家事と男女の役割
お聞きの皆さま、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。噛みました。
家事の続きですね。結局、各家族と男女の性役割をあまりにも明確に分けすぎたためにですね、多くの女性たちが気が狂っていったということはね、これはね、私は社会学者じゃもちろんありません。
だから、私が語るべきことじゃないことは十分に分かってはいるんですけれども、これは絶対に間違ってないと思います。
これはね、実際アメリカでも全く同じことが起こっているから、間違いがないんですね。アメリカで起こったことは必ず日本で起こるんですよ。
やはりね、はっきり明言化されていませんけれど、結局はね、戦後はアメリカのね、植民地のような立場にいる国なのでね、アメリカの影響というのは必ず受けているんです。
みんなあまりにも自覚がないんですけれど、アメリカで起こっていることっていずれ自分の身に起こると思って、常にね、やはりアメリカには注目しておいた方がいいんですよね。
トランプを英雄死するとかいう意味でアメリカに関心を持つということじゃなくてね、もっと広く客観的に、俯瞰的にアメリカという国をウォッチしておくことがね、ある程度の近未来を予測する目安になると思うんですよね。
だからアメリカで起こったことは、昔はね、私が若かった頃はなんとなく20年後ぐらいに起こるなっていう体感でしたが、今はね、やはり世の中がこういうね、インターネットとかでもとにかくスピードが速いので、5年とかぐらいのサイクルでなんかアメリカで起こったことが日本に来るっていう感じがします。
例えば、ミートゥーね。女性が男性に酷い目に合わされてきたっていうことをね、私もだっていうね、ミートゥー運動なんですけど、これはアメリカではね、コロナの前、2017年頃に起こったんですが、日本では今起こりましたよね。
だから5年よりももっと空いてるか。だから10年でも、10年は経たないですね。だから10年未満、5年から10年ぐらいでね、必ず起こるんですよ。
話を戻すと、アメリカはアメリカで郊外に家を持ってね、男性が車通勤して、ニューヨークとかね、ロサンゼルスやサンフランシスコや都会で働くっていうね、そういうライフスタイルが中3階級以上のある程度裕福な家庭の、これがね、いいモデルといい暮らしの基準みたいになってたんですよね。
で、お父さん、男性は都会に仕事に行って、朝から晩まで働いて、郊外に残された奥さんが子供たちの世話をして、家のこと全部やってっていうね、完全に男女が役割を分業でやっていた時代があったんですよ。
これがね、だからちょうど1945年に第二次世界大戦が終わりますよね。で、この後しばらくして、1950年から1960年代のアメリカがこういう形で一生懸命再生というかね、経済を立て直していった時代なんですよね。
だから全く日本と同じなんですよね。この頃のことをすごく酷命に描いている大ヒットしたアメリカのドラマがありましたね。あのマッドメンっていうね、すごい面白いドラマがあって、これはね、広告代理店で働く男がですね、郊外に美人の奥さんがいてね、子供がいるんですけれども、
仕事で、広告代理店でね、仕事してると言いながら愛人がいたり、いろいろドラッグやったりとかね、めちゃくちゃな広告マンを描いている面白いドラマがあって、ただね、これが本当に日本でね、家族でお父さんがもう1日中会社に働いていて、奥さんがずっと家で子供の面倒を見てるっていうのとそっくりなんですよね、状況がね。
で、ここでそのマッドメンでもそうなんですけれど、どんどんね、奥さんがだんだん狂っていくんですよね。家庭が崩壊していくっていう話なんですけれど、これはね、実際に現実に多くの家庭で起こったことをね、ドラマに描いてるんですよね。
やはりね、女性が行き場を失ってしまってね、ひたすら家庭で閉じこもってね、社会からも、地域社会とだけ繋がってるんですよ。隣のご近所のママたちとだけコミュニティーがあってね、自分たちは何も社会貢献も、自分たちが高い教育を受けた人もたくさんいるわけですよ。
アメリカもね、ちゃんとした教育機会を得て、大学とかでちゃんと行ったような優秀な女性たちももうみんなすべからく、みんながですね、普通に専業主婦になってね、家庭に閉じ込められてたっていうね、社会的背景があって、多くの女性たちが狂っていくっていう時代があって、そういったことが徐々にウーマンズリブーム運動ね、1960年代後期から1970年代の
ウーマンズリブームにつながっていくっていうね、背景があるんですよね。日本の場合はね、前々回にお話したように、日本の場合はですね、ただこういう大きな激しいね、ムーブメントにならなかったんですよね。
そういうのが、やはり専業主婦っていうのはとにかくとても優遇されていたっていうことがあって、何も男女が平等の機会を得て、男並みに女が社会進出して、男と同じようにね、働いたりとか権利を主張したりとかっていうことをするとね、かえっていろいろ損するっていうことがあったんで、
アメリカのような社会運動が起こらなかったっていうことだけが違うところで、やはり戦後、女性がまた家庭の中に押し込められて、家のことだけやってた時期があって、女性たちがやはり気がおかしくなっていったっていうところまではね、全く同じなんですよね。
教育と社会的視点
でもね、いつも私は思うんですけど、アメリカと日本って非常によく似てるというか、全く似てないんですけれども、アメリカで起こったことが日本でも起こるっていうのがある一方で、アメリカはね、なんかわかりやすいとか平面的な国だなっていつも思うんですよね。
だからいいことも悪いことも全部テーブルの上に乗っかってるなっていうね、だから一方で非常に明るくて、ここは平等でね、すべての人にチャンスがある国だよっていうね、アメリカンドリームの国である一方で、やはり差別と暴力とね、そういったものが隣り合わせであって、でもね、そのいいことと悪いことが全部同じテーブルの上に乗ってる、わかりやすい国だなっていつも思うんですよね。
一方の日本っていうのは、表向きはね、非常に綺麗に整ったね、テーブルがちゃんと綺麗に整ってセッティングされてね、綺麗な食器とかね、グラスが並べられてて美味しそうな料理が並んでいるっていうふうに見えてるんですけど、実はテーブルの下にいろいろね、悪いものが隠されているみたいな、そういう国だなっていつも思うんですよね。
だから、どっちがいい悪いってわけじゃないんですけれども、アメリカの場合はね、だからとても問題が顕在化しているので、多分ね、わかりやすいんですよ。だからもう差別、今でもなくなってませんよね。
相変わらず、どこかの地域で暴動が起こったりとかね、なんか白人の警官が黒人の何も悪いことをしてない人を打ち殺してしまったっていうことで、大きな市民運動っていうかね、デモが起こったりとかっていうことがパーッと激しい形で出たりする一方で、日本なんていうのは一見あたかもね、何も差別も目立った暴力もないように見えて、
それは私も含めてね、心の内側にやはり差別とかね、ちょっと話それるんですけど、差別ってね、全員持ってると思いますよ。
人間っていうのはね、結局主観でしか実は生きられないんで、自分を、自分軸でしか基本的にはものを考えられないんで、自分がこれが正しいと思ってたり、これが間違ってると思ってて、それをね、例えば違うAちゃんと喋ってたら、
いや私は、こっちが私が正しいと思っていることを間違っているって思っている人もいるわけですよ。だけど、そしたら私から見たらAちゃんは何か言っていることがおかしいって思うわけですよね。
でも、Aちゃんから見たら私がおかしいと思うわけですよ。だから、立場を変えたり視点を変えたらまるで違う景色、違うものの見え方になるはずなんですけれど、人間っていうのはね、やっぱりそこまでやはり広く深く物事を見れない。
あくまでも自分の立場とか、自分の育ってきた環境とかによる価値観でしかものを基本的には見れないんで、自分が正しくてAちゃんが間違っているというふうにみんながみんな思うのが、私はね、それがデフォルトだと思うんです。
で、教養とか、勉強をしたりっていうことがなんで大切かっていうと、そのためだと思うんですよね。それをなくすため。だから、視点を変えたら、Aちゃんはこう思っているよと、あなたが正しいと思っていることをAちゃんから見たら間違っているようになるよ。逆にAちゃんが間違っていると思っていることは、あなたから見たら正しかったりとかっていうふうに。
要するに視点を変えればまるで違うんだよということを学ぶために教養っていうのはあるんですよ。教養っていうのはね、人よりもいい格好をしたり、私の方がこんだけたくさん本を読んでいるぞとか、私の方がこれだけいろんなことを知っているぞとかね、マウントを取るためだと勘違いしている人がいるんですけれど、違いますから。
教養っていうのはそういうふうに、人間っていうのはもう生まれたままの状態の場合は非常に浅はかで、非常に差別的で、非常に暴力的な野蛮な存在だと思うんですよ。
だから教育が必要なんだと思いますね。教育とか教養を得ることによって立場が違う人の気持ちが分かったりとか、例えば日本ではこれが普通だとされていることが、違う国に行ったら全く違うんだっていうね。他の国には他の国の流儀や価値観や信じているものとか、信仰も違うし、いろんなものが違うんだということを学ぶために教養っていうのはあると思うんですよね。
だからやはりね、例えば今も本を読んだりとか映画を見たりとかっていうことをしない人が多いのかもしれませんけど、一番自分じゃない人に感情移入したりとか、いろいろ学んだりとかする、一番手っ取り早い方法っていうのはやっぱり映画を見たり本を読んだりすることだなって私は思います。
話を戻すと、とにかくアメリカの場合はやはり社会的な問題というのが顕在化しているために、やはり世の中が変化していったりすることのスピード感が早いんですよね。
日本とアメリカの家族構造の比較
だからさっき言ったようにものすごく男尊女卑があったり、女性が非常に機械を喪失していて、やはり狂っていく女性が多かった。だからあの頃、全く今の日本と同じですよ。やはり女性が家庭に閉じ込められすぎていたために非常にたくさんの子どもに対して非常に愛情過多になったり干渉しすぎたりとかということで、たくさんのマザコンを産んだりね。
例えば私が大好きなヒッチコックのサイコという映画がありました。あれは実際に起こった事件をモチーフにした映画だったんですけれど、ああいうふうにマザコン男が変態になり大量殺人をしていたっていう話だったんですけれど、それは極端にしてもですね、ああいうふうに異常な母親に母と子どもの関係があまりにも密になりすぎたために
まともな人間関係とか、まともな恋愛とか、女性との関係を築くことができない男性がたくさん出てですね、異常者がいっぱい出たという背景なんかも日本と一緒ですよね。
だからやはり各家族及び女性があまりにも家族に異常に関心を持っていると、ろくなことがないっていうのは全く一緒で、だけどそういったいろんな過程を踏みつつアメリカは今の状態になったんですよね。またこれが振り戻しで、今度またちょっと保守になっていくんでね。
だからいつもこうやって揺れ動いてるんですけれどね、今もね。でも今言ったように、とても保守的なところから命がけで馬吊り運動みたいなことをして女性の権利を勝ち取ってですね、でも今度はですね、女性がそういうふうに強くなりすぎたことによって男女関係がうまくいかない時代も経てるんですよね。
欧米の場合はね。やはり女性があまりにも強くなったことによって今度は男性が自信喪失するっていう、そういうことも経て、そして今はどっちかが強くなりすぎてはいけないっていうね。男も女も同じ人間だと。同じように家事も大事だし、でも同じように仕事も大事だよねっていうね。
だから男女で性役割を設けない。女がどうなのか男がどうなのかということより、それぞれの人間なんだって言うね。好、おもんじ、ダイバーシティ、そういったものが大事なんだっていうふうにだんだん成熟していっているっていうのは、いろんなだから右行ったり左行ったりして振り子が激しく振った末にね、今のようなところに落ち着いている。
落ち着いてきているっていうのがあるんですよね。でも日本はそこにまだ全然及んでないと思います。日本の場合は、そういう社会的な意識よりも先に経済が悪くなったために、女性たちの意識がどんどん高くなってね。
やはり女も男と同じような機会と権利を持つべきだっていうね、そういう社会的な投資みたいなものよりも経済が悪くなっていったことによって、女も働かないと夫だけの収入で食べられなくなったんで、女性も働かなければいけなくなって、
結果、共働きが当たり前になり、お互いが協力し合って子育ても家事も分担しなきゃっていうふうに変わっていったんですよね。だから日本の場合は意識よりも先に経済がダメになったためにこういったことが起こったんですけど、結果往来というと乱暴な言い方に聞こえるかもしれませんけど、
こういうね、いつも私は歴史を見てて思うのは、例えば戦争っていうのは、いろんな点で本当は起こっちゃいけないことだし、非人道的だし、絶対ない方がいいに決まっていることなんですよね。
とは言っても、あの戦争があったから女性が解放されたっていう一面があるんですよね。戦争で男たちがみんな戦場に行って、社会が男性不在になったんで、女がその国を守らなければいけない、今まで男がやっていた職業を女たちが代わりに担わなければいけなくなったことによって、
女性の自立、女性も仕事をしたい、仕事をするべきだっていうね、そういった流れに結びついていくんですよ。だからこの戦争がなければ、さらに女性の自立とか精神的な成熟っていうのは、もっと遅れていた可能性が高いんですよね。
例えば日本におけるこのデフレとか不景気とかっていうのも、夫婦しかないように思いながらもね、やはり意識が変わっていくきっかけにはなっているんですよね。
経済が悪くなったために、今までの私たちの親の世代が作ってきたような封建的な過不調制度のようなシステムは成り立たなくなって、新たなスタイルを作らざるを得なくなったという点では、これは変化っていうことにおいてはね、やはりひと役買ってるんですよね。
だから一般的には良くないこと、経済が悪いより良い方が良いに決まってますが、でもじゃあ私はね、80年代とかのきらびやかだったあの時代が良かったかって言って全然良いと思わないんで。
それが証拠にね、あの頃、輝かしい素晴らしいと思われたことって、今全部ダメになってるじゃないですか。ああいうウェイウェイとか、女子は接待要因だったりとか、家庭に押し込められた奥さんとマザコンの子供とかね、そういった問題を全部は生み出したのは、やはりああいう時代の産物ですよ。
だからそういったものをすべてね、やっぱり終わらせる意味でね、あの時々あの歴史っていうのは荒漁師が必要なんじゃないかなと思ったりします。戦争はもちろん絶対に怒らない方が良いに決まってますし、私はいつもあの世界平和をもちろん一番に祈ってますよ。
だけど事実、戦争があったためにね、あの発展している部分もあるっていうことはね、やはり事実としてある。そしてこの経済が悪くなったために、やはり男女平等に近づきつつあるっていうことも、これもまた事実なんじゃないかなと思ったりします。
経済と男女平等の関係
はい、なんか今日はね、そういうなんかアメリカとの比較論みたいなところで終わってしまいましたけれども、また次回に続きを話します。はい、ごきげんよう。