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2024-07-07 19:46

源氏物語の中で、どの女性がお好きですか? #124

源氏物語は、なぜ時代も国籍も書式も超越して、読まれているのかについて、お話します。

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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日も、はるき先生のトンジョクエッションですね。こちらの内容に、勝手に便乗した配信をしようと思います。
昨日は勝手にテーマを変えて、のび太が50年後の今、どう受け入れられるかという、光源氏に文字ってテーマを勝手に作って配信したんですけれども、
この時点では、まだ、はるき先生とスタイフの人気パーソナリティの市場生産の対談を聞く前に収録していたんですよね。
その後、はるき先生のリカレント教育のチャンネルで市場生産との対談を聞いた後なので、私ももういいかなと思って、源氏物語のテーマでお話をしたいなと思います。
別にトンジョクエッションに答える形にはならないかもしれないんですけれど、私が光源氏についてどう思うかという話になります。
光源氏は、私はもちろん古文とか、そういうのは全然得意じゃなかったんですよね。
なので一応やったんですけれど、全く身につかなくて、古文は鉛筆を転がしてましたね。
全然ちゃんと身に入ってなかったんですけれど、私はね、現代訳はえんちふみこさんってお読みしてよかったのかな。
この方の現代訳と、あとすごく面白かったのが、田辺誠子さん。田辺誠子の現代訳の源氏物語は読んでますね。
あと、もちろん私たちの世代は、浅木夢美史っていうね、大和脇先生が書かれた大傑作漫画があって、これが大ブームだったので、これはもちろん読んでいます。
私の本棚には、この浅木夢美史の漫画が今もちゃんと置いてありますね。素晴らしい漫画ですね。
これは決して別に古文がわからない人のために、あんちょことしてちょうどいい教材という扱いに、今もしかしてなってたらショックですね。
これはこれで本当に一つの作品ですね。
だから、あと私も次は、谷崎純一郎が訳している、源氏物語に挑戦したいなと思っているんですけれど、
いろんな人がすごく、たぶん私は古文について語る資格もちろんないんですけれど、
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往々にして、昔の言語というか言葉って厳密な意味合いではなくて、読み手にある程度想像させるというんですかね。
いろんな解釈が可能な、隙間がちゃんとあるっていうもんだと思うんですよね。
なので、これを今現代の作家、名だたる作家たちが読み込んで読み込んで、現代版にしたときには、当然そこに現代役にした人の解釈とか価値観とかが反映されたものに多分なると思うんですよね。
なので、これはね、やっぱり、その時代に書かれた、紫式部が書いた源氏物語のそのまま、その通りの現代役かといえばですね、若干違っては来てるんだろうなっていうことは踏まえて読むべきものだとは思うんですよね。
だから谷崎が書いた源氏物語の現代役と、私は読んでないですけど瀬戸内弱鳥の現代役と、田辺誠子と、あと最近だと角田光雄さんも現代役を書かれてたと思いますね。
これはね、全然多分違う別物になっていると思います。
それと同じようにですね、この浅木夢見氏っていう漫画も、もちろんこの大和脇という漫画家が自分の解釈も含めて書いているとは思うんですけれど、
彼の画力っていうんですかね、絵の美しさ、漫画の美しさっていうことではね、今の作家を含めてもこれだけ綺麗な絵を描ける漫画家っていうのはそうそういないっていう、この人の筆によるね、源氏物語の世界観なんでね、
それはね、すごくこのビジュアルで、当時の源氏物語の風景を読めるっていうだけでもすごい値打ちがある作品なんですよね。
大和脇先生の絵柄っていうのはね、本当は八頭身のね、どちらかというとアングロサクソンっていうんですかね、白人のビジュアルみたいな絵柄なんですよね、この先生の絵は。
なので、この本来であればこの源氏物語の、おそらくこの平安時代の日本人っていうかね、この貴族のぽっちゃりしてね、色白でなんかこう歯黒とかしてね、眉毛とかもなんかぽっぽってなんかこう隅で描いたみたいな、ああいう人物たちとはほど遠い、現代的なっていうかね、本当に白人の人が平安時代の衣装を着て、
仮装しているような絵柄なんですけれど、でもこの着物の柄とかですね、あと室内の装飾であったりとか、この女性たちの髪の毛とかね、とにかく描き込みの細かさがすごくてですね、
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もう漫画家の中でもね、特別絵が綺麗なね、大和脇先生の画力が主役の漫画と言ったらいいですかね。とにかく傑作漫画なんで、また私もね、本棚から出して久しぶりに読んでみようかなと思いました。
はい、で、このゲンジ物語なんですけれど、私ね、大学はアメリカで出てるんですけれど、うちの、私がいた大学にもテールオブゲンジって言って、ちゃんとね、もう英語のゲンジ物語ってちゃんとね、図書館にあるんですよね。
これぐらい、もう世界中で読まれているベストセラーなんですね。なので、その、なんていうのかな、このいろいろ、古文じゃなくて、現代訳で読まれていたり、あとこのね、大和脇による漫画、大和脇だけじゃないですよね。
ちょっと正直、エロ漫画風になっているゲンジ物語も確かありましたよね。誰だったかな、有名な漫画家が書いています。うん。なんでね、とにかく漫画から、現代訳から、そして英語だったりね、フランス語だったり、いろんな、世界中で読まれてるんですよね、言葉が訳されてね。
で、それぐらい読まれているのは何でなのかっていうね、あの、だからその春木先生がね、対談で言ってたみたいに、本当に少ない人口の中の、さらに一部の貴族階級の日本人の中でね、行われていた恋愛模様を描いただけの小説なんじゃないのかっていうね、ことをおっしゃっていたんですけれども、
本当にその限定的な人たちの中で行われたものだったとしてもですね、それだけあったらここまで、世界中で、あと時代をね、こんだけもう何百年も経ってもね、まだ読み継がれるっていうことが起こったでしょうかね。
やっぱりそれぐらい、ここに描かれている心臓風景っていうんですかね、心のひだであったり、恋愛模様であったり、女性のいろんな立場であったり、そういったところがね、やっぱり時代も国籍も超越して共感されるから読み継がれているというふうに読むべきだと思うんですよね。
となるとですね、これを例えばアメリカ人とかね、あとフランス人がこのA Tale of Genjiをね、読んでいる時はね、どういったところを想像しているかというと、もちろんエキゾチックな日本の風景を想像する人もいるかもしれませんけど、これをそのままフランスの宮廷小説として読むことも当然できたでしょうし、
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極端に言うと、現代の、これね、たぶんね、私ぜひ誰かね、クリエイターの人に、このゲンジ物語を現代版でやっぱりちょっとアレンジして作ってほしいなと思うんですよね。これはね、現代でも大いにあり得る、時代を置き換えて作れる話だと思うんですよね。
このゲンジ物語に限らず、シェイクスピアの小説とかね、今プップッとなかなか思いつかないですけど、いろんな名作とされている物語っていうのは、現代にそのまま置き換えても立派な話になるっていうところが共通点だと思うんですよね。
つまりテーマが普遍的なんですよね。時代とか国をまたいでもそのまま通用するような普遍的なテーマを扱っているので、絶対に半永久的に古びないっていうね、すごい特徴というか特性がありますよね。
なので、トンジョクエッションにまた戻るとすると、ヒカルゲンジが現代に転生してきたと仮定すると、ルックスとかですね、そういったことはちょっとさておきね、平安時代の日本人は身長も小さかったらしいんですよね。
男性で150センチあるかないかぐらいっていうすごく小柄だったという文献も残ってたりするので、このまま本当にタイムマシンで来た場合は、それはちょっと今の企画からは外れていると思うんですけれど、
ただこの単純にタイムトラベラーでこの昔の人が来たっていう置き換えよりは、そのやっぱり普遍的なテーマを扱っているっていう文学的な切り口から話をするとすれば、当然どんな時代にもこういう権力と、
あといろんな才能と美貌と兼ね備えた人物がですね、多くの女性からモテるっていうね、このテーマはどの国でもどの時代でも通用するテーマになりますよね。
さらにもっと深刻なのは、このヒカルゲンジがとにかくモテ男だったっていうだけではなくて、やっぱりこれは完全にハーレムなんでね、権力のある男性がこれほどたくさんの女性を囲うことが許されていたっていうのは、四次を生むっていうね、
責任がこの当時の権力のある男性には求められていたっていう部分があるのでね、こういった一夫多妻っていう部分が描かれていたっていうのもあって、ここに関してはちょっと、
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すごく限定的な時代背景であったり、本当に一部の男性にしか許されていないっていうか、正直これを本当に喜んでた人ばっかりでもないっていう気もするんですよね。
男性だってね、そんな淡白な男性もいたでしょうし、一定数ね、やっぱりゲイの人とかも当然いたのにね、たまたまこの権力のある家庭の温存しだったためにですね、いっぱい四次を作ることを義務づけられている男性も一定数いたと思われるのでね、
いろいろね、そこにも葛藤があったんではないかと思ったりね、それはちょっと全く余談なんですけれど、だからちょっとね特殊な状況ではあるんですけれど、単なる自由恋愛の男女のいろんな営みが描かれてたっていうだけではもちろんない、この当時の社会的なね、背景というものも考慮して読まなければいけない内容ではあるんですよね。
当時の宮廷文化とかね、風習とか、時代背景とかね、当然そういったことの予備知識はあるに越したことはないと思うんですけれど、でもそういうことがなくてもね、海外で読まれてるってことはね、やっぱりここに描かれている女性たちのね、心のありようとかね、
この光源寺という男性と出会ってね、いろいろ恋愛したりとかね、いろいろいろいろあった時のその思いとかが共感されているので、これだけ読み継がれているのかなということだと思うんですよね。
とにかくたくさんの女性たちが主人公で出てくるわけですね。
で、みんなそれぞれお気に入りの女性のキャラクターがいるはずなんですよね、読んだ人はね。
で、私は夕顔が好きだよとかね、六畳の見やすどころが好きだとかね、私はもう、おぼろ好きよの君が好きだとかね、いろいろいろいろ、ここでどの女性を挙げるかによってもね、読み手の人たちの個性とかね、恋愛感とか、そういうのが分かったりするという面白さがあるんですよね。
そして個人的には、最もね、このゲンジ物語で私が好きなシーンがあって、これは親友の東野中将っていうね、また同じようにこのイケメンの遊び人の友達がいるんですよね、ゲンジにね。
で、この二人が夜集まってですね、何人かいろいろ男友達とかを呼んで、女の品定めをするシーンっていう有名な場面があるんですよね。
ここのリアリティ、これは当時のね、だからこの、これこそがね、紫色部がどれだけ優れた描き手だったかっていうことをね、最も表している場面なんじゃないかなと個人的には思うんですよね。
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ここはもう完全に女性たちは誰も退場していてですね、複数の男性たちがもう勝手気ままに女の人の品定めをしているシーンなんですよね。
で、まあこういう女のこういう風情がいいよねとかね、こういう女のこういう仕草がなんかもう狂ザメだよねとかね、あとこういうルックスの女はいいよなとかね、これぐらいの年齢の女はちょうど年頃でいいよねとかね、もうその
多いも若きも、この男たちがね、いろいろこの自分たちの色自慢っていうんですかね、女性経験の自慢と体験等を話しているシーンなんですよね。ここのリアリティたるや、私は私も女なんですけれど、男ってこういうことやってるよねっていうね、
あと男の人たちがどういう女性のどういう部分を見てるかとかっていうのも、なんとなくね、本当によく描けてるなと思うんですよね。なので優れた作家とかね、クリエイターっていうのは自分たちの性別、自分が女であっても男をうまく描く。逆もそうですよね。
男性が描いてもですね、優秀な作家であればですね、もう本当に生身としか思えないようなね、立体的な女性のキャラクターを生み出せるっていうね、こここそやっぱり作家の腕の見せ所という部分で、まあここはね本当に読みごたえがあるシーンですよね。
なのでね、こういったところもね、多分世界中で愛されている理由の一つだと思うんですよね。やっぱりね、どんな何千年経っても、男女がね、お互いにどういうとこ見てるかとかね、どういうところにグッとくるかとかね、色気を感じるところとかね、そういったことって意外に変わってないんだと思うんですよね。
だからその時のファッションとか、あとそのね、あのちょっとぽっちゃり体型が流行っている時代、ね、もうモデルさんみたいにもう発頭身でガリガリでね、無駄な贅肉が一つもない体型が流行っている時代、それぞれね、その時代によってそういう見た目の好みはね、色々変わってくるんですけれど、究極的な部分っていうのはね、やっぱり変わってないっていうことがこのシーンではね、
謙虚に分かるんですよね。だから塾女がね、塾女は塾女でいいよね、いやでもね、まだ何も分かってないね、あの若い女の子はね、だから諸女は諸女でね、いいよっていうね、諸女を手名付けている時ほどね、男としてやりがいを感じることはないねとかね、こういうスケベ話をしている時の男の人たちのこの生き生きとした感じっていうのは、今も昔も全然変わってないんだなっていうことがね、よく分かりますよね。
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で、また女性の立場から見たらですね、色男に泣かされたり、いいように扱われたり、好かれてると思ってたら、浮気されたりとかね、他の女の人に気が移られたりとかする悲しみとか、苦しみとかね、あとね、子供を産んだりとか、産めなかったりとか、そういったことで女性としてのこの立場がね、
変わってきたりとかね、そういう女の苦しみとかもね、これだけ時代も立場もね、だからその宮廷の非常に立場の高い女性であってもね、一般庶民の女性であっても変わらないんだなとかね、こういったこともやっぱり古びない理由の一つですよね。
はい、というわけでね、ちょっとはるき先生と市長生さんの対談の後ですね、ちょっと現人物語の肩を持ちたくなったというか、これはね、これでやっぱり今のね、現代にも息づいている理由があるし、これをね、今に置き換えてもね、十分に面白い物語なんだっていうことをね、ちょっと拙い私の言語能力ですけれども、お話ししたくなりましたので、
今日はこの現人物語についてお話ししてみました。ごきげんよう。
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