ソーカル事件の起こり
いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、人文学研究に激震を与えたソーカル事件についてお届けします。
このポッドキャストは、僕が毎週お送りしているニュースレター、スティーブニュースの音声版です。
スティーブニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
改めまして、いちです。このエピソードは、2023年11月29日に収録しています。
スティーブニュースは、スティーブボートの育民のご協力でお送りしています。
このエピソードでは、スティーブニュース第156号から、人文学に激震、ソーカル事件についてお届けをしていきます。
ソーカル事件というのは、ひょっとしたら初めて聞かれる方もおられるかもしれません。
また、ご存知の方でも、人文科学系、社会科学系のリスナーの方は、にがにがしく感じられる事件かもしれません。
あるいは、自然科学系の方は、文系玉見ろ!みたいな感じでね、とらえられているかもしれません。
しかしですね、AI、人工知能が文章を自然に書くようになった現在、誰もが無視できない事件になっているんです。
この誰もというのは、一般の方々はもちろんのこと、文章を書くことを専門にしているライターの方、編集者の方、そしてもちろん、人文、社会、自然科学、すべて含んだ科学者の方々にも無視できない事件なんですね。
この事件はですね、1994年にニューヨーク大学物理学教授のアラン・ソーカルが意図的に起こした事件だったんです。
今回のエピソードでは、そのソーカル事件について振り返っていきたいと思います。
番組後半ではですね、まだ録音してないから何とも言えないのですが、
日本の知識人、特にポストモダン知識人と呼ばれた人たちに対しての少しの批判も込めてお話をさせていただければと思います。
今週もどうぞ25分間お付き合いいただければ幸いです。
1994年11月28日、ニューヨーク大学物理学教授のアラン・ソーカルは、学術史ソーシャルテキストに
教会を審判すること、量子重力の変換解釈学に向けてという論文を投稿しました。
非常に難解な論文なのですが、冒頭部分を引用そして翻訳してみます。
多くの自然科学者、特に物理学者は、社会的、文化的批評に関わる学問分野が、
おそらくは周辺的なものを除いて、自分たちの研究に貢献できるものがあるという考え方を拒否し続けている。
さらにそのような批評に照らして、自分たちの世界観の根拠を修正したり、再構築したりしなければならないという考えを受け入れることもしない。
このドグマを簡単にまとめると、外界は存在し、その特性は個々の人間や人類全体とは無関係である。
その特性は永遠の物理法則に高度化されている。
人間はいわゆる科学的方法が規定する客観的手段と認識論的厳格さに従うことで、不完全で暫定的ではあるが、
これらの法則に関する信頼できる知識を得ることができるというものである。
どうでしょう。意味がわかりませんよね。意味がわからなくて当然なんです。
なぜなら、ソーカルはわざと意味不明になるようにこの論文を書いたからです。
しかし、この論文はソーシャルテキストという権威ある論文誌に受理され、1996年5月の科学戦争特集号に掲載されました。
掲載の3週間後、ソーカルは別の雑誌リンガフランカでソーシャルテキストに掲載された論文がインチキだったことを暴露しています。
ソーカルはこんな風に話しています。
そこで、一般的なアメリカの人文学者の知的水準をテストするために、ささやかな実験を試みることにした。
フレデリック・ジェームソンやアンドリュー・ロスといった著名人が編集部に名を連ねる北米を代表する文化研究専門誌が、
響きが良く編集部のイデオロギー的先入観を刺激するのであれば、ナンセンスをふんだんに盛り込んだ論文を掲載するだろうか。
残念ながら答えはイエスである。
興味のある読者に伝えておくと、私の論文、教会を審判することはソーシャルテキスト・科学論争特集号である1996年春夏号に掲載されている。
この実験、いやソーカル事件は大論争を呼びました。
ソーカルは思想家が数学や物理学の用語をその意味を理解しないまま、
いたずらに生じるように使用していると主張したのに対し、
思想家を中心にソーカルの行った実験が悪質なものだったという批判が起きました。
思想家や哲学者が自身の主張に科学の風味をつけるために、しばしば物理学用語や数学用語を引用することを僕も目にします。
ソーカル事件の影響と反響
こういった風味付けはかえって人文学の評価を貶めると僕は思うので、
このポッドキャストでも今後そういうことを目にしたら取り上げていくかもしれません。
ソーシャルテキストはイグノーベル賞を受賞しました。
受賞理由は著者でさえ意味がわからず、しかも無意味と認める論文を掲載したことでした。
詳しく言うと1996年のイグノーベル文学賞になります。
正直言うとちょっと羨ましいです。
2017年、第二のソーカル事件と呼ぶべき事件が起こります。
メディアによってはソーカルスクエア、つまりソーカルの二乗と呼ばれた事件で、哲学者ピーター・ボゴシアンを中心に起こされました。
彼はソーカルと同じくデタラメ論文を人文社会学系の複数の学術誌に投稿し、
それらが再録されるかどうかを試したんです。
ボゴシアンらはソーカルと同じくデタラメ論文を人文社会学系の複数の学術誌に投稿し、
それらが再録されるかどうかを試したんです。
彼らが学問として貧弱であり、
茶読基準が腐敗しているとみなす学術分野に注目を集めるためでした。
この実験、あえて実験と呼びますが、
実験は途中でメディアに勘付かれ、中断を余儀なくされてしまうのですが、
それでも勘付かれる前にですね、4本のデタラメ論文が出版されてしまいました。
ボゴシアンらがヘレン・ウィルソン名義で投稿した、
オレゴン州ポートランドの都市ドッグパークにおけるレイプ文化と
クエア・パフォーマティビティに対する人間の反応というデタラメ論文あるいはインチキ論文は、
ジェンダー・プレイス&カルチャーという学術誌に掲載されました。
もちろんボゴシアンらの試みには多くの批判が集まりましたし、
彼が当時所属したポートランド州立大学からは研究不正とみなされました。
彼はそれに反発して後に大学を辞任するんですけれどもね。
とはいえこれらの事件は専門家といえどもある程度着飾った主張、
特に人文学社会学において数学というファッションを身にまとった主張から
不正を見抜くのは大変に困難だということを我々に教えてくれます。
これは例えば生成AIチャットGPTが返してくる一件最もらしい回答とどう付き合うべきかということを
我々に示唆しているように僕は思うわけですね。
なお出版された4本のデタラメ論文はすべて撤回されています。
ここからは個人的な話で大変恐縮なのですが、
僕自身はデジタルヘリテージという研究分野に携わっています。
これはコンピューターサイエンス、計算機科学という理工系科学分野の一つであり、
そして文化財科学、考古学というどちらかというと人文系の学問分野の境界領域を研究しているものであり、
またですね、メディアアートという電気電子工学と、そして芸術の境界領域にも関わっているものです。
なので両方の立場に立っていて、なおかつ両方のコミュニティにも参加をさせていただいているんですね。
例えばコンピューター系の学会に参加することもありますし、考古学系の学会に参加することもあります。
電気電子系の勉強会に参加することもありますし、アート系の発表会、展示会に参加することもありますし、
当然僕自身も発表することもあります。
そういった中で感じることなのですが、数学というのは言語の一つなんですね。
もちろん自然言語にも優しい言葉、難しい言葉あるわけじゃないですか。
例えば外来語というのは難しい言葉に入るものが多いと思うんですね。
さらにもう一段難しい言葉として、例えば自然科学系であれば数学という言葉。
ただ難しいのはただ難しいだけではなくて、その分曖昧さがないというメリットもあるわけで、それを使うメリットがあるから数学という言葉を使う。
あるいは統計学という言葉も一つの言葉だと思います。
また芸術デザイン系では僕は形態言語と呼ぶべきと思っているのですが、フォルムですね。
僕これは形態言語という一つの言語だと思っています。
このフォルムを使って話すということも行われています。
自然言語のうち優しい自然言語はみんな共有している言葉なので、そんなに問題を起こさないと思うのですが、
難しい自然言語、そして数学あるいは形態言語というものは、当然それを理解している人同士でないと通じないので、
使えるコミュニティが限られてくるわけですよね。
コミュニティを超えて難しい言葉を使う人
そこをあえてコミュニティを超えて、あえて難しい言葉を使う人たちが残念ながらいるということなんですね。
例えば考古学系のコミュニティであえて位相器科学の言葉を使う。
あるいはエンジニアリングのコミュニティであえて形態言語を使うという人たちがやはりどうしても一定数いるというのは事実だと思うんですね。
それは意図してなのか、意図しなくてなのか、両方いらっしゃるとは思うんです。
僕自身はできるだけ使わないように、コミュニティ内で共通の言葉を使うように気をつけているんですが、
気づかずに使ってしまうことはあると思うんです。
僕が問題だと思うのは、自分自身理解していない言葉を使うことなんですね。
まさにソーカルが指摘したように、自分自身が理解していない言葉を使っていないかということ、
あるいは自分自身が理解していない言葉を使われたときに知ったかぶりをして理解したふりをしていないかということなんですね。
この点に関して僕は正直申し訳ないんですが、人文系、社会学系の特に研究者の方々に関しては苦言を申し上げさせていただかないといけないかなと思っています。
自然科学系の研究者の方、多くの方当てはまると思うんですが、自分が理解できないことを恥ずかしいとは思わない方が多いと思うんですね。
例えば非常に高度な数学が使われた論文が投稿されました。自分は理解できません。
正直に理解できないというふうに言うと思うんですね。だからここは説明してくださいというふうに言うと思います。
これは実例がありまして、例えばハイゼンベルクという物理学者が自身の理論を行列数学、現在でいう線形代数を用いて発表したときに、
当時としてはそういった数学は一般的ではなかったので、多くの物理学者が理解することができなかったんですね。
ただ理解できないからといって、それを知ったかぶりでそうだねということもなかったし、また逆にお前の言うことは意味がわからないというようなことも言わなかったということは、
自然科学の科学者の態度として認められることではないかなと思うんですね。
一方、ポストモダン研究者と呼ばれる人文学社会学の研究者たち、ある意味この数学的に着飾られた論文に対して、
知ったかぶりで君の言うことは正しいねとか間違ってるねとかということを言っちゃったと思うんですね。これ僕は罪なことだったなとすごく思うんですね。どうでしょう。
いやもっと具体的に言ってもらわないとお前の言うことも信用ならんという方もいらっしゃると思いますので、よろしければ僕が無料で発行しているニュースレター、
スティームニュースの方に詳しく書かせていただいているので、そちらご購読いただければと思います。もちろん無料と申し上げましたが、寄付は受け付けておりますので寄付大歓迎でございます。
実はそのスティームニュースの方で書かせていただいた内容なのですが、もう一つお伝えしたいメッセージがあって、実はこのソーカル事件っていうのが、この学者たちの間だけの問題ではないということなんですね。
生成AIによる間違った回答
というのは今やみなさん生成AI、特にチャットGPTをはじめとする文書生成AIを日常的に使えるようになってきたわけなんですね。
このチャットGPTなのですが、いろんな質問に答えてくれます。ところがですね、すごく説得力のある言い回しで間違ったことを回答することもなくはないんです。
これね、わざと間違った回答させようと思って、僕もいろいろ質問させてもらったんですが、ちょっと難しかったです。かなりうまいこと回答はしてくれます。
それでもですね、現在無料のチャットGPT3.5でこんな間違った回答を生成させることに成功しました。聞いた内容はですね、虹はなぜ7色なのですかという質問でした。
チャットGPT3.5による回答はこんな感じになります。
虹が7色に見えるのは主に人間の視覚システムと光の分散に関連しています。
虹の内部には波長によって異なる色が現れ、通常は次のような順序で並んでいます。赤・オレンジ・黄色・緑・青・青・紫・紫。
ここで重要なポイントは人間の視覚システムがこれらの色を区別できるということです。
人間の目は可視光スペクトル内の様々な波長の光を検出し、それぞれの波長に対応する色として認識します。
このため虹が7色に見えるのは、人間の目が7つの主要な色を区別しやすいからです。
どうでしょう?めちゃくちゃまともな回答に見えますよね。
でも今度虹を見てみてください。
たぶん虹は6色に見えています。
というわけで今週も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
steam.fm 1でした。
次の動画でお会いしましょう。
ご視聴ありがとうございました。