リフォームプランナーの風邪事情
お聴きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。この声を聞くとわかると思いますが、またしてもですね、私は毎年3月か4月、そして10月か11月に結構ひどめの風邪をひき、風邪から腹鼻空炎になるというね、毎年これを年に2回ほど繰り返していて、今年も京都で楽しく過ごしていたんですけれども、
大阪に帰ってくるなり、やはりちょっと気が緩むんですかね、発病しまして、今回はかなり扁桃腺が腫れ上がって、喉がすごく痛くなる風邪をひきまして、そこから鼻風になり、おそらくこれから腹鼻空炎になるのかなという感じになっています。
まだ今大阪なんですけれども、京都で楽しく左翼ライフを過ごしているんですけれども、左翼ライフというのは、京都は何度か言っているんですけれど、非常に私から見るとですね、左翼的な街だというふうに常日頃思っているんですよね。
これは根拠が大いにありまして、京都というのは非常に狭いんですね。大阪も狭いんですけれど、さらに京都というのは市街地というんですかね、セントラルシティというか市内というものが非常に狭いんですが、この狭いところにぎゅうぎゅう詰めに大学がたくさんあるところなんですよね。
しかもですね、大学が京都大学を筆頭に、いい大学ね、同志社とか、いい大学がいっぱいあるんですよね。
必然的に学生が多い街なので、当然60年代70年代の安保の時代にはですね、学生紛争とかが竹縄だった場所でもあり、その伝統からかね、やはりとてもリベラルで、左寄りな空気がすごく色濃く漂っているんですよね。
今私はね、この友達のマドモアゼルのお家に滞在させてもらってるんですが、マドモアゼルのお家はね、左京区なんですよね。だから左の京都のね、左京区なんで、もうね、まさにあのレフトウィングな暮らしを日々送っているんですよね。
で、このレフトウィングに会うかのようにね、仕事している以外は、何度もご紹介しております、ワンバトルアフターアナザーっていうね、素晴らしい映画を筆頭に、非常にリベラルな、左寄りな映画をたくさん見たり、あとね、先日は音ボケビーバーっていうね、女性4人組のパンクグループのライブにも行ってまいりました。
これはね、コジマックスさんがね、ご自分の配信でもめちゃめちゃ良かったっていう配信をね、わざわざライブでやっておられたんで、よほど良いんだろうと思って。
京都の、これはね、たぶん50年ぐらいになる歴史的なライブハウス、タクタクっていうね、ライブハウスがあってね、ここでライブがあってね、これも先日行ってきて非常に良かったですね。
かなり激しい音楽なんですけれども、若いね、まだ20代の女性たちで、リードボーカルの女性が京都出身、それ以外の方たちも大阪と、あとシガっていうね、関西圏の人たちがやってるバンドなんですよね。
とても良くて、大阪でもね、ライブがあったんで、こちらもね、行こうと思っていたら、今回ひでぇ風邪をひいたんで、ちょっとこれ、あいにく行けなかったんですけどね、ちょっとそれは残念だったんですが、彼女たちがすごいっていうことをよくわかったのと、彼女たちがね、そのライブの時に言っていたのが、今、いろんな世界的要人が日本に今現在いっぱい来てますね。
で、その彼女がね、あっこりんりんさんかね、ギターのヨヨヨシエさんかどちらかが、リアムから直接電話が入って、オアシスの前座をやってくれないかっていうオファーがあったっていうことを言ってたんですよね。
すげーなーと思ってね。だから、正直にオアシスはね、若干世代がずれてるんですよね。だからね、そんなに不運という感じなんですけれども、すごいバンドだということはもちろん認識してます。今、オアシス日本に来てますよね。
なので、それの前座をね、このビーバーたちがやってるっていうんでね、そこも非常にいいライブで検討してほしいなと思って、何かいい続報が入ってこないかと思って聞き耳を立ててるんですけれど、このSNSを見てる限りもオアシスのいかにすごかったかっていう、もう一色になってますよね。
そんなこんなで、京都の左翼ライフを楽しんでるっていう話からね、今日は何を話そうかと思ったかというと、今、とにかくオアシスが日本に来ている。そして、ドナルド・トランプも今日来ましたね。天皇陛下に会ったりとかっていう風にしていると。
そして、もう一人ね、有名な要人が日本に来てるんですよね。ジョニーデップが東京コミコンに来ているということで、撮影&握手会っていうのがあるらしいんですよね。
他のジョニーデップ様と握手する、あるいは一緒に写真を撮ってもらえるというね、この握手券&撮影券、これ両方なのかそれぞれなのかちょっとそこまで見てないんですけれど、なんといくらだと思いますか。
7万5000円なんですよね。これが安いのか高いのかもちょっと私には判断がつかないんですが、私のね、今回スタンドFMサンクスフェスに出演させていただくんですが、そのチケット代が500円ということを考えるとね、なんか7万5000円、ジョニーデップと撮影と握手してもらえるんだったらもっと高くてもいいのかな。
高すぎるのかな。ちょっとね、そこがよくわからないんですけれども、まあとにかくね、東京コミコンに来ておられるんですよね。
ジョニーデップとトム・クルーズの比較
で、そこからね、ちょっと以前からね、ちょっとこのテーマは話してみたいなと思っていたテーマがあって、ちょっとその話をしようと思います。
それというのはですね、えっと、才能と努力。これはね、どっちがどうなんだという話をね、一回してみたいなっていうのがあったんですよね。
で、これでね、ちょうどジョニーデップが東京来てるんだ。あーと思って、ジョニーデップを例に話をしたいと思うんですよね。
で、ジョニーデップともう一人ね、比較対象としてトム・クルーズを挙げたいと思います。この2人はですね、歳があまり変わらないというか、トムが1962年生まれ、ジョニーデップが63年生まれなので、1歳違いではあるんですが、
私が青春期に追っかけてきたスターの筆頭の2人なんですよね。で、歳もほとんど一緒で、なのでね、比較するのにちょうどいい2人なんですよね。
で、まず、先にブレイクするのはトム・クルーズです。で、トム・クルーズはですね、最初のうちは、いろんな青春映画で不良のグループの一人とかね、そういう脇役からスタートしていき、
で、最初にね、評価されたのが卒業博書っていうね、リスキービジネスっていうね、すごいね、これなんていう風に表現したらいいのかな、ブラックユーモアっていうのか、とにかくちょっと変わったカルトムービーがあるんですね。
で、トム・クルーズはアメリカではね、めちゃくちゃ人気があって、多分ね、トムの代表作といえば、皆さんがパッと想像するのはやはりトップガンとかね、ミッション・インポッシブルだと思うんですけれども、絶対ね、この卒業博書は出てきます。
オーバーサイズのワイシャツにソックスを履いてサングラスをかけるっていうね、こういうシーンが出てくるんですけれど、これのコスプレをする人がね、必ずね、あのハロウィンのね、仮装パーティーとかね、なんかのダンスパーティーとかあると必ずね、トム・クルーズのこの時のリスキービジネスでのこの格好をする人が必ずいるっていうぐらいね、非常に有名な映画で、これでね、一役脚光浴びるんですよね。
だから、一、なんていうのかな、この当時ね、トム・クルーズが出てきた時代っていうのは、バーっとね、ブラッドパックって呼ばれる若手の青春映画にね、たくさん結構イケメンのね、俳優がいっぱい出てきたんですよね。
で、そのうちの、ワン・ノブ・ゼムだったんですよね、トムもね。で、そこでなんか、かもなく、不かもなく、あのー、なんかまぁイケメンだけれども、別に取り立ててね、あのー、めちゃくちゃ目立つっていうほどでもない人だったんですが、このリスキービジネスっていうね、卒業博書に出たことによって、親っていうね、あの映画ファンの中から、まぁ彼に注目する人が出てくるわけですよ。
で、こっからですね、まぁいくつか出た後、いよいよトップガンが出てくるんです。で、トップガンは私はもう大嫌いな映画で、まぁ全く注目してなかったんですが、まぁこれで一役、時のスターになり、日本でもあの大変人気のある人になるわけですよね。
で、トム・クルーズ、当時私は、えーと、とにかくね、全然好みのタイプじゃなかったんですよ。もうピカって、ニカって笑うと真っ白な歯で、で、とにかく爽やかで、なんかね、一点の曇りもない人なんですよね。で、こっからトップガン、ハスラー2とかね、カクテルとかね、レインマンとか、いろんな映画に出ていくんですけども、すっげー爽やかで、でまぁ、あのとにかく日本でも大人気になる大スターの一人だったんですよね。
で、私はあんまり興味がなかった。で、一方のジョニー・デップはどうかというと、えーとね、全くちょっとタイプが違うキャリアなんですよね。でね、ジョニー・デップの方はですね、えーと、この人もすごいイケメンで、で、アイドルとして出てくるんですけれども、最初ね、テレビドラマの21st Jump Streetっていうね、テレビドラマからブレイクするんですけれども、
ここから、えーと、普通のアイドルの道を行かずに、映画俳優になっていくんですよね。で、一番最初はね、エルム街の悪夢で、ま、殺されるティーネイジャーの一人を演じたりしてたんですけれども、徐々にね、あの、プラトゥーンとかね、そういった大作の脇役とかにチラチラ出て、でね、最初にあの注目を浴びたのが、クライベイビーっていう映画なんですよね。
クライベイビーは、あの、すごいね、変わった映画ばっかり撮る、あの、ジョン・ウォーターズ監督っていうね、映画通の間で、あの、非常に人気がある監督の作品に出るんですよね。で、これとね、ほぼ時を同じくして、ま、私がね、最も、あの、ジョニー・デップの映画で好きな映画、シザー・ハンズ、エドワード・シザー・ハンズっていうのがね、本題です。
えー、これに出るんですよ。で、これは、カノ・ティム・バートン監督ですね。ティム・バートンのことは、えーと、映画ファンじゃなくても、結構皆さんご存知なんじゃないでしょうかね。えー、毎年毎年いろんな映画撮ってますね。あの、チャーリーとチョコレート工場とかね、えーと、アリス・イン・ワンダーランドとか、もうそんなのちょっと古くなってきたんですかね。
まあ、とにかくたくさんたくさん映画を撮っている、これがね、最初の作品だったと記憶しています。で、まあ、こういうふうにね、クライ・ベイビーにしても、えー、エドワード・シザー・ハンズにしてもですね、えーと、こういうね、シネフィルっていうんですかね、あの、とても映画通に好かれる、あの、アート系の映画を撮る監督から愛される俳優になるんですよね。あの、ジョニー・デップはね。
だから、この、ティム・バートンとか、ジョン・ウォーターズ、で、その後はですね、もう、あの、キラボシのごとしですよ。えーと、それこそ、えー、私がもう一人大好きなジム・ジャームッシュ監督と撮った、デッドマンとかね、えー、あとなんだっけ、もういろいろですね。もう一つ大好きな映画が、ギルバート・グレイプっていう映画があります。
才能と努力のテーマ
これはね、えーと、あの、それこそ、今、私がキャッキャッキャッキャ言ってる、ワンバトルアフターアナザー?え、ワン、え、あー、まあいいや、それの、あの、デカプー、ね、デカプリオが、まだ若かりし日に共演してね、すごくいい映画だったんですが、えー、あとなんだっけな、えーとね、えーと、ロマン・ポランスキー監督って私が、まあ、むーわーい好きな、どーわーい好きな、えーとね、サスペンスとかホラーばっかり撮ってる、
映画監督ね、ユダヤ系の、えー、この人のナイスゲートっていう映画にも出てますね。あとなんだろうな、まあ、とにかくね、こういうちょっと、あの、あの、なんていうかな、あの、うん、あの、芸術系の映画監督に非常に愛されて、えーと、そういうニッチな、あの、単館上映するようなね、あの、決して、あの、なんかこう、ビッグバジェットの映画ではないんですけれども、歴史に残るような名作に出続けてたんですよ。
だから私はね、大抵映画っていうのは監督で選ぶっていうタイプだったんですが、ジョニーデップが出てたら、まあ間違いないだろうということで、あの、ジョニーが出てたら見に行くっていう時期がありましたね。そうすると、もう必ず傑作だっていう時期がありました。
はい、で、えーとね、そんなある日ですね、あの、あれですよ、パイレーツ・オブ・カリビアンっていう映画とジョニーデップが巡り合って、で、これが、もう一役大当たりして、このジャック・スパロー船長ね、の、あの、海賊の、あの、ジャック・スパロー役が当たり役になって、いよいよですね、こういうあの映画のシネフィルの、ね、だから、あの、映画オタクの、には知られたジョニーデップっていうところからですね、
世界的な、もう映画を見ない人にとっても有名人になったんですよね。で、私はね、これパイレーツ・オブ・カリビアンはこの1だけ見てます。で、まあ、まあ、かもなく、不可もなく、別にまあ楽しく見れる、あの、まあ、娯楽映画だなという程度の感想でした。
だから、別にこの、あの、私たちが愛したシネフィルのジョニーが、別にメジャー映画の俳優になったってことで、何ら批判もしていないし、むしろ当たり役ができて良かったなと思うぐらい、あの、全然これはね、祝福していたんですよ。
ところがですね、この映画に当たって、もういくつもいくつもこのパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズっていくつもいくつも続いていきますよね。で、これと合わせて、もう彼に、えーと、ティム・バートン監督とはもうずっとこれはもう2人はもう、なんかこう2人で1つみたいな関係性になってですね、ずっとティム・バートンの映画と、このパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロー役をね、もうずっとやってるみたいな、あの時期がずっと続いていくわけですよ。
で、そういうことをしている間に、えーとね、今度ね、すいません、ずっとジョニー・デップの話ばっかりしましたけれど、一方のね、トムが何をしていたかっていうとですね、トム・クルーズは、あの先ほどのね、トップガン・カクテル、で、この辺りからね、あの、もうとにかく大スターになるわけですよね。
で、この後ね、ハスラー2っていう映画で、これハスラーって有名な映画があって、ポール・ニューマンが主演している有名な映画があって、それのパート2っていうことで、えーと、まあ、あの年を取った、年を取ったっていうかね、まあ、壮年期のポール・ニューマンと若いトム・クルーズが共演した、比較的有名な映画がありました。
で、これとレインマンっていうのは、これは、あの、ダスティン・ホフマンと共演した映画なんですよね。で、この辺りで、まあ、名優ね、あの、非常に、あの、トム・クルーズから見て、大先輩である、あの、名優とされるポール・ニューマンやダスティン・ホフマンとの共演が、まあ、あの、多分、なんて言うんでしょうね、あの、触発されてですね、ここから演技派になろうと開眼する時期が来るわけです。
で、ここからですね、7月4日に生まれてっていうね、これはね、えーと、プラトゥーンっていうね、ベトナム戦争をね、描いた有名な、日本でも大ヒットした映画があって、これを撮ったオリバー・ストーン監督っていうね、あの、まあ、ちょっといろいろ物議を醸す映画監督がいるんですが、この人のね、あの、監督作品で、えーと、まあ、7月4日に生まれてっていうのに出て、まあ、ここでね、あの、戦争に行って、半身不遂になり、車椅子に乗り込まれ、
車椅子にね、あの、車椅子生活になる主人公を熱演した映画がありました。で、これはね、あの、確かアカデミー主演大優勝にノミネートされたんですけれど、まあ、撮れてないんですよね。で、ここからがね、すごいなって私は思っていて、この後もね、ちょこちょこ、えー、娯楽作品と、あと、やはりね、ちょっとアカデミー少年ライっぽい社会派映画とかっていうのを交互に、あの、まあ、出続けるんですね、トムはね。
で、えーとね、あとね、ここで特筆すべきは、インタビューウィズバンパイアーっていうね、えー、この映画はですね、これも、えーと、ニール・ジョーダン監督っていうね、あの、アイルランド出身の、あの、映画監督のね、作品でて、これもね、トム・クルーズのフィルモグラフィーの中ではね、ちょっと特筆すべき、ちょっとゴシックロマンみたいなね、映画で、ちょっと美青年ぶりを発揮している映画なんですよね。
で、まあ、こんなのに出たりとか、もろもろしてるんですけれど、トムがね、結局アカデミー賞を取りたいなーと思ってたのが、このね、5、6年の間なんですよ。
でね、ここでね、もうバチッとね、あ、もう無理なんだなと、どっかで割り切ったんですよね、トムはね。もう自分を、あの、アカデミー賞は真面目に取り合ってくれないってことにね、たぶん気づいて、そっからのミッション・インポッシブルなんですよね。
確かね、この辺りで、もう自分で映画の制作も兼ねるようになるんですよね。
映画制作への転身
えー、つまり、えーとね、この辺はね、あの、トム・クルーズ、私ももう本当に、あの、ウィキピディアとかね、ネット情報だけで喋ってるんで、もっともっと詳しい人いくらでもいるんでね、間違っていたらごめんなさい。
うん、ただ、えーと、トムがですね、自分でもう、あの、なんてか、アクション映画とかやろうと思っても、ここまでスターになると、すべてに、あの、危険なことはやらせられなくなるんですよ。
もし、主演俳優が、け、けがでもしたら、大変な賠償が、あの、かかってくるんでね、あの、大変なことになるので、危険なことは一切やらせられないっていう風になるんですよ。
で、そういうのが嫌で、トムはね、やはり自分が、体張って映画撮りたいっていうこだわりがあって、いよいよね、自分で制作会社を立ち上げて、自分の映画は自分で制作も、主演も、えー、何もかもやるっていう風になっていくんですよね。
で、自分の撮りたい映画を、自分の納得がいくスタッフで撮るっていう風にね、だんだんトムは自分で映画も作るようになっていくっていうね。
だから映画スターであると同時に、あの、映画を作る人にもなっていくっていうね、いう風に変わっていきます。
はい、なんかね、ここまででもう20分経ちましたので、続きまたすぐに上げますので、えーと、続きもまたお聞きください。
はい、あ、それとね、終わる前に、えーと、実はですね、えーと、私がスタイフに、スタイフのサンクスフェスに出るっていうことでですね、
ありがたいことに、おあさんとみみこさんが、何やら、応援の配信をあげていただいて、本当に本当に感謝しきりでございます。
もう本当に嬉しくて涙が出ました。
はい、でね、みみこさんが親切にも曲をね、あの、あげていただいたんで、しばらくね、このフェスの間はね、これをちょっとBGMに使わせていただくことにしましたので、
あの、ぜひ、あの、この曲をね、聴きながら、私の配信を聴いてください。
はい、というわけでね、あの、この、ジョニーデップ、トム・クルーズ、えーと、何、その才能と努力のテーマで何を語るんだというのは、続きまたすぐに上げますので、
はい、それではごきげんよう。