そう、なんかブレない、ブレないことに
失血すると、これは執着していることになっちゃいますもんね。
そうですね、中道が大事ですからね。
ね、中道が大事ですよね。自分とはこういう人間であるって自分で決めたものに固執してしまうと、それは執着なので
必ずしもいい結果を生み出さないですし、じゃあ自分とはこうだって掲げたものからずれていくときに、
自分が何者かでなくなってしまうっていうのも思い込み
だと思うから、そういう揺らぎを受け止めて、より良い人間として
世の中に貢献していくみたいなことが大事なんだよなと思いますし、
そうなんですよね。
一、主風としては自分の家族が一番身近で大事な存在なので、この家族がちゃんと
楽しい人生を送れるようにサポートするっていうのが地域的な僕がやるべきことですし、
自分としてはその、なんだろうな、コーチングの形で、あるいはこういう発信を通じてね、何か聞いてくださっている人、自分が直接触れられる人が
より良い人生を歩んでいくきっかけがね、作れればいいなぁというふうに、おこがましくも考えておりまして。
そういうのを忘れずにね、やっていきたいですよね、いろんな仕事も、それに類する仕事も。
こんな感じですかね。
はい。 そうですね。
今日、僕の話を聞いてヤッキーさんどう思いましたか?最後まとめてください。
最後、なんかね、他にも言いたいことがちょっと出てますが、
なんかユシャさんがそう、
金を稼ぐという、自分のアイデンティティから主風になりそのアイデンティティが
一回崩され、でもその中で中途半端な状況を受け入れて、前に進んでいくみたいな話だったと思うんですけど。
最近自分がちょっと思うのは、中道、中途半端な状態を受け入れるって中道だと思うんですよ。
中道で、何かこう良いも悪いも関係なく、ただあるがままの出来事として前に進んで、とらわれがないという状況だと思うんですよね。
だから何かそれを突き詰めすぎると、逆に、
自分とかないかって本も流行ってますけど、何かあの思想に寄りかかりすぎると、本当にこう、
すべてが中道になり、何でも良い状況になって、無欺欲になる思想でもあると思うんですよね。一歩間違い。
僕も昔、まあそういう東洋思想と仏教思想にだいぶ寄って、そういった感じになった時期もあったんですけど、
なんで、なんでこう意味を手放すのがいいんじゃないかと思ってたんですよね。最初にそのアイデンティティとか、
すべての意味を手放して、ただ、ここにいるみたいな。
それだけで価値があるみたいな。でも人間って、やっぱり、
なんで、意味という病だと最初思ってたんですよね。人間はもう意味からどうしても、意味を求めてしまう生き物だと、人間は。
でも多分、意味というこの病自体は治せないもんだなって、最近思ってて。
意味からは逃れることができない。何をどう足掻いても。
なので、その中途半端な状態を受け入れながら、
もう、囚われない形で、
自分の中で入りづけするっていうのは大事なのかなって、最近思ったりしてるんで。
リシャちゃんの主婦の話も、そういう感じにも捉えられそうかなって思ったりしたんで、
シェアしてみました。 ありがたいですね。わかりますね。意味なんかないぜって、世の中の人全員が言ったらどうなっちまうねんっていうのは、
命題としてはあると思うんですよね。個人の選択として、意味に縛られずに気ままにやっていくっていうのは許されるかもしれないけど、
社会全体がそれを実践したらどうなっちまうのかっていうのは、何か選択をするときには考えるべきことだなと思いますし、聞いてて思ったのは、
中道であるっていう東洋哲学の考え方と、あと神が正解を持っていて、神に与えられた使命を全うするっていう西洋的な
絶対性のある教えの、なんか両方のいいとこ取りができてたらいいですよね。 ちょっとね、ちょっとどちらの知識も浅い中でこういうことを言うのは恐れ多いものね。
恐れ多いものの、なんかこう、バランスは大事だし、やっぱり両極にある思想っていうのは何千年もかけて人々が紡ぎ上げてきたので、なんかそれぞれのいいところを自分なりに抑えていって。
結局は僕もそう思います。なんか人生、なんだろうな、生まれてくることに意味はないっていう立場もあると思うし、
けどあえて意味付けするならっていう立場もあると思うんですよ。どっちも素敵だと思うので。
うん、なんか。 そうなんですね。
まあその人自体も、まあ中道で考えるべきってことですね、結局。 うん、そうですね。そうなんでしょうね。
だから何かに、何かに思いっきり追っかかるのは良くないよってことなんでしょうな。 自分の足で辿ろうぜと。
いやーなんかすげー、なんだろうな、学びが深まるようなまとめの最後いただきましてありがとうございます。