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いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、宇宙と地球で大喧嘩、アポロ7号の死闘という話題でお送りいたします。
このポッドキャストは、僕が毎週お送りしているニュースレター、STEAMニュースの音声版です。
STEAMニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
改めまして、いちです。このエピソードは、2024年1月25日に収録しています。
STEAMニュースは、スティームボートの取り組みのご協力でお送りしています。
というわけでですね、改めまして、このエピソードでは、宇宙と地球で大喧嘩、アポロ7号の死闘という内容で
メールでお送りしているニュースレター、STEAMニュースの第165号からの話題をお届けいたします。
というのもですね、今回のエピソード、実は1960年代後半のアメリカ航空宇宙局NASAによるアポロ計画にまつわるものなんですね。
アポロ計画というのは、月面の人類による探査という計画だったんですが、この月面探査について最近ですね、嬉しい話題があったんですね。
先週になるんですが、2024年1月20日、日本の小型月着陸実証機スリムが月面に着陸しました。
スリムからの連絡は、このエピソード収録時点では途絶えてしまっているのですが、
着陸途中で放出した変形月面ロボット、ソラキューがスリムの姿を撮影して地球へ送ってきました。
これ、ビッグニュースですよ。
このスリムという親機ですね、あるいは母機、マザーマシーンですね、これが月の地表に頭から突っ込んだんですね。
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ただその突っ込む直前に、このソラキューをはじめとする2つの母機を放出していたんですが、これがですね、変形するという日本人の感覚でいうと、びっくりドッキリメカなんですね。
母機から放出されたびっくりドッキリメカが写真を撮って、地球に写真を送ってきたというのが、日本ぽいなというか、変態ジャパンという感じがして、僕はすごく良かったなと思います。
このソラキューなのですが、この月着陸実証機から放出された月面探査ローバーREV-1と協力して地球へ信号を送ってきました。
ソラキュー自身は地球まで電波を届けるというアンテナを持っていなかったのですが、REV-1という兄弟機と協力して地球へ信号を送ってきたんですね。
メカ同士の協調あるいは共同というものも、このミッションの成果という風に言えるんじゃないでしょうか。
とてもワクワクさせられるニュースでした。
この月着陸に関しては大先輩にあたるアメリカのNASAなのですが、そのNASAの月探査計画、アポロ計画では、宇宙と地球で大喧嘩があったのです。
その大喧嘩についてこのエピソードではお話をしていきたいと思います。
今からおよそ55年前ということになるので、記録に残る限りは人類初となる宇宙と地球の喧嘩ということになります。
1961年5月25日、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は、
まず私は今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきだと確信しています、という風に議会で発表をします。
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アメリカ航空宇宙局、NASAの有人月面着陸プロジェクト、アポロ計画に御賛意を出したのですね。
翌年の1962年9月12日に、ケネディはライス大学で、我々は月に行くことを選択した。
We choose to go to the moon という演説を行っています。
どちらかといえば、この1962年の講演の方が力強く有名です。
ケネディがアポロ計画に御賛意を出した時、NASAは探査機を月から送り返す方法も、それどころか宇宙飛行士を乗せた宇宙船に地球を周回させる方法さえも知りませんでした。
そこでNASAは伝説のロケットエンジニア、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士に超大型ロケットの開発を命じ、ついに有人宇宙飛行テストにこぎつけます。
これがAS205、別名アポロ75となります。
実はアポロ75の前に、有人宇宙飛行テストAS204が計画されていたのですが、
旅行演習中の事故によって宇宙飛行士3人が亡くなっています。
このテストは惨劇を忘れないために、アポロ1号と後に命名されました。
なお、ケネディ大統領は1963年11月22日、テキサス州ダラスにて暗殺されました。
アポロ計画の最初のテスト打ち上げAS201またはアポロ1号が実施されるおよそ2年前のことでした。
このような困難にもめげず、アポロ計画は推進されたのです。
僕も頑張ります。
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飛行機と同じでロケットもパイロットだけが飛ばしているわけではありません。
パイロットは地上の感性感の指示に従って機体を飛ばしています。
アポロ7号の感性感はドナルドストレインでした。
ストレインはNASAの第一機宇宙飛行士訓練生でしたが、
心臓の動きが不規則であることを理由に宇宙飛行士から外されています。
実は僕も学生時代同じ診断を下されているのですが、日常生活では何の影響もありませんでした。
実際ストレインも後に51歳になってから宇宙飛行士に復帰しています。
ってことは僕もワンチャン宇宙飛行士になれるのかもしれません。
それはさておき、アポロ7号には3人の宇宙飛行士が乗り込んでいます。
船長はウォルター・ウォーリー・シラー海軍大佐。
実はストレインとは第一機宇宙飛行士訓練生の同期です。
1968年10月11日、ケープ・ケネディ、現在のケープ・カナベラルからアポロ7号が打ち上げられます。
アポロ7号は宇宙船のテストのため地球を周回するミッションでしたが、他に宇宙からのテレビ中継も計画されていました。
10月14日から始まった宇宙からのテレビ中継、ウォーリー・ウォルト・ドンのショーは大成功を収めます。
彼らは地球帰還後の1969年、エミー賞を受賞しています。
しかし、楽しく演出されたショーの裏側で、宇宙飛行士たちは怒り浸透だったんです。
地上の感性艦がテレビカメラのスイッチを入れろと指示したときの更新記録が残されています。
ウォーリー・ジラーは明らかにテレビ中継を余計なことと考えていました。
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そして感性艦へこう伝えています。
君たちはこのフライトスケジュールに2回の燃焼を追加し、尿の栓外放出を追加した。
新しい乗り物は確かにここにあるが、この時点で言えることはテレビはランデブー後まで何と議論もなく延期されるということだ。
注文があるならここに上がってきて自分でやってみろ。
ちなみにここというのは宇宙ですね。つまり怒り浸透だったわけですね。
この時ジラーは宇宙酔いに加えて鼻風も発症していたようです。
そのため感性艦が機関時にはヘルメットを装着しろと何度言っても宇宙飛行士たちはヘルメットを装着しませんでした。
2人の会話はこんな感じでした。
スレイトン感性艦、私たちが心配しているのは着水だけだ。
再突入はどうでもいい。しかし君の首だ。折れないことを祈るよ。
スチラー宇宙飛行士、ありがとうベイビー。
10月22日アポロ7号の宇宙飛行士たちはヘルメットなしで無事大西洋に着水します。
ただしナさんが第二種安定姿勢と呼ぶ状態、つまり上下逆さまでの着水でした。
宇宙飛行士にとっては笑い事ではないでしょうが、漫画みたいなオチになりました。
なおアポロ計画のすべてのミッションで宇宙飛行士たちがNASA最高ランクの栄養である特別功労賞を受賞していますが、
アポロ7号の宇宙飛行士だけは例外でした。
ただ2008年、NASAはすでに亡くなっていたスチラー宇宙飛行士を含むアポロ7号の宇宙飛行士たち全員に特別功労賞を贈っています。
まあ時間はかかったのですが和解を申し出たということになりましょうか。
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書籍宇宙はジョークで、いっぱいにはアポロ7号のその後の話が紹介されています。
NASAの生理学者リターラップは宇宙飛行士が何を食べ、何を残したかを調べる必要がありました。
彼女はこの時、ふくろんがどうしても一つ足りないことに気づきました。
アポロ7号の宇宙飛行士ウォルト・カーニンガムに事情を尋ねると、
彼はチョコレートプディングのふくろんが一つ破れたので、
使用済みのうんち袋と一緒にしたと答えました。
リターは13番目のうんち袋を開けた時に、ついに目的のチョコレートプディングを見つけたそうです。
リターもなんか喧嘩のとばっちりを受けたような結果なのですが、
彼女もNASAから功労賞を贈られています。
この理不尽に耐えた結果ということかもしれません。
今回のエピソードも最後まで聞いてくださってありがとうございました。
スティームFMではこういった宇宙の話も時々お届けしていきたいと思っています。
というわけで、スティームFMのイチでした。
スティームFMのイチ
ご視聴ありがとうございました。