団塊ジュニア世代の背景
お聞きの皆さま、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
団塊ジュニアの世代の自分たちの時代と、現在は地続きなんだという話の続きなんですけれども、
まず、我々の世代がどう終わっていたかというのは、前々回、ちょこっと説明したんですけれども、
つまり、まだ私たちが子供の頃から、大学生の頃はまだ日本は豊かで、ほとんどの家庭が1億総中流で、
今と違ってみんな、一般的な家庭もみんな、そこそこ裕福な家がほとんどだったんですよね。
貧困家庭というような家は、本当に稀だったと思います。
普通のサラリーマンで、お母さんが専業主婦、お父さんが一人で稼ぎ手としている場合でも十分に豊かな暮らしができるという時代で、
みんな大学とかも行って、せいぜい医学部とか、歯医者さんになるための私学部とか、めっちゃくちゃ学費が高い、大学はさすがにちょっと払えないよとかいう家庭もあったと思うんですけれど、
大抵、普通の私立とかだったら全然大丈夫みたいな、ほとんどの家庭は2人兄弟いて、自由なく育てて大学まで行かせるというのが普通だったんですけれども、
ところが、大学を卒業しようという時にちょうどバブルがはじけて、一気に就職難になっていったんですよね。
ここすごく大事なんですけれど、これがちょうど1991年から93年とかだと思うんですね。大学にはストレートで入っている人を浪人したりとか、短大でとか、ちょっとその辺でばらつきがあるんですけれど、
だいたい我々の世代が社会に出ていくっていうね、この91年からもうちょっと幅広くとっておこうか、94、5年までこの期間っていうのはまだコンピューターありません。コンピューターあるんですけれど、まだ一般的に普及してません。
なので、今の若い世代の人はちょっと信じられないと思うんですけれど、とにかく各家庭にコンピューターがあるっていう時代じゃまだないんですよ。
だから、電話、それから雑誌、そして就職活動っていうのは今みたいにですね、いろんな情報っていうのはもう全部、当時ね、就職のリクルートとか雑誌は出し始めていましたけれども、
基本的にはですね、大学生の場合は大学に、だから企業が学生をリクルートに来るんですよ。是非うちの会社にオタクの学生さんを是非入れてくださいっていうことでね、企業の方から来るわけですよね。
で、また一斉にもう新卒は、だからいろんな就職活動をしていくわけなんですけれども、あくまでもね、やはり大学っていうところが大きな就職の圧戦の荷台手になってたんですよね。
個人で就職活動するっていう時代じゃなかった上に、やったとしても、この頃はまだだから紙媒体か人脈を使うしか方法ないわけですよね。1.2情報を個人が入手する術っていうのはないので、だから新聞でしょ。
で、それからあとなんだっけな、アルバイトだとね、フロムAとかね、なんだっけ、アンとかね、なんかアルバイトのアンっていう雑誌とかね、なんかそんなのがあって、なんかコンビニとかね、空いたところに置いてあったんですよね。で、こういうのでバーっとね、紙に書いてあるんですね。時給とかどういう条件でホールスタッフ募集だとかなんとかっていうの書いてあって、こういうの見るっていう。
だから紙の情報から就職を見つけるんですよ。で、もちろん新聞にも求人が出てるんでね、そういったところを見たり。で、大体はですね、でも新卒で就職を見つけるっていうのは先ほど言ったように、やはり大学を通すか、あとはリクルートのリクナビですよね。
こういったものも始まってましたんで、分厚い就職の情報雑誌ですよね。こういったところにバーっと出てるのを本屋で買ったりとかですね、あとは学校とかだと多分配布したりとかしてたんじゃないですかね。
で、こういったところで目星企業を見つけて、そして合同企業説明会行ったりとかって、その辺は今とそんなに変わらないと思うんですけれど、とにかくですね、個人が今みたいに自発的に動くっていう時代じゃありませんでした。
教育制度の影響
これはね、その時代の就職のあり方とかそういったことの話なんですけれど、もっともっと大事なのはですね、私が一番違和感を感じるのは、私たちの世代っていうのは個性があってはダメな時代だったんです。
もうみんながみんな同じような人じゃなければダメっていう教育を本気で叩き込まれた世代だったんですよね。これね、どれだけの人がそこを把握してるかなっていうのをすごい疑問に思ってるんですよね。
だからちょっとでも人と違ったらダメなので、それは良い場合もなんですよ。優秀すぎてもダメだし、特に女性の場合はね、勉強ができすぎると出る杭を打たれまくるし、人とちょっとでも意見が違ったらもうダメだし、つまり、特に私たちの世代はね、ちょっと上の世代が荒れてたんですよね。
私の世代の2,3校上あたりがすごい荒れてて、飛行っていうね言葉が、飛行少年の飛行ね、が流行ったりとか暴走族が流行ったりとか、ちょっとね、そういうあのすさんだり荒れたり、暴力沙汰を起こしたりとかする中学生とかが大量に出てきた世代だったりとかして、こういったね、学内で起こる暴力沙汰っていうか殺人事件まで起こってるんですよね。
この時代ってね、金属バットで親を殴り殺すとか、学校の先生をボコボコにしてね、重傷を負わせるとか、こういった事件がすごく全国的に多発していた時代があって、その後の我々の世代っていうのは多分ね、そういったことを鎮圧するためもあって、非常にね、さらに厳しい管理教育を強いていくようになるんですよね。
私たちはだから本当に厳しく厳しく育てられていて、例えばね、今って若い人見てて私がすごくね、ちょっとびっくりするのは、これってね、もう私の10歳下の人からそうなんです。
鉛筆の持ち方が、私たちの世代から見たら汚いんですよね。なんか変な持ち方するんですけれど、この鉛筆の持ち方とか、あと席の座り方ね、猫背で座ってたらダメだとかね、ピシッと背筋を伸ばして教科書はちゃんと立てて、授業に臨まなきゃいけないとか、もちろん授業中に何か飲み食いはもちろんダメですし、
いろんなことが厳しくされて、見出し並みも厳しく、前髪が眉毛にかかっちゃダメだとか、靴下の長さが長すぎても短すぎてもダメだったりとか、そういう何もかも厳しくされていて、
左利きの人は右利きに矯正されたりとかっていうのも、今多分もうなくなりましたよね。ああいう全く意味のない、そういう矯正みたいなこともずっと長らくやってきたんですけれど、特に私たちの世代は人数も多かったせいもあり、そしてその私たちの世代のちょっと前が荒れてたっていうこともあって、
学校の先生たちが非常に厳しく生徒たちを管理するっていうね、いうふうに教育方針が変わってた頃だったと思うんですよね。なおかつ親が教育熱心ですし、この偏差値でいい大学になるべく行かせたいと。
いい学校に行けば、学校の実績、うちの高校とか中学から優秀な生徒が出てきたっていうね、どこどこ高校に進学した学生が何人いるとか、次は高校に上がればうちから国立の何々大学行った学生がこんだけいるとかね、そういったことがすごく学校のバリューになっていくので、ものすごく厳しく
勉強もギュギュに詰め込む暗記教育というんですかね、そういったことがすごくすごく熱心にされていたんですよね。前もお話ししたようにとにかく人数が多いので、私たちはすごく大学自体も非常に競争が厳しくて、そこそこ優秀なぐらいでは中級レベルぐらいの大学にもなかなか行けないっていうぐらい競争が厳しかったんですよね。
そんな感じでですね、とにかく学校でも厳しくされ、親からはすごく期待されて、かなり今で言う中受とか教育虐待というかね、とにかくとにかく頑張んなさいと、こんな偏差値だとあなたどこどこ大学行けないわよとかね、引いてはこんなことではいい会社に勤められないわよとか、いいところにお嫁に行けないわよとか言われて、
かなり厳しくいろんなことを詰め込まれた世代だったんですが、この時重要なのはですね、個性があったり人とちょっとでも違うことをするっていうのは損だったんですよ。
とにかく違うことしちゃダメなんですよ。みんな同じでなければいけなくて、例えば私は帰国師匠でしたし、だから一応日本の小中高は出ましたけれども、大学はアメリカに行こうということになっていくんですけれども、これね同級生から何で行くのって言われましたもんね。
要するに今の価値観だと、アメリカの大学行って英語が喋れるっていうことはすごく学生の評価を上げることになると思うんですが、この当時の日本ではですね、そういう日本の規格というか日本独自の基準に合ってなければ全てマイナスなんですよね。
だからアメリカの大学なんか行ったって何も得なことないでしょという意味なんですよね。でも私はね、もう全然、ちょっとね私は育ち方が偏っているというか、もうとにかく変わったうちだったんで、そういう日本の世俗的な、そういうなんて言うんでしょうね、諸生術みたいなことがあまりにも何もなくて、ちょっとね、雑に育てられすぎたというか無策?
要するに何の作戦もなく脳に放たれたっていうところがあって非常に苦労したんですよね。だからそういう意味ではね、親にいろいろ言いたいことあるんですよね。今でもね、もうちょっとなんかアドバイスしてくれたってよかったじゃんと思って。
ただでさえ生まれ育ちがなんかちょっと違うのに、なんかもうそんな方にばっかりね、自分から自ら苦労するような道ばっかり行ったところがあって、なんかちょっとね、話をまた戻しますが、だからまあとにかくそういうふうにそうなんですよ。
だから今ならよくわかりますよ。日本っていうのは、てかもちろんそれは世界中どこでもそうだと思うんですけれども、やはりあの社会に出てからね、だから大学もただの大学っていうのは良い大学に行って良い学問を収めるために行くところだと私は思ってたんですけれど、そうじゃなくてですね、もちろんそういう意味もありますけど、その意味合いは多分10のうち1か2ぐらいしかなくて、残りの8割はね、結局はコミュニティの一員になるためなんですよ。
つまりは、学抜っていうね、出た大学の派抜というものがあって、だからその派抜がやはりね、社会人になってからも強いんですよ。
声のない世代の悩み
例えばドコドコ大学に行っていればね、自分は社会人になったら、そのそこのドコドコ大学が強い会社とかに行けば、そこで優遇してもらったりとかね、その同じ大学の大ビラみたいな感じで、そこで繋がれるので、出世競争とかね、そういったところも結局はその学抜によって左右されるとかっていうのはね、実はあるじゃないですか。
だからそういったところのラインにしっかり自分が身を置いておくっていうことがいかに大事かっていうことなんですよ。でもそういうことも何にも知らないで、私は無策のままね、野に放たれてしまったところがあって、漠然としてたんですよね、後でね。
これはね、ちょっと嫌味に聞こえるかもしれないんですけれど、嫌味ではなく本当のことなので言わざるを得ないんですけれど、うちは本当に、私以外の家族が本当にエリートで、エリートでたまにいるね、自分たちが何も大して努力せずにできてしまう人たちで、優秀であるがゆえにあんまり苦労なくその後キャリアとかも、なんていうかな、そのある程度の養殖に就いたりとか、
重要なポストにも何の苦もなく就いたりっていうね、そういう家庭だったためにですね、たまにこういう人たちはね、自分たちが苦労してないのでね、あまりその子供にああしろこうしろって言わないっていう人たちが一定数いるんですよね。
そういう東大での親が子供にも東大行かせるためにめちゃめちゃ厳しいっていう家もあれば、自分たちが優秀だったから逆に子供にはのびのびとさせてやりたいと思ったりね、むしろ自由にさせたりとかっていうケースがあって、うちの場合はまさにこの校舎の方でですね、優等生であっても、それはそれで大変だし、決していいことばかりではないっていうね、
反面教師みたいなところがあって、私にはあまり無理をさせなかった結果ですね。また私は自分の家族と比べてあまり大して優秀でもなかったので、えらい苦労することになるんですけれども、その話はちょっと置いておいて、とにかくですね、こういう時代だったんですよね。
これぐらい苦労して入った大学だったにもかかわらずね、これは大学に入れた人の話なんですけれども、ところがですね、いざ社会人になろうという時にはもう完全に氷河期になっていて就職ができなかったっていうことがあったんですよね。
なおかつ、それは前々回にちょっと話しましたけれども、生き方っていうのがいろいろあって、別に何も一つの会社に就職しなくてもいいんだよとアルバイトしたりね、契約社員とか派遣とか、そういう自由な生き方もありですよみたいないろんな口車に乗って、
本来であれば日本という国はですね、大学を出ればちゃんとそれなりの会社に勤めてね、ずっとそこで働くっていうのが一番得なようにできている、そういうシステムの国なのでね、そこのルートから大きく外れた人たちがたくさん一定数いたんですけれど、こういったこともですね、私たちが努力が足りなかったとか、
確かに主体性がなかったんですが、それはすべてそういう時代だったっていうところがあってですね。
なのでね、同じように人口が多い、私の親の世代の、団塊の世代が革命を起こそうとしたわけですよね。あの革命が決していい革命じゃなかったにせよ、やはり世の中を転覆してやるっていう気概があって、何か世の中をね、その球体全途した社会から革新の時代に変えようと、
心差しだけはね、その最初の革命を起こそうと思った時の最初の心差し自体は非常にそういう高尚なものだったと思うんで、そういうすごく気概があった世代の20年ちょっと後の我々の世代っていうのは全くそういう気概がない、主体性のない、おとなしい世代なんですよ。
これはたまたま個性的な人が多かったんだねとかね、おとなしい人が多かったんだねっていうことじゃもちろんないんですよね。やはりその時の時代の空気とか、いろんなことでそういうなんとなく世代の全体的なカラーみたいなものって確実にあるわけですよ。
だから非常に主張が強くなければ逆にその時代の空気の中で取り残されてしまうっていう世代だったのが段階世代だったでしょうし、私たちの世代っていうのは逆にあまり声が大きい人がうまく環境の中に馴染めないので損をするっていうことでみんなおとなしくしている人が多かったっていう特徴があると思うんですよね。
なんとなくですね、だからおとなしいので、せっかく苦労して大学出たけども、なんか就職ないなって言ったら、まあじゃあいいか、アルバイトでとりあえず食いつなぐかとかね。
そこで誰も暴動を起こしたりとか革命を起こそうとかっていうようなことは全く思いもしないんですよね、私たちの世代はね。不満とかあっても内向をしていくっていうのか、自分がダメなんだわと思って。
それとね世の中全体、私たちの世代自体じゃなくて世の中全体もまだねことの状況を誰も正しく把握できている人が一人もいなかったんじゃないかなと今になったら思いますよね。
だからこんな失われた10年とか20年とか30年になるなんて、あの時誰も思ってなかったでしょうし、たまたま今景気が悪い。
でこれも2,3年とかね、せいぜい5年ぐらいでまた回復するだろうと誰もが思ってたと思うんですよね。
だから私たちがその大学を出た後就職がたまたまなくても、これも4,5年長くて2,3年から4,5年ぐらい我慢していればまた世の中が上向いてきた時に、その時に就職すりゃいいやとかね、そういう感じでみんな気長に思っていたらそれはずっと来なかったっていう感じだと思うんですよね。
団塊世代との対比
まだねちょっといろいろ話したいことがちょっとこのあたりにはあって、またちょっと次回もこの話の続きをさせてください。はいそれでは今日はごきげんよう。