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朝の言葉|人間は考える葦である— パスカル『パンセ』
2026-03-19 08:52

朝の言葉|人間は考える葦である— パスカル『パンセ』

おはようございます。コーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間の「朝の言葉ラジオ」です。

今日のテーマは、パスカル『パンセ』の有名な一節、「人間は考える葦である」というものです。
人間は自然の中でもっとも弱いもの。それでも考える存在である。この逆説の中にパスカルは、人間の尊厳を見ていました。

今日は「なぜ人間は「葦」なのか」「なぜ弱さと尊厳が同時に語られるのか」を、朝の時間にゆっくり考えてみます。

朝のコーヒー時間のお供にどうぞ。 #AI #哲学 #思考 #人間 #パスカル

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おはようございます。 コーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間の朝の言葉ラジオ、パーソナリティーのタカーシーです。
今日は哲学者パスカルの有名な言葉を取り上げてみたいと思います。
人間は考える葦である、という言葉です。
葦ってこれレッグじゃなくて、フットとかじゃなくて、なんか河原の水辺に生えている水草みたいなやつですね、葦。
まあ、この言葉自体は一度は聞いたことがあるっていう人も多いかもしれません。
見たことがあるよーとか、呼んだことあるよーっていう人いるかもしれません。
でも改めて考えてみると、とっても不思議な言葉です。
なぜ人間が葦なんだろう、植物なんだろうって言う話ですよね。
もっと強いものや美しいものじゃなくて、なぜ風に揺れる葦なのか。
パスカルはパンセという断章ですね。
いくつもの短い言葉が集まっている本のこと、断章って言いますけども。
そのパンセの中で、人間は一本の足に過ぎない。
人間のうちで最も、自然のうちで最も弱いものだ。
でもそれは考える足だ、と書いています。
しかも彼は、人間は宇宙全体が武装しなくても、蒸気や一滴の水のようなごく小さなもので死んでしまうって言うんですね。
つまりまずは、パスカルは人間の弱さを見ているんです。
人は傷つく、人は病む、人は倒れる、人はいつまでも生きられない。
自然の前ではとっても小さい存在なんだと。
その意味で、人間というのは確かに一本の足のようなものであります。
でもパスカルはそこで終わりません。
人間は弱い、だけど考える、とパスカルは言うんですね。
ここがこの言葉の確信です。
もし人間がただ弱いだけの存在なら、この言葉はただの悲しい比喩で終わりますよね。
でも弱くても人は考える。
自分が傷つきやすいことを知っている。
自分がいつか死ぬことを知っている。
自分が宇宙より小さいことを知っている。
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そしてそのことを知りながらなお考える。
パスカルはそこに人間の尊厳というものを見ています。
実際パンセには人間の尊厳は思考にあるという趣旨の断章もあります。
そのまま言っているわけじゃないんですけども、そういう意味合いの断章というのがあるんですよ。
だから考える足という言葉は弱さを否定する言葉ではなくて、弱さを引き受けたままなお思考する存在としての人間。
このことを言い表しているんだと思うんですね。
この言葉の面白いところは、人間を強い存在として描いていないことなんです。
人間って何でもできて、世界を支配して、理性で全てを乗りこなす。
パスカルの時代とか、ちょっと前にやったデカルトの時代とかって、近代と理性というものがものすごくキーワードになってくるんですけども、
理性というもので自然に勝つみたいなね、そんなことがあるんですけども、そういう自信に満ちた人間像ではないと。
むしろ逆で、人間は弱いと。揺れると。壊れると。思い通りにならない。
でも、その弱さの中でなお考える。そこにこそ人間の意志の高さ、強さ、そういうものがあると。
ここにはとっても深い逆説があります。
普通、私たちは強さの中に価値を見ようとしますよね。できること、勝つこと、
スタンドエフンもそうですけど、長く続くこと。私、昨日、一昨日忘れたんですけど。
あとは失わないことね。そういうものに価値を置きがちなんですけども、
でもパスカルはそうじゃなくて、弱いからこそ考えることが尊いという方向を見ている。
これは今の時代にもかなり響く気がしますね。今、私たちは早い答えに囲まれています。
情報の渦ですよ。検索すれば出てくる。AIに聞けば整理される。
効率よくそれっぽい答えにたどり着ける。そういう時代なんです。
でも、そういう時代だからこそパスカルの言葉は少し違うところを照らしてくれる。
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人間の価値は万能であることにはない。何でも即答できることにもない。
むしろ人間が弱いことを知りながら考えること、限界があることを知りながら問い続けること、
そこに人間の尊厳があるのではないでしょうか。
AIはたくさんのことを答えてくれますよ。
でも、自分が有限であることを知ってなお考えるというこの在り方はとても人間的な考え方なんですね。
自分が傷つくことを知りながら何か大事なのかということを考える。
いつか終わることを知りながらどう生きるかを考える。
そういう思考は単なる処理ではなくて、存在の重みを持った思考なんですよ。
だから、人間は考える足であるっていうパスカルの言葉はただの名言じゃなくて、
弱さと尊厳を同時に言い表すっていう二つの面を持ち表す言葉なんだと思うんですね。
人って折れることはありますよね。揺れることがあります。
迷うこともあります。
でもそれでも考える。それでも問いを持つ。
そのこと自体がすでに人間の強さ、豪出さっていうのかな、強さっていうものなのかもしれません。
今日は人間は考える足であるっていうパスカルの言葉を取り上げてみました。
人間は強いから尊いのではなくて、考えるから尊い。
しかも弱い中で考えるからこそその思考には重みがあるんだと。
もしそうだとしたら、考えることは能力というよりも人間の尊厳そのものに近いのかもしれません。
まあちょっと難しくなりましたけども。
今日はこのあたりで終わりにしましょうか。
またコーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間を一緒にお待ちいただきうれしいです。
朝の言葉ラジオ、パーソナリティ、たかしーでした。ありがとうございました。
それじゃあね。バイバイ。いってらっしゃい。
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