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スピーカー 2
特にね、決まった話をするようなことがあるわけではなくて、その生徒さんに応じて、
最近こういうのはどうですかっていう話だったりとか、何か逆にね、ありますかっていうようなことをね、お話してるんですけど。
ある生徒さんとお話してた時に、ヨガを通じてもっとこういう風になったらみたいな、なんかありますかみたいな話をしたのかな。
そしたら、もっと家族に優しくしたいみたいなことを言ってた方がいたじゃないですか。
で、そういった普段の人間関係とか、そういったところにまでヨガの学びというか恩恵が及ぶ、
人間関係がスムーズになったとか、悩みがなくなったとか、減ったとかね、
以前よりもネガティブに考えないようになったとか、心が軽くなったとかね、そういったことを言うじゃないですか。
で、僕らもそういった経験をしてきているから、その生徒さんがもっと家族に優しくしたいってなった時に、
ヨガのアーサナプラクティスっていうところにおいてね、そうなんですけど、
継続していくことで、そういうことも家族に優しくしたいだったら優しくできるようになっていきますよっていう意見じゃないですか。
で、例えばですけど、座学、要は哲学とかもそうですけど、いろんな考え方があって、そういったことを学ぶことによって考え方が変わったりとか、
何かこう方法論というか、そういうものを学んだりして、今言ったような家族に優しくできるようになってきたみたいなことももちろんあるとは思うんだけども、
それは具体的なこういう時はこういうふうに考えたらいいとかっていうような話だったりすればなおのこと分かりやすいと思うしね。
だけど、そのヨガのポーズを、アーサナのプラクティスっていうのは基本的には見た目にはポーズをとっていく順番にとっていくものなので、
それと家族に優しくできると何が関係するんですかっていう話になるじゃないですか、当然。分からない人からするとですね。
で、多くの人はそういうことを、例えば人間関係がどうのこうのみたいな話とかもね、要するに日常生活に及んでくる、そういった影響が。
っていうことをどこかで、例えば先生から言われたりとか、ネットで見たりとか、本を読んだりして、そういう話を聞くことがあると思うんだけど、
どういうふうに日々の練習の中からつながっていくかってことが見えない人が多いと思うんですよ。
分かったような雰囲気にはなってたりもすると思うんだけども、でもその実、それどういうことですかって聞いたら、うまく説明できないとか、なんとなくそんな気になっている。
で、その程度って言ったらちょっと言い方悪いんだけども、それが実感として、これこれこういうことでこういうふうになってきたっていうような感覚がなければ、雰囲気的につかんだものってすごく脆いと思うんですよ。
まあ、気上の空論みたいな感じだと思うんですよね。
だからそれをきちんと知っていく、学んでいく必要があるかなって思うんですけど。
で、今日ちょっと話したかったのは、じゃあ例えばその家族に優しくなれる、家族に優しくできる自分になっていくっていう過程をそのアーサナクラクティスの中から見ていったとしたら、どういうふうな経過をたどって育っていくんですか?森子先生っていう話を聞きたかったんです。
スピーカー 2
で、それが次第に自分でも一つそういう事例というか経験があるとまた同じようなことが必ず起きるはずなので、その時にまたもちろん気づかずにね、その感情とか心に流されてしまうこともあると思うんだけども、でもやっぱりその経験を重ねていくとそれが自分で気づけるようになったりして、そこでこれを手放していけばいいんだっていうようなことが分かって次はできるようになったりする。
で、それを繰り返しているうちに自然とそういう感情も起きずに、あるがままの事実を受け入れるようになっていく。それがまた自己需要みたいなことに繋がっていくんだと思うんですけど、ということですよね。
そうですね。
で、話ちょっと戻るんですけど、っていうようなことってやっぱりこういうふうに言葉で伝えてもらえないとよく分からないと思うんですよ。
要は自分と向き合うんですよ。アーサーナプラクティスは自分の内側を見つめて内観して心を成長させていくんですよ、みたいなことだけ言われてもよく分からないじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。具体的にね、その時に言ってもらわないとみたいなところはありますよね。自分のその時にね。
スピーカー 2
そうですね。その時に言って欲しいっていうのももちろんだし、その時じゃなくても具体的な例ってやっぱりないと分からないんですよね。
そういうスピリチュアルなこととはかけ離れた現実にみんな生きているので分からないし、これって本当はプラクティショナー、練習する人自身が自分で気づいていくことなんだけども、
だから本当はこんなことさえ言わないで気づいていけるのが一番いいんだけども、やっぱりそれは難しいので、最初はそういう知識っていうか心の扱い方の第一歩みたいなところを、
指導者とかそういったどこからか学んで進めていくっていうのが必要なんですよね。
なんでこんな話をしてるかっていう話なんですけど、今週の日曜日に座学のクラスをまた、今月に1回座学のクラスができたらなと思って開催してるんですけど、
先月はヨガの本質的なところ、ヨガのアーサナープラクティスは単なる運動ではなくて、自分の心を成長させていくものとか練習の仕方、質とかね、そういったものを見直していきましょうみたいな座学の講座をやったんですけど、
その中でも、それでね、すごく生徒さんからもいろいろ感想をいただいて、自分の今後練習のステーク上での姿勢というかスタンスがいろいろ変わっていきそうですっていうような嬉しい感想もいただいてるんですけど、
でもやっぱりその中でもまだやっぱりピンとこない部分がある、何がどうそういうふうに心の成長につながっていくかっていうのがわからないところがありますっていう感想とかもいただいたりして、
そこを今回掘り下げて、今言ったような話、だからこれは一例の話なんですよね。こういう例を結構いろいろと掘り下げて、いろんな具体例を出しながら説明していきたいなと思ってるんですよね。
それをすることによって今までアーサーのプラクティスをやってる人、毎日やってる人も、毎日じゃなかったとしても継続的にやってるけど、特にそういう何か心の変化みたいなのは感じてないです。
感じてるふうではいるんですけど、別にじゃあ具体的に何がどう変わったかとか、日々の練習の中で意識できてることがありますって言うと、そうでもない。
やっぱりほとんどの人はここまでやっと進んだとか、これがもう少しでできるようになるとかっていうことしか日々感じていない人が多いと思うので、それも楽しいからそれはそれでいいんですけどね。
僕もそういうの好きだし、やっぱり運動としての側面を無理やりなくす必要はないし、そこはそこで楽しめばいいと思うのでいいんですけど、でもそうじゃない部分、心の部分をそういったことをね、
一緒に学んで育てていけたらなっていうところで、今回は開催したいと思っているので、もしそういった話に興味がある方いたら、ぜひお申し込みいただければと思います。