2025-04-09 20:24

逃走と十三 #353

映画『逃走』観てきました。
革命を志した若者、桐島聡が逃走し続けた49年間を描いた映画。
映画を観た人には、パンフレット購入をオススメします。東アジア反日武装戦線と日本の社会運動の年表が載っていて、この時代を知るわかりやすいガイドになります。

▽『逃走』
https://youtu.be/R2JqaFRHbMQ

▽春木先生のstand.fm
https://stand.fm/episodes/67ee36b791192dda618208d7

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サマリー

映画『逃走』は、桐島聡氏に焦点を当てたドキュメンタリーで、彼の人生や逃避行を描いています。監督の足立雅雄氏は、桐島氏の活動や背景に迫り、革命家としての姿を映し出しています。このエピソードでは、桐島氏の逃走生活とその背景にある労働者の歴史について語られています。特に、大阪の労働者街としての役割や、隠れ家としての機能がテーマとなっています。

映画の鑑賞体験
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
はるき先生がおすすめになっていた映画を、今日見てきました。逃走ですね。
これ全然、はるき先生に最近ね、ちょっとすごくうざがらみしてるように撮られたら嫌だなと思って、
たまたまはるき先生が最近取り上げられている、こういう団塊世代の話であったりとか、
学生紛争時代とかね、カウンターカルチャー時代とかっていうのはね、私が最も大好物なテーマですので、
どうしてもね、絡んでるつもりは全くなくて、むしろとても楽しく聞かせていただいていて、
レイブンズっていうね、映画と、あとね、逃走というのはね、早々に、
レイブンズはね、先週も先生の配信を聞いてすぐに見に行って、今日逃走も何とか見に行ったんですが、
これね、レイブンズはね、普通に東方シネマでやってたんでね、全然問題なかったんですが、
この逃走っていう方の映画は、もうね、本当にマニアックなミニシアターですよね、
こういったところでしかやってない映画で、以前ですね、私がだいぶ前ですけれど、
林増見死刑囚のね、独物、和歌山の独物狩猎事件のことを描いたドキュメンタリーがあったんですが、
こういったちょっとね、骨太なドキュメンタリー映画とかをね、上映する映画館があるんです。
で、それがね、重曹っていうね、ジャンジャンジャンジャジャジャン、重曹っていうピンクレディーが歌った歌があったかなかったかっていう重曹なんですけれども、
桐島聡氏の背景
ここはね、ちょっとね、すごくディープな場所なんですよね。実は阪急電車の沿線にもかかわらず、そうなんですよ。
一応ね、関西ってこの阪急電車とJRと阪神電車っていうのが同じ方角に向かって平行に伸びているんですよね、3本の鉄道がね。
で、なぜか山の方がやはり上流とされていて、で中流のJRを挟んで海沿いを走る阪神電車っていうね、
まあそういう流れになっていて、海沿いに行くほどあまり良くないっていう風にね、山の方がいいっていう、なんかそういうのがあるんですよ。
で、これは私は大阪なんでね、大阪の人間にはあまりない発想なんです。
これはなんとなく、神戸エリアの人たちに根強くある、そういう先民意識というかね、ヒエラルキーがあるんですよね。
で、あのまあだから一応、阪急電車っていうんだから一応上流の電車とされてるんですが、ちょっとね、いくつかこの大阪から梅田の駅から神戸に行く手前の数駅のところで、ちょっとね面白いディープな場所を通っていくんですよね。
で、まあそこの一つが重曹なんですが、あの重曹でもね、ちょっとやばいというか、はるき先生がね、だから今回のレイブンズっていう映画で言ってたゴールデン街とかにもちょっと似たような場所ですね。
あのかつての青泉地帯で、そこから酒場として、ずっと生き延びているような場所で、阪急電車の高架下のところにブワーとね、いろんな飲み屋さんがあるような独特の場所なんですよね。
で、ここをスタートラインにして、まあまあ大きい商店街があるんですよね。で、この辺りに私が今回ね、この逃走という映画を見に行った有名なシアターがあるんですよね。ミニシアターが有名っていうのかな。
こういうちょっとマニアックな映画をやる映画館がいくつか大阪にあって、そのうちの一つなんですけれどね。で、ここはね、この商店街はもう本当にピンクサロン系というんですかね。風俗店もあったり、無料案内所があったり、ちょっとね、やばいエリアがある中にポツンとこの映画館があるんですよね。
もう言ってもいいかな。第7芸術劇場って映画館なんですけれど、結構好きなんですね。ここね。で、なんかね、もう昔から私はだから子供の頃から映画が好きで、映画ってね、不思議にこういう変な場所にあったりしますね。やっぱりね、あの特にそういうメジャーの映画じゃなくて、あのちょっと変わった映画をやる映画館っていうのは
ちょっと風俗街の中にあったり、ストリップとかキャバレーとか、ライブハウスとかね、そういったところもこういう風俗街の中に入ってたりするんで、全然風俗と関係なくてもですね、こういう街をよく歩いたりして割と面白いんですよね。で、昼間とかだったら全然安全に歩けますのでね。
で、えーとね、まあそういう中にポツンとあって、ちなみにね、この重曹ってちょっとあの物価がね、すごい安いんです。今でもね、あのめちゃくちゃ安いのに美味しいんですよね。焼肉とかラーメンとか、いろいろね、あの実は穴場だったりするのでね、またね、いつか機会があったらこの重曹オフ会とかね、もう面白いかもしれないなと思いました。
はい、でちょっと映画の話から逸れてたんですけど、まあこのここでやっとね、しかもここはだから単館上映の映画館なんで、もう1回、この1つの映画につき1日1回しかないんですよ。その時間を逃すともうそっから見れないんですよね。
で、例えばだからその林増美の映画もそうですし、今までだったら、えーとなんだっけ、あの送局生障害のお姉さんをね、親が自宅に監禁して、ちゃんとした医療とつながなかったっていうことをね、ドキュメントした、えーっとどうすればよかったかっていうね、映画とかも今まだやってますね。
これ見たいんですけれどね、いつもタイミングが悪いんですよ。すごい早朝か深夜とかね、なんかそういう時間帯で、しかもねこの場所なんですごく行きづらいんですよね。これだからちょっと見れてないんですけれども、まあ今回ね、お昼の上映だったので、午前中仕事のしてて、そのちょっとね、仕事、今日本当休みなんでね、仕事終わった後にちょろっと見に行けたんですよね。
すごいね、面白かったですね。これ監督脚本をされてるのがね、足立雅夫っていう人なんですが、この人本当のガチの革命家っていうか、まさにこの紛争をやってた、あのまあ活動家の人なんですよね。
パレスチナ解放人民戦線のゲリラ活動したりとかですね、あとは例のね、シゲノブ・フサコですね、この連合じゃなくて日本赤軍のね、リーダーだった人ですね。この人、うちの母なんかね、かっこいいとかね、あんまりこういうこと言っちゃいけないのかなって言ってた人なんですけど、
女性のリーダーだった人とかと一緒に、いろいろね、この日本赤軍を一緒にやってた人です。で、その後国際指名手配になってね、世界中逃げたりとかね、したりとかっていう、筋金入りの活動家の人なんですよね。
で、その後ね、いろいろいろあって、うよ曲折あって捕まったりとかして、日本に連れ帰らされたりした後ですね、比較的最近っていうんですかね、20年ぐらい前から映画をまた撮り始めて、日本赤軍のね、ことを描いたり。
だから、やはりね、今回のこの映画、逃走という映画は、去年ですかね、桐島里市ってずっと指名手配でね、いつも私たちが警察とかね、案内板とか見ると、プッと横を見ると必ず貼ってあったね、逃走犯の指名手配のポスターとかに必ず載っていた人の映画なんですよね。
足立雅雄の作品
で、これはだから、くしくもこういう活動をして、大したことしてないんですよね、この桐島里市自体はね、ただ一応この爆撃、三菱重工とかですね、あとは鹿島建設とかね、そういった大手企業の倉庫とか、そういったところを爆破したりとかってしたのが、この三菱重工の方ではですね、
本当は絶対に人命をね、人を殺してはいけないっていうルールをちゃんと設けてたんですが、火薬の分量を間違えてですね、自分たちで計画していた以上の甚大な被害を及ぼしてしまって、たくさんの犠牲者が出てしまったんですよね。
で、このこっちの三菱重工の爆破に関しては全く桐島里市は関与してなくて、鹿島建設の方でしたかね、こっちの方の爆撃にのみ関与してたんですが、ただやはり同じメンバーということでね、みんな散り散りに逃げて、で、たまたまこの桐島里市だけはですね、最後病院でね、死ぬギリギリまで逃げ寄せることができていた。
っていう人なんですよね。でもこの人生だけでもものすごくドラマーですよね。で、まあでもこの映画自体はね、すごく質素な映画で、あの映画っていうよりはね、何かもう小説というか、なんかそういうね、この足立雅夫さんの、なんていうかな、このこの時代のあの生きていた人たちのね、ある種生の声とかね、
声とかどういう思いで生きていたかっていうことの記録みたいな、あのなんていうかな、映画なんですよね。で、私ね、あのなんだっけ、山上彦区ですね、あの安倍晋三元首相ね、あの銃撃したあの人の映画、レボリューションプラスワンでしたかね、この映画もすごく見たくて、まだ見れてなくて、でもね、あの思うのが、
今回も桐島聡氏が、あのね、その死の直前に自分からもう、あのね、実は私は桐島聡氏ですと言った数日後に亡くなるっていうことが起こったのは、たった去年なんですよね。去年だから、去年の1月か、だから1年ちょっとでですね、もう映画を作っちゃってるっていうこのスピード感がね、いつもすごいなと思って、
あのレボリューションプラスワンもそうだったんですが、山上彦区のあの事件があったら割とすぐにね、この映画を作ってるんですよね。で、85歳っていうね、今この年齢考えても、すごい、あのすごいね、エネルギッシュというかね、早いんですよね。
で、85歳って、こないだね、あの私の夫の父を見送りましたけれども、ね、この桐の父も85歳だったんでね、それを思うとね、この足立雅雄さんのこの、なんていうかな、このエネルギーと、そして未だにこの革命の、ね、自分たちがその革命をね、あのして、あの何を目指していたのか、ね、どういう日本にしたかったのかっていう思いをね、ずっと今も
こう、くすぶらせながらですね、で、あの時代の、その自分たちのその、何ていうかな、高い志なんだけれども、実際挫折した部分とかね、悪い方に行ったこととか、いろんな内省とか、俯瞰しながらとかね、あのいろんなことを多分が題材になって映画撮ってる人なんですよね。
だからそのこの映画自体もちろんすごく面白かっただけじゃなくて、この足立雅雄がどういう気持ちでね、こういう一連の作品を撮ってるのかっていうのもね、すごく興味深く、もう全く退屈することなく見ました。
あのすごくね、面白い映画でしたね。もう一つ個人的にはね、あの作品の内容ではなくて、あのやっぱりね、あのこういうなんていうかな、職人の世界というか、あの結局ね、こういうふうに身を隠しながらね、闘争している人が身を隠すのにね、こういうちょうどね、この高度経済機能日本はあっちこっちで建設業がね、
あのそこら中で人手が足りなくて、常にあの求人しているというようなね、時代だったので、いくらでも住み込みであの仕事を得ながらね、あのこういったところであの労働しながら賃金を得るっていうことができ、そしてもう雇う側もですね、もう出自をこだわってたりとかしてられないので、
桐島里氏の逃走と労働者の歴史
アマーマーのね、あの履歴書もなんか、あの霧島里氏自体は実際はすごいインテリでね、こんなあのね、左翼のいろんな本とかも読んだりしてる人で、あの僕はまだ、そういえばあのレーニンの本とあれは読んでないけれども大丈夫でしょうかとかっていうね、あのくだりがあったりして面白かったんですけれど、
マルクスか、マルクスとレーニンの本はまだ読めてませんみたいなこと言ってましたけれど、でもいろいろ実はあの普通のね、今のあの若い人よりはるかにインテリだったりするんでね、でもそんな人がわざと汚い字で履歴書をね、あのどう書いていいかわからないんで、自分の名前以外書けませんとか言ってね、履歴書を出したりとかして、そういう建設業の会社にあのまあ雇ってもらったりとかしてるシーンが出てきてね、すごく面白かったんですけれど、
私がまさにね、今仕事してたりとかしてて、こういうかつてのね、労働者たちが住み込みしながら働いていたような、えーとこの、なんていうかな、2階建てのね木造アパートとか、あの長屋とかね、こういうのいっぱいまだね、残ってるんですよね。
で大阪市内のね、やはりあの海の、あのね海が近いんでね、大阪は、このね乗船場とかね、あとその鉄工所とかのね、そばの、えーなんてか場所とかね、いまだにね、この鉄工関係とかで働いた人たちのために、労働者の街があるんですよね。
で2階建てのこういうわーっとこう長屋がね、だーっとある場所があって、こういったところは今もう完全に人がいなくなって、もうなんていうかな、空き家とかになっていってるんですが、こういったところを今ね、あのちょっとアーティストにね、えーあの住んでもらおうみたいな活動をして、街おこしですよね、ある意味の。
でちょっと面白いあのプロジェクトとかをして、あのちょっとねオシャレな、あの面白いあの場所にね、こうちょっと再生しようとしたりとかっていう活動したりしてるんですけれど、えー面白いんですよね。でこういったところに新しいあの小さな中小企業とか、あのアーティストとか、そういった人にこのスタジオとかね、あの借りてもらったりっていうようなことをして、こういうちょっと空き家になっていた、えーかつての労働者が住んでいたような、
あのキッチン宿みたいなところをね、あのなんか直していくとかっていうようなことをね、あの見たりしてるので、えーあーこういうところに桐島聡氏も潜伏してたんだなぁとかね、うーんだから、であのいっぱいね、多分あのいたんだと思うんですよね。この映画の中にも他にも、俺もやってたんだよとかってね、俺もあのあの連合席群にいたんだよとかね、それであの命からから今もずっと逃げてるんだっていうね、同じ労働者同士でそういう話をするシーンもあったりとかして、
もちろんね、あの犯罪者がね、逃げながらこういったところで潜伏してるっていうケースでね、今までにも有名な事件がいくつかありますが、まあそういうのはちょっと置いといてもね、やはり若い時にね、ちょっとこういう活動とかで逃げてた人っていっぱいいたんだよねと思って、
あの以前ね、あのうちの祖父母がまだ元気だった頃はね、いろいろ定年、大学を定年した後はね、毎年旅行してたんですね、海外をね、でその時にね、スイスに行った時に、スイスであの日本人のガイドを雇ってね、いろんなね山をあのまあ登山したりとかっていうことをしてたんですよね。
でその時にあのついてくれた日本人ガイドさんが、明らかにあのかつての活動家だったって言ってましたね。絶対あの名乗らなかったけれども、喋り方でわかるって言ってました。
あの我々はーとかってやってたね人たちなんで、なんかね喋り方とか、あのなんかね、何かね、要所要所にね、その人たちのこう、なんか出自がね、ちょっとなんかわかるようなことがあるんですって。
でなんかそんな面白い話してたんですが、とにかくあのいろんなところにね、あのこうやってね、こっそり隠れて生きてたんだなぁと思うと、なんとなくね、あの人と来るものがありました。本当に若いある時期にね、こういうすごく志高くですね、日本の疑問とかね、そういうものに息取りを感じて、若者らしい正義感から始まったものがですね、
まあこういうふうにあのね、嫌な方に行ってしまってね、結果的に大したことしてなかった桐島里氏ぐらいの人が、こうやって一生涯ね、49年間もずっと逃走し続けてるっていうのは、ちょっと想像できないような人生ですよね。
でそれどんな思いで逃げていたのかね、あのいろんなことをちょっと考えさせられたんですが、まあ個人的にはね、私の職業的に、こういうね、あの四畳半一間のね、部屋で、まあ共同アパートみたいなね、労働者がこの、あの住み込み付きでね、まかない付きとか、あの場合によっては、そういうところに潜り込んで、まあこういうなんていうかな、こう執事をね隠して、あの逃げざるを得ないような人の受け皿として、
あのこういう労働者の生活、ね、この、あのこういう建設業とかがね、まあ一役買っていたんだなぁなんて思ったりね、うん、なんかこう、うん、でやはりね毎日毎日こうやって労働して、ね、であの給料手渡してもらって、でそれでささやかにね、あの酒飲みに行ったりとかして、でそれなりにちょっと女性と出会ったりとか、まあそういう暮らしをしながらね、でも心のどこかにこの革命を志した時のね、
この、あのなんて言うかな、情熱みたいなものがあのずっとこう、ね、胸の中にあるみたいなね、なんか、あのなんか、しんびりする話でしたね、なんかあまり大した感想にはなってないんですけれども、なんかね、この労働者の街っていうところっていうのはね、何か、うん、その犯罪者を、あのまあ隠すような、あのなんて言うかな、負の部分もある一方でね、こういう、うん、あの、
そういう人も飲み込むね、こう、逃げ場みたいなところがあって、それはそれでね、そういう社会の中にはね、そういう逃げ場みたいなものもあっていいんじゃないかなと思ったり、うん、あとこういうね、飲み屋さんの風景とかね、いろいろいろいろ思うことがありました。
はい、というわけで、今日はトウソウについてお話ししました。トウソウ&ジュウソウですね。トウソウとジュウソウの話をしました。はい、ごきげんよう。
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