高校時代の下宿生活の苦悩
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
えーと、追い立ちシリーズ行こうと思います。はい、もう本当に私の人生でね、本当も嫌な時代なんです、この高校時代ってね。
で、まあこの嫌な下宿でね、楽しみといえばですね、フランス映画をね、この、見るぐらいで、あとダイマイチカっていうね、あのこれ
コメントでね、あの誰か教えてくださっていて、これ道島でしたね。はい、あの淀橋とか本町っていうよりは道島にあったね、この映画館で、2本立てで500円で見れる映画館があったんですよね。
でもここにしょっちゅう行ってね、映画見るぐらいしか楽しみがない、まあ最悪のね、暗い女子高生時代なんですけどね。
で、ついにね、この最初のこの嫌なね、あの下宿は追い出されることになります。でもこれ以上、まあかんなちゃんを預かることはできませんっていうことでね、あの何度もうちの母親にね、あのちくってるんですね、私が学校サボってることとか、いろいろね、あのなんか
走行が悪いとかね、いろいろ言ってたんですが、ついにね、もうこれ以上このお嬢さんは預かれませんっていうふうにお断りが入りまして、で私はね、もう危機として、あのまあここを出ることになるんですが、まあでもまだその頃ね、おじいちゃんおばあちゃんの家には帰れないんで、どうしようかなということで、で次はね
もうちょっとね、でまたこの私が下宿していたあたりの住宅街が非常に治安が悪くて、毎日のように地下にあっていたっていうこともね、お話ししたんですが、ところも母はね、良くない子というふうにね、心配してくれて、でまあちょっと違う場所にしようということで、えーとね、それまではだから歩いて、あの学校から歩いていける場所の家を曲がりさせてもらったんですが、次はね少し電車に乗るけれども、
もうちょっとね都会に住むことになりました。でね、知り合いで未亡人のあのおばあさんが一人で暮らしているっていうお家をまた見つけてきましてね、母がね。でまあそのうちに行くことになりました。
でね、このおばあさんはね、本当に良い人で、1年目のね、下宿していたところのおばあさんはもう、そんなに年寄りではなかったんですがね、おばさんぐらいの年だったんですが、今度は本当に結構シニアの方だったんですけど、すごい優しい人でね、もうあの子どもたちも中年になっているような年齢の人で、ものすごく立派なね、日本家屋のね、
あの本当に、本当になんかかなりね、なんか結構な壺数のある家でしたね。500壺ぐらいある家だったんじゃないですかね。でまあね、スキヤ作りのね、すごいしっかりしたあの日本家屋でね、ここにまあ下宿することになったんですよ。
でここはね、ありがたかったのが、食事をこのおばあさんがね、作ってくれたことです。それまではね、ちょっとお話しそびれましたが、その1年目の下宿は、月にね、数回だけこの意地悪なおばあさんがご飯を作って、ここ曲がりしているその他のメンバーとね、共に食事を振る舞ってくれるみたいなことが最初の数ヶ月はあったんですが、結局多分ね、私が嫌われていたっていうだけだったのかもしれませんが、
このような習慣がね、途中からなくなったんですよね。で、バリーマネロファンだった私の1個、年上の先輩とね、私の関係性もあまり良くなかったんで、もしかしたら私抜きでこっそり食事会をやってたのかもしれませんが、途中からそういった機会もなくなってね。
私はね、この当時自炊してたんですよね。母からもね、料理の基礎みたいなね、料理本をね、買ってもらってね、これでまあとりあえず料理を覚えなさいみたいな感じで、簡単な調理器具とかね、自分一人用の食器とかも家から持って行って、
キッチンはね、3人の曲がり人の人たちが共有で使えたんですが、確かね、冷蔵庫はね、小ぶりな冷蔵庫を私自分の部屋に、自分の部屋は6畳半ぐらいの部屋だったんですが、ここに一人暮らし用のちっちゃなミニ冷蔵庫を置いて、そこから自分の食材持って行って調理するみたいなことをしていましたね。
で、見よう見まねでね、この料理の本を見ながら、出汁のとり方とかね、お米の研ぎ方とか、そういうのを一個一個一応やってましたね。だからね、唯一良かったのは、この料理とかを覚えたことぐらいですかね、この時期ね。
で、2年目の高校2年生になってから、追い出されてから新たに行ったこの立派なスキヤ作りのね、日本家屋のお家の下宿のおばあさんはですね、毎日料理作ってくれて、むしろね、若い子がいて、一緒にご飯作れるからいいわって言ってね、一人だと結構いい加減なことしかしなくなっちゃうから、むしろ食べてくれる人がいたら頑張って作るわって言ってね、毎日作ってくれたんですよね。
これはね、すごいありがたかったです。でね、やはり年配のね、おばあさんが作る料理なので、煮魚とかね、焼き魚とか、和風の料理がすごく多かったんですけども、私はね、ずっとアメリカ、半分アメリカ人のおばあちゃんと母に育てられてるんで、もっぱら養殖ばっかり食べて育ってきてるんですよね。
お肉、ハンバーグとかね、ミートソースとか、そういう普通の洋風料理を食べて育ってたんですが、ここでね、純和風の料理とかも食べるようになって、でね、これもすごく良かったんですが、もうね、作ってね、食べさせてもらえるっていうことがね、本当にありがたいんですよね。
もう自分でも高校時代にこの嫌な嫌な下宿生活で、先輩とかね、気の合わない先輩とかと一緒に暮らしながら、彼らがちょうど使ってないタイミングを見計らって、台所でちょこちょこと料理作ってね、でまたそれをこそこそと自分の部屋に持ち帰って、わびしくご飯食べてたんですよ。辛くてね。
進路を考える時期
で、今思い出すとこの部屋はもちろんパルクでしたね。部屋の照明がね。でもこの頃まだ子供だったんで、わざわざここで電球に買い替えたりとかするだけのことはしてませんでした。ただ、この上の照明はつけないで持ってきたね、自宅から持ってきたスタンドライトを関節照明にして、暗い感じで暮らしてましたね。
はい、でそれがね、今度この立派なスキヤ作りのお家は広すぎてね、ここに1階におばあさんが住んでて、で私は2階の昔子供たちが多分暮らしてた部屋を当てがってもらって住まわせてもらってたんですが、ここは6畳半の和室でしたけどね、まあでもものすごい広い部屋で、プライバシーがすごい守られていて、でご飯作ってくれるんでね。
本当にそのご飯をいただけるっていうだけで嬉しくて、ここで良かったのは和食料理を喜んで食べれるようになったんですよ。だから自分の育ってきた環境ではほとんど和食を食べて育ってないんですが、こうやって純和風の料理を食べさせてもらって、これはこれですごいおいしいなと思って、とにかく好き嫌いのない子供になったんですよね。
だからそれはすごい良かったなっていうか、生きやすいですよね。やっぱりこれも嫌い、あれも嫌いだと大変じゃないですか。でもこの後ね、これからもまだまだ私は一つの場所に定住できない人生をずっと送っていくんでね。
例えばアメリカに行ってもですね、どこに行っても好き嫌いがあるよりはない方が生きるのが楽なのでね、これはとてもいい社会勉強になったというふうに今思ってます。
ここでもう一つ良かったことがね、このおばあさん本当にいい人で、今はもう多分ご存命じゃないと思うんですけどね、本当に感謝しかないですね。
ここに10ヶ月ほど暮らしていたんですけど、もう一つ良かったのがね、私は一人っ子で、みんな家族、みんな大人の中に一人だけ子供でね。
みんな働いてましたしね、おじいちゃんとおばあちゃんも非常勤でその頃まだ働いてましたし、母はほとんど家にいないし、姉みたいな存在で懐いていたおばもね、途中で結婚していなくなっちゃいましたし、
ペットを飼ってほしかったんですよ。特に犬を飼ってほしいって何度もお願いしたんですけども、どうしても家族中仕事してましたし、何よりおばあちゃんが動物が苦手だったんですよね。
だからもう絶対ダメだっていうことで、子供がそんな責任を持って命を預かったりできないだろうっていうことでね、結局動物を飼ってもらえなかったんですよ。
でね、このおばあさんの家はね、2つ目に下宿した家は猫を飼っていたんですね。チーっていう名前の猫なんですが、すんごい美猫でね、ただのみけ猫なんですよ。
でもね、めっちゃ可愛いメス猫でね。ただね、ものすごく気まぐれで気難しい猫だったらしくてね、誰にも懐かない猫だって言ってたんですよ。
自分のところの子供たちもね、たまに月に1回ぐらいお母さんの様子見に来たりして訪ねてくるんですが、その子供たちにも懐いてないっていうような猫で、おばあさんにしか懐いてないっていうより懐いてるというより、ただこの人がご飯をくれる人っていう認識でいる猫だったんですがね、
私、ここに住ませてもらって、初日におばあさんがご飯作ってくれてさ、ご飯食べましょうって言って2人で食べてたら、ニヤオンって言ってね、猫が来て、私の足にすりすりしてきたんですよ。びっくりして、あら、チー、あんた人見知りしないのねって言って、ニヤオンニヤオンって言ってね、私の足にね、すりすりしてきて、びっくりしてね、私がこうちょっとこう椅子を引いたんですよね。
ちょっと猫が、もしかして私の膝に乗りたいのかなと本能的に思ったんですよ。そしたらね、ピョーンって私の膝に乗ってね、私がご飯食べてる間中ずっとね、丸くなってね、私の膝で横になってたんですよ。
えー、かわいいと思ってね。撫でようとするとね、ギッとか言うんですよ。ゲーとか言って、撫でんなって言うんですよ。
で、だから単なる私はね、この座布団っていうかね、ちょうどこの頃女子高生でもものすごくあの、なんていうかこう、あのプリプリしてましたからね、ちょうどこのこいつなんかね、座り心地良さそうだと思って、あのね、おばあさん、ガリガリのおばあさんよりもプリプリして、女子高生の膝だったら座り心地いいと思って来ただけだと思うんですけどね、でもこんなことさえ誰にもしない猫だって言うんですよね。
あのね、絶対懐かないの。なんか、あの、かんなちゃんには来たねーなんて言ってね。で、この猫がね、ほんとかわいくてですね、で、まあこんな、こんな調子なんでね、これ以上の距離感にはならないんですよ。チーおいでーとか言っても絶対来ないし、で、それ以上なんか撫でようと思ったら、なんか別にひっかけはしないけど嫌がって逃げちゃうしね。
でも、必ず私がこの朝ご飯と夜ご飯と、いつもおばあさんからね、作って用意してもらったんですけど、必ずね、私が食卓に着くとにえーって来て、で、膝に乗っかるっていう、そういう関係性でした。だからね、ここにね、厄介になってたのが約10ヶ月ぐらいですかね、まあとてもね穏やかな平和なね日常をこの時期は過ごしていました。
ただね、このままね、これでいいのかなっていうことをちょっとその頃思い始めていまして、で、まあね、で、あの私もね、進路をどうするかっていう問題もありましたしね、で、まあ高校は相変わらずね、全然行ってなくって、で、この頃結構あのちょっとね、あのやっぱり私と同じようにもう完全にグレてるわけじゃないですけど、まあややね、ちょっとグレ気味の、あのーなんか家にも学校にも居場所がないような他に友達もできてたんでね、そういうことを一緒にずっとやってきて、
ずっと学校をサボって遊んでたりとかね、あとは私はその台前地下で映画一人で観に行ってたりとか、まあそういうデタラメなあの高校生活を送ってたんですけども、まあそろそろまあ進路も考えなきゃいけないし、まあどうしようかなっていうことで、で、母とはね、まあ時々会ってたんです。
で、私の高校というのは非常に新学校で、結構厳しい学校だったんですよね。だからあの夏休みもなくて、もう夏休みも夏期講習と称してね、なんかあのずっとあったんですね、学校に行かなきゃいけなくて、ただね、ただでさえ学校行ってないのにね、この夏期講習はちょっとさすがに母もね、あのちょっとかわいそうだと思ったみたいで、この期間はね、母の再婚して東京にいたんですね、母はね。
その再婚相手と一緒に暮らしている家に1ヶ月私を住ませてくれてました。夏の間はね。
そこでその母の再婚相手と母と一緒に夏休みの2週間ぐらいですかね、一緒に過ごしたりとかして、下宿にいなくていいようにしてたんですよね。
その間にいろいろ母と話ししてて、私はね、なんとなくもう日本の大学に本当は行こうっていうイメージがあったんですが、
もうすっかり落ちこぼれてるんでね、この時期ね、どこにも多分私は行けないだろうし、もう行く気にもなってなかったしね、もうなんかどうでもよくなってて、
もうなんか大学行ってもどうせチャラチャラしてるんでしょうしね、トップの学校とかにもちろん行くような学力もないですしね、
もうなんかもうどうしようってなってて、私も大学行きたくないから、もう高校も嫌だし、高校中退させてほしいって言ったんですよね。
高校生活の悩み
そしたら母が、あんたじゃあ高校辞めて何がしたいの?って聞かれたんですよ。何にもしたいことないわけですよ。単に嫌なだけなんでね。
だからまあそうだなと思ってね、適当にね。あの時代は今だったら多分高校も嫌になったら編入したりとか多分できると思うんですけど、あの当時はできなかったんですよね。
もしどうしてもやろうと思ったら多分1年目からやり直したりとか、もう一回受験やり直すとか多分そういう必要があったと思うんですけど、
でもそこまでしてね、入り直したいような高校ももちろんないですし、特に何のアイディアもなかったんです。でまあとりあえずね、専門学校行きたいって言ったんですよ。
そしたら母が、専門学校って何の専門学校行きたいの?って言われて、いや何だろうなと思ってね。
で適当に、なんか私音楽好きだし、音楽の学校とか行くとか言ったんですよ。
ミュージシャンのための学校とかじゃなくて、例えばレコードの録音とか編集とか、そういう技術系の仕事あるじゃないですか。
そういうのの専門学校とかあるから、そういうとこ行きたいって言ったんですよね。
そしたらね、母はふんふんって普通に聞いてたんですけど、いやあんたね、あの専門学校っていうのはね、専門の技術を身につけるための学校だから、
あんたみたいにそんなあんまりね、本当にやりたいと思ってないような人、今高校が嫌だから、なんか適当にそっち行きたいとかっていう人のためのとこじゃないよと。
だから専門学校をバカにすんなって言って怒られたんですよね。
とりあえずね、もう何もあんた学校が嫌なのもわかるし、でも今やりたいことが見つかってないのも、そのあんたの高校生なんだから当たり前だと。
だからやりたいことがないからこそ、やりたいことを見つけたり、自分がどういったことが得意があるのかということを見極めるために、こういう学校っていうのはあるんだよと。
だから今すぐそんな専門学校に行くっていうのは、本当に自分がその専門でやっていきたい。
この仕事がしたいってもう明確にわかってる人のためのとこだから、それはあんたには向いてないよと。
とにかく高校は嫌なんだろうけども、卒業できるだけの単位はギリギリちゃんと取りなさいと。
とにかく我慢して卒業さえすればいいから、そんなもうここでいい成績収めようとか、そういうこと何も思わなくていいから、ギリギリ卒業できるだけの出席日数と単位だけは稼いで、何とかクリアしなさいって言われたんですよね。
進路と家族との関係
この時代にこういうことを言う親はなかなかいないと思うんですよね。
今メンバーシップの方で話をしている、つぼみの川木というシリーズをやってまして、ここでは私の幼馴染の友達の話をしてるんですが、
この友達なんかはもっともっと厳しい親に、そこそこ優秀にもかかわらず、そんなんじゃまだまだ足りないっていうぐらい厳しく育てられていたような、
そういう子がたくさんいたような世代なんです。
そんな時にね、とにかくもう卒業さえすればいいから、何とかやり過ごせって言われてね。
ちなみに大学は、あんたは日本の大学よりもアメリカに行った方がいいって言われたんですよ。
アメリカは何で行かなきゃいけないのと、私はやっとね、日本語も覚えて、日本の社会にも馴染んで、日本人の友達とかもできて、
やっとね、日本社会に溶け込めるようになったのに、どうしてまたアメリカに行かなきゃいけないのっていうのがあったんですよね。
なんですけども、あんたはせっかく英語も喋れるし、何よりうちは3代、おばあちゃんも日系アメリカ人で、私もアメリカで教育を受けて、
あんたもせっかくアメリカにルーツがあるんだから、他に特にやりたいことが、どうしてもここの大学でこの学位を取りたいとかね、
こういう学問を収めたいんだとかいう明確な目標がないんだったら、アメリカに行ったらどう?って言われたんですよね。
いやー、そうなの?と思って、だからこういうところにも私が主体性がないということだとは思うんですけど、
でも明確な目標もやりたいことも何にもわかんないんで、まずアメリカ行けって言うんだったらじゃあ行くか、みたいな感じでね、
ちょっと思い始めてた時だったんですよね。そうなってくるとですよ、あと私ちょうどこの時高校2年生ぐらいで、
あともう1年経ったらアメリカにまた行かなきゃいけないんだって思ってね。
そうすると、今ちょっと疎遠になってしまっているおじいちゃんとおばあちゃんのことがすごい気になりだしたんですよ。
特に私はおばあちゃん子だったんで、おばあちゃんとこのまままたずっと疎遠なままアメリカ行っちゃったらどうなるんだろうと思ったんですよね。
この辺りからね、最初の高校1年生の時は本当につらいこの下宿生活で、でも帰れなくてね。
ただ高校2年生になってちょっとこの住環境が良くなってね、あの親切なおばあさんの家に曲がりできるようになって、そこそこ平穏な高校生活を送るようになって、
またこのおばあさんはね結構活発なシニアライフを送っていて、たまにね月に1回とかね、親しいこの同級生とかなんかこうなんか婦人会的なね、なんかコミュニティーがあって、
その人たちと温泉旅行行ったりとかね、結構楽しくあのエンジョイされてたんですね。
でまぁちょっと、かんなちゃん悪いけど私あの何月何日はね、2泊3日で温泉旅行行くからその間どうするってご飯作り置きしといてあげようかとかね、
言ってくれてたんですけどなんか悪いなと思ってね、せっかくだからゆっくりしてきてくださいって言って、
そのままねその下宿にいてもいいんですけども、ちょっとね実家に帰ってもいいかななんて思って、でおじいちゃんのおばあちゃんのね家にちょっと帰ろうかなと思ってね、
高校2年生のある時からちょっとこうやっておばあさんが、下宿のおばあさんがどっか行く時にはちょっとね実家に帰ってみようかなと思ったんですよ。
でそれなんとなくおそろおそろおばあちゃんにね言うと大喜びで、いや帰っておいで帰っておいでって、あのいるから帰ってきなさいって言ってね迎えてくれて、
それでねたまにこうやってね数ヶ月に1回とか実家に帰れるようになったんですよ。
でねものすごくここでねおじいちゃんとおばあちゃん喜んでくれてね、
たまにだったんですけどねこうやってようやく何年か越しでね、実家に戻ってくるとねまたすごくおばあちゃんおじいちゃんとまた仲良くしたいなと思ってですね。
だってねこうやってたまに帰ってくるとこんなに喜んでくれて、で仲良く昔みたいにね楽しく3人で話が弾んでね、
で私何のためにねこうやってまた外にね他人の家に下宿してるのかなとかって思い始めるわけですよ。
はいというわけでね続きはまた次回といたします。ごきげんよう。