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2025-07-31 17:52

楽観主義の終わりと自己啓発の時代へ #416

私の世代がいかにダメだったかシリーズの続きです。
時は、2000年頃です。

#リフォーム
#リノベーション
#インテリア
#インテリアコーディネーター
#団塊ジュニア
#世代地続きシリーズ
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サマリー

このエピソードでは、経済の停滞とそれによる社会の変化が語られ、特に日本における世代間の違いや楽観主義の消失について考察されています。バブル世代からの変化を背景に、個人の影響力が高まり、成功のモデルが変わってきたことが強調されています。また、自己啓発本やセミナーの普及とともに、世代間の期待と現実のギャップについて議論されています。さらに、社会構造が人々の努力の成果に与える影響や、成功の定義が変わりつつあることも扱われています。

日本の異常事態
お聞きの皆さま、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は大変な一日でしたね。ついに41度を超える場所があったりとかですね、
あと津波がね、かなり広範囲、日本全体がね、津波警報でね、覆われていましたね。
今のところ、満潮でどうなるかわからないですけど、
今のところ、大きな被害は日本においてはね、まだ出ていないので、よかったなと思っているんですけれども、
はい、というわけでね、また続きというか、これうだうだ、うだうだ、ちょっと多分続くと思うんですけれども、
結局我々の世代が、うだつの上がらない世代だったというのには、だから突発的に我々の世代、
大人しくて声なき世代が誕生したわけではなくて、その一つ前、二つ前に華やかな世代および、とてもざわついた世代、荒れた世代ですよね、が出たり、いろいろ
うよ曲折があって、常に何度も言うように、地続きなんですよね。
で、我々のような大人しい世代を生んだからこそ、その後また全然違うタイプの世代が出てきたというふうに思うんですよね。
だからこの後どんどん荒れた世代がまた出てきますよね。
私たちの世代の、だから5歳ぐらいしたあたりにギャル世代が出てきますね、という感じで波があるんですよね。
大人しい世代が出てくると思うと、またちょっと派手な世代が出てくるっていうことの波が交互に押し寄せてくるっていうのがあるんですけれども、
一つ私がどうしても言いたかったことがあるんですけれども、このあたりからですね、どうもおかしいっていうね、みんなはっきり自覚もしてないし、
専門家も、権威がある人たちも、誰も今その日本の状況っていうのがどれほど異常事態になっているかっていうことが正しく分析できている人は、
その時点では少なくとも私たち一般人が目に見えるところでは誰も多分分かってなかったし、仮に分かっている人がいたとしてもですね、そういう人たちが何か、
今非常に危険な状態で、おそらくこのままいくと日本は30年も40年も失われた、経済的には停滞していくモードになりますよ、みたいなことを言っている人は誰もいませんでしたので、
なんとなくその場しのぎの改革とか政治とか処置をしている結果、どんどん悪化していくっていう状況だったというふうに一般人から見えてますよね。
私がここに一つすごい問題点を思っていることがあって、このあたりでですね、つまり私たちの世代のちょっと前、特にバブル世代ぐらいまではですね、
世代の変化
生きるためのマニュアルがあったわけですよ。このマニュアル通りやってればまず踏み外すことはないからっていうね、絶対必勝法のね、誰もが絶対負けないっていうノウハウがあったわけですよ。
だから、しかるべき高校に進学して、大学に行き、そしてそこから有料な企業とか、仕事、職業に就いて、そうすれば一生安泰だっていう、その後はもう右肩上がりで、どんどん年功序列で給料も上がっていくし、安泰だよっていうことが、
バブル世代ぐらいまではですね、途中まではこれが有効だったんですよね、このタクティックっていうかこの戦術がね。だから私たちがまだ学生時代の頃は、この言われた通り、このマニュアルに従っていれば間違いありませんよっていうことで言うことを聞いていたんですよ。
ところが、何度も言うように、大学を出た頃にはですね、全く思うような就職ができなかったり、仮に仕事にありつけたとしても、思うように全然昇給もしないし、出世もしないし、あれ、おかしいなっていうね、でもおかしいなと思っててもですね、人っていうのはその時、現在進行形の時には何も感じないんですよ。
例えば電車に乗ってたり、車に乗って移動してる時に、何か地震が起こって揺れてても、感づかないっていうのあるじゃないですか、体感として揺れに気づかないっていうんですかね。まさにそれと同じで、実際自分がね、やっぱ動いている時には、何ていうか立ち止まってね、何が起こってるかっていうことを冷静に分析とか、
たっかんして、物事を見ていなければ、何もね、自分の周りに何が起こってるかっていうことを正しく認知できるようにはできてないんですよね。
で、私なんかも同じく、全く自分の身に何が起こってるか分からなくて、ただ何かおかしいと、何かね、こんなに頑張ってるし、ブラック労働だし、朝だから家を、7時前後ぐらいには家を出てですよ。
で、会社にもう8時ぐらいには着いて、そっからずっと仕事して、9時、10時、11時ぐらいまで仕事してるにもかかわらず、全然給料も上がらないし、何もいいことが起こらない。何も重要なポストも任されない。どうしてこういうことが起こるのかなっていうことが全く分からなかったんですよね。
この時代あたりから、個人が非常に影響力を持つ人が一部出てくるっていうことが起こり始めたんですよね。それまでは、例えば一つの会社で勤めて、そこでだんだん出世していって、会社の社長になるとかね、トップに上り詰めるっていう人たちが本物のインフルエンサーっていうよりは、本当の社会的地位のある人ですよね。
あと、公明な職業、学者とかね、ノーベル賞を取った学者であったりとか、お医者さんであったりとか、そういうふうな社会的地位が高い職業に就いているとか、一つの企業で出世していくっていうことが、成功の明確なモデルだったのがですね、私たちの時代あたりからですね、どんどんこういう、誰の目から見ても明確な勝ち組みっていうのが、
もうごく限られた人だったのがですね、いよいよ個人が力を持つ時代になって、いちでも名もなき人があるとき、突然ベンチャー企業で成功して、もうすごいベリオネアになったりとかですね、
で、勝間さんなんかの場合は、すごく高学歴で、そういう非常に高収入の企業で働く会社員ではあったものの、早くからネットの世界で匿名でブログを書いたりとかして、そこそこ有名になっていき、インフルエンサーになって、最終的にはもう会社からも独立して、女性たちを啓蒙するインフルエンサーになっていったっていう背景がありますよね。
だからこんな感じで、昔と、数年前と違ってですね、こういうふうにどんどん格差が広がっていて、成功する人は非常に成功する。
ですが、大半の人はそうではなくて、私のように労働就役型の職業について、なかなか忙しく働いている割には全然パッとしないっていうことであったり、あと大手企業で働いていたとしても、もう上がね、みんな仕えてるんでね、なかなか昔みたいに年功序列でどんどん自分が出世していって給料が上がっていったりとかっていうようにはもうなってなかったんですよね。
だからどんどんどんどんこういうふうに格差が開いていき、ごく一部の人たちが非常に成功して大きな影響力を持ち得るような社会になりつつあったんですが、こういったことも結局、これが数十年前であればとにかく会社で頑張って働いてね、とにかく良い業績を上げて早く出世していくということ以外には、
勝ち組、負け組っていうのはなかったんですよ、明確な。それ以外にね。
ところが、私たち世代あたりからどんなに頑張っても、どんなに実際結果を出したとしても、営業成績が例えば良かったりとかしても、一向に給料も自分の地位も上がらないという状況になってですね、
楽観主義の終焉
そうなってくると、何が原因なのかということが、この時代は本当に分からなかったんですよね。
何かやっぱり自分のやり方がまずいのかなとかいうふうにどんどんやはり内向していくんですよね。
だから何か会社が非常に状態が良くないんだとか、引いては日本の経済自体が何かうまくいってないんだということには全く気づかなくて、
2000年ぐらいまでっていうのは何となくもう完全にバブルは弾けた後だったんですけれど、緩やかに衰退していくんでね、何でもね。
一気に急転直下は悪くなるわけじゃなくて、緩やかに緩やかに経済っていうのは停滞していってたんで、
まだそれなりにみんな華やかにやってたし、ブランドものを身につけたりね、ある程度高いところで遊んだり身につけたり、遊びに行ったりとか、そういうことはみんな普通に2000年代の初頭ぐらいまでしてたんですよね。
セックス&ザ・シティのドラマ見てみんな楽しく見て、ニューヨークにSATCの聖地巡りに行くみたいな、憧れてマノロブラニクの靴を買ったりとかって、そういうことがまだ多少なりともね、そういうことができる余裕があったんですよね。
それ別に給料が良かったわけじゃなくて、なんとなくなんとかなるかなっていう、ちょっと楽観的なムードみたいなものがまだあったんですよ。今ってそれ皆無じゃないですか。今って多分みんなどんなに年収がいい人も何か悲観的というか、何かもうやばいんじゃないか、やばいんじゃないかっていう、もういつ何時またピンチが来るかわからないっていう結構ね、悲壮感というか、悲観的だと思うんですね、未来に対してね。
でもまだね、2000年代の初頭ぐらいまでっていうのは、あのまだね、楽観的だったんですよ。だからそのいかに自分たちの状況が何かあまり良くないかということに、それほど自覚的だった人いないと思います。で、なんとなくみんな独身でいたら気が楽なんで、独身でいたりね、だから相手がいないから、持てないからどうしようとかって言って、こう悩み苦しむというよりは、単になんとなくその方がマイペースで楽だったから独身を選んでた人も、
多かったと思うし、仕事もなんとなくパッとしないけれども、とにかくやってたんですよね。で、あとね、もう一つ私が良くなかったなと思っていることがあって、それがね、こういっただから停滞している時だからこそ起こった良くない、
一つの文化みたいなものが出たと私は思っているんですけれど、それがね、自己啓発本とか、そこから結局発生していった自己啓発セミナーとかになると思うんですよね。
結局だから世の中が停滞しているからこそ、なかなか努力が身を結ばないっていうね、もっと根源的な大きな社会構造の中で、悲鳴、苦しんでいるところがあるっていう、大きな視点で俯瞰ができてないんでね、みんなが、なんとなく自分がパッとしない。
でもちょっと上の世代見たら、みんなもっと良い思いをしてきた世代を見てたんでね、親とかもっと自分たちに期待もしてたでしょうし、なんでもっとね、うちは大々割と優秀な学歴で、割と良いところに就職したり良い職業に就いている家系なのに、なんでその自分だけがパッとしないのかなとかって思ったりとかして、
自分がダメなんだっていうふうに、とにかく内向的なんですよね。そして何度も言うように、堀江門とか勝馬さんみたいなごく一部の勝者、勝ち組みたいな人たちが華やかに出てきてもいた時代だったので、やればね、やりようによっては成功者も出てくるんだなっていう。
だってその前の世代とかっていうのに、あんな若くて、自分たちと年が近い人で億万長者みたいになる人って全くいませんよね。昔言ってたって、それこそ本当にドコドコ会社の松下幸之介とか、大会社の社長さんとかね、なんかもうすごいノーベル賞を取った学者とか、そういう人たちがすごい成功者だっていうふうになっていたのが、
なんかもうちょっと身近なところからそういうね、若くて、確かに高学歴ではあるものの、別に全く自分たちが手に届かないような背景から出てきた人たちではないですよね。なんかすごい大金持ちのね、日本に貴族性は今ないですけれども、貴族の出身で、なんかもうとんでもない財閥から出てきたお嬢様だとかお坊ちゃまだとかそういう人ではなくて、
なんとなく平凡な普通の庶民の出から、こういう大金持ちになるような成功者が出てきたっていうのがあったので、なんとなくね、自分たちのやり方がまずいんだとかね、自分たちもやり方さえ何か工夫すればね、あと気持ちの持ちようで、もしかしたらホリエモンまでは行かないにしても、もうちょっといい人生、
ぶっちゃけ言うと、もっとだから年収上げたりとかできるんじゃないかとか、もっとキラキラできるんじゃないかとかっていうね、そういう気持ちにね、なんとなく駆り立てられていったんじゃないかなというふうに思うんですよ。その後ね、私たちの世代というよりは私たちの世代があまりにもうだつが上がらなかったので、そのあたりからね、なんでこんな自分の人生がうまくいかないんだろうってことを悶々と内行していった人たちが答えを探してるんですけど、答えがないものなので、
時にもこの経済がどんどん停滞していく、この期間が10年から20年、20年から30年というふうにだらだら伸びていった原因が誰にもわからないんで、当然自分のやり方が悪いというふうに思い込んだ人たちが多分一定数、私も含めていっぱいいたと思うんですよね。
それの答えをあれこれ一生懸命探している中に、この自己啓発本とか、さらにそこから踏み込んで自己啓発セミナーとかに行ってしまった人たちを大量に生み出したんじゃないのかなというふうに思うんですよね。
成功の新しい観点
だから昔であれば、ある程度いい大学、いい会社に勤めるみたいなそういう一定のルールがあって、そこをちゃんとうまく、そこの通行手形を手に入れた人はある程度いい人生を送れるっていうなんとなくそういうちゃんとしたモデルがあったんでね。
それ自体を手に入れることももちろん大変なことだし、努力なくしてはもちろんなし得ないことではあるんですけれども、でもそういう見本があったんでね。
なんでならないんだろうっていうことで、ずっとハテナハテナってなっていったのが私たちの世代で、さらにそれ以降の世代もなぜか自分たちが成功できていないこと、キラキラできていないということを探し求めるみたいな風になっていったんじゃないかなというふうに思うんですよね。
もちろん今自分の状況が良くないっていうことは、自分に原因があるっていうのはもちろんそうなんですよ。社会が悪いんだ、うちは親が悪かったからだとか、そういう多色思考になることをもちろん進めてるんじゃ全くないんですよ。
でもそうじゃなくて、努力とか才能とかそういったことを抜きにして、自分が今どういう世界、どういう社会で生きてるかっていうことはめちゃめちゃ大きいじゃないですか。どんなに努力してて、どんなに才能があったとしても、例えば今が戦時中であれば、やはりすごい制約がかかるじゃないですか。
自分の才能と努力が自分の思う通りに開花させて、それをうまくやっていくっていうことは多分できないですよね。軍事的な才能とかの人は別にしてですよ。
だから常に社会的な外圧を受けながら生きてるっていうところを見落として、より良い人生を送れなかったのは自分に原因があって、そうであるならば何か頑張って自分を変えていきたいっていうね、とてもポジティブで非常にいいモチベーションのことなんですが、
それに目をつけた、そういう悪いというかね、それを利用しようという一定の悪いビジネスモデルみたいなものがこの時代から急激に盛り上がっていったような気がするなというところで、今日は終わろうと思います。はい、ごきげんよう。
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