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みなさん、こんにちは。コミュニケーションディレクターの松浦幸子と赤眼鏡です。
あっ、ちょっとすいません、笑っちゃいました。編集者の黒田博美子と小麦です。
この番組、それでもメディアは面白い!は、2人があらゆるメディアのツアーをこねくり回す、というテーマでお送りしております。
ちょっと待ってください。はい。
僕、あの、ちょっと今、間違ってですね、あの、最初にこの部屋につけようとしたタイトルでツイートしちゃったんですけど、あの──
いや、いいんじゃない?笑
いや、今日、本当に承認欲求について話したくてですね、承認欲求を満たしたいビジネスパーソンが集まる部屋っていうことです。
当初このタイトルで行こうと思ったんですけども、ちょっとあの、赤眼鏡NGが出まして。
はい。ちょっとそれだとね、煽りすぎかな?みたいなところがあったので。
ということで、相変わらずあのボイシーをクラブハウスで収録するということをやろうとしてます。
ボイシー聞いていただいた方とかはですね、お分かりいただける通り、ほとんど編集せずにそのまま流しているというのがあるので、
だったらこの喋りっていうのはクラブハウスでリアルタイムで流してしまって、あとでちょこっとだけ音声少しね、直したりとか、
あのボリューム直したりとかするんですけど、それした上でボイシーに公開してるんですけど、喋ってるのはほぼほぼもう──そうですね、99%そのまま流してるっていうところがあるので、公開収録やってみてる次第です。
そうですね。それが私たちの理由というところで。
はい。今回トークテーマはもう間違いなく赤眼鏡がこの間書いたですね、証人欲求から行動評価へっていう──これ何のプラットフォーム使ったんですか?ツイッターのプラットフォーム?
そうですね。ツイッターの最近買収して取り込んだニュースレターのプラットフォームがありまして、それでちょっと書いてみたと。
あー、ごめんなさい。証人欲求の話、今日散々するんですけど、その前にニュースレターってかなり注目してるじゃないですか。
はいはい、注目しますよ。──なんで?もちろんアクション室とか知ってるんですけど──なんでですか?
なんでっていう話で言うと、もちろん個人でユーザーと直接エンゲージして情報がダイレクトに届くっていう仕組み。
ただ日本ではすでにメルマガっていう──有料メルマガっていう仕組みがあったりとかするんですけど、ただ今広告とかね、なかなかファーストパーティー区域の問題があったりとかして、なかなか厳しくなってる話で言うと、
個人のエンゲージメントをそのまま活かせるっていう波が来る上でニュースレターっていうのが、まあこれみんなそういうふうに言ってますけど、私もまあそれはそのままかなっていう理由ですね。
あー、なるほど。この番組を聞いてる方でアクション室を知らない方なんていらっしゃらないっていうふうにマウンティングしておきますけどね。
治るな、今日は。
私のエヴァノートニュースはね、東京新聞のタイトルでですね、アメリカで注目を集める振興ネットメディアアクション室編集長に聞く強さの秘密。
まあ特徴のないタイトルがついておりますけども、このアクション室っていうのがどんなプラットフォームかっていうところで、それを新聞なりに説明すると
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スマートフォンでニュースを読むのに適した過剰書きの短い文章という独自の記事スタイルが好評でって書いてありますよ。
ちょっと違うかなって気がするんだけどね。
そんな気がしますよね。ニュースレター、今エンゲージメントって言いますよね。
そうですね、はい。
エンゲージメントをメルマガと違った形にするっておっしゃったと思うんですけど、メルマガと同じじゃないですか。
基本的にはメルマガとは同じだと思うんですけど、例えば日本におけるメルマガジンってサマリーが記載されていることが多いんですよね。
タイトルだけ記載されて、詳細はこちらでウェブのランディングページに飛ぶ方が多いと思うんですけど、基本的にはニュースレターの中だけで完結するようなところになってますね。
結構究極のファストフードじゃないんですけど、このアクション室の編集長が同じこと言ってたのは、情報型のメディア環境下では、いかによりスマートに、より早く読んでもらうことが重要だ、みたいなこと書いてあるんですけど、
多分本当に自分の興味あることをサッと読むっていうのでニュースレターっていうのが、いろんな情報がある中で、クラブハウスは逆じゃないですか。
全く無駄なもの、無駄なコミュニケーションって言ったら変ですけども、そういったものを楽しむっていう風に触れて、
それはもう、半径5メートル以内のズーム飲みするとか雑談の喜び的なところと、逆にどんどん効率化して自分の欲しいものだけ、
クラブハウスも欲しいものだけ並んでるかもしれないけど、どんどん自分の欲しいものを欲しいっていう、中間帯があんまなくなってるよねって話なんですかね。
間がどんどんどんどんなくなってる。あと前回かな、前回もちょっと一言っていう話で行きましたけど、完全にヒトメディアですね。
うーん、そうですよね。だからこのアクションス自体、一応データあるんですけど、高読者数140万人、過去1年で倍増した。
広告の売り上げが8割を占めていて、最大のクライアントっていうのがIT金融だという話と、あと売上高6,063億、全年費4割増っていうようなデータがあるんですけど、
やっぱり広告で、今まで新聞で例えばやってた場合、新聞ってやっぱりターゲットが定まらないよねっていうところに、ある程度やっぱりターゲットが定まる日経支部みたいな側面があるのかなっていうような印象は持ってるんですけど、そんな感じなんですかね。
もっと日経より多分狭いと思う、それで言うと。 狭くしないと結局のところそこのエンゲージの深さが取れなくて、興奮主さんも満足いかないっていう話になってくると思うので、多分これまでの、とはいってもデジタルなんでコンバージョンとかそういうの見てると思うんですけど、多分そこが今までとは引きじゃないような数字も含めて示してるんじゃないかなと思いますね。
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なるほどなぁ。ニュースレター気になる話なんですけど、ここが枕になりつつ、そのニュースレター形式で配信したこの間の記事、読ませていただいたものなんですけど、承認OKから行動表敬。まさにこのテーマが最近ずっと話してきてることですね。
そうですね。この話してくれる内容になっておりますね。
俺やっぱり読んでいて、興味がある方は読んでいただいた方がいいのかなと思うんですけど、承認欲求でドライブをかけるっていうようなもの、最多のものが例として挙げられてましたけども、SNSのリツイート数とか。
結構ツイッターやってると、これいいね狙いかなーみたいなとこは、それ完全にガッダメデミッドなんですけど、自然発生的にいいねが発生するものとか、誤悪的にいいねを取るやつとかもあるじゃないですか。
これがいいね1000まで行ったらなんとかしますみたいなやつとか。
そういうやつと、いろんなタイプありますけども、結局それが承認欲求でドライブされてんじゃないのか、みたいな話があるというところで、評価っていうことを考えると、
アマゾンとかドベローみたいな、星っていう評価、評価するっていうことをしていくっていうのが今までのあり方だったみたいなところから、これからはもっともっと評価をするっていうことじゃなくて、行動そのものが評価されることになっていくんだよねっていう全体のこの流れ、
トレンドみたいな話をしていたと思うんですけども、なぜここに切り口を入れようっていうところから始まってるんですか。
そもそもで言うと、アメリカ大統領選は僕は割とやっぱり衝撃を受けているところは個人としてもあって、承認欲求の塊なんですよね、トランプ大統領。
アメリカの大統領は承認欲求で駆動されていたんだと。
すごく極端に言えばそういう話だと思うし、日本国内のインフルエンサーとかもしっかり結局のところ注目を浴びる、注目を浴びることにおいてで言うと、割とそうそうないが承認する。
そういうところの側面もやっぱりあるかなと。
どうしてもSNSをやっているとどんどんドライブがかかっていってしまって、承認欲求に駆動されるような行動をしがちみたいな話ですかね。
もちろんそれぞれの人によって、トランプの発言が全部そうだとは言いません。
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もちろん彼なりに考えてやったことでいいこともあると思うから、僕もそれで言うと01でね、いい悪いだけで判断する話ではないと思うんですけど、
ただどうしてもインフルエンサーのビジネスも含めてで言うと、どうしても数字に追っかけられてしまっているところはあるんじゃないかなと思うんですよ。
いくつか言われていることとして、一つはその評価するっていうことについてのチートっていう話で言えば、
それこそプペル騒動がずっと続いているって言ったら変ですけど、変な立ての枯れ方してますもんね。
あれってやっぱり結局のところは、チートに対する許せまずいっていう正義感、全然関係ない人の正義感みたいな感じのような気はするんですけど、
やっぱり評価するっていうことは公正であるべきだっていうような前提があるわけですね。
それは民主主義の一票の重みみたいな話と同じなのかもしれないですけど。
でも例えばタブログの点数にしたって、みんながこれ良かると思って投稿した時に、もちろん何かしらのシステムとかで調整しているところは絶対あると思うんですよ、そうは言いながらも。
あるんですけど、でも結局のところ集めようと思えば集められる。例えばAmazonのレビューもそうです。
最近だとレビュー投稿画面っていうところを直前に保存して、スクリーンショットを保存してそれを送ることで何かしら利を得るみたいなのって、
僕も目にしちゃったことがあります。レビューの点数を上げるためにみたいな話。
だから点数がある意味、民主的に操作できちゃうんですよ。ここにやっぱり一つの問題もあるんですよね。
そうですね、結構Amazonユーザーですけど、Amazonでレビューが多い商品を買ってみると、
レビューをしてくれたらこんなことがありますって、それこそ本当に次のいくら割引券みたいな話があったりとか、やることをやってます。
それってよく海外のホテルに泊まった時にトリップアドバイザーで評価してねって例えば看板があるとかって日本でもあると思うんですけど、
フランスのパリのホテルで評判がいいホテルに泊まってみて、泊まった翌日いかがでしたか?ありがとうございました。
最後にトリップアドバイザーでよかったら帰ってくださいみたいなことを言われて、すごい直接言われるんだって思った記憶があるんですよね。
だからやっぱりこういうふうに評価を促すっていうのは、自然な形ではいいんですけど、これがいくらでやった瞬間にもうアウトなわけじゃないですか。
生成説で言うんだったらもちろんこういう点数評価とかっていいとは思うんですけど、ただ残念ながら例えばツイッターのフォロワーにしろそういう方針にしろ何にしろ、
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何かしら性悪説で動こうと思ったら動けちゃうっていう問題があるんですよ。ここがクリアしきれてないところだと思うんですよね。
タベログの捜査報道みたいなのがあったじゃないですか。捜査疑惑というか、一時期。
結構高評価っていうのはカネーと結びついてるんじゃないかっていうので、その原因としてやっぱりこのタベログっていうサイトの評価の基準がわからんっていう話で炎上してたような気がするんですけど、
これ言ったら評価の基準ってものを透明性大に出した瞬間にハックされるわけじゃないですか。
要するに皆さんが思い浮かべてほしい第一のものはGoogleのアルゴリズムであり、SEOという存在だと思っていて、
SEO対策って毎年毎年更新されるわけじゃないですか。なぜならGoogleのアルゴリズムがどんどん変わるからって話で、
そこのGoogleのアルゴリズムが未だにページランクって思ってる人がいたとしたらそれはやばいわけじゃないですか。
ページランクなわけないですよねっていう話で、もっともっと細かいデータを取って評価してるわけですよね、Googleは。
だからそういう意味でタベログがそこの評価基準ってものを表に出せるわけがないっていう話なのかなっていうのが一つと、
あとタベログって言うてもタベログが投稿する人が評価するじゃないですか。
なので行動評価までいけないじゃないですか、ウェブサイト的な仕組みと言ったら変ですけども。
これちょっと第一の議論かもしれないんですけど、ウェブなんだろうな、2.0的なところって言われていたこのクラウド、
群衆の方のクラウドのレビューみたいなところって、やっぱり言ってもウェブだったわけで、スマートフォンじゃないわけですよね。
言ってる意味わかりますかね。
赤眼鏡がこのブログの中でGoogleマップの話を書いていて、Googleマップみんな使っていて思うと思うんですけど、
今混んでる時間帯とかってグラフになってるじゃないですか。
あれってもう捉えてるわけじゃないですか、うちらの情報が行動として。
今は相対的に見ていつの時間帯が混んでるかっていうだけに使われてるけども、別にこれが飲食店の評価に使われてもおかしくないって話はあるわけですよね。
その時に行動したからって言ったって、別に有名人が言った、一般人が言ったでも、多分行動の順次が混んでるっていうところにおいては一つの要素でしかないわけじゃないですか。
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そこが大事なポイントだと思うんですよね。
そうですよね。だからタベログの評価っていうものの限界をそこで感じちゃうわけですよね。
人が所詮評価していて、人は間違うんじゃないですか。
評価の中でも最も難しいっていうものっていうのは、つまり言語化が難しいものってやっぱり味と触れるっていうところ。
ここの2つの感覚ってやっぱり難しい。
人間の感覚だから、それこそワインを評価する時にソムリエが何だっけ、カブトムシの匂いのような、そんなこと言わないっけ?
全然お酒飲まないんでわからないんですけど、すごい巧みな表現でワインの美味しさって表現するじゃないですか。
それって星1つですって言うのって、やっぱり所詮テレビの調理の鉄品とか、星3つですっていう方が分かりやすいのか、
ソムリエみたいに奥が深く、これが良いのか悪いのか美味しいのかまずいのかよくわからないけど評価されてるみたいな、なんかいろんな評価形態ありますよね。
その中でも味って難しいし、もちろんタベログの評価軸って味じゃなくて雰囲気とかコスパとかいろんな評価軸があるんですけど、
まあ言うてもね、それで最終的には3点なんとかで評価するわけですもんね。
そうそうそうそう。だから今度は味とかいろいろつけてるけど、いろいろ文章もちろん読んで判断するっていうのはあるのかもしれないんだけど、
それをもって最終的に星が2の人もいれば星が4の人もいるわけでしょ?
そうですそうです。一般的なそのブレをクラウド、群衆の知恵でなんとかしてるんだって言うんですけど、そんなに群衆信じられるかって話はありません。
だからアコインをもって5をつけたらそれでブレちゃうって話なんで。
これどんぐらい皆さん経験したことあるかわかんないんですけど、タベログで3.1ぐらいの店に行ってめっちゃ美味しいとかないですか?
ありますあります。
あるんですよね。タベログの評価が改めてその時に信用できないなと思ったんですけど、言うても評価が低くてもいい店ってあるんですよね。
そうそう。だから結局のところ誰に対しても、例えば3.5っていう点数があった時は100人いたら100人が3.5って見るんですよ。
でも本来それじゃないでしょっていう話だと思うので、味の好みって人それぞれあってしかるべきだと思うから、
そういうところでユーザーに似たような行動を取ってるってところをちゃんと近づけて評価してあげた方が本来の近しいところになるわけじゃないですか。
ちょっと今すごい面白いこと言いましたね。自分の近しい好みの人と比べて評価するって言いましたね。
これすごい面白い話です。今思い浮かべてたのはラーメンなんですけど、
ラーメン二郎の巡礼の話を思い出しながら聞いてるんですけど、ジロリアンですよね。
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皆さんの中にジロリアンがどれだけいるかわかんないんですけど、どうなんですかね。
ジロリアンの人は二郎というものを最上に捉えてるけど、どうも私はジロリアンではないので二郎の味は評価できないって人もまたいるわけで、
そうすると二郎の好きな人たち、ジロリアンたちは本当に二郎を巡礼するぐらい愛してますので、どんどん評価が高いものを上げていくわけじゃないですか。
ココア欲しいな、やっぱりこれは二郎の聖地だみたいな感じになっていくんですけど、一方でそれが好きじゃない人たちはこの評価が全く意味ないわけですもんね。
僕もジロリアンではないし、例えば店会行くのもあまり興味がない、それで言うと。
で、言う話の部分で点数がいくら高くても行くかって言うと、ちょっと味の好みが違うか違うなと思う。
で、Googleマップの良いところが似たような、過去行った似たようなお店をパーセンテージで表示してくれるんですね、それで言うと。
そうすると自分が好みの味、私は真っ黒な醤油ラーメンが好きだったりとかするので、そういうお店によく行ってるんで、それ僕Googleマップに色を上げるんですよ、それはそれで。
そうすると、レコメンドで近くのラーメン屋さんって探すときにマッチ度って、過去あなたが行ったマッチ度みたいな形の部分で80%とか76%とか出てくる。
なるほど、そのお店だったら行ってみたいわっていう形で行ってみる。だから僕に対しての評価の部分が欲しじゃなくてパーセンテージで表示されてるっていう風になってる方が大事。
だから評価されるために行動するっていう話で言うと、僕Googleマップ結構真面目にそこはそれで食べ物系とかチェックするような形にしてるんですけど、
そうするとラーメンを探すときに自分の好みの味に行き着きやすくなったなっていう実感がある。
すげー、さすが赤眼鏡さん。あそこのマッチ度、あなたのこの好みに合わせて言うと何パーセントぐらいですよって、あそこ見てる人って一般ユーザーでほとんどいないんじゃないですかね。
いやいやいや、でもああいう風に出してるってことが逆に言うと大事な話なのかな。
だから承認欲求っていう意味におけるお店から見た時の100人、1万人いた時の3.5よりも僕はそういう風に表示された時のパーセンテージでマッチされる。
コミュニティから見た時にマッチする数字が違うと思うし、僕から見た時のマッチの数字も違うと。
ただその数字をマッチさせるためにはどうしなきゃいけないかっていうとGoogleマップにある意味行動っていうところを渡してあげなきゃ判断してもらえないんですよね。
何もデータがない時には判断してもらえないっていうのもまたあったりするので。
これは思ったよりも面白い話になってきたな。
なんでしょうね、このSNS、Twitterのいいねとかフォロワー数みたいな一定の誰にでも分かる評価基準っていうものが世の中にはあって、
それこそ皆さんの小学校の時の通信法、5段階評価とかもそうだし、大学に入るためのセンター試験で何点っていうこともそうだし、
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そういう明確に数字で置き換えることができる基準、評価みたいなものっていうのは世の中にたくさんあって、
その最たるものはこの資本主義なわけですよねって大きすぎた。
でもそういうことだと思うんですよ。
何億円やら何やらとか分かりやすい数字で誰もが見てもその価値は同等に問われるっていうね。
企業価値っていうものが自家評価というもので評価されて相対的に比べることができるっていう世界で世の中できているっていう話が前提としてあって、
その中で今言ったGoogleのマッチ度っていう評価って全然違いますね、意味が。
そこは全然違う。だから能能的に行動したことが評価されて結局自分に最適に返ってくるっていうときに、
その最適に返ってくるときに別に100人、1万人いたときに同等に返ってくる。
対自分だけに返ってくるような仕組みになってくる。
だからたくさんの人々に評価される。
今言った100万人、1万人っていうところに対して言うとわかりやすくその80点とか何億とか星いくつとかっていうところが表されるって形になると、
そこを承認されるために要求がパンパンパンパン大きくなってくるんだけど、でも今多様性の世の中って言ってる中の部分で言うと、
今いろんな例えば味の考え方、資本主義とか言いながらもその桁がいいのかどうなのかっていうところも含めてあるじゃないですか。
みんな考え方が違ってきてるんだよっていうふうに言ってる中で言うんだったら、
こういう話の部分で言うとでかい数字の評価だけじゃなくて、対個人に対してどうなんですかっていうふうに返ってくる方が自然になってくるんじゃないかなと思うんですよ。
ヤッベーなー。ちょっとこの話、私自身が今取り扱っているものが割と資本主義っていうものだったりとか、
目の前でビットコインが上がり続けている格好を見ながら思ってるんですけど、
若干ずれたところからもう一回視点を投げ返すんですけど、通貨っていうものを結構この2年3年追いかけ続けてきたんですね。
個人の仕事としてで、そこで見えたことが一つあって、通貨っていうものは最終的には別に何でもいいんですよ。
それがビットコインだろうが日本円だろうがドルだろうが、それがFacebookのリブラーだろうが、何でも良かったんですよ結局。
なんでそういうことになるかというと、お金の機能からいくと、やっぱりお金というものは価値を評価するものだから、
そこの一定の尺度みたいなところとか、貯蔵の機能とか、そもそも交換の機能、この3つの機能が果たせればいいっていう話なので、
それが果たせるんだったらそれがビットコインだろうが何だろうが良いという話になってるわけですよ。
だから、ちょっとビットコインの話をするわけじゃないですけども、
ビットコインってものが今何で価格が上がってるかって言ったら、それがようやく通貨的な側面が出てきて、交換価値的な側面が出てきた。
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これは何かというと、PayPalで瞬時に使えるものに変換することができるようになったとか、
今までビットコインで決済しようと思って、例えばビッグカメラとかセブンイレブンとかで決済しようとすると、
決済するのにトランザクションがすごいかかるっていうような話だったんだけど、
まあまあ大変で、それが全然できないよねって話で、ダメじゃん、やっぱりビットコインってなってたんだけども、
それをプラットフォーム側が受け入れるっていうところで、これはもしかしたら通貨的な価値をもう一回取り戻すかもっていって、
上がってるんじゃないのかなみたいな話があるんですけど、
ちょっとごめんなさい、遠回りしすぎたんですけど、何が言いたいかというと、通貨っていうのは二極化していて、
いわゆるグローバルステーブルコインみたいな、どこでも使える単一通貨みたいな思考、
昔のEUにおけるユーロみたいな話なんですけど、
ビットコインもそうなのかもしれないし、リューブラーもそうなのかもしれないっていう方向性と、
もう一方であるのは、いわゆるブロック経済を作るような、
もうちょっといい言い方をすると、コミュニティに対しての、いわゆる昔でいう地域経済を活性するための、
地域通貨、地域振興券的なもの、その2つに大きく分かれていて、
今言ってた話って、中央集権なのか、非中央集権なのか、分散的なのかっていう話の話から言うと、
評価っていうものも中央集権的な、このツイッターのいいねの数とかフォロワー数っていうものも、
それこそイーロン・マックスがすごいっていうのが一瞬で分かるのは、このツイッターのフォロワー数とかなのかもしれないし、
さっきのトランプもそうですよね、中央集権的なものなんですけど、
一方で話していたGoogleマップの、あなたにマッチしているのはどんぐらいですよっていうのは、
すごく地域通貨的な評価の仕方だなって思ったんですよ。
だからそれぞれの行動が巡り巡って評価つながってくるんですからね、それで言うと。
非中央集権的なんですよ。だからさっき話の最初の方に言ったタベログも含めてで言うと、
そこのやっぱり数字の評価の仕組みのところの、アルゴリズムも含めて、
例えば不開示にしているところもあったりとかすると思うんですけど、結局のところ中央集権的、
なんかもう俗っぽい言い方で言えば道元なんですよね。結局道元がそこに握っちゃってる。
道元がそこの握ってるからこそ承認欲求っていうところを上げてもらう。
上げてもらえばこの道元がやっている場に対して人が集まるわけじゃないですか。
承認欲求を満たすために逆に人が集まってくる。
道元は不安定的にそれで得るっていう話になると思うので。
そうですね。ここなんかすごい、なんだろうな。
ちょっといいのかな。専門的な話を多少していいですか。
いいのかな。
DeFiって皆さん分かるのか分からないかもしれないですけど、
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ディセントライズドファイナンスってハンサムな金融と呼ばれる金融手法があるんですけども、
このDeFiの中で今流行っているものが一つあって、ガバナンストークンと呼ばれるものがあるんですよ。
ガバナンストークンってそのままで統治するためのトークンっていうやつで、
これを持っているとあなたがこのコミュニティにおける決定権、
株主に置き換えると分かりやすいかもしれないですけども、
このコミュニティの決定に対してあなたはこのぐらいの権利を持ってますよっていうようなものを表したものがガバナンストークンという概念で、
これがDeFiのところで、このガバナンストークンというものを配布することによって、
ちょっと説明が難しいな、あるコミュニティが協力的にこのガバナンストークンを持っていて、それ自体にも価格がつくんですけども、
それ自体があることによって離れにくくなる。つまり株を渡したらそこから離れられなくなると同じなんですけども、
そんなような話で決定権に対して株主という形じゃなくてガバナンストークンという形でそういうものを渡すというトレンドがあって、
これって分散型でありつつも中央集権っぽいなって思うところがあって、
僕は一つ地方自治体みたいな感じで言葉として、それこそ国に対する東京都みたいな感じなんですけど、
そんな感じで中間体みたいなものもちょっと見えるなっていう感じがしていて、
全く中央がいないっていうのはそれこそビットコインのような中心にいるコミュニティがないっていうパターンと、円とかドルの中心に国家がいるっていうパターンと、
その中間にある地方自治体みたいなところを考えていくと、
Googleは中央集権的でもありつつも、なぜ非中央集権的な手法をできるのかって話、ちょっと一回戻しますけど、
そこについてはGoogleマップっていうのは行動を取ってるからっていう話ですけど、
中央集権的に行動を取るっていうことについてはどういうふうに考えたいんですか?
でも例えば中央集権である限り結局そのユーザーの評価っていうところを中央集権がやらなきゃいけないところもあるじゃないですか。
結局、例えばソーシャルメディアとかで何かしらの発言があった時に、この発言流れていいんだっけみたいな話の部分で、
例えばツイッターを非表示にしたりとかしますよね、それで言うと。
でもツイッターってその判断とか、もちろんね、プライバシーポリシーその他物々とかで開示してるところもあるんだけど、
でもどこまで行っても最終的に同元の判断になるじゃないですか。
そうなった時に、これがちゃんと非中央集権で的に考えるのであれば、例えば何かしらのツイートがあった時に、
いい悪いも承認するのがユーザーですよね、それで言うと。
その積み重ねのコミット、いい悪いのコミットの部分の結果として現れてくるわけじゃないですか。
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ブロックチェーンっていう、まさにそれじゃないですか。
みんなで認証していいやつだけが残っていくっていう仕組みになるわけじゃないですか。
そうすると別に、例えば一つの発言に対してそういうチェックが、
第三者的な形、非中央集権的に行動評価っていう形の部分に積み重ねられてくれば、
最終的にいい方向に向かっていくっていうところを目指すのは、そりゃインターネット的じゃないのかな。
で、Googleだって言うてもね、Googleにしろどこの企業にしたって、
そういうような世界っていうのは何かしら見てるところは僕はあるんじゃないかなって思うんですけどね。
無邪気に思いますよね。
無邪気に思いますよ、そこは。
なるほどなぁ。今のお話を聞きたいのは2つ思ったんですけど、
1つはGoogleっていうものが行動評価するときに使うものはやっぱり機械的であり、
機械学習によるアルゴリズムという手法なわけですよね。
誰かの評価が正しいかどうかっていうことをチェックするっていうものがあって、
昔その概念で言うとバリデータっていう入力されたデータが適切に記述されているかどうかを判断するっていうようなものを
人がやるのか機械でやるのかみたいな話があって、
この評価が正しいのか正しくないのかっていうことを人間が評価するっていうパターンもあるでしょうし、
機械が評価するってパターンもあって、Googleはもう完全なAI思考なんで機械が評価してきますよっていう風にやっていて、
ある意味それが行き過ぎてるから公正というか非常にフェアなものになってるって感じはしますね。
フェアなのかな、でも誰もGoogleの検索エンジンの順位に対して文句言わないじゃないですか。
言えないのかもしれないですけど。
だから言えないから逆に言うとどうなんだって毎度言われちゃうところもあるわけじゃないですか。
例えばどうもとたるFacebookが今オーストラリアにおいてはニュースの記事を表示させないって言ってるんですよね。
広告の力が云々かんぬんで揉めて、結局どうもとがその判断しちゃうわけじゃないですか。
良しも悪くもビジネスの判断でしちゃうじゃないですか。
結局どこまで行き着いても中央主権でやっててどうもとがやってる限りで言うと、
そういうメディアからしてみればもっと多くの人に見てもらいたいっていう承認のところの部分がどうもとによってダメだねって言われてる。
ダメだねって言われてできなくなってしまう。
まあそうね。
ちょっと一旦戻すと、もともとクラブハウスって承認欲求の塊なのってそんなこと言ってないか。
でもそんなような質問からちょっとこの話が始まった方なんですけど。
クラブハウス論ちょっと一回戻ると、クラブハウスは承認欲求の塊なんですか?
僕からすると承認欲求の塊じゃないんです。数字が出てないんです。
例えば今この話してるルームで、例えばこれで5000人いたとします。5000人いたのも今この画面上には5000って数字出ないんですよね、それで言うと。
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タイムライン上には誰が話してるかとか何人とかっていうのは出たりとかするんですけど、今しゃべってるこの画面上には出ない。
そういう意味では数字が全然出ないような仕組みになっている。
例えば5000人集めたからといったって、次5000人集めるポテンシャルもちろんあると思うんですけどね。
でも全然近い間で話せば10人かもしれない。ルーム自体もここ今ね、ショーニーズでやってますけど、別の話題だったら全然100人とか500人とか。
僕も800人くらい目の前にして、目の前っていうかこのクラブハウス上でしゃべったこともあったりとかするんですけど、ルーム自体は毎度毎度リセットされる。
なるほど、これやっぱり目の前に500人いますよって言われたら、それなりの自分もこういうふうに行動しなきゃいけないのかなって感じになるんですけど、
これが何人かよくわかんないけど話してますっていう状態だと、この人たちに評価されたいって思って何かしゃべるっていう感じでもないかもしれないですね。
僕ね、知らず知らずに今4600人くらい来ました。クラブハウスのフォロワーが。本当に何もしてません。何もしてないですけど、
4600人あって、ある意味ね、どっかのルームに入ったりとかモデレーターになったりとかしたら、ある程度もちろん通知はいくっちゃいくんだけど、
ただここ最近あんまりやってなかったっていうので言うと、全然多分そういう通知とか全部プッシュがいってるわけじゃないで、それで言うと。
もちろんアプリ上のプッシュとかある程度いくと思うんですけど、そこの話で言うと、ここ最近全然人入ってこないね。
ボックス開けても。だからあんまり意味ないなっていうのは改めて思った。
これちょっとわかんないんですけど、結構芸能人の方々がたくさんやってるじゃないですか。
芸能人の方って承認受けの塊じゃないんですか?
いや、塊だけ。塊だっていうか、元々持ってるポテンシャルがあるから来てるだけの話だと思うよ。
元々持ってる注目度の数があるから集まってるっていう話だと思う。もちろんそれで話が面白ければ、それの上にドンっていう話だと思うので。
承認要求が別に前提になってる話じゃないし、承認要求の話の部分で言うと、500人だと満足しない人、1000人で満足しない人、1万人で満足しない人もそれぞれいるでしょうしね。
なんかあれですね、今ラジオで人気の番組ってほとんど芸能人の方の番組が多くて、キャラクター性が強い。
オードリーのオールナイトニッポンが人気とかってキャラクターの良さっていうのもあるんですけど、
芸能人の方のラジオを聞いてると、表舞台としてのテレビでこんなことがありましたとか、なんかそういう話の裏話としてのラジオトークみたいなものがあったりして、
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表と裏、表裏の関係みたいなもので話していることが多かったりしていて、ある意味でこの声のメディアというかラジオって、
表のメディア、映像メディアの補完的な役割なのかな、みたいな風にも感じちゃうと結構あるんですけど。
だからさっき言った表っていうのがまさにタベロゴの点数だったんですよ。10人見ても1万人いても誰が見ても3.5。表のメディアは。
例えば今この世界観は行動評価の話なので、誰が見てるかわからない。わからないけどもある程度の数が集まると困れば少ない数が集まるかもしれない。
その人にとっての数字っていうところが見える形になってるんだと思う。
おもしろいな、この世界は裏の世界でできてるんですね。裏の世界としてのクラブハウスっていう風に捉えるとちょっとわかりやすいかもしれないな。
表裏って別世界って二面体の世界で言うと今までの世界があったとしたらこっちはだからそれで言うと誰もが同じものを見る世界から誰もが違うものを見る世界。
っていう風に言い換えた方がいいんじゃないかな。
そうだな、なんかうまい言葉欲しいですよ。表裏じゃなくて昼夜でも。いや違うな、昼と夜だと違うな。
結構私が編集業をやっている時に、今意識していた、前も話したところなんですけど、二極化?対極にあるものを常に考えるって思考法ってすごい編集思考っぽいんですよ。
エディトリアルシンキングっぽいっていうか。なんでやっぱりこのラジオってあるクラブハウスってものを対極に置いた時にその逆にあるもの何かっていう風に考えちゃうところはあってですね。
それってやっぱり今テレビとかyoutubeとかわかんないですけど、表の世界で活躍している人たちがいてここがあるみたいな風にやっぱりなんか感じちゃうところはあるんですよね。
だからもちろんそれは今までの世界はそういう素敵な世界、誰もが見てもみんな一緒っていう世界観で来てるっていうのがあるので、今これからそういう意味ではそれぞれが見てる世界観が違うっていうところが改めて出始めたっていう風に考えていた方がいいと思うんですよ。
わかった。だからこのクラブハウスってものがあえてこのいいねの機能とかわかんないですけど、リスナーが評価するとか何かその評価をするっていうことを表だってやらない、数字を出さないっていうのもそうなのかもしれないですけども、
それは裏を返せばこの行動のログを見てこの人がどういうものかということを判断しているっていう話になって、だから最初の話に戻ると赤眼鏡が書いたこのブログですね、承認欲求から行動評価へっていうところもよくよく表している一つのプラットフォーム例としてクラブハウスってものが位置付けられるって話になってくるわけですね。
そうですそうです。ちょっとこのブログね、ボイシー聞いてる人もいると思うんで、僕しばらく自分のツイッターの一番上に貼り付けてるので、ぜひ承認欲から行動評価へっていうニュースレター書いてますので、ぜひお読みいただければという風に思います。
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だから、今まで行動評価で何かユーザーとかにレコメンデーションしたりパーソナライズできるっていうのは、かなり限られたプラットフォームって大変です。資金力があるプラットフォームに限られた手法だと思っていたんですよ。
それは最多のものとしてはGoogleがあるわけです。Googleってもうユミズのように検索報告からお金を得られることができたっていう、うちでの小筒を見つけたから、あんなけ高い行動評価のアルゴリズムを作ってこれたってこともあると思うんですよ。
でも、Googleの検索結果って人それぞれ違うじゃないですか。ある意味それぞれの行動の評価としての面として入ってきてるのも事実なので、既に。
もう既に世の中は中央集権的な世の中から分散的な世の中になってきちゃってるよねって話で言うと、やっぱり自分のこのクラブハウスを聞いててもやっぱりレコメンデーションされてきてるものは自分が興味があるだろうと思われる番組、もしくは人っていう感じですもんね。
それでどんどんどんどん自分が見てる面っていうのがスマートフォン上で、さまざまなアプリでそれぞれ違ってくるっていう世界観を作ってあげた方が、いいって話じゃないな、そうなってきつさあるっていう風に考えた方がいいと思うんです。
だから証人欲求から行動評価っていうのが、まさに自分の行動が結局スマートフォンがそれぞれ自分に合った面に変わっていくっていう話だと思うんですよ。
だからなんか昔のミクシーとかのコミュニティみたいなものが、今の方がなんか気持ちがいいものになりそうな気がしますよね。
そうだね。今のアルゴリズム、いろんなもののアルゴリズムでミクシーのタイムラインとか構成されるのって、それは楽しそうだね。
それは楽しそうですよね。だってマッチングの精度が上がってるわけですもんね。
だからなんかもうちょっと気持ちがいいツイッターとかないですかね。
でもそれも含めてツイッターはそういうことを考えているからこそ、どんどんどんどん。
例えばこのニュースレターもそうだし、音声のこのクラブハウスと同等のスペースシーズというのを今度立ち上げようとしている。
今ベータテストまさにやってるっていうのもあるので、ツイッターの中でまさにそこの面を作ろうとしているのもあるかなと思うんですよね。
まあそうですよね。これをちょっとつまらない一言で言えばパーソナライゼーションという話になっちゃうんだろうかもしれないんですけど、
どんどん個別化していくっていうところですよね。
でもパーソナライズのいいところを受けるためには、行動を積み重ねる。
42:03
これがね、プラットフォームに行動評価されるのか、自分がね、それが自覚的かどうかっていうところももちろん問題としてはあるんですよ。
プラットフォームにこういう行動をある意味どんどん渡しちゃってるっていうのも、言い方として悪い言い方をするんだから、そういう言い方はできると思うので。
私はもうなんかその、あれですね、メディア側というか、このそもそものテーマであるメディアの器側から考えると、
じゃあその行動できる、まあ違う、評価できる行動って何なのかってやっぱり書いてしまうところはありますね。
なんかGoogleマップの例ってすごくわかりやすくて、GPSで拾った位置情報っていうものがそのまま評価になっていたり、
まあもちろんそこで滞在時間とか、まあいろんな評価があるのかもしれないんですけども、行動っていうのがわかりやすいじゃないですか。
で、一方でTablogみたいなこの味ってものは誰も言語化もしてないし、それがノウハウのセンサーを捉えたわけじゃないんで、
全くそこの行動っていうものの評価、味の評価なんて取れないじゃないですか、今の状態だと。
つまり今のセンサリングしている最たるものはこのスマートフォンというこの手の中にあるスーパーコンピューターなわけですよね。
だからそういう意味で捉え直しの話を言うと、もともと赤眼鏡が言っていたこのペイメントのところですよね、
LINEペイだのペイペイだのいろんなペイメントサービスがあって、お金を使うっていう行動っていうものは評価するのにちょうどいいよねって話になってるって話にもつながってきますよね。
そう、だから僕すごく先に言うんであれば、例えばコンビニエンスストアで買われたデータあるじゃないですか、もちろんPOSデータとかっていうのがあってさ、
それだとそれぞれのコンビニさん管理してると思うんだけど、でもどれが売りすぎたか、このエリアは売れてるとかっていうのはもちろんあるかもしれないけど、
これが個人で完全に紐づいて、僕はよくセブンイレブンで買う、ファインアワーで買う、ローソンで買うっていうところの部分の味の部分があって、
めぐりめぐってそこら辺の部分が評価として、これがいいんじゃねっていうふうにレコメントされるんだったら、どうかね。
どうかね、何とも言えないですね、それは。
でも、それで例えば足りてない栄養素とかその他のものとかっていうところがレコメントされて出てくるような、
健康アプリができるんだったら、それはそれで使ってみたいかな。
ちょっとここで、人間というものの複雑性について説明させていただきたい。
昔、どれほどの人が知ってるかわからないですけど、ユビキタス社会っていう言葉があったのご存知ですか?
古いな。
ITネットワークの発展によって生活環境のあらゆるところにユビキタスというものが組み込まれるんだという話で、
昔、柄系にある店舗に近づいたらそこの店のクーポンが送られてくるっていう仕組みが実装されたときに、
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めちゃくちゃ評判が悪かったんです。気持ち悪いって言って。
人間って自分が自覚的じゃない行動に対してのレコメンデーションってすごい気持ち悪いって思うんですよね。
これは根本的には自己決定権っていう話になっているけど、自分で決めたことに対してフィードバックが得ることっていうのは全然良いと。
つまりチェックインっていう、例えばボタンを押した後にクーポンが出てくるのは全然OKなんですよ。
だからさっき言った、評価された店の行動評価っていうのは、その行動自体が自覚的かどうかっていうのがすごい大きなポイントなんですよ。
Googleマップ帳でもラベリングであなたが行ったお店に近いお店がこれですっていうところも含めて、
通知されることを自覚的にしてもらうことっていうところが大事。その自覚的なシーンに伝えられたらめちゃめちゃ気持ち悪い。
そうなんですよね。だからここのものすごい繊細なところって、なんだろうな、誰が作るんみたいなところだったりするんですけど。
この人間というものの複雑なところをうまく駆動する新しい仕組みとして行動評価っていうものはあるんだけども、
この行動評価っていうものをどういうふうに設計したらいいかっていうのは、今までのこの単純ないいねとか、
単純なこの聴取権的な評価っていうところで表現できるものと全然違いますよっていうところだけは分かりました。
そうですね。そこが本当に大きなポイント。だから単純な数字の意味合いだけとかで評価される世界観ではなくなってくる。
だからそれが見えにくいのもまた事実だったりとかするし、伝えるのも大変だったりとかするし、それがユーザーが自覚的などこかで評価も変わってきちゃうっていう難しさはあるんだけど、
でも今現時点においてで言うと、みんなが見てるっていうか、みんな一緒から、それぞれが見てる世界はみんな違うっていうふうに変わってきてきつつある。
それぞれのタイムラインはみんな違ってきてるっていうところを改めて認識した上で構造することで、自分に最終的にプラスになる出来事が起きるっていうふうに
考えてあげた方がいいんでねえの?というのは思うんですよね。だから今数字を稼ぎに行くのはどうなんですか?承認欲求を満たしに行くのはどうなんですか?
表の世界だったらいいけどね?これまでの世界だったらいいけどね?っていう話かな。
そうですよね。相互歓迎みたいなのはやめてた方がいいって話ですね。
はい。こういう話かなと思うんですよ。
最後に感想だけ言わせていただくと本当に面白かったです。今日の話というところと、今までって全部可視化する方に行ってたと思っていて、ビジュアライゼーションって大変ですけど、
分かりやすく言うと、格闘ゲームにおける体力ゲージみたいなのを思い浮かべると分かりやすい。
何もかもが可視化してビジュアライゼーションすることによって使いやすくしてくるっていう話が今までの世界だと思っていたんですけども、
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どうやらこの裏の世界と言ったらちょっと悪いんですけど、今日のキーワードで言うと裏の世界とか非中央集権とか行動評価とか、
こっち側にいるものっていうのは基本的には可視化しない、あえてしないことによって、でも可視化しないんだけども、それを自覚できるように何かフィードバックを送るっていうところをやることによって、
ものすごい体験として気持ち良いものを提供するみたいな風になっていくわけですね。
それと言うと一つ、もうちょっと言いたいことで言うと、だから監視と記録は違う。
監視は常に可視化されていて見られているから、例えば監視カメラってあるじゃないですか、道路を撮ってみたいな形のもので、あれが監視って言われると常にオープンになっていて、
常にみんなが見られていてそうだっていう話だけど、実際問題違いますよね。ある意味記録カメラって言った方がいいと思うんですよ。記録はされている。
でも必要に応じて見ることはもちろんできるし、その場の必要になっている人だけ見ればいいじゃないですか、極端な話。
っていう風に考えてあげる。ただ、自覚的に記録カメラがあるってことをやっぱり知っておいた方がいいよねって思うんですよね。
なるほどな。僕それに対してアンサーとしては、記録と記憶は違うっていうアンサーがあるんですけど、
これ僕のテーマでもあるんですけど、記録、例えば写真の記録とかビデオの記憶とかって、見直すとすごい素敵なものではあるのは間違いなんですけども、実は人間の脳に記憶されたものの方が美しいっていう話で、
めっちゃスピリチュアルだな。僕は記録よりも記憶だっていうところをやっぱり人間の幸福度の一番のところに置いた方がいいんじゃないかっていう派で、
これは体験であり、記録、あえて記録じゃなくて記憶として残してあげるっていうことをした方が人間にとって気持ちがいいんじゃないかみたいな話なのかなっていう。
そこをうまく行動評価につなげてあげたいな。
めっちゃ言葉遊びみたいになってるんですけど、たぶんそういうことで、結局人間にとってのこのベルビーングとか、認知的な気持ち良さとか、
そういうものに最終的に変換されると考えるのであれば、いい記憶のままで、周りの人たちに恵まれたなーって言って、この世を去っていきたいみたいな。
何を言うてるんや。
いやいやでもそれがね、最終的に行動評価の積み重ねで、それぞれの人にとってそれぞれの良い人生っていう風になればいいんじゃないか。
はい。ということで、次回の最終回みたいな感じになっちゃったな。
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なんだなんだそれは。
冗談で冗談で。
いやでも相変わらず面白かったですね。
たぶん時間がいつも通り。
いつも通りの中身になったという形になったので、はい。
今日は非常に楽しくお話しすることができました。
でもね、ボイシーこんな感じでお送りしてますので、またお聞きいただければと思います。
ではここでボイシーの方を止めちゃいます。