1. 戦略的幸福論〜AI時代をどう生きる?〜
  2. #57「結果に縛られすぎる人生..
2025-05-12 13:29

#57「結果に縛られすぎる人生の落とし穴」について話してみた。

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戦略的幸福論 / 結果への執着 / プロセスの価値 / AI時代 / サイニック理論 / 最適化社会 / 自立社会 / 良いご縁 / 精神的成長 / 朝の散歩習慣


▼今回のトーク内容

1人語りシリーズ、輝編。人は結果を得るために努力するが、結果に執着しすぎることで人生の豊かさを見逃していないだろうか。このエピソードでカガヤキは「人間は結果に縛られすぎている」というテーマを掘り下げる。結果よりもそこに至るプロセスこそが人生の本質的な価値であり、特にAI時代においては結果を求めることの意味が変化していくと語る。リチャが紹介する「サイニック理論」を通して、社会が最適化社会から自立社会へと移行する中で、人間の意識は「何を得るか」から「どう生きるか」へとシフトしていく可能性を探る。朝の神社参拝という日常習慣から始まり、結果に縛られない「流れに身を任せる」生き方の本質に迫る。


▼番組概要

AIが社会のあり方を根底から変えようとしている今、私たちはどのように生きれば、より豊かな人生を歩むことができるのか?

この番組は、AIとウェルビーイングのスペシャリストが、最新のAIツールや注目すべき動向を解説しながら、激変の時代を人間らしく生きるための「戦略的幸福論」を哲学するプログラムです。毎週月曜日AM配信。

▼番組ハッシュタグ:#戦略的幸福論

▼再生リスト

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▼パーソナリティ岡田毅志リチャード(リチャ/プロコーチ) https://x.com/tiedfamily244

日本育ちのイギリス系ハーフ。住友商事、リクルートを経て妻の海外駐在に同行するため退職し、バリバリのサラリーマンから一転、主夫として渡英。2児の父。筋トレ、読書、ストレッチが日課。国際コーチング連盟認定コーチ

河畠ライアン輝(かがやき/個人投資家/プロコーチ)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/kagayakimann

アメリカシカゴ育ちの日本人。所属するコインチェックが役500億円盗まれ資本主義的幸せの限界を体感。出家体験で俗世を離脱後、仏教にはまる。エンジェル投資16社。元野総、エクサウィザーズ、VC、起業家、芸人。10店舗経営する2児の父。国際コーチング連盟認定コーチ。

▼戦略的幸福論DEEP CONNECT(noteメンバーシップ)https://note.com/strategichappy/membership

サマリー

今回のエピソードでは、人間が結果に固執しすぎていることが考察されており、過程を楽しむ重要性が強調されています。AIの進化によって、結果が簡単に得られるようになる中、人生を豊かにするためには、結果ではなくその前のプロセスが重要だと語られています。結果に固執しすぎることの危険性や、それによって大切なプロセスや経験を見逃す可能性について論じられています。最終的には、流れに身を任せ、自分の成長を重視することが重要であると結論づけられています。

結果に縛られる人間
戦略的幸福論です。 今日は前回に引き続き、ひとり語りシリーズということで、
今回は私、輝きが喋りたいなと思っています。 前回はリーチャーさんの話でしたね。
今はですね、日曜日の朝で、ちょうど神社に参拝に行って、1時間ほど、5キロぐらいですかね、歩いて、
帰ってきました、というところでございます。
いつもの、私の朝のルーチンですね。
雨の日も、風の日も、雪の日も、どんなに寒くても暑くても、できる限り朝は散歩をするようにしている、
という、そんな私のルーチンでございます。 朝散歩するとね、めちゃくちゃ、
やっぱしてない人をしている日でも全然、精神衛生上違うので、あのー、散歩と参拝はめちゃくちゃおすすめなので、
ぜひ皆さんもしてみてください。 で今日はですね、今日はちょっとですね、
最近僕が気づいたことというところで、
人間は結果に縛られすぎているというテーマで話したいなと思います。
やっぱね、これ思ったのはですね、 人ってやっぱ結果が
出るから、何かしらの見返りがあるから、物事を頑張る傾向があると思ったんですよ。
なのでこう、よくね、結果が全てだみたいなことを言う人がいっぱいいると思うんですけど、結構結果が全てじゃないんじゃないかなってね、最近。
最近で限らずここ数年思うようになりまして。 それもなぜかというと、
やっぱ結果を望むと、
結果に執着してしまうんですよね、人って。なのでその、特定のこの型にはまるものがないと、
もう今までやってきたことも全部意味がないみたいな、そういう考えになってしまうのかなと思っていて、
そうすると過程を全く楽しめなくなるなっていうふうに思ったんですよね。 なおかつ、その結果からずれるもの、
自分が望んでいるその結果とは遠回りしてしまうものとか、全然違う結果になってしまうものっていうものは全部避けてしまうっていう傾向があると思っていて、
そうすると、例えば目の前に全然違う、 自分の結果とは繋がらないかもしれないけど、すごく良いご縁が現れたとしても、そのご縁をパスしてしまう
ということが起こり得るなと思っていて、 それってすごく人生を損してるなぁと思ったんですよね。
なおかつ、これからのAI時代において、 結果を出すみたいなところはもうAIが全部やってくれるんですよ、おそらく。
ちょっとプロンプト渡して指示を出せば、 ある程度の結果を予測して、勝手にAIが動いてくれて、
勝手に何かしらのお金を稼ぐだったらお金を稼ぐという結果を出してくれたりとか、 フォロワーを増やすだったらフォロワーを増やすという結果を、
勝手にAIが結果を出してくれるという世界線になっていった時に、 結果に縛られることが無意味になってくるというか、
結果よりも、それをする結果を生むまでの過程みたいなものを楽しむってところの方が、 本来であればそこがめちゃくちゃ大事な部分だと思うんですけど、
結果は本来目的ではないと思うんですね。
結果ではなくて、結果にというものを設定することで、 そこに向かうためのプロセスがめちゃくちゃいい人生を作っていくと思っていて、
例えば僕の場合だと、スタートアップとかで働いていて、 以前コインチェックとかで働いてた時って、本当に最初3人とか4人ぐらいしかメンバーがいなくて、
その中で会社を上場させるとか、 世界一の暗号通貨取引所になるみたいな、そういう目的結果を目指してみんな頑張ってるんですけど、
いざその結果とか目的を達成してしまうと、やっぱり人ってまた新しい結果を作ってそこに向かっていくとか、
そういうモードになっていくと思うんですけど、 それよりもやっぱこの結果とか目的を一定達成した時にそれまでの過程とか、
そこまでにたどり着くための苦労とか、 途中であった喜びとか、そういったこのジェットコースターのアップダウンの経験、
プロセスこそがめちゃくちゃ楽しかったんだなってことにやっぱ、 その結果を手に入れててから思うわけですよね。
そういうふうに考えると、やっぱ一つの結果に執着するっていうのは、 すごくもったいないなと思っていて、
なので、 すごい固まりきった、
俺は絶対に、 あのタワーマンションに住むみたいな、特定のタワーマンションに住むみたいな、
目標があったとして、 要はそこに住めないものは、そこの結果にたどり着かないものは全部排除していくっていうことを人はしてしまうと思うので、
そうすると、せっかくすごい良い体験とか、自分にとって楽しい体験とか、 より人生を彩ってくれる体験が目の前に現れたとしても、
それを全部無視してしまうっていうことがあると思いました。
サイニック理論と社会の変化
で、この話って以前の収録でもちょっと話した、 サイニック理論の話にも結構通ずるんじゃないかなと個人的に思ってまして、
サイニック理論のおさらいをすると、 サイニック理論ってオムロン、血圧計とか、
あと何でしたっけ、結構有名な技術、 体重計とかですね、とかを作っている会社なんですけども、
その創業者のタテイチさんって方が1970年代に作った未来予測の考え方でして、
この予測のすごいのが、パソコンとかインターネットとか、 そういったものがもう存在してないじゃないですか、1970年って。
そういったものが出る前から、そういう技術が現れるってことをすごく的確に、
しかも現れる時期とかも結構的確に予測していたっていうところで、 最近になってまた注目を浴びている理論なんですけども、
この中で、最適化社会とか、あとはその先にある自立社会、 そして最終的に訪れる自然と書いて自然社会というふうに、
人間の社会が変わっていきますと。 で、今の結果の話につなげると、
その結果を求めるとか望むっていうのは、 最適化社会的なところが結構強かったのかなというふうに思っていて、
なので、そういうAIみたいな技術が突き詰めると、 いろんなものが最適化されていって、
で、その結果とか何かを手に入れるみたいなところですよね。 自分にとって有益な何かを手に入れるみたいなものが多分、
やりきると、誰もが自分が望む結果をある程度手に入れられるみたいな社会になってくると思うんですよ。
現時点でもある程度なってはいますよね、その結果を手に入れるっていう意味だと。 例えばコンビニに行けば、
もうちょっと100円ぐらい払えば甘いお菓子が食べれるみたいな。 で、これがね、原始時代とかだったら、もう木を登って上に生えているバナナをちぎって
剥いて食べるみたいな。なので、もうこの一連の プロセスを経ないとその結果を得られないみたいな感じだったんで、
やっぱりそのバナナを食べるという結果に結構執着してたと思うんですよね、原始時代の人間って。 まあそういう感じで、結果というものが
簡単に手に入るようなかっていうふうに技術の進歩によって、 どんどんどんどん起こっていると思うんですよね。
結果に縛られることの危険性
で、これがもう最終的に行き着くと、結果というもの、 何かを手に入れる、自分にとって良いことが起こるみたいなところに関しては、あまりこう
結果目的には意味がなくなってくるんじゃないかなと思っていて。 なので最終的にはそのプロセスを楽しむ、どんな体験をするか、何をするか。
何をしたら自分が精神的に成長するかとか、何をしたら良い後縁が生まれて、より楽しい遊びができるかとか、そういったところに人々の意識が向いていくと思っていて。
で、このサイニング理論で言われたのは、それが自立社会とか自然社会っていうところですね。
っていうところに繋がっていってるっていう感じだと思うんですよ。 なので、原始時代とかってね、そこまでもちろん食べ物を食べるっていう結果とか目的はあったと思いますけど、
それ以外のところって別に、あとは遊んで暮らしてるみたいな祭りをして、 ただその場を楽しむみたいな社会だったと思うんですけど、
そういう社会に技術が進歩しきった時に、この螺旋状の階段、スパイラルアップの過程を経た結果、同じような社会だけども技術がめちゃくちゃ発達してるっていう状況の中で、
それが起こるんじゃないかな、みたいな風に予測しているのがサイニング理論というものですと。 なので、このサイニング理論を見ていても、
この結果を求めるという過渡期に今いるんじゃないかなというふうに思いましたと。 なので、これを人間が最適化して全てをやり切ると、
結果はある程度すぐに手に入るんで、それよりもどんな楽しい経験ができるんだろうとか、 どういう経験を今の自分にさせたら、
自分の精神性が高まるんだろうかとか、人間的に成長するんだろうかとか、そういったその過程とか事故の
学びとか成長というところに目が向き始めると思うんですよね。 お金を稼ぐっていうところにほとんどの人は、
その金が欲しいという結果を求めて動いていると思うんですけども、そういったものの結果がある程度すぐ満たされるってなった人々は自分の精神的成長とか、
周りにどういう良い影響を与えられるかとか、 そういうふうに意識が変わっていくんじゃないかなというふうに最近思ったっていう
ような話でございます。 なので、
結論、私が言いたいことは、あまり結果に縛られない方がいいよっていうことですね。 結果に縛られるとせっかくの良いご縁を見逃してしまいますし、
もしかしたらその結果は本当は自分にとって
流れに身を任せる生き方
良い結果じゃないかもしれないですし、その結果を目指すというところに執着した結果、自分にとって良いプロセスが目の前に現れたとしても、それをパスしてしまって、見逃してしまっていることもあり得ますし、
そういった意味では本当に流れに身を任せるように生きる。 流れに身を任せるっていうのも
自動的な感じではなくて、自分の成長にとってこの流れはいいんじゃないかとか、 この流れに乗るとより良いご縁が増えて、より幸せな人が
増えるんじゃないかとか、より自分という存在が周りに良い影響を与えることができる場に導いてくれるんじゃないかとか、そういうふうに考えると
結果というものに縛られなくて済むと思うので、
僕のこの取り留めのない話の結論としては
今を一生懸命生きましょうという、めちゃくちゃ自分のエゴとかじゃなくて、周りへの良い影響を与えられるような人間である
みたいなところに意識を向けましょうっていうところなんですかね。 そんなふうに思ってます。僕もまだ全然できてないこともたくさんあるので、
こういったことを意識しながら、 最近の僕は生きているというところで
です。はい、なので今日のテーマ 人間は結果に縛られすぎているというテーマでした
13:29

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