ハドリアヌスの誕生と成長
いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、髭の皇帝ハドリアヌスについてお届けをします。
このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースの音声版です。
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金谷一朗です。このエピソードは、2025年8月14日に収録しています。
今回のエピソード、スティームニュース第246号から、髭の皇帝ハドリアヌス、教会を守り多様性を受け入れた皇帝の遺産についてお届けをしていきます。
スティームニュースは、スティームボート乗組員のご協力でお送りしています。
暑いですね。このエピソードは、8月お盆の盛りに収録させていただいているんですが、ちょうどね、
2025年の8月といえば、日本では観測史上最高の気温となる40度超えなんかもね、記録されたところなんですが、
ギリシャの古代都市アテネではですね、なんとローマ時代の水道を復活させて、暑さをしのごうとしているそうなんですね。
この水道、誰が作ったかというと、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスなんだそうです。
古代ローマ人というとね、土木工事、シビルエンジニアリングの天才たちとも言えるんですが、そんな古代ローマ人たちの残した、およそ2000年前に残した水道を使って暑さをしのごうとしている、なんとなくね、古代都市っぽい感じですよね。
日本の古代都市というと京都になるかなと思うんですが、京都の場合はね、地下水脈が発達しているんですが、アテネの場合は水道が必要だったということで、さあ一体どんな風に暑さをしのげているのか、またニュースで確認していきたいと思います。
今日はそんなハドリアヌスの話題です。
紀元76年1月24日に、現在のスペインで生まれたハドリアヌスは、ローマ帝国元老院議員の父を持っていました。
そのため10歳で父を亡くした後も度々ローマで過ごしていたとみられ、14歳の時には父のいとこトラヤヌスの貢献で本格的にローマ留学を果たします。
スペインという辺境から大都市ローマに出てきたハドリアヌスは、ここでギリシャ文明の存在に触れ、蝶がつくほどのギリシャカブレへとなっていきます。
ローマ皇帝としての業績
18歳になったハドリアヌスは、軍人として活躍するトラヤヌスについて公務を行うようになるんですね。
当時のローマ皇帝ネルワには後継ぎがいなかったため、またネルワは結構高齢でもあったんですね。
そこでネルワは軍に人気のあったトラヤヌスを第13代ローマ皇帝へ指名します。
この時ハドリアヌスが暗躍したとする説もあります。紀元98年のことでした。
この時代のローマというのは養子縁組が非常に盛んで、これはローマ皇帝でも例外ではなくて、ここぞと見込んだ後継者を養子縁組にして、息子として皇帝を継がせるということが行われていたんですね。
ただ、この第13代ローマ皇帝トラヤヌスの就任ですかね、後継、これはちょっと陰謀があったんじゃないかとする説もあります。
その陰謀の裏で、このいとこであるハドリアヌスが暗躍したんじゃないかとする説もあります。
今からおよそ2000年前、1900年前のことですから、そこら辺はもう闇の中というところでしょうかね。今後ひょっとしたら新しい証拠が出てくるかもしれませんが、ともかく第13代皇帝にトラヤヌスがなります。
記録によると、紀元100年あるいは101年にハドリアヌスはトラヤヌスの徹孫、つまりいとこの孫にあたりますね。孫娘にあたりますね。
ウィビアサビナを妻に迎えています。ウィビアサビナのお顔は彫刻や当時のデナリウス銀河でも見られるんですが、とても綺麗なお顔立ちをされています。
紀元117年、シリアに出張していたハドリアヌスのもとに、ローマ皇帝トラヤヌスの使徒、自身の後継者使命の知らせが届きます。
ただし、当時のローマでは手紙で後継者使命をすることは前例がないため、ハドリアヌスの皇帝就任の正当性は疑問しされています。
ここでもハドリアヌス暗躍しちゃったのかもしれないんです。そんなハドリアヌスですが、現代では五賢帝の一人、5人の賢い帝の一人として知られています。
彼は先代トラヤヌスが築き上げた帝国の最大半島を受け継ぎましたが、無理な拡大政策をやめて防衛と安定に注力しました。
また知性の半分以上を帝国内の旅に費やしています。 なんかこう聞くと昔のテレビドラマミト公文みたいな感じにも聞こえますよね。
ミト公文はフィクションですし、旅した範囲も本州、四国、九州だけなんですが、当時ハドリアヌスが支配していたローマ領というのは
シリアもそうですし、エジプトもそうですし、そして西ヨーロッパの大半ですね。イギリスもイングランド、ウェールズなんかはこのハドリアヌスの時代のローマ領に入っていますから、めちゃくちゃ広かったわけですね。
当然飛行機もない時代、鉄道もない時代ですから、 船、馬車、そしてまあ険しいところは徒歩で行ったんでしょうね。
すごい体力ですね。 ハドリアヌスの知性の特徴は帝国の国境線の強化とインフラ整備です。
特に有名なのがブリタニア、現在のイギリス北部に築かれたハドリアヌスの頂上、長い城ですね。ハドリアヌスの頂上です。
これは異民族の侵入を防ぐための防壁で、現在でもイギリスの世界遺産として残っています。
ハドリアヌスの頂上の北側にはローマ帝国の支配が及ばない カレドニアと呼ばれる地域が広がっていました。
ハドリアヌスとアンティノースの関係
現在のスコットランドにあたるこの地にはピクト人などのケルト系部族が暮らしており、 ローマ人からは野蛮な異民族の土地とみなされていました。
頂上はこうした部族の侵入を防ぐための防衛戦として築かれたんです。 ハドリアヌスの頂上の北側には、さらに後の時代にアントニヌスの頂上も建設されましたが、
ローマ帝国の支配は長くは続かず、 最終的にはハドリアヌスの頂上がローマの北原となりました。
ハドリアヌスのもう一つの特徴はヒゲです。 ハドリアヌスはローマ皇帝として初めて本格的にヒゲを生やした人物とされ、
以降の皇帝たちにもヒゲが流行しました。 これはギリシャの哲学者への憧れの現れとも言われています。
ハドリアヌスの治政は比較的平和で、 帝国の安定と繁栄に貢献しました。
彼の死後、アントニヌス・ピウスが後継者となり、後建帝時代は続きます。 これ俗に言うパクス・ロマーナ、ローマによる平和という時代ですね。
なお初めてブリタニア、現在のイギリス本土に本格的に攻め込んだローマの将軍は、ガイウス、ユリウス、カエサル、ジュリアス・シーザーです。
カエサルは紀元前55年と紀元前54年の2度にわたり、ローマ軍を率いてブリタニア遠征を行いました。
この戦は有名なガリア戦記にも書かれていますね。 これらの遠征は一時的なもので、ローマによる本格的な支配が始まるのは、約100年後のクラウディウス帝の時代からになります。
ローマ皇帝ハドリアヌスは、当時美少年として有名だったアンティヌスを深く愛したことでも広く知られ、
同性愛関係を持っていたものが歴史的にほぼ確実視されています。 二人の関係はロマンティックなエピソードとして古代から語り継がれています。
二人の関係は単に古代ギリシャへの憧れというものではなかったようです。 古代ギリシャというとね、やはりあの男性同性愛の物語がたくさん出てくるんですが、
もちろんね、ローマ皇帝ハドリアヌスは髭を生やしたぐらいですから、古代ローマへの憧れというのは、ごめんなさい、古代ギリシャへの憧れというのは強く持っていたんでしょうが、
男性同性愛にも憧れを持っていたと思うんですが、その憧れを超えて本当に深く愛し合っていたんだろうなぁと思わせるエピソードがね、いくつも残っています。
アンティノースはローマ皇帝に愛された青年としていくつもの彫刻、いくつもの絵画に残されています。
それらを見るとハドリアヌスは本当にこうギリシャ的な美を好きだったのかなぁと感じますし、
ちょっとですね、僕の目線で言うと、ウィビア・サビナにも似てるかもというふうにもね、思うんです。ちょっとこうギリシャ的な、当時の彫刻がどうしてもローマじゃないですね、ギリシャ風に彫っちゃうところはあったと思うんですが、
それにしても、ちょっとこうギリシャっぽい美しさ、現在でも残っているギリシャっぽい美しさにこのハドリアヌスは惹かれたんじゃないかなと思います。
ハドリアヌスにはもちろん公式な妻サビナがいたんですが、アンティノースとの関係が最も著名です。
アンティノースがナイロン川で不審死を遂げた後、ハドリアヌスは彼を神格化し、新たな都市アンティノポリスまで設立するなど、特別な存在として扱いました。
アンティノポリスは、現在で言うとエジプトのですね、ファイユームというオアシスがあるんですが、その中にあります。
僕も一度、まあ一度じゃないですね、2度3度訪れたことがあります。とてもね綺麗な場所です。
それどころかですね、アンティノース座という星座まで作っているんです。
残念ながら明るい星がいたわけではないんですが、ローマ皇帝としても既存の星座を別の星座に置き換えるということはできなかったようで、
当時星座の空白地帯だった場所にアンティノース座というのを設定したそうなんですが、現在では和紙座の一部になっています。
ちょうどね夏の星座、夏の大三角の一つになっていますので、夏になるとアンティノース座が登ってくるとも言えるわけですね。
アンティノースの死は原因が不明です。自殺説もあります。ナイル川で亡くなったアンティノース。
皇帝ハドリアヌスの嘆きというものがね、いかほどだったかというふうなことが想像されるわけなんですが、
ハドリアヌス、もちろんね、バイセクシャルだったわけなんですけれども、妻サビーナとの間には子供がいませんでした。
そんなハドリアヌス、ギリシャ文化を深く愛し、各地に神殿や図書館、そして浴場、これは公衆浴場ですね。浴場などの公共建築を多く残しました。
アテネの水道もそうですし、ローマのパンテオン祭典も彼の事業です。
彼自身も史や哲学に親しみ、文化的な皇帝としても評価されています。
ローマのパンテオンは元々紀元前27年頃、初代皇帝アウングスティスの側近アグリッパによって建設されましたが、
紀元80年の火災などで大きく損傷していました。 現在僕たちが目にする壮大なドームを持ったパンテオンはハドリアヌスによって再建されたものです。
ハドリアヌス自身が設計に深く関わったとも言われており、 彼の知性の代表的な建築事業の一つです。
ただし正面の厨房にはアグリッパが建てたとする元の名分がそのまま残されているため、外見からはハドリアヌスの名前がわかりません。
パンテオンは当時としては驚異的なコンクリート建築技術と、直径約43メートルの巨大なドームで知られ、
2000年近く経った今もローマに現存しています。 ハドリアヌスの建築事業の中でも、パンテオンは特に後世に大きな影響を与えた傑作と言えるでしょう。
ハドリアヌスの建築と哲学
パンテオンのドーム部分は軽量化と強度を両立させるため、 基礎部から上部にかけて6層構造となり、
上に行くほど薄くまた軽い骨材を使うようにしています。 下段からトラバーチン、テラコッタ、
テュファー、そして軽石と徐々に素材を変えているんですね。 ハドリアヌスはひょっとしたらエンジニアとしての才能にも恵まれていたかもしれません。
ハドリアヌスは在住に自らの霊廟を建設し始めます。 彼の生前には完成しなかったのですが、次のアントニヌス・ピウステイの時代に完成した
ハドリアヌス廟、またの名をカステル・サンタンジェロです。 カステル・サンタンジェロは現在に至るまで残されており、
映画ダ・ヴィンチコードの舞台にもなっています。 1527年にローマ教皇クレメンス7世が神聖ローマ皇帝からの信仰を
カステル・サンタンジェロに逃れています。 要塞としても機能していたんですね。
このカステル・サンタンジェロの要塞機能、現在は博物館になっているのですが、個人的に小耳に挟んだところによると
20世紀入ってからも極秘裏にローマ教皇がカステル・サンタンジェロに避難したということがあったかもしれないというか、噂レベルの話ですが
そういうこともあるんだということですね。これ、つながっているんですね。 城壁と通路がつながっているので、今でもこの避難先として使えるようにはなっているようです。
ハドリアヌスが後世の僕たちに教えてくれることは、教会を築くことと多様性を受け入れることの両立の大切さです。
彼はローマ帝国の国境を強化し、外敵から守るためにハドリアヌスの頂上を築きました。
これは自分たちの領域を守る、無理な拡大はしないという現実的な判断の象徴です。 一方で彼はギリシャ文化を愛し、異文化を積極的に取り入れ、
公表建築や芸術、哲学を奨励しました。 さらにアンティノースとの関係に見られるように、
個人の多様な愛の形も歴史に刻みました。
ハドリアヌスは、守るべきものは守りつつ、異なるものを恐れず学び受け入れることの重要性を体現しています。
現代社会でもグローバル化とアイデンティティの間で揺れる僕たちにとって、彼の生き方は大きなヒントになるかもしれません。
また彼が残した建築物や都市計画は長い時を経ても人々に感動とインスピレーションを与え続けています。
自分の時代だけでなく未来の人々のために何かを残すという視点も、ハドリアヌスから学べる大切な教訓と言えるんじゃないでしょうか。
ハドリアヌスの歴史的背景
このエピソードではローマ皇帝ハドリアヌスについてお届けをしました。
ハドリアヌスの先代のトライアヌスの皇帝就任、そして自身の後継者氏名とひょっとしたらハドリアヌスが暗躍したかもしれないという疑惑がありながら、
そして当時は結構暴君としても恐れられていたようなのですが、
ただ、帝国の藩都をそれ以上広げず、またエピソードの中ではご紹介しなかったのですが、
当時ね、生まれたばかり信仰宗教であるキリスト教に対しても許容、寛容な態度をとっていたということで、
今振り返ってみると多様性を受け入れた皇帝でもあったとは言えるんじゃないでしょうか。
そしてやはりスペインで生まれ、ローマに留学し、そしてギリシャ文明に憧れということで、
距離としてはね、スペインからローマというのは非常に、今でもかなりの距離があるところなんですが、
ローマまでやってきてギリシャ文明に憧れ、よくね首都をローマに留めていたなと思うんですが、
もう何だったらね、ギリシャに行ってもおかしくない時代ではあったと思うんですが、
ローマに留まってギリシャ文化というものを、日本で言うとどうでしょうね。
九州の南の端、今宮崎のあたりから京都へ出てきて、
で、中華文明に触れ、なんじゃこりゃーっていう風にもうショックを受けて、
着ている服から、何から、髪型から、何から、全部中国風にしちゃったみたいなイメージですかね、それのさらにスケールアップ版ということになるんでしょうかね。
まあちょっとね、日本に例えてみるとどうしてもね、国土が小さいのでスケールダウンしてしまうんですが、
ギリシャへの憧れというのが、江戸時代ぐらいまでの日本の唐の時代の中国への憧れと近いのかもしれないなというふうに思ってこのハドリアヌスをね、ご紹介をさせていただきました。
で、ここから余談なのですが、今日がね8月14日、8月の11日ですから3日前になるのですが、
僕たちTEDxデジマーというねイベントを開催していました。こちらのね収録、公開収録という位置づけでイベントを開催させていただいたのですが、お二人の
TEDxトークをね、公開収録させていただきました。この映像をこれから吸い上げて、編集して
米国TEDのYouTube公式チャンネルにアップしてもらうために、アメリカTEDに送る予定なんですが、ちょうどですね
多様性という意味で、お一人目のスピーカーが
ウクライナから来たアナスタシアという女性で、ウクライナの文化を紹介してもらったんですが、その根底にあるもの
ウクライナの神話、そして日本の神話というのが結構似てるんじゃないかなっていう
その世界普遍の神話モチーフではなくて、どういうわけかウクライナと日本にユニークな共通点があるっていうところをね
紹介してもらっているので、まあ映像を楽しみにしていただければなと思います。あのスピーチはね、英語でしてもらったんですが
日本語字幕がまたボランティアによってつけられるんじゃないかなと思ってるんですが、最近ねYouTubeのAI翻訳機能が優秀なので
アップされたらすぐにね日本語でも読めるかなと思います。でもう一人がね、あのブックスライデンの
店主の前田優弥さんという方で、長崎にねブックスライデンという本屋さんがあるんですが、個人でやられている本屋さんがあるんですが
本を読む大切さ、本っていうのは本を読むっていうのはもう一つの体験をすることっていうね
お話をされているので、こちらもぜひね楽しみにしていただければと思っています。
今回のエピソードも最後まで聞いてくださってありがとうございました。またね、お問い合わせフォームからのメッセージもありがとうございます。
SteamFMのイチでした。ではまた次のエピソードでお目にかかりましょう。
では。
♪As good as could be, living this dream that we found
♪Look at us now, oh look at us now
♪There's so much waiting before us we've yet to find