実家に帰省した際に、空き時間があったので、親父と一緒に収録をしてみました。
・親子 ・子育て ・教育 ・母ちゃん ・商売 ・万引き ・闇金 ・黒塗り ・スキンヘッド
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サマリー
YOGA LIFE smsuunのケンスケは、明日を生きやすくするラジオ番組を実家で収録しています。父親がゲストとして参加し、子育てスタイルや家族のエピソードについて赤裸々に話し合われています。父親はネットワークビジネスに夢中になり、辞めることを決意しました。その後、やめてよかったと感じ、奥さんの支えが大きかったと語っています。過去を振り返り、大器晩成型の人生が語られています。
父親の子育てスタイル
スピーカー 1
みなさん、おはようございます。YOGA LIFE smsuunのケンスケです。
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、YOGAの学びを交えた、僕たち夫婦のタイムライトトークを、月曜から金曜まで、福岡の山小屋よりお届けしております。
Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ始まりました。
今日は、僕は今、千葉の実家に帰省しています。
今日は、家族、僕の父親にゲスト会で参加してもらうことにしました。
早速紹介したいと思います。
マコトさんです。
よろしくお願いします。
今日の昼、母の墓参りに行ってきたんですけど、その時に、今日の夕方からの予定までの時間があるので、これはゲスト会でも撮ろうかなということで、お願いして。
よく分かっていないまま、一応承諾をもらってね。
何の打ち合わせもしていないので、何に話すんだろうって、今思いながら目の前にいる感じだと思いますけど。
別に何に話してもらうってそんなに考えてないんだけど、せっかくなので、僕の子供の頃というか、わりと若いうちの話とかをちょっと回想しながら話すのもいいかなとか。
あとはね、やっぱり娘が小学校3年生になって、もともと息子の方はほとんど子育てをしていないじゃないですか。
別居になっちゃって。
その話はラジオでも知ってるから、リスナーさんも知ってる人は知ってると思うんだけど。
まともに子育てをせずに離婚してしまい、再婚して子供が授かって、今10年弱ぐらい経つ。
やっと10年ぐらい子育てを経験したっていうのが、実は息子は成人してるけど、ちゃんとしたのはここ最近でね。
それを経験した上で、自分が子供だった時のことと今の娘を比べたりとか、あとは自分が今親で感じてることとか、そういうのを親はどう感じてたのかなとか、そういうことも改めて考えるようになったりしてね。
でもそんなこともあって。
スピーカー 2
難しい話ですね。
スピーカー 1
難しく話してもらうつもりはないんだけど、でもあの時どう思ったのかなみたいなこととか、なかなか聞く機会もなかったようなこともいいかなと思ってね。
僕はね、お姉ちゃんがいるので、2人目の子供ってことですね。一応長男ではあるけども、姉が2人いると。
で、松本家の長男として生まれて、どんな子供でしたか。
スピーカー 2
どんな子供。いや、割と手のかからずという感じで、育てる親としても僕は割と放任して、あえてそういうふうに育てたっていうところがあるんですけど、
自分も親父からそういうふうに育てられたっていうこともあったんで、子供に対してやっぱりある程度その自主性というかそういうので、勝手に育っていくって言ったらおかしいけど、
ここっていう時だけ手を差し伸べればいいんじゃないかなと思って育ててきました。
とりあえずそんなに手はかかる感じはなかったということですね。
スピーカー 1
方針的にもそういう方針だったし、実際それで割と放任にしてたけど、そんなに手はかからず育ったと。
ちなみにね、母ちゃんともうじゃあうちは割と放任というか、よっぽどじゃない限りはね、好きなようにやらせてあげようっていう、いわゆる教育方針みたいな、そういうふうに決めてたの?
スピーカー 2
決めてたっていうのも、伸び伸び育ってもらえればいいかなっていう感じで、お互いそれは感じて思ってたよね。
そういうふうに育てられててよかったって思ってるからそういうふうになったんだろうね。
そうだね。それがだから子供たちはどう思ってたかわからないけど、それは正解だったかなと思うけどね、今もね。
スピーカー 1
今思ってもね。
どう思ってたかといえば、よかったと思ってるよ。
子供時代のエピソード
スピーカー 1
あそこいっちゃダメ、これいっちゃダメとか、規制をされることはあんまりなかったし、だからそれはよかったなと思ってるけどね。
でも放任主義だったことが理由ではないとは思うんだけど、ちょっとやっぱり高校生ぐらいから好き勝手やり始めたというか、そういうふうになってたんじゃない?
高校ぐらいからか。バイクとか乗り始めたぐらいからね。
スピーカー 2
その頃はいろいろ確かにあったよね。
でも私自体が商売でやってて、言ったことあると思うんだけど、やっぱり商売の大切さというかそういうのは教えたつもりだったんです。
言葉っていうよりも見せたつもりがあったんで、特別人に迷惑かかるようなことは、もちろんないとは言えないけど、人を傷つけるようなそういうことはなかったんで、そういう意味では別に何も言うこともなくという感じだったのかな。
これがやっぱり他人に対して何かが危害を加えるようなそういうことがもしあったらやっぱりそれは許されることじゃないと思うし。
スピーカー 1
障害事件とかね、例えば。
スピーカー 2
変な話、万引きとかそんなくらいだったら、通る道って言ったらおかしいけど、自分も小さいときは多少のないともがあったからね。
だからそれはどうってことなくという感じがあったね。
スピーカー 1
商売やってたからって言ったけど、万引きしたとき、お前も覚えてるだろうけど、渋谷のタワーレコードで捕まって迎えに来てもらったでしょ。
あの時はでもやっぱりすごい怒ってたよね。
やっぱり自分が商売人だからこそ、人のものを盗んだ、商品を盗んだっていうことに怒ってたよね、あの時はね。
スピーカー 2
そうだね、あと子供に対してもちろん叱ることと、自分のその時に感じたのはやっぱり子供に対しての教育が間違ったのかなとかそういうのは思ってたよね。
それは感じたすごく。
スピーカー 1
ただ最終的にはそういう人に危害を加えるようなことは別になかったから、別にそれはそれで自然と過ぎていくって言ったらおかしいけど、通る道みたいなのがちょっと大きくなった程度で。
スピーカー 2
それでどこが曲がって人間的にどうかなったわけじゃないから、たださっき言ったように自分の教育の仕方がちょっと違ったのかなとかって思うことはあったな。
スピーカー 1
その時はやっぱり家族会議じゃないけどさ、母ちゃんと今後どうするかみたいなさ、そういうことは話したりしてたの?
スピーカー 2
それは一切ないね。むしろほらお母ちゃんの方がどっちかというとデインと構えてた方だから、その他にもちょっといろいろ事件があったじゃない。
それこそ仙台の方でどうこうで、うちへちょっと変な人がやってきたよとか。
闇金の話?
スピーカー 1
そういうこともあって、その時でもどうってことなく構えてたから、あんまりね、やっぱりあれは血筋だと思うけどね。お母ちゃんとね。
ちょっとこれ多分リスナーさんは分からないと思うんだけど、僕が23歳とか4,5歳くらいに闇金で勤めてたことがあって、その時にそこの社長と揉めて、その社長がね、家に実家に押しかけたっていうのがあったんだね。
そこそこコアモテの人がね、僕のいない実家に押しかけて、探してたってことだったね。連絡つけてくれみたいなことだったね。
スピーカー 2
そうそうそうそう。連絡は取れないからね、実際ね。
スピーカー 1
うちのお母ちゃんはもう随分前に亡くなってますけど、なかなか壮絶な人生を送ってて、肝が座ってるっていうかね、そういうのもあって、それも堂絶に対応したっていうエピソードの話ですね。
スピーカー 2
多少のことでは堂治したいっていうのがあったよね。肝が座ってるというかね。
そうだね。
スピーカー 1
じゃあ別にそれほど悩んだっていうような感じでもなく。
スピーカー 2
それほど悩みっていうのはなかったかな、別にね。
スピーカー 1
なんで飛行っていうほどの飛行ではなかったのかな。
でもちょっと知能犯っていうかね、悪知恵を働かせていろいろしてしまった時がね、やっぱりあったけど。
でもやっぱり根っこ自体はそんなにおかげさまでというか、ちゃんと両親の愛を受けて育ったからだと思うけど、
根っこ自体はそんなに腐らず、生きてきたからそこまで重大なことを犯さずには来れたんだろうなと思ってはいるけどね。
でもあれでしょ、自分も若い頃とかそんな詳しく聞いたことないけど、似たようなもんですよ。
スピーカー 2
似たようなもんだね。
トヨタへの就職と退職
スピーカー 2
だからそれこそ親には黙っててバレなかったしっていうのがあったし、実際オートバイでやっぱり免許で乗って警察にちょっと追っかけられたこともあったり、たまたま逃げ切ったというかそういうこともあったし、やったことはそんなに大勢変わらないしね。
自分もやってきたけど、やっぱり人に迷惑をかけるようなことをしたら、そこはやっぱり親にも申し訳ないだろうし、そんなことをしたらね。
そうではなかったから、なんとなく自分の中では許せる範囲っていうのはあるよな、そんな感じだったんじゃない?
スピーカー 1
でも何回か警察にも迎えに来てもらったもんね。
そうだね。
スピーカー 2
めんどくさいなあぐらいで済むレベルだったってことかな。
そうだね。
スピーカー 1
あとさ、これ多分あんまり話したことないと思うんだけど、トヨタに就職したじゃない?
それはだから専門学校通って、通ってというか通わせてもらって、2年間学校行って勉強して国家資格取ってトヨタに就職できましたと。
結局1年経たないぐらいで退職したけど、それも相談もしなかったと思うんだけど。
多分すぐ言えなかったから、ちょっとタイムラグあってから言ったんだと思うんだけど。
それは子供としてはもうね、学費を払ってもらってるからさ。
学費って就職するためのほぼものじゃない?
スピーカー 2
親に対してね、悪いことをしたっていう認識は持ってるんだけど、その時はどんな家庭内ではどうだった?2人の中ではどうだったの?別にもうしょうがねえかみたいなそんな感じ?
やっぱりしょうがないというよりも、何でだっていうのが強かったかな。
だってあんだけ好きでその専門学校も行って、それで何で辞めたのかその理由も聞いてないし。
そっちの何でっていう感じ。
よくわかんねえなあいつみたいな。
気がついたら北海道だっけ?から手紙か何か来たんだよな。
僕は元気で住みたいようなこと書いた手紙が何か来て、ね?っていう感じで。
スピーカー 1
その前に、トヨタでもう辞めてからだ。辞めてから親父の砂町の倉庫のところに寝泊まりさせてもらってたのよ、一時期。
何でだったかわかんないけどあそこで。で、あそこを出たんだ急に。出てそのまま札幌行ったの。
だからあそこをモヌケのカラーにして、モヌケのカラーって別に荷物大事じゃなかったけど、夜逃げじゃないけどさ、ちょっと軽く温鮮室になって、たぶん半年か1年ぐらいほとらかしたんだよね。
スピーカー 2
そこであいつどこ行ったんだってたぶんなってるだろうから連絡した方がいいかなと思って手紙を書いたんだよね。
あ、そうか。これトヨタ辞めた後だったか。
辞めてると思うよって。トヨタ行った時は岡本君と一緒に住んでたから。
ネットワークビジネスのハマりと夢見る
スピーカー 2
だから一生懸命学校行って、友達と楽しく過ごしてたんだろうし、何も不自由なく生活してたと思うんだよね。
市川か何かでアパート借りてたんで楽しくやってたと思うんだけど何で辞めたのか、そこ自体が辞めた理由知らないから。
スピーカー 1
でもさ、ネットワークビジネスやってそれにハマってたから。
いっつってやつさ、健康食品で。それでやっぱり何の不自由もなくって言ったけど、当時やっぱりまだまだ安月給で。
もうその時車のローン組んだり、車買ったりとかね、ローン組んで。
さらにマルチ情報で、それを別に直接の原因ではないけど、なんかやっぱり夢を見させられてというか、夢見てさ。
やっぱり整備士なんてね、いわゆる産経みたいな仕事だからさ、もうやってらんないって先輩たち見ても思ったんだよね。
だから単純にそれだけだよね。もう耐えらんなくなったっていうか嫌になっちゃったっていう。
でやっぱりこうしたい、ああしたいとかこれ嫌だって言ったら昔からそうだと思うのより我慢ができないタイプだったからやめちゃったんだよね。
でもね、これはせっかくなんで言っておくと、やめてよかったなって今でも思ってるよ。
あのまま整備士だったら、それはそれでまた違う人生があったんだと思うんだけど、
まあパラリーマンで仮に定年までいてトヨタ立てられたとして、今と違う良いこともあれば悪いことも両方あるとは思うけど、
まあでも後悔も全くしてないし。
1個だけ専門学校通ったのに辞めちゃったっていうところについて言うと、
たったの2年間の勉強と1年間の実務経験だけど、自分の車とか人の車でなんか手伝ってあげたりとか、
そういうことはずっとやれてるから、そこで2年間何百万も払ったってちょっとバカバカしい話だけど、
まあでもいい経験になったしとは思ってる。
スピーカー 2
まあまあ、自分できちんとその辺はけじめつけてそうしたんだろうからね。
もうそこからは自分の人生だしね。
まあ今そう思ってるんだったらそれはどうってことは思わないし。
やっぱりトヨタっていうところはせっかく親としてやったよ。
スピーカー 1
まあそうだよね。
スピーカー 2
就職して、当然そのまま落ち着くって言ったらおかしいけど、何年間は当然働くと思うじゃん。
スピーカー 1
特に今より就寝雇用がまだまだ色濃い時代だったから、それが当たり前っちゃ当たり前。
スピーカー 2
まあね、そういうふうに。
まあ若いからだからその後は何でもできるだろうと思うね。
思いながらもただやっぱりその温身不通になって、
今度いきなり仙台かなんかが行って、今度まだどうこう。
そういうさっき言ったようなちょっとチンピラみたいなのが。
クロルの車が来て、丸坊主のお兄ちゃんが上がってきて。
スピーカー 1
スキンヘッドね。
スピーカー 2
スキンヘッドとお兄ちゃんが上がってきて。
っていうのはやっぱり驚いてるっていうのが正直なところだよね。
スピーカー 1
ご迷惑をお掛けしました。
まあでもそれぐらいじゃない。それぐらいっていうか、そのぐらいが最後っていうかそういうかな。
あとは結婚してからはね、基本的にはだいぶそういう危険なことっていうか、そういうのはしなくなったからね。
スピーカー 2
そうだね。正直言うと今回こうやって急に一人で用があるって言って聞いたときに、それがでもよぎったのよ。
要するにまたなんかひょっとすると、あとセミナーかなんかまたいるのかなとかさ。
スピーカー 1
っていうのが頭の中ですごいよぎったの。
スピーカー 2
一人で来て、それで何て朝から出てとか言ってたから、え、まさかまたそういうなんかやるの?セールスみたいな金でも困って始めるのかなとか、そういうふうにね。
今の時代ってそういうの実際多いから、若い人たちがそこでお金つぎ込んで結局はみんな捉えちゃって終わっちゃってるっていうのが、と思ったと一瞬。
スピーカー 1
そんで今回来たすぐ早々に何し?というのを聞いてみたんだけど、関係なかったね、全然。ひと足したけどね、それは。
それはあれだろうね。でも散々今まであったことの経緯というか、突然話があるでも、そうだし時間取ってくんないとか、行くわとかさ、そういう話があると、
奥さんの支え
あった時に何かしらのことが今まであったからそういうふうに思わせたんだとは思うけど、よぎったんだと思うけど、今はそんなにそういうことはないよね。
スピーカー 1
自分でやっぱりちゃんと仕事をやり始めたっていう頃ぐらいからやっぱり少し変わったっていうかね。
福岡でさ、親父の方の仕事で福岡に来るのもあって、手伝うようになったじゃない?ウェブの方でさ。
だからあの頃にはそういう感じはもうなくなってたかな、たぶんね。
まあまあ別にね、セミナーっていうか仕事に関連したことで、いまだにそういうお勉強会みたいなね。それはあるよ、稀に。
でも東京にわざわざそんなコストをかけてまで来ないから。
そうそう、あるけどね。もうそういうよくわからないようなあれはないけど。
でも時代がもう違うし、昨日も散々世代の違いの話をしてたけど、そういう意味ではこっちは全然真っ当なところに行ってるつもりが、親父から見たらなんだそれっていうふうなのはもしかしたら今後あるかもしれないけどね。
スピーカー 2
でもあんまりないとは思うけど。
だからそれなりにケンスケも年を食ったっていうことだよな。
そうじゃん。
落ち着いたっていうかね。
スピーカー 1
まあそうね。
スピーカー 2
それはあるよ。やっぱり年齢っていうかね、長年いてきて子供ができて奥さんがね、いや責任も当然あるし、そうすれば自然と考え方っていうのは変わってくるのが当たり前だし。
まあじゃないと困るわな。奥さんにしよう。子供ができてるのは昔と同じような考えで、というわけにいかないじゃん。
生活はやっぱりね、守るのはきちんと守っていかなくちゃいけないんだからさ。
やっぱりそういう意味では当たり前だけどさ、40過ぎてもう50になろうかっていうさ、いつまでもそんなね。
やっぱり子供、特にちっちゃいしね子供がな。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
まだまだ手がかかるんだし。
スピーカー 1
まあでもなんか経済的な面で苦労することはやっぱり多かったから、やっぱり今のこの世の中に生きてると経済的なことがいろんなことにどうしても関係するじゃない。
それは自分の精神的なことにも関係するし、付き合いみたいな周りの関係とも関係するし、いろんなことにあれすると思うんだけど。
そういう意味で言ったらやっぱり移住してさ、今の家に移住したでしょ。
そこでだいぶもう楽になったっていうか、いろんな意味で。
余計なお金も使わなくなったし、考え方もいろいろ変わって。
別に時給自足なんかしたってさ、節約にならないよね。
時給自足に使ってる時間、アルバイトしたら多分儲かるから。
そうだけどなんか考え方だよね。
それは別に親父が母ちゃんから教わったことではないけど、自分なりにそういう方向になったっていうだけなんだけど。
たまに思うのは、やっぱりうちだったら丸子さんがしっかりしてるっていうか、うまく言えないんだけど、真があるんだよね、彼女はね。
俺は真がないわけじゃないけど、やっぱりふわふわ落ち着かない感じがあるから。
そういう意味で救われてるなってすごく支えてもらってるというか、いい影響をもらってるっていうかね、と思うんだけど。
独立後の苦労
スピーカー 1
でも多分なんか、母ちゃんと親父とかもそんな感じだったんじゃないかなっていう想像をしたりするよく。
スピーカー 2
そうだね。それは確かにあると思う。
やっぱり僕の場合は結構早くから独立して会社を始めたんで、この時にやっぱり一番頼りになるっていうのは精神的だよ。
お金じゃないよ。頼りになるのはやっぱりそれは自分の奥さんが一番頼りになったわけだよね。精神的にね。
特に僕らの場合は結婚したのがもうね、22の時にはもう結婚してるわけだから、お金なんかもちろんまるっきりっていうのはゼロに等しいくらいだからね。
それで割と結構早いうちに会社辞めて独立して、27の時に独立して、お金もないけど、
それは反対されたけど、サラリーマンやってて反対されたけど、やってからはずっと支えになってもらうかっていうのがあるかな。
途中いろいろ大変だったけどね。お金の面は本当に最後までやっぱり。
でもそれっていうのはやっぱり当たり前のようにお金がどんどん増えていって成功するなんて人はまずいないと思うよ。
みんなどっか挫折もすると思うのよ。
まあそのままドロップアウトしちゃう人の方が多いわけだから。
そこを耐えられたっていうのはやっぱりお母ちゃんの実質というかそういうね、誇張というか。
スピーカー 1
まあそれもそうだし、単純になんていうの。
俺は思うのはやっぱり自分自身のいわゆる今で言う自己肯定感みたいなものがすごく低いんだよ。
だからその立場っていうかそれをベースに見るとよく一緒にいてくれるな。
例えばお金も全然ない。
会商もないみたいな。
逆に言うとそういう見捨てないでくれたから今があるみたいな感じがあるからね。
それもだから似たようなところもあるじゃない。
スピーカー 2
彼女はマリちゃんはやっぱり見てて、似てるとこあると思う。
すごいどっしりしてる。それは感じるすごく。物落ちしないというかね。
スピーカー 1
タイプとか性格は違うとは思うけど。
スピーカー 2
でもね、やっぱりね、特にショッパーやとそういう奥さんの方のが
やっぱり気持ち的には自分が情けないのになんとかしてくれるって
物事はなんとかじゃないんだよね。
スピーカー 1
気持ちの上でなんとかなりそうな気がするの。
スピーカー 2
それはもう間違いないね。
スピーカー 1
まあ大丈夫だよって一言言ってもらえるだけでも。
スピーカー 2
そうそうそう。そういうこと。
二人になってさ、二人で一人が自分がダメな時ってさ
そうだね、お父さんどうしようかなんて言われたら困っちゃうもんな。
そこはなんとかなるからっていうような感じでしてもらえたからな。
だからまあ良かったと思うよ。
スピーカー 1
そう思ったらさ、独立してさ、二十…いくつ言ってた?
スピーカー 2
独立したのが二十七。
スピーカー 1
二十七か。まあ似たようなもんだと思うんだよね。
そこから苦労して、独立して良かった時期もあったでしょ、もちろん。
バブルの前後に独立のあれがあるだろうから。
でもまあやっぱり厳しい時があってさ、覚えてるけどね、バイトしに行ったりとかしてたとかさ
家計自体がちょっと厳しいんだろうなっていう時は結構あったからさ。
大器晩成型の人生
スピーカー 1
そんなんも似てるなって思うわけ。
勢いで上手くいった時もあれば相応にならなかったりして。
今は暮らしの方が安定してるから悪い状態ではないんだけど。
そこからさ、昔からね、いつも自分で言ってるんだけど
大器晩成型ですからと、どこかで遅咲きしますからみたいな話。
まあ冗談でね。周りは成功してる人もいるからさ、そんな話するんだけど。
でもそれで言うと大器晩成っていうか、すごく安定して上手くいくようになったのはもう遅かったでしょ?
スピーカー 2
五十過ぎてから。
スピーカー 1
五十過ぎてから?
だから福岡に来てたような、あの辺の前後ってことだよね。
スピーカー 2
あの頃最初の頃はやっぱりまだしんどかったよね。
スピーカー 1
福岡に来だしてた頃ってこと?
スピーカー 2
五十だけだよね。それから少し経ってから良くなった。
良くなったっていうのはやっぱり通販っていう仕事を始めて、
それでたまたま目に留めてもらった業者さんがあったから良かったけどね。
スピーカー 1
そっか、あの通販がやっぱり大きいんだもんね。
スピーカー 2
あれがやっぱりなかったら、もう特に辞めてると思う。
今ももちろんね、引退したけどもっと早く、会社自体も続いてなかったと思うよ。
でもね、途中いろいろあったけど、今はそうなってるよね。思い出というかね、肥やしになったよね、やっぱりね。
一人でやっててそんなもんね、もう行く人なんてさっき言ったようにもう本当に一握りもいない。
幸せな現在
スピーカー 2
そんな上手くいったっていう人なんか100人で一人でいるかどうかじゃないの?
僕の知ってる限りで実際そう。
やっぱり周りでアパレルやってるやつはみんな今聞いてみると、
ほとんどやっぱり苦しくて辞めていったっていう人がいるもんね。そんな人ばっかりだよね。
たまたまいい時に、アパレル関係がひどくなって売れなくなって、
そのタイミングで辞めることもできたし、もちろん年齢もあったけどね。
今考えてみたら大変な時はあったけど、最後にいい思いをさせてもらえたっていうのもあるよね。
みんなさんそうでしょうけどね、いい思いもするしっていうところでしょ。
スピーカー 1
じゃあ最後に、人生ってさ、年取ってる人からすると、自分もそうなんだけど、
年齢重なってった方が面白くなるよっていう、楽しいよっていう人結構いるじゃない?
でも若い人って年取りたくないと思うでしょ?そういう風によく言うじゃない?
今までで、いつが一番楽しい年代でしたか?
スピーカー 2
その話ね、ちょっと前にね、娘が来た時に話したんだけど、
同じような話したんだけど、お父さんは、今が一番幸せだよって話したの。
子供たち、お母さんとかいた時はいいかもしれないけど、
お父さんは今が一番幸せだし楽しいって言ったの。
それを娘なりのけんすけたちがどう捉えるかわかんないけど、
もちろんお母さんといる時は楽しい時もあったけど、やっぱり苦しいのが多かったから。
知ってると思うけど、喧嘩もしょっちゅうしてたし、
だけど今はやっぱりそれを乗り越えた、自分も人間的にも大きくなったからね。
そういう風に余裕もあるし、生活。
だからだと思うんだけど、やっぱり今が一番幸せだ。
スピーカー 1
まあそれはでもあれかもね、お金の経済的な成功っていうかさ、
それがもしなかったとしても、別の要因でそういう風に思うようになってたかもしれないよね。
それはね、なんで聞いたかっていうと、今後の希望っていうか、
別に今も楽しいし幸せだと思ってるから、別に多く望むつもりはないんだけど、
まあでもほら、大器晩成型の大器はいつ来るんだっていう話と、
まあこの先楽しみな方がいいから、どうかなと思って聞きました。
というわけで、ちょっとだいぶ長くなったんで、
もう出発しなきゃいけない時間なので終わりにします。
最後にね、お約束の文句があって、せーので、ナマステっていうのがあるからそれもご協力ください。
それでは今日も一日皆さんが心穏やかに過ごせますように、せーの、ナマステ。
29:27
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