1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. ダメな親の子供ほど逞しく育つ..
2026-01-03 20:37

ダメな親の子供ほど逞しく育つ⑤ #515

久しぶり過ぎて、自分でも忘れている生い立ちシリーズの続きです。

今までの良かったら👇

https://stand.fm/episodes/68c15d25cbff90eab67de408

https://stand.fm/episodes/68d244eba22be5ca57f9e9d2

https://stand.fm/episodes/68d28a1ffb95a84bf2ec9d69

https://stand.fm/episodes/68ed02206d68194d1f381d9c

#リフォーム
#リノベーション
#インテリア
#インテリアコーディネーター
#ファミリーヒストリー
#世代地続きシリーズ
#家族
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6566a0d64db2e7bbf594a948

サマリー

このエピソードでは、母の再婚による家族の動揺や微妙な人間関係の変化が描かれています。特に、再婚を支援する娘とそれに激しく反対する祖母との葛藤が中心のテーマとなっています。家族の問題に直面した主人公は、高校受験に苦しみ、居場所を失いながらも新しい生活を求めて全寮制の学校を受験します。その結果、下宿生活を始めますが、そこでの人間関係に悩んでいる様子が描かれています。

家族の構成と母の再婚
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
めちゃくちゃ久しぶりになるんですけれども、おいたちシリーズをしようと思います。
色々話が時系列ではなくて、行ったり来たりしていて、非常に分かりにくい上に時間が経っていますので、前の話を忘れていると思うので、またリフクを貼っておきます。
つまり、いい加減な母親と父親の娘だということが大枠なんですけれども、
うちの母が苦労人で、いろいろ私の父親のせいでひどい目に遭い、しかもうちの祖父母が大変厳しい教育ママ言とパパ言というのかな、特におばあちゃんが非常に厳しい人だったので、
母はとても苦労しているんですよね。
なので、遅れてきた反抗期のようにして、私の父親と離婚してからは1年発起して、私を連れて子連れ留学でもう一度アメリカに行き、
もう一度この学位をちゃんと取ってから日本にまた帰国し、そこからは自分のキャリアを爆走するような生活をしていたんですよね。
どんどんメキメキと名前も上げ、順調にキャリアを伸ばすと同時に、いろんな大学とかで教えたりとかいう仕事もしつつ、
東京と大阪を本当に毎月というか毎週ですね、行ったり来たりするぐらい忙しい生活をしていました。
だからもうほとんど芸能人みたいな暮らしだったと思います。
私は祖父母と仲良く暮らしてはいたんですが、私が小学校5年生の時ですね、母が再婚したいと言い出したんですよね。
この再婚のことでですね、このせっかく平穏だった我が家はもう真っ逆さまにひっくり返っちゃうんですよね。
このあたりの話もちょこちょこはしているかもしれないんですけれども、もう一度このあたりから話をしようと思います。
この当時の我が家の家族構成は祖父母と母と、あとまだ結婚する前のおばが住んでいました。
このおばが私にとってはもう本当の実の姉代わりのような存在で、大変仲が良かったです。
このおばのおかげでね、私はとても一人っ子なのに一人っ子じゃないみたいな育ち方をしてたんで、
そういう意味じゃ子供時代は父親はいなかったですが、とても幸せな子供時代を送ったように思うんですよね。
ただこのおばも私が中学に上がる頃には名古屋に引っ越すんですよね。
この名古屋引っ越しっていうのは、そのおばが結婚する相手が名古屋の人だったから、まずはね、おばも学校の先生なんです。
学校の先生なんで、大阪で教えていたのを名古屋に転勤してそっちの学校を受けて、受かり、しばらくは一人暮らししながら教員をしながら結局はその人と結婚するという流れだったんですよね。
だからおばが家からいなくなり、そこで初めて私はおばの使っていた一人部屋を自分の部屋として譲り受けたんですよね。
だからとてもうれしかったんですよね。ようやく自分一人の部屋ができると。
それまではおばが一部屋で、私は母と二人で一つの部屋を使ってたんですよね。
祖母との衝突
母はもちろん行ったり来たりではあったんですが、基本的には一人ではなかったんでね、とてもうれしかったというのがありました。
母はそうやって忙しくしている合間に、実は交際している人が東京の方にできて、その人と再婚を拡作していたんですよね。
私にある時、実は好きな人ができて、再婚したいと思っているんだけど、あんたどう思うと言われて、私は意外にびっくりしなかったんですよね。
今でもその時のことをよく覚えています。
いいんじゃないと、お母さんはまだ若いんだし、幸せになってほしいから全然反対しないよと言ったら、とても母が涙ぐんで喜んでましたね。
それで勇気を得て、いよいよ祖父母に私は再婚したいという、再婚の意思を伝えたところ、ここで猛反撃というか、猛反対にあうんですよね。
おばあちゃんはわめき散らして、母を怒鳴り散らしていました。今でも覚えていますね。2階の私は自分の部屋で怯えながらね、母が怒鳴られている声を聞いていました。
何考えてるんですかというね、小さな子供がいるのに、なんて自分勝手なこと、みたいなことでうわーっとわめき散らされていて、
その日はなんとか収まってもですね、来る日も来る日もそうやってね、母が仕事から遅く帰ってくると、おばあちゃんが毎日のように怒っているという日々で、我が家の平穏はもうここで完全になくなってしまったんですよね。
ついにですね、私がもう耐えられなくなってですね、毎日ね、本当に理路整然と怒られているんじゃないんですよ。もうわめき散らされているんです、文字通り。
ブワーっていう感じで、それが耐えられなくて、ついに私がもう今で怒られている母のところに踊り出てですね、
もうお母さんにそういうこと、ひどいこと言うのやめてーって言って、私が止めに入ったんですよね。で、ここでおばあちゃんを深く傷つけてしまったんですよね。
これはなぜかというと、私は特に祖父母とは仲が良かった上に、特にね、おばあちゃん子だったんですね。おばあちゃんとはとても仲が良くて、多分ね、相性が良かったんです。
アメリカ生まれでね、アメリカ育ちのおばあちゃんと、私もアメリカ生まれで、途中までアメリカで育っている私っていうのは、なんか気心が知れているところがあって、とてもね、相性が良かったんです。
ただ、この厳しい祖母は、娘たちからはとても煙たがられていたんですよね。母にも、あとおばあにもとても怖がられていて、
おじいちゃんはね、結構優しかったんで、みんなね、父親とは仲良かったんですけれど、この母親とはあまり上手くいってなかったんです。
ところが私とはね、とても上手く合ってたんで、おばあちゃんはね、すごい幸せだったと思うんですよね。
で、おばあちゃんの中ではね、私は孫なんですけれど、おそらくね、母とおばと私っていうのはね、三姉妹みたいな感じだったと思うんですよね。
それぐらい責任を持って、孫というよりはね、自分の三人目の娘ぐらいの責任感で私を育ててくれていたと思います。
その私がね、普段ね、ある意味、ほとんど仕事のせいなんでしょうがないんですけれど、私を置いて、仕事に駆けずり回っている母親をかばってね、自分を責めてきたっていうことで、おばあちゃんはね、深く傷ついちゃうんですよね。
で、そこから、母の再婚に反対しているっていうことだけじゃなくて、かわいがっていた三女に値する孫の私が、自分に反抗してきたっていうことで、おばあちゃんは今度私にも非常に厳しく当たるようになるんですよね。
で、私は私で、そんなに毎晩毎晩ね、お母さんを怒鳴り散らしているおばあちゃんを憎むようになったんですよ。
再婚後の葛藤
なので、変な反抗期のタイミングがここで来てしまって、おじいちゃん&おばあちゃん対、母と私っていうね、この2つの家族が2つに分かれてしまったんですよね。
で、来る日も来る日もわめき散らして怒って、母は半分東京に行っている間は、私はもうおじいちゃんとおばあちゃんとはほとんど口を聞かないで、
もうご飯を食べたらムズッとね、して2階にタンタンタンタンって上がって、バタンって扉閉めて、部屋から出てこないみたいなね、典型的な反抗期みたいな状態になってたんですけれど、
これがね、おばあちゃんはものすごく、やはり今思えばね、すごく傷ついていて、週の半分、母が東京から戻ってくると、今度はコンコンとね、私の愚痴を言うわけですよ。
もう今日もカンナが私を睨みつけたとかね、カンナが私にこんなひどいことを言ったとかね、こんなひどい態度を取ったとかって言って、
まあ母に告げ口をしている日、その告げ口を毎晩毎晩聞かされることになったんですよ。
で、まあ大して広くない家でね、で、もうつつづけなんですよ。おばあちゃんが母に全部話している内容なんてね。
また私の悪口言ってるわと思って、今あの時のことを思い出しただけでね、ちょっと胸が苦しくなるぐらい辛かったですね、あの頃はね。
なんですが、母はね、やはりどうしてもここで引っ込みがつかなかったんですよね。
だから今でもね、私は母の再婚は賛成しましたし、母がいかにそれまで苦労が多い人生を送ってきたか、で、私の父親からひどい目に遭ったか、
そういうことを考えれば、新たに出てきた優しい人と再婚することは当たり前だと思っていました。
なので、母の再婚は当時も賛成しましたし、今でもその気持ちは間違ってなかったと思う一方でね、やはりね、ちょっと私が幼いのに無理をしすぎていたんですよね。
まだ小学校5年生で、まだまだお母さんを独占したい年頃だったはずなんですよ。
ですけども、私のそういう幼い子供らしい感情よりも、母の幸せを願ったり、母のその再婚を応援するような立場になってしまって、
そのせいで、あんなにかわいがってくれていたおばあちゃんと敵対関係になってしまうということがあったわけですよ。
それを思った時に、でもそういう状況なのに、母は結局再婚を強行してしまうんですよね。
私が思うのは、母の再婚には反対もしてないし、今でもあれは祝福してあげるべきことでよかったんだと思う一方で、
どうしてあのタイミングじゃなければいけなかったのかっていうことはね、今でも思いますね。
時々そういう話になることがあります。
なんであの時もうちょっと待ってくれなかったんだっていうね。
相手も、母が当時まだ30代前半でもめっちゃ若いんですよ。
相手もちょっと年上の人だったんですよね。9歳年上の男性なんですが、相手はもう40前後です。
子供が2人いる人でした。
彼も離婚していて、子供は奥さんの方が引き取っているので一緒に暮らしてはいないけれども、
まだ養育が終わっていない、私と年が変わらない子供を2人育てている人だったんです。
だからこの2人は再婚するにしても、もうちょっと待ってもよかったんじゃないのっていうのは思うんですよね。
せめて私が中学卒業するぐらいまでは待ってくれたって良かったんじゃないのっていうのは正直今でも思いますよね。
結局母は私が中学上がったあたりで再婚してしまって、いよいよ祖父母とはとてもじゃないけど暮らせない状態になっちゃったんですよ。
祖父母もお前が無理に再婚するんであれば、孫の面倒は見れないってはっきり言ってたんで。
私もこれ以上おじいちゃんとおばあちゃんとこれほど関係性が悪くなって住めないんで、私は泣くようにして母に頼んだんですよね。
もう一軒どっかアパートを借りてくれと。だからお母さんが仕事で東京行っている間は私1人になるかもしれないけど、
2人でどっかアパート借りようと。再婚するまでの間2人で住もうと言ってたんですね。
だけど母はそれをしてくれませんでした。
今思ったら仕方ないんです。まだ30代前半で駆け出しで、だいぶ名前も売れてキャリアの階段を上っているとはいえ、
もう1個家を借りるほどお金が余裕があったとは思えませんし、
何より自分が月の半分いないのに、まだ小学校高学年とか中学上がったばっかりの子供を1人にできないという気持ちもあったと思います。
なので色々迷ってそれができなかったのにも関わらずでも再婚したんですよね。
もちろん母は黙って私を置いて出て行ったわけではなくて、私にオファーはしてきたんですよ。
新しいお父さんと一緒に住みませんかと。私はそれを断ったんですよね。
今でもはっきり覚えてます。その時のことを。
やっぱり私は小学校5、6年生とかでも結構ませていて、母の再婚は祝福していたんですが、
自分がその時点で私はまだこの男性と会ったこともないんですよ。
会ったこともない人をお父さんと呼べとか、その人と一緒に暮らしてくれとかっていうのはね、
とても私はそれは飲み込めないかったんですよね。
私はある意味アメリカマインドでもあったんで、
当時の私たちの世代で言えば、親が再婚するのであれば子供はついていくのが自然だったのかもしれないんですけれど、
私は無理だと断ったんですよね。
相手の席に入ることも拒みましたし、もちろん東京にその人と一緒に暮らすことも拒んだんですよね。
じゃあでもこれ以上おじいちゃんとおばあちゃんと暮らすこともできない。さあどうしようということで、
この辺りがね中学2年生ぐらいから揉めに揉めて、これってねでも一番大事な時期でしょ。
高校受験の苦悩
高校とかの受験の内進書とか、いろいろ受験の勉強とかもどんどん忙しくなってきている時期に、
この母の再婚騒ぎでもうめっちゃくちゃになっちゃったんですよ。
これ本当に言い訳じゃなくて、だってもう居場所がないんですよ家で。
でおじいちゃんとおばあちゃんはもう毎日ガミガミガミガミで、
で私はもうおじいちゃんとおばあちゃんから避けるために部屋に引きこもってるか、なるべく遅くまで外出回って、
で家に帰る時間をギリギリまで遅らせるっていうことしかもう方法がないんですよ。
だからまあまあはっきり言うと半分ぐれてたんですよね。
ただ不良仲間と一緒にどっか遊びに行くとかっていうことはしてませんでした。
あの一人でぐれてました。
あのまだ私の頃はそんなね不良とかがあんまりいなかったんですね。
私の学校にはね。
いたとしても学区が違うんで、そういう人たちとつるんだりとかっていうところまでは行きませんでしたけども、
まあでも半分ぐれてたんですよね。
家にも居場所がないし、でね、でどこにも行きようがない。
だからといって母と一緒に東京に行くっていうわけにもいかないし、
でまあ苦肉の策で、とにかく高校は、まあでもこの大阪にこれ以上おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいれないんであれば、
全寮制の学校を受けようかって話になるんですよね。
で全寮制の学校っていうので、まずは一応ね関東の方で受けるんです。
でもめっちゃ難しくって、でも見事に落ちるんですよ。
でもこれあの当時って今はどうかわかんないんですけど、関東と関西では受験の時期とか全部全然違うんですよ。
なので関東基準で私は受験の一応準備をして受けたら不合格だったんで、そっからどうしようって言ってもどこも受験が間に合わなかったんですね。
で本当は私は公立高校に行きたかったんです。
友達もみんな公立高校行ってたし、で私は中学の途中まで勉強結構できたんで、
そのままだから私が仲良かった子たちと一緒に公立高校行きたかったんですけれども、そこにも間に合わずどうすることもできなくて、
で全寮制の学校とかっていうのは関西にもあるんですけど、そこら辺の受験の申し込みの時期も逃しました。
というわけでもうなくなく結局あの下宿を探して下宿に住むことになるんですよ。
でそこから通える学校に行ったっていうね。
であの当時私たちが中学から高校の頃っていうのは日本はバブル真っ盛りです。
でもうだんだん中学まではねまだ疾走でしたけど高校生にもなるとみんなもうめっちゃ派手で、
でもあのお金結構持っているような子はもうブランド品を身につけたりし始めている世代ですよね。
フェンディーとかあのバーバリーのあのマフラーとかが流行ったりとかしてね。
であとはあのDCブランドって言って国内ブランドではあるんですけれど、まあまあ高い服とかを高校生とかも着たりとかそういう時代だったんですよ。
そんな時代にねあの下宿して高校通っている人とかっています?
もうねもう何なんだと思いましたねあの頃はね。
でもとにかくまあだからえっと私はねだからもう一回ちょっと復習すると小学校の4年生ぐらいまで日本語が喋れないまま来たんですよね。
だから私は小学校の低学年で日本に帰ってきて全然日本語が喋れないままなじめないまま小学校にいたんですけれどようやく日本語が喋れるようになり、
で小学校のだから5、6年生ぐらいにはもう友達もついにできるようになりやっと日本に馴染んできて、
で中学に上がる頃には結構勉強もできるようになって、
であのまま行けばそれなりに高校にも行けるところまで行ってたにもかかわらずこの家の大騒ぎでもう全部おじゃになっちゃったんですよね。
それはね今でもね親に対してもうあのもうちょっとね子供のせめて高校受験が終わるまでなんでばってくれなかったんだっていうのは今でも思いますよね。
これももうたらればですよね。もうどうしようもないです。どうしようもないんです本当にねそれはね。
でもとにかくはそんなことがあったりしても大変だったんですが高校はいよいよえっとまあそういう全然自分が行きたい学校でもなかったし、
もう唯一受験の募集が間に合ったところに結局入ったっていうだけなんですよ。
本当に悲惨な高校生活でしたね。
下宿生活の現実
だから私が先日コジマックスさんとあのキューブリックの対談やったんですけれどもこの中学から高校時代とかっていうのはもうどこにも居場所がなくて家もダメ。
で下宿したけどこの下宿の話はまた次にしようかな。
でもこの下宿がねどういうところに下宿したかっていうと当時ね旦那さんに先立たれて一人でねあの大きな家にね住んでいるような未亡人がいたんですよ。
でも子供たちはもう成人して東京とかにも行ってしまっているような人がね未亡人で一軒家をもて余しているような人がねパラパラいたんです。
でそういう人を紹介してもらってでその私が通った高校のそばの一軒家のその未亡人の家に曲がりさせてもらったんですよ。
今でも覚えています。
6畳半の部屋に私はこのおばさんがね2階建ての家にいてであのおばさんは1階に住んでるんですね。
であのお風呂とキッチンが下にあってで2階に3部屋あったんです。
で元々はここにだから子供と旦那と4人で暮らした家ですよ。
でそこに旦那さん亡くなり子供たちもいなくなって1人で住んでたんでこの2階の3つの部屋をそれぞれその高校に通っている人とかあとは近所で働いているOLさんに貸してましたね。
女性だけということでね。
であの3人のうちの1人に私がまあそこ部屋入らせてもらってで2階にはねあの洗い場みたいなあのだから2世帯住宅みたいになってたんです。
だから将来は自分の子供の誰かが結婚して帰ってきてくれたら一緒に住むつもりだったんでしょうね。
だから2階はキッチンだけありました。
だけどもトイレとお風呂と大きな台所は下でしたね。
でまあこの2階のキッチンで私たちは普段は自炊しました。
で週に1回だけおばさんと一緒にご飯を食べるという日があるっていう感じで最初のね2ヶ月ぐらいはとてもうまくいってたんですよね。
ところがだんだんこの家の中で私はこのおばさんと反りが合わなくなってきてすごいいじめられるようになるんですよね。
はいというわけでね続きはまた次回のおいたちシリーズに続きます。
はいごきげんよう。
20:37

コメント

スクロール