2025-09-03 28:22

此岸の家事① #434

女と世代シリーズの続きです。
核家族化と男女の性役割の弊害についてお話します。

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サマリー

このエピソードでは、戦後の日本における女性の社会的地位や家族の変化について考察されています。特に、女性のキャリア追求の難しさや、学校の教師としての職業の恵まれた点が話されています。また、男性と女性が社会で果たすべき役割について議論がなされ、家事や育児の分担に焦点が当てられています。さらに、現代における教育の機会の増加が女性の自立に与える影響と、それが家族や子供に及ぼす影響についても展開されています。家事の能力の重要性や、男女における子育ての役割の変化が考察され、特に専業主婦が子供に与える影響が論じられています。

戦後の世代と家族の変化
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。 世代の話の続きをしようと思います。女性がどんどんマッチョになってきているよ、という話なんですけれども、これはね、あの結局戦後に生まれた世代というとですね、ちょうどだから段階の世代が、まさにそこに該当するんですけれども、
だから今の75歳から78歳ぐらいの、このだから80前の世代ですね、この人たちはもう戦後なんで、今のね、だから私たちのライフスタイルとかに結構似てるんですよね。もうこの時には各家族になってですね、大家族でおじいちゃんもおばあちゃんも、あと他の兄弟とかみんながね、あの大家族で住んで、兄弟も大量にいるっていう時代じゃなくてですね、
基本的にはお父さんとお母さんと子供が2人っていうね、もう各家族の時代になってます。大切にここでは女性も男性と変わらないぐらい大切に育てられて、中にはですね、もうあの女の子でも成績が優秀だったりする子は女学院とかね、大学とかに行かせてもらっているような人も出てきてるんですよね。
ただまだまだこの時代はですね、圧倒的にそのままキャリアを追い求めていくっていう女性はめちゃくちゃ少なくてですね、仮に今優秀でいい大学に行ったような女性であっても基本的にはお見合いをして結婚すると専業主婦になって家族の世話をするっていう役割になるっていう人がほとんどだったと思います。
はい、だからこの時代にずっと独身でキャリアをずっと貫いたりとかね、あと結婚したり子供がいたとしても仕事をずっと続けるっていう人はすごく稀だったと思います。稀というか職業が限られるんですよね。
どういった仕事だったら女性でも結婚して子供がいても続けられるかというと、学校の先生だったんですよね。学校の先生とか、だからそれは小中高の先生であっても大学教授であってもね、こういう学校っていうのは今はどんどんどんどん学校の先生たちにとって非常に働きにくい環境になってきてますけれども、もっと昔はですね、非常に恵まれていたんですよね。
いろんな職業で男女は明確に格差があったんですけれど、まだ教員の世界っていうのは比較的男女格差が少なかったというふうに聞いています。だからもちろん男性の方が優遇されたでしょうし、例えば校長先生とか教頭先生とか大学で言うと学長とか学部長とかそういった偉い人になるにはですね、もちろん男性の方が有利だったとは思うんですけれども、
民間の普通の会社で働くとか、公務員でどこかに働いているとかっていうことを思えば、かなり男女が平等に近い雇用が守られている数少ない職種だったというふうに聞いています。
なので、学校の先生とかそういった限られた職業のみ、女性が結婚して子どもがいても戻る場所があるというかね、ずっと生涯にわたって働き続けることができたんですけれども、それ以外の人ってもうみんな以前もちょっとお話ししたようにですね、結婚したと同時にですね、もう会社の方もですね、もういつ辞めるんだっていう対応をされるっていうのはね、つい最近まであったんですよね。
今もやってるかもしれませんね。とにかくもう結婚するということはいつ子どもができるかわからないと。子どもができたらですね、当然休みをね、産休とか育休とかそういったものをいろいろ与えなきゃいけなくなるんで、会社としてはもう戦力として当てにならない人員だというふうに見られるわけですよね。
だからそうなる前にさっさと辞めてほしいっていうのが企業の本音だったんですけれども、でも学校の先生っていうのは比較的そういったところも全部守られていた上に、夏休みとかね、春休み、冬休みっていうねまとまった休みも取れるので、学校の先生っていうのはね、本当にあの多分ね、働くママにとってはね、とても恵まれた職業だったというふうに思います。
話をまた全体の話に戻すんですけれども、だからこういった仕事に就かない限りはね、基本的には女性は8割、7割、8割、9割はもう専業主婦になるという時代がずっと続いていたんですよね。
ですけれども、家庭における主婦の役割がね、昔と比べてやはりね、限られているわけですよ。大家族で、昔っていうのはそれこそ兄弟が10人兄弟とかね、そんなぐらいいて、おじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも何ならもっとちょっと離れたいとことかね、そんなみんなぐちゃぐちゃで暮らしていて、
農業をやったり、自衛の仕事をしたりとか、そういう状況で家族が大勢で助け合いながら暮らしていたのではなくて、わりと狭い3LDKくらいの家に住んでですね、団地にせよ、1戸建ての家にせよ、狭いところに家族4人が住んで、
完全にその時には、男性っていうのは戦後、企業戦士としてですよ。朝出かけたら、下手したら深夜とか明け方まで帰ってこないみたいなね、完全に社畜となって働くと。
一方の奥さんの方はですね、もう完全に家にいて、子供と夫の帰りを待つっていうね、そういう暮らしをずっとさせられ、それはね、私の友達のね、お母さんとかの話とかでもね、結構リアルに聞いてるんですよね。
もうちょっと子供の手が、子供がね、ある程度小学校の例えばもう高学年になったとか、中学に進学して、もうちょっとすることがなくなってきて暇だから、パートにでも、だけにでもね、出させてほしいとかっていうことをね、夫にお伺いを立てると。
そうすると、ダメって言われるうちも多かったですし、行ってもいいが代わりに絶対に家の家事、育児を手を抜くなよっていうことを夫から厳重に言われて、分かりましたと言って、とにかく高々ね、パートに出るだけでもですね、そうやって夫にお伺い立てなきゃいけなかったっていう時代があったんですよね。
今だと信じられないと思うんですけど、これは割とつい最近までそういう事情があって、もしかしたら今でもね、そういう保守的な家族っていうのは、今でももしかしてあるかもしれませんよね。
ジェンダーの問題と社会
そういう中でですね、先ほど言ったように、大家族で大量に子供がね、5人以上とか10人ぐらいとか子供がいるとかなると、それは本当に大変じゃないですか。
それに比べるとですね、戦後のね、どんどん現代に近づくにつれて、生活は楽になってるし便利にもなってるし、何よりも代物家電って言われるね、いろいろ生活を支えてくれる便利な家電製品っていうのもどんどん充実してきて、洗濯も冷蔵庫もね、テレビも掃除機もっていう感じでね、何でも便利なものができて、
しかも狭い家に住んでるんでね、そんなに朝から晩までめちゃくちゃやることがあるというわけでもないですよね。これは異論があるかもしれませんけど、多分昔のね、主婦っていうのは相当やることいっぱいあったと思うんですよね。
ですけど、それに比べたら狭い家で、家事でやることっていうのはさして大変じゃなかったと思うんですけれども、ここでね、私はやはり大量に、本当であればね、もっともっと能力がある女性たちがね、結局家庭に閉じ込められて、機械喪失、そして自分たちの自己実現ですね。
自己実現ができない状況にずっと置かれて、やりがいとかね、その生きる目的とかね、そういったものを完全にね、その家族の、いくらね、その家族のことを持ってて愛していたとしてもですね、やはり人間っていうか、子の人間っていうのはですね、やはり自分の、
何だろうな、だからね、この当時のね、いろいろ男女の役割っていうか、性役割みたいなものって、本当にある意味ひどいなと思うんですよね。
例えば男性も全く同じで、男性の中にはですね、そうやってバリバリ会社で集団の中で競争させられてね、出世競争に晒されることが苦手な人も当然いるはずですよね。人付き合いが苦手な人もいる。あまりそういう上昇志向がない人もいる。
むしろ家庭でいろんな家事やったりね、子供の成長を見守って、いろいろ例えば料理作ったりね、子育てしてる方が楽しいっていう男性も当然いて、当たり前ですし、女性は女性でですね、仕事バリバリやる方が楽しいっていうね。家事育児がもちろん好きな女性もいるけれども、そうじゃない女性もたくさんいるはずなんですよね。
女性子育てとかもなぜか母親が、なんていうかな、もうその前話した性房じゃないんですけれど、女っていうのはもう自動的にですね、もうみんながみんな、母としての適性をみんな持って生まれてるっていうふうにすごく思われてると思うんですよね。
でもそれは大いなる誤解で、非常に母性愛が強い人もいれば、母性愛が少ない人もいる。だから男性にもいろんな人がいて、女性にもいろんな人がいる。でもそのね、もうみんな10%人から上の男たるものね。やはり男っていうのは闘争心があって、上昇志向があって、やっぱり競争が大好きだ。
そういう英雄異狼を好むじゃないですけれど、男たるもの、やはりそれなりに遊んでてね、女が好きでスケベが好きだみたいな、そういうすごくステレオタイプな、ありますよね、そういったものが。女性は女性で、女っていうのは家族の面倒を見て、子の成長とか夫をいたわったりとかね、そういったことで生き甲斐を感じるものなんだみたいなね。
なんかそういうね、すごくステレオタイプの箱の中にね、長らく男も女も閉じ込められてきたっていうふうに私は思うんですよね。ですけどもこの箱の中に収まらない人っていうのは大量にいると思うんですよ。これは女も男も全く同じにね。
だから、だけどこの箱の中にいた方が浮かないしね。世間からなんでお前いつまで経っても結婚しないんだとか、なんでいつまで経っても子供を作らないんだとか、なんでこうだ、なんでああだとかね、いろいろ言われたりするのがめんどくさいんでね。みんな多分ね、この箱にちゃんと私はちゃんとした男ですよとか、ちゃんとした女ですよっていうふうに演じてる人はとても多かったんじゃないかなと思うんですよね。
でも実際にはここに上手くアジャストできない人っていうのが大量にいたと思うんですよね。私はね、このジェンダーの問題とかこういった家庭の話をする時には常にね、女だけがかわいそうだったというふうにはね、全く思ってないんですよね。
ジェンダーの話をした途端にね、特に女性がジェンダーの話をした途端にパシってね、男の人って多分耳を塞いじゃう人が多いと思うんですけれど、少なくとも私は、だから男のせいでこうなったとか、男がこういう女に強いてきたこの婦の歴史をどうだこうだっていうね、そういうスタンスで言う人ももちろんたくさんいると思います。
そういう一面も確かにあります。でも私は少なくともですね、このジェンダーに関してはね、女と男は等しくどちらも犠牲者だったと思うんですよね。
男性と女性の役割
前に笑うセールスマンっていうね、藤尾栄先生のね、あの傑作漫画の話をした回があったんですけれども、男は男でですね、もうみんなが等しく企業戦士となって、もう24時間、仕事のことだけ、仕事のためだけに生きるということをやらされ、家族を養い、子供たちのためにね、自分たちはもう本当に自由な時間も自由なお金もないまま、
ひたすら家族のため、住宅ローンのため働いていたっていうね、あの漫画がありますよね。だからあれはあれで男の悲哀を描いてるんですよね。やはり女は女で、だからどちらもね、等しくやはりなんていうかな、この社会の歯車を回していくためにね、無理やりそういうね、人間は男だとか女だとかね、子供だとか大人だとかっていう以前に、
みんな子の一人一人人間なんだっていうことを完全に置き去りにしてですね、もう車の部品というかパーツみたいな扱いで、お前は男だからこれやっとけ、女は女だからこれやっとけっていう風に、完全にね、そういう風にものすごく単純な分類をされてしまったんですよね。
だからこれのいいところがね、もし一つでもあるとするならば、それは迷わなくていいっていうことですよね。男だから働かなきゃいけないんだ。家族を養わなきゃいけないんだ。女の場合は、私はだから結婚して子供を産んで、家の家事と育児とね、ちゃんとそれ、夫の健康管理と、子供たちをちゃんと育てあげるのが私の仕事なんだなっていうね、とても単純なこの2つのね、あのなんていうかなこの生き方みたいなものしかもう、
ないので、迷うっていうことはなかったと思うんですよね。私はどうやって生きていこう。私がこの今生かされているのにはどんな理由があるんだろうみたいな、哲学的な問いみたいなものは多分全くなかったと思うんですよね。
だからまあ生きるのがある意味楽だったかもしれないけれども、まあでも今のこの、今現代のねこの混沌を見ていると、やはりねこの戦後のあのだから、あのなんていうかな戦後のこのやけの原の状態から、世界第2の大国になるためにどれぐらい人間性っていうものを犠牲にしてきたのかっていうことをね、やはりすごく私たちはやっぱり考えなきゃいけないんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
まあとにかくですね、この核家族の中にはめ込まれた女性たちが、本当はこの中にはあのそれほどね、そのなんていうかなこの専業主婦に収まるにはもっとエネルギーとかね、野心とかいろんなその自己実現したいとか、そういう野望をね秘めた女性たちっていうのがうんさかいたと思うんですよね。
で、こういうねエネルギーが有り余っているような女性たちが結局ね、えっとなんていうかな自分たちのそういうなんていうかこうエネルギーをぶつける場所がないので、これがね全部やっぱ子供たちに行ったりとかして、まあ多くのその教育虐待とかね教育虐待までえっとその深刻じゃないにしてもですね、まあ過剰に子供たちにあのいろんな期待をかけたりっていうこともあったでしょうし。
で、まあ今日私が話すテーマからいくとですね、結局ねあの子供たちにあのやはりね自分が実現できなかった野心を託しているっていうことがあったんで、えっとねあの男はもちろんなんですけれど女にもあのなんていうかな家事を全く覚えさせなかったっていうね、あの家事っていうテーマがあるんですよ、家事ね。
ハウスキーピングね、ドメスティックなハウスキーピングの家事です。はいでこれをねえっと全く子供たちにえっとやらせてない親がほとんどだったと思います。もう私はまあ団塊ジュニアに近い世代として見渡してみた時に、あの男の子だけじゃなくてね女の子どもも一切家のお手伝いとかはえっとしてない子がほとんどだったと思いますよ。
でその代わりもう塾に行って勉強ずっとやってるんですよ。でも早い子だと小学校から塾行ってますよね。私の世代でももうそうでした。もう小学校とかもう早くとも遅くとも中学からみんなある程度あの塾に行ってねもういい高校に進学するための準備が始まっていて
とにかくいい大学に行かせなければいけないということでね結局子供の時からずっとえっとねお家のことは一切しないで育っている人がほとんどなんですよ。で私ねこれはすっごいねすごいねあの今のいろんなもやもやわぁママとかねそういったことに実はつながってるんじゃないかってすごい思ってるんでね。
なのでちょっとこのテーマで話してるんですけれどもえっとね結局あのあの良い悪いで話をしてるんじゃなくて昔は女の人っていうのはもう年頃が来たら必ず結婚してお嫁に行くっていうことがもう決まってるわけですよね価値観としてで実際ほとんどの人がそういうふうにあの
結婚していったんでね。なのである年頃になったらみんな家事の訓練を受けてるんですよねでこれはね実はアメリカもそうなんですよアメリカなんかもっと進んでるだろうと思うかもしれませんがこれはフィニッシングスクールと言って
女子がね夫人がまあこれから必要になるであろうスキルをね一通り学ばせるっていうねあの監修があるんですよねで例えばあのお裁縫ねあの洗濯料理ねアイロンのかけ方からねあのなんだろう
赤ちゃんのねあの世話の仕方とかもこういったこともね全部一通り覚えさせられるんですねこういう話は私はね大正生まれの今は亡きあの私のねあのアメリカ生まれの日系2世だったおばあちゃんから聞きました
うちの祖母はえっとだから太平洋戦争が始まるちょっと前にね日本に帰るまではずっとアメリカ人としてえっと暮らしていたんですけれども年頃になるとねこういったちゃんと花嫁修行みたいなねことをちゃんとやったんですよねおばあちゃんはねめちゃくちゃ勉強できて優秀であの当時のそのアメリカのあの学校でもねあのとてもあの優秀な学校に行ってたんですよ
ですけれどもそういう集勉強ができるできない全く関係なくねいずれ女性は結婚したらこういうスキルが必要だということでねちゃんと学ばされてるんですよねこれはねもちろん今はやってませんよこれは昔の監修です日本の場合はある年齢から台所に立たせてえっとやはり脱脂の取り方とかねあのそういうあの後もちろんお米の研ぎ方から何から何までねあとあの赤ちゃんのおしめのかあの
変え方とかねこういったこともえっとね習ってるんですよで昔はねもっとだからその各家族になる前というのは家族が多いんでもうあのみんながねどっかで子供がポコポコ生まれたりしてるんでえっとそのねあの自分の兄弟とか
親自分の親も子供何人も生んでるんで例えば上のお兄ちゃんお姉ちゃんがいたら特に女の子はですね下に自分の兄弟が生まれればお母さんを手伝ってですねこの赤ちゃんの面倒を見たりとか家事の手伝いをしたりとかっていうことで一通りまあ家事を覚えたりする機会がいっぱいあったんですよね
ところがですねもうこれが各家族になって8段階世代の人たちあたりからですね徐々にもうあの女の子もですね家事をする機会がなくて専業主婦のお母さんが何でもやってくれるという家がね増えてくるんですよね
でこれがもうどんどん8だから段階の世代っていうのが今の75から78歳ぐらいですけれどこれより若い人はどんどんどんどんだから今の60代の人もえっともちろん私たちの世代もみんなねあの専業主婦のお母さんに全部やってもらって育ってる人が圧倒多数なんですよねでこれはえっと多分今のだから40代30代の人たちもそうなんじゃないでしょうか
教育の変化
だからねえっと要は私の世代よりももうちょっと後かなえっと私の世代もねやばいと思うんですけどもえっと今のねだから40代ですねだから超氷河期あたりからえっとねこの親の世代もそんなに金がないっていうんですかねうんだから私たちの親親みたいに何というかなみんなをあの経済的に裕福でね
1億総中流でみんながそれなりに経済的に豊かだったという時代じゃもうなくなってるんで親もそんなに稼ぎがないんでね
夫婦が共働きになってあのいうほどねそのお母さんがずっと家にいて子供のことを何もかもできるっていう家じゃなくなってきてるこれからの世代はね変わってくるかもしれませんが
ただえっとまあ割と最近までですねちゃんとお母さんが専業主婦で家にいてくれるようなうちの場合は女の子もあのしっかり勉強しなさいっていうことでねお家のことは全部やってあげるからって言ってお母さんが全部やってあげてるという風になってるはずですで例えば私のあの同世代の友達とかね見てるとみんなね自分が親にやってもらったことをねやっぱりやってあげてるんですよね
もちろんだから全部ご飯は朝もね晩も作ってあげた上にまあまあ大きくなっている子供のお弁当もちゃんとお母さんが作ってあげて子供にはねもう至り尽くせりであの昔の言い方ですけれども橋より重たいものは持たせないみたいなね
ことをねやっぱりしてる人すごくね多いと思うんですよねこれがねあのだからあのいいことなんですよ女性は女性で男性と全く同じようにえっとだから教育の機会はあの男性と同じだけの権利を得られるようになってるんですよね女だからと言ってあもう女の子だっていう時点でね
もうどんなに頭がいい子でももうお前はもうどうせ嫁に行くんだからって言っても勉強させなくていいとかねうんなんなら頭悪い方があのと継ぎ先で苦労しなくて済むみたいなまあそういうとんでもないことではなくてねあのお前も優秀だからちゃんと頑張って勉強して国立大学目指せみたいなねそういう時代にどんどんなっていったので女性にもあのそういうちゃんとこの教育の機会が与えられたということでは一見ねとてもいいことのように見えるじゃないですか
でもね私はこれもね実際どうだったのかなっていうふうに思っててうんだからあの結局ねだからその勉強だけさせるためにねあのいろんなその生活の生活能力をねあのちゃんとあの鍛えてこなかったっていうねでもそれもやはりね専業処分のお母さんがじゃあ悪いかっていうと彼らは彼らでてねもうやることがまあ
だから家族の世話をするぐらいしか自分にはやることがないわけですよちょっと非常にねあの語弊がある言い方してるんですけれどもとなるとねやはりあの全部やってあげたくなるしで自分がやはりあの頑張る母として妻として頑張ることによって夫やね子供たちのその例えば夫であれば会社でねって子供たちは学業でねあのいいあの業績とかね結果を出してくれれば
もうそれそれにそれはだからもうそれこそが自分の果たした自分が頑張ったおかげでね子供子供や夫もそれが反映されて活躍できてるんだっていうふうに思えるじゃないですかそれはねすごく多くの専業処分とってそこがモチベーションになってたと思うんですよねもう何でも私がやってあげるとねその代わりあなたたちはもう仕事に専念しなさいとかね勉強に専念して頑張んなさいっていうことによって
8だからその夫や子供を応援しているという面と実は自分自身がそこにある種その自分自身の存在意義を見出していたというかねでそれでも感謝されたいしねあの私のおかげでしょっていうのがねやっぱどっかにあってそういうことをしてたんじゃないかなって思うんですよね
で結局ねだからまあ今問題になっているのが男性たちが非常に生活能力がないわけじゃないですか男は結局家のことなんかしなくていいから勉強がとにかくできて優秀な大学に行けてで優秀大学行ったおかげで社会的地位が高い職業についてくれたらそれが一番男としてあのいい人生になるなるっていうねそういう考え方でずっとだからもう何も家のことしなくてね奥さんお金子供の時はお母さんが全部やってあげて
で結婚してから奥さんが全部面倒見てくれて何にもできないっていう男の人があるひとつで奥さんが先に死んじゃったりとかして家のことが何にもできないっていうのでもうあのうつになったりねもうあのなんていうかその後はあのボケ早くボケちゃったりねいろいろそういう問題とかもあると思うんですよねやはりだからあの今今となればでだからそういう家事家事の能力っていうのは男女問わずあと年齢も問わず
みんながねやはりできなきゃいけないという認識に今は変わってきてると思うんですけれどまあそれはね割と最近なんじゃないかなって思うんですよねこれは性別じゃない誰かがやってくれたら自分やらなくていいっていうことではなくてみんなが等しくやはり家事っていうのはできた方がいいしあともちろん育児もそうですね子供の成長を見守るのはお母さんだけがになうっていうのはやっぱおかしいですよ
それはねあの家族間の親密さ親密度合いがもう異常に父親はなんとなくあの存在存在として遠い存在でお母さんと子供だけが異常にあの親密で近いっていうのはねやはりそういった今のマザコンを大量に産んだのもこの各家族と専業主婦のお母さんと子供の関係性が大きな原因になっているし
なおかつ子供たちに一切家事をやらせないっていうね母親とか妻が一切のねこういった家事能力を養ってこなかったっていうね弊害はねめちゃくちゃ大きいと思うんですよね
でそれというのもやはりあのこういう能力が実は高かったかもしれない多くの女性たちに社会で活躍したり彼女たち自身が何かその仕事を通してとかね人生全体を通してあの自分たちのその自己実現とかあのキャリアの形成とかっていう機会を奪われたその結果であるっていうこともねあるんじゃないかというふうに私は思うので非常にねあの議論を呼ぶ
あの考えっていうかねあの意見だとは思うんですけれどもまあでもそういう側面はね否めないかなと思ってお話ししましたはいというわけでね今日はここまでにしてまたこれもまたちょっとあの細々と続けていこうと思いますので今日はこれで終わりますご機嫌よう
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