サマリー
桐島茂の著書『罪深きシリア観光旅行』の第2回では、シリアの旅行代理店アマルさんと観光ガイドのマーゼンを通じて、シリアの多様な宗教とその社会的状況が描かれています。戦争によって変わってしまった人々の意識や信頼関係の育まりについても考察されています。このエピソードでは、アサド政権下のシリアにおけるマイノリティとマジョリティの関係や、それに伴う社会的な緊張が探求されています。特に、アラウィー派やクルド人の状況を通して、宗教や民族の違いが日常生活にどのように影響しているかが考察されています。
シリアの旅行とビザ取得
シリアの希望。こんにちは、AKIKOです。 今日は引き続き、
桐島茂さんの著書、罪深きシリア観光旅行からご紹介をしたいと思います。 前回、はじめにと第1章の紹介をしました。
シリアに入る前のところまででしたが、アマルさんという女性が登場していました。この人はレバノン人で、他のお仕事で通訳として紹介されて出会ったので、ずっと知り合いでいたんだけれども、
実は本業が旅行代理店の人で、偶然通訳のお仕事で、
この著者の方と、このアマルさんがレバノンで一緒にいた時に、偶然他のインド人だったか外国人の方が、シリアに入りたいんだけれども、ビザがなかなか取れないという話をしているのを聞いて、
アマルさんが、私は旅行代理店だから私がアレンジするわよと、そこで買って出たと。その通訳であったアマルさんが、実は旅行代理店でシリアのビザのアレンジなんかできるんだということを、この著者の桐島さんが知って、
そういう流れで、彼女の旅行代理店にアレンジを頼んで、シリアのビザを取って、シリアへ入ることになりましたということが、私が紹介しなかった部分に書かれていました。
これをお話ししておこうと思ったのは、シリアって日本政府の外務省が出している危険レベルではレベル4じゃないとか、またはどうやったらシリアのビザって取れるんだろうというふうに、前回の部分を聞いて、そういう疑問を持った方がいらっしゃるかなと思ったので、これも少し紹介しておこうと思いました。
さらに今日紹介する部分には、マージェンさんという名前が出てきます。このマージェンさんというのは観光ガイドで、彼女はシリアに入ってからシリアの中で出会うガイドさんです。
前回紹介した部分でも読んだように、政府公認のガイドで、このシリア国内には外国人は政府公認のガイドと一緒にしか入れない、そうでないとビザが出ないということになっていたそうです。
そこで彼女は、政府公認のガイドであるということは、政府が見せたい場所を見せ、政府が聞かせたい説明を聞かせるというガイドなんじゃないかなというふうに、はじめかなり警戒してこの人と接している様子があちらこちらに描写されています。
ただ、今日今から紹介する部分などを読んでいくと、そういう立場のガイドと彼女の間に、この旅行の期間を通してどのように少しずつ信頼関係が育まれていっているのか。
どのようにそういう役割とか立場を超えて、人と人の出会いというものが少しずつ育まれていっている様子が伝わってくるので、私はとても好きな部分です。
それから情報としても、今報道を見ていてもシリアのニュースを聞けば、アラビー派、ドルーズ派という情報が出てきたり、シリアの暫定政権に入って大臣に任命された人が、女性の大臣がクリスチャンだったりという中で、
シリアの中で多様な宗派や宗教があることがわかったとしても、それぞれの宗教がアサド政権の中ではどのように扱われてきていて、今どういう不安を抱えているだろうかということを想像することに関して、とても参考になる情報が入っている部分だと思っています。
宗教と戦争の影響
それでは読みます。
5. 見上げ物点で考える宗派 68ページ
見上げると、バシャールアル・アサドがこの教会を訪ねた写真やローマ教皇とあっている写真もある。
アサド自身はイスラム教のアラビー派だ。
アラビー派はシリア派の一派とされているが、独自の教えも多いとされる。
女性はヒジャーブをせず、見た目には宗教色は濃くない。
シリアの人口はイスラム教のスンニ派が多い。
シリア政府は長年、世俗主義、多宗教共生の姿勢をとってきた。
自分たちが宗教的マイノリティであるからこそ、国としては宗教面をあまり強調しない手法をとった。
一方で、実際にはキリスト教徒やアラビー派などのマイノリティを優遇し、政権への支持をつないできた側面もある。
情報としては知っていたのだが、アサドとキリスト教の近さを目の前で見ると妙な考え深さがある。
マーゼンが続けて言う。
ダマスカスの人たちは宗教が理由で偏見を持ったりはしないよ。誰がどの宗教かなんて気にしないよ。
キリスト教徒らしき売店のお兄さんもうんうんとうなずいてる。 教会を出た後にマーゼン自身の宗教について聞いてみた。
イスラム教徒だよ。 宗派は?
寸二派。 ああでも寸二派とかシエア派とか関係ないよ。
やっぱりこの線は崩せないらしい。 先ほど書いたようにアサド政権の支持者はマイノリティであるアラビー派や
ドルーズ教徒、キリスト教徒が多いとされていた。 ただそこに裕福な寸二派も含まれていると言われている。
ビジネスにおいて便宜を図られているからだ。 マーゼンもこの
裕福な寸二派に入るのだろう。 こんな政府系のガイドの仕事をしているのだから、やや体制派の人間であることも想像がつく。
では、世俗主義や多宗教共生の話は政権が支配するための手段に過ぎず、出前なのかという疑問がわく。
話はそう単純ではない。 政権の意図とは別に、世俗主義的な考えは普通の人々の意識にも根付いていた。
政府が特定の宗派を優遇していたとしても、宗派間の問題はないという一般人は意外とたくさんいるのである。
隣国レバノンで私が会ったシリア難民には、アサド政権の迫害から逃れてきた人たちも多かった。 そんな彼らでも、戦争前のシリアでは宗教は問題じゃなかった。
皆一緒に暮らしていたと話す。 多数派であるスンニ派はもちろん、ブルーズ派、アラウィ派の人からもそんな話を聞いた。
しかし今回の戦争が人々の意識を変えてしまった。 既に何度も書いたが、シリアでの戦争の始まりは独裁政権に対する人々の抗議、変化を求める運動だった。
しかし政権はこれを、イスラム過激派のテロリストに対抗する戦いと異なる説明をした。 自由と民主化を求める人たちをテロリスト扱いしたのだ。
ただややこしいのは、実際にイスラム過激主義の人たちも出てきていたことだ。 外国から来た戦闘員もいた。
政権が戦争初期の段階で混乱を狙ってか、意図的に過激派の囚人を釈放もしていた。
不安定化する情勢の中で、少数派の間ではアサド政権の、この戦争はスンニ派のイスラム過激派が起こした、という説明が一気に広まった。
政権がそう仕向けた側面もある。 シリアに限らず、少数派なら持ち得る、わずかにあった不安を刺激したのだ。
戦争が始まって10年経っているシリアで、今でもマーゼンは、シリアは多宗教共生と言う。
戦争で宗教事情もだいぶ変わったんじゃない? 思い切って聞いてみると、ゆっくりはっきりとマーゼンが返事した。
イエス。 マーゼンは続けた。
でもレバノンほど深刻じゃないよ。 あの宗教は嫌いとかはないよ。
確かにレバノンの宗教事情はもっと繊細だ。でも彼の発言は、シリアは前と同じではないことも認めている。
シリアは元の漢字にまで戻れると思う? そう尋ねると、
うーん、すごく時間はかかると思うけどね。
マーゼンは静かに返事した。 やや悲観的な思いがかいまみえた気がした。
戦争が人々の考え方を変えてしまったのは確かなのだ。
長年、様々な宗教の人たちが一緒に暮らしてきた。 長い時間をかけてできたものだ。
それはアサド政権の良い面だったという必要があるのかわからないが、 人々が生活の中で気づいてきたものではあった。
でも壊すのは一瞬。 立て直すのには膨大な時間がかかる。
そして人々はかつて共に暮らしていた記憶も忘れずに抱いている。
はい、今日ご紹介する部分はここまでにしたいと思います。
はじめに、サイドナや刑務所のことを紹介している本として、
この本をこのポッドキャストの中で紹介することにしましたというふうに話しているのに、なかなかサイドナや刑務所の話が出てこないので、あれというふうに思われているかもしれませんが、
一つは、この本を読むと本当にたくさんの大切なことが書いてあるので、他の部分も紹介したくなってしまったので、
アサド政権下の社会的背景
冒頭の方から順番に、ぜひと思ったところを紹介しています。
それから、この
アサド政権による
自由民主化を求める人たちに対する迫害、
そしてアサド政権崩壊後に、ラタキアとか沿岸部の
アラウィー派との衝突で起こったこと。
そこで、政府軍がアラウィー派の住民に対して迫害を与えたというような報道もありました。
それから、今、南部でドゥルーズ派との間に起こっていること。
そこでもベドウィンとの衝突と言っていますし、イスラエルの介入というようなたくさんの要素があって複雑化していますけれども、
政府軍がスウェーダから一時的に撤退をするというふうに、
政府に対する、現在の政権に対する反対運動という側面も、
独立を求める運動という側面も持った運動がスウェーダで起こっています。
そういったことの背景も理解しながら進んでいきたい。
私にとってはそういったこともとても大切な情報なので、
この本を読みながら、
理解を深めながら、アサド政権の元ではどのようであったということの背景をきちんと理解しながら、
現状の情報に向き合っていきたいというふうに思っています。
マイノリティとマジョリティの動態
それから、マイノリティがアサド政権下では優遇されていたという情報が今の部分に出てきたんですけれども、
このマイノリティ、マジョリティということについて、だいぶ気をつけて使わなければならない言葉だなと、
私、日常の中でも非常に思っているんです。
というのは、私は今、イラクのクルド人自治区に暮らしています。
私の住んでいる町では、クルド人がマジョリティなんですよ。
そうなってくると、アラブ人の方がマイノリティであり、イラク国内全体では今、マジョリティであるシーア派の人たちというのは、
今、私がいる町ではマイノリティです。
日常の生活の中で、政府がどういった宗派を優遇するという話と、日常の生活の中でどういった人たちがより伸び伸び、安心して暮らせるかという話というのは、
つながっている面もとてもあるんだけれども、つながっていない部分もあるというふうに思っています。
なので、北東シリアにおいても、私は今、クルド人がマジョリティである地域を拠点に支援することの方が多くて、
その中で、今また別の地域にも展開していこうというような動きもあったりする中で、
マイノリティ、マジョリティというのは、その文脈や立場によって簡単に逆転する話、固定している話ではないし、
場合によってはその用語がちょっと刺激的なので、それを利用して情報操作をする人もいるぐらいに気をつけなければならない言葉だなというふうに思っています。
私が今回紹介した部分の中で、とてもありがたいなと思っているのは、
アサド政権としてマイノリティを優遇した、例えばアラウィ派、キリスト教徒を優遇したという事実があったとしても、
民間の普通の人々の意識の中では、宗教は関係なかったという意識があるということですよね。
自分たちは宗教や宗派のことなんて気にしていなかったというふうに、このガイドの人が何度も言っていますし、
私も自分がシリアに1996年から98年、だいぶ前ですが、ダマスカスに暮らしていた私の印象としても、そのような場所だったというふうな記憶です。
宗教や宗派のことなんて、私の身の回りにいる人々はあんまり気にしていなかった。
この辺りって、すごく今どうなっているか気になる部分ではあります。
政権がどういった宗派を優遇するかという話と、ある地域、ある町の中でどういう人たちが暮らしていて、そこの民間の一般の人たちにとっては、どれぐらいそこを暮らしやすい場所だと思えているか。
それから、そこの民間の人たちが、どれぐらい自分とは異なる宗教や宗派や民族に対して不安を感じているのか、いないのか。
不安や差別を感じているのか、いないのかということ、ここはちょっと注意深く分けて考えたほうがいいというふうに思っています。
はい、では最後に、難しい話を、自分でも答えのない難しい話を入れてしまったんですが、これから私がシリアに関わっていく上で、とても大切なことだと感じているところなので、話してみました。
はい、では今日は以上にします。聞いていただいてどうもありがとうございました。
19:42
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