新年の始まりと音楽
皆さま、明けましておめでとうございます。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今、BGMで聞こえますでしょうかね。音楽をかけてるんですけれども、これはベートーベンの有名な、運命というタイトルで有名なシンフォニー第5番です。
これの第3楽章なんですけれども、大好きなんですね。なぜ今頃またベートーベンなんだというと、
私は年末年始はクラシックの音楽を聴くのが結構好きで、すごく新鮮な気持ちというか、また新しい年だなという気持ちになることが多くて、
大抵は、私はモーツァルトが一番好きなんですね。モーツァルトのジュピターとか、そういったシンフォニーを聴きながら気持ちよく年を越すことが多かったりとかするんですけど、
たまたま一昨日のコジマックスさんとのキューブリック対談で、映画監督のキューブリックの映画というのは、とても効果的にクラシック音楽を使うことで有名なんですけれども、
ベートーベンの曲は多分、キューブリックは特に好きだったと私は思っているので、久しぶりに聴いてみたらやっぱりいいなということで、運命をかけています。
運命って、これ多分後からついたんであって、ベートーベンが運命と名前つけたわけじゃ多分なかったと私は記憶してるんですよね。違ったらごめんなさい。
でもね、これがタタタタン、タタタタンで始まるので、まるで運命が人生の扉をノックしてるみたいな、そういう感じだっていうので、確か運命ってついたような気がするんですよね。
なんかちょっと適当に話をね、今日は新年一発目ということでね、話をするとすると、ベートーベンはね、本当にこういう、なんて言うんでしょうね、私はベートーベン実はね、あんまり好きじゃないというか、そんなに好きじゃなかったんですよ。
どちらかというとね、とても難解な音楽なんです。
とても日本ではね、人気があって、運命もそうですし、田園とかね、田園シンフォニーとか、あと一番有名なのは、昨日ちょっと使いました、大工ですよね。シンフォニー第9番。
これは最後の合唱も含めて、日本ではもうめちゃめちゃ人気があって、年末は必ず大工を聴かないともう年を越せないみたいなね、クラシックファンもいるぐらいの曲なんですけれども、
あんまりね、そんなに、なんていうのかな、モーツァルトみたいな、なんて言うんでしょうね、モーツァルトはね、こういうエフォートレスって言うんですかね、何の苦もなく最上の美しいメロディーを作る天才でね、一方のベートーベンっていうのはもう苦しんで苦しんで書いたイメージがあって、
実際にその音楽自体も結構難解な音楽だと私は思うんですよね。そんなになんかキャッチーで聴きやすい音楽っていう感じはしないんですよ。ただね、だんだん私もね、中年になってきて、人生の後半になるにつれてですね、徐々にね、このベートーベンの良さみたいなものがわかってくるようにね、一丁前ですけども、
なってきてね、なんか気がつくとね、なんかこう、あの涙ぐんだりね、なんかちょっと思わず涙が出たりすることがあるぐらいなんですよね。で、なんでなんだろうなと思うと、その音楽の美しさとか音楽の完成度と、その、なんていうかな、その作曲家とか、その、あの例えばこれは何にでも言えることですね。
例えば、おとといからずっと喋っている映画の話も同じで、たとえね、その作った監督とかね、あの、例えば俳優とかがどんな鬼畜な人物であろうとも、その人が、まあ例えば演技したその演技の素晴らしさであったり、映画監督のその作品の完成度が素晴らしければ、私は一旦、その作り手の性格とかね、あの人格者だったかどうかということで、
一切棚に上げて、作品だけで、あの作品だけを評価しなければいけないということをすごく自分に今、占めているんです。で、私は私でもちろん人間なので、あのやはりね、尊敬していたね、大好きだった誰かクリエイターが、実はひどいレイピストだったとかね、すごい人種差別主義者だったとか聞くと、やっぱりショックなんですよね。
それは自分が大好きな音楽を作った人とか映画を作った人は、その映画の魅力にふさわしいような立派な人であってほしいっていうのは、やはりね、人間の本能というかね、そういうのがあるんですけど、決してね、それは愛入れないことなんだっていうことをね、ようやく理解し始めてですね、
全員とは言いませんけれども、大抵のね、クリエイターっていうのは、逆に言うと私と変わらず非常に俗物であったりとか、あの大したことない人間だったりする一人の人間なわけなんですよね。だからもうこれは完全に分けて考えなければいけないっていうふうに、もう自分を非常に立しています。
ちなみにね、こういう私がその作品は作品だけで評価すべきであるっていうことを改めて突きつけられて、思いに至ったのはね、あれです。
マイケルジャクソンの事件があった時にね、それはね、思ったんです。今更ですけれども、マイケルジャクソンは自分のね、ネバーランドっていうね、遊園地を持っていて、そこにたくさんの子供たちを招待して、実はその子供たちを自分のある種の性奴隷というかね、性的対象にしていたっていうスキャンダルがあって、
これの審議はずっと揉めてるんですね。これはもう告発している人たちが何人もいて、そしてかなり有力な証拠とか証言もあるんです。だから限りなく私の目から見るとね、黒に近いグレーの状態で今も置かれてるんですよね。
これはね、すごくショックだったんですが、このマイケルジャクソン論争っていうのは完全に真っ二つに分かれちゃうんですよね。いやもう根も葉もないことだと、マイケルは完全に貧しい少年たちの親がマイケルの富とかね、名声を利用するためにデッチ上げたんだとかね、言ってすごく反対する人もいるし、いやもう間違いなくマイケルは性犯罪者だっていう人もいるし、
ここはね、真っ二つに論争が分かれるので、これはね、もう完全にその時にね、実際にそのマイケルジャクソン本人とそこで可愛がられていた少年たちしかわからないことなんでね、密室で行われたことなんで本当のところは何もわからないんで、これ以上これがもう証拠が出てこない以上ね、これ以上このことは議論しても仕方がないんですよね。
とは言っても、こういったスキャンダルがマイケルにあるっていうことだけでもね、私はすごい当時ショックだったんですよね。ですけども、マイケルの曲を聴くこと自体も苦痛になったりしている時期がありました。
ですが、それとね、マイケルが実際のところどういう人物だったかとか、マイケルが少年たちと何があったかとかっていうことはね、マイケルが残した音楽の素晴らしさとはもうこれは完全に切り離さないとダメだなっていうふうにもグーッと思うようになったんですね。
それはもう多くの映画作品もそうですし、例えば大好きな大好きなヒッチコックとかね、あともういろいろな人たちがいろんな加害者なんですよね。
なんですけど、それと残された作品が素晴らしいっていうことはね、もう完全に切り分けようっていうふうに私は今は思っています。
話がちょっと前置きが長くなったんですけどね、このベートーベンの音楽を聴くと思わず涙が出るっていうのは、だから作品と作者は切り分けなきゃいけないって言いながらもね、どうしてこのベートーベンの音楽っていうのはこんなふうに何ていうかなスケールが大きくて、
なんかこう勇気づけられて、多くの日本人がね、今でも大工を聴かないと年を越せないっていうぐらい愛されてるかって思った時に、やっぱりベートーベンの音楽ってなんか希望と勇気にあふれてるんですよね。
これはモーツァルトにはない特徴ですよね。希望とか勇気とかって私はあまり好きな言葉ではないんですよね。
なんかもっと粋なものが好きだし、もっと軽やかで、さっき言ったようなエフォートレスなものの方が私はどちらかというと好きなんですけど、ただこうやってこの年齢まで生きてきて、いろんなやはり喪失も味わってますね。
大切な人を失ったりとか、別れもあったりとか、いろいろ挫折もあったりとか、いろいろそういう年を重ねるにつれて、いろんな負の経験もする中でね、そういう中でベートーベンの音楽を聞くと、なんかすごい染みるようになってきたんですよね。
なぜかというと、ベートーベンという人が、譜ばかりの人生だったっていうことと関係があると思うんですよね。ベートーベンは本当に幼少期からもう類稀な天才だったんですよね。
この人は、すごい名バイオリニストの息子だったんですね。バイオリンをとにかく訓練させられて、もちろんピアノもやったりとかして、英才教育も本当に小さい頃からやってるんですけれど、このお父さんがですね、かなりバイオリンの名手で優秀な人だったのにも関わらずね、アル中だったんですよね。
アル中でベートーベンは長男だったんです。弟がいてね。ベートーベンは長男だったんですけど、特に長男のルートビヒ、ファーストネームルートビヒなんですけど、ルートビヒにとてもつらく当たって、もう殴る、蹴るのを虐待の限りを尽くして、ベートーベンを厳しく育てたんですよね。
ですけども、ベートーベンはとにかく天才で、もう何でもすぐに楽器も弾けるようになるし、作曲もできるようになって、どんどんどんどん音楽家としては成長していくんですけれども、この厳しい父親およびアル中のお父さんの生活の面倒。
さらにはもうお父さん、お母さんが確か早く死んでるんですよね。だから不死家庭、シングルファーザーのうちで、ベートーベンが完全に弟たちの面倒も見て、生活不適合者の父親から弟たちを守ったみたいなね、すごい苦労人なんですよね。
ですけれども、すごい天才なんでね。音楽家としては早々に目を出して、徐々に成功していくんですけれども、ベートーベンの時代っていうのはまだ、歴然と身分の差別がある時代なんですよね。貴族が偉くて、平民はその下に置かれてるっていう時代に、ベートーベンはこういう身分性におけるカーストで言えば平民なんでね。
ですけれども、このすごい天才音楽家だということで、ある種今のロックスターみたいな感じになってたんですよね。で、貴族の館とかサロンに呼ばれて、そこでピアノを弾いたり、自分の音楽を演奏したり、あとは名門の御礼状とかに音楽を教えたりとかっていうことで、どんどん貴族階級の中に入っていくわけですよね。
作品と作者の関係
そうすると、この時代っていうのはモーツァルトの時代より、もう少しフランス革命の時代になってるんで、だんだん身分制度みたいなものがグラつき始めてる時代だったんですよね。だからベートーベンの中には、平民だろうが貴族だろうが、身分は関係ないっていうすごいリベラルな考えがある人だったんですよ。
だから、恐れることなく彼はどんどん貴族とか、自分よりも身分的には高い女性とどんどん恋愛をして、大恋愛いっぱいしてね。ベートーベンっていうのは肖像画とか見ると決してイケメンじゃないんですけれども、モテモテだったんですよね。
こんだけ天才で情熱的で、昔の歴史上の有名人物の書いたラブレターっていうのがよく本になったりしてますよね。ナポレオンとか有名なところで言うと、すごく情熱的な美しいラブレターを残したことで有名な有名人の一人なんです、ベートーベンはね。
ベートーベンはね、実はミステリーも残していまして、一人ね匿名の女性にあてた情熱的なラブレターが残っていて、いまだにそれが誰にあてた手紙なのかっていうのがずっとミステリーとして残ってるぐらいのラブレターの書き手なんですよ。
ラブレターの書き手というか、そういうね謎の秘密の恋人がいたんですよね。だからおそらくこの人は、だから直接例えば誰誰絵って、カンナ絵とか書けない秘めたる恋愛の相手だったんですよね。もちろん不倫の恋愛なんですよね。
それはベートーベンは生涯独身を貫いたんですけれども、この女性はおそらく貴族階級の、だからとても身分は高いしもちろん夫がいる人で、その人と深い仲になっていたんでしょう。名前も言わずに情熱的なラブレターを書いて残してるんですよね。
これがね誰かっていうことは、いろんな研究家がきっとこの人だっていうことでね、いろいろ解析していて、確かもう答えがかなりこの人で間違いないんじゃないかっていうところまで絞り込めているみたいですね。とはいえこういったのも歴史の中のファンタジーというかミステリーね。
なのでそっと謎は謎で残しておくのもまたいいのかなと思ったりしますよね。またベートーベンの話に戻しますと、こうやってモテモテで音楽家として成功している一方で、生涯ある中で暴君だった父親の最後を見取り、その後弟たちの面倒をも見、ものすごくね恋愛もねいっぱい恋愛もしてるんですけれども、絶対に今の今世では
添い遂げることができない女性とばっかり恋愛してね。ただベートーベンが結婚して誰か一人の女性とずっと落ち着いた人生を送りたかったような人なのかどうかっていうのはちょっとクエッションマークではありますよね。
とにかくそんなベートーベンなんですけれども、結局途中からですね、もういよいよ演奏音楽家として熟練の息に達したところで難聴になっていくわけですよ。音楽やってる人として耳が聞こえないっていうのは致命的じゃないですか。でもね耳が聞こえなくなってもいろいろいろんな名曲を残してですね。
昨日だからかけました大工なんていうのはもう全く音楽が耳が聞こえなくなってから作ってる曲なんですよね。だからそうやって思うとすごいですよね。あれだけの音楽をね、あの耳が聞こえなくなってから作るっていうことはちょっとまあとてもじゃないですけど想像ができないですよ。
この大工だけに限らずね、いっぱいカルテットの四重奏曲とかすごい曲をたくさん残しているのがベートーベンなんですけれども、私が言いたかったのはね、こうやってとても殴る蹴るされて、もしかしたら親の虐待があまりにもね肉体的虐待を受けてるんで、それも難聴になった原因じゃないかって言われてるぐらいなんですよね。
それぐらいひどい暴力を受けて育ってきて、生活苦、家族のいろんなしがらみ、そして叶わぬ恋愛、歯がゆいその当時の社会情勢とか政治情勢とかね、そういったところに翻弄されたベートーベンなんですけれども、最後まで耳が聞こえなくなっても大曲、名曲を残してね、死んでいったっていうね、すごい人生ですよね。
そうやって考えると、いろんな苦難に見舞われてもね、最後までこのようにね、勇敢な希望にあふれた、基本的にポジティブなんですね、ベートーベンの音楽ってね。なんかすごいポジティブポジティブなんですよね。
それがね、この年齢になってくるとすごく染みるんですよね。私はモーツァルトの光と影っていうか、陽と陰のこの中行ったり来たりするね、明らかにモーツァルトっていうのはちょっとおかしいんですよ。
さっきまで明るいと思ったら、ふっといきなり単調になって暗くなって、また最後明るくなってとかね、そういう陽と陰を行ったり来たりする、非常に二面性のある作曲家なんですけど、ベートーベンってどこまでも重厚なんですけれども、最後はね、パーッとこうやるぞーみたいなね、やる気にあふれて終わるっていうところがね、この年齢になってようやくベートーベンの良さがわかってきたなっていうふうに思うんですよね。
これほどベートーベンが日本で愛されてるっていうのは、やはり私は戦争の記憶、何でも忘れっぽい日本人ですけれども、敗戦でね、やけの腹になった日本で、ここからもう一度再生していくぞっていうね、もう一回ここから立ち上がっていくんだっていう気持ちの時に、ベートーベンの音楽に勇気づけられたね、その当時の共鳴人っていっぱいいたと思うんですよね。
だから多分ね、何年か、割とつい最近ですよね、読売新聞の社屋だったね、鍋ツネオーナーとかね、あの人とかも確かベートーベン大好きだったと思いますし、あと手塚治虫もベートーベンが大好きでしたよね。
だから多くの人、戦中派、戦争の悲惨を見て生きてきたね、その後の日本を再生させてきた大物たちの多くがね、ベートーベンを愛したっていうのはそういったところにもあるのかなと思ったりしてね。
とにかく新年一発目に、モータルとは言いませんね、ベートーベンの話をしてみました。苦労が多い人生だけれども、残された作品はもう、何百年経ってるんですか、ベートーベン。
ベートーベンっていつだっけ、有に300年近い時間が経ってるわけですよね。それでも今でもずっと多くの人たちに希望と勇気を与える素晴らしい音楽を残したベートーベンに思いを託して、今日の一発目の配信を終わろうと思います。はい、それでは皆様ごきげんよう。