00:00
[音楽]
いちです おはようございます このポッドケストは僕が毎週お送りしているニュースレター
steam news の音声版です steam news では科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています
steam news はsteam ボート乗り組みの皆様のご協力でお送りしています
[音楽]
改めましていちです このエピソードは2022年の3月13日に収録しています
今回はですね steam news 総監3号から 画家と冒険家と科学者の物語をお届けします
このエピソードでお届けする3人の人物 この3人は冒険を通して人類への多具いまれなる貢献をしました
彼らは必ずしも幸福な最後を送りませんでしたが その名前は後世まで語り継がれています
その3人とは画家と冒険家と科学者です
一人目をご紹介しましょうポール・ゴーギャンです 彼は株式仲介人としてまた半ば趣味であった絵画取引で経済的に成功していました
本業は当時のフランス人の返金年収の5倍 趣味の方も同額ほど稼いでいたというから大成功でしょう
しかし画家を本業にするようになってから生活が傾き始めます ゴーギャンはルノワール、セザンヌ、マネラの才能をいち早く見抜くなど確かな神秘感を持っていたのですが
彼自身の作品は同時代の人々からの評価が高かったとは言えず 売れなくとも絵を描き続けた彼は家族からも見放されました
そして最後は南太平洋のヒバオワ島で命を落とします 病による痛みを止めるためのアヘンチン期の過剰摂取が原因とも言われています
ゴーギャンは若い頃水先人見習いとしてまたフランス海軍の軍人として世界を後悔していたようです
03:05
結婚後もフランスの海外県であるマルティニーク島で絵を描いています ただどういうわけかどこかでまだ見ぬ南太平洋の島
フランスの植民地でもあったタヒチに強烈な思いを持ったようでした 1891年にゴーギャンは念願のタヒチ上陸を叶えます
その2年後一旦フランスへ戻りますが画家として受け入れられたとは言えず 1895年に再びタヒチに帰ります
そしてゴーギャンは後に傑作として評価される 「我々はどこから来たのか」
「我々は何者か」 「我々はどこへ行くのか」を描きます
この絵は最愛の娘を亡くした失意のどん底で描かれており 作品の完成後ゴーギャンは自殺を試みています
一命を取り留め絵を再開した彼はタヒチから1500キロ離れた 最後の島へと旅立ちました
「我々はどこから来たのか」「我々は何者か」「我々はどこへ行くのか」は現在ボストン美術館に所蔵され 世界的な評価を受けています
イギリスの小説家サマセットモームは月と六ペンスでゴーギャンをモデルにした小説を書きました
月と六ペンスは映画化もされています
ゴーギャンはポスト印象派を代表する一人として後のピカソやマティスラに多大な影響を与えました
彼がいなければ美術の歴史は大きく違ったかもしれません
なお西洋人としてタヒチ島を初めて訪れたのはイギリス人サミュエル・ボリスで マゼラン海峡を越える世界一周の途中でタヒチ島に立ち寄っています
1767年のことです
このエピソードでご紹介する2人目はフェルディナンド・マゼラン
彼の名前はフェルナンドでマガリアネスと呼んだ方が彼自身の名前に近くなるのですが日本語ではマゼランで通っているので
マゼランでこのエピソードも統一したいと思います
マゼランは史上初めて世界周航を達成した艦隊の隊長なのですが途中の背ぶとうで
現地のコゼリアへに首を突っ込み命を落としました
マゼランは何度か部下に見捨てられておりこの時もまた大半の部下が先に逃げてしまったため
06:01
戦死したものと考えられています まあ余計なことをしたマゼランが悪いのですがその名声にふさわしい死に方であったとは言えないでしょう
マゼラン艦隊が1520年に見つけた大西洋と太平洋をつなぐ海峡は現在までマゼラン海峡と呼ばれています
1914年にパナマ運河が開通するまではマゼラン海峡は大西洋と太平洋を行き来するための事実上唯一の通路でした
このマゼラン海峡世界地図で見てみると南アメリカの先端にあります
僕はなぜマゼランがあと少しの南回りをしなかったのか興味を持ってマゼランの電気を読んでみたことがあるんですね
地図の上ではマゼラン海峡はもうほとんど先端南アメリカ大陸の先端で実際距離を測るとあと150回りほど遠回りをすればより広い
ドレイク海峡を回れたはずなんです ただしこれは後世の後じえで当時南アメリカ大陸は無限に南へ続くと思われていたんですね
またもう一つ彼が幸運だったこともあります ドレイク海峡これ世界で一番荒れる海なんだそうです
まあもしドレイク海峡まで行っていたら船バラバラになっていたかもしれません 南アメリカ大陸の向こう側にまた太陽があることはパナマに上陸したスペイン人船区者たちからの報告で知られていました
マゼランはどこかに海峡があるはずだと考えてなんかしたわけですね そしてついに見つけたのが現在のマゼラン海峡でした
さてマゼランがなぜそれほどまでして地球を西に向かって一周したかったのかと思われるかもしれません それには大きな理由があるんです
一つ目は何としてでもスパイス諸島への道を見つけたかったことです それも西周りで
スパイス諸島とはインドネシアのモルッカ諸島のことで 種々のスパイスが取れることで有名な島です
特産品の中でもとりわけクローブとナツメグはインドの故障と並んで鎮長されました
17世紀の高級料理に使われた調味料が 塩
09:02
柑橘果汁 ぶどう酒
酢 生姜
サフラン程度だったことを考えるとスパイスがどれほど重要だったかは想像できると思います まあ例えば日本人だって麺つゆが地球の裏側でしか生産できないって言われたら
まあ千段を繰り出して買い付けに行きますよね スペイン王の公園を受けたマゼランが西周りを目指したのは
スペインのライバル国そして皮肉なことにマゼランの生まれ故郷であるポルトガルが 東周りの航路を抑えていたからです
マゼランよりも早くスペイン王の公園で西周り航路を開拓していた クリストフォロコロンボ
英語名クリストファーコロンバスは 1492年にアメリカ大陸に到達しています
また1513年スペインの冒険家バスコ・ヌーミュス・デ・バルモアがパナマを横断して太平洋を発見しています
そしてマゼランは海がどこかでこの大陸を越えて繋がっており 船で地球一周できると信じました
スペイン王は自らの艦隊が西周りでスパイス諸島に到達することを望みました
マゼランが西を目指した今一つの目的は 1494年にローマ教皇のもとスペインとポルトガルの間で結ばれた条約
トルデシラス条約にあります この条約によると新たに設けられた強硬四五線すなわち正系46度37分の
東側がポルトガルの持ち物西側がスペインの持ち物とされたのです
この四五線は大西洋のアゾレス諸島およびカーボベルデの西100リーグおよそ500キロで 簡単に言うと基地の世界を全てポルトガルのものにするための条約といえます
そのためスペインはポルトガル支配の及ばない西に富を求めました
なおこの強硬四五線は後に ブラジルを除く南北アメリカのスペインによる支配を正当化することになりました
先ほど述べた通りマゼランは航海の途中で立ち寄ったセブ島で 余計なことをして命を落としています
1521年4月27日のことです 同じ年の11月8日にマゼランを買いた艦隊はスパイス諸島に到達します
12:05
スパイスを満載した艦隊はその後 三端タル駆逃を重ねつつもスペインに寄港しています
マゼランの偉業は地球が球体であることを実証し 地球の概ねの大きさを確定し地球規模の地図を作り上げる基礎を作ったことです
マゼラン艦隊が北極星の見えない南半球を後方中に目印とした銀河は 現在ではマゼラン運と呼ばれています
マゼラン運は大小あるのですがこの大きい砲大マゼラン運は 地球から16万3000光年先にあります
このエピソードでご紹介する3人目そして最後の人物は ガリレオ・ガリレイです
彼は近代科学を作り上げた人類の司法と呼ぶべき科学者です
僕はガリレオを大変に敬愛しているので まあこのポッドキャストでも今後何度も取り上げることになると思います
1609年ガリレオはオランダで望遠鏡なるものが発明されたという噂を聞きつけ 自ら工夫してガリレオ式望遠鏡を発明作成しています
そしてこの望遠鏡を使って様々な天体を観測しました 彼が見たものは月
水星 金星 火星 木星 土星
星短そして星雲 それから太陽も見ています
ガリレオによる木星の観測はコペルニクスがひっそりと唱えていた地動説を決定的なものにしました
彼は木星の周りに木星の月が回っていることを発見したんです この4つの月は後にガリレオ衛星と呼ばれることになりました
ガリレオはまた最先端の発見を自ら平易に書いた天文大和という書物を1630年に発行しています
彼は現在で言えばカールセーガンのような科学コミュニケーター 科学ジャーナリストの先駆者でもあったわけですね
天文大和は科学史において画期的な書物だったのですが内容をめぐってガリレオはローマ教皇朝から有罪の判決を受けてしまいます
一説によると天文大和の登場人物で天動説を信じるシンプリチオのことをローマ教皇が俺のことかと怒ったからと言われています
15:05
シンプリチオというと語感で言うと日本語のバカボンみたいなイメージなんですね
おそらくローマ教皇の側近がローマ教皇に吹き込んだんでしょうね それで怒ったということなんだと思います
天文大和は八禁になりガリレオは禁固形を言い渡されてしまいます
人類最高の科学者としては悲しすぎる晩年ですが さらに禁固中に最愛の娘を亡くし
また太陽の観測がたたったのか失明もしてしまいます それでも彼は死の直前まで研究を続け
振子時計の発明も行っています 振子時計はその後オランダの物理学者クリスティアン・ホイヘンス
これ英語名はハイゲンスと読むので ハイゲンスという名前の方が学術分野によっては通っているんですが
このホイヘンスによって制作されました
ガリレオは1642年になくなりますが 葬儀は許されず正式な葬儀は1737年まで
またねばなりませんでした 天文大和の八禁が解かれたのは1822年です
ローマ教皇が裁判の誤りを認めガリレオに謝罪したのは 1992年で
ガリレオの死から350年が経っていました
ガリレオはその功績から近代科学の父と呼ばれています しかしこの呼び方は正確ではありません
ガリレオ以前の科学は科学と呼べるものではなく 言うなればポエムだったからです
だから僕はガリレオを単に科学の父と呼ぶべきだと思っています また彼以前に科学はなかったことを考えると
同時に彼が世界初の科学ジャーナリストであったということも主張できるんじゃないでしょうか
1995年ガリレオの名を冠した惑星探査機が木星に到達しました 2005年ガリレオの名を冠した
冷静即位システムこれは欧州版 gps というふうにも呼ばれていますが 稼働を始め現在28機のガリレオ人工衛星が地球を周回し
18:00
後悔の目印になっています 2008年
ローマ教皇ベネティクト16世がガリレオを称え 地道説を認める説教を公開しました
このエピソードでは3人の冒険家の物語をご紹介しました 美を探求して他地へと渡ったゴーギャン
スパイスを求めて西周りで地球を一周したマゼラン そして
宇宙の真理を探求し続けたガリレオ
分野も時代もそれぞれ違う3人ですが その探求心とか熱量とかそういったところは共通しているように思います
僕個人はその理工系の学部大学のね 理工系の学部で教えることが多いのでまあこの3人の中で言えばガリレオの話をすることが一番多いん
ですね 科学の父だからそしてその探求っていうとまあ科学的な探求ですね
自然法則物理法則の探求であったりまあ化学法則の探求であったりといったことをね お話しすることが多いんですけれども
ただあの まあ大学の
そうですね3年生4年生だったりとか大学院の講義なんかでよくお話しするのは アート
アートって特に理工系の大学で扱うことってあまりないんですけれども僕は必ずその後の話をさせて いただくことにしていてアートっていうのも探求の学問なんだよっていうことをね
いつもお話をさせてもらってるんですね これもちろんねあの美術大学芸術大学にいればそういうことは教わるんですけれども
まあ理工系にいるとなかなかねそういうことを教わる機会ないと思うので まあ高学年になってからそれから大学になってからだったらねちょっとこう
身の回りの学問に余裕が出てくる頃だと思うのでそんなお話をねさせてもらうんですね アートっていうのは探求で何を探求しているかというと人間を探求している
学問だと僕は捉えています それはね例えばあの工学部で授業するときって工学でエンジニアリングで
これはサイエンス特にナチュラルサイエンスとエンジニアリングというのは方向性が異なるんですね steam の s とそれから t と
いいの違い 価格っていうのがご自然界の普遍的な法則っていうのを見つけることを大きな目標にしているのに対して
21:05
エンジニアリングっていうのは人の役に立つものを作る人を幸福にするためのものを作るって いうことを
探求するまあ探求というかもの作っていく作り上げていくっていう 学問なんですが
でそれってアートとデザインの関係にもすごく似ていてこれ僕が言ってるわけじゃなくてあの MIT マサチューセッツ高科大学に登場
られたジョン前田先生という先生が言われているんですけれども アートというのは探求の学問でデザインというのはものを作っていく学問だという話をねされていて
でも僕デザインとかも授業させてもらってるんですけれどもそこでアートっていうこの探求 だからアート思考っていう言葉もあるけれどもデザイン思考じゃなくてねアート思考っていう言葉もあるけれども
これものすごく誤解されていてなんか思いつきで何かを語ることがアート思考だなんていうふうに 新聞で紹介とかされることもあるんですけどもそうじゃなくて
アートっていうのは態度としてはナチュラルサイエンスと同じ自然科学と同じなんだ探求なんだ 人の心を探求する人がどう感じるかを探求する
そして表現するっていう ことなんですよね
でそれはだから号ギャンであってもそうだしそれからこれもついつい見落とされがち 理工系の大学にいると見落とされがちなのかもしれないけれども
マゼランが行った冒険もちろんその 大きな財産になるかもしれないとか
それからスパイス 持って帰るんだっていうね 持って帰ってヒーローになるんだっていう野望もあっただろうけれどももっとそこにはね大きな目標があったと僕は思うん
ですよね
これはもう僕の妄想なんですけれども冒険の技術っていうのは当然あるんですけれども そうじゃなくてその先に
冒険のエンジニアリングだったりとか冒険のサイエンスというものもあると思うんですよねそれ多分あらゆる学問に共通していることで
もちろん何が起こってもいいように準備しとけというのはあるんでしょうけども何が起こるかわからないことに備えるっていうこと
これ多分マゼランもやったと思うしそれはガリレオであってもゴーギャンであっても自分が目にしたものを信じる
そしてそれを表現するっていうところにつながっていくんじゃないかなと僕は妄想しています
今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました また次のエピソードでお会いしましょう
いちでした
24:03
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me
me