今回のエピソードの主人公は、江戸時代のマルチタレント、平賀源内です。
マルチタレントというと少し軽いイメージになってしまうのですが、
平賀源内はですね、西洋で言えばポリマス、つまり白学者、あるいはルネッサンス人にあたります。
平賀源内は浄瑠璃作者として、そして下作と呼ばれたポピュラー文学の創始者としても名前を残しています。
つまりはアーティスト兼エンターテイナーだったわけですね。
そこらへんがとても日本らしいかもしれません。
しかし意外なことに、彼は生涯を通して科学者であろうとしました。
彼は価格研究の資金調達に苦労し、仕方なくアートやエンターテイメントに手を出していたようなんです。
そんな源内先生の科学者としての側面を、このエピソードではお伝えしていきます。
とはいえですね、平賀源内という人物をどう紹介してよいのか、ほとほと困るんですね。
彼は江戸時代中頃の1728年、佐渚の国、現代の香川県ですね、この佐渚の国に生まれています。
その52年の生涯で、本造学、資質学、蘭学、医学を志し、植産事業を行い、
日本初の下作者、これは大衆小説家ですね、そして日本初のコピーライターとなり、
また人形浄瑠璃、徘徊、蘭画、これは西洋画のことです。
これらのアートを手がけました。
さらには今の言葉で言えば万博のプロデューサー、キュレーターも務めました。
そしてもちろん彼は子供時代からの発明家であり、エンジニアでもありました。
玄内の興味はあらゆるジャンルに及んでいるようなのですが、
彼が生涯関心を寄せ続けたのは、知の有用、これ、知の文、文学の文ですね。
知の文と書いて知の有用というものですが、この知の有用に関心を持ち続けました。
つまり玄内が目指したのは知文学、知の代わりに天と入れると天文学ですね。
天の代わりに知、知文学ということになります。
玄内は地上のありとあらゆるものを集め、整理し、役立てようとしました。
彼は中国はもちろんヨーロッパからも鉱物や植物を買い求め、図鑑を作り、江戸で博覧会を開きました。
彼が収集したものの中には、スティームニュースで以前ご紹介したブルーの歴史という語でご紹介した根性という青、通称広茂ブルーも含まれていました。
彼が日本で最初に広茂ブルーを使ったんです。
もし彼がいなければ、日本の浮世絵もずいぶん違ったものになったかもしれません。
平賀玄内は博覧会を開いただけではなく、そのカタログを絵入りで出版もしています。
カタログの名前は物類品質と言い、現在まで残されています。
主な項目は医薬品なのですが、第一項目がバラの香水、ローズワートルであるように、市場のあらゆる役立つものを集めようとしたようです。
また当時知られていた中国製の医薬品カタログを一つ一つ吟味し、修正を加える作業も行っています。
江戸時代にこれだけのことをしたのですから、莫大な費用がかかったのでしょう。
平賀玄内は江戸から長崎へ留学するための費用を年出するために、福内気外、これ福は内、鬼は外という風に漢字で書いて福内気外というものですが、
この福内気外のペンネームで人形浄瑠璃の台本を書いています。
また平賀玄内、平賀というのは貧しい家です。貧しい家でお金がない。平賀玄内の別名で内職もしています。
かの有名なエレキテルも平賀玄内の名前でデモンストレーションをしています。
彼の浄瑠璃の一作、心霊矢口の私は、なんと2023年の現在でも上演されています。
初演が1770年なので、なんと250年にわたる作品を作り上げてしまったのです。
作家として超有名、超一流のオスカーワイルドのサロメが1893年なので、どれだけのロングセラーなのかということですよね。
いやー、250年ですよ。
今だったら、ちょっといいこと言っても250秒で消化されてしまいません?
4分10秒、250秒。
いや、ほんとね、平賀玄内先生はすごい人ですね。
いや、横道にそれてしまってごめんなさい。
はい、ここから科学者としての平賀玄内先生についてお話を戻していきたいと思います。
元内先生、どうやら指紋学、現在でいう地球科学の探求者でありたいと願いつつ、あまりにも器用であったこと、そして研究資金を稼ぐために、あれこれと手を出したことを無念に思っていたようなんです。
平賀元内は、1779年、勘違いと酔った勢いもあって、殺人を犯してしまいます。その結果、江戸幕府によって登獄され、獄中死します。
幕府は罪人の遺体を下げ渡さないのが慣例なのですが、元内に関しては特例として下げ渡したようです。
元内を引き取ったのは、生前の親友にして乱学者すぎた原伯だったと言われています。原伯は、次のような秘文を残しています。
ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常。何ぞ非常に死するや。
1924年、大正十三年。平賀元内は天皇より十五位を贈られました。
イギリスで言えば、サーの称号を得たようなものでしょうか。元内はへとも思わないというふうに言っているかもしれませんが、彼の生涯の功績が評価されたことを、僕は嬉しく思います。
僕は平賀元内の親友であった教科士、狂った歌の先生ですね。教科士、太田南保。元王植参人の大ファンで、平賀元内に対しては、ふーん、やましいでしょうという程度の認識しかなかったんですね。
ただ、彼が太田南保のデビュー作、寝ぼけ先生文集に寄せた序文、
みそのみそくさきは、じょうみそにあらず。がくしゃのがくしゃくさきは、しんのがくしゃにあらず。を読んで、元内先生にも興味を持ち始めました。
そして、本造学者平賀元内という本を見つけて読んでみたんですね。
そうしたら、平賀元内が常に科学者であろうとしたこと、いつも人々を豊かにすることを考えていたこと、そして、器用すぎるがゆえに苦悩したことを知るに至ったんです。
平賀元内が手がけたこと、例えば万博のプロデュースは、比べるのもほがましいのですが、僕たちが TEDxイベントとしてアイディアを動画で紹介していることに重なりますし、
それどころか、TEDxイベント開催に必要な経費を賄うために、裏の仕事もずいぶんさせてもらっているんですね。
それこそ、ウェブデザインの仕事からネットショップを自分で開いたりとかまでもしています。
これなんかも、いちいち元内の副業が自分に重なります。
もちろん平賀元内の場合は、その副業で後世に名を残したわけですが、僕の場合は月とすっぽんで、すっぽんの方ですかね。
ダメな方はすっぽんですよね。すっぽんの方でも全然比べるべくもないのですが、ちょっと自分を重ねたりもしています。
僕は、これは辞書をお許しいただきたいのですが、計算機、科学者、コンピュータサイエンティストで、これは数学者の端っこの端っこに当たります。
また僕自身はアマチュア天文学者でありたいと願っていて、願っているだけなんですけどもね。
銀河系の縁に立っているどころか、まあぶら下がっている状態で、でも何か一つ宇宙の神秘を解明できたらなぁと夢を見ています。
そして、これも辞書になるのですが、情報建築家、インフォメーションアーキテクトとしてTEDxイベントとTEDx動画のプロデュースを通して学術プロモーションにも挑戦をしています。
また僕自身もこのsteam.fmのパーソナリティとして学術プロモーションを行っています。
こんな小さな番組ですが、たくさんの方に聞いていただいていて、2023年10月のアップルのピックオブダウィークの一つにも選んでいただけました。
本当にリスナーの皆様には感謝しかないです。
日永玄内先生には投稿呼ばないんですが、でもここまでこれたのは皆様のおかげです。リスナーの皆様のおかげです。本当にね、本当にありがとうございます。
というわけで、僕にも日永玄内先生の気持ちが少しわかる気がしているんです。
どんな気持ちかというのを正直に白状すると、根源は自己肯定感の低さなんですね。
自己肯定感が低いから人の役に立ちたいと願うし、あれこれと手を出すんです。
これなら自分にできるかもしれないと思って手を出していくんです。
日永玄内は彼の周辺に学術、当時は蘭学を極めた杉田玄白であったりとか、エンターテイナーとしての才能を発揮した太田南保がいて、彼らを超えられないと感じた苦悩を僕は身も耐えして感じています。
おっと、お別れの時間が来てしまいました。最後まで聴いてくださってありがとうございました。
今週はカラーのwish upon a starです。steam.fmのイチでした。
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