ビパッサナ瞑想という、12日間ただひたすら瞑想しかしない、刑務所よりもしんどい生活をするという、
ご縁の涙とかで出来て、多幸感で包まれた、成功の価値観を払っております。
すさまじい体験ですね。全く共感ができない。
想像が及ばないなぁ。
輝き堂の悟り、なんだかねこれが。
戦略的幸福論です。
住友少女を辞めて専業主婦になった岡田リチャードと、
会社が500億円を持ち逃げされて、悟りを開いた川端輝之です。
気になる自己紹介ですね。
前回引き続き。
前回引き続きね。会社が500億円持ち逃げされたっていうところはね、前回たっぷり聞かせていただきましたよ。
コインチェックで、NEMという仮想通貨が、一夜にして580億円盗まれて、
全部お返ししたっていう話でしたよね。お預かりした。
お客様には580億円全部、会社として、その当時稼いでいた利益を全部お返ししてしまったというところ。
で、2番目の社員として、海外担当として、かなり重要な責任を担ってた富良幸さんでしたが、
この580億円が盗まれたという事実を聞いた時に、最初に感じたのはちょっと体が軽くなる感じなんていう話が。
もしかしたらそこで悟りを開くきっかけがそこにもうあったんじゃないかっていうところで前回終えてますけれども。
ほんでね、その580億円の事件がありまして、その後どんな流れで悟り開くんですか?
盗まれて、バンドエーされて、やることはなくなるんですよね、バンドエーされて、僕自身が。
別に当時はね、30人40人くらいの小さい会社だったんで、結構自分がいないと回らない業務とかもあったとは思うんですけど、
やっぱね、組織になって大きくなるともう俗人化は良くないことなんで、別に誰がやっても良いわけですよ、僕の業務なんて。
っていうところもあって、暇になっていて。で、事件の直後ってこともあってね、そんな大それた動きもできないですし。
なので、ここにこのまま残っても、なんか地位とか名誉とかはちょっとね、社内で頑張って動いたら手に入るってあろうけど、
別に、なんか全然それワクワクしないなと思ったんですよね。
なんか別に新しい経験が、もしかしたらできたかもしれないですけど、なんかこう、
やっぱそのね、580億円盗まれるっていう、そこまでの経緯を僕は経験してしまってるんで、
それを超えるほどの体験とかドーパミンみたいな刺激を求めると、多分超えないだろうな、ここに残ってて。
まあ、その後ね、最近のニュースでコインチェックがアメリカのナスタックに上場したっていうニュースもありましたけど、
もし僕があの時残っていたら、今頃僕もかなりの、もしかしたらね、お金が入ってたかもしれないっていう未来もね、
そこに残っていたら、そういう未来もなんとなく想像はしたりもしてたんですけど、
なんか、全然ワクワクしなくて、そういう未来に。
それよりもなんか新しい体験とか、全然違うことをしたいな、みたいな思いの方が僕は毎回勝つので。
なので、まあ結構ね、それを最初に残った人もいたんですけど、僕はもう、多分すぐに辞めますって言ったんですよね、それされた瞬間。
へー。
あの決まった瞬間に、1号目の社員が辞めますって言ってさ、あと僕も辞めますって言ったんですよね。
1、2で辞めたって感じなんですけど。
へー。
で、その後辞めて、シリコンバディ行ったんですよね。シリコンバディ行って。
で、シリコンバディでポインチェックで体験したことって、ほんと資本主義のフォクみたいな感じだったんで、
その稼いだお金だって、要は暗号通貨上がる下がるの倍々で儲けてるわけで、別にね。
今となってはビットコインとかが次の貨幣になる、貨幣というかゴールドになるみたいな話になってますけど、
そういったものをポインチェックで体験したんで、それって別にあってもなってもいいものじゃないですか、世の中に。
なるほど、なるほど。
エッセンシャルワークでもなんでもないし、ブルーシッドジョブと言えばブルーシッドジョブでも儲かるっていう、人間の欲をかきたてるから儲かってるっていうビジネスだと思うんですよね、
暗号通貨の取引所基本的には。特に今は黎明期なので、そういった状態になってる。
もっと長いスパンで見たらね、そのブロックチェーンという技術が社会を変革するってことは全然ある未来なんですけど、
黎明期である暗号通貨の取引所みたいなものは基本的にキャンプリであり、別に何か世のためになってるかって言ったら何の世の中のためにもいないっていうものだと思うので。
そうじゃなくて、より世の中のために働いてる人とか、世の中のためになってる事業っていうところに僕としては、昔からそういったことに興味があったんですけど、
そこをより突き詰めたいなってところでシリコンバレーに渡って、テックの一番の発祥の地ですよね。
そこで、そういうマイネーの人と会いたいなとか、そういう人たちと話したいなっていうところで、シリコンバレーに行って、いろんなスタートアップの支援とかを講師はしているっていう感じですね。
で、その中でいろんな人と話して、ほとんどの人は一発当てたい人なんですよ。
もちろん世のためっていう人もいますけど、ほとんどのベンチャーキャッターでもスタートアップの人も一発当てたいわけですよ。名をあげたいわけですよ、基本的には。
なので、最近はもうちょっと比率は変わってきてるかもしれないですけど、そういう質感だったので。
で、なおかつ、なんか幸せそうじゃないなって思ってみんな。お金持ちもね。
すごい違和感を感じたわけですよ。なんかずっとお金を追い求めていて、生きづらそうだなって思って。
そこから結構、いろんな哲学書とか、いろんな仏教とかにハマっていろんな本を読んで、その中で最も興味を持ったのがブッダの思想で。
ブッダのそれは悟りという感覚、諸行無常とか空とか、なんかそういう感覚は、なんか読んでても一番よくしっくりこなかったのがブッダ。
その、なんとなくわかるけど、こう、体験しないとわかんないなって感覚があったんですよ、読んでて。
空の感覚って、あるけどない、ないけどある。
あなたは私、私はあなた的な、そういう感覚が。
その思考じゃわからないっていうところもあって、まあそれでなんかいろいろと調べて、体験しに行きたいなと思って、その瞑想修行に行ったんですよね。
戦略的幸福論。
リパッサナーメイソーっていう、まあ今だともう結構予約3ヶ月先までいっぱいみたいな感じで流行ってるみたいですけど、12日間ただひたすら瞑想しかしないっていう。
まあ刑務所よりもしんどいですね。
まあしんどいよな。
人と、まあ普通の人だったらしんどいですよ。だって人と話せない、目合わせない、スマホ持てない、560、10もノート持っちゃいけないんで、こう、自分と向き合う、で瞑想する以外、何もしちゃダメなんですよ。
あと夜、夜だけ1時間の講和があるんですけど、それを聞くだけっていう。
で、あとは1日1.5食。
1日1.5食なんだ。
1日1.5食です。
1日1.5食。
だから軽食があるってこと?
0.5の。
軽食がそうです。
軽食があるっていう感じです。
え、それ場所は?どこだったんですか?
うのは千葉で。
なんだ、12日間か。
なんか、怖いね。
その、参加してる時の安全確保とかさ。
その、無事です今日もみたいな。輝きは今日も無事ですみたいなメールが毎日誰かに入るとかさ。
そういうのはないんですか?
ないですないですないです。
だから、この期間はもういませんみたいなのを補助したんで、Facebookなんかで投稿して。
うーん、やばいっすね。
いや、なんか、実際だから僕が参加しようって思ったらば、あそこたちとかに、あの、12日間パパは連絡取れないからっつって過ごすわけでしょ。
なんか、ビデオレターとかを残していくかもしれない。
え、すごい。
毎日一個ずつ見てねみたいなお金だけど。
そう、めちゃめちゃ、ね。
まあ、なんだろう、要するに12日間もう全くスマホ、スマホ触れないというか、そのオンラインになれなくて、連絡を外とも取れない状態で、同じ施設の中にいる人とも目も合わせられない?
目も合わせられない、もう全部はできない、娯楽もない、本も持っていけないんで。
何しても。
本もダメなんだ。
いやー。
っていう状況の中で自分と向き合って瞑想だけをするっていう。
うん。
まあ、修行ですよね。
出勤と、出勤と変わんないんですよ。
うん。
で、それに参加して、最初のね、3日、4日は辛いわけです。
ですね。
暇でしょうがない。
まあね。
音の音もすごい出てくるし、っていう状態だったんですけど、4日目、5日目ぐらいから、もうね、一瞬で時間を過ぎるようになって。
えー。
瞑想してると。
時間が飛ぶんですよね。出たともしなくても、っていう瞬間は。
時間が飛んじゃうのがなんか初心者、初心者というかまだ。
浅いんですね、ほら。
浅いみたいな話もあったりするんですけど、本当に深く会いたいと思う、それをただひたすら感じてるっていう状況もあるみたいで。
まあでも、まあそういったことを経験していく中で、めちゃくちゃこう、空間に包まれた瞬間があるんですよね。
ええ。
その5日目ぐらいから、もう自分の体が心臓で包まれて、瞑想しかしてないんで、もう過去の記憶とか全部フラッシュバックするんですよ。
僕の場合だと、生まれた瞬間の記憶も蘇って。
生まれた瞬間、看護師さんか誰かに持ち上げられてる記憶が蘇って、僕は。
すげえみたいな、すごい感動して、そんな記憶蘇るんだって。
で、これ面白いのは、僕小さい頃にずっと悪夢を見ていて。
その悪夢が、青い目のピエロに持ち上げられるっていう悪夢だったんです。
すごいじゃないですか。4歳、3歳ぐらいの時に。まあ5歳くらいの時に。
まあその記憶があって、僕ピエロとかも認識がないし、何か分かんなかったんですよね、ずっと。
この悪夢は覚えてるけど。
でも、看護師さんに持ち上げられてるその瞬間。
僕がアメリカ生まれなんで。
で、看護師さんとお医者さんの目が青かったんですよ。昔の写真見たら。
この?
そう、あ、この記憶だと。っていうのが繋がって。
すっげえ人間の無意識だったりとか、そういう体験をしたりとか。
っていう感じで、いろんな記憶が蘇るんです。
最終的に、なんか感謝の瞑想とかもあるんですけど。