00:02
拝啓、3000年の人類へ。私はこう考えます。
ハッピーなヒッピーになりたい。
今回はですね、僕が話したいことを話させていただくんですけど、
2、3個前くらいかな、のテーマで、
ポッドキャストウィークエンド行ってきましたっていうところをお話しさせていただいたと思うんですけれども、
そこの中で、ちょっとあの、本を買ったと。
ヒッピーの本を買ったという話を多分したと思うんですね。
で、その本の半分くらい読んだんですけど。
半分くらい読んだのね。
読み切ってから言えよっていうところなんですけど、
本を普段読まない僕が、本じゃないんですけどね、前半は漫画なんですよね。
漫画を読んだんですね。
前半の漫画をね、しっかり読んだので、
それを踏まえて、本の内容というよりかは、
そこをきっかけにどういうことを考えたかみたいなところを話したいなっていうところになってます。
で、この本っていうのが、改めて言うと、
スペクテイターの2019年のボリューム45のもので、
日本のヒッピームーブメントというテーマの本になってます。
で、ざっくり概要をお話しすると、
日本では昔、ヒッピームーブメントというのがありましたと。
で、それが1950年から60年くらいにかけて流行ったもので、
ヒッピームーブメント何かというと、
そういう社会とかから離れて、山で自炊して自給自足で暮らしましょうよ、
みたいなのが当時流行っていたようです。
ちょっと振り返ると、1950年代から60年ってどういうタイミングかなって思うと、
戦後すぐなわけではなくて、戦後から復興してきて、
このすごいカオスな状態だった社会が、
徐々にいろんな社会の制度みたいなのが出てきて、
みんなが会社でいろいろ集団で新しいものを作って、
日本が徐々に世界に羽ばたいていったぐらいの走りのタイミングで、
そういうムーブメントがありました。
というところの本になっています。
ポッドキャストウィークエンドでもこの本を売ってくれた、
伝え書店の方々ですかね。
ありがとうございます。
伝え書店の方々がお話ししていたところで、
現代にもそういうムーブメントってありますよねっていうところをいただいていて、
実際にこういう社会の仕組みとか嫌だよねとか、
日本うんざいだよねっていうようなムーブメントがあるかなと思っていて、
そこについてどういうことを考えているかっていうのを、
03:00
今日話したいなと思っています。
一つそこで思ったのは、
我々ってすごい社会のしがらみの中で生きているなっていうのを改めて感じていて、
生まれた時から当然言語とかはもちろん肯定的に習得するわけやん。
それが人の一番初めに習得するしがらみというかある意味。
ある意味社会性っていうところだよね。
そうそう。肯定的に取得して、
さらにいろいろ資格とか語感とかも取得して、
そこまでは人類として全然あってもいいのかなと思うんやけど、
その先のところって意外と最近というか、
どんどん作られてきたもので、
例えば最も最近のもので言うと、
スマートフォンがあるよねとか、テレビがあるよねとか、
そういうマスに対する情報発信みたいなものを人々がキャッチするみたいなのが、
すごい近代にあるものだなって。
それで僕があんまり好きじゃなくて、そういうのが。
例えばスマホをよく見る人、あんまり好きじゃないのよ。
ざっくり言うと。
僕がそうなった理由ってなんでかなって思うと、
小さい頃からあんまりテレビとかつけない家で、
かつスマートフォンとかも全然持ってなくて、
大学の時とかもスマートフォンなくて、
お前LINEできへんから友達になられへんわって言われて、
僕育ったタイプなのよ実は。
それはマジで言われたよな。
分かれへん。
マジでというか、そういう感じやったよな。
大学入学前とかの段階で、
同じ大学に入学する人と、
インスタグラム、ツイッターとかで繋がって、
もうすでに仲良くなってみたいなのがあったりした世代。
SNSなのかな。
そういう意味ではスマートフォンとかテレビというよりかは、
SNSの世代みたいな感じで、
SNS上で広がりを持っているので、
SNSをやっていない人っていうのは、
その広がりの中には入れないっていう感じかな、
っていうところがあったりしたわけで、
そんな僕が好む方向として、
この本読んでてすごい思ったのは、
やっぱりそういういろいろなしがらみがないところから、
まずじゃあ土耕してみようぜとか、
木切ってみようぜとか、
そういうところに立ち返りたいっていう気持ち。
そこからゼロから積み上げたいという気持ち、
すごい分かるなっていう風に読んでいて、
思いましたっていう。
なるほど、なるほど。
なるほどね。
確かに今の時代って、
生まれてから身の回りに物が溢れている時代になってしまっているというところもあるし、
06:00
社会生活をするっていうのが当たり前になってしまったがゆえに、
法律であったりとか、
ルールであったりとか、
人の目であったりとか、
しがらみがめちゃくちゃ増えた感じはしますね。
なんかね、
人のいないところに行きたいっていうのは多分そういうのもあるからかなと思っていて、
例えばそうですね、
旅行とかで大自然に行きたいって思ってる人って、
多分そういう気質が潜在的にあると思うんですよね。
なんかなんだろうな、
ユニエンクを見に行きたいとかっていうのよく話もあるくらい、
誰もいないところで自分だけがいるみたいな、
そういう誰からも絡め取られない場所に行きたいみたいな、
そういう意味では通ずるものがあるかなと思って聞いてました。
うん。
なんかその、なんだろうな、
すごい確信を持てないけれども、
その確信を持てないまま走らなければいけないみたいな部分がたくさんあると思ってて、
それは一体何かっていうと、
これはこういうものなんだよっていう状態で動かないといけないところって結構あるなっていうので、
それこそ一つ前のラジオになるのかな、
百人一首をあっちゃんめちゃくちゃ覚えてたみたいなところを話してたと思うんだけど、
それは百人一首めっちゃ覚えてたけど意味はあまり理解していなかったみたいなところっていうのが、
僕この話と通ずるところだと思ってて、
あっちゃんはそういう意味では一定この現代というか、
このしがらみが多いところに適応できる進化した人類だと思うのよね。
どちらかというと。
まあそうですね。
昔の産業革命とかもっと前とかの人と、
そういうね、
習うよりなれるっていうのはあまりなかったですね。
うんうん。
そう。
で、なんか百人一首なんてよくわからないけれども覚えるものなのだと。
で、それを覚えることによって仕事、
まあ仕事、百人一首に関しては違うけれども、
先に仕事に関しては成績かな。
そういう学習をすることで、
よくわからないけれどもとりあえず一定能力を身につけて、
その上で何かやるべきことをやる。
で、それによってお金に変えるみたいなことをできる人だと思ってて。
で、それがこう難しい人っていうのは何かっていうと、
やっぱりなんでやるのっていう納得感とか、
そういう原動力、
自分がこれをしたいっていうのが湧き出た原動力がないと、
なんかなかなかこう動けない人っていうのかな。
っていう人が何か一定数いる気がしていて、
で、そういう人っていうのはルールとか、
その納得感がないけれどもやるっていうのができないから、
どちらかというともう生きるためにこの気を切るんだとか、
なんかそういう根源的な欲求を消化する方向に進みたいっていう風に、
09:06
感じるんじゃないかなっていう。
で、なんかそれが当時戦後ちょっと、
要はそのカオスな状態で、
みんながどちらかというとシステムの上に動くというよりかは、
システムが世の中になくて、
お隣さん困ってるから助けてあげようとか、
単純に自分の水がないから遠くの川に取りに行こうとか、
そういうところで動いていたものから徐々に川は自動で運ばれてくる、
水は自動で運ばれてくる。
で、その仕組みを作るために、
よくわからないけれどもここのネジを締めるとか、
その時はまだ多分納得感があって働けると思うんだけど、
徐々にそれがもうより細分化していって、
とりあえずこの紙を丸めるみたいなところまでいったときに、
これって何に繋がるのかわからないというところになってきて、
それを百人一死を覚えれる人は黙々とできる。
けれどもその百人一死を覚えるのとか納得感ないからどうしてもできないなってなってくる人は、
そういうことが無理になって、
じゃあもうそんなシステム化しなくていいから、
ちょっと不便でもいいから川とかから水を汲むっていう生活を続けたかったな、
というところでこの社会から離脱していくんかなっていう。
確かにそうですね。
わかりやすい例で言うと、
小中高とか受験勉強とかをしている人たちっていうのは、
受験勉強で受験で点数を良くするためであって、
それを使って何かをしたいっていうところまで考えてる人って、
最初なかなかいないのかなっていうふうに思ったんですよね。
そうなってきたときにやはり先人の知恵であるような、
各科目っていうのを最低限身につけておくことが、
社会性につながるのかなっていうところでもあるし、
そういう先人の知恵を使うっていうところは、
逆を返せば、
昔はより探索的だったところをしなくなったからっていうところなのかなと思っていて、
今しゅんちゃんが言ってくれたけど、
自分の目で自分の見える範囲で自分が生きるためとかに、
やろうともがいて探索をするっていう行動を、
昔の人たちはしてたけど、
現代においてはそんなことしなくても、
スマートフォンさえ使えれば何でも答えが返ってくるし、
コンビニに行けば何でも買えるっていう状態があるので、
そういったところで嫌気がさすというか、
自分でやってるようで探索できてないっていう感じ、
感じ取るんじゃないかなと思ってしましたね、聞いてて。
そこでやっぱり、しかしながらこれには勝てないなというか、
一定そういう意味では僕は探索力があるんだって思ってる部分もあるんやけど、
でもやっぱりそれじゃダメだなって思う対象として、
12:00
研究してる人とかっていうのは、
やっぱりその積み上げること、情報を積み上げることっていうのと、
さらにその上で探索することっていうのを両輪でできてるっていう。
そうですね。
まずはこのいろいろな先人たちが積み上げてきたものっていうのをキャッチアップして、
それの一番先端まで走っていって、
さらにその先での探索をしているっていうのは、
やっぱりその方が上位概念だなっていうふうには同時に思うかなっていう。
ちゃんと巨人の肩に乗りながらも、
その先に新しいこと、何ができるかなっていうところをちゃんと探索するっていう意味では、
研究者は社会に馴染んでる人間プラス、
ヒッピーのハイブリッドみたいなことなのかなっていうのを感じていて。
で、そこでさらにこの話、最終的にちょっと行きたいところとしては、
ここから時代が進むとどういうふうに変わっていくんだろうかっていうのをさらに考えたくて、
例えば、まずそもそも一昔前、
例えばレオナルド・ダ・ヴィンチって科学者であり、
かつ絵も上手いし、音楽家でもありみたいなそういうのがあって、
そもそも天才だと思いつつ、
やっぱり先人たちの知恵っていうのがまだそこまで積み重なっていない世代だったから、
探求心さえあれば、
割とすぐに一番先の部分まで行きつけて、
そこでの研究っていうのができるがゆえに、
できるがゆえにあんだけいろいろな分野において最先端を走れたのかなっていう部分があって、
そういう意味では、昔と今を比べると、
昔の方が探求心を重視していた。
要はそこまで積み上がっているものがないから。
でもそれが徐々に積み上がっているものが増えてきて、より高くなってきたときに、
まず積み上げたものに追いつくっていう力と、
さらにそこで探求する力っていう、
そのハイブリッドが必要になってきたよねっていうのが現代だと思っていて、
じゃあ、3000年になったときにはどうなっていると思うっていうのは、
あっちゃんにまず聞いてみますか。
聞くんですね。
この先、情報はどんどん集約化されていって、
より覚えることは増える。
もしくは覚えなくてもいいけど、
知識っていうものの量はどんどん増えていくわけですよね。
そうなってきたときに、人間が思考することを放棄するのか、
それとも機械に打ち負けずに、
自分たちのできることを頑張っていこうかっていうので、
未来は変わるかなと思っていて、
もちろんその後者、人間が頑張っていこうっていうので、
行くと多分、
ヒッピーみたいな感じで、
うまく情報を使いながら、
世界をさすらうみたいな、
ちょっとダークなSFみたいな話になるかなと思っていて、
前者だと伊藤計画っていう方のハーモニーみたいな感じで、
15:00
先人類がAI側に掌握されて生きるみたいな、
場合になるのかなと思って聞いてましたね。
なるほどなるほど。確かにね。
その時の技術にもよるのかなと思ってて、
今そのハーモニーの話してくれたけれども、
それは完全に掌握されたパターン。
機械がすごい進歩して、
機械がもう人間の上に立ったパターンかなと思っていて、
でも共存パターンもあるのかなと思っていて、
要は脳の仕組みが分かりましたと。
なので機械から脳に対して情報を入力することができます。
っていう技術がもし完成したのであれば、
逆に人々はインプットではなくて、
探求側の能力が求められる。
要はインプットは機械がしてくれるから。
っていうのもパターンとしてあると思う。
確かに人間のリソースをどこに割くかっていう話になった時に、
人間には人間ができるところでっていうので、
例えば今義務教育とかで6年間かけて教科書を勉強してるけど、
それを何かチップみたいなものをインストールするだけでできちゃえば、
人間はそれを使ってどうするねっていうところに集中ができるので、
授業の形態とかも変わるかもしれないね。
なんか予防接種的なね。
みんなが小さい子供の頃に注射いっぱい打って、
ハンコ注射打ってってやってる感じのノリで、
みんな脳のインストールして、
もう6歳になる頃には、
世の中の全てのデータが脳みそに入ってますみたいな。
大人になる時間が短くなるのかもしれないね。
確かに。
今は20歳から18歳とかに引き下げか、
されたけれど、今なんてもう、
スマートフォンとか使ってる世代になってくると、
多分10年前の30代で得られていた知識が、
今だともう15歳とか、
どんどん大人として得られている情報というか、
知識とか経験っていうのはもっと短縮されているから、
昔はさ、人間の体としてはもっと成熟早いじゃん。
中学生、高校生くらいから大人っていう二次成長が起こってるけど、
肉体じゃない方も成熟するのが早くなる。
なるほど。
っていう方向にいくんじゃないかと思ってたね。
今なんか話してて、聞いてる途中で思ったのが、
知識が早く、脳みその成熟が早くなるってなった時に、
身体の成熟が追いつかないから、
身体がどうなるんだろうっていう話をしようと思ってんけど、
むしろ身体は今までの話だと、
身体が早かった。で、脳が追いついてなかった。なので、
それが追いつくからちょうどいいんじゃないかってことだよね。
なんかでも、昔の日本の話をしたいんだけど、
昔ってもっとみんなが若いタイミングで結婚して子供でやったと思ってて、
18:04
その時っていうのは何でそれが成し得たのかというと、
世の中に必要とされていた脳みそのレベルっていうのが今よりも低くて、
そうですね。昔の方が肉体労働とか、
そっち系の仕事の方が多かったっていうのもあるから、
それかな?
だからもう14歳ぐらいの時の脳みそから、
そこから進化させる必要なくて、パソコンを習得するとか、
そういう必要がなかったので、
14歳の時点でもう十分働けてお金稼げますになってて、
じゃあもう子供ができてっていうのが繰り返されてたっていうのが、
昔のトレンド。
それが徐々に脳みそがもっと必要だっていう風になって、
来た今の世代においては、
体を成熟しているが脳みそが足りないのでお金を稼げない。
そこよね。お金を稼げないみたいなところがあって、
だからやっぱりお金を稼げるようになるには、
20までかかりますっていう風になっているっていうのが、
今で。
それで言うとちょっと一つ思うのが、
やっぱりどんどん格差っていうのが広がってきていて、
基本的にもうエンジニアとか、
何か手入れ職がある人間以外は、
もうお金稼げないよねと。
例えばコンビニなんて全て自動化なんだから、
バイトしてお金稼ぐみたいな概念がないよねってなってきた時に、
より脳みそを高度化しないと働けないっていう風な世界になっていて、
そうなるとみんな30まで勉強してやっとお金稼げるようになる。
40まで勉強してやっと稼げるようになるっていう風になっていくっていうのは、
一つあるかもしれないね。
それで今さっき言ったような脳にインストールするみたいなブレイクスルーがあれば、
またさっき言ったみたいに必要なものが変わるけれども、
一旦そのブレイクスルーがもっと先だと考えると、
どんどんそういう風に働くのは40以降というか、
働くのがどんどん後ろに後ろになっていって、
そこに入らない人ってどうなっていくんやろうなそうなると。
今話で言うと、
ヒッピーみたいな形になっていくのもあるっていうのもあるし、
あとは前も話したけど、
ベーシックインカーみたいな形で働かなくてもそもそもいいんじゃねと。
その生産性は別のところでロボットがやってくれるっしょっていう形になるのかなと思ったりもしたけどね。
伝説の4話ですね。
伝説の4話かな。
違うっけ。
ありましたね。
そういう形で別に脳みそを使わないとお金を稼げないっていうことになるかというと、
それは絶対にはならないともちろん思っていて、
人間しかできない部分はまだあると思うんですよね。
そういった中で仕事ってのはもちろん変わってくると思うんですけど、
そこの部分について、
そこが見つかってくるとそこに人材がまた集まってくるから、
21:01
そこでまた優秀な人からってなってしまってってなっていくのか。
難しい問題ですね。
やっぱり何やろう。
これは正しいこととして、やっぱり労働は減らそうぜっていうのはトレンドとしてあって、
だからといって、例えば週3日勤務でみんなが30万稼げてっていうような世界にはならないと思ってて、
どんどん稼げない人は稼げない、稼げる人は稼げるっていうふうな差が広がっていってしまうと思うんだ。
正しい形としてはみんなが週1勤務で、みんながしっかりお金もらって、みんなが好きなようなものをいっぱい買えるっていう公平な世界っていうのが望ましいんだけど、
結局は今のこの時流からするとそうはならない。
たぶんそもそも社会構造として資本主義ってどんどんいいものを出していこうってなっていくわけだから、進歩していくわけですよ。
そうなると人間も進歩しないとお金を稼げなくなるから、
人間も進歩しないといけない状態になると思うんですよね。
ってなった時に資本主義をやめるっていう方向にいく可能性もあるよね。
同じものだけずっと生産しておけばいいでしょみたいな。
もうだからやめるってことやんな、戦うことを。
戦うことをやめるっていう風になると、一方で戦うことをやめるってなるとハーモニーの世界になっちゃうと思う。
要は機械が人間を支配する世界。
だから難しいですね。
確かに難しいね。
でも実際に自然の中で住みたいっていう欲求は人間である限り捨てられないとは僕は思うので、
ドキュメンタリーとかでもあるよね。
無人島に何日間か生活するっていうのを裸一貫でやるみたいな。
ああいうのが受けてるってことはやっぱりそれを楽しいとか思ってるっていう心が人間にあるのでね。
それはなくならないのかなと思うし、将来人間に近い見た目を持ったロボットが出てきても、
お前量好きかって言って好きじゃないですって言ったら弾かれる社会が来るかもしれないよ。
人間とロボットの区別にそういう。
今言ってた横断歩道を選んでくださいっていう画像をしてるけど、
なんか人間らしい思考を選ばされるみたいな。
なるほど。
だからそれこそ交際とか名を使って、指紋とかいろいろなものがあって、
さらにそれの簡易的なものとしてはこのパズルがどこに当てはまるかっていうのが直感的にわかるとか、
そういうものになっているが、それがもっといろいろな機械が高度化していって、
どんどん飼いくぐるようになったときに、最終的にできることはそういう人間じゃないとできない思考。
24:07
そこで人間かどうかを判断するみたいなことが近い将来あるのかなと思ってましたけどね。
そうね。だからちょっと前やったらね、なんか猫の絵を描いてくださいって言ったらさ、
猫の絵描けんの人間だけでしょ、やったのに。
もうそれができなくなったわけだからね。
もう今はさ、文章入力するだけでめっちゃ綺麗な絵描けちゃうようになっちゃったからね。
そうね。
ってなってくると、より人間らしい思考みたいなところで分けるんじゃないかなと思ってて。
人間らしい思考が正直僕はわからなくて。
あっちゃんはそこに知識があるから。
詳しいとかはないけれど、例えば画像とシチュエーションみたいなのが与えられて、
あなたはこの時どういう行動をしますかみたいなのを言うか、
結局機械ってさ、例えば今の画像を作る話で言っても、入力と出力はさ、画像と文章なわけですよ。
それ以外の情報って持ってないんですよね。
ってなった時に、じゃあそれ以外の情報入ってこないからそこも入れて聞いてもらった時に、
何もない横断歩道と、今はどうかわかんないけど、
例えば小学生が歩いていて、遠くからサイレンの音が聞こえてきた時に、
この後起こるシチュエーション、何が想定されますかみたいなのを言って、
人間なしと見るとかね。
なるほど。でもなんか一つそれに対して思ったのは、
今って作詞とかもすごい機械学習で自動化されてしまってて、
それと同じように例えば漫画とか小説とかも全部学習させたら、
まず画像認識で今横断歩道があって、文字化しますと。
画像を文字化して、音声も文字化して、
その文字化したものを小説を学習させたやつに考えさせると、
この続きっていうのは人が惹かれそうですみたいなところを抽出できます。
それを今度また画像に変換したら答えられちゃいそうみたいな。
それは確かに組み合わせるとできるかもしれないね。
人間らしさがじゃあ何になるのかっていうところを考えなきゃいけないんで、
鼻クソほじって鼻クソ認証とか。
いやいやいや。確かに。
どうしても機械じゃ作れない、
それ交際でいいや。
確かに。DNA認証とかになるかなと思ったけど、
それ別に交際でもいいか。
今後人間らしさって言われてたものが人間らしさじゃなくなっていく社会で、
27:04
どう人間らしく生きるのかっていうのが今回まとめとしていただいていいんじゃないですか。
そうですね。
結局山に行きたいっていうのが何なのかなっていうのがまだちょっと僕の中に答えが出ていないので。
僕は結構ハイキングとか山に登った経験があるんで、
山のいいところとしては個人的な観点で言うと、
まず人混みじゃないから開放感があるっていうところですよね。
社会からの開放。
さっきのまさにそうですけど、
社会からの開放っていうところもあるし、
単純に普段自分がいかにノイズに囲まれて生活してるかっていうのを再認識できるっていうところがいいなと思ってて、
本当に高い山とか登ると無音なんですよね。
はいはいはい。
我々がこうやって普段普通に生活していて、
耳が勝手にノイズキャンセリングしてくれてるけれど、
低い換気扇の音とかさ、
そうね、電気のジーって音は絶対するよね。
あるんだけど、
これを人間はノイズキャンセリングでやって無音としているが、
本当の意味での無言っていうところにいるっていうところがやっぱり一ついいなと。
はいはい、確かに。
それは無意識に、意識はしてないけれども、
無意識に。
普段部屋で静かだなと思っているけど、
実は音に囲まれて生活してるっていう意味では、
常に刺激を浴び続けてるわけですよね。
そういう意味では、
刺激物が全くない状態に入れるというところは、
山の良いところでもあるかなと。
で、あとなんか一つ全くちょっと違う観点やけど、
原始人な生活に戻ったときに良いことって、
本当の愛というか、
本当のそういう温かさを感じれる部分なのかなっていうのを今はふと思って、
それは何かっていうと、
僕日常ですごいこの瞬間好きやなっていうところが、
例えばスーパーとかで、
お兄ちゃんこの鶏おいしそうやねーって言われるのめっちゃ好き。
途中でおばあちゃんに絡まれるってこと?
そうそうそうそう。
はあ。
で、それって何かっていうと、
その人とはもうその会話で終わりなわけよ。
うん。
で、確かに今日の鶏はいいですねーっていうので終わりなわけよ。
はあ。
で、だからそれがそのしがらみのないコミュニケーションやと思ってて、
例えばさ、
当然この交流会とか行ったらさ、
この後この人が金になるのかっていう目線でみんな見てるよなって思うやん。
それがどうか分からへんけどね。
っていうのはあるし、
30:00
いろいろなところでいろいろなこう、
結局、例えばさ、
夫婦であってもさ、
やっぱりここで歌詞作っといて、
今度なんかっていうのも多分あると思うんですよ。
別にあるかないかのみその中でそれが言語化されてるかっていうと分からへんけど、
ほんまにこれって、
なんかしがらみがない行動やなっていうのを感じるのが、
そういうこう、
おばあちゃんとの会話やったりするなと思ってて、
で、なんか純粋なそういうものっていうのが、
ルールがない世界であればルールがない世界であるほど、
それこそお金がないとかね、例えば。
お金がなければそもそもお金のためやなとかいう概念もなくなるっていう、
そういうのがいいのかなって。
なるほどね。
温かみとかっていう感情って多分、
人類の進化の過程で得られてきたものだし、
多分、現代人が原始人に戻るっていうか、
現代人の脳で戻るんだったら多分それでもいいと思う。
ただ、進化の過程でまだ動物から人間になるときって、
欲望に沿っていってるからさ、
難しい部分は逆行するっていうのは。
確かにそうか。
それは難しいなと思う。
一方で、今話したように、
立場とか利害関係にとらわれず話せる機会っていうのは、
確かにその間限りのちょっとした温かみのあるエピソードになるかなと思いますね。
それが山での生活の中で出てくるのかって言ったら、
それもまた難しいところだと思うんですけど。
出てくるよ、今ふと思ったけど。
やっぱハイキングしてる時とかって、
人とすれ違うと挨拶するんだよね。
あるね。
多分それ近いんかなと思っていて、
その間限りで会う人と挨拶するとか。
あとは多分バイクとか乗ってる人とかと対面でバイクで通行するときなんか、
手をね。
手をやるとかもあるし。
そういう感じですかね。
そうね。
だからそういうルールがない、利害関係のない一体感、本当の共感みたいな。
で、その共感っていうのは同じ考えだよっていうよりかは、
なんか俺ハッピー、お前もハッピーっていう共感?
考えが全然違ってもよくて、
何か共にしたっていう。
なんかそういう喜びみたいなのが、
ハッピーになればあるというところで、
ある意味今までの会話の中で、
我々の進化の過程で、
良くなった部分もあれば悲しくなった部分もあって、
それは今後の進化においても、
たくさん出てくるだろうなっていうところを考えると、
3000年の人類の方は、
今より豊かではなくてもいいから、
33:02
今よりもハッピーであってほしいですねっていう感じかな。
確かにそうですね。
ということで、エンディングです。
今回はかなり頭を使った話を、
いつもにしたのかなと感じたんですけど、どうでしょうか?
もともと3000年に向かってあまり話す気はなくて、
それそもそも僕の良くないところだけど、
結果として、
ヒッピーブームっていう切り口から、
過去を振り返り、そして現代のヒッピーブーム、
この先はどうなるのか、3000年はどうなるのかっていうところまで、
話ができたっていうのは、このラジオっぽくて良かったかなと思います。
確かに、最近はあまりできなかったですけど、
未来のところまで含めて考えるっていうことができて、
良かったんじゃないかなと思いますね。
聞いてる皆さんも、
自分の人間らしさって何だろうって考える機会って、
そうそうないと思うんで、
皆さんが人間だと思うことって何だろうっていうのを、
また教えていただけると嬉しいなと。
正直、このエンディング撮る前の段階で、
あんまりうまく掘り下げれなかったねっていう話はしていて、
なので、皆さんだったらどう考えるかっていう意見を、
すごい求めてます。
はい、ということで、
色々我々やってますので、
Twitterの方であったりとか、
Googleフォームありますので、
そちらの方でまた感想、コメント等をいただけると、
我々も嬉しいなと思います。
なんかせっかくなんで、コメントみたいなの読みますか?
Twitterとかに来てるのとかもあると思うんですけど。
じゃあちょっと今日は行ってみよう。
Twitterのハッシュタグの方でいただいていたコメント、
聞かえさせていただこうかなと思うんですけども、
脇の下から月が見たい人たちっていう感じですけど、
朝と夜波を漢字の視点で見てみるという話だったんですけども、
ローテナントのラジオ局というポップギャップをされている方はですね、
ムササピーノさんからいただきましたが、
そういう話、これをやるためにわざわざ調べ物をしている姿を想像しています。
僕はプレンティーの青き日々が夜ソングとして好きです。
プレンティーは大学、高校の時ぐらいに聴いてた声の高い人。
結構好きだったな。
やっぱり夜に合う感じの曲だったね。
僕のイメージはそうじゃなかったので、
この曲ちょっと聴いてアップデートしてみます。
多分それぞれ夜っていうものに対してイメージが、
曲と紐づくこととか、
辞書と紐づくことって結構違うと思うので、
いろんな人の夜ソングを名詞としていただけるとね、
36:00
面白いかなと思います。
ということで、また皆さんコメントいただけると嬉しいなと思いますので、
どしどしよろしくお願いいたします。
ということで、今回のラジオはここまでとしたいと思います。
聴いてくださっている現在人の皆さんも、
未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。
さよなら!