社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という固いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております。
プロフェッショナルコーチ・コミュニケーション・クリエイターの 長井克之さんです。
長井さん、よろしくお願いします。
長井さん、よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいました。 ありがとうございます。
長井さんはですね、これは以前出ていただいた、 ハッシーさんと慶子さんがやっている独立語のリアルで、
ポッドキャストで知り合ったのがきっかけで、
ちょうど100回記念のオンライン勉強会のところで、 長井さんが出られていたと。
以前も長井さんはポッドキャストで、 ゲスト界で出られていて、
間接的に長井さんは知っていたんですけど、 オンライン勉強会で初めて顔を見せていただいて、
ちょっと軽くぐらい喋ったぐらいですよね。
そうですね。
軽く喋ったぐらいで、 いつか会えたらいいなぐらいの感じで喋ってたんですけど、
サニーデーフライデーを聞いていただいたってことは、 メール送っていただいたんですよね、長井さんから僕の方に。
それ本当にありがたいなと思って、
ぜひ良ければちょっとご飯でも行きましょうか、 みたいな話になって、
大阪の飲み屋のところで一回飲んで、
長井さんも駐在院の経験があるって話になって、
ぜひ僕のサニーデーフライデーの海外駐在の方とか、 海外の働き方とかめっちゃ聞きたいので、
ぜひゲストに出てくださいと言って、 今回ちょっと来ていただいたという感じですよね。
長井さんはもう今ずっと会社の方で働かれてきてて、 営業の今までご経験もありますし、
あとインドネシアの方で駐在院として、 拠点庁として働かれたと思うんですけども、
国内と国外のどちらの経験もあるということで、
その辺とかもめちゃくちゃお話聞きたいですし、 私の番組は働き方を考える番組なので、
長井さんが今まで大事にしてきた働き方のこととか、 あとキャリアの軸ですね、
今プロフェッショナルコーチとかコミュニケーションクリエイターとして 働かれてると思うんですけど、
どういう軸でそういう風に選んできたのかとか、 その辺をお聞きしたいなと思って、
今日やっていきたいなと思ってます。 長井さん、今回僕はサニーデーフライデーのゲストで、
出てくださいっていうお呼びさせてもらったと思うんですけど、 出ようと思った一番のきっかけ決めてってどこにありますか?
これはいろいろ話した後に最後にもう一回 そこの話をしたほうがいいかもしれませんけど、
コーチングに出会ってコーチングしていく中で、 その人の生き方とか働き方とか、
働き方っていうのは結局組織と人の関係とか、 そういうことにどんどん関心がいくわけで、
そんなことはソラリーマン自体も考えてたんですけど、
この番組は働き方を考えるっていうのは、 まさにそういう僕のテーマとかなり近いなと思って、
いろいろ伺うと結構若い人が聞いておられてて、 出てこられるゲストの方も考えをしっかり持った方が大勢おられて、
令和っぽいっていうか、いわゆる昭和っぽくない方が多いんですけど、
そういう人に僕の昭和の価値観と融合させて、 新しいものができたらおもろいなとかですね、
そんなことを思って結構期待をして参加させていただきました。
本当に永井さんも今までいろいろと話されてきてると思うんですけど、
サニーデイ・フライデーのリスナーさんに向けて熱いメッセージというか、
違う考え方だなみたいなところも話してきたらすごい嬉しいのかなと思いますので、
すごい楽しみにしてます。
いつも飲み会とかでお酒飲みながら話してるんですけど、
今回会議室で主役で喋ってるので、 違う感じで喋れるのかなと思いますので、
またよろしくお願いいたします。
サニーデイ・フライデーのリスナーさんのために、 永井さんの自己紹介をしていただきたいなと思いまして、
皆さんに永井さんの人となりというか自己紹介いただけたらと思います。
ちょっと書いた原稿がありまして、読み上げていくんですけど、
リスナーの皆さん初めまして永井と言います。
先ほど田村さんからご紹介いただきましたが、
大手メーカーを定年まで勤め上げた後、
小会社に勤務しちゃったんですけども、
それも今は辞めて、
障害学習開発財団の認定プロフェッショナルコーチの資格を得ましたので、
会社を辞めてフリーランスとして活動を開始しました。
今61歳なんですが、こういう年確保、
定年を迎えるまでサラリーマンを勤め上げたと、
こういうのを見ている感じでは、
この番組の出演者としては結構異色なんじゃないかなというふうに思ってますし、
異色という意味では、子供が5人もいるとかですね、
サラリーマンしながら37歳から13、4年ぐらい、
小学生のミニバスケットボールのコーチに随分ハマったということとか、
さっきの国内対応の勤務とか、
割と個性的な人間だというふうに自分で思ってます。
サラリーマンの時は国内をメインでしたけども、
インドネシアで500人ほどの製造販売会社の拠点地を4年弱やらせていただきました。
学生の頃から人というものへの関心が強くて、
社会人になってもずっと人とか人と人の関係とか、
そういうことを考えたり語り合ったり、
いろいろ試行錯誤してきたと、そんな気がします。
私はもう年齢からも含めてですね、
本当に昭和親父なんですけども、
もう令和に通用しない部分がいっぱいあるんですが、
昭和から令和への橋渡しみたいなことができると、
とってもいいなというふうに思ってまして、
今日は楽しみに参加してます。
熱感の関西人ですので、
今日は関西弁が出まくりですけども、
どうかご容赦のほどお願いいたします。
大阪の会議室で今日収録させてもらってますけども、
一応ホームってことですね、大阪でね。
全然長居さんが話しやすい感じで喋っていただいたらと思います。
ちなみにどうですか、定年を迎えられたじゃないですか。
大学卒業して社会人になって、
今の気持ちというかどんな感じですか?
定年を迎えるときっていうのは、
去年2月だったんですけど、
そのしばらく前から万感胸に迫るものはありましたし、
その時点で子会社で勤務を継続することが決まってたから、
当面は仕事をさらにするということだったんですけど、
そこもいずれ62とか長くても65とかで組織を離れるという感じ。
みたいなつもりでやってましたし。
40代になるといわゆる課長になってきて。
今度はきちんと仕事もさないといけないということも思いましたし。
50代になるとだんだん自分でどうですかね。
ちょうちょはしやるのはね。
多分ちょっとフェードアウトしていかないといけないし。
任せていくみたいな。
さないといけないし。
だけど俺やったらもっとこうできるのにとかね。
そんなことはずいぶん思いましたし。
そこの隣でずいぶん苦しんだみたいな感じじゃないですかね。
最初の足引きをお客さんのところに通っていって。
そこからお客さんの代表になっていくみたいな。
その会社の代表の顔っていうのがどんどん増えていくことによって。
自分の自信になっていくという感じですか。
そうですね。
どうですかね。
仕事をしてて何が面白いかっていう話はね。
結構大事な話かと思うんですけど。
田村さんどう思います。
仕事して楽しい時ですか。
何が楽しみで仕事をするんでしょうね。
それめっちゃ深い話なんですけどね。
確かにそうだな。
最初とかはやっぱり自分自身がそこでお金を稼ぎたいとか。
そういうのを考えたりもしたんですけど。
どこまでいってもそれって限度がないなみたいなところはあるし。
比較しても仕方ないなみたいなところを考えることがあって。
最近はやっぱり自分にしかできないこととか。
俺にしか頼まないことっていうのを自分で追求できたなみたいな。
それが喜びみたいな。
自分にしかできないことね。
田村だからやってくれたみたいな。
それがちょっと嬉しいなみたいなあったりするんですけど。
そりゃ嬉しいですよね。
どうですか?
私の時はやっぱり誰かに信頼されるとかね。
誰かと絆が実感できるとかね。
そういうのが仕事を頑張る原動力になったんだと思いますね。
絆ですか。
お客さんから信頼されていって、その信頼されている絆の数が増えたり。
それから信頼された絆がもっと太くなったり。
でも今の田村さんと一緒ですが、自分が頼りにされているなと。
そういう感じを実感していくのが自分の仕事をする楽しみだったと思いますね。
確かにそうですよね。
長居さんだからお願いしちゃえとか。
この人だったらヘマしないとか。
そういうのがあると、俺って頑張ってるなとか。
自分が頑張れるなっていうところが原点になったりしますもんね。
一番最初にそういうものをどうやってゲットするかっていうのが一番大事で。
そこめっちゃ聞きたいですね。
一旦一つずつゲットできると、あとは横展開したらいいっていうかですね。
そうか、このパターンでいけば俺はここで認められるんだというのが見えると。
それをずっとやっていけるわけですよ。
ところが一番最初に、信頼得るというそこのブレークスルーするところが多分一番大事で。
僕の今の話でいう一番最初に会社を辞めたいと思ったときは、
そこがなかなかブレークスルーできなかった時期でもあったし。
もちろんそれは新入社員なわけですから当然なんですけど、
それがここでやってみようかと思ったり、ここで落ち着いて俺はやるぞと決心したりしていって