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2024-09-27 17:52

今そこにある中年の危機とは付かず離れず #201

生きていれば、加齢より怖いことはたくさんある。
人生は後戻り出来ないロングジャーニー。
年齢だけは誰もが平等にとる。
朽ち果てることを受け入れて、健やかにやり過ごしたいというお話です。

#リフォーム
#リノベーション
#インテリア
#中年の危機
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サマリー

このエピソードでは、中年の危機について語られており、特に伊藤さんの心情や状況に焦点が当てられています。年齢を重ねることへの不安や、女性特有の視点からの年齢への意識にも触れられています。また、恐怖心や死への恐怖についても深く考察されており、病気や家族との関係性が思い起こされます。自己の生き方や周囲のサポートの重要性が強調されています。

伊藤さんの心情
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
前回は私の200回配信記念のライブにコメントをいただいたり、出演もしていただいたり、いろんな聞いてくださったり、本当に本当にありがとうございました。
とてもとても楽しい、有意義な時間を共有できて嬉しかったです。これからもよろしくお願いいたします。
今日はあの時に、まさかの出演をしてくださって嬉しい限りだったんですけれど、寝落ちしてしまった伊藤さん。
あれは単に、ちょっと気持ちも落ち込んでるっぽかったのに、睡眠導入剤で寝落ちしたということで、すごい心配になっちゃったんですけれど、
幸い、今日も元気に選挙の実況の配信されたりとかしていて、元気でよかったと思ったんですけれど、
ただ昨日なんですけれど、ご自分のプレミアム配信で、居酒屋陽介っていう、ご自分のリスナーさんと居酒屋でトークするみたいなお話をする配信をされてるんですけれども、
そこでもずっとかんなさんに迷惑かけたって言って、ずっとすごい反省してるんで、もう一生懸命全然気にしないでくださいって言ってるんですけれど、
かなり落ち込んじゃっていて、帰ってちょっと本当に、ああもうと思ってね、伊藤さんは本当にね、ああいうところがナイーブというかね、ちょっと自分に厳しいところがあるなということで、すごい心配しちゃってたんですけれど、
今日はね、この配信はちょっと正直に伊藤さんに別に聞いてもらわない方がいいかなという内容になるんですけれども、ちょっとね、やっぱりあの時の伊藤さんの姿というかね、様子を見ていて、見てっていうか聞いていて、
あのこれね、あの多分伊藤さんはこれ、あのミッドライフクライシスだなって思ったんですよね。あのミッドライフクライシスって英語はねすごくよく言うんですよね。あの中年の危機っていう直訳で言うとね、言うんですけれど、あんまり日本ではね、これ言わないですよね。
あーそろそろお前もなんかこう代替わりでね、だからだなぁとかね、割とあの日本はなんか役どしとかやけに言いますよね。なんか、あのそろそろ役どしだから役払いしとこうとかね、あのそういったこと言うけれども、もっとね、あの欧米とかはその中年の危機っていうのはすごくね、よく言うんですよね。
40代になったり50代になったりとかね、60になったりってやっぱりその大きな大台に乗った時に、やっぱりあの体調の変化もあるし、当然精神的な変化も訪れるのでね、そこでやっぱりね、あの多くの人が体調も悪くなったり、あと心のね、あのメンタルにもちょっと落ちてしまったりっていうことが起こるんですよね。
で、そういったことを全般的にそういうふうに言うんですけれど、これね、伊藤さんもまさにそれだなと思ってね、で、あの以前なんですけれども、その神奈さんはね、なんでそんな自信に溢れてるの?って言って言われたことがあったんですけれど、私はね、あのもちろんね、その時はうまく答えられなかったんですけれど、自信がもちろんあるわけじゃ全然なくて、これはね、単にまず一つは男女の差がありますよね。
あの女の方が華麗ね、あの年をとっていくっていう華麗に対して、やっぱりもっと今まであの他人からシビアに見てこられている性別なんですよね。
やっぱりあの最初は男女同じなのに、ある時から生理が始まって、明確に繁殖ができる性となるわけですよね。あの子供を妊娠して出産するっていう性だっていうことも、つきつけられるんですよね。
で、そこからですね、今度はそのすごく性的な目で見られるようになりますよね。異性からね。あのエロス資本を評価されたり、そしてその年齢はものすごくシビアに見られますよね。若いほど価値がある。
出産年齢がちゃんと適齢期っていうんですかね、その子供を産むのにやっぱり若い方がいいっていうことで、すごく女性の方が男性よりも年齢に関してシビアに見られるっていう性別だったっていうこともあるし、あとはこれはね、だんだん今現代になるにつれて男女平等にはなってきているとはいえ、女性の方が家庭における家族とか家事とかね、そういったところの負担をね、
女性の方がよくしてきたっていうこともあり、例えば子供の面倒、子供がいる人は子供の面倒を見たり、これは子供いるいないに関わらず、親とか祖父母とか、そういった家族の介護とかそういったところも見たり、実際自分が関わったりっていうことも男性よりも多かったでしょうし、
いろんな点でね、やっぱり女性の方がそういえば経験値が高い、そして華麗に対して非常にシビアに見てこられたっていう経緯があるので、男の人よりもやっぱり年を取ることに対してもっと早くからね、危機感を持って生きてきてるんですよね。
精神的成長と未来への恐怖
私の今までの経験から言うと、やっぱりどんどんどんどん若さが失っていく、40代後半あたりからね、徐々に若さを失う代わりに別のものを手に入れていくんですよね。それは精神的自由だったりとか本当の意味での自立だと思います。
これはやはり異性、男性からすごくモテたりとかね、女性としてチヤホヤしてもらったりとかそういったことがどんどんなくなっていく代わりに手に入れるものなんですよね。だから若さを失う代わりに精神的自由を得るということがあって、
例えばやはり男性からモテたいとか、見た目の若さをずっと維持したいとかっていう欲が強い女性は過励することはね、とても苦しいことかもしれないんですけれども、ここをある程度吹っ切れるともう本当に怖いものがなくなるんですよね。
もちろんそれは大げさに言ったんですけれど、当然いくつになってもやはりその先で見えない未来に対する不安というのは常にあるので、私は40代後半あたりからどんどん精神的に楽になってきて、すごく強くなったんですよね。
これは自分よりも若い世代、迷える若い世代には常に言っていきたいことなんですよね。大丈夫だよと、これからどんどん年をとればとるほど楽になっていくよっていうのは本当に自分が今本当にそう思っているから言っていて、実際自分が若かった時に過励していくことに対していろんな不安があった時に年長の友達とか知り合いとか自分の母親とかが勇気づけてくれたんですよね。
あんたね年取ったからってね、何も怖いことないよって、いいこといっぱいあるよってね。またモテなくなるとかね、ババアになるとかね、そんなことも意外にそんなことなくてね、意外にね物好きな男もいたりして大丈夫だよとかね、そうやってなんか勇気づけられて、そしたら自分が本当に年取ったら本当にね全然なんか大丈夫だったんだなっていうふうに思ってるんですよね。
今度自分がさらに先のことを考えた時には今度自分がもっと根源的な恐怖がありますよね。あのやっぱり死の恐怖も当然ありますし、あとその過励する以上の怖さが、例えばもうボケちゃったらどうしようとかね、歩けなくなったらどうしようとか、もっといろいろその老化とかその高齢になっていくことに対する恐怖が出てきますよね。
こういったこともやっぱりもっとね、男性よりも早くから家で年取っていく親とかね、祖父母とかその横で見てたりとかする経験が男性よりも多いのかなっていう気がして、やっぱりそういったこともいずれ自分にもこれは降りかかってくることだなっていうね、精神的準備は女性の方が早いような気がするんですよね。
あとまあ伊藤さんに話を戻すと、伊藤さんはね本当にこれ結婚してご自分もね子供育てたりとかしてる経験があればもちろん全然違ったんでしょうけれど、今までがずっと言葉は悪いですけど、自分のことにだけかまけてこれる立場だったので、ご両親も幸いご存命でしかもお元気だということなので、まだねそういう親の老化、今徐々にそれは迫ってきてるんですけど、
今までに関して言えば、親の死に目とか、親の老後のいろんな介護とかそういったこともまだ晒されてなかったんですよね、今まではね。
結婚の苦労とかも、あとその子供育てていく苦労もされたことがなくて、あくまでもご自分のキャリアとかそういったところに専念してこれたが故にね、今この年齢になっていよいよその若さがね、自分からやっぱり通り過ぎていこうとしている、そしてさらにその単身の男性っていうのはね平均年齢で67で死んじゃうとかね、そういったいろんなデータがね頭をかすめて、
すごくね今不安になっているのかなというふうに思ったんですよね。
ですけれども、このねやっぱ家例の恐怖とか根源的な生きるということに対する恐怖っていうのは、これはね若い恋人ができようがね、結婚をしようが避けて通れないことだと思うんですよね。
あの紛らわせることはできるかもしれませんけども、やっぱりあの完全に払拭することは多分できないですね。これはあの結婚してようが子供がいようがみんな同じだと思うんですよね。
だからこれはね、自分自身が向き合って、精神的に自分の年齢とね折り合いをつけていくっていうね、なんかやっぱりその精神的なその成長って言ったらねなんか陳腐だなと思っちゃうんですけど、何かこう折り合いをつけていくっていうことを自分でしないと、もう先にはねやっぱり進めないのかなっていう気がしますよね。
だからもうこれはね、これからあのおそらくいい出会いもあるでしょうし、結婚も現実的に全然あり得ると思うんですよね。でまだまだ今もモテているし、普通はねもう60過ぎてくるともっと本当におっさん、おばあんになって、もっとねあの自分の実際の年齢と折り合いがつくんですけど、中途半端にねやっぱり今もモテるし、あの若々しいってなるとね、やっぱりすごくそれができると思うんですよね。
中年の危機と恐怖
やっぱりすごくその若さが失われることに対してすごく恐怖心もあるでしょうしね、死への恐怖も生々しくあるでしょうしね、なんていうのかな、そういったことなのかなってちょっと思いました。
なのでね、こんな話は到底ねちょっとご本人にね、あの聞かせるとまたまた落ち込んじゃうんでね、あのあまり聞いてもらわないように、ちょっとうまくタイトルとかちょっと工夫して出そうかなと思うんですけれど、もうね年齢を重ねていくっていうことはとにかく生きている以上絶対に避けれないことなので、そこはねやっぱり自分で向き合っていくと、
そういうことがね大事かなって思いましたね。あとはなんだろうな、これはちょっとあの年齢を重ねるっていうこととはちょっと違うんですけれど、あの結局ねやっぱり人間ってあのずっと若くもないし、あと若かったとしても病気になったり怪我をしたりとかいろんな状況って起こり得ますよね。
そうなった時に自分自身の身に起こることもあるし、その自分の近しい人ね、親はもちろんですし、自分のパートナーとかねそういった人にも起こり得ますよね。
でそうなった時ね、もう例えば私はあの夫がね、あの本当に死ぬかもしれない病気になってたんですよね。で幸い今助かってくれたんですけれど、その時にねあの管、鼻とか喉とか至るところにね管を通されている状態で、1ヶ月意識がない状態を見てたんですよね。
でこれは私いろんな自分の祖父母も見送ってますしね、あのやっぱりあのなんていうんですね、病気、あの家族の中であの病人を見送ったりとかっていうのは何回かしてるので、あの夫の時は別に初めてではなかったんですけれど、一応ね私より若い夫がねちょっと死にかけてるって状況を見てた時に、いやーと思いました。
でやっぱりね、もうとにかくそのそういう状況の相手を見てる時に、その人がね、あの顔がね、いいか悪いかとか、もうほとんど関係ないんですよね。うーん、なんかうまく言えないんですけれど、わかりますかねこのニュアンス。
もうただその人がね、無事に生き続けてほしいっていうね、そのもっと根源的な愛情っていうんですかね、そういったものがそこで試されるんですよね。そこではね、そんな美しいとかかっこいいとか、若々しいとか、そんなことね正直どうでもいいんですよね。
でもとにかくあの生きながられてほしいと、1日でも長く一緒に過ごせたらっていうね、そういった思いっていうのはね、そのなんかそういう表層というか表面的な若さとか美衆とはね、ほとんど関係ないように思うんですよね。
だからそういった深さっていうんですかね、やっぱりそういったことも必要なのかなと思ったりね、非常に僭越な人生の先輩なのでね、何も偉そうに言ってるつもりじゃないんですけれど、まあでもとにかく話を戻すと伊藤さんは完全に中年の危機だなというふうに思ったんですよね。
なのでね、私たちプレミアムリスナー伊藤さんのファンはね、とにかくもうこれはね、人生はね、本当にリングにひとたびね、立ったら一人で戦うしかないのでね、誰も助けてくれないし、自分の代わりに誰かが戦ってくれることもできませんのでね、とにかく自分で何とか生き抜く方法を考えていくしかないと。
でね、私たちはとにかく観客席からとにかく声援を送るということしかできないのでね、私も含めてね、伊藤さんもね、何とかこの中年の危機ね、あとそのこれから生きていくそのいろんなね、不安とか、あの彼に対する恐怖、死への恐怖、そういったことをね、やっぱりあの克服というかね、寄り添って生きていくしかないですよね。
克服するということは多分できないですね。そういった恐怖とうまく折り合いをつけながら、寄り添いながら、でもこれがね、不安に自分を押しつぶされないようにうまくね、なだめながら生きていくということだと思います。
そしてあの適度な孤独が必要ですね。自分の精神的自立のためには適度な孤独が必要ですけれど、まあでもやはりね、あの誰か横でね、自分を支えるというよりは寄り添ってこうやって応援してくれる人っていうのはね、それが結婚相手になるのか、友達になるのか、恋人になるのか、それちょっとその後親子とかね、その家族関係なのか、それは人それぞれなんですけれど、
誰か横でね、見守ってくれる人がいるにはこうしたことはないなっていうことも思いました。それが必ずしも伊藤さんが言ってるようなね、あとその恋愛市場主義の人が言ってるような、そのとにかく美しくてときめきとキュンキュンとかね、そういったことが、そういったものを伴う相手である必要があるのかっていうことはね、ちょっと考えたりしましたね。
とにかく自分が元気で健やかに生きているところをね、横でね、今日もこの人はちゃんとね、元気で生きていてくれるなっていうことをね、見守ってくれている相手だったらね、正直そういう人であればね、誰でもいいんじゃないかなって思ったりしました。
本当に僭越なんですけれども、別に伊藤さんに聞いてもらう必要もないんですけれども、やっぱり生きていくっていうことはね、なかなかに大変なことだなってちょっと思ったので、今日はそんな話をしてみました。これからもよろしくお願いいたします。ごきげんよう。
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