親子の関係について
こんにちは、さきです。フリーランスの壁打ちの人です。
はい、今日はですね、超個人的な話をしていきたいと思います。はい、あの、いつも個人的な話をしとるやないかいっていう感じかと思うんですけれども、
ただですね、これまであまり触れてこなかったお話、親子の話っていうものをちょっとしてみようかなって思ったんですね。
はい、親子の話ですね。
もしかするとヘビーな話が出てくるかもしれないし、出てこないかもわからないんですけれども、
私はですね、ずっと母親との関係が良くないんですね。
良くないというか、自分的には私としては母が苦手でして、
23の夏に実家を出たんですけれども、で、今35なんですけれども、
そうですね、実家に帰るっていうイベントがすごく苦手ですね、分かりやすく言うと、はい。
で、若い頃は、20代の頃はですね、お盆と正月の2回帰っていたんですけれども、年に2回ですね。
ここ数年、コロナ禍をきっかけに正月の1回だけに減らしていまして、
で、それもなんでしょうね、自分の中ではちょっとエネルギーを消耗するイベントだったりするっていう、そういう感じなんですよね。
で、正直その別に虐待をされていたとか、そういうわけではないんですけど、自分にとってはその相性が悪いというか、
エネルギーを消耗するというか、
まあもっと言えば、軽蔑をしていて、
で、あの、許せない、許したくないっていう相手が母親だったんですね。
過去の振り返り
なんですけど、あの、ふとですね、
本当にここ数日、昨日ぐらいかな、
あれ、なんか下達したかもって思ったんですね。
下達したかもって思って、で、今日ちょっとですね、
いろいろ紙に書き出していったんですよね。下達したような気がする、下達できる気がする、できてる気がするって思って。
まあその、なんでしょうね、
きっかけはですね、先日、人生加速コーチ直子さんの番組にお呼ばれして、
逆壁打ちっていうものをしていただいたことだったんですよ。
で、その、そうですね、ちょっとあの、直子さんのチャンネルはこのキャプションにも貼っておこうかなと思うので、
直子さんのですね、その発信とか、どういうことをお話しされているのか気になる方はぜひ覗いてみていただければと思うんですけれども、
本当にそこでですね、あの、素晴らしいコーチングセッションを受けさせていただいたなっていうですね、
そういう体験だったんですね、私にとって。
で、ちょっとその内容は割愛するんですけれども、
その逆壁打ちですね、直子さんからの問いかけがすごいきっかけになって、
あ、あれ、下達してるかもっていう今回の気づきに繋がったので、
ちょっとだけそのきっかけの部分だけお話しさせてください。
はい、逆壁打ちの場で何を聞かれたかっていうとですね、
あの、もともとは直子さんがですね、私がこう大人ぶって、
本来そんなに、あの、なんて言うんでしょうね、本来はもっと自由で子供っぽい部分もあって、
やんちゃな部分もあるのに、それをまあその貧困法制というか、ちょっと上品ぶってるというか、
大人らしく振る舞っているっていうところがあって、
もっともっとその本来の部分を出した方がいいんじゃないかと、
それを引き出してあげたいっていうふうに思ってくださって、
で、それであの、まあ、
さきさん自身が自分がホストの番組をやっていると、もしかするとそこではそのホストとしての立ち回りを考えてしまうかもしれないから、
私の番組に遊びに行きませんか?っていうふうにですね、お誘いをいただいて、
それで、あの、そこがスタートだったので、
さきさんは幼少期どんなお子さんだったんですか?どんな子供だったんですか?っていう質問が最初にあったんですね。
で、私この質問をされた時に全く思い出せなかったんですよ。
全く何も思い浮かばなかった。
幼少期?
え?ってなって、
なんか別に、
本当無って感じでしたね。
そう、何にも思い出せなかったので、
その場では全然違うお話をさせていただいたんですけれども、
そこで、
なんで幼少期を思い出せなかったんだろうって思ったんですよ。
そう、いいことの一つ二つ、
あるいはなんか悪いことの一つ二つ、
出てきても良さそうなものなのに、本当に何にも思い出せなかったんですね。
だから、なんでだろうって後からすごい疑問に思ったんですよね。
で、そしたら、すごく単純なことで、幼少期を振り返るっていうことをですね、
もう、ずっと何年もやってこなかったんだなって思ったんですよ。
で、逆に何をしていたかっていうと、私は中学、高校、それから大学とか、大人になってから以降に、
そうですね、その中学生以降、母との関係がこじれていったんですけれども、
その悪化していった後のことだけをですね、記憶をすっごい取り出して反省して、
だから私は、母のことが許せないんだと、許さなくていいんだっていうふうに、
自分で振り返るポイントっていうのがかなり限定的だったんですね。
だから、幼少期のことを聞かれても、とっさには何も出てこなかったっていう、そのことに思い至ったんですよ。
自己理解の深化
で、これが結構自分の中では、この気づきが大きくて、
なんで私はそんなにもネガティブな思い出ばかりを思い返して、掘り起こして、
で、過去の出来事ではあるんですけど、それをほじくり返して、「痛い痛い!」って言って、「ほら痛いじゃん!許せないじゃん!許さなくていいじゃん!」ってなってたのか。
そう、なんか、本当に私、許したくなかったんですね、母のことを。
よく、ものの本には、親との関係を修復しろとか、親を許しなさいって書いてあるじゃないですか、なんか、古今東西、いろんなジャンルの本で書いてありますよね。
でも、それをですね、なんか、はん!って思ってました。
なんで許さなきゃいけないの?って思っていたし、それこそですね、ナオコさんとの逆壁打ちで、ちょっとお話ししたんですけど、私が初めてコーチングを受けた時ですね。
あ、そう、えっと、振り返りでお話ししたのかな?
はい、コーチングセッションというものを初めて、ある会社さんのサービスを買って受けた時に言われたこととして、
本当に、さひさんが書いている問題は、あまりにも根深いから、その会社の短期間のプログラムで解決するものではないですと。
もっと時間をかけてじっくり向き合っていくべき問題だと思いますよ、って言われたっていうお話をですね、
ちょっと、1個か2個前の配信でしていたと思うんですけど、それが実は、母との関係の話だったんです。
はい。
で、簡単に言うとですね、私は本当に、母親を軽蔑して生きてきました。
すっごく軽蔑して、あの人のようにはなりたくない、って思って、
それをですね、自分の燃料にして、燃やして、
母のようにはならない、っていうことをガソリンにして、燃やして、一生懸命頑張って、
仕事をして、昇給昇格したりとか、その稼ぎを上げていくだとか、できることを増やしていく、スキルアップしていく、
っていうことをやっていたんですね。だから、すごく成長はさせてもらいましたね。
なんですけど、ずーっと苦しかったっていうのはありました。
で、なんで私はその
母を軽蔑するって決めたのか、許さないと決めたのか、
なんてことを考えていて、
軽蔑したポイントっていうのはもう明確に覚えていて、
私が高校生の時ですね、家が冷戦状態でした。
私の実家は父親と母親と私と弟という4人家族だったんですけれども、
ある時からですね、母親が宗教にハマりまして、その影響で父と母の仲がすっごい嫌悪になったというか、
冷戦状態っていう感じが、私が中学校に入学したあたりからかな、続いてたんですね。
だから、12、3歳ぐらいの時からそういうふうにちょっと家庭の中が本当に、なんでしょうね、
おかしな空気になっているというか、冷戦状態になっていて、
で、本当にその時中学生、高校生の時の私は本当にその空気が嫌で、嫌でたまらなくて、
まあ、そうですね。
で、別れればいいのにと思ってたんですね。
離婚してくれればいいのに、なんでこの人たち一緒にいるんだろうって思うぐらいですね、
その2人の冷戦状態の嫌悪なムードっていうものが、家の中を支配していて、
本当に迷惑だなって思ってました。本当に迷惑だから、
離婚してくれたほうが楽なのに、なんなんだろうって思ってたんですよね。
なんですけど、
高校3年生ぐらいの時ですかね、その時に学校からですね、ちょっと早引けしたんですね。
熱を出してしまったか何かで、当時インフルか何かが流行っていて、予想外にですね、私が早く帰ったんですね。
そしたらなぜか父と母が家の中にいて、父親がめっちゃ不機嫌。
なんでだろうと思って、平日の昼間、普段なら仕事に行っているはずの父がなぜか家にいて、
すんごいなんかもう、あの、嫌悪なムードで、
何事?って思って、なんでいるの?だし、何この空気?っていう感じだったんですけど、
その時に母から言われたのが、お父さんとお母さんは今はすごく関係が悪いと、
このままでは熟年離婚の危機にあると思っていると。だけど、
今日、その2人がいたのは、家に2人がいたのは、カウンセリングを受けていたんだよと。
夫婦2人でカウンセリングを受けたんでしょうね。カウンセリングを受けていましたと。
で、父親はなんか、俺は受けたくないって言ったんだ、みたいな感じで、こう吐き捨てるように言って、その場から去って行ったんですけど。
で、そんな父を見送った後に、母がですね、言ったのが、安心して、
あなたたちのために離婚はしないからって言われて、その時に、はぁ?って思ったんですね。
その時に私は、いやいやいやいやと思って、
なぜ、離婚しないのを、私たち子供のためみたいに言うのか、
って強い息取りを感じたんですね。 関係ないじゃんと思って。
私は、もう、その2人の空気が嫌だったので、さっさと別れてくださいって思ってたんですよ。
別に2人もいらないので、どちらか一方でいいじゃんって思ってました。
なんですけど、その、そうやって、あなたたちのために、別れないから安心してねって言われた時に、
あの、思ってしまったこととしては、
私を免財布にしないでくれと、子供を免財布にするなって思ったんですね。
あなたは、あなたはっていうのは母ですね、あなたは、自分一人で生きていく経済力がないから、
父に依存しなければ、生きていけないんですよねと。
だから別れられないだけなのに、なんでそれをあたかも子供のために我慢していますみたいな、
子供のために努力していますみたいな言い方をするんだって思って、
すごい怒りを覚えたんですよ。
そこから、私はすっごくですね、
私はそうならないようにしようって決めたんですね。
ちょっとさすがにこのことを母本人に言ったことはないです。
ないんですけども、心の中でそう決めたっていうのが高校生の時ですね。
私は絶対に経済的に自立するんだと。
で、その別れられないみたいなことを、子供のせいに、もし将来仮にですね、自分が結婚して子供が生まれたとしても、
苦しい過去の振り返り
子供のせいにするような人にだけには絶対にならない、絶対になりたくないって思って。
で、卑怯だとも思ったんですよね、なんかそれって。
なんで人のせいにしてるの?
あなたの人生ですよねっていうふうに思っちゃって。
で、それでその母親をですね、
軽蔑することで、
私はその自分で働いていくと。
結婚しようが独立しようがわからない。その時別に15歳、18歳ですかね、高校生。
結婚願望も独身願望も何もなかったけど、
でも、一人で生きてご飯を食べていけるようにしよう。
って決めました。
で、その通りにやってきたんですよね。
3ヶ月で、新卒で入った会社を3ヶ月で辞めて絶望した時もあったし、
次に入った会社はものすごくブラックでシンシン病んじゃって、半年間フリーターをやったこともあったし、
どうすんのこれって思いながら、
それでも実家に帰るっていうことはしなかった。
なんとか頑張って東京の家賃を払って、
暮らしてきて。
それこそですね、なんかあれですね、
本当にある時、
24歳の時ですね、私は
すっごい怖い目にあったんですね。
簡単に言うと、路上で男性から暴行を受けました。
不幸中の幸いにして、
何してるの?って声をかけてくれた人が、通りかかってくれた人がいたので、
本当に寸前のところで
未遂に終わったっていう感じなんですけど、でも本当に、
なんでしょうね、結構トラウマになるようなことが起きて、
抵抗したら首を絞められて、
ちょっと露骨な表現になってしまうので、これ以上は話さないですけど、
体に自分が確認できただけでも、もう馬鹿力で抑えつけられてたので、
3つほどあざはできるし、
男の人怖いなってなるような事件があって、
暴力的なことがあって、
その後ですね、
その事件があった町からは引っ越すんですけど、引っ越して
一人暮らしを始めたんですけど、
その前はですね、女の子とルームシェアしてたんですけど、そこもいろいろあって一人で一人暮らしをするってなって、
でもですね、
やっぱりトラウマになっちゃってるので、
夜、
悲しばりにあうんですよ。
夜一人で寝ている時に悲しばりにあって、悲しばりにあって身動きが取れないという
状態で、
男の人がですね、
窓から侵入してきて自分を見下ろしているっていう、そういう
夜、
あの、幻覚というか、悲しばりにあっている時って半覚醒状態なので夢なんですよね。
実際に別に男の人はいないんですけど、体が動かない状態で、
木造、地区50年の
木造のボロアパートにしか住めなかったんですよ。同時お給料が安すぎて。
頑張って
2階の洗濯機は中にある、そういうところを選んだけど、
まあ、なんか
そういうですね、もう
ドアとか蹴破れそうなボロい、ボロボロのアパートに住んでて、すっごい惨めだったんですけど、
そういうその夜に、恐怖で眠れないみたいな体験を
した時も、それでも実家にだけは帰れないって思いました。
貧乏をして苦しくても
食費を削ってでも頑張って、東京の都内での家賃を
払って、暴力を受けても、そうやって悲しばりにあって、幻覚を見ちゃうような
夜にですね、
一人ぼっちだ、本当に
思ったけど、怖かったけど、でも
実家に帰るよりかは、この恐怖の方がまだマシだって思って
一人で、一人で生きていくと決めたし
まあでも本当にですね、それぐらい
そんな目にあっても帰りたくなかったんですね。
帰った方が辛いって思っちゃうぐらい、私にとって母は
すごく苦手の対象でした。
許しへの道のり
だいぶ、だいぶですよね。
本当に当時お盆と正月には帰ってましたけど、そうするとですね
1週間ほど体調を崩してたんですね。これは自分では気づいてなかったんですけど
当時の同僚から言われました。君は夏休みと正月に実家に帰ったら必ず1週間ぐらい
体壊してるよね?大丈夫?って
そういうふうに具合が悪くなっちゃうぐらい、母が苦手
なので、なんかそういう許しなさいみたいな
許したら楽になれるよって書いてある本とか読んでもけって思ってました。
なんなんだよっていう、なんでこっちが許さなきゃいけないんだよって
思って過ごしてきたんですよね。
で、なんでそんなに許したくなかったのかって
いう話になってくるんですけど
やっぱり一人で
頑張って燃料を燃やして、どんなに寂しがろうと、どんなに不安だろうと、どんなに恐怖があろうと
絶対に 一人でどうにかする
実家には帰らないって
なるためにはもしかすると憎んでいる必要があったかもしれないし
そうですね。 あとはですね、その軽蔑したっていうこと以前にも
なんかあのやっぱりですね許せないと思う出来事がたくさん散り積もであったんですよね。
これは何かっていうと
私は4人家族だったっていうお話を先ほどしたと思うんですけど、父母、私、弟ですね。
で、すっごくですね、差別されてるなーって思ってました。
弟の方が可愛がられて、私は嫌われてるんだ、愛されてないんだって思ってました。
めっちゃくちゃ簡単に象徴的なエピソードを話すと、弟は母から愛してるよっていう言葉をもらったことはあるけど
死ねっていう言葉を言われたことはないそうなんですね。 私はその逆だったんですよ。
面と向かって言われたことはなかったかもしれないんですけど、でもあんな頭のおかしい娘がいたら誰だってイライラするわ
みたいなこととか、あんな娘いなくなればいいのに、死ね死ね死ねって言いながら、母が台所で包丁握ってなんかそう
そういうことをですね口ずさみながら 料理をしている姿とか目撃してまして
本当にですね、恐怖でしたねそれはそれで。なんか歌ってたんですよね。 あんな娘いなくなればいいのに、死ね死ね死ねみたいな感じで歌ってて
結構ゾッとしましたね。
子供の頃私体がちっちゃかったので、母はカッとなると手が出る人だったんで
それも怖かったんですけど、でもその事件があったのって大学生の頃で、私はもう母の身長を追い抜かしていて怖くなかったはずなんですよ。
高校生ぐらい、高校生の時に初めて部活に入って運動して背がぐんぐん伸びて、中学入学した時140センチしかなかった身長が
大学生の時は165になってたので もう体育で負けることはない
だから母がカッとなったとしても自分の身は自分で守れるって思ってたんですけど、別にそんな
あれですよ、そんな殴られたりとか虐待とか全然なかったけど、おチビちゃんになった私にとっては怖かったんですよね。
なんですけどその様子を見た時はやっぱ怖くて 当時のバイト先の店長に言いましたね
もし私が無断欠勤することがあったとしたら家庭内で何かがあったと思って警察に通報してくださいって真剣にお願いする程度にはちょっと様子がおかしかったんですよね。
だからめっちゃ怖いと思って
で ちょっとその話を戻すと
そんな事件が別に頻発してたわけじゃないんですよ もっと小さなことですね
例えば
あのお小遣いの金額とかあれ欲しいこれ欲しいって弟は言ってどんどん買ってもらえているのに自分にはその何か
欲しいものを買ってもらえるっていう場面が来ないなぁとか
なんでしょうね、あとは自分の部屋の方が狭くてクーラーもなくて
弟の部屋の方が広くてクーラーも設置されててなんかすごい格差を感じるとか
あとは自分は絶対に公立に行けって言われていたんだけど弟は私立の高校に行ってもいいよって言われるとか
これは母っていうより父親も含むだったんですけどね まあでもそのそういうことが日常的にあって
土日に家族で4人で食事をしていてもその話題に上がるのは弟の話だけなんですね
当時野球部だったかなと思うんですけど野球はどうだっていう話は父親も母親もするんですけど
私が剣道部に入っても剣道の話っていうのは食卓に一切登らないみたいな感じで本当に居場所がないなー
って思っていて すっごく
あの兄弟感で格差を感じていたんですよ でそういう思い出はいくらでも思い出せたんですけど
幼少期 どんな子供だったんですかって聞かれた時に
本当に思い出せなかったのは そう中学生以降のそういった
自分は愛されていない自分は差別されてきた 自分は否定されてきたっていうですねここの
思い 思い込みというかここの認知を
自分自身でものすごく強く強く強く思い返して強固にしてきたからなんだなってことに気づいたんですね
そう で
じゃあ本当に 最初から生まれた時から私は
母に嫌われていたんだろうか 愛されていなくて差別をされていたのだろうかって初めてそういう疑問を持てたんですよね
これはですね あの
あれですね マイコーチがお勧めしていた心谷陣之介さんの一生お金に困らない生き方っていう本を読んでいて
そこに何かこう受け取り力みたいなことも書いてあって そこでハテって思ったんですよ
それはお金の話だったんですけどあれって思って 私はずっと
どうせ自分には与えられない 弟ばっかり
愛されたりとかものが与えられたりとかお金をかけてもらえたりとかしていて 不公平だというふうに思って生きてきたけど本当にそうだったかなって思い直していった時に
もしかしたら自分にも原因があったのではないか っていうことに
そういう結論に至ったんですよね つまりきっかけはあったかもしれない
そう 弟が欲しいって言ってるんだからあんたは我慢しなさい
っていうですね そういうことが確かにあったと思うんです
あったはず あってそういうきっかけはあったんだけどでもそれによって
私はもう諦めちゃったんですよねどっかで
どうせ 私は我慢を強いられる立場なんだと
どうせ自分には与えられないから どうせ自分は愛されてないから
だから 別に欲しくないです
っていうふうにやさぐれというか拗ねていった
でそれに対してですね弟はあれ欲しいこれ欲しいって結構ポンポン言うんですよ
言ってたなと思って言ってるから与えられてて でなんか
弟ばっかりずるいみたいなことを言った時に だってあんた欲しいって言わない
言わなかったじゃないっていうことも言われたなーって思って その時はですね
だってどうせ私のことなんて聞かないでしょって思って黙っちゃったんですけど
そういうふうに諦めてしまうくらいの出来事は続いていたかもしれないけど
でも そういうですね
自己受容と解放
自分で いつからか受け取らなくなった
っていう側面も確かにあったなって思いました しかもですねまあなんか弟もですね
大人になって 大人になった時に
友達に自分の家庭のことをなんか話してたらしいんですよね その時にそんなに否定されるっておかしいよって言われたらしいんですね
うん そうだからあのもしかするとそう
何の話をしてそう言われたのかわかんないんですけど 弟は弟で
あのすごく私に優しいんですけど どんだけ君は優しいんですかっていうぐらい優しいんですけど
そう関係が良くなったのは多分大人になってからなんですよ 私はあの子供の頃に弟さえいなければ私が愛されていたのかもしれないのにって思うので
弟のことはやっぱり憎んでいたんですよね でもお互いにその家を出て大人になってすっごい仲良くなったんですよ
それは何でかと言ったら 弟もですねなんかうちっておかしいらしいねって
なんかある時言ったんですよね そう
で あの
そうそうそう なんか弟何かの時に弟に電話をして
ちょっと本当に多分すっごい悩んでいた時に電話をして そしたら弟があの何忙しいんだけどって言いながら
2時間ぶっ通しで話を聞いてくれたんですね でなんであなたはそんなに優しいんだって聞いたんですよ
なんで否定しないのっていうふうに聞いた時に あの俺は
あの 女性の話は否定せずに最後まで聞くって決めてるって言って
なんでって聞いたら そのまあやっぱりですねなんかあの昔はそうじゃなかったんだけど
その 自分自身弟ですよね彼自身も母からすっごい否定をされていたっていうことにある日気づいたらしいんですよ
それはその彼が彼の友人と話していた時に そんなにそのお母さんなのかな
まあ親からあれもこれも否定されるっておかしいよそれ普通じゃないよって言われて あ
俺が受けてきたその コミュニケーションというのは普通じゃなかったんだって気づいて
でそこから何かいろいろ思うことがあってその なんでしょうね
女性の話は否定せずに最後まで聞くと決めたらしいんですね
うん だからあそうだったんだーってなって
うん ということはその私がずっと思っていた
弟ばかり愛されていて自分は愛されていないという過程すらやっぱり違っていたのかもしれない なってことはちょっと思ったんですよね
どちらも否定されていたのかと思って どちらも頭ごなしの却下はあったし
どちらもなんかいろいろなことを否定されていたけど彼は諦めなかったんだなーって 思ったんですよね
諦めずに俺はこうしたい って伝えるとか拒否されてもやってしまうとか
ちゃんと自分の意思を 捨てずに
主張するとかどんなに否定されても知らねえってやっちゃうみたいなそういう強さがあった
ということなんだ って気づきましたね
だから 長くなったんですけれどもその結論としてはですね
いつからか私が受け取らなくなっていたんだ っていうことに気づいたんですよ
受け取らなくなっていたから
差別だ 否定だ 自分は愛されていないんだ
こんなにもひどいことをされているんだから私は母を許さなくていいんだ っていう
そういうですね
ふうに自分で自分に思い込ませて 許さなくていい相手なんだから軽蔑していいんだ
軽蔑しているから私は一人で頑張らなきゃいけないし 一人で頑張るエネルギーが燃料がそこで湧いてくるんだっていうですね
そういうかなり不健全な自家発電をずっとやってきたんだって思ったんですね
そこに気づいた時に なーんだ
って下脱してた そんな感じですね
はい
だから
やっぱり自家発電はできてたけど苦しかったわけですよね どこまで行っても苦しかったんですけど なんか今すっごい楽になっちゃって
どうでもよっちゃんになっている感じですね あれーっていう
そうだから半ば自分が作り出した原影というか その
なんかこう10ぐらいしかなかったことをこすってこすってこすりまくって100とか 1000とかぐらいまで増大させてたんだなぁみたいなこともちょっと思いましたね
そんな感じで私は
そう 下脱しましたよっていうお話でした
解脱の経験
これねー 本当に
あれーって感じですね 下脱したばっかりなのでもしかしたら今後ですね揺れることもあるかもしれないけど
いやー自由になったなぁ って感じです
ちょっとねまとめを話そうと思ったんですけど 今日はそういう頭ではないのでもう言いたいことを言いたいだけ
ぶわってアウトプットしたこの発散した状態で終わりにしようと思います はい
最後にですね 人生加速コーチ直子さん
もう本当に あれがきっかけでした
うん あの逆壁打ちでの
直子さんの投げかけが きっかけで
こんなことだったのか
なったので本当に ありがとうございますと伝えたいですし
はいもうちょっとですね あの皆さんにも伝えたいです
直子さんですね もしあのまだ知らないよっていう方はキャプションに貼っておくので
聞いてみてください もしかしたら私と同じように苦しんで
いる人にとって なんかあの見つけてもらえるんじゃないかなって
思います はい
そんな感じで今日は 終わりたいと思いますはい
気絶しました ではではあったかくしてお休みください
はい最後までお聞きいただきありがとうございました また別の配信でお会いしましょう