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2023-10-04 27:42

#197(s23-4)ゴマの故郷と旅立ち【後編】〜クレタ島とギリシャとゴマケーキ〜

【キーワード】

紀元前2000年 / クレタ島 / ミノア文明 / オリーブ油 / ゴマケーキ / ミュケーネ / バビロニア / アッカド /


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サマリー

クレタ島のミノワ文明では、ゴマは高級品として取引され、ゴマケーキが人気となっています。温帯型のゴマはクレタ島で育てやすく、この島に定着しています。ゴマはスパイスや風味付けだけでなく、食用としても重要視されています。そのため、ギリシャのゴマケーキがローマ帝国を経由してバルカン半島やウクライナなどにも伝わっていきました。また、ギリシャではゴマが特によく育ち、現在でもギリシャゴマが名産品として知られています。紀元前327年に東方遠征に行ったアレクサンドロス大王がきっかけで、ローマやマケドニアがインドと貿易を始めた話にはゴマも関わっているようです。

ゴマの重要性と移動
前回からの続き。 まあ基本お金があるんだけど、お金が足りないときに代わりにゴマで払ったりとか、超重要戦略物資だったって話ですね。
そうだね。 はい、でしたということで、結構ねゴマの生産管理とかもしっかりやっていましたよという話でした。
で、これがね、これがっていうのはこのゴマが重要だという文化が、めっちゃ長いことこのメソポタミア地方に引き継がれていくんですよ。
この後にね、このバビロニアがドタラコタラとかなって、その後にいろいろでかい国が出てきて、アシシリアとかね、いろんなでかい国が出てきて、帝国がまたなくなって分裂してまたでかい帝国が出てきて、
最終的にアケメネス町ペルシアみたいな風になっていくんですけど、この間だいたい2500年間ぐらいあるんですよ、軽く。すごいよね。
さーっと流したけど。 さーっと流したけど、この2500年以上の長い間ずーっとメソポタミア地方ではゴマ大事よねってなってる。
長っ。 宗教的にもいいし、体にもいいし、経済的にもいいし、めっちゃ大事よねってなってる。
でね、このメソポタミア地方ってアフリカのサバンナよりもちょっと温暖というか温帯なんですよ。
温帯。 熱帯から温帯に移動してるわけですよ。
元々熱帯、亜熱帯の植物だったはずじゃないですか。でもギリギリ行けるかな、北の攻め際、気候の北源地みたいなギリギリなところをメソポタミに移ってって、ちょっとずつちょっとずつ北上していくんですよね。
そしたらその間にだんだんと温帯型のゴマっていうのが出てくるんですよ。
進化した。 進化した。
まさに文字通り進化をして、それが選抜されてメソポタミア地方には温帯型のゴマというのが定着をしていきます。
そうなんだ。 結果熱帯型のゴマは到達されていくんですね。
じゃあもう今のやつは違うんだ。使ってるものは大体。
そうかもね。大体。 変わっちゃってるってこと?
変わっちゃってるものの方が温帯型の方が多いというふうに言われてますね。
当然アフリカは熱帯型のやついっぱい作ってますよ。
ああそうなんだ。 だって今でも熱帯とか熱帯だもん。
ああそっか。そこは変わってない。 そうそう。そんな感じなんですよ。
さらに次の世界行きますけど、ギリシャ。こっちにもゴマは飛び火をします。
ギリシャってね、ギリシャの地図わかりますかね。
ギリシャ何回か見たはずだけど場所ざっくりだな。
すげえ半島みたいなのがいっぱいあって、ちょこちょこちっちゃい島があってみたいな。
そんな感じになってるんですけど、もともとマケドニアとかアテネとか出てくる前の時代ですよ。
すっごい古い時代なんだけど、ギリシャの本土ってそんなに人がいなくてでかい文明もなかったっぽいんですよ。
一番最初に文明が栄えたのはクレタ島。
クレタ島。
ちょっと興味のある人は地図開いてみてほしいんですけど、ギリシャのすぐ南側の地中海。
左下ぐらいかな。そこにクレタ島っていう大きい島があるんですよ。
クレタ島。
クリティ島とかって書いてある。ウィキだとクレタ島とか教科書でも多分クレタ島で出てくると思うんですよね。
結構大きめのね。面積で言ったら日本の兵庫県と同じぐらいのサイズ。
そこそこのサイズありますよね。
現代ギリシャ語の発音ではクリティであるって書いてある。
なるほど。そうなんですか。
日本語ではクレタで定着。
クレタで定着してます。僕もクレタという認識をしておりました。
Googleさんは英語を略しただけなのでクリティ島になってますね。
なるほどね。
エジプトとギリシャ。ギリシャはイタリアの右下ね。
そうそう。
イタリアの半島みたいなところで。
そういうことです。
エジプトがギリシャの反対側というか。
地中海を挟んで南側にあります。
そうだね。その真ん中にあるのがクレタ島。
そういうことですね。
ここがギリシャ本土よりも先に文明を切り開いていきます。
そうなんだ。
そうなんですよ。
へえ。
これね地図見ていただくとわかるんですけど、
エジプトともそれからバビロニアとも交易ができる位置にあるじゃないですか。
地中海ってもともと海穏やかなんで、別に船があれば交易できちゃうんですよ。
まあ渡ればなんとかってことですね。
そこで交易で栄えていくんですね。
へえ。
これね結構ちょっとどうでもいい話ですけど、
面白いなと思うのが、
これクレタ島に栄えた文明のことミノワ文明って言うんですけどね、
紀元前2000年くらいからね。
ミノワ文明。
ミノワ文明っていうのが出てくるんですけど、
結構ね交易めっちゃ頑張ってて、
エジプトとかフェニキア人とかのアートが、
アートっていうの?芸術作品?壁画みたいなのとか、
そういうのを輸入してくるわけですよ。
文化を丸ごとね。
それをシステマチックに分業制にして、
工場みたいなの作って、絵をガンガン製造してそれを輸出するとかね。
へえ。
結構そういうことやってるんですよね。
その時代に絵画とかそういうの概念というか、
その作品が売れてたんだね。
そう、みたいです。
へえ。
で、沿岸部には港湾都市っていって、
港の都市をいくつかあって、
そこに作物とか利益ですよね、お金とかね、
そういうのを蓄える倉庫があって、
そこから民衆に分配するみたいな、
そんな仕組みすら整っていたという感じらしいんですけど、
ここが栄えた一番大きな理由の一つは、
木材が豊富だった。
そこは木材なんだ。
そう。
クレタ島の人たち、ここで木材を取って、
その木材をバビロニアとかエジプトに輸出するんですよ。
バビロンってさ、もともとシュメールが木がなくなって北に行って、
バビロンは木があって燃料があるんでいいですよね、
みたいな話なんですけど、栄えますよね、当然ですけど。
栄えるね。
栄えると人口増えますよね。
木材足りなくなるんですよ。
やっぱりそうなんだ。
やっぱりそうなるんですよ。
そしたら、移動するとか責められるんじゃなくて、
買うっていう行動になるんですよ。
はあ、買うんだね。
その輸入先がクレタ島のミノワ文明。
ああ、そういうことね。
で、ガンガン木材輸出して、
めっちゃもう買って、みたいな感じ。
はいはいはい。
で、この交流、交易の中でゴマがクレタ島に移っていく。
はあはあはあ。
だって、絵が行くぐらいだからね。
まあね。
絶対ゴマも行くじゃないですか。
まあ、食料とかも行くだろうね。
そうなんですよ。
で、ここで一つの転換金が訪れるんですけど、
実はこのクレタ島にはオリーブがあったんです。
オリーブがあった。
オリーブオイルが使われていたんです、すでに。
ああ、先に。
はい。
気候的にね、オリーブが育ちやすい環境らしくて。
はいはいはい。
で、一個の実に含まれている油の量っていうのは、
パーセンテージ言ったら圧倒的にゴマの方が高いですよね。
うんうんうん。
まあ、50%ぐらいありますから。
はい。
オリーブって20%ちょっとぐらいしかないんですけど、
ただ、絞るの楽なんですよ。
はあ、まあ、実大きいからね、ゴマに比べれば。
クレタ島の繁栄
栽培も収穫も楽なんですよ。
確かにね。
うん。
だから、まあ、うちもオリーブオイル持ってるから、
そんなに油困ってないよねっていう感じから、
ゴマの文化が始まっていくんですね。
ほう。
だから、ゴマ油は高級品として初めから入っていくんですよ。
ああ、そっかそっか。
はい。
生活必需品の、例えば、
明かりを灯すための油は別にオリーブオイルでいいわけですよ。
ゴマ油は初めから高級品で化粧品扱いだったりとか、
薬用だったりとか、儀式用だったりとか、
そんな感じになるんですね。
ああ、まあ、国産は安くなりがちだよね。
そうなんです。
海外産の方はちょっと高級化されるよね。
車みたいに。
そうなんです。
迫来品が来て、わーいってなって、
で、ゴマも育ちやすい。
なんせね、地中海って温帯なんですけど、ほとんど。
もうすでに温帯型が、
メソポニア地方で出てきてますから、
そいつが行くんですよ。
熱帯型ではなくて。
ああ、そういうことね。
で、温帯型が、
ミノワ文明、クレタ島に移っていって、
そこでも栽培をされていくようになります。
そっか、温帯型だからそこでも育てようと思えば。
いけちゃう。
いけちゃうと。
いけちゃうんですよ。
もう千年くらいで、早々に温帯型出てたんでしょうね。
まあまあ、そうなのね。
千年くらいで早々にっておかしいですけどね。
千年って、今から遡ると平安時代だからね。
確かに。
まあ、進化的な流れでいけば、
千年はかなり短いはずだけどね。
まあ、どうなんでしょうね。
まあ、種子いっぱいで生きるから、サイクル早いんで。
ああ、そっかそっか。
一年に一回どんどんどんどん遺伝子叶っていきますからね。
肺みたいなね。
ああ、まあそうね。
症状が。
症状がとかね、そういう感じじゃないですか。
温帯型ができてきて、クレタトに行きますと。
ゴマケーキの登場
そしたらオリーブオイルがあるから、別に油としては重要だけどそこまででもないよねみたいな感じになるんで、
ここではね、油じゃない活用方法がどんどんどんどん普及していくんですよ。
今までの世界ってのはもちろんゴマも食べてきたし、スパイス、味付け、風味付けとしても使われてきた。
なんだけど、やっぱりオイルがいいよね、ゴマ油大事だよねっていうのが最上位に来てたんですよ。
ところが、クレタトではどっちかというと、油もいいんだけどこの実食べたらいいよねっていうふうに、
食用の方が強くなっていくんですね。
そんな中から登場してきたのがゴマケーキ。
ゴマケーキ。
ゴマケーキ。
美味しそうでしょ、ゴマケーキ。
イメージした限りはそんなイメージしても美味しいとは思えんのか。
ゴマってね、日本人は中華とか日本料理のイメージがあるから、
しょっぱいものと組み合わせると思っちゃってるけど、甘いものとも全然いけるわけじゃないですか。
中華団子だけ。
ゴマ団子とかもあるしね。
1話目でもお話ししたゴマドーランとかね。
ドーランね。
ゴマ菓子。
ああいうのもあるわけなんで、別に甘いものとも全然相性いいんですよ。
確かに。
なんでゴマケーキっていうのが出てくるんですけど、
このゴマケーキね、どんなの想像しました今。
ケーキスポンジみたいなやつにクリームみたいなのがあって、そこにゴマびっしりみたいな。
ないないないない。
そんなスポンジとかさ、生クリームとかそんなに、もっと後の時代だよそれ。
そうなんだけど、ゴマ団子のケーキ型みたいなイメージがパッと出てきちゃってね。
相当人気だったらしくてね、このゴマケーキが。
そうなんだ。
ギリシャゴマの伝播
これがその後のギリシャ本土、アテネとかあっちの方にも行って、
このゴマケーキはそのままローマ帝国、イタリアですね。
ローマ帝国。
の方にまで伝わっていくんですよ。
そうなんだ。
超大人気で、お祝いの時、結婚披露宴とかね。
こういうお祝いの時にはもうゴマケーキ必須みたいな。
ああ、そんなの。
大人気。
へえ。
ね、食べたくなってきたでしょ。
ちょっとまだわかんない。
言わせようと思ったのに。
ちょっと味が想像ついてないから。
作り方簡単なんで言いますね。
ああ、はい。
入りゴマありますね。
入りゴマね。
ゴマ入ります。
はい。
蜂蜜混ぜます。
はい。
はい。
ゴマしか入ってないの?
そうですよ。
コミュニコとか何も無しで。
無いですね。
あ、蜂蜜でゴマ、ん?ゴマ入って?
蜂蜜混ぜて。
混ぜて。
コネコネすると固まるじゃないですか。
固まるの、あれ。
砂糖だから。蜂蜜だから。蜂蜜って凝固しますよね、油と混ざって。ほっとくと。
まあ、クッキーとか、えっとね、雷越しみたいな感じ?
あれのもうちょっとねっとりしたやつ。
ねっとりしたやつね。ふわふわの団子みたいなのではないんだね。
結構ガッチリしたやつだと思いますよ。
ガッチリしてるんだ。
これがね、定番のお菓子になる。
へえ、またケーキの定義何よ。
知らん。
もう俺も、これケーキなん?ってなったよ、そりゃ。
現代で言うケーキは、ちょっと日本で言うケーキね。ちょっとイメージと違いすぎるから。
違いますね。まあまあ、これもケーキなんじゃないですか。
そうか。
わかんないですけど、これが定番になっていくケーキになったというか、ケーキのケーキ違う、きっかけになった。
何引っ張られてる?
引っ張る。きっかけになったと言われているのが、なんかね、奴隷の解放みたいなことが一瞬あって、まあ奴隷じゃないんだけど、
何のきっかけ?
なんかね、ゴマケーキが有名になったきっかけみたいなのがあるらしいんですけど、伝説上でね。
伝説上。
で、なんか子供たちが追われてやってきました?みたいなことがあるんですよ。
ほう。
まあ、人階に子供たちが売られていくわけですね。で、それの西の方から東の方に地中海を渡って、子供たちを乗せてね、売り買いがされてたんですよ。
はいはいはい。
で、その途中に、まあ嵐か何かがあって、この呉田島に立ち寄りましたと。で、子供たち見て、いやこれはひどいと。
言って、隠まって、そこでこういざこざいざこざするんですけど、その隠まっている小屋にね、子供たちは小屋に隠まうんですけど、この子たちがいるよ、隠まってるよってのがバレると、すげえ揉め事になって国家間戦争になっちゃうんじゃないですか。
ああ、はいはい。
だから、シラを切るんですけど、シラを切るためには、あんまりこう人が出入りしてるのを見られるとまずいじゃないですか。
うんうん。
こっそりと食料渡すんですよ。
うんうん。
こっそりと少ない回数でちょっとだけ渡しているのに、めちゃくちゃ高栄養のものじゃないと耐えられないじゃないですか。
ああ、はいはいはい。
もうすげえ栄養圧縮されたやつ。
はい。
それが、蜂蜜とゴマを練ったやつなんですよ。
ああ。
これがどうやらゴマ劇が広まっていくきっかけになったんじゃないかっていう風に、古代の書籍に書かれてるそうです。
へえ、そうなんだ。
うん。
じゃあ、なんか一本満足バーみたいなのあるじゃん。
あれってこと?
そうそうそう。朝の一本で垂れるみたいな。
うん。
がゴマと蜂蜜の固めたやつ。
うん。
だからあれですよ、スニッカーの原型ですよこれ多分。
確かに。
スニッカーはこんなですもんね、ナッツと砂糖ですもんねあれ。
ナッツと砂糖だね。
うん。だからゴマと蜂蜜。
ああ、まあ今言うとカロリーメイトみたいな。
うん。
そういうのに発展していく原型がもうあったってことね。
あった。それが紀元前、2000年から紀元前1000年頃の話。
ああ、紀元前からか。そりゃカロリーメイト無くなんないよね。
確かに。オンマイクでは笑っちゃった。
無くなんなくない?もう無くなるあれがないじゃん。どうやってもあるじゃん。
まあ3000年以上の歴史ありますからね。
あるね。
このパターンは。
そうだね。でもこれ紀元前2000年とかでしょ?
そうです。
そしたら4000年くらいあるもんね。
あの場は人類にとって特に西洋文明にとってですね、ヨーロッパでは欠かせないものになっていった。
もしかしたらその文明筆で出てきてるかもしれないけどね。
確かに。
想像だけど。
可能性はあるよね。
知らんけどね。
知らんけどね。俺も知らんけどさ。
これがギリシャ本土に飛び火していくわけですよ。
その時に当然ね、ゴマの文化も一緒についていくんですけど、
このクレタ島のミノワ文明が衰退していくことがあるんですよ。
だいたい紀元前1000年から紀元前500年頃にかけて徐々に徐々に弱くなっていくんですよね。
あの商業ですごいパワーを持ったミノワ文明がですよ。
なぜ滅びたのか。
なぜ滅びたのか。
もうわかるよ。
流れ的に言ったら単純の木材不足で。
その通りです。
しょうもな。しょうもなくて怒られるけど。
1000年くらいかけてなんですけど、人口が増えていくんですよ。
はいはい。
儲かってるし。輸出通入で食料なんとかなっちゃうじゃないですか。
ブンブンブンブン増えてったらだいたい1000年間の間で28倍か29倍まで人口が増えたらしいんですね。
これ1000年間で28倍って時間長いからなと思って日本と比べてみました。
で、今から1000年前、平安時代の終わりですよね。
だから現在2023年、25倍です。
25倍。
特に現代ですよ。現代含んでますからね、この話は。
昭和の戦後の人口爆発期を含めてだいたい25から26倍くらいなんですよ。
はいはいはい。
紀元前の古代の1000年間で28倍ってやばいんですよ。
異常な増え方だね。
異常な増え方してるんですよ。
そしたらあれだけ森林が豊富で輸出して儲けてたのに、自分たちが使う木材すら手に入らない状態になっちゃうんですよ。
まあ日本の平安の文化というか、その当時の技術のまま今まで来ちゃったら人口だけ増えて。
はい。
っていう感じでいったらまあそれハゲ山だらけだね。
なっちゃったんですよ。
なるよね。
で、どこに木があるかなと思って海に出てったらその北の方のギリシャ本土が
うわ、めっちゃいっぱい木あるやんって。
ということですぐ上に上がっていくわけですね。
まあすぐっつっても1000年かかってるけどね。
まあね。
結構近いよね地図上。
地図上はね。
まあそこに行くメリットがあんまなかったんじゃないですか。
まあまあそうか。
もしかしたらその北の本土の方から木材を伐採してくれたとおり持ってきていたのかもしれないですけど。
まあ可能性はあるよね。
ただもう長い間やってるうちにいやこれ運ぶのしんどいから向こう行こうかみたいなことにはなるんだと思いますけどね。
まあまあそれもあるね。
でこうしてミノワ文明がだんだん衰退してこのミュケーネ文明って言うんですけど
ギリシャの南部の方で新たな文明が発達をしていてこれが後々のギリシャ文明になっていくんですけど。
ミュケーネ文明。
結構ねまあ南の方から徐々に行くんです。
ほうほう。
でその途中にアテネがあってみたいなその感じね。
ああそうなんだ。
だんだんとこう上がっていく感じね。
はいはいはい。
ただですねそのギリシャの本島ってそんなに土地良くなかったらしくてね。
うん。
あんまりこう農業まあできるんですよ農業できるんですけどめちゃくちゃ肥沃な大地ってわけでもないしでかい川があるわけでもない。
はいはいはい。
だからオリーブとかそういう今で言うとね商品作物ぐらいしかできませんよっていうところなんですよね。
うんうん。
ただですねこのギリシャの南部というのがなんとサバンナに似た気候なんですよ。
おおそうなの。
ギリシャゴマの栽培
他の農作物はそうでもないんだけどゴマにとっては天国みたいな場所なんですよね。
へえ。
だってそもそも水そんなにいらないんだもん。
ああ確かに。
サバンナ気候の植物ですからね。
そうだね。
いくら温帯型になったと言えその強さを持っていてしかも温帯型だからギリシャ本土で生きていけるわけじゃないですか。
はい。
これがねめちゃくちゃよく育つんですって。
へえギリシャで。
で今でもギリシャの名産でギリシャゴマっていうのがあるらしいです。
そうなの。
うん大粒でね油脂含有量が多くてねおいしいみたいなのは。
はあ。
すごいことなんですよこれ。
そうなんだいまだにそうなんだな。
いまだにそう。
へえそれ知らなかったの。
でここでギリシャに渡ったこのギリシャゴマがだんだんと北へ北へ北へとこう伝わっていくんですね。
ブルガリアとかセルビアとか今のはっていうとねバルカン半島ずっと北上していって
ウクライナのあたりまでこのゴマが伝わっていく。
はいはいはい。
だからメソポタミア地方からトルコとかジョージャとかあっちの方に伝わっていくのと
ギリシャを基点にさらに北上していくルートと
ギリシャからローマに行ってさらに西側諸国に伝わってくるルートってここで分岐していくわけですね。
ああまあ陸続きに行った方が右側みたいな。
ローマ帝国の影響
はい。
右側に。
そう。
で海が地中海を渡ってギリシャを入り口にそっから左斜め上にずっと。
そうそんな感じなんですよね。
ああそうなんだ。
だからねこれちょっと打速になるんですけど。
はい。
こっから先はもうかなり端折っちゃいますけどね。
うん。
この後ローマ帝国みたいなのが出てきてでどでかい大帝国ができるわけじゃないですか。
うんうん。
でねローマ帝国の影響があって後のリンネはゴマはインド産だと思い込んじゃったらしいんですよ。
うん。
これ不思議だなと思うのがローマ帝国とかがね貿易をするわけですよ。
うん。
アレクサンドロス大王の東方遠征とゴマとインドとの関係
インドとかねあっちの方と。これちょっと佐藤の時にも出てきましたね。
うんうん。
アレクサンドロス大王が紀元前327年に東方遠征に行きました。
それをきっかけにしてローマとかマケドニアとかローマあたりがインドと貿易をし始めましたみたいな話をしたと思うんですけど。
ずっとインドまで旅しててね。
そうそうそう。
最後インドのあたりで亡くなったんだっけか。
そうインドから帰ってくるときに亡くなって。
それが全てじゃないんですけどそのあたりをきっかけにして徐々にローマとか旧マケドニア帝国とかがインドと貿易をし始めますっていう話なんですね。
その時に佐藤が一緒に伝わってくるみたいなことがあるんですけど。
当然ここにねゴマが絡んでくるんですよ。
ゴマが絡んでくる。
不思議なのがねローマ帝国の書物によるとゴマはインドのものだってもうすでに書かれてるんです。
その時代に。
紀元前100年とか紀元ゼロ年代とかねの書物によるともうそういうふうに書かれてるんですよね。
へえそうなんだ。
だけどよく考えてくださいよ。
共和制ローマとかあの時代巨大な帝国になってきますからギリシャとかあのあたりまで半島に含むわけですよ。
あちこちに国土の中にゴマを生産している土地があるにもかかわらずなぜかインド産のゴマを買ってるんですよイタリアがローマが。
確かに。
これがわけわからんのよ。
謎だね。
どこをどう調べてもわからん。
確かに謎だよね。
謎なんですよ。別に国産でいいじゃんみたいな話でしょ。
全然国産でめっちゃ作られてるはずだよね。
僕の想像なんですけどこの東方貿易に関して間を仲介した商人たちがいますよね。
ギリシャ商人とかあとペルシャ地方の商人ですよね。
ギリシャの商人と東方貿易の関係
ベネツィアとかっていう人たちも活躍したしその仲介をしてたのがギリシャで活躍した商人ですよね。
元は後の時代ですけどイスラム系の後になっていく中東世界の商人たちが間を仲介していくわけですよ。
これねすげえ勝手な想像ですよ。半分インド産と言いつつ地元産混ぜて首都ローマに持ってってもわからんくない。
高級化させようと思ったのね。そういうことだよね。
たぶんねローマ帝国の人たちにとって魅惑の土地インドなんですよ。
いろんなスパイスあるじゃないですか。
しかも砂糖もあるし。
確かにね。胡椒めっちゃ高かったしね。
胡椒もあるし。いろんなスパイスを作ってるインドってスパイスキングダムだよねみたいな。
スパイス天国だよねみたいななってるところからやってくるゴマもやっぱりすげえやつみたいな。
ああそういうね。じゃあ金持ちのところに売るためにはインド産って言った方がいいのかなっていうこれ想像ね。
間ねなんかちょろっと産地偽造してるやついいんじゃないのかって。
まあいるでしょ。結構あったし。
だいぶね距離もあるし人も間会座してるからね。なるべく高く売ろうと思ったらそういうことなんのかもしれないですね。
そうね途中で誰かが一緒だよって言ったのね間違ってねそのまま言っちゃってもおかしくはないね。混ざっちゃったりとかね。
どうやらこの辺りの貿易だったり伝わり方の問題で西洋諸国ではゴマはインドのものっていう認識をしてしまいます。
はあそうか。
エジプトにあんのに。
あんのにね。
ギリシャにもあんのに。
それか上流の人たちだけがインド産を使ってたりとかして書物に残ってる的なのはないのかな。
ああそれもあるかもしれないですけどね。
国産のやつは普通の庶民が使ってるから書物にはあんまり登場してないみたいな単純に。
そういうこともあるかもしれないですね。もうどの辺がどうなってるのかもはや今日の話は古すぎてですね。
期限前から期限ゼロ年の話だからね。
これでだいぶ新しくなりましたよ。今日の話の中では。
だいぶね。
もう期限前に1万5千年とか言ってましたからさっき。
そうだね。まあまあ食べる時にはまだ10万年とか言ってないから大丈夫。
さすがに俺10万年前の話したことあったっけ。
あったんだよね。ジャガイモとか。
ジャガイモもたぶんね1万5千年くらいまでだと思う。
ああそっかそっか。なんかあったよね。なんかなかったっけ。
まあ一瞬ね。
一瞬。
地軸が傾いたとかそういう話はチラッとしたかもしれないですけど。
そんな感じでね長い長い長い歴史の中でゴマが一応現代じゃないな。
原生人類の文明の中に登場しましたよぐらいの感じかな。
そうね。
以上ですちょっと。
もう以上ですって結構長かったけどね。
そうサクッとやりましたけど。
まあまあわかりやすかったよ。サクッといったから。
間ねちょっと細かいところは飛ばしながら飛ばしながら来たんですけどね。
そうねちょっと前のシリーズとかいろいろ聞いてくださってる方じゃないと割と話がぶっ飛んでるとこあるからね。
ああそうか。
あのチリカンとか。
ああはいはいはい。
マケドニアとかあの辺の話とかはねだいぶ前のシリーズ聞いてもらわないとわかんないかもしれない。
そうっすね。
あのちょっと場所忘れてたしね。メソポタミアとかこうふわっとやっぱしゃってきてたから。
なるべくこう音声だけで伝えようとはするんですけどなかなか地図ってわかりづらいので。
まああれだったらあのマップ開きながら聞いていただくとより理解が進むかもしれないですね。
そうね。まあ全部聞いてもらえばいいんじゃない?過去のシリーズ。だいたいそしたらあの話伝わるから。
はいはいはい。長いわ。
とりあえず一旦ここの辺の話は一旦こんなもんだと思ってね。このゴマシリーズは聞いてもらって。
終わったらまたこう間がまたシリーズの間が空くと思うので。そしたらまた初期の頃に戻ってもらって順番に聞いてもらえばああいう話だったのかっていう。
そうっすね。
そういうことになると思うので。興味ある方は聞いてください。
ですね。
はい。じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
27:42

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