社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております。
イッポラボ合同会社代表の田中大一さんです。 田中さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいまして、 ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
田中さんとの出会いのきっかけなんですけれども、 ちょうど僕はポッドキャストを配信していて、
誰か外来の方でポッドキャストを やっている方がいないかなと思って検索していたら、
ちょうど田中さんがポッドキャストをされていまして、
タイトルがこの世界の歩き方、 鳥取から落雷に乗っていきましょうという番組をされていて。
ふざけてますね、タイトルが。
外来生とか陰性の時の方と ゲストで呼んでましたよね。
そうですね、呼んでました。
それで面白く聞かせていただいていて、
いつか収録の依頼ができないかなと ずっと思っていたんです。
ありがとうございます。
私の大学の先輩がフェイスブックを通って 投稿していらっしゃって、
その投稿の内容が田中さん、 今日出ていらっしゃる田中さんが、
2020東京オリンピックの聖火ランナーに 出ているというのを投稿をあげていらっしゃって、
これ、あの田中さんだと思って、
このタイミングで収録オファーできないかなと思って、
ダメ元で僕の先輩にお願いして、
田中さんいいよって言ってくれたんで、
収録に今回つながったという感じですね。
ありがとうございました。見つけていただきまして。
ありがとうございます。
今回聖火ランナーを2020東京オリンピックに 出られたじゃないですか。
そのきっかけって何かあるんですか?
きっかけは、今回4つ大きいスポンサーが ついていたじゃないですか。
トヨタとNTTと日生とコカ・コーラか、 4社だったんですけど、
4社がそれぞれ聖火ランナーを 募集された時期があったんですよね。
その時にトヨタの枠で応募してみたら、
選んでいただけたっていう感じです。
そうなんですか。毎回走りたかったって感じですか?
何かしらオリンピックに関わってみたいな 気持ちがあったんですよね。
その一つが聖火リレーかなっていうのがあって、
鳥取県として募集している方法があったのと、
スポンサーとして募集している方法が 2つあったんですけど、
県の方はいとこが推薦してくれて、
スポンサー枠は自分で出してみて、
当たる可能性を高めて応募したんですけど、
そしたら結果的にトヨタさんから 選んでもらえたっていう感じですね。
そうですね。
そうですよね。
時間を見つけて国際協力の方に向かうというところで、いろいろ葛藤されていたんですね。
そうですね。
その質問をしたいんですけど、
そこから東京外国語大学の大学院、私の先輩というか大学院の人もいないんですけど、
東京に出てこられたじゃないですか。
東京外大の大学院に出てこられたきっかけはどんな感じなんですか。
きっかけはですね、国際協力が勉強できるということと、
もともと達成できなかった東京に行こうという両方を何とか実現したかったんですよね。
なので、国際協力勉強できて東京にある大学院という条件で調べたら、
東京外大と東大と、ちょっと東京離れますけど筑波があったんですよ。
それぞれ勉強できることとか調べて、研究室訪問とかもできるところはやったんですけど、
一番東京外大大学院の岡田先生という先生がいらっしゃるんですけど、
岡田先生。
大人気のゼミなんですけど。
聞いたことありますよ。
本当ですか。
とてもとても多国籍な人数の多いゼミなんですけど。
岡田先生のところに行ったらすごいウェルカムしてくれて、
ぜひおいでよって言ってくれて、かつ勉強したいこともきちんとできそうなことがわかったんで、
実際に訪問したんですけど、岡田ゼミを。
それあれですか、院に進む前に学部生のとき、大阪教育大学院にいたんですか、東京に来て。
大教大の3年生のときから院の著作をしてて、3年生のときにゼミ訪問してました。
早いですね。
そのときから岡田先生には顔と名前を覚えていただいて、
実際入試のときにも、元からいた院生の方にメンターとしてついてもらって、
手取り足取りを教えてもらってたんで、
そういったご縁もあって、大学院は独大大にしようと。
もうスッといった感じですね。
なるほど。
結構準備万端の状態で行ったんですね、3年生くらいから。
行きました。
なるほど。
田中さんも府中に来られてたんですか、住んでたんですか、府中に。
もちろん通ってましたし、住まいは当時姉が東京で働いてたんで、
2人暮らししようって話になったんで、僕は中野から通ってました。
そうなんですか。中野から武蔵坂入れて、武蔵坂で多摩線ですか。
ですですそうです。
そんなラインですね。
じゃあすごい親近感湧きますね。
同じですもんね。すれ違っているくらいもあるかもしれないですね。
そうですかね。
食堂とかで。
サポールとかで、ミールとかで。
懐かしいですね。
そういう社会人としての不満とかはやっぱり溜まっていきましたし、
あとは、僕がやっている組織はちょっと特殊なんですけど、
例えば学校を作るって話になったときに、案件になったときに、
外務省がまるっとその資金を支援対象の国の政府に渡したとしても、
そのプロジェクトのスケジュール通りかつ予算通りに案件が進むかどうか保証できない場合は、
僕らは代わりにお金とかを預かって、先方政府に代わって進めていくっていう言い方だったんですよ。
代理機関って言ってたんですけど、
日々の業務の報告先は先方政府であり、日本の外務省であり、
果たして地元の実際その地域の子どもにどれだけ恩恵があるんだろうかとか、
自分が付き合う相手は政府のお依頼さんだけだったりとかしたので、
もっと現場、もっと子ども寄りのところで働きたいなという気持ちも湧いてきたりしたんですよね。
なるほど、現場に寄り添いたいなみたいな。
そうです。
最初はもちろん学校建設できて嬉しいという気持ちはあったんですけど、
やっぱり働けば働くほどいろんなところが見えてきて、より良い働き方があるんじゃないかなっていうのを思い始めた感じです。
なるほど、いろんなストーリーがあって、いろんなこと経験されて面白いですね。
本当ですか?もうちょっとうまく話せればいいですけどね。
伝わってます?大丈夫ですか?
めちゃめちゃ伝わってますよ。
その後、いろんな葛藤がありながらも複数キャリアを経てということで、
インテリア株の商品開発とかオーデモ国大リティの営業というキャリアを経て、
また創業に移ったと思うんですけども、その経緯ってどんな感じで移ってきてたんですか?
経緯はですね、ちょっとこれもいろいろな経験があったんですけど、
ZIXっていう国際協力の団体で働いているときに、ちょうど東京オリンピックの開催が決まったんですよね。
これを受けに日本の外務省と文科省が日本のスポーツ文化を海外に広めるっていう事業を始めて、
スポーツスポートモローと呼んでるんですけど、それが始まったんです。
それの初年度の授業にアフリカのマラウィと南米のグアテマラで運動会をするっていう授業が始まりまして、
僕は幸いにもマラウィの運動会のメンバーとして現地に行くことができたんですよ。
それまでの学校建設とはまた違う仕事が体験できたんですけど、それをやるにマラウィに行きましたと。
アフリカですよね?
はい、アフリカです。5週間くらい滞在して運動会をやってきたんですけど、
それはそれでとても意義のあることができたんじゃないかなと思ってるんですが、
その運動会に参加してくれた子どもに1人1本ボールペンを配ったんですよね。
このボールペンにはスポーツフォートモローのロゴマークが入っているので、
半分は広報、半分は純粋な企画みたいな感じだったんですけど、実際このボールペン。
今ね、映ってますね。本当はスポーツフォートモローって書いてますね。
ずっと持ってるんですけど、このボールペンを配ったところ、
県内の子どもがどんな反応をしましたかっていうと、
1本1本ビニール袋に入ってたんですけど、
そこから出さずにギュッと握っている子どもが何人もいたんですよね。
それを見たときに、確かに学校はあって先生もいて、黒板とかもあるんですけど、
子どもが自分で使える勉強道具を持ってなかった子どもが何人もいたんですよ。
勉強をするって自分の手を使って文字を書いたり計算したりしないと、
僕は身につかないと思ってるんですけど、そういう機会が彼ら彼女らにはない。
果たしてそういう状況で教育を受けてるって言えるんだろうかっていう疑問が湧いてきてですね、
僕的には言えないっていう結論になったんですよ。
なんでこういう子どもにそういった勉強道具が提供できるような仕組み作りができたらいいんじゃないかなっていうのをその時は思い始めてですね。
ただ、その仕組み自体はその時は出てこなかったんですよね。
どういう風にやったらいいかわからなかったので、そういったことがしたいっていうアイディアがずっとあったんですけど、
日本に帰ってきてからしばらくしたときに偶然出会ったんですけど、
アメリカのブランドでトムスっていうブランドあるのご存知ですか?
鳥取のYouTubeの時にお聞きさせてもらいました。
アメリカのブランドなんですけど、もともとはスリッポンを作るところから始めてて、
そのスリッポンが一足売れるごとに海外の子どもに一足靴を無償提供するっていうのをビジネスとしてされていらっしゃって、
これをワンフォーワンっていうキーワードで呼んでるんですけど、
その仕組みがすごいいいなと思ったんですよね。
なんでそれを真似したらいいんじゃないかと。
つまり、教育に関するものを作って販売して、
それが売れるごとに海外の子どもに学習道具を提供すればいいんじゃないかっていうところに行き着いたので、
じゃあその仕組みで将来は起業しようというところに行き着いたんです。
なるほど。
たまたま動画か何か見たんですか?アメリカの会社さんは。
これがですね、
行きがってとあるときに表参道の美容院で髪を切ったことがあったんですけど、
そのときに偶然目の前に出された雑誌を読んでたら、
偶然トムスの靴が出てきて、
かつ多分今もあるんですけど、原宿のキャットストリートに路面店があるんですよね。
で、トムスの靴が出てきて、
その路面店の住所も書いてあったんで、今いる場所が表参道だし原宿近いんで、
じゃあ歩いて行ってみようと思って行ったんですよ、散髪終わった後に。
実はお店に行ってスリッポの実物とか見たり、
あとそのお店の世界観とかを触れたときに、めっちゃいいなと思って。
どのとこがいいなと思ったんですか?
一足売れたら海外の子供に救うっていう、そういった授業はしているものの、
靴そのものがめちゃくちゃかっこよくてオシャレだったり、
あと、もともとビバリーヒルズのセレブから広まってたんですけど、
オシャレな人が履いている感の店内のディスプレイとかデコレーションとかだったりしたんで、
ブランド的にもハイセンスだなとか思ったりして、
その会社のやってることもかっこいいし、商品自体もかっこいいし、
お客さんのお気に召し上がりもかっこいいし、
お客さんのお気に召し上がりもかっこいいし、
お客さんのお気に召し上がりもかっこいいし、
その会社のやってることもかっこいいし、商品自体もすごくセンスがあってかっこいいなと思ったんで、
これめっちゃいいなと思ったんですよ。
その時でも全てがつながって、
トムスのやり方をパクらせていただいて、
それの教育バージョンができないかなと思ったのが最初です。
トムスさんも喜んでるじゃないですかね、日本で同じようにされてるってことで。
そうですね、いつかお会いしたいですよね、社長さんに。
対談ですね。
対談できるもんなら相当相手は大きいですけどね。
今、一歩ラボさんで木製玩具の製造とかされてると思うんですけど、
自分たちのブランドのコンセプトだったりとか、ビジネスのスキームだったりとか、
それも意識されてる感じですか?
そうですね、意識はしました。
ただ今回は僕の場合なんですけど、大学から県外に出たので、
逆に少しずつ将来は鳥取に貢献したいなという気持ちが生まれてたんですよ。
企業するタイミングでは鳥取に帰ろうと思ってたので、
鳥取でもできる商品作りからやろうということもあって、
鳥取は田舎なんで木もたくさんあるなということが分かりましたし、
かつ新規参入できなくはないジャンルでもあったので、
木製玩具から始めたというのがきっかけですね。
なるほど。
質問したいんですけど、最初は高校卒業して大阪に出る時には鳥取に出たいと言って出たじゃないですか。