1. 夫婦内省のじかん
  2. #34_僕たちはどう食べるか ツ..
2025-02-10 46:20

#34_僕たちはどう食べるか ツアー に参加しました -狩猟と鳥獣害対策 -食べることは幸せで罪深い-

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僕たちはどう食べるか ツアー https://tour.wana-bros.com/

このラジオは東京都から長野県に移住した30代夫婦がお互いのモヤモヤしていること、自分の中で違和感を持ったことをちょっと立ち止まって話すラジオです。

内省=うちをかえりみること

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サマリー

番組では、夫婦が「僕たちはどう食べるかツアー」に参加した経験を通じて、食べることの意味や生きることとの関連を探ります。このツアーは、狩猟やジビエをテーマにし、食肉加工や環境問題についても考察を行います。エピソードでは、食べることの幸福感と罪の意識について語られ、参加者は自分の食生活や命についての意識を見つめ直す機会を得ます。鹿を解体する体験を通じて、食べることの意味や倫理に関して深い議論が交わされます。このエピソードでは、食べることが幸福感と罪の意識とどのように関連しているのかが探求され、特に狩猟や農業との関わりを通じて現代社会における食の意味が浮き彫りにされます。

ツアーの概要
夫婦内省の時間。
たかです。
あいです。
このラジオは30代夫婦がお互いの気づきや違和感を持ったことをちょっと立ち止まって話し合うラジオです。
今日のテーマは、僕たちはどう食べるかツアーに参加しました。
それなんだっけ?
私が参加してきたやつです。
どなたが主催なんでしたっけ?
えっとですね、長野県の上田市にあります、罠ブラザーズという人たちのツアーになります。
これがね、また概要欄にURLとか貼っとくんですけれど、
なんかホームページ開くと、同じ罠の肉を食おうっていうのが書いてあったりして、
グッドデザイン賞を取ってるような試作なんですけど、
なんていうのかな、山の中で、
なんかね、そのツアーでも言ってるんだけど、
肉を食べるってことがどういうことなの?みたいなのを考えるツアー。
スーパーでお肉は売ってるけど、
それはその、もうちょっとこう理解をすると、
動物を食べ物にしてスーパーに並んでるよね、みたいなところから、
ジビエだったりとか狩猟だったり、あとは狩猟で獲れた鹿だったりとかイノシシだったりとか、
美味しく食べるっていうことを通して、
食べるってどういうことなのかなとか、
生きるってこういうことなのかな、みたいなのを考えるようなツアーが、
僕たちはどう食べるかツアーっていうのがあって、それに参加してきました。
食べることの意味
もともとワナブラザーさんは、自然資本論っていうポッドキャストで知り合って、
で、興味があって、自分で会いに行ったりしてたんですけど、
もともとはなんだろうな、ワナシェアリングみたいな感じ。
あの、穴を仕掛けるにも狩猟の免許が必要だったりはするので、
なかなかその都会の人が狩猟だったりとか、あとは長寿害の森林のなんていうんだろうな、
食い荒らしたりとか農作物食い荒らしたりとかってことに興味があったとしても、
狩猟もできないし、長寿害の駆除みたいなのも基本的にはできない。
で、もうその中でこう、ワナの権利を買うっていうことで狩猟に間接的に関わることができたりとか、
長寿害対策の一部なんていうんだろうな、担い手というとあれだけど、
山の保全に関わることができるみたいな取り組みなんですけど、
その中でワナシェアリングじゃないツアーの方に、
食べるってなんだろうねみたいなのを考えるやつに参加しました。
うん。
説明が長くなっちゃった。
うん、今見てた、URL。
なんかすごい語り方が難しいんだけど、本当に、なんだろう、
なんていうんだろうな、野菜を食べても魚を食べてもこう、結局生き物を食べてるので、
同じっちゃ同じなんだけど、人間も動物だから同じ動物を食べるってなると、
そこら辺やっぱり、なんて言ったらいいんだろうな、あれは。
言葉が難しいな。すごいこう、刺激が強いというか。
なんだけどそれが現実としてスーパーで並んでいるお肉がどういう状態でどうなったかっていうのを
知らないで食べるのと知って食べるのでは重みが違うというか、
食べるっていうことに対してのただ腹を満たすために食べるのと、
食べ物に感謝して動物に感謝して食べるのとはなんか全く異なってくるなと思って。
で、そこら辺が食べるってなんだとか生きるってなんだみたいなのを考える中で、
一回経験してみたいなっていうのがあったんで、一人で参加してきたんですけど、
前は今ホームページ見てどんな印象を受けますか?
あんまりそこについては触れられてないなという印象。
そうだね。
どっちかっていうと自然の中で漁師と一緒に暮らしてみませんかみたいな、
なんかこうライトな感じで書いてあるかなっていうのはちょっと思った。
けどタカから実際その行ってる間にね写真がいくつか送られてきて、
やっぱりそのちょっと食肉加工所の写真とかもね、タカを作ってくれたから、
配慮して、私が結構そういうのに弱いタイプだから、配慮してあんまり写らないようにはしてくれてたけど、
私みたいにちょっとそのうって感じやすいタイプの人は、
多分本当に参加できないようなツアーだろうなと思って。
正直SNSに載せる気は全くなかったから、うちうちでこういう、
自然環境と鹿の問題
なんて言うんだろうな、食べるってどういうことなんみたいなんで送ったんだけどさ。
自分も覚悟はしてたし、正直長野に越してきた時に狩猟だったり、
長寿害被害みたいなのを自然のことを調べる中ですごい興味があって、
このままだとどんどん鹿とかに食いつくされちゃって、
それで木が痩せ細って土砂崩れが起きて人が死ぬとか、
あと農作物が食い荒らされて経営が成り立たなくなって農業やめちゃうみたいなのも聞く中で興味があったんですよ。
あの、鹿がどうして被害を及ぼすのかっていうのをあまり知らないかも。
なんかね、俺もちゃんと説明はできないんだけど、すごく繁殖力が強いのと、
木の皮食べちゃうんだよね。
草も食べるし、木の皮も食べてしまうんですけど、木が水を吸い上げることが多分できなくなるんですよ。
その表皮を食われると。
その中は水を通すその管にはなってんのかな。
でもその吸い上げるための機能を持ってるのが表皮だから、中は傷ついてなくても表皮食べられると水の循環ができなくなって、どんどんこう枯れてってしまうみたいになってると。
もちろん人間が食べるために育ててた食物をね、食べられちゃうっていうのもあると思うけど、
木が水を吸い上げられなくなると山が崩れやすくなったりとか。
何十年かかけて。
そうだね。
そういう話を聞いた時に、鹿って私にとってはやっぱりめでる存在に近いんだよね。
でもそういう自然と隣で暮らしている地域とかに関しては、本当に対象としては本当に駆除すべきではないけど、把握はしておくべき存在。
良い隣人ではない。お互いの領域を踏み荒らさないようにしてたのに、ずかずかと来てしまったみたいな。なんかそういった対象になるのかなとちょっと思った。
なんかね。
お互い様だけどね。
ちゃんと言えるかわからないけど、ちょっと情報ソースは擦れちゃったけど、なんか保護をされてた期間があったんですよ。
その、減りすぎたというか。
はいはい。
だから野生動物保護しましょうの中に鹿も入ってたんだけど、それをしすぎた結果増えすぎた。
加減むずいね。
でその、やばいやばいとなって駆除対象になったけど、もう言うと寮をしている人たちも高齢化して、じゃああとはその寮中の取り扱いとかもすごく大変だし、
そうだよ、メンタル面のね、検査とかもあるもんね。
規制だったりとかもあるから、
ルール的な。
そう。ってなるとなかなか駆除が追いつかないみたいなんで、どんどんこう増えていっているみたいな感じがあって、私はそこに興味は持ってたと。
まあそれとは別でそのツアーの内容としては別なんだけどさ。
でも結局駆除対象だったりとかになってるから、駆除しないと山は荒れてってるからやんないといけないけれど、何て言うんだ。
なんかすごい難しいな。狩猟とまた害獣駆除は別なんですよ。
別なんですよ。
そうなんだ。
法律的に確か別。
狩猟は普通にこのジビエを食べるために獲るとかでもokってこと?
そうだね。時期が決まってる。確か秋から春頃とかなんか時期が決まってる。
蝶獣害はまた別で、狩猟の免許を持ってる人が自治体とか領有解の許可をもらった人が通年通して、狩猟じゃないけど蝶獣害の被害を減らすための駆除っていう名目で猟獣とか罠猟をして駆除をするみたいな。
神聖があって動くみたいな感じかな?
神聖があってじゃない。
取らなきゃいけない等数みたいなのが確か決まってて、その中であれば取ってもいい。駆除する。
せねばならないって感じか。
でそれをそのなんていうの、自家消費っていうかその自分で食べるためにお肉にしてもいいし、で売るのはちょっとどうだったか覚えてないからあんまチキトのこと言えないけどとかもしてもいいみたいなんで、ちょっとなんかいろいろ別なんだけど。
なんかわかんないちょっと、やっぱ鹿って聞いて一番最初に思い浮かべるのは奈良なんだよね。
そうだね。
奈良県のね鹿公園みたいなとこ鹿せんべいを買って鹿にあげるみたいな。
であそこでは鹿が神聖なものというかほぼすべき対象としてなんか存在をしていて、
奈良に住んでる友達から聞いた話だとダンボール捨てらんないんだって。
ダンボールをそこらへんに置いておくと鹿が食べちゃうし、こう例えばマンションの景観を良くするために木とか植えるじゃない。
それも全部食べられちゃうから、だから植栽もしないところが多いんだって。
ダンボール捨てる日とか捨てに行く場所とか捨て方とか全部決まってるらしくて、すごい大変なんだよねみたいなのを聞いたことがあって、
でもそれくらい人間が鹿に対して配慮をしている町じゃない、向こうは。
一方で山の近くに住んでいる私たちからしたら配慮というよりかはもう駆除すべき対象になり得る存在っていうところのなんか違いがすごい
なんか興味深いなぁと思ったんだよ。
なんかね、面白いんだよな。関西だったから鹿に対してそんな長寿害ですっていう印象がなかったから。
自然のこと調べ始めたらそんな感じだったから、そうなんだぐらいだったんだけどさ。
そこに興味は持ちつつ、駆除はするんだけど、それは言うと鹿の命を奪うことじゃないですか。
人間の都合でその取ることを禁止して増えすぎたからやばいやばい駆除しましょう。
すごい勝手な感じに見えるよね。
で、自分が気になったのがそこから駆除をしまして命を、鹿の命を奪いました。
で、その後ほとんどの鹿がその廃棄物処理、埋められるんですよ。
それがね、なんかそれがなんか変だなと思ったというか。
そうだね、こっちの都合で捕獲して命を奪って。
まあなんて言うんだろう、狩猟と長寿害駆除だと概念が違うから、まあそれはそうなんだけど、
私的にはそれを、じゃあ命を奪いましたと、でも、なんだろうな、ちゃんとこう供養するような形で、
生き物を食べてこう、お互い循環するような形で、
埋めるとかじゃなくて、じゃあちゃんとその最後の最後までちゃんと使ってあげるというか、供養の意味も込めて食べるだったりとか、
角を何か加工するだったり、皮を何か加工するだったりとか、そういうふうに使ったほうがいいんじゃないかなっていうのは私の考えなんだけど、
そんなことを思ってる時に、なんて言うんだろうな、長寿害だったりとか、まああとは狩猟のやつもあるけど、
獲った鹿をちゃんと美味しくいただいて、で供養もちゃんとして、
で、なおかつその農作物の被害とかっていうものを、まあ人間の都合ではあるけどを減らして、
ツアー参加の背景と参加者の多様性
農家の人たちの暮らしを守るとか森の暮らしを守るみたいなことをしているような取り組みに私は見えたから、
まあ興味があったっていう感じ。なんかすごく語り方が難しいんですけど。
そうね、実際体験したことを事細かに言えるものでもないし。
変に伝わっちゃうとあれだからさ、でもなんか学びはすごく多かったんですよ。
法律の話すると多分ややこしくなるかも、ツアーの話をすると、私以外の参加者の人は、そこも驚いたんだけど、
参加者が私男性1人、で女性が2人、で10歳ぐらいの子供1人と保護者の母親の人1人みたいな状態で、男女比で言うと、
女性の方が多いね。
多かったんですよ。それがまず、まあびっくりだったんだけど。
で、まあ参加してる人もそれぞれで、その鹿の角だったりを利用、皮とかを利用してアクセサリーを作ってる人だったりとか、
あとはもう全く関係ないその、電気系なのかなんかエンジニアの方とか、でそのお子さん連れのところも、
それはもう、の方たちは、なんか去年も参加したっていうらしくて、だから2回目で、それも衝撃的だったんだけど、
まあそういう感じだったんですけど、だいたい男のおじさんばっかりだと思ってたからさ。
うん、私もそうかなってちょっと思ってた。
だから、なんでこれに参加したんですか?みたいな話をすると、やっぱりなんか食べるとかっていうのが普通すぎるっていうか、
普通に身近にありすぎるんだけど、
これって、なんていうんだろう、例えばまずい、おいしくないとかで語る以前に、それは命ですよねみたいなことが全く語られないみたいなこともおっしゃってたりとか、
まあ単純にその狩猟だったりとか田舎暮らしに興味があるみたいな人もいらっしゃったし、
なんかね、まあそれぞれではあったんだけどさ、なんかね、食べるって意識したことある?どうです?
あるからお肉と卵が1回ダメになった。
ああそういうことか。
まあそれもあるし、それをそのお肉に加工するにあたってCO2だったりとか水がいっぱい使われてるとか、
なんかそういった全体のこと考えて、果たして私はこれを命をいただくということで、
なんか何も良い、それこそ循環が生み出せてないんじゃないかって思って1回やめたんだよね。
で、その後タカと出会って、タカがすごいお肉好きな人だったから、そのうちお肉を食べるようになったっていう感じなんだけど、
その当時の私の体つきと比べたら今のほうが本当に良い健康的な状態にはなったけど、
なんか果たして、で、それの話をさ、タカはだったかな、誰かにすると、なんか魚は違うのとか、
野菜も喋らないし動かないだけで、感情があって痛いってなってるかもしんないよとか、
でもなんか動物だけがちょっと違うんだよね。
俺もそこがね、あんまり理解ができない。全部一緒じゃないかなと思っちゃうほど。
だったら全部に感謝するって、えんちゃん?って。
もちろん全部に感謝はしてるけど、なんかどうしても人間都合のように見えるのが動物なのかな、家畜とか言われる。
そうか。あーまあ家畜はそうだね。
私はあんまりジビエを好んで食べるタイプではないから、
その家畜である虫豚鳥のところ、あと卵がすごく自分の中で引っかかっちゃったっていう感じ。
まあなんかこれを言い出すとあの、なかなかじゃあ養殖の魚はどうなんだとか、畑の野菜はどうなんだってなるからあんま嫌いだけど、
なんかその、なんて言ったらいいんだろうな、その、うーん。
でもそうそう、だから畑の質問に答えるんだったら考えたことはある。
けど実際に自分で、自分の目で確かめて自分で体験しようっていう度胸はない。
私よく小さな亡骸を目にする機会が多い。
あー道路とか。
あれですがちょっと胸がうってなってしまうタイプ。
自分で参加して確認するっていうことは多分私の心臓が持たない。
くらい共感性が高いので難しいんだけど。
なんかね多分参加しようと思ったのは、
参加して結果としてどうかっていうとめちゃくちゃ衝撃的で、
そのお肉を食べないっていう選択をした人の気持ちはすごくわかった。
肉を食べることへの考え方
これはそうなる気持ちはわかると思った。
けどなんか自分の中で多分肉を食べないという選択肢が自分の中にはおそらくない気がしたから、
だからちゃんとそこに向き合わないとダメなんじゃないかと思ったんですよ。
肉を食べることが好きだからこそ?
今の大きな話になるけど、この社会じゃなくて世界というかその生き物の仕組み、
何かの別の生物を食べて栄養に変えて生きるっていうこの仕組み自体がもう、
罪深いというか罪深いようなシステムになってる。
自分で自分の生きるエネルギーをね。
別のものの命を奪って、
それしかできないから。
そうっていう状態だから、その何かを食べないっていう選択肢はできるんだろうけど、
自分の生命が脅かされる。
というかその結局別のその一つの対象を食べないとしても、その罪から逃れられるわけじゃないなっていうのを思ったから、
じゃあそのちゃんとそのもう生き物として生まれてしまったのでその罪というか、
現在なんて言ったらいいんだろうな、罪なのか分かんないけど、
それと向き合わないというか、
向き合った方がいいんじゃないかなーみたいなのを思ったりして、
なんかいろいろ考えることがあったっていう。
私はこの話を聞くのが本当にしんどくてね。
ごめんなさい。
あ、いいよ。いいんだけど。
そう。
あんまり積極的にタカからこの話を聞こうと思ってなかったの。
泣いちゃうから。
うん。
そう。
でもそんな弱い私も誰か、誰かというか何かというか、何かを食べないと生きてはいけないっていうね。
だからなんか思ったのはその、都会にいた時は何も考えてなかったわけですよ。
食べることっていうのは当たり前で、コンビニに行けば普通にいろんなものが売って、野菜も魚も肉もすべてが普通に24時間売られてるみたいな。
で、それに対してこう、おいしい、うまくないみたいなことだけでしか語られなかったりとか、それが残されてるとか、
なんかそこに無関心なまま食べるのってどうなんやろうみたいなのをこっち来て思い始めた。
でも身近にその何て言うんだろうな、自然と共に生きるみたいな話をすると、結局何かを育てて何かを摂って食べてってなるから、
なんかそこうまく言えないんだが、なんかそれが人間本来な感じがして、向き合っておいた方がいいなぁみたいなんで言って、何て言っていいんやろう。
向き合った結果でもたかはやっぱりそのお肉を食べるっていう結論なんだよね。
そうだね。
で、そこの10歳の子供が参加してたやつが、すごいいろいろそういう議論みたいなのをしてたんですよ。
ワンナブラザーズの方と?
そうそう、子供も含めて。
みんなでね。
だからその言うと、鹿を解体するとかっていうところも含めて、こう、なんだ情報量がものすごく多くて、結構頭痛くなったんですよ、私は。
結構疲れるというか。
なんか鹿の状態から始まりみたいな感じだよね、きっと。
そう。
状態を見るところから始まり。
で、その中でその子供もそれに参加しながら、相反する子の言葉がいっぱい出るんですよ。
かわいそうだなぁみたいな言葉も出るし、でもおいしそうだなぁみたいな言葉も出たりとか。
まあそれが自然だったりもするだろうけど、いろいろ話す中でやっぱり、
その鹿も親がいて、もし自分だったら離れ離れになるから嫌だからやっぱり取らない方がいい、みたいな話になったり。
じゃあでもその代わりにその子たちが農家が育ててくれてる人参とかジャガイモとか野菜を食い荒らしてしまって、食べてしまって、
農家の人が生計生活できなくなったりしたらどう思うって言ったら、それも良くないから誰かが鹿に餌をあげたらいいんじゃないかとかっていう提案もあったりとかして、
そうか、そういう方法あるのか、じゃあその鹿の食べ物は誰が用意してどうやって配るとかっていう話をして、
結局これもその答えが出ないからさ、答えが出ないからいろんな考えの人が多分食べる食べないとかっていう話をしてるんだけどさ、
食べることの意義と対話
答えは出ないけどそれをことを頭をひねって実際にそれを直面してる大人とその子と同じように分からないけどなんか考えてる自分とかもその理論にいたりする中で、
この時間すごく大切だなと思った、そこまで食べるっていうことが当たり前すぎてちゃんと意識してなかった、ちゃんと感謝して食べなきゃいけないんだっていうのを本当に改めて30なった後ぐらいにようやっと、
なんかそれだけその日本の食べる時に手を合わせるって本当にいろんな意味があるんだなみたいなのをさ、やっぱり肌で感じる、実際に自分で体験して、
でその自分が解体したお肉を料理人の人がちゃんと調理してくれて美味しい状態で出してくれて、
なんていうんだ、鹿肉は前に食べたこともあったけどさ、
比べ物にララライぐらい美味しかった、びっくりした、こんなに違うんだと思って、
いうのをなんか考えるとね、この時間はあった方が良かったなと思ったんですよ、なんかちゃんと言語化できないけど、
食べるってことってなんか罪深いんだけどすごく大事な時間というか、なんていうんだろうな、幸せを感じさせてくれる時間でもあるじゃないですか、
でもそれと同時によくよく考えたら結構罪深いよねみたいな、
そんなことを多分人間以外は考えてないとは思うんだけどさ、
そうだね、生きるために狩るっていうのは。
それが当たり前だけどさ。
動物社会の当たり前だけど。
なんかうまく説明できてるかわかんないんだけど、とにかく名の通りどう食べるの?みたいな、なんで食べるの?みたいな。
どう食べるの?っていうのが調理になっちゃう人もいそうだね。
どうしてお肺で食べるの?っていう意味だね。
あと、体験した上でそれでも食べるの?みたいな。
で、なんかそういう話もしたんだよ。
で、それでもし食べないっていう選択肢をする人がいても、それはその人にとって正解だからみたいな話をしてて。
それはその場限りの選択肢かもしれないしね、ゆくゆくまた将来的に変わるかもしれないし。
でもいいね、なんかその違う、食べる?食べない?っていう着地を決めないで、どう感じましたか?っていうのをフリーで自由に考えていようっていうのは、すごいいい時間だね。
対話みたいな部分でも。
そうね、なんかね、本当答えが出なさすぎて。
正解を多分その主催者側もやっぱりわかんないんだろうね。
わかんないというか、もうずっと向き合ってると思う。
食に対する意識の変化
最初に狩猟を始めた時と今とではやっぱり違うって言ってる。
心に何かが溜まっていってる感じがする。
その一頭一頭向き合ううちに、そのうちなんか大丈夫なんだろうかみたいなも思ったりはしてるらしいけど、
でも他のその上の世代の漁師の人たちの話を聞くと、それはそれで面白くて、その生活の一部なのっていうと、
鹿をとって食べる、で、長寿害の地域の農産物とか森とかを守るために駆除をする、これは当たり前っていう考え方。
役割的なところか。
だから別にその解体をして自分たちで食べるっていうのも生活の営みの一つみたいな。
畑を耕して植物を、あの農作物を育てるっていうところも一つだもんね。
それと同じくらいの感覚っていう感じかな。
それを聞いた時になんかやっぱり、なんだろうな、アフリカのなんか生活のやつとかをテレビで見た時に言うとそんな感じというかさ、野菜も育てるし、
なんていうんだ、狩猟みたいなんとか、あとは家畜みたいなもするけど、それも生活の営みの一つみたいな感じで。
なんだろう、変に日本の場合なのかな、ほとんどの近代社会がその食べ物を取らなくても誰かが取ってきてくれて並べてきてくれるっていうのが、
当たり前になりすぎてその汚い部分を見なくてよくなったから。
汚いというかね、心を痛めるシーンをね。
だからその、この食べるっていうことが悪い、良い悪いみたいなことになっているんだろうけれど、
なんかそれも変な感じもして、良い悪いっていう、そんなもんで片付けられることなんだろうかみたいな。
なんかもっと複雑な気もするし、なんでしょうな。
分からんけど、タカが実際その場所に行って、
瞬間瞬間でどういうことを感じたのかっていうのを総括して今教えてくれてるから、
なんか実際の本質的な部分は分かんないけど、
私は自分がすごく共感性が高いので、博物館に行くのも怖いのね。
うん。
博士を見ることすら嫌なんだよ、最近。
うん。
小さい頃はそんなことなかったけど、博士って結局亡骸なわけじゃん。
うん。
本当にこれは全部ポリエステルでできてますって言われたら、
じゃあちょっとまだ大丈夫って思うけど、
あれがもともと動物だったものから作られてるっていうのが一番答えるのね。
虫の標本とか魚もダメなの?
ちょっとね、虫はちょっと苦手。
はい。
携帯が苦手とかじゃなくて、そういう同じ意味合いで苦手。
だってあそこはね、そのまま飾られてるから。
はい。
魚に関してはあまり見たことがないから、魚の標本がそもそも。
だから何とも言えないけど、魚の場合骨とかで残ってる場合があるから、
骨の場合はね、そこまでめちゃめちゃ思うことはない。
なぜなら骨で食べてる時があるから。
焼き魚とか。
でなると動物だけがすごくリアリティを感じて、目線とかを感じちゃうくらい辛くなる。
でなると、この特性を持った私が、
例えばそのツアーに強制参加してくださいって、
ちっちゃい頃とかに言われたりとか、
なんだろう、じゃあ、社会一家建学の一環として、
屠殺場とか、食肉加工所で働いてくださいって言われたら、
それこそたぶん心すごく壊れちゃうと思う。
でもそれを生活の営みの一部だって言ってやってくれてる人がいるから、
私は安心して食べられているっていうのも、
知ってはいる。
けどそれを全員に強制して、じゃあ全員見てこいみたいなのはやっぱり難しいよなって、
自分がそういう人間だからそれを思う。
し、じゃあその南アフリカみたいな土地のやり方を今の現代日本でやりましょうってなっても、
同じような人が現れると、私みたい。
これは甘えだって言われたら、それ甘えに聞こえる場合もあると思うけど、
これは私の性格の特性もある。
なーってちょっと聞きながら思ってた。
なんだろうね。
タカはその汚い部分とか、誰もやらない部分をやってくれてる人がいるみたいな表現をさっきしたけど、
私は汚いと思ってなくて、タカも思ってないと思うけど、
やっぱりそれをやれる特性がある人と、それができない特性がある人っていうのは本当にあるよなと思う。
じゃあその日常の営みでやってますっていう人が、
地域との関わりと自然の影響
じゃあ逆にもうパソコン社会だから今からパソコンで罠を仕掛けに行くんだみたいな、
それシステムかしろって言われたら、それはそれでできないと思うんだよね。
っていうのもちょっと思ったりしました。
なんかね。
なんかキリキリするわ。
すいません。すいません。
胸が苦しい。
なんだろうなー、なんて説明するといいんだろう。
なんか知らない、知らないの良くないなと思ったんだよ。
わかんないね。私たちの知らないことなんかいっぱいあるけど、
今回のたかの切り口はその、
命をどういただくかみたいなところだったけど、
じゃあ過去の戦争の話とかさ、
過去の大虐殺の話とか差別の話とかっていうのを、
全部やっぱり私たちは見ないまま生きてきてるしね。
すごい大きな話になるけど。
うん。教科書で習ったぐらいの話かな。
知らないことはいっぱいある。
今回たかは命っていうところを、
生きるとかっていうところを向き合うために参加したっていう感じ。
向き合うのもそうだし、田舎に来たので、
その長寿害とかっていうのが目に見えてわかるようになったというか。
めっちゃ鹿いるよね、ここね。
鹿いるし、よく聞くんですよ。
あーそっかそっか。
狩猟が趣味とかそういうんじゃなくて、
もう獲らないと農作物が本当に食べられて生活ができません。
ってなると本当に人ごとではないというか、
じゃあそれを食い止めるために、
そもそも高齢化が進んでて人が少ない中で、
ある程度そういうことに興味がある人は、
何かしら手を尽くさないと、
いろんな人の生活が成り立たなくなるというか、
自然もあと何年か後に土砂崩れが多くなって、
人の住める場所も少なくなっていくとか、
っていうのを予測を聞いたときに、
何も知らない状態でいていいんだろうかみたいになったからかな。
なんかやっぱ何も知らない状態で生きられていたというのもすごいことよね。
私はタカがそういう話をしてくれなかったら、
どこまで深刻な被害なのかとかっていうのも、
やっぱりわからなかったし、
実際この地域に住んでる人の中でも、
知らない人の方が多いと思うんだよね。
うん、そうね。
タカ自身は今回その命のことに向き合うっていうのと、
その被害みたいなところを考えるっていうので参加したっていう、
その2つの観点の話?
被害を考える。
今後の未来の自然のことを考えるって。
そうね、なんか。
自分にできることなんかないのかなっていうのはあったかも。
その食べることを通して生きるってどういうことなんだっけ?プラス。
田舎に来てどうやったら今の問題というか、
なんか役立てることないんだろうかみたいな感じかな。
1つの視点としてその漁師というか、
その視点で狩猟と生徒害対策をやってる人の感覚を聞きたかったのかな、いろんな。
うん。
でした?
でした。
なんかとにかくいろいろ考えさせられたってことを言いたかったんですけど、
安易に選ぶテーマではなかったかもしれないと思いました。
文化と食の歴史的背景
そうでしょ。
なんか難しい。
私の心臓を苦しめただけで。
申し訳ない。
いや本当にこれはもう難しいよ。だって人類が成り立った時からの多分テーマだし、
こんなことが考えられる平和の世の中っていうところもあるね。
あーそうだね。
それこそ文化が発展してない都市とか国に生まれていたら、
もしかしたらもう強制的にせざるを得ないっていうのは発生してたと思う。
うん。
役割がある中で文化が発展してきたっていう背景もあると思うけど、
それだけ平和なことだということかな。
ツアーに参加しないと考えられないぐらい平和。
そうだね。そういうツアーが没足してる時点で平和だと思う。
そうだね。それに価値があるってことだもんね。
ちなみに私一時期品川、東京の品川で働いていたんですけど、
品川にあの塗札場があるんですよね。
あ、そうなんだ。知らない。
私も知らなくて、その品川のオフィスで先に働いてた先輩方が教えてくれて、
食肉加工場が近くにあるから焼肉とかね、新鮮なお肉を食べられるんだよみたいな感じで言われたんだけど、
もう行くたびに祈ってたよ、気持ちは。ずっと。降り立ったたびに。
はぁってなってた。
けど、食肉加工場があるから美味しいお肉が食べられるよっていう。
分かりますか?この違和感。
分かる分かる。
この違和感を私はずっと抱えてたんだよね。
しかもオフィスとか、それこそ住宅地がどんどん建っていってる品川っていう土地で、
品川駅からちょっと近いところにあるんですけど、
それも知らない人の方が多分多いんだよね。
東京に住んでたとしても知らないし、
本当にグーグルマップでちゃんと探すとあるんですよ。
ちょっと大きめの箱で、グーグルマップ上にも存在してるんですけど、
でもその隣で私たちは普通にパソコンの仕事をしていたりとか、
何かイベントをやったりとか、
でもこれを聞いたとて何も感じない人ももちろんいると思う。
っていうね。
そういう何かいろんな思いが言い乱れたようですよ。
ね、難しいよね。
でもやっぱそういう楽観的な人がいるから成り立ってる部分もあるし。
本当に私が働いてた方って湖南口の方なんだけど、品川駅。
分かる人分かるかもだけど。
3、40年前の品川は本当に湖南口側が本当に暗かったらしくて、
何かトンネルみたいなところを通ってみんなオフィスの方まで来てたんだって。
そのトンネルとかが全部壊されて綺麗な駅になって、
人がどんどん移り住んでくるようになったみたい。
何か人間の魅力に感じるところってやっぱ綺麗とか、
安全像みたいなところだから、
わざわざ代々的に職人化工場がありますとは言ってないんだと。
やっぱ大通りは綺麗な建物とかね、が多いし、
ちょっと裏道行くとすごいごちゃごちゃした居酒屋とかが多くなってたりとか。
何か本当にね、人間すごいよねって思いながら通ってました。
食べることの意味
あのね、ダメだよ。これ以上話すと迷子になるからね。
もう迷子です。
戻ってくるの大変だからね。一回その沼入っちゃうとダメで。
私もタカムだけ、私は小学校の頃から何で生きてんだろうって考える人間だし、
タカムそういうね、経験もあったと思うけど、そういう話も考えちゃうわけじゃないですか。
私たちみたいに重くこの世界のことを考えたり受け止めたり、
命について考えてる人の方が少ない。
少ないのかな。
あの、何だろう、沸騰したタイミングできっと思うかもしれない。
あの戦争の話があったりとかした時にね、思うかもしれないけど、
やっぱりそれより日常の方が大事で、日常をどれだけよく過ごすかっていうところをみんな執着するわけじゃない。
ってなると、もう今日は疲れたからコンビニ弁当でーとかさ、
ってなってくるわけじゃん。
そうやって働く人によって成り立っている社会でもあるし、
何とも言えません。
答えは一つじゃない。
ことする。
答えは一つではありません。
その人々によっての価値観によって答えの数がきっとあるから。
今日も前に救われてお話ができました。
そんなの?
私一人だと本当にまとまりが全くなかった気がします。
私の心臓を傷つけた回はありましたかね。
私は今日タカと話して何回泣いたことか、この話。
なるべく涙の音は入らないように配慮したので、
皆さん気づかれないかもしれませんが、ボロボロと出てきてたね、涙ね。
どう言ったらいいんでしょうか。
申し訳ございませんでした。
すごくいい考える機会になったという話でした。
夫婦内政の時間ではお便り感想を募集しています。
日々のモヤモヤや気づきなどあればぜひ送ってください。
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