饅頭のお茶漬けの話題
いちです。おはようございます。このエピソードでは、饅頭のお茶漬けについてお届けをします。このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレター、
スティームニュースの音声版です。スティームニュースでは、科学,技術,工学,アート,数学に関する話題をお届けしています。
改めましていちです。このエピソードは、2025年4月17日に収録しています。
STEAMfmこのポッドキャストは、スティームボートのリクミーのご協力でお送りしています。 さて今回のエピソードは、スティームニュース第229号から
饅頭のお茶漬けという話題をお届けします。 饅頭のお茶漬けって皆さん食べてみたことありますか?どんな味か想像つきますか?
まあ味は多分、あの想像通りになります。あの僕、先週2回作って食べたんですけれども、
まあ想像通りの大味でした。でもう1回食べたいかというと、 まあ
もう同じ組み合わせではもういいかなというふうにね思ったんですが、 そのなぜね、この饅頭のお茶漬けをしてみたかというと
理由があります。 明治の文人、アーティストですね。文人で、そして医師
医学研究者であった森鴎外がですね、この 饅頭のお茶漬けが大好きだったんですね。
彼はご飯の上に、白米だったそうですが、白米のご飯の上に割った饅頭を乗せて熱い煎茶をかけて食べるのが好きだったそうです。
でこれちゃんと理由があって、それが森鴎外の専門とした医学、当時の最先端の医学の知見に基づいて、彼はこの饅頭のお茶漬けを積極的に選んでいたということなんですね。
いやー、どんな理由があったのか。 まあこのエピソードの中でね、おいおいお話をしていけたらと思っています。
今回も25分間お付き合いください。 明治から大正期にかけて活躍した日本の小説家、翻訳家、医師、ジャーナリストであった森鴎外の大好物が饅頭のお茶漬けだったんです。
森鴎外の背景と留学
森鴎外はドイツ留学で西洋医学を学び、陸軍軍医として衛生行政に貢献したばかりでなく、文学者として舞姫、高瀬船などの名作を残しています。
そんな森鴎外が饅頭のお茶漬けという一風変わった食事を好んだのには理由があります。
なおいくら明治時代だからといって饅頭のお茶漬けはやはり異例というかですね、森鴎外の娘さんが
気持ち悪いというふうに書き残しているので、やっぱり普通ではなかったんでしょうね。
1884年明治17年から1888年明治21年の4年間をドイツで過ごし、
帰国後も来客にドイツ料理を振る舞った森鴎外が、一体なぜ饅頭のお茶漬けを好んだのか、 その謎を紐解いていきたいとおもいます。
徳川義信による大政奉還の5年前にあたる1862年の旧暦1月19日、
諏訪に森鴎太郎が生まれています。森鴎太郎は後の森鴎外ですね。 鴎太郎は幼少期に激動の明治維新を迎えています。
そして10歳で今の東京、当時の東京へ引っ越しています。 彼は11歳にして年齢を偽って東京医学校の4課に入学しています。
本科にその後進学してドイツ人教授のもとで医学を学んでいます。 どうも森鴎太郎本人は文学を志したかったようなのですが、
まあ時代背景もあるんでしょうね。 周囲の勧めで卒業後は陸軍の軍医になっています。
そして陸軍省派遣留学生としてドイツ留学を命じられています。 1887年からの1年間と少しの間は
ベルリンにも滞在し、当時のドイツ人教授ロベルト・コッホに支持しています。 コッホは同時代のフランスのルイ・パスツールと並んで
近代細菌学の階層と呼ばれる細菌学者です。 いやコッホというのはまあ僕は専門が違うので、もう伝聞でしか知らないんですが
この細菌学微生物学の分野では伝説の人物、レジェンドで、ハンシン・タイガースでいうランディ・バースみたいなもの
っていうと、どちらにも失礼にあたるかもしれませんが、まあそういうレジェンドということですね。
カッケと病の原因
当時すでに顕微鏡は発明されて、おそらく200年ぐらいは経ってたんじゃないかと思うんですが、
顕微鏡は発明されており、微生物の存在というものは知られていたものの、 それが病気の原因になることは知られていませんでした。
コッホは血核の原因が血核菌という微生物にあることを突き止め、 感染症研究の強固な礎を築きました。
モリ・リンタロンがベルリンに来た時にコッホは44歳で、 すでに炭素菌、血核菌、コレラ菌を発見していました。
研究者としてアブランが乗り切ったタイミングのコッホから、 44歳というとね、もう一番ブイブイはしている年齢ですね。
そのコッホから25歳の若きモリ・リンタロン、 何もかも吸収しようとしたんだと思います。
そして彼は少し病的なほど細菌を恐れるようになります。 この時代の背景をちょっと考えてみると、
まず血核とかコレラとか謎の病気ですよね。 もちろん日本にもコレラ伝わっていて、
コロリというふうにね、本当にコロリと死んでしまうからコロリというふうに呼ばれたそうです。 長崎から日本中に広まっていっています。
当時は原因なんてわからない。 ましてね
その細菌がコレラを引き起こしているなんていうことはもう誰も想像しなかった 時代で
その後でねもう一度お話をしようかなと思うんですが ロンドンでは原因がわからないものの
統計学的にコレラを防ぐことができるんじゃないかという研究が始まるんですが そのドイツのコッホはコレラの原因菌を見つけた
だからこの菌を抑えれば コレラは予防できるということを発見してしまうわけですねこれびっくりですよね
顕微鏡でしか見ることができないような微生物 パスツールの研究によってねその微生物は自然発生しないということもようやくわかってきた
時代ですからそんな時代に この小さな目に見えない菌が
人間を殺すだなんてっていうね まあ
医療革命医学革命って言うんですかね まあそれがフランスドイツを中心に起こり始めていたタイミングでこの森林太郎は
コッホから直接 学んでで最近が怖くなったんですね
森林太郎の地の森生貝は生のものを決して口にしなくなりました もう極端で
果物は必ず煮て消毒してから食べたそうです まあ煮ただけだとねちょっと味気なくなってしまうので砂糖をふりかけたりもしたそうです
森林太郎森生貝は白米を好んだんですがまぁ当時はねあの 玄米を食べるのが一般的だったと思うんですけれども彼は白米を好みました
で 白米まあこれは炊いてるから加熱してるから大丈夫なんですけれども
その上に マンジュってこれまんじゅうも加熱してるから安全なんですね
なので ご飯の上に白いご飯の上に安全なまんじゅうを乗っけて
熱い煎茶をかけて食べた どこにも細菌が入る余地がないということで
彼にとっては完璧なご飯だったんですね 森生貝はあんぱんも好きだったそうなのであんこが好きだったのかもしれないです
好きな白米と好きなあんこと同時に食べたらこうなったのかもしれません 森生貝は白米の上にまんじゅうを手で4つに割って乗っけてその上に
煎茶をかけたそうですどんなまんじゅうかというのがあの 写真がね残ってるわけではないので何とも言えないんですがまぁちょっと大きさのある
まんじゅうだったという説もあります で僕も真似をしてみました
いや今あのお米が高いじゃないですか えっと普段は僕はの玄米か麦ご飯にしているので今麦ご飯なんですけれども
麦ご飯でもまんじゅうのお茶漬け作ってみたんですが ニュースレター配信用にちょっと白いご飯がいいなぁと思って
まあストックしてある砂糖のご飯を使って まあまんじゅうは半分の量で丸々1個ね
あのコンビニで売ってるちっちゃなおまんじゅう山崎だったかな おまんじゅう使ったんですが丸々1個はちょっと多いだろうと思って半分にして
作ってみました でお味はまぁ予想通り
予想よりはちょっと美味しかったかなーっていうぐらいなんですが もう1回食べたいかというとまぁ微妙な感じでした
まんじゅうの皮がですねお茶を吸ってグミのように割とこうぷにぷにして 食感は面白かったんですがでまぁあんこの甘みとねお茶の渋みと合わさって
この上半分は まあ美味しかったんですけれどもそれご飯に合うかっていうと
森妖怪の娘アンヌさんの別々に食べた方がうまいのではないかというふうにおっしゃって たんですがその通りです
ただ 豆大福みたいに少し塩っ気のあるまんじゅうだと合うかもしれないなぁと思いました
まあこれはちょっと次の宿題にさせてください ちょっと小話なんですが
まんじゅうというのは伝統的な和菓子ですよね 室町時代に中国から日本に連来したそうです
でまんじゅうの発明者に関しては分かってないんですが 諸葛良孝明が発明したという伝説が根強く残っています
伝説によると当初のまんじゅうはあんこではなくて肉を詰めたもの だったそうなんですね
まあ 日本で肉まんですかね
でまぁ そう考えてみると羊のスープと書いて羊羹ですよね
もともと羊のスープだったものが和菓子になったんだから まあまんじゅうまんとうですかね向こうの発音ではまんとうって言うとね
あの別の中身入ってないものになりますが当時の諸葛良孝明の時代のその時代にあったか どうかわかりませんがその諸葛良孝明の時代のまんとうは
日本でいう肉まんでそれが日本に伝わってきてまぁそのうちあんこに変わったん じゃないかということも考えられるというね
小話でした で
再び森鴎外の話に戻ります 鴎外の話をする時に避けて通れないのがカッケという病気のことなんですね
カッケはビタミン b 1欠乏症の一種でとりわけ東アジア人 東南アジア人が長く悩まされ続けた病気です
東南アジアではねベリベリという病気として知られています 日本では白米食が普及した玄禄の江戸
こちらで流行したために江戸わずらいとして 有名なんですが明治の軍人たちもカッケに苦しみました
日本に来ていたドイツ人教授たちは当時最先端の知識であった伝染病を疑ってはいたんですが これが
まあ海軍の方日本海軍の方で 疫学調査
まあこれ疫学調査っていうのは何かというと原因はわからないんだけれども 比較実験対象実験をすることによって
その防ぐこと防ぐ方法を探すということですね これは海軍軍の高木金広が取り組んだ
疫学調査によってまあこれタイミングとしてもまあほぼ世界初だったそうです ほんとね数年違いでロンドンのこれらに対する疫学調査
も行われているんですがおそらくこの高木はその情報を知らずに あのあるいは噂程度に聞いた状態でこの疫学調査を取り組んだじゃないかなと思います
この疫学調査によって各県の原因が食べ物にあるということ これは現在の知見から見ても正しいんですが
当時はねビタミン知られてないですからどうも食べ物の違いらしいぞということを まあ海軍は見つけていますで海軍はその結果
白米を麦飯に切り替えています切り替えたのが1884年 明治17年ですこの年にかっけ患者激減しているんですね
現在ではビタミン b 1が玄米や麦には十分含まれているものの白米だけの食事では 不足することがわかっています
で8海軍は白米 麦飯玄米3種類試してるんですねで
白米以外だとかっけが減るっていうのがわかってじゃあ玄米にしますか麦飯 にしますかっていうところで麦飯を選んでいます
その理由もちょっとよくわからないというか書いてないんですが僕はの両方を食べ ているので
なんとなく理由はわかる気がしてあの玄米はねー 半日ほど水につけとかないとたけないんですよ
で麦飯だと 白米と麦なので
30分から1時間水につけておけば炊けるのでまぁそのスピード感の違いじゃないかなぁと まあ僕は想像しています
陸軍軍医であった森恩愛も陸軍軍人のかっけには頭を悩ませていたようなんですが 当時はまだビタミン b 1も発見されておらず
麦飯で各家を予防できるという考え方には同意しなかったようです 病気の原因はわからないままに対処両方を決めてしまう
海軍のやり方あるいはイギリス流のやり方に対して ヨーロッパ大陸流の
森鴎外と海軍カレー
原因をまず突き止めてから対処せよという方針が森恩愛の考え方にあっていたのかも しれません
なお高木金広は海軍の食事を改善するために海軍カレーまで導入したそうです 今日本だとね横須賀とかそれからクレー
マイズルもかなそしてさせ坊まあ大きな海軍基地のあるところではそれぞれね 海軍カレーは我が基地で生まれたということでなんかこうお土産物のレトルト食品なんか
もあるんですがその有名な海軍カレーはこの疫学調査から かっけ予防から生まれたということなんだそうです
森恩愛と同時期にイギリスへ留学した夏目漱石は イギリス料理はまずいと散々悪態をついたにもかかわらず
帰国後は洋食を好んでいます 一方の恩愛はどちらかといえば和食を好んでおり
洋食を選ぶ時もドイツ風のシンプルな味付けを好んだそうです 漱石はカレー食べてるんですけれども恩愛はカレーを食べたという記録を残してい
ません まあ口に合わなかったのかもしれませんし
まあそもそもねあの日本に入ってきたカレーというのはイギリスを経由しています から触れる機会がドイツではなかったのか
まああっても 口に合わなかったのかもしれませんドイツにもね
あのカレー子は当時から 多少はあったようなので
カレー全く知らないってことはなかったと思いますし日本帰ってくればね 海軍カレーだったわけですから
あるにはあったんだけれどもあんまり好んで食べはしなかったようです 森恩愛は西洋の近代的な知識や文化を日本に導入しながら
日本の伝統的な文化や価値観との調和を図ったことで まあ構成大変高く評価されています
彼は医学と文学という異なる分野で卓越した業績を残した 軽有な存在でもあります
まんじゅうのお茶漬けの魅力
ただこれは仕方なかったとはいえ軍医として 各家の撲滅を行う機会を見逃してしまったのではないかなぁと
まあ僕はまあ思ってしまうんですが これは事後公明
まあ当時へということになるんでしょうかね ニュースレター最後に皆さんもまんじゅう茶漬けをいかがですかというふうにね
締めくくらせていただいたんですが あのニュースレターをね書いた時はまだその一食しか食べてなくて書き終わった後に
やっぱりちょっと白米のまんじゅう茶漬けの写真が撮りたいなと思ってもう一食作って 食べてみました
やっぱりねあの期待通りというか まあ想像通りのお味で麦飯だろうがあの白米だろうがそんなに差はありませんでした
やっぱりね同じまんじゅうだったからということがね あるのかもしれません
ニュースレターの方では毎週今週の書籍として書籍を紹介させてもらってるんですが
今週の書籍面白いですよ これ何て読むんだろう文人
悪事記あってるかな 文学の人と書いて文人悪い食と書いて悪事記と読むと思うんですね
文人悪事記 原山光座風呂の文人悪事記という書籍
ご紹介しています もうねこれ夏目漱石も出てきますし
森鴎外も出てくるんですが僕のお気に入りは江戸川乱歩 まああ
官邸小説家ですねちょっとホラーぽい小説が得意な方ですね 和食にウィスキーのソーダ割りつまりハイボールを合わせたのは
記録に残っている限りでは江戸川乱歩が最初 まあ
当時ねその 要衆って呼んでましたよね
和食に要衆を合わせるなんてっていう雰囲気の中で 江戸川乱歩は
和食に要衆を合わせたまあちなみにサントリーのウィスキーだったそうなんですが まあなかなかね見る目ありますよね
江戸川乱歩はあの食に関する著作を残してないんですね他のね 食通と呼ばれた作家さんて割とこの職に関する
まあエッセイとかを残していたりするんですが 江戸川乱歩先生は職に関する書籍残してない
ところがなんと彼はですねプロの料理人だったんですね ラーメン屋さんやってたそうなんです
でそれも生活のために なんかこの小説が売れないからラーメン屋やるわーって言って
でまぁそこそこそれは儲かったみたいなんですね いやもちろんねその池並翔太郎のように本当ね
美味しいものを美味しそうにこう書かれる 作家さんというのを僕は好きですけれども
何も言わないけど実はプロでしたっていうね江戸川乱歩先生 さすがだなぁと思って
まあますますねファンになりました で話をまんじゅうのお茶漬けに戻すと実はあのネットで検索すると結構
あの森大会がまんじゅうの茶漬け好きだったというエピソードは有名で 食べたよーとか作ったよーっていう記事がそこそこ出てきます中にはね
イベントとしてまんじゅうのお茶漬けを食べる会みたいなことが開催された であるとかアレンジレシピであるとか
会うまんじゅうランキングなんかもね 出ていました
もう日本遺産として呼んでもいいんじゃないかみたいな話もね あったりして楽しかったんですが
あのクックパッドにレシピないかなと思ったらまあ僕が検索した時点では一つだけ上がっていました 僕もねちゃんと写真撮って作る順番
家庭を写真撮っておけばクックパッドあげられたのになーってね 思ったんですが僕のクックパッドの
レシピはえっとねパンとベーコンエッグのお味噌汁とかね まあなんかちょっと普通じゃないけど美味しいものをあげるっていうねポリシーで
まあそんなたくさんあげてないんですが やっていたので
その もうちょっと合うまんじゅうを見つけて良いお茶漬けの組み合わせを見つけたら
今度改めてねアップしようかなと思っています 他にねあのエジプトのコシャリをまあ身近な材料で作るレシピなんかもね
上げていますので気になる方は えっとね実名じゃないのでちょっと見つけにくいかもしれないですがまぁ今行ったヒントで
もし ご興味あれば見つけてみてください
というわけでこのエピソードではスティームニュース第229号から まんじゅうのお茶漬け
まあその背後にある森鴎外の取り組みについてお届けをしました 今回も最後まで聞いてくださってありがとうございました
スティーム fm の市でした では良い週末をお迎えください
sunday you get something good and you don't know why
sunday it all comes together you know it's right
feeling like this never gets old whatever i do i won't let go look at us now
there's nothing that's holding us down you and me as good as could be living this dream that we found look at us now oh look at us now
there's so much waiting before us we've yet to find