AI時代の創造性への問い
おはようございます。 コーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間の、朝の言葉ラジオパーソナリティ-タカーシーです。
今日は、AIは創造性を奪うのか、というテーマで、少し哲学寄りに考えてみたいと思います。
AIが文章を書く、絵を書く、音楽を作る、アイディアを出す。 もう、そんな光景、特別なものではなくなってきました。
そうなると、自然に出てくる問いがあります。 人間の創造性って、これからどうなるんだろう?
AIがここまで作れるなら、私たちは何を持って創造していると言えるんだろう?
この創造っていうのは、思い浮かべるイマジンではなくて、クリエイティブの方ですね。
作る方、創造。 この問いに答えるには、まず創造とは何か。
What is creativity? ってやつですね。
こちらを少し立ち止まって考える必要があります。
創造の定義:無からの生産か、経験への応答か
私たちは普通、創造性というと、新しいものを作る力、ゼロから何かを生み出す力。
そういう風に考えがちですよね。 でも本当にそうなんでしょうか?
人間は本当に無から、何もないところから何かを作っているのでしょうか?
多分そうじゃないような気がするんですよね。
私たちは過去に見たものや、聞いたものや、失ったもの、欲しかったものの中から何かを結び直している。
そうして、まだ名前のなかった形を与えている。
だとすると、創造というのは、無からの生産というより、経験に形を与えること、あるいは世界を別の見え方で結び直すことなのかもしれません。
ここで大事になるのは、創造性が単なる技術、テクニックではないということです。
うまく作れること、早く作れること、整ったものを出せること、もちろんそれは大事です。
でもそれだけでは、創造の真、真、真ん中に通る真ですね。
それには届かない。
なぜなら、創造にはいつも、なぜそれを作るのかという問いがついて回るからです。
人間は、ただ作るためだけに作るわけではありません。
言葉にしないとこぼれてしまう何かがある。形にしないと消えてしまいそうな感覚がある。
それをどうにか残そうとして作る。
だから創造性というのは、能力というより、存在の応答、あるもの、いるもの、そういうものに対する応答、存在の応答に近いのかもしれません。
自分が生きていて、何かに触れ、何かに傷つき、何かに救われた。
その経験に対して、ただ黙っているのではなく形を変えず、その時人は創造している、クリエイティブしている。
じゃあ、AIはどこにいるんでしょうね。
AIと制作領域、創造性の区別
AIは確かにものを作れます。しかもかなり、かなり上手く作れている。
膨大な情報を元に、分体を整え、構成を作り、見た目の完成度を高める。
ここだけを見ると、創造性のかなりの部分がAIに移ってしまったようにも見える。
でも、ここで一つ区別した方がいいことがあるんじゃないのかなって思うんですね。
それは、制作と創造、メイキングとクリエイティブというのは同じじゃないんじゃないかということですよ。
制作には手順があります。構成を考える、候補を出す、整える、遂行する、型に収める。
こういう部分は、AIがかなり担えます。
つまり、AIは制作の領域、メイキングの領域というのを大きく引き受けられるようになってきた。
けれど、クリエイティブ、創造の革新には別の層がある。別のレイヤーがある。
何に引っかかったのか、なぜそれを解いたいのか、何が自分の中でどうしても未整理のまま残っているのか、
そういうまだ言葉になる前の揺れ、言葉になる前の揺れ、そんなようなものですよ。
創造というのは、完成品から始まるのではなくて、多くの場合、違和感。
何かこれ、引っかかるんだよな、そんなところから始まる。
うまく言えない、でも何かがおかしい。あるいは、うまく残せない、でもこの感覚を手放したくない。
そんなところから表現が始まる。この始まりの場所は、まだかなり人間的な場所です。
なぜなら、それは情報の組み合わせというよりも、生きた時間の引っかかりだからです。
悲しかったこと、忘れられない朝、誰かの声の温度、そして言えなかった一言。
そういうものはデータである前に、その人のせいです。生きているということです。
人間はそこから作るんです。だから、創造性の真理は、生きた時間の密度というのがあるんだと思います。
AIは創造性を奪うのか:本質的な創造は奪えない
AIは世界をうまく模倣して、組み替えて、整えることができる。
けれど、この経験をなぜ形にしなければならないのかという切実なところまでは、まだ引き受けていない。
だから、AIは創造性を奪うのかという問いに対して、僕の答えは少し複雑です。
なんかシンプルにちょっと言えなかったんですよね。
AIっていうのは、創造、クリエイティブの周辺にあったたくさんの作業を確かに引き受けます。
その意味では、ある種の作る力っていうのはAIに移っていく。
でも、創造性の革新、つまり何に心を動かされたのか、なぜそれを形にしたいのか、何を残さずにはいられないのか、そこまでは簡単には奪えない。
AIには奪えない。むしろ、AIが広がるほど、私たちは創造性の意味そのものを問い直すことになる。
うまく作ることが創造なんではない。新しそうに見えることが創造なのでもない。
自分の生きた時間にどう形を与えるか、その仕方こそ創造だったのかもしれない。
もしそうなら、AIは創造性を奪うというよりも、創造性の定義、それをこちらに問い返しているのかもしれません。
あなたにとって、本当に創るってどういうことなんでしょうかね。
あなたは何に触れて何を残したいのか、その問いを人間の側へ静かに返している。
だから、AIの時代に創造性がなくなるのではなくて、表面的な創造と本質的な創造とが前よりもはっきりと分かれていく。
整っていること、それっぽいこと、早いこと、そういうものはますますAIが似合うんですよ。
でもその一方で、何を切実だと思うのか、何を美しいと思うのか、何をまだ言葉にしたいのか。
そういう少し不器用な部分というか、ちょっと複雑なところで、でも深いところにある創造性というのは、むしろこれから一層人間のものとして浮かび上がってくる気がします。
ちょっと今日は、AIは創造性を奪うのかというテーマで、少し哲学寄りに考えてみました。
結論としては、シンプルじゃないんですけども、AIは創造の一部の作業を担う、でも創造性の芯までは奪えない。
なぜなら、創造とはうまく作ることではなくて、生きた経験に形を与えることだからです。
そして、AIが広がれば広がるほど、私たちはそのことを変えて強く問われるようになるのかもしれませんね。
結論と今後の展望
ということで、今日はこの辺りにしようかなと思います。
またコーヒーでも飲みながら、ゆっくり考える時間を一緒に持っていたので嬉しいです。
朝日の言葉ラジオ、パーソナリティ高士でした。ありがとうございました。
それではね。バイバイ。いってらっしゃい。