。
ちょっとスペルが薄かったけど、バルバコイのコイがQを使ってたと思う。
CとかQとか表記売りありましたけど。
それが読み方が変わっていて、だんだんとバーベキューに変わっていく。
バーベキューってBBQって略文字使われますけど、
スペル全部書くと確かにバルバコイっぽい読み方できそうだもん。
そんな感じで広がっていくんで、これがアメリカ中に広がって、
今では国民食になってるわけですよね。
国民食というか国民的家庭行事っていうのかな。
すごく大切にされてますよね。
そうだね。アメリカ行くと必ずと言っていいほどバーベキュー開いてくれるもんね。
僕らよくソウルフードって言うじゃないですか。
魂のフードみたいなイメージで、
郷土料理で俺たちの魂はここにあるんだみたいな意味合いで使ってますけど、
元々はこのバーベキューを中心とした国人食文化のことを指してますね。
ソウルミュージックのソウルですよ。
確かにソウルミュージックっていうね。
ソウルミュージックといえば国人の人たちの音楽がスタートじゃないですか。
そういう意味でソウルっていうのを使われていて。
そこは一緒なんだ、元々は。
南北戦争の後に奴隷解放されて、
国人が徐々に北の方とかに住むようになっていく。
1927年以降からくらい一気に広がっていくんですけど、
その手前で南北戦争があるみたいな感じで、
2段階くらいで広がるんですよね。
その時に国人の家庭料理としてソウルフードっていうのが言われるようになっていく感じですね。
もともと固まって暮らしてる時はあまりその意識がないんですけど、
北部に散らばっていったことで、
俺たちのソウルはここにあるみたいなイメージで、
ソウルフードという単語が使われるようになっていくそうですね。
へえ、そうなんだ。
さて、この余った肉、野生の豚、鶏肉っていうのが、
別の方向にも進化を遂げます。
別の方向。
これがフライドチキンです。
フライドチキン?
皆さん好きですか?
フライドチキンはよく食べるね。
ケンタッキーフライドチキンとかね。
あれですよ。
これね、もともと鶏肉は西アフリカの人たちにとって結構ご馳走なんですって。
へえ。
西アフリカにいる時、国人さんたちは、
お客様が来たらおもてなし料理として鶏肉を提供してました。
で、その調理方法っていうのはスパイスで煮込むものなんですって。
煮込みなんだ。
スパイスを使って煮込むもの。
一方でスコットランド、今のイギリスですよね。
あちらではパン粉を使ってバターでフライにするっていう文化がありました。
鶏肉といえばだいたいそういう調理があります。
これが融合するとスパイスかけるパン粉を揚げるってなってフライドチキンになっていく。
ああそうなんだ。
だからケンタッキーってちょっと南部のところですね。
南部の内陸あたりですね。ケンタッキー州って。
あのあたりの共同料理になっていくんですよ。
南部の食文化の影響
まさにあのあたりはライスプランテーションゾーンなんで。
だから南部のこの黒人奴隷の食文化と支配層のスコットランド。
これ面白いのがスコットランドなんだけど、支配層だけじゃないんだよね。
イングランドじゃないから労働者層なんだよね。結構多いのが。
そこが入り混じっていく感じね。でフライドチキンになっていきますよみたいな感じです。
そうなんだね。パン粉なんだね。
パン粉のイメージあんまないんだけど。
今また違うの使ってるのかな。
今もう唐揚げみたいな片栗粉みたいな衣になっちゃったよね。
まあちょっと変わってきてはいますけど基本的にはパン粉でしょうね。
フライドチキンといえば。
そうなんだね。
サクッバリって表面がいくやつね。
まさにパン粉をつけたケンタッキーフライドチキンのようなフライドチキンです。
それを代々と引き継いできてお母さんの味をレシピ化して再現して売りに出したのがカーネルサンダースっていう流れですからね。
そんな感じですかね。
ということでちょっと西側に行きましょう。だんだん時間が迫ってきたので。
ニューオーリンズに行きます。
ニューオーリンズ。
この辺りはですねもともとフランス寮でした。
フランス寮。
ルイジアナですからね。覚えてますか?史上最大の土地取引と呼ばれたルイジアナですよ。
なんか二足三門で行ったとこ。
それそれそれ。
そういう記憶しかないけど。
あそこはもうねフランス文化圏なんですね。
と同時に先住民もいればアフリカの系の黒人もいるっていう場所ですよ。
国際商業都市ね。
国際的な商業都市。
北の方で取れた産品、食料だったりとかあと木材とかね。
っていうのがミシシッピ川を使って運ばれてきます。
ミシシッピ川ね。
毛川とかね。
河口に集まるじゃないですか。
そこから船に乗せてヨーロッパにも運べるし、何なら海でぐるっと回ってニューヨークにも行けるし、西インド諸島にも行けるし、南米にも行けるわけじゃないですか。
だからニューヨーリンズっていう町はもともと何かを生産するというよりは貿易の要所になっていくわけですよね。
ここに人が集まってくるっていう構図なんですよ。
だから黒人は奴隷としているんですけど。
アメリカ合衆国の、さっき言った東海岸南部のような奴隷労働者というよりはもうちょっと緩やかな感じになります。
奴隷扱いはするんだけどそこそこ仲良しで、割りかしフラットに近い。
そこ違うんだね。
そうなんですね。だから本当にね婚欠しやすいんですよ。
そんなに格差が厳しくない分だけ結婚しやすい。
差別が少ないでね。
ということで婚欠人が生まれて、しかも黒人奴隷の人たちも都市生活者になってきますから。
都市で生活するんだね。
結果としてフランス料理と入り混じって割と都市的な料理が発達していくことになります。
ケイジャン料理の定義
この人たちのことをクレオールって言うんですって。
クレオール。
もともとはフランス語でね、植民地で生まれたヨーロッパ人のことをクレオールって言ってたらしいんですけど、
だんだんとフランス人と黒人が結婚して混ざって婚欠してきますから、その人たちのことをクレオールというふうに呼んできます。
へえそうなんだ。
だからこのあたりの婚欠した料理っていうのをクレオール料理なんていう表現をしたりしますね。
へえクレオール料理。あんまりイメージないな。
僕もあんまり普段聞いたことがなかったので、本を読んでこれのことかと思ったぐらいですかね。
へえ。
代表的なのはがんぼ。煮込み料理です。レシピが1位に定まらないんだよねがんぼっていうのは。
そうなんだ。
例えば雑炊って言われたらさ、お米は入ってなんか炊き込むけどさ、具材が何かって特定できないじゃん。
まあ雑炊はね確かにね。
まあなんか野菜入るかな。魚入ったり入らなかったりする。まあでも卵使うか。米は必須だよね。くらいの緩い感じのパッケージですよねあれ。
あれのクレオール版だと思ってください。もう豆と肉はまあ大体入るか。まあまあ豆がないとがんぼにならないよねみたいな。
で雑炊的なんですよちょっとやっぱ。
ああそうなんだ。
じゃあいっぱい入って煮てあって。で野菜が入って。でオクラでこうとろみをつけるみたいな。
オクラでとろみつけるの?
オクラでとろみつけるのって。でもう米入れたりとかね。するんですよ。でこのお米とかオクラっていうのがアフリカ由来じゃないですか。
で味付けに使ってるスパイスとかトマトっていうのは先住民由来なんですよね。でこの玉ねぎとかセロリとかっていうのはフランスから持ち込まれてるものなんですよ。
でこれが入り混ざっていて。でそのオクラでとろみつけてるのもだんだんオクラじゃなくなってめんどくさいからスープのルーを作り始めるんですよ。
ルーをね。
ルーを作る。あれフランス料理の文化なんで。それもこのがんぼの中に持ち込まれてがんぼのルーと玉ねぎとセロリがあってお米が入って豆が入ってスパイスが入ってトマトが入っててもう3週4週ぐらいの民族の料理がごちゃっと混ざってるみたいな。
へえそうなんだ。
そのうちに人参よく取れねえからピーマンに置き換えるかって言ってだんだん変わってっちゃうしね。
そうなんだね。
そんな感じになってて。でこの料理の原型になってる、調理の技術の基本になってるのはブイヤベースから来てるっていう風に言われてるんでやっぱフランスの地が入ってますよね。
うんうんうん。
でこれは今でも食べられているこの南部地域の郷土料理ということになってますね。
ああそうなんだね。
このがんぼ。
がんぼ。
でこのがんぼ、グレーウォール料理がさらに変形します。
変形する?
ケイジャンっていう料理に変形します。
ケイジャン。
これはねえ、フレンチインディアン戦争が引き金なんですね。
フレンチインディアン戦争。
はい、別名英仏植民地戦争と言います。
ああイギリスとフランスの植民地戦争。
アメリカという植民地の中でイギリスとフランス軍が戦いましたよ。
フランス側にはフランス軍プラス現地の戦獣インディアンの方々が味方をしました。
フランスっていうのはさっきも言いましたけど、奴隷支配するというよりは商売をやりに来ているので、わりと対等に取引をしていたんですね。
東海岸のニューイングランドの人たちは追い出したり殺戮したり、そういうことをするわけですよ。
どっちがいいか、力で支配してくるのか取引をしに来ているのか、どっちがいいかっていったら取引の方がいいに決まってるじゃないですか。
だからフランス側に味方をするんですが、イギリス側が勝つわけですよ。
そうするとフランスがもともと領地を持っていた今のカナダのあたりね、あのあたりもイギリスに占領されるわけですよ。
だから今のカナダってごくごく一部がフランス語圏だけど、ほとんどが英語に変わったわけですよね。
ここでひっくり返るんですけど、そうするとカナダのあたりにいたフランス系の人たちは追い出されて逃げますよね。
どこに逃げるかっていうと、同じフランス人のいるところに行きます。行った先がニューオーリンズなんですよ。
ところが、もともとカナダあたりにいたフランス人っていうのはものすごく田舎の牧歌的な生活をしてたんですね。
ゆったりと広大な大地で寒いけど、そういうところから超都会的な国際商業都市であるニューオーリンズにやってくると、これは辛いですよ。
タクがね、四万都からいきなり次の職場と暮らす場所が銀座だってなったらどう?
年に一週間でもだいぶ答えたよ。
そこにこれから住みなさいってなったらどうしますか?
だって住みたくないなと思ったもん。
でしょ?そういう感覚なんですってこの人たち。
まあまあそうだよね。
じゃあどうしますって言ったら、まあそうだな、東側に行ったら千葉のちょっと外れの農村地帯に逃げるかなとかするわけですよ。
まあまあそうするだろうね。
そんな移動手段があるわけじゃないから、てくてく歩って行けるところってそうなりますよね。
で、そういう感じでニューオーリンズから離れた郊外に住み出した人たちのことをケイジャンって言うんですね。
ああ、人のことなんだ。
このケイジャンの人たちが食べてたのがさっき言ったのがガンボのさらに田舎風になった感じ。
クレオール料理をさらにスパイシーにしてもう田舎風にしたものをケイジャン料理という感じですね。
メキシコ文化の融合
そうなんだ。
ちなみにこのケイジャンっていうのはね、アーケディアってカナダのアーケディアってあるじゃないですか。
アーケディア。
アーケディアから北からケイジャンっていうね。ケディアが残ってケイジャンってなったらしいですけど。
へえ。
ルイジアナのこの西側の方にちょっと逃げていって、その辺にまた独特の融合文化を作り始める。
これが南部といっても真ん中あたりね。
真ん中あたり。
ルイジアナ州あたり。そっからさらに西に行くと今度テキサスがありますね。
テキサス。
これね近いようで結構遠いんだよね、アメリカ大陸だからさ。
アメリカ広いからね。
うん、100キロありますから簡単に。
そうだね。
テキサスは英語圏じゃない、もともと。
英語圏ではない。
横を思い出してくださいね。テキサスはメキシコが州国ですよ。
メキシコだったね。
もともと。なのでここはメキシコ文化圏です。
メキシコ文化圏。
今でもテキサスのイメージで言ったらメキシコの人がかぶってるようなでっかい帽子かぶってるとか、サボテンガールとかガンマンがいてっていう、ああいう感じじゃないですか。
うーん。
実際にははいないと思いますけど、イメージキャラクター的にはそうなんですよね。
そうなんだ。
そうなんですよ。アメリカに住んでるとみんなわかると思いますけど、チリって言ったら辛いものって言ったらメキシコじゃなくてテキサスをイメージするんですよね。
はいはいはい。
そのぐらいあの辺がもうメキシコ文化圏なんですね。
メキシカン料理ってなんか言うけど、それのイメージもまだテキサスに持ってるんだよね俺。
ああ。
なんとなく同じような雰囲気を。
はい。それはね、例えばポテトチップスとかプリングルスとかああいうののパッケージ見ても辛いやつになるとテキサスっぽい絵が描かれるからなんですよ。
そういうことなんだ。
メキシコの絵描かないでみんなテキサスを描いちゃうんだね。
ああ。
そういうイメージにもう定着してます。
確かに俺メキシコとテキサスの違いどんなふうに違うかって言われてもあんまイメージわかんないんだよ逆に。同じようにしか思えてない。
そうなんだよねなんかねここも不思議でさ、もともとのメキシコっていうのはねスペインの植民地なわけじゃないですか。
だからスペイン文化と先住民族の料理が混結してる感じ。でスペインから来たのはだいたいお米とかチーズとかそんなやつですよ。
ああそうなんだ。
だからタコスにチーズ入っちゃってるみたいなね。
ああはいはいはい。
で先住民族が食べたのはもともとトウモロコシなのでトウモロコシの粉を加工して作ったトルティーヤとかその辺に頂上であるタコスとか。
あと唐辛子があの辺ですから元々原産地がね。で豆もあの辺でよく取れてますから。
メキシコといえば豆料理のイメージあると思うんですよね。
うんうん。
だからサルサとか豆料理っていうのがもう先住民族のもともとの料理ね。
ああそれが元々のね。
でチリペッパーみたいな辛いやつもそうだね。
これらがくっついてメキシコ料理っていうのが元々できてるんですよ。
でそれが色々と政治的にすったもんだってアメリカが州国になったあたりで今度イギリス系の白人が入ってくるじゃないですか。
そうするとねなんかこれうまいな。
いいじゃん。
ヒーハーカレーなーうまいなーみたいなことになるわけですよ。
違う人が出てきちゃった。
顔のでっかいの出てきちゃった。
でっかい人ね。
でもなんかそんな感じになって混ざっていくわけですよ。
そうするとメキシコ料理じゃなくてメキシコ料理もどきになっていくんですよね。
だから牛ひき肉を煮込むときも豆も玉ねぎも全部ぶっこんで。
玉ねぎとかヨーロッパ以外だからそれもぶち込んでトマト入れてチリ入れるっていう感じになっていくんですよね。
さらに違うの混ざっちゃった。
スペインとイギリス混ざっちゃった。
多様な文化の融合
ヨーロッパでもスペインとイギリス全然違うからね食文化。
全く違うだろうね。
これがなぜかテキサスの中で混ざるっていう謎の現象が混んでる。
確かにテキサスで混ざるんだね。
しかもチリなんだよメキシカンなんだよ。
っていう風にしてだんだんと形成されていったのがチリコンカルネ。
チリコンカルネ。
チリコンカーンっていう人もいるけど。
チリコンカーン。
だから英語っぽくないでしょ。
英語っぽくはないね。
スペイン語っぽいんだよこれ。
ああスペイン語っぽいのか。
もともとスペイン語だからこれが。
ああそうなんだ。
それがもうだんだんとメキシコ料理もどきとして定着していきます。
へえ。
この野外でスープ作ったりするのとかもともとこのクミンを入れたりするのもこれはねアフリカ系の文化だからそれも混ざっちゃってるんだけどね。
ああクミンはアフリカか。
うんあっち系らしいんだよね。
へえそうなんだ。
それもだんだん混ざっちゃってもはや原型がわかんない。
メキシコ原住民の土台の上にスペインとアフリカとイギリスが乗っかってぐしゃってなってる感じ。
うんうんうん。
ですよね。
ああまあそういうことだね。
これがベースになってるのがアメリカなんです。
というのはアメリカにおけるチリってチリコンカルデの略でチリなんですよね。
はあ。
わかります?唐辛子のことをチリって呼ぶけどあれのことじゃなくてチリコンカルデのことをチリって呼んでたりするわけ。
ほうほうほう。
だからチリ味のスナック菓子って言ったらもうこれ。
へえ。
そんな感じ。
そうなんだ。
感覚がねちょっと言葉通りに捉える日本人とはちょっと違うかもしれないですね。
ああ。
という感じですよ。これがもういろいろと混ざってきましたよ。
ちょっとここにメモしたんで一応言っときますけどテキサスでアントニオっていう街を建設するときに労働者が足りなかったんで
あちこちから人呼び集めますと。
はい。
その時にカナリア諸島っていうね。モロッコの沖にあるスペイン人が住んでる島。
はいはい。
あの辺からも入職者を呼び集めてくるから。もうよりぐちゃぐちゃ混ざってんだよね。
はあ。カナリア諸島。名前はよく聞く。
そう。あの辺からも来てますよって話。
へえ。
南は南でね。ざっくり今東と真ん中と西の方。ちょっと今回カリフォルニアの話しないですけど。
こういう感じでもうデタラメに違う。
だいぶ違うね。
これで統一国家つくんだよ。
いやあ統一よくできたよね。
はい。こんな感じなんですよアメリカって。だからちゃんと郷土料理が色濃くあちこちにあるの。
うん。
ハンバーガーの役割
ただこれ前回の話も出てきましたけど、文化を統一しないことには国って求まらないっていうのがあるんですよ。
これに関しては意外と食ってすごく大事で、同じものを食ってるっていうのは俺たち同じ民族だよねって言いやすいんですよ。
今回アメリカなので新しい時代の話をしてますけど、もっと古い時代、1500年前とか2000年前とかに遡ると色んな地域でそれ起きてるんですよね。
それを1600年代から1900年代にかけてアメリカをやらなきゃいけない。この300年弱の間に。今こんなぐっちゃぐちゃの状態から。
この状態からか。
そう。でその共通項でくくるA、B、C、DみたいなそのAをつくんなきゃいけない。
はいはい。
その共通項をつくるチャレンジの一つがもしかしたらハンバーガーになるのかな。
確かに。ハンバーガーは全米どこでも食べれるもんね。
そう。つまりハンバーガーがマクドナルドを代表するようなファーストフードチェーンによって食文化を禁止化させてしまったという風な側面もちろんあるんですけど、
一方で禁止化させて一本櫛を通すことで俺たちのアイデンティティっていう風にしたっていうのもあるんですよね。
ああ。はいはいはい。
っていう意味でハンバーガーってとても興味深いなという風にここから繋がっていきます。
確かにね。どれも入れ込めるもんね。ハンバーガーだったらね。
そう。だからねちょっと話脱線したんだけど、これだけバラバラの民族が入り混じってるのでみんなが共通でうまってならなきゃいけないわけ。
まあそうだね。
そうすると味は濃くなるよね。
確かに。
薄味とかだったら、いや俺にはちょっと塩くれよとか、じゃあ困るわけだから。
みんなにとって分かりやすくうまいもの、さあそれに選ばれたのはどれか。
それはもうハンバーガーだとすれば、そのみんなが共通してうまいものって言ってるハンバーガーの原型はどこから生まれてきたか、
今日紹介してないエリアから登場してまいります。
ああ今日は紹介されないんだ。
はい。一箇所してない場所があるんですよ。
へえ。
それは東海岸中部。
東海岸中部。
前回北、今回は南部の話しましたね。
真ん中あたり。
真ん中あたりって言ったらもうニューヨークぐらいしか残ってない。
その通りです。ニューヨーク界隈でございます。ニューヨークとかフィラデルフィア、ペンシルバニアかな。
へえ。
あのあたりですね。
はあ、全然イメージとは違ったわ。
はい。
そこに行きます。なので次回は、前回今回でざっくりアメリカのことを京都料理で話したじゃないですか。
はい。
次回はハンバーガーの源流を持ってる中部なので、そこをじっくりやります。
おう、そういうことね。
そんな感じです。
ああ、そういう回だったのね。
はい。周辺を見ました。
はいはいはい。
オッケーですか?
わかりました。
はい。
ということで今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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みなさんめちゃくちゃ声通りますね。
終わったー。また解放か。
ホットキャストにならないですか?
やろうかな。
34:14

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